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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『霊鬼兵の慟哭』


「ダメだな。とてもではないが初期型霊鬼兵・零の足元にも及ばない」
 ―――煩いな。人の身体を勝手にいじくっておいて文句ばかり垂れてるんじゃねー。

「あれはいつも笑っていたが、こいつには表情の欠片も無いな」
 ―――はぁ? おまえはこんな継ぎ接ぎだらけの身体にされて笑っていられるのかよ?

「超回復もしない。しょうがない。これを廃棄処分として、他の霊鬼兵の保存用パーツ及び実験体とする」
 ―――殺しとけ。じゃないと後悔するぜ?



 草間興信所の事務所に置かれたテレビに映し出されたのは日本、ドイツにおける連続殺人事件のニュースだった。
 その犯行手口及び被害者の共通項からそれは日本とドイツ、その両国間における連続殺人として知れ渡った訳でるが、それが報道機関によって報道されたのは当初は両国警察機構もその関連性など知る由も無かった事が理由であり、悪戯に民間人を恐怖に陥れるようなこの得体の知れぬ事件が両国での連続殺人事件だと報道されたのは完全なるミスであった。
 ここ最近ではマスコミ各社、ニュースのコメンテーターは警察の初動捜査の遅れを問題視している。
「どうした、零? 顔色が悪いぞ?」
「いえ。その、何でもないです」
 しかし本当に顔色が悪かった。
 その場に居る皆が彼女を心配する。
 草間武彦によればここ数日彼女の様子はおかしいとの事だった。
 そして今日ここに皆が集まっているのも、それこそが理由だったのだ。
 果たして草間零に何が起こっている?


 それは唐突であった。
 武装した人間たちが煙幕と共に事務所に押し込んできたのだ。
 そう、武装した人間だ。
 しかしそれでもたかが人間。
 そこは皆の力によって、事なきを終えた。
 そして皆はそれが日本国の特殊工作員である事を知る。
「事務所は包囲されているな」
 草間武彦は探偵だ。その職業上、事務所周辺の状況をいつでもチェックできる備えはしてある。
 なるほど、彼の横からモニターを覗き込んだあなたもそれを確認した。
 そしてその時に草間零が悲鳴を発し、虚脱したように座り込んだのだ。
「零?」
 慌てる草間武彦にしかし彼女は首を横に振った。
「心配する必要はありません。ありがとう、兄さん」
 立ち上がった零。しかし様子が変だ?
「私は草間零であって草間零ではありません。他次元同位体です。この時間系列とは別次元の初期型零鬼兵・零です。説明します。今そちらで起こっている日本、ドイツ両国間の連続殺人事件は廃棄零鬼兵・ニイルビトゥの犯行です。そしてその裏には【黄泉】がいます。彼らが廃棄されていたニイルビトゥの身体に入り込み、一つの存在となって、私が居る時間系列の彼を復活させて、私を滅ぼしました。私は死んでいく今まさにその時の私がこの時間の私、草間零に同調してこうして危機をお知らせしているのです。私は、草間武彦、兄さんに会う前にニイルビトゥに殺されてしまった。私も、私も兄さんや皆さんにお会いしたかったです。どうか、どうかお願いします。ニイルビトゥを止めてください。助けてあげてください」



 人間、神、魔、そういう存在で組織されていた黄泉は度重なる失敗、草間武彦抹殺及びその仲間の排除を成功させるために過去へと飛び、そこでニイルビトゥを繋ぎとして集合し、それとなって復活した。
 二イルビトゥはまず手始めに終戦間際の日本において初期型霊鬼兵・零を殺した。
 その零は皆が居る時間系列の零にSOSをその最後の力を使って発信したのだ。
 そしてニイルビトゥは、その裡にある集合思念(ニイルビトゥを繋ぎに使った黄泉のメンバーたち)の念によってこの時間へと移動してきた。
 おそらくは集合思念たちの思惑は真っ先に草間武彦の抹殺であったろうが、この時間において未だ存在する霊鬼兵立案者やそれに携わった人間、その血筋への怨念の方が勝ってしまったと思われる。故に両国で起きた連続殺人事件であったのだろう。


 そして皆は、草間武彦の腕の中で気絶してしまった零の涙を見て、己が行動を決めて、その信念の下に動き出す。



 ――――――――――――――――――
 OPEN→


【T:脱出】


「さてと、まずは何よりも現状打破よね」
 そう想わない?
 赤薔薇が咲き誇るようにシュライン・エマは妖艶な笑みを浮かべた。
 草間興信所の周りは複数の特殊工作員によって囲まれている。
 装備や身のこなし、身体の作りから見ても彼らは明らかにテロリストなどを想定した訓練を受けた人間だ。
 まずは普通の人間レベルでは彼らには歯がたたないだろう。
 なら、普通の人間を超えたレベルの者がそこ居れば?
 ―――シュラインの視線を受けた彼は苦笑の変わりに肩をわずかに竦めた。
 もちろん、彼の銀糸のような髪に縁取られた美貌に浮かぶのはどのような時にも優雅さを忘れぬ涼やかな微笑だ。それはまるでルネッサンス時代の彫刻を思わせた。
 セレスティ・カーニンガム。
 かのリンスター財閥総帥であり、草間武彦とも旧知の仲。
 その能力は絶対的に有能。
 彼を殺そうと想うなら、特殊な環境下を視野に入れた入念な計画を立て、それ相応の武装をせねば無理だ。もちろん作戦作成者は己の配下の者を駒として非情に捨てきる事を念頭に置いて。
 それほどの事をしなければ彼を殺すことなど到底無理で、
 そして対テロのマニュアルに沿って草間興信所を囲い、侵入した彼らのその作戦、武装、マニュアルでは………。
「彼ら如きを倒すなんて役不足ですね。この私には」
 鉛筆なんか指一本だけでも折れますよ? と当然の事を言うような気安さでセレスティはそう言った。
 武彦が苦笑混じりに肩を竦める。
 カメラのモニターには興信所を取り囲んでいた武装した人間たちが次々と倒れていく姿が映し出されていたのだ。
 そう。彼はクエスト級の者なのだ。水を自由自在に扱う水霊使いの彼にとってみればいかに強力な武器で武装していようが、身体を鍛えていようが、血流操作によって簡単に人間を昏睡状態に陥らせる事が出来る。体内を流れる血液に気泡を作り出して心臓麻痺に陥らせ殺す事も簡単だ。
 それがセレスティ・カーニンガムなのであった。
 シュラインもセレスティも現状を認識し、現状打破に動き、事実それをこなした。
 それは彼らが大人であり、そして実際にその積み重ねてきた経験や見てきた物、感じた物が故なのであろう。
 良くも悪くも歳を重ねるとはそういうものだ。
 経験に裏打ちされる行動はしかし、年端も行かぬ少年には絶句でしかなかった。
 彼、冷泉院蓮生は頭を振る。
 彼は戸惑っていた。
 ―――何に?
 セレスティは携帯電話を取り出し、どこかと連絡を取り始めている。
 彼の麗しい声の響きに耳を傾ければ、彼が口にしているのはどうやらこの国、日本の内閣総理大臣の名前であった。
 蓮生の腕の中で眠る草間零の苦しげだった顔がゆりかごの中で眠っているような安らげな物に変わっている。
 それが蓮生の能力だった。彼は精神的な癒しを得意とする。
 零のもうひとりの自分、多次元同位体への同情と憐れみ、哀しみに傷ついた心を蓮生が癒したのだ。
 それはどこか汚れてしまった雪が、しかし新雪の白さを取り戻すように。
 それを眩しげな目で見つめていた蓮生の隣にシュラインが来て、蓮生の横で同じようにしゃがみこんで、視線をくれた蓮生に優しく微笑む。シュラインのその笑みは温かで優しい母性に溢れていた。北風と太陽の、太陽のように。
「ありがとう、蓮生君。零ちゃんを助けてくれて」
「いえ、俺は。これは彼女の素直さの表れだから」
 そう。いかに蓮生とて拒む心に癒しの能力を発揮する事はできない。
 零がその能力を受け入れたのは、彼が言うとおりに彼女の心の素直さの表れだ。
 そしてそれを想って蓮生はまた戸惑いを露にした。
「ん?」
 とシュラインは優しい姉が思春期の感情の不安定さに戸惑う弟にするような笑みを浮かべた顔を小さく傾けた。
 その美貌が持つ温かさに蓮生は少し顔を赤くする。
「俺にはわからない」
「わからない?」
「ああ。誰かを憎む気持ちも、殺してやりたいという想いも。ニイルビトゥ、あいつどうして………」
 ――――もしもこんな事を言ったらこの女性(ひと)は俺を変に想うだろうか?
 蓮生はそう想いながらそれを音声化する。
「俺はできるなら、誰をも救いたい。ニイルビトゥも、別次元の草間零、そして黄泉という組織の者たちも。皆、酷く憐れで、そして悲しすぎる」
 そう。蓮生にはセレスティのように指先一本を動かすように武装した人間の血流操作をして、気絶させるような真似は出来ないし、
 そして十三歳の彼はシュラインのような大人の余裕やそこから来る気高さもしなやかさもまだ獲得できていない。
 彼はどうしようもなく汚れを知らず、そしてその心の白さに純粋なまでに一途だった。
 人を傷つける力を持たず、そもそも誰かを傷つけようと想う感情を持たぬ蓮生はそういう風だった。
 そんな自分をこの人は、この人たち――――シュラインもセレスティも足手まといとか、利害の不一致とかを理由にここに置き去りにするだろうか?
 しかしシュラインは優しく微笑むと、蓮生の頭を胸に抱いた。
 顔をふわりと包み込んだシュラインの豊かな胸の柔らか味とそして彼女の香水の匂いが、不安に苛まれていた心に心地良かった。
「お願い。その汚れなさを、純粋な想いを忘れないでね。人は誰もが善という訳には行かず、そのあなたの純粋さが時にはあなたを傷つけるかもしれないけど、でも保証する。そういう人よりもあなたのその優しさに救われる人の方が多いから。その優しさに触れた人は、苦しんでいるからこそ、それに涙流して、心の安らぎを得るから。だからいつかあなたが出逢うそういう人たちの為に、そのままのあなたで居て。それは本当に難しくって、酷な道を行け、というものなのだけど、でも私はあなたにそう願わずにはいられない」
 自分の胸の中で小さく頷いた少年にシュラインは微笑んだ。
 そう。彼女は確信した。
 ―――ニイルビトゥは助けねばならない。
 シュラインは自分たちが居る光景をどこか眩しげに眺めている武彦に視線を向けて頷いた。
 そうよね、武彦さん。
 零ちゃんは元々は命令で微笑んでいて、それであなたと出逢い、あなたの下に来て、私たち皆と出逢い、そうして武彦さんや私たち皆と触れ合いながら本当の感情を感じ取り、学びながら自分のモノにしていった。
 きっと当初心鈍かったのは心の防衛だったのだと想う。
 だからこそ私はニイルビトゥを破壊するのではなく助けたい。
 ねえ、武彦さん。私はね、ニイルビトゥはとても感情豊かな子だと想うの。
 だからそんな感情が剥きだしのまま弄られ、傷つき、深い闇に飲み込まれて行って、そしてその隙を黄泉につかれた。
 シュラインは溜息を吐く。
 そしてどこか恥ずかしげにシュラインの胸から自分の顔を離した蓮生にシュラインは微笑む。
 そう、シュラインは想っていたのだ。
 黄泉たちとは確かに深い遺恨を残す事があったが、彼ら自身も何者かに心を操られているのではないのか? と。
 そしてこの少年は、黄泉たちをも救いたい、と言った。
 その汚れなさと彼のその心ゆえの力は、黄泉らも救うのではないのか?
 ならば、シュラインは賭けてみたいと想った。
 そのためのサポートはしよう。
 頭脳戦や心理面では負けない自信はある。
 力で来られたら………
「草間氏。それでは零嬢の事はお願いいたします。話はつけました。もはや人間は誰一人零嬢には手を出す事はありません。私がリンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガムの名に賭けてさせません。させないようにしました。ただし、黄泉などが手を出してくるかもしれません。ですからその時にはキミが妹を守ってください」
「ああ、任せておけ。零も、そしておまえらが戻ってくる場所を守るさ。それぐらいは踏ん張らんとな」
 力強く頷く武彦に、セレスティは意地の悪い笑みを浮かべる。
「怪奇探偵の名に賭けて?」
「ハードボイルドな探偵、草間武彦の名に賭けてだ」
 同じく悪戯っぽく笑う武彦にセレスティはとても美しく微笑み、
 そしてその微笑をシュラインにも向けた。
 ―――ええ、大丈夫。キミたち大切な仲間を傷つける輩を私は許さないし、そんな事はさせはしません。
 言葉に出さずとも信頼は伝わっている。
 それが草間武彦を中心としてこの風変わりな草間興信所に集まった面々の得た物。
 ―――絆という力。
「さてと、それでは行きましょうか、蓮生君」
「はい。セレスティさん」
 セレスティは蓮生の肩に手を置き、
 蓮生もセレスティに頷いて、
 そして二人は一足先に事務所に出て、
 シュラインと武彦は顔を見合わせて苦笑しあう。
「すまんな。いつも」
 苦りきった顔でそう言う武彦に、シュラインは姉の表情をして、右手の人差し指で彼の額を弾いた。
「それは言いっこ無しよ、武彦さん。零ちゃんは私の妹でもあり、親友でもあるんだから。それは皆そう。そう。あなたが、零ちゃんが大好きで、大切な人だから。だから、ね」
「ああ。だけどそれは俺も一緒だ。無事に、帰ってきてくれ。シュライン」
「はい。あなた」
 武彦の頬に右手を添えてシュラインは背伸びしてキスした。



【U:白い蝶】


 攻撃能力を持たぬ冷泉院蓮生としては後ろに居るしかなかった。
 結果から言おう。
 皆で推理しあい、
 その推理で出た結論に従いセレスティ・カーニンガムがそのリンスター財閥総帥の政治力を持ってして調べた最後の生き残りであるドイツ人の心霊学者、その居住先に赴いた皆の前に広がっていたのは騒然たる惨状であった。
 屋敷の中は破壊の限りがし尽くされ、わずかにだが家が持つその独特の匂いにも血臭が混じっている。
 セレスティ・カーニンガムはわずかに目を細め、周りを窺っているようだった。
 子ども、とはいえ、それでも蓮生はシュライン・エマを庇うように陣取っている。
 決して広くは無いセレスティの華奢な背を見つめながら蓮生は下唇を噛んだ。
 蓮生には戦う意思は無い。
 むしの良い話、と切り捨てられればそれまでだとはいえ、彼はニイルビトゥにもその恨みや怨念、怒りを収めるように言いたい。その感情を浄化したい。
 それは黄泉にでもある。
 しかし現状は後手に回っている。
 この時間系列に居る多次元の二イルビトゥを救う事は出来ないのか?
 とん、と彼の肩に手が置かれた。
 蓮生が振り返るとシュラインはこくりと頷いた。
「セレスティさん、どう?」
「ええ、この屋敷には誰も居ませんね。ですがそれがイコール心霊学者の死、ニイルビトゥの新たな罪というわけではないようです。血臭が空気に混じっていますが、でも死臭はありません。さて、しかしどこへ行ったのか?」
 そう言いながらセレスティがスーツの内ポケットから取り出したのは鎖に繋がれた水晶だった。
 蓮生がそれを見た事があるような気がしたのは、それがよくテレビの特番なので無くなってしまった探し物を超能力者が探す時に使う道具としてしばしば用いられるからだろう。
「セレスティさん、それでわかるのですか?」
 訊ねる蓮生にセレスティは優雅に頷いた。
「私は占い師でもあるのです。未来を読み解くその力をわずかに枝分かれさせて、そしてそれをイメージし、その枝分かれした力に形を与えてやれば………」
 鎖に繋がれた水晶が大きく揺れ出した。それは円を描いていて、セレスティの瞳が見る先の方向によってその描かれる輪の軌跡が変わる。
 つまり、
「こちら、という事ですか?」
「そういう事よね、セレスティさん」
 5時の方向に顔を向ける蓮生とシュラインにセレスティは静かに頷いた。
「ええ。そういう事になります」
 そして蓮生とシュラインは走っている。二人に付き従っているのはシュラインの力であるシルフ。かつて神隠しの少女の仮面から生まれた神工精霊であった。
 セレスティが言った。「私は足が不自由ですから走れません。故にキミたちは先行してください。私も可能な限り早く行きます」
 だがセレスティはそこで立ち止まったままだった。
 わずかに肩を竦める。美貌には失笑の表情が浮かんでいた。
「そろそろと出てきてはいかかがですか? 私には隠れん坊を楽しむ趣味は無いのですが」
 その言葉にこっそりと隠れていた彼が出てきた。
 その、草間武彦であって草間武彦ではない男は左手でサングラスのブリッジをあげながら右手に握るリボルバーの銃口を照準してきた。
 セレスティは哂う。
「キミは?」
「ディテクター」
「ディテクター? しかしキミはこの時間系列に存在する者ではありませんね。そのキミがここに居るという事は、ニイルビトゥですか」
「ああ。ここに居る、あいつだ。いや、あいつらだ。俺はあいつらを殺すためにこの時間系列に平行世界から来た」
「殺す、ですか。なるほど、平行世界の黄泉が過去に行きニイルビトゥを復活させ、この時間系列に時空移動をした。その弊害がキミを変えたのですか、草間武彦」
「ディテクターだ」
 ディテクターから発せられる殺気が温度をさらに下げ、鋭くなった。触れる物、全てを切り裂くように。
 セレスティは肩を竦める。
「この世界のキミ自身、いえ、零嬢と会いますか?」
「零?」
「草間零。キミの妹です」
「くだらん」
 容赦無く切り捨てたディテクターの次の行動は素早かった。
 獣が牙を剥くようにリボルバーが咆哮を上げる。
 吐き出された弾丸が、鋭きあぎとが獲物の肉を噛み千切るようにセレスティの右頬を削った。
 ざくりと開いた麗しの白磁の美貌から血が滴り落ちる。
「俺は俺のやる事を邪魔する奴を容赦しない。遠慮もしない。徹底的に蹴散らす」
「やれますか、キミに?」
「ふん。愚問だな」
 ディテクターの姿が掻き消えた。
 しかしセレスティは元から視力には頼ってはいない。
 セレスティから余裕は消えなかった。
 彼は周りの水分子を操作して水の珠を作り出すと、それを指弾を繰り出すように何も無い空間に放った。
 舌打ち。ディテクターの。
 そして彼の気配がその場から消えた。
 わずかに血臭が混じり出した大気を揺らしたのは、憂鬱げなセレスティの溜息だった。しかしそれすらも周りの野花をうっとりとさせたのは言うまでもなかった。



 ―――しまったな。
 つい、ね。
 シュライン・エマは苦笑を浮かべた。
 ニイルビトゥ=沖縄で信仰される他界神であり、「根の国から来る尊い者」という意味である。
 それがどんな姿をしているかなんて考えてみればシュラインたちは聞かされてはいなかった。
 だから躊躇ってしまった。
 戸惑ってしまった。
 そこに居たニイルビトゥに。
 本当に細い、第二次成長を迎える前の細い…ガリガリ、と言ってしまってもよいぐらいの身体をどこか性的な感じを感じさせる黒のキャミソールで包み込んだ少女。
 その顔は確かにシュラインが知るものだった。
 それは草間零、の顔だった。
 零ならば絶対に浮かべない表情を浮かべている、零。
「俺のこの頭部に使われている人物は初期型霊鬼兵・零の双子の妹だったらしいぜ」
「そう。納得。零ちゃんならそんな笑み、浮かべないもの」
 シュラインがどこか憐れんでいるような笑みを浮かべながらそう言った瞬間、二イルビトゥの表情が歪んだ。憎しみに。
「おまえもあいつの事を言うのか、初期型霊鬼兵・零。皆、誰も誰も誰も誰も零零零零って。クソったれがぁッ」
「汚い言葉。ダメよ。女の子はもっとエレガントにしなきゃ。そうだ。今夜にでも私と零ちゃん、そしてあなたとでパジャマパーティーでもやる?」
 ウインクするシュラインに、
 黒のキャミソールを着たニイルビトゥは、右手に持っている巨大なナタを振り上げて引き攣ったような笑い声を発した。
「あはははははははははははははははははは。殺してやる。殺してやるよ、おまえなんか」
 早い―――――
 気付けばニイルビトゥはシュラインの目の前に居て、首先にナタの刃が当てられる。
 血の珠がシュラインの首を艶やかに飾る。
「死んでみる?」
「嫌よ」
「じゃあ、おまえ、俺を殺さなきゃな」
「それも嫌。私は新婚なの。ようやっと大好きな人にプロポーズしてもらって、結婚して、幸せな新婚生活満喫中なの。それに私がここで死んでしまったら、武彦さんが泣いてしまう。だから私は死なない」
 死なない、そう凛と艶やかに美しく赤薔薇のように気高く微笑むシュライン・エマにニイルビトゥは夕暮れ時の人ごみの中、道端に母親に置き去りにされた子どものような表情をした。
 その表情、絶望と恐怖、哀しみしかないような笑みを浮かべたニイルビトゥにシュラインは、凍えているような声を出した。
「あなたは本当は、死にたいのね?」
 ニイルビトゥの表情が、消えた。
 しかしそれは一瞬。
 次の瞬間には、とても楽しそうな表情が浮かんでいる。
 嬉々として幼い子どもが捕まえた蝶の羽根を毟るような、そんな純粋な無邪気な笑みという作り笑いを。
「死んじゃえ」
 哀れみに歪むシュラインの顔に、痛々しいまでの作り笑いを変える事無く、ニイルビトゥはシュラインの首筋に当てたナタをすぅっと横に……………
 転瞬、空間を紅が染めた。
 ―――ねえ、ニイルビトゥ。そんなにも悲鳴のような声を発するあなたを私が嫌える訳も、殺せる訳も無いじゃない…………。



 シュライン・エマが居る方向で鳥が奇怪な鳴き声をあげて飛びだった。
「こっちだ」
 心霊学者の手を取りながら走っていた冷泉院蓮生はそう言いながらも彼女の方が気になった。
 ―――シュラインさん。何があった?
 首が、痛かった。喉元が焼け付くような痛みに晒されていた。何か鋭いもので、掻き切られた様に。
 それは虫の報せ。
 蓮生は彼を無事な場所まで逃がすように言われた。
 しかしいかに神工精霊が居ようが、彼女だけを残してきた事は気が引けた。
 蓮生は森から広い道に出ると、ちょうどそこを通りかかったタクシーに心霊学者を乗せると、来た道を戻ろうとした、
「なぁ…」
 その蓮生の前に血を滴らせるナタを持ったニイルビトゥが現れる。
 姿形だけは草間零。
 しかしその表情は――――
「道に迷った子どもだな」
 蓮生は思うがまま言う。
 そして過ぎ去った車の方を見て、また野生の獣のようなニイルビトゥに視線を戻した。
「忘れてしまえ。憎しみに満ちた過去なんか」
 今朝見た悪夢なんか忘れてしまえ、そんなものはどうせただの夢だろう? そんな気安さを持った蓮生の声だった。
 ニイルビトゥは本当に獣のような低い唸り声を上げている。
 蓮生は首を左右に振った。
 わかっている。自分がどれだけ酷い事を言っているのかは。
 しかし、
「いつまでも恨み言を抱いているおまえは哀れだ。そして俺はそれが悲しい」
 手を差し出す。
 ニイルビトゥに。
 そう。ニイルビトゥに。
「来い。こちら側へ」
 それは太陽のような微笑だった。
 金糸の様な髪が太陽の光のようで、そんな髪に縁取られた彼の顔は本当に優しそうで、温かで、真摯で、
 だから誰もが想う。
 その差し出された手を掴めば、それは温かな物をその手にするのと同じだと。
 ニイルビトゥの手が、伸びる―――
 銃声がした。
「ガハァ」
 二イルビトゥの口から血塊が零れ出た。
 蓮生の見開かれた目の焦点が二イルビトゥの背後に向けられる。
「草間、武彦?」
「でぃてくたー」
 掠れた声で二イルビトゥが言った。
 そして次の瞬間には蓮生は彼女の手を取って、走り出した。
 しかし、つんのめる様に足を止めた蓮生の前にディテクターが居る。
 殴られた。リボルバーのグリップで。
 衝撃に吹っ飛んだ蓮生はニイルビトゥと絡まるようにして大地に転がり、そして彼は彼女の身体からいくつかの臓器と数本の肋骨がどうやら切り取られたままな事に気がついた。
「ニイルビトゥ」
 両腕をつき、身体を起こした彼の下で、少女はその視線から逃げるように顔を逸らした。
 蓮生のわき腹に鋭い蹴りが叩き込まれ、彼は肺の中の空気全てを押し出すような苦鳴をあげて木の幹に叩きつけられる。
 激しく咳き込む彼の口から血塊が出た。
 ニイルビトゥにリボルバーの銃口を照準するディテクターがしかしトリガーにかけた指の動きを止めたのは、止まってしまった呼吸を復活させるために無理やり咳き込みながらも立ち上がった蓮生を見たからか?
「やめておけ。おまえには力は無いだろう。それに、俺を憎む感情も。そうであるからおまえには俺は倒せん」
 そう冷たく言い放つ彼にしかし蓮生は、
「しかしおまえを憐れむ気持ちはある。だからこそ俺はおまえを救いたいと想う」
 ―――そしてそれは、
「憎むという感情よりも強いはずだ。だから俺はおまえがおまえに敵対するに足りうる者と定義している者よりも強い」
 確固たる信念を音声化するようにそう言った蓮生に、ディテクターは舌打ちした。
「だったらおまえが先に死ね」
「させませんよ」
 涼やかな声が銃声に重なった。
 そして蓮生の前で銃弾全てが水の壁によって止められている。
「セレスティさん」
 蓮生の声に静かにセレスティは頷きをもって答えた。
「来るか?」
 緊張に研ぎ澄まさせた声でそう言う彼に、セレスティは苦笑しながら肩を竦めた。
「いえ、キミの扱いに対しては私よりも適任者が居ます。彼女に任せましょう」
 顎をしゃくる方にブラウスを血で染めながらもちゃんと自分の足でやってくるシュラインがいた。
 神工精霊シルフ。
 それはシュラインが命の危険に晒された瞬間に上位のジンとなり、その能力によって彼女の傷を治したのだった。
「それでも失った血も取り戻した訳じゃないみたいだから貧血気味ではあるんだけどね。だからパジャマパーティーのご馳走は増血メニューよ?」
 ニイルビトゥにウインクした。
 そしてシュラインはディテクターの方へと歩いていく。
 彼は立ち尽くしていた。
 その表情は、
「そう。キミの感じていた喪失感の一つは紛れも無く彼女ですよ」
 セレスティは兄が弟を諭すように言う。
 そしてシュラインは母が悪戯小僧にそうするようにディテクターの右頬をつねった。
「少々お悪戯がすぎる」
「やめろ」
「何を?」
「頬をつねるのをだ」
「その物騒なものを下げるのが先。それと人に物を何か頼む時はお願いします、でしょう?」
「…………お願いします」
「はい、よく出来ました」
 拳銃を下げたディテクターにシュラインは優しく姉のように微笑んだ。
 セレスティが意地の悪い声で笑い、そして、そしてそう、いつもセレスティに玩具にされる度草間武彦が浮かべる苦虫をまとめて数匹口の中に放り込んだような表情を浮かべた。
 蓮生も、そのよく見知った表情を眺めて、くっくっくと声を押し殺して笑い出す。それが本当に楽しくってしょうがない、とでも言うかのように。
 そして彼は、そんな自分を見るニイルビトゥにその表情のままで笑いかけた。
 ニイルビトゥも………


 そうやって、事態は何もかもが上手く行くような感じがした。
 しかし事は、そうは上手くはいかなかった。



 ――――――目覚めた…………



 びくり、とニイルビトゥの身体が引き攣ったように痙攣した後に、その唇が動き、そう声を発した。





「ニイルビトゥ?」
 蓮生が言う。
 セレスティも、
 シュラインも、
 彼女を見ていた。
 その細いガリガリの身体から感じる気配は、二人がよく見知ったものになっている。
「「黄泉」」
 二人が同時に言う。
 そう。それは黄泉の者の気配だ。
 暗く淀んだ、闇の澱の様な気配。
 そしてそのニイルビトゥ、いや、黄泉の思念集合体の前に一匹の白い蝶が飛んできて、突如それが、美しい女の姿を取って、
 そうしてニイルビトゥの身体を奪い取った黄泉の集合思念体に結界を張った。
「なるほど。人間、神、魔、それほどまでのモノを統括し、操るモノはいかなる存在なのかと想っていましたが、貴方でしたか」
 セレスティが納得いったという表情を浮かべる。
 そして肩を竦めた。
「ならば我々はどうすればいいのか? 我々に何ができようか」
「それはあの方にお聞きください」
 蝶の化身の美しい女は言った。
「もう直にこの時間系列の黄泉は、過去へ飛びます。過去の中の鳥島に。そこでここのニイルビトゥに入る前にあの方を何とかできれば、このあの方も何とか出来ます」
「わかりました」
 セレスティはこくりと頷く。
 そしてそれを受け入れた瞬間、時間を飛ぶ蝶の羽根が彼の背に現れ、セレスティはその羽根を羽ばたかせた。
 蓮生は黄泉に身体を奪われたニイルビトゥを哀しそうに眺めている。
 そしてその憐れむ視線を蝶の化身にも向けた。
 彼女は泣き笑いの表情を浮かべる。
「ありがとうございます」
「ああ。心配するな。俺はニイルビトゥを救いたいと想うのと同じぐらいに黄泉も救いたいと想うから。絶対に救うさ」
 蓮生の背に生えた蝶の羽根も羽ばたいた。
 そしてそれはシュラインの背にも生えている。
 彼女はディテクターに微笑んだ。
「行くな、と言ってもおまえは行くんだろうな」
「ええ。こればっかりはお願いします、と言われてもね」
 苦笑するシュラインに彼は敵わんな、という表情を浮かべる。
 そして――――
「だったら帰ってきたら俺を選び、俺の世界に行ってくれるか?」
 そう訊いて来た彼に、シュラインはただ綺麗な笑みを浮かべて、それを答えとした。
 そして蝶の羽根を羽ばたかせながら言う―――
「あなたの世界に居る私を見つけてあげて。その世界でその世界の私は、あなたをずっと探して、そして見つけてもらえるのを、待っているから」
 ディテクターの目の前からシュラインは消えて、
 彼は蒼い空を見上げた。



【V:モルグ】


 突如現れた3人に霊鬼兵を研究する施設である死体安置所を意味するモルグ内は騒然とした。
 研究者たちは日本兵、ドイツ兵を侵入者たちに向けたがしかし、それはセレスティ・カーニンガムの前に沈黙した。
 そして、その能力はモルグ内に居る研究者全員を沈黙させた。
 ただし、それ以上の歴史関与はその後の歴史に何らかの影響を与えかねないのでセレスティはそこで止めた。
 そして彼らが相手にするのはそこに現れた、彼らの時間系列の黄泉、
「やれやれ。彼らの相手は私がしましょうか」
 セレスティが黄泉の前に立つ。
「彼女にも約束しましたしね」
「蝶の彼女。あれって、やっぱりあの彼女なのかしら?」
「彼の式神」
 シュラインと蓮生にセレスティは頷く。
「陰陽師安倍清明」


 しかし彼らの前にはこの時間系列の初期型霊鬼兵・零が現れる。
「零ちゃん」
 そう言う声は切なげだった。
 それは中の鳥島で見たあの時の零とも違う。
 だからシュライン・エマは前に進み出た。
 そして巨大な鎌を肩に背負う零に手を差し出した。
「まずはあなたに本当の笑い方を教えてあげる」



 そして冷泉院蓮生は施設内を走っている。
 施設の奥深く、そこに置かれた棺桶。
 その棺桶に蓮生が近づく。
 近づくとそれの蓋が開いた。
 ギィ〜〜〜、と死霊の叫び声のような不吉な蝶番の軋みが部屋に木霊する。
「誰だ? せっかく人が待機モードという惰眠を貪っていたのに。おかげで完全に目が覚めてしまったではないか。それで、おまえは俺に何をしてくれる?」
 その表情は、虚無だった。



 
 広い部屋。
 何かの実験室、そこにセレスティは追い詰められた。
 つまり、この部屋には彼を倒すための中にかが在るという訳だ。
「不敵だな。わざわざわかっていながら部屋に追い詰められる。余裕か?」
「そうですね。私は自分を過大評価も過小評価もせず、自分という物を常に冷静に正しく洞察しそれに基づいて事を計算するのですが、それによって出た計算の答えはこのハンデをキミに差し上げても私の勝利は変わらぬ、という事です」
「大した自信だ」
「事実を言っているまでですよ」
 セレスティの周りに水の珠が現れる。その数無限。
 確かにそれに撃ち貫かれれば死ぬ。
「しかし俺も危機感をまるで感じん。そう。おまえには殺気が無いからな。だが俺はおまえを殺すぞ。今まで散々おまえは草間武彦抹殺などの俺らの作戦を握り潰してくれたからな。でもそれももうこれで終わりだ」
「ええ。ここで終わりです。私がキミを救いましょう。安部清明」
 そう。それはあの式神の蝶の彼女にも誓ったし、
 それに行動を共にしている者たちもそれを願っている。
 だから――――
「甘いな、セレスティ・カーニンガム!!!」
 清明の姿が掻き消える。
 音が聴こえた。刀を鞘から抜く鞘走りの音だ。
 それはどこか芸術的ですらあった。
 清明が刀を使う。
 ―――驚きはしない。彼は今は配下であった全てのモノをその身に融合させているのだから。
「これぞ俺の陰陽道と妖術とを組み合わせた壱の必剣・火楽演舞陣」
 それはまるで花吹雪が如く焔が舞う。
「水は火の前に消え去る。おまえでさえも蒸発しろ」
「真理とはしかし時には二面性を持つ」
 涼やかな声が熱気に満ちた室内に流れる。
 そしてそれと同時に炎は消え、
 急激に上昇していた室温もセレスティの解放した水を操るクエスト級の能力の効果によって下がっている。
 いや、完全な密閉空間となっているその部屋は水で満たされた。
 ゆらゆらと水にたゆたう気だるげながらも美しい人魚、その本来の姿を取り戻すかのようにセレスティはそこに居る。
 しかし清明も負けてはいなかった。
 次の瞬間には水蒸気爆発が起こった。
 ―――壱の必剣を生み出す炎の力によって…………
 そう。清明はそれを狙い、ここに来たのだ。
 いったいいかなる構造をしているのかその部屋には壁や天井、床、それにわずかな亀裂が走っただけで然したる損害は無かった。
 立ち込めていた水蒸気が亀裂から空気の熱移動の法則にしたがって流れていく。
 果たしてセレスティは………
 ―――左胸から血に濡れた刃を生やしてそこに居た。
 セレスティの背後に立ち、刀を刺しているのはもうひとりの安倍清明。
「多次元同位体同士の同調。初期型霊鬼兵・零と草間零とができたのだ。なら、この天才陰陽師安倍清明にできぬ道理はあるまい」
 二人の清明が笑った。
 しかし、それを嘲うようにセレスティも哂う。
 そして刀に刺し貫かれたセレスティの姿が、消えた。
「「水分身」」優雅で涼やかな声が重なって聴こえた。ただしどちらもセレスティの声。
「「多次元同位体同士の同調。それならば、この私、セレスティ・カーニンガムにできても無論、不思議ではありませんよね?」」
 ましてやセレスティは有能なる占い師。
 セレスティがこの過去に来るのは以後の時間系列の世界での規定事項ではなく、突発的な事。イレギュラー。現にセレスティは過去にそのような経験はしてはいない。
 しかし未来を視る能力を持つセレスティならばそれを予見して、前もってここに居てもおかしくはない。
 ここに二人のセレスティ・カーニンガムが居る。答えがどのような事にしろ、それが紛れも無い現実だ。
「言ったでしょう? 私は自分を過大評価も過小評価もしない。自分を冷静に洞察し、計算するだけだと。私の計算には一部の狂いもありませんよ」
 確かにあの水蒸気爆発の中でセレスティは水分身を作る事はできなかった。
 しかしこの時間のセレスティの力、二人のセレスティの力を持ってすれば、未来というべき時間のセレスティの水蒸気爆発でのダメージを無効化し、尚且つ水分身を作り、それと入れ替わる事も可能だった。まさしく未来のセレスティが過去のセレスティのできる事を考慮していなければ成功するはずも無かった事である。その逆も。少しでも疑いの感情があれば、セレスティは死んでいた。
 そして、
「「水なる蛇」」
 優雅にセレスティが右腕を振るう。
 瞬間、水の蛇が生まれた。
 しかし清明も牙を剥く。
 二人の異なる時間の清明はしかし、融合したのだ。
 その力はまさに計り知れない。
 彼の身体から発せられた闇の蝙蝠が水の蛇に向かう。
 が、
「「1+1は私の場合には2ではない」」
 まさしく太陽の上る方角を口にするようにそう言った二人のセレスティの前では、安倍清明は敵ではなかった。




「侵入者は抹殺します」
 初めて出会った時も確かこんな表情をしていた。
 親に置き去りにされて途方に暮れて、
 だけど別れ際に必ず迎えに来るから、と母親に言われた言葉に頑なに明日を見ている捨て子の顔。
 でも、
「その明日は望むだけの明日であって、望んだ今日じゃなかった」
 ―――哀しげな声でそう呟いたシュラインは、だけど優しく微笑んだ。
「そう。あなたのお兄さん、草間武彦に出会うまでは」
 出会い、彼と過ごすようになってからあなたの時間は明日、から、今日になった。
「何を笑っているのですか?」
 感情が一切篭っていない声。
 無表情、
 無感情、
 全てが無。
 それが今の初期型霊鬼兵・零だ。
 しかしシュラインは知っている。
 今から数十年後。
 この無表情で無感情な憐れな少女がひとりの男と出会い、自分たちと出会い、少しずつ変わっていくのを。
 それはきっとプレゼント。
 生まれてきたことへの。
 そう。零は作られたのではない。
 生まれてきたのだ。
 それにシュラインはこだわりたい。
 だからこの零に、自分が居た時間の零との多次元同位体同調は勧めない。
 今、未来の自分を情報として知るのではなく、ちゃんと出会って、知ってもらいたいから。
「あの零ちゃんも言っていたものね。自分も武彦さんと会いたかった、って」
 浮かべられた優しい表情に何故か怯えるように、
 初期型霊鬼兵・零は死神の武器かのような大鎌を振り上げてシュラインに踊りかかった、
 臆病な犬が問答無用に頭を撫でるために差し出された手にしかし噛み付くように―――。
 だけど、
 大鎌がシュラインの首をはねる寸前、刃が肌に触れるその間際で止められた。
 初期型霊鬼兵・零の顔が俯く。
「わかりません。この感情が私にはわかりません。私はこの感情を音声化するための情報を持ち合わせていません。私の記憶媒体にもその情報は登録されていません。私を構成するものたちの細胞も持ち合わせていません。しかし、私を私としている心は、それを必死に言葉にしたがっています。あなたに、それを伝えたがっています」
 低いトーンの声で訥々と零は言った。
 その目からは涙が零れていた。
 シュラインは零を抱きしめた。
 ぎゅっと力強く、
 母親が泣いて家に帰ってきた子どもに、
 夕暮れ時の橙色が零れるように降り注ぐ空の下で、
 そうするように。



 大丈夫。お母さん、あなたを愛しているよ、
 そう、温もりと感触で、母親が子に伝えるように―――



「大丈夫よ、零ちゃん。大丈夫。ちゃんとあなたはあなたを愛してくれる人に、人たちに出逢うから。だから大丈夫。大丈夫よ、零ちゃん」



 それはとても温かで、
 大切で、
 そして砂糖菓子が水に溶ける様のような繊細な感情。
 どれだけ言葉を尽くそうが、
 世界中の言葉を載せた辞書を探そうが、
 絶対に表現できない、胸が苦しくなるような、
 そんな言葉に出来ない感情…………



「おかぁさん」
 ―――零の口から零れ出た言葉。
 その辛い運命を背負うには華奢すぎる背中に回した左腕にさらに力を込めて抱き寄せ、
 そして髪に埋めた右手の指でくしゃくしゃと安心させるようにシュラインは零の頭を撫でた。
「大丈夫。絶対にいつか武彦さんが零ちゃんを見つけてくれるから。迎えに来てくれるよ。そして会いましょうね、私たち。会って、大切な家族になりましょう」
 そう、皆で家族に。
 シュラインは自分の胸の中で泣き続ける零を抱きながら、子守唄を歌った。

 


 棺桶から出てきたニイルビトゥ。
 それに蓮生は右手を差し出した。
「迎えに来た。一緒に行こう」
 二イルビトゥは笑う。
 それは蓮生が自分の居た時間の世界で見たニイルビトゥの表情とは違っていた。
「眠り姫をお迎えに来た王子様? 眠り姫は幸せ者。ただ眠っていただけで王子様に見初められて、幸せになった。だけど俺はそんなの、ごめん。ずっと夢見ていた。想い描いていた。俺があいつら全員殺す事」
 とん、と棺桶の床を蹴ってニイルビトゥは空に舞った。
 その手にはナタが握られている。
 刀、と言ってもいいぐらいの形状の物だ。
 それの前では人間の身体の骨などひとたまりも無いだろう。
 蓮生はぎりぎりそれを紙一重で避けた。
 床板をぶち割って、食い込んだナタを無造作にニイルビトゥは抜いた。
 そしてぺろり、とナタを舌で舐めた。
「何だ、キスをしてくれるんじゃないのかよ、王子様。お目覚めのキスを」
 顔を皮肉の笑みにゆがめてそう言うニイルビトゥに蓮生も鼻を鳴らす。
「お目覚めのキスは無用だろう? ニイルビトゥ。おまえは起きている」
「あら、言葉遊び?」
「事実を言っているだけだ」
 まるでワルツを踊るようにニイルビトゥは軽やかにナタを振り回すし、
 蓮生はそれを紙一重で避けながら言う。
「俺は未来から来た。そこに居たおまえは他の世界から来たおまえだった。そいつは泣いていたよ。そして死にたがっていた。それはおまえも同じなんだろう?」
 ニイルビトゥの動きが止まった。
 黒髪に縁取られた顔が歪む。
 手から落ちたナタが床板にあたった音が響いた。それがどこか物悲しさを感じさせた。
 そして蓮生は何度もそうしたように、やはりニイルビトゥに手を差し出した。
「生きろ、と俺が言うのはひどく簡単で、そして投げやりで無責任な事だと想う。しかし俺はそう言うしかない。生きろ。ここでおまえが死んでも何も変わらない。だがおまえが生きれば、そこから何かが変わる事もある。だから生きろ」



 生きろ



「うぁぁぁああああああぁぁぁぁっ」
 ニイルビトゥは獣の鳴き声のような声を上げた。
 崩折れるようにその場に崩れこんで、泣き声を上げる彼女の頭に蓮生は壊れ物に触れるようなそっと丁寧な触り方で彼女の頭を撫でてやった。
「生きろ。それが必ずいつかおまえの救いになる時が来る」
 そう。例えば初期型霊鬼兵・零が草間武彦に出会ったように。
 力無く勝手な事を言うな、と呟くニイルビトゥの頭を蓮生はどこか不器用そうなしかし優しい仕草で撫で続けてやった。
「ふん。所詮は失敗作か。侵入者も満足に始末できないで」
 部屋のスピーカーから声が聴こえた。
 しかし、と蓮生は目を細める。
「どういう事だ。施設内の人間は全員セレスティさんが気絶させたはず。なのに」
「人間の頭脳だ。俺たちのように死体を好き勝手に弄られて、脳がこの施設の機械に繋がれたもう一体の霊鬼兵。この施設自体が霊鬼兵なのさ」
 ニイルビトゥがそう告げた瞬間、施設自体が殺気を放った。
 そして蓮生は体感する。
 この部屋の、
「気圧が変化している?」
 耳が痛い。
 ニイルビトゥがへっと笑う。
「この霊鬼兵は俺の見張りだ。俺がこの部屋から逃げ出そうとした時には俺を殺すように設定されている。唯一この気圧が下がり続けていく部屋で生き残る方法はあの棺だけだ。あれの中に居れば助かる。俺は良い。おまえが生きろ」
 二イルビトゥはとん、と蓮生の胸を押した。
 だが蓮生は気圧が下がり続けていく中、二イルビトゥの胸元を鷲掴むと彼女を立たせ、そして、
「おまえのこの場所の肋骨が無いのは知っている」
 そう言いながら彼女に拳を叩きこんで強制的に呼吸不全に陥らせた。
 力の入らなくなったニイルビトゥの軽い身体を抱き上げて棺の中に入れた。
 透明な蓋の向こうで二イルビトゥが何かを叫んでいる。泣きながら。
 そしてそれに蓮生は口だけで笑った。
 気圧は下がり続けていく。
 そうしてこのまま行けば蓮生は死ぬだろう。
 そう。このまま何もしなければ。
「一か八か、やってみる価値はあるか」
 生きろ、二イルビトゥにそう言った手前ここで自分が諦める訳にはいかない。
 だから、
 気圧が下がっていく部屋で蓮生は肺の中の空気を押し出すように声を上げ続けた。
 そう。気圧が下がっていく中に居れば山登りでお菓子の袋がパンパンに膨らむように肺が膨らむ。
 だから蓮生は声を上げ続けた。
 そうやって肺の中の空気を出し続ける事で最悪の事態を避けたのだ。それはダイビングなどでも使われる方法で、
 そしてそれはだからといって数秒しか持たない悪足掻きだったが、しかしそれだけで充分だった。
 そう。この過去に来たのは自分独りだけではなかったのだから。
 システムはダウンした。




「大丈夫だった、蓮生君?」
「はい。ありがとうございます」
 助けてくれたセレスティとシュラインに蓮生は頭を下げる。
 そして、二イルビトゥを連れて、皆は自分たちの時間に戻った。



 それは皆が最初から考えていた事だった。
 過去の二イルビトゥを連れて行く事で、その時間に来た平行世界の二イルビトゥを救えると。
 そしてそれは安倍清明が言った事でもあった――――
「安倍清明。キミは過去、わざわざ帝に聴こえるように道の真ん中で独り言を言って帝に引退するように促した、という記述がある。しかしそれは過去の文献を紐解きよく研究すれば、キミがその一旦引退させた帝と新たな都を作り、国を変えようとしていた事がわかる。実際にはそれは泡と消えましたがね。つまりは、それをあの時間で行おうとしているのでしょう?」
「ああ。そうさ。そういう事だ。俺はあの時に出来なかった世界を創る。そのために草間武彦が、おまえらが邪魔だった」
 それに溜息を漏らしたのはシュラインだった。
「子どものわがままね。自分の想い通りにならないからゲームのリセットボタンを押す、砂の城を壊す。本当に困るぐらい子ども。いったいそれのせいでどれぐらいの人が泣いたと想っているのよ? 私はあの憐れな母娘の事を忘れない。でも」
 でも―――
 そこで言葉を区切ったシュラインは二イルビトゥを見て、微笑んだ。
「私はそれを忘れないけど、割り切る事はできる。唯ちゃんは強く生きているんだから」
 そう。強く生きている。
「生きているのよ、唯ちゃんは。だから私は、未来を殺したくない」
 蓮生も頷く。生き続ける事で何かが変わるから、だから過去に囚われ、それで未来までも殺す事は絶対に間違っている、と。
「だから未来は俺たちで決める。俺たちが創る。創りたい。その時に道に迷っても、泣いても苦しんでも、そうやって明日を見て創った今日を過去として積み上げ、そしてまた未来を夢見て、俺たちはそうやって生きていくんだ。俺たちはあの世界で生きていくんだ。俺たちの世界で」



 そうやって世界もまた、変えていく―――



 ――――過去の二イルビトゥを連れて行く事で、この世界の自分が新たなる世界創生を諦め、断念した事をわからせる事ができ、それによって二イルビトゥの意識が再び復活するのだと清明は言い………
 そして事はそうなった。
 二イルビトゥは解放され、
 その二イルビトゥをこの時間系列の過去に連れて行き、そこに居る初期型霊鬼兵・零に会わせる事をセレスティが主張した。



 平行世界のニイルビトゥ、
 そしてこの時間系列の過去の初期型霊鬼兵・零、二イルビトゥ、
 三人は互いに抱き合い、泣いた。
 事はそうして、解決した。



【ending】


「数十年ぶりの時間を越えた約束のパジャマパーティーだから」
 事は全て終わり、そしてシュラインは零と共にパジャマを着込んでホテルの一室にいた。
 もちろん彼女お手製の増血メニューや他にも二人で作ったご飯なんかを持ち込んで、そこの部屋から見られる花火なんかを一緒に見ている。
 美しい花火を見ながら零はいつしか泣いていた。
 平行世界の草間武彦と出会えずに死んでしまったその世界の自分の事を想って。
 ニイルビトゥの事を想って。
 シュラインはくすりと優しく微笑み、ソファーの隣に座る彼女の頭をそっと抱き寄せて、
 窓からか入ってくる花火の明かりだけが光源の暗い部屋で、子守唄を歌った。
「大丈夫、零ちゃん。哀しい事もあったけど、その哀しみの先にある幸せに咲く笑顔もあるから。だから散った哀しみのために泣くだけ泣いたら、咲いた笑顔の為に零ちゃんも笑いましょうね」
 


 それは平行世界の光景。
 ディテクターはニイルビトゥを連れて自分たちの居た世界に戻ってきた。
 そして俯いているニイルビトゥに彼は手を差し出した。
「俺と一緒に暮らすか? 服と日用品を買い揃えて、それから今夜の夕飯の買い物だ。俺とおまえの。ニイルビトゥ」
 びくり、とニイルビトゥは華奢な身体を震わせ、それからおずおずと顔を上げて、言った。
「ひとつだけ、お願いが、ある…あります」
「なんだ?」
 不思議そうにそう訊ねたディテクターに、
 二イルビトゥは耳まで赤くして言った。
「お兄さん、と呼んでもいいですか?」



 →closed



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


【3626 / 冷泉院・蓮生 / 男性 / 13歳 / 少年】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】



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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、シュライン・エマさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 今回はご依頼ありがとうございました。


 今回はめでたく東京怪談納品数300記念、という形でも書かせていただきました。
 私、草摩一護の300件目のPLさまとなっていただき本当にありがとうございます。
 ご依頼、とても嬉しかったです。^^
 シュラインさんを初めて書かせてもらったのはシチュシングルで、クリスマスが内容でしたよね。
 あの時にご依頼をいただけて本当に嬉しかったですし、
 それから3年、私が書かせていただくシュラインさんもよりPLさまのご想像されているシュラインさんに近づいているでしょうか? もしもそうであるならとても嬉しいです。
 シュラインさんPLさんには私の趣味で草間武彦さんとの結婚とか、そういう形での執筆もさせていただいていて(本当に私の趣味(暴走)を許してくださってありがとうございます。(>_<))、もう本当に私は依頼をいただける度に草間武彦とシュラインさんのお話や掛け合いとかを書くのが凄く楽しかったりします。ありがとうございます。(^―^)
 や、今回のシュラインさんが草間さんに、あなた、と言うのを書くのもすごく嬉しかったし楽しかったのです。^^ もうラブラブな感じって良いですよね。
 夫婦愛とかを書くのもすごく好きで嬉しくって楽しかったですし、
 あとはシュラインさんのディテクターとの切ない感じを書くのも本当に楽しかったです。^^ もしも挿絵があるのなら、あのディテクターの言葉に表情だけで答えるシーンなんか本当に絵にしてあったらすごいだろうなー、と。
 私はよく文章を書きながら憧れのイラストレーターさんに付けてもらう絵の事なんかを考えるのが好きなのです。オフでの投稿小説も書いている時から郵便局に出す間までそういう事ばかりを夢見ていますしね。(^―^;)
 そしてやはり私がシュラインさんを書く時のテーマである母性も今回は上手く書けた感じで良かったなー、と想いました。
 温かで尊い感じ、無条件に愛情をくれる母親のような、そういう大きな母性を感じさせる雰囲気が私の中のシュラインさんにはあります。
 こう、大人の女性の色気とか、女性本来の可愛さとか、そういうのを併せ持つ感じで、それにプラスして人妻の色気&強さ、凛としたしなやかさのUPという感じで、だから私の中のシュラインさんは本当に成長し続けている、という感じです。
 それこそエレガントな素晴らしい大人の女性に。
 結構私は年長者が優しく年下を導いたり、見守ったりするシーンを書くのが好きでして、そういう感じはやはり私の中のシュラインさん像にぴったりだったりするので本当にすらすらと書けました。^^
 シュラインさんを書ける楽しみはこういう描写でもありますし、あとはいつもくださるプレイングの内容もすごく楽しみで、私自身は単純なモノの思考しか出来ないので本当にいつも助けていただいております。^^
 それにお雛様の時のように私の知らない知識に触れさせて頂ける事もすごく嬉しかったりしますし。こういう自分の知らなかった事の情報とか教えてもらえるのってすごく嬉ししいですし、好きなので、またもしもよろしかったら色んな事を教えてくださいましね。(^―^)
 それでは本当にありがとうございました。
 もしもよろしければ今後もどうぞ、お願いいたします。


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。