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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


弔 −怪− 亡者道



 遠く、鉦の音が鳴った。
 薄暗い霧の闇の中、燈明があがる。
 どーん、とうなり声にも聞こえる太鼓がひとつ鳴った後、波立つ白い旗を掲げてそれらはやってきた。

 みな一様に黒い装束に身をやつし、俯き歩く行列。
 葬列だ。あれらは密やかな葬列。

 失われていくものを弔い、悼む連なりだ。

 六月の晦日、時の満ちた夜に。
 行列は何者かの前を横切って通り過ぎ、やがて何処(いずこ)かへと消えて行く。

 それを皮切りにはじまる、今宵夏の怪。




 テレビの天気予報が入梅(つゆいり)を告げてから、一ヶ月になろうか、としていた。 空からは思い出したように、ぽつぽつと僅かばかり雨が降っては止み、を繰り返し、地上、首都東京は非常な蒸し暑さを被っている。
 陽の光自身が強い真夏とはまた異なるじめじめした暑さは、色々な不都合を呼び起こすものだ。
 そしてその不都合は、この草間興信所にも着々と現れつつある。
 ほんの少し保存を怠っただけで、随分と品質が落ちてしまった棒状の水羊羹の惨状を眺めながら、シュライン・エマ(しゅらいん・えま)は応接ソファを振り返った。
「ごめんなさい、黒吉さん。お茶請けが羊羹から別のものに変わっても、いいかしら」
 彼女にしては珍しい、どことなく情けなそうな声に、呼ばれた黒谷・黒吉(くろたに・くろきち)がぴこり、と耳を立てて「へぇ」と多少間抜けな声で応じた。やがて近寄ってきてその手元を覗き込むと、合点がいったというように頷く。
「あっしは、食べるもんならなんでも好きでやすから。この時期はどうもいけねぇ。色々なものが、腐ったり滞ったり……厄介な時期でねぇ」
 自らも食材を扱う商売をしているもので、ひどく身に覚えがあるらしい。首をいやいや、と振りながら、興味深そうにシュラインがお茶を淹れる様を見ている。
「あの弔いも……なにかしら、こういう時期ってのが関係して現れたものなのかもしれやせんや」
 そして思い出したように、しみじみと呟いた。
「どうなのかしら。それについては、色々と調べてみないといけないわね」
 お茶と、羊羹の代わりのお茶請けをテーブルまで運ぶと、今は、他に誰もいない事務所内をぐるり、と眺めて、シュラインは一つの棚から周辺の地図を取り出した。
 机の上に広げ、黒吉を呼ぶ。
「その、黒吉さんのお店に来た人が葬列を見た場所というのは、わかるのかしら」
 呼ばれ、ぽてぽてと寄ってきた黒吉は、この興信所はどこにあたるんでしょうねぇ、ああ、ここですか、なるほど――とむにゃむにゃ一人で納得しながら、頷いていたが、やがて手で一点の場所を指した。
「この事務所があります通りが、ここ、――でございやすね。びる、が連なるこの通りをずうっと抜けて、左に曲がった……距離にして数百と離れちゃいねぇはずで。ですから、おそらくこの辺かと」
 黒吉が指さした場所は、草間興信所から大して離れていない、小さな筋を一つ、二つ隔てた、商店街の方へと続く細道だった。
「その方が通ったのは、おそらくこの細道ですが、出くわしたのは、路地を抜けてすぐ、ということでやすから、丁度この道と行き合う――――」
 肉球のついた手を器用に丸めて、黒吉が地図の上の道を辿る。
「この、少し広くなっている通りかと」
 示された通りは、丁度ひしめき建つビル街を抜けた、集合住宅がぽつぽつと点在している脇で、すぐそばにはちょっとした公園もある。道に向かって左側には遊歩道が設けられ、夜には一定の間隔で街灯も灯っているはずだった。
 シュラインはその部分の地図をコピーすると、赤く印をつけ、目撃現場、と書き込んだ。
「どちらから現れて、どちらへ消えたのかしら」
「それは、あっしにもちょいと……。なにせ、その方は泡食っちまって、行列自体をよく見てねぇんで」
 手がかりを少ないことを頭を下げて詫びると、黒吉はよろしくお願いできやすでしょうか、と伺った。シュラインは気持ちよく笑う。
「もちろん、お手伝いさせてもらうわ。貴方は立派な依頼人なんだから、そんなに恐縮しなくていいのに」
「へぇ、なんというかその、性分ってのもありやしてねぇ。何より、こういういかがわしい面倒がお嫌いな草間様にお願いしてる手前、なんだか肩身がせまくていけねぇ」
 いつもはぴん、と張ったひげを垂らしながら、黒吉はそう言って苦く笑った。
 モノノケにはモノノケとしての在りようというものがある。黒吉としては、自分のような存在を嫌う人間がいることは重々承知の上のことであり、できるだけそういった人物を煩わせないようにするには、近づかないことが最良の策ということをよくわかっていた。 それを、今回自分の事情で破ってしまったことを非常に申し訳なく思うらしい。
 シュラインは小さく含み笑いをした。
「大丈夫。武彦さん――草間は、あなたが思うほど、あなたを嫌ってはいないから」
 元来、困っている者を見過ごせない質なのだ。だから、経営が火の車だろうが、受ける依頼がことごとく意に沿わぬものだろうが、この興信所をやめようとはしない。
 不思議そうな黒吉を促しながら、シュラインはこの依頼の話を草間から受けた時のことを思い出す。

『おまえに、頼みたい仕事なんだが』
 そっぽを向いて、調書を渡しながら、草間が歯切れ悪く、おまえと付き合いのある奴だ、というので見てみると、なるほど。依頼人は、何度かシュライン自身がお邪魔したことのある店の店主で、化け猫だった。
『この依頼……受けてくれたのね』
 そもそも怪異を嫌う草間のことだ。気がすすむわけではあるまい。柔らかい目で尋ねたシュラインに、草間はあくまで目をあわさず短く答えた。
『困ってるんだ、そいつは。調べてやってくれ』

 草間はただ、日頃声高に嫌いだ、嫌いだ、と言っているものに愛想よく接することができないのだろう。ハードボイルドを目指す男は、得てして不器用なものだ。
「だから、気にしなくていいの」
 そう言い切ると、ようやく黒吉もいくらか肩の荷が下りたようだった。もう一度深々とお辞儀すると、これからどうしやしょうか、と首を傾けて聞いてくる。
 そうねぇ、と応えながら手早く必要な書類をまとめ、胸に下げた眼鏡をかけ直すと、シュラインはにっこり笑った。
「お出かけしましょう。黒吉さん」



 仕事柄よく利用するインターネットカフェの自動ドアをくぐると、珍しいことに、いつもここを根城にしている少女の姿は見えなかった。
 おそらく、今日も新たな検証依頼をたんまりと受けて、元気に飛び回っているのだろう。
 その姿を一瞬思い浮かべて小さく微笑み、シュラインはシングルのブースをとり、手馴れた様子で席についた。
 肩には、手のひらサイズになった黒吉がちょこん、と座っている。ぱっと見、ぬいぐるみのように見えなくもない。
 公共の場にいつものちゃんちゃんこ姿で行くわけにもいかず、サイズを随分小さめにした上でちゃんちゃんこも脱いでいる。彼なりの苦肉の策だ。
 パソコンなどとはまったく縁のない彼は、先ほどからずっと目を丸くしている。
「色々と話しだけは聞いておりやすが、なんですか、不思議なものでございやすねぇ。到底、あっしには使えねぇ代物だぁ」
 シュライン様はえれえ術を使われますね、と感心しきりの江戸時代の化け猫に苦笑して、シュラインはマウスとキーボードを操作した。
 液晶画面に、「ゴーストネットOFF」というサイトが表示される。
 今はここにはいないが、瀬名雫という少女が管理しているサイトで、東京を中心に、日本各地の怪奇情報が集約されている場所だ。
 下手に聞き込みをするよりもずっと効率的に欲しい情報が手に入る。
「黒吉さんには馴染みがないでしょうね。でも、慣れればとても便利なものよ? こうして――」
 言いながら、画面上の検索ボックスにいくつかのキーワードを打ち込み、不特定多数の投稿記事の中から、必要と思われるものだけを絞り込んで行く。
 興信所で事務を行うシュラインにとっては得意な作業と言えた。
 肩に乗った黒吉は、しきりと「えれぇもんだ。すげえもんだ」と繰り返す。
 キーワードを「葬列・弔い・行列・黄昏時」など、いくつか組み合わせや言葉の表現を変えて、関連のありそうなものだけに記事を絞り、目撃のあった日にちの前後一週間ほどを目安に、最新のものまで関連のありそうな記事をピックアップした。
「……………でたわ」
 ヒットした中でも、本当に関係のありそうなものだけを取捨選択して、シュラインは呟く。
 必要のありそうな事柄については、プリントアウトして手元のファイルに収めて行く。「やっぱり、少数だけど、そういう列を見た人たちが他にもいるようね」
 言いながら、記事の一つ、『変な行列見た』というタイトルのものを開いた。
 黒い画面に、ぱっと白い文字がずらりと並ぶ。

★No.7752

変な行列見た 投稿者:もね ◆ MAIL
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 こないだ夕方、塾の帰りにへんな行列見たよ。
 夕方だけど、都内S区の住宅地の辺り。

 自転車で走ってたんだけど、いきなり出くわして。
 なんかみんな黒い服着て、ずらずら歩いてんの。あれってなんの行列??

 ちょっと怪奇っぽかった。見たときはぼーっとしてたけど、
 後から震えきた。都市伝説ってやつ?
 
 誰か他に見た人いない?
 できたら検証して欲しい。

☆No.7764

 Re:変な行列見た 投稿者:F&Fマニア HOME MAIL
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 はじめまして。俺は都市伝説って結構調べてたりするつもりだけど、
 その話し初め聞いたよ。詳しい話し聞きたい!

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「S区の住宅地の辺りって……こちらが知っている目撃現場とは少し離れているのね」
 投稿日時は6月20日。丁度一週間ほど前になっていた。残念ながら、レスはない。
 もう少し前のものもある。


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★No.7600
 いろいろあるもんですね 投稿者:くるみ ◆ MAIL
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 いつも楽しく覗かせてもらってます。
 ここに集まってる情報ってすごいですよね!
 わたしもNさんとか、ドンタっくさんが見たっていう廃屋の幽霊、見てみ
 たいです〜(≧△≦)
 検証に行く方いたら、ぜひご一緒したいんですけど。

 あ、でも怪奇ってほどじゃないけど、なんか変な撮影だったらこの間見ま
 した。何か昔のお葬式を真似てるのかな? ちーん、ってなんか鐘の音がして。
 結構人数多かったけど、あれなんだったんだろ〜。カメラがどこにあるの
 かわからなくて、戸惑いました。S区のNなんだけど。
 危うくぶつかる所でした(^^;)
 新しい怪奇映画でもやるのかなぁ。
 面白そうなのあったら、教えてください。

 では、連絡待っています。

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 16日の投稿だ。

 他にも僅かにかすっているような投稿はあったが、おそらく問題の葬列のことではないか、と特定できたのはこれだけだ。
 この二つの投稿記事をプリントアウトし、ファイルに綴じてから、シュラインは整理してみよう、と思った。
 書き込みには、新しく得た目撃地区を書き込み、日にちを添える。時系列からすると、一番古い目撃は六月の中ごろ。情報が少なすぎるので、これが初めのものかどうかはわからないが、少なくとも黒吉の店に逃げ込んできた人物の目撃が最初でないことは想像出来る。むしろ、時間的には一番新しい目撃情報だったわけだ。
(……そして、おそらくこの葬列が始まったのは六月の中ごろと検討をつけていいわ)
 もしくは、六月の初め。
 関東一の規模を誇るオカルトデータベースとも言えるサイトで、大した情報が出てこないことが一つの目安といえる。もしこの話が以前からささやかれているものであれば、少なくとも一人くらいは物知り顔で「その話なら知ってる、こういうバージョンもあるよね」と発言するものがいてもおかしくない。
 だが、記事にレスをつけている人物たちは、誰しもその話を知らないか、もしくは聞きかじったばかりのようなコメントを返している。つまり、これはこの葬列がまだ都市伝説化するほどには、時間を経ていない、ということではないだろうか。
 点々、と地図上についた丸の位置を指でなぞりながら、シュラインは黒吉に小さく呼びかける。
「見て、黒吉さん。その葬列を見た、とされている場所同士の位置。比較的密集しているわね」
 目撃情報のあった場所は、どこも歩いていける程度の距離にある。それらの位置が何かを象っているというわけでもなさそうだが、ただ、時系列が古いものほど、方角的には北寄りになっており、だんだんと行列か南下しているのが、奇妙といえば奇妙だった。
 そのことを指摘すると、黒吉は感心したように「なるほどねぇ」と何度も頷いた。
「この周辺で、あなたのよく知っている時代のもので、思い当たるものってない?」
「どうでしょう。今すぐにはなんてぇ、覚えがありやせんが……」
 肩からキーボードの脇に降りた黒吉は、細い目をさらに細めて、注意深く地図の上についた印を眺めていた。それと、シュラインの書き込みを見比べながら、うーん、と考え込んでいる。
 そうさせておきながら、シュラインは行列の性質の分析を続けてみた。

 ――――葬列は、道と道がぶつかる場所に忽然と現れている。

 まず鉦の音などを響かせて存在を知らせてはいるものの、遠くの方からやってきて――という風な感じは受けなかった。目撃した人がその葬列に突然出くわしているからだ。
 目撃の数が少なすぎて、この目撃位置が何を示しているのかはわかりにくいが、誰しもその葬列がどこに消えて行ったかについては言及していない。よほど、忽然と目の前に現れた印象が強かったのだ。
 では、何故行列は突然現れるのか。
(……その行列が現れる原因となるもの自体が、何らかの事情で移動していたとしたら……?)
 黒吉の言うことが正しい、と思った。
 これは、闇雲に現れている意味のない集団とは違う。だが同時に、何から何まで計算された儀式等の行列とも違う。
 彼らが列をなして歩くには理由がある。だが、歩く場所自体は、已む無く選ばれているのではないだろうか。
「シュラインさま?」
「あ、ごめんなさい。何か、思い出せたかしら」
「へぇ、なんとなくですけども、この……」
 黒吉はたしたし、と肉球で地図の上を叩き、目撃の印がついた場所を線状に移動した。「この辺に沿って、一つモノノケ道の旧道の入り口があった気がしやす」
 モノノケ道とは、黒吉たち、アヤカシが使う、通常は見えにくい綻びのような道だ。
 シュラインもつい最近まで知らなかった。その道はどこまでも繋がっているが、通常の規律からは離れた場所にあり、時間の進みも、理も違う。案内者がいれば便利な道だろうが、事を知らずに踏み込むには危険な道だ。
 黒吉は、もう随分前に閉じちまったものなんですがねぇ、と付け加えながら、
「何度かあっしも使ったことがありやす。確かねぇ……近くに、川ともいえねぇほどの、溝のある道ですよ。ここも、大昔はもう少し大き目の川だったんで」
「溝……?」
「左様で。方々が見た、ってぇ場所とは直接関係はねぇですが」
「いえ。案外そういう所から原因が分かったりするものよ」
 応えてから、シュラインは沈黙した。
 川、というのは何かあるかもしれない。川には流れがある。流れのあるものは、例えその形を狭めていようと、細く、道々をつなぐかもしれない。
 ファイルと、考えをある程度まとめたシュラインは、実際にこの周辺に行ってみようと思う、と黒吉に告げた。
「この辺りで、最近工事、もしくは事故……付け加えられたり、壊されたり、とにかくなんらかの変化がなかったかどうか見てみようと思うの。ネットの情報じゃ、大体の位置しか特定できないから、少し歩くことになるけど」
 なんとなくね、と一瞬口ごもってから、黒吉を見る。
「この葬列は、自分たちの意思とは関係なく、現れる場所を変えているように思うのよ……」



 越中、立山には、弔われなかったものたちが堕とされるという地獄があるという。
 その昔、その山中に居を構えた夫婦が、夜な夜な家の中を通り抜けて行く亡者の行列に悩まされるようになった。
 その行列は、毎夜毎夜、北東からやってきて、南西に抜ける。
 困った夫婦が、ある行者に見立てを頼んだところ、行者は、「この家が建っている場所は、立山の地獄へと向かう、亡者どもの通り道にあたるのだ。家を、もっと西の方向に移しなさい」と言ったという。
「わたしたちにとっては昔話なんだけど、黒吉さんも知っているかしら」
 目撃箇所を歩く道すがら。
 通常の大きさに戻り、赤いちゃんちゃんこを着付けた黒吉と、シュラインは話し合っていた。
 黒吉は術を使っているので、普通の道行く人には、一人きりで虚空に向かって話しかけている奇妙な人物と映ることだろう。が、幸か不幸か、周りに人通りはあまりなかった。
黒吉が鼻をこすりながら答える。
「【日本国の人、罪を造て多く此の立山の地獄に堕つ】と記された書物があるそうで。越中立山や奥飛騨に地獄があり、亡者たちが夜な夜な列を成して歩き、向かうと聞き及んでおりやす」
 今回のことは、どうもその話に似たことが起こっているんじゃないか、と思うのだけれど、とシュラインは言った。
「ただ、見た人によると、行列自体が通る道を変えている、というわけよね。つまり、昔話とは逆。だけど、黒吉さんが言うように、意味もなく行列がそうしているとは思いにくいの」
「――あぁ。だから先の時に、壊されたものや付け加えられたものがないか調べてみたい、と、そうおっしゃたんですね」
「そう。その時代のものが、壊されたり、新しい形に変えられてしまったり……そのことによって、霊が本来通る道を変えられてしまったんじゃないか、と思ったのよ」
「なるほどねぇ。あっしにはなかなか考えがつかねぇことだ」
 この地域が受け持ちの交通局に問い合わせたところ、最近この辺で公的な工事や取り壊しなどは行っていない、ということだった。とすると、考えられるのは民間の中で誤って何かを壊したか、変更したという線だが、こちらの確認は随分と日にちがかかるかもしれない。
 考え込むシュラインを傍らに、黒吉がふんふん、と鼻を鳴らす。先ほどからしきりにそうしていた。
「どうしたの?」
「いやねぇ……」
 尋ねると、黒吉は首をこきり、とまわす。化け猫ではあるが、彼の仕草はとても人間くさい。
「さっきから、どうにもきなくさい匂いがするんでさぁ。なんだかねぇ、気になってねぇ」
 二人は、黒吉の店に来た青年が弔いを見たという公園のある通りから、さらに南下した小さな横道まで来ていた。
 道の両脇は意外とせまく、右側は民家の石壁で、反対側には白い鉄棒が柵のように連なっている。その向こうは一段深い、ちょっとした堀のようになっており、綺麗とも言いがたい僅かな水が流れていた。
「黒吉さんが言っていた溝はこの近くなの?」
「へぇ。そのはずで。だから匂うのかもしれやせんねぇ」
 モノノケ道があった場所には、残り香のようなものが滞るそうだ。閉じたとはいえ、元々そういった綻びのあったものなら、黒吉が匂いを気にするのもわかる。ただ、きな臭いというのがどういう意味なのかが、シュラインにはわかりかねるのだが。
どうにも気持ちが悪いらしい鼻をまたこすりあげて、黒吉が呟く。
「……そろそろ、問題の刻限に、近づいて参りやしたね」

 黄昏時だ。
 向こうから来る相手の顔もよく見えないほどの暗がり。
 六月の末である今、陽は暦の中では随分長く猛威を振るうが、今日に限ってはその暮れが少し早いような気配があった。
もしかして、と思う。
黄昏時。場所。人気のない道。条件が揃っているのではないか。
「なんだか、このままだと私たちがその行列に出くわしそうね」
思ったそのままを口にすると、黒吉は鼻を鳴らすのをやめ、いつもは細い金の目を見開いて、耳をぴん、とたてた。
「……なるほど。これは、直接会えるかもしれねぇ。その、何かを弔っている行列に」
 意を得たように数度頷き、ふ、と手を振ると彼がいつも愛用している提灯が宙に現れ、明かりを燈した。
「お燈明だ。導きに。さっきからする匂いは、もしかすると奴らの匂いかもしれねぇ」

虫の知らせか、予感のなせる業か。

 ――――その時、何処からか甲高い、金属的な音が長く、尾を引いて響いてきた。



 ちぃぃぃいい――――……ん。

思い描いていたのと寸分たがわぬ音だった。
鉦の音だ。呼び水ともいえる出没の合図。
 細く、伸びるその音がシュラインたちの周りまで浸透した時。通りを取り巻く空気は、夏の入り口とは思えないほどに硬化した。
 今まで普通どおりに存在していた世界から、その場だけを塗り替えたように、目に映る全てが色を変える。
 怪異が、どこかで始まったのだとすぐにわかった。
 ふと、鼻を僅かだが異臭のようなものがかする。もしや、これが先ほど黒吉がいっていた匂いなのだろうか。では、やはりこれは。
「これが……そうなの? 現れているの?」
「おそらく、ちげぇねぇ」
 短く聞くと、黒吉も最小限で応えた。
「……これほどの変化に、気付かないなんて」
 ネットで見た発言には、こんな異常さはどこにも書き込まれていなかった。そういうシュラインに、黒吉は金に光る目をある一点に向けながら呟く。
「あっしが、いるからですかねぇ。それとも、シュラインさま自身がアヤカシを感じられる方なのかもしれねぇ」
 黒吉が、つい、と提灯を先に向け、道を示した。「あちらから、音がしやす」
 導かれるままに、シュラインは細い路地を抜ける。その先に。

 ちぃいいいぃいいー……ん

 彼らはいた。
 少し開けたその通りに、動く存在は彼らだけだった。完全な闇ともいえない、黄昏の暗がりの中、するすると。
 風もないのに、白く、生き物めいて靡(なび)く、横長の旗。同じほどの長さの棒の頂点、高みに灯る提灯の薄明かり。
 形ばかりは人の姿を模したものたちが、一様に黒い装束を纏い、俯きながら歩いて行く。だが、人ではない。
 ――――静かな葬列だった。
 泣き声も、足音も聞こえず。これが人の連なりであるわけはなく。

 シュラインは路地を出た時の恰好のまま立ち尽くし、その弔い行列を眺めていた。
 列には、大小さまざまな背格好のものが加わっていた。棒を掲げるもの、棺おけを担ぐもの以外は、皆拝むように手を胸の前あたりで重ね合わせている。
 一人もこちらを伺ったりはしない。
 彼らと自分たちとは、同じ地面に立ち、空間を共有しているはずが、なぜかそうは思えなかった。大きなスクリーンの前で、画面に映し出される映像を見ているような気分。
 疎外感とでも言うべきものを感じた。
 彼らには、自分たちが見えていないのか――――?

 どう、ということはない。ただ、シュラインは急に、もう一歩、行列に近づきたい衝動に駆られた。
 だから何も思わず、もう少しだけ前に出た。その瞬間に。


 ちぃぃいいいぃいいいーーーーーーー……ん……

 鉦が鳴いて、行列が止まった。
 まったくこちらに無関心だった面々が、一斉にシュラインを見ていた。思わず、息を呑む。
 彼らは、まったく人を模していた。だが、その顔についている目は白くにごり、目の玉がない。口は、どこか物言いたげに半開きになり、乾いてかさかさになった風体の舌が見えた。
 列の中の一人、一番後ろについていた者が、口をさらに大きく開ける。
 何かを言ったようだったが、何を喋ったのか、わからない。ひどくしわがれた声がでたように思う。
 何かをぶつぶつと喋りながら手を上げ、シュラインを掴もうとしたのか、近寄ってくる。枯れ木に似た腕を上げたが、その腕は奇妙な方向にねじくれていた。
(動かないと……!)
 反射的にそう判断して身をよじると、体の前ににゅ、と黒い毛皮につつまれた腕が生え、シュラインの身を後ろに引いた。黒吉だ。
 モノノケ提灯を持った化け猫は、日頃からは考えられないような速さで行列とシュラインの間に立ちはざかり、深く、深く。弔い行列に向かって、頭を下げるのが分かった。

…………


   …………恨めしい。



       …………………恨めしい、ね。




 後日。
 弔い行列が歩き回っていた周辺をつなぎ、流れる溝の一角から、あちこちと、ところどころが壊れ、破損したほうこ人形が、草間興信所の事務員、シュライン・エマの手により発見された。
 ほうこ人形とは、その昔地方で、無病・息災を願って作り上げられたヒトカタのことだ。人が病にかかった時に、このヒトカタに願いを込めて海に流すと、病が治るといわれていた。
 行列が移動したのは、溝を伝って人形たちが流されていったからだ。
 突然、現れたのは、自分たちの本体が水の中に浮き、沈む、その様を示唆していた。
 しかし、なぜ、そんなものがこの東京の片隅に現れたのかということだけが謎として残ったが、シュラインはその全てを拾い上げ、神社に納め、しかるべき弔いを行った。

 だが、人の病を身に受け、流されることがさだめの人形であるのに。
何を恨めしい、と言いたかったのだろう。



「おい」
 何時も通りの時間帯に、興信所事務所へと出勤したシュラインは、出会い頭にぽん、と何かを投げて寄越された。
「……びっくりした」
 突然目の前に落ちてきたそれを反射的に受け止め、目をぱちり、と瞬かせながら、草間を見ると、彼は薄茶の硝子の向こうでそっと目を細めて言った。
「おまえ宛だ」
「え」
 自然と、自分の手元を見る。しばらく凝視して、納得し、頷いた。
「いつもいつも……律儀な人――――いえ。律儀な、化け猫ね。彼は」
「珍しい奴だ。今度あったら、よろしく言ってくれ」
 さぁて、仕事だ仕事、とデスクに戻って行く草間の後姿に小さく微笑みながら、シュラインは手元の封筒を開封した。封筒の表には、シュライン・エマさま、とあり、裏には目の細い猫の顔がスタンプされていた。芋版だろうか?
中には素朴な和紙便箋を折りたたんだ物と、小さな長方形のカードのようなものが同封されていた。
カードを見ると、どうやって作ったのか、木の薄皮を綺麗に削ぎとり、その上に文字を書いているらしい。淡く、白檀と思われる香りがする。
名刺で、このような素材のものを見たことはあるが、彼の場合自分で作ったのだろう。器用なものだ。
カードには【銀シャリ一筋 お食事券】一度限り、とかかれており、やはり猫の顔の芋版が押されている。小さく笑って、シュラインは便箋の方を開いた。

『前略 シュラインさま

 先日は、面倒なことにお付き合いいただき、ありがとうございやした。
 手前の気遣いが足りなかったばっかりに、貴方さまを一瞬でも危険な目にあわせたこと、どうかお許しくだせぇまし。

 もう、やつらがあのように列を成して、自分たちを弔うことも、恨みを投げかけることもなくなりやしょう。
 ただ、これは風の噂に聞いたことでやすが』

 その下りを読んで、シュラインはばつが悪いような、悔しいような、とても複雑な気分に陥った。

『風の噂にきいたことでやすが、あのほうこどもは、どうやら最近、地方からこっちに連れてこられ、打ち捨てられた連中のようで。
 地方からあれらを持ってきた、というお方はおそらくそこそこの高齢の方でしょうが。そのお方がおかくれあそばしたか……正気を失ったか。何かしら、あれらを手放す羽目になるような目にあったんでしょう。そして、始末を知らねぇ周りの若い衆が、ほうこが負うお役目を知らずに、ただ投げ捨てた。与えられた役目さえ、全うすることができなかった。そういうことのようでございやす。
 人の型をしたものを、そのように無碍に扱うとは、心無いことをされるもんだ。今は、奴らも静かに眠れるようになったのだと思うと、こちらも胸をなでおろしている次第』

「……だから、恨めしいと言っていたのね」
 あのままでは、彼らはどこにもいけなかった。
 行くべき場所にも行けず、眠れず、安らぎを得られない。
 だからせめて自分たちを弔い、慰めていたのだろう。これでもし、黒吉に依頼をされることなく、彼らをそのままにしていれば。
 ……おそらく、黒吉が案じたとおりのことが起こっていたのだ。あの時、シュラインを見出した彼らの目の虚ろさを思い浮かべて、そう思った。
 時に非情な人の行いが、そうした悲しい出来事を引き起こしてしまうのだ。

 少し沈んだ気持ちになったシュラインをまるで見抜いているかのように、黒吉の文は続いていた。

『あの弔いを引き起こした原因は人。しかし、またそれをおさめ、慰撫したのもまた人でございやす。この世に草間さまや、シュラインさまのようなお人が存在している限り、この東京に、よほどのことはおこらねぇにちげぇねぇ。
 ですから、どうぞお心を落とさず。今度はぜひ、またうちの店にうまいものを食べにいらしてくだせぇやし。お食事券は一度だけのものとなりやすが、お好きなものをご用意させていただきたく思っておりやす。
 いつなりと、お待ちしておりやすから。この度は、まことにありがとうございやした』

 手紙でも、彼は馬鹿丁寧に文を結んでいた。
 きっと、実際接していたのなら、彼は深々と頭を下げてくれたのだろう。ことのお礼をこんな風に手紙にしたのは、やはり草間のことを気遣ってのことかもしれない。
 彼らしい、気遣いだ。
 ほほえましく思って、ふ、と何気なく便箋の左下に目をやると、すっとんきょうな文字が目に入る。
 シュラインは「あ」と漏らし、数瞬沈黙した後、思わず吹き出してしまった。
「……どうかしたのか?」
 手紙を見ながら楽しそうにしている彼女に、草間が読んでいた新聞から目をあげて不思議そうに聞いてくる。
 シュラインは、笑いながら応えた。
「あとで武彦さんもこれ読んでみなさい。分かるから」

 文の最後はこう結ばれていた。

『それでは。  かしこ』
 勉強家の彼は、現在の手紙の書き方などもどこかで聞きかじって、いちいち新しいことを試しているのだろう。だが、これは彼の場合間違っている。
 今度お店に行ったとき、ちゃんと教えてあげなければ。かしこ、は女性だけが使うのよ、って。


END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

NPC
【黒谷・黒吉/男/350/飯屋店主】

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■         ライター通信          ■
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シュライン様

いつもお世話になっております。
この度はご発注、まことにありがとうございました。

ご無沙汰させていただいていた折でのご発注とお言葉、非常に嬉しく思いながら
執筆させていただきました。

この度は夏ということで手がけた怪談でした。
この―怪―はマルチエンディングを採用しております為、PC様のプレイング・雰囲気によって大元の筋から話が変化するようなつくりにしてあります。
そういうわけで、完全個別でお届けです。

すべてを生かしきれているか、というと難しいところですが、多少なりとも楽しんでいただければ、と思います。

この度はありがとうございました。

また縁がございましたら、よろしくお願いいたします。