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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 コードナンバーXXX:『怪奇ノ類 求む!!』


 ここのところ降り続いていた雨は、今日は息を潜め、代わりに、初夏の青空に浮かぶ太陽が、辺りにきらめきを撒き散らしている。
 草間武彦は、相変わらずレトロな雰囲気を醸し出す興信所内の椅子にだらしなく座り、窓の外を眺めながら煙草を吹かしていた。
 そこに、零がアイスコーヒーの入ったグラスを持って来ると、彼の横にあるデスクにそっと置く。
「どうしたんですか? お兄さん。何だかご機嫌ですね」
「久々の仕事だ」
 零の言葉にすぐに答え、アイスコーヒーを一口飲んでから、武彦はにやり、と笑う。
「ああ、なるほど」
 この興信所は、年中閑古鳥が鳴いている。それを思って、零もにっこりと微笑んだ。ただ、武彦の上機嫌ぶりは、いつもとは違う気がする。
「『普通の』お仕事なんですね」
「ご名答。『普通の』仕事だ」
 零が試しにそう言ってみると、武彦は即答した。これで、彼のいつにない上機嫌ぶりも、納得がいく。
 この草間興信所に持ち込まれる依頼は、所長である武彦が毛嫌いしているのにもかかわらず、とにかく怪奇現象絡みの類が多い。そして、いつの間にかそちらの方面での評判が広まり、また次々と奇妙な事件を引き寄せてしまい、悪循環に陥っている。
「依頼は、金持ちの嬢ちゃんのお守りだそうだ。……まあ、あまり探偵っぽくない仕事だが、この際何でもいい」
 そう言って、また窓の外に目を向けた武彦を見て、笑いがこみ上げてくるのを抑えながら、零はキッチンへと向かう。依頼人が来るのであれば、迎える準備をしなければならない。
(コーヒー豆、まだあったかしら……)
 流石に客人にインスタントコーヒーを出すというのも気が引ける。なければ緑茶か紅茶にでもしようかと彼女が頭を悩ませていると、けたたましくブザーの音が鳴った。
「はい」
 零は急いでキッチンから戻ると、玄関に向かい、静かに扉を開ける。目の前には、仕立てのいいスーツをセンス良く着こなした、老紳士がいた。六十代くらいだろうか、髪には白いものが混じっていたが、きちんと整えられていると、それもひとつのファッションのように見える。
「お初にお目にかかります。私、依頼をさせていただいた、佐多家の者でございます」
「はい。お世話になります。どうぞお入りください」
 そう言って、深々と頭を下げる老紳士に、零もお辞儀を返すと、彼を部屋の中へと導いた。

「……で、俺はおたくの嬢ちゃんのお守りをすればいいんだな?」
「はい……そうなのですが……」
 応接セットに向かい合って腰をかけると、武彦は話を切り出した。しかし、老紳士はどこか歯切れが悪い。
 ちなみに、彼の前に置かれたのは、ジャスミンティーだった。コーヒー豆も、緑茶も、紅茶の茶葉も切らしていたため、他に選択肢がなかったのだ。ただ、もらい物であるので、質は良かったと零は記憶している。
「……ああ、申し遅れましたが、私、セバスチャンと申します。佐多家の執事を務めております。どうぞ、宜しくお願い致します」
「セバスチャン?」
「変わったお名前ですね」
 それを聞き、武彦も零も目を丸くする。どう見ても、セバスチャンと名乗った老紳士は、日本人としか思えない。
「ええ……実はコードネームでして……。お嬢さまからの仰せで、本名は明かしてはならないのです」
「はぁ……コードネーム、ねぇ……」
「何だかカッコいいですね!」
 それを聞いて瞳を輝かせる零とは対照的に、武彦は、嫌な予感が体を走るのを感じた。
「とりあえず、仕事の内容を聞かせてもらいたい」
「は、はい……。実は、お嬢さまは、作家を目指していらっしゃいまして」
「ふむ……それで?」
 問いかける武彦に、セバスチャンは取り出した白いハンカチで、額の汗を拭いながら続ける。
「それで……今度は、怪奇小説をお書きになりたいと仰せなのです」
「……それで?」
 嫌な予感はどんどん強くなるが、武彦は努めて冷静に、先を促す。
「はい。そのために、お嬢さまは怪奇現象に遭遇したいと……。もちろん、私どもとしましては、お嬢さまをそのような危険な目に遭わせるわけには参りません。なので、ここはひとつ、草間さまのお力をお借りして、適当に怪奇現象を『演出』していただき、何とかお嬢さまを納得……」
「ちょっと待った! そんなこと、俺は一言も聞いてないぞ!? それに、アレが見えんのかアレが!」
 セバスチャンが全てを言い終わるよりも早く、武彦は壁の一部分を指差して大声を上げた。そこには『怪奇ノ類 禁止!!』と張り紙がしてある。
「いえ、ですから……先に申し上げると、草間さまはお引き受けくださらないと思いまして……それに、この業界では、草間さまに勝るお方はいらっしゃいません」
「いったいどの業界だ! 駄目なものは駄目だ! それに、嬢ちゃんは小学生だろ? そんなんおたくの財力を使えば、幾らでも騙せるだろうが!」
 武彦の剣幕に、セバスチャンは恐縮しながらも、何とか口を開く。
「……お嬢さまは、大変聡いお方なのです。下手な演出では、簡単に見破られてしまいます。そのようなことになったら、また家出を謀られるかもしれません……。以前家出なさった時には、佐多家の動員できる全ての者を使ったのですが、半月経っても見つからず、お嬢さまから指定された連絡方法を使い、旦那さまが要求を呑まれるまで、お帰りになりませんでした。その時は、お嬢さまはどんな手を使われたのかは存じませんが、いつの間にかオーストラリアにいらっしゃいました」
 その話に、武彦は驚きを隠せなかったが、それでも何とか言い返した。
「いや、駄目なものは――」
「お兄さん。ちょっと」
 唐突にそのやり取りをさえぎったのは、零だった。彼女は、応接セットから少し離れた場所に立ち、武彦に向かって手招きをする。
「何だ?」
 武彦は、怪訝に思いながらも、ソファーから立ち上がり、零のもとへと向かった。すると、彼女は小声で話し始める。
「今日、お客さまにコーヒーをお出ししようと思ったんですけど、コーヒー豆がありませんでした。それどころか、緑茶も、紅茶もありません」
「買えばいいじゃないか」
 そう返す武彦に、零は溜息をついてから続ける。
「買えるならとっくに買ってます。さっき家計簿をチェックしたんですけど、このままだと煙草もカットしなきゃいけません。ここの家賃も滞納しています。私、大家さんに何度も頭を下げて、待ってもらってるんですよ」
「うっ……」
 言葉に詰まった武彦に、真っ直ぐに視線を向けると、零はハッキリと最終宣告をした。
「この依頼は、受けてもらいます。拒否権はありません。いいですね? お兄さん」
 武彦は、返事の代わりに、盛大な溜息をついた。


 ■ ■ ■


 シュライン・エマは、先日入った翻訳の仕事を、自宅で黙々とこなしていた。
「うーん。ここ、どうしようかしら……」
 翻訳という作業は、ただそのまま訳せば良いというものではない。その作品の雰囲気をいかに読者に伝えるか、ということも重要である。今回依頼された作品は、詩的な表現が多用され、著者独自の言い回しも多いため、訳すのが難しかった。
「煮詰まっちゃったなぁ……」
 そう独り言を言いながら、シュラインがコーヒーでも淹れようかと、キッチンに向かおうとした時、携帯電話が着信を告げた。
「はい。……あら零ちゃん、どうしたの?」
『ごめんなさい、シュラインさん。今、忙しかったですか?』
 シュラインの頭に、一瞬今やっている仕事のことがよぎったが、それほど急ぎでもなかったことを思い出す。
「いいえ。時間は空いてるわ」
『良かった! さっき依頼が来て、シュラインさんにも手伝ってもらいたいんです。それから……これは私からのお願いなんですけど……』
「なぁに?」
 言い難そうにしている零に先を促しながら、シュラインには大体見当がついていた。
『……ええと、実は、コーヒー豆がないんです。それから、紅茶も、お茶も。でも、お金がなくて……』
「分かった。買って持って行くわ」
『ありがとうございます! それじゃあ、お願いします』
「はい。また後でね」
 電話を切り、自らの予想が当たっていたことに、何となく哀しいものを感じ、シュラインは小さく溜息をつくと、準備をし、部屋を出た。


「こんにちは」
 シュラインが草間興信所のドアを開けると、何故か床に横たわっている武彦の姿があった。
「あら? 武彦さん、床に寝そべってどうしたの? 何か落し物?」
「い、いや。何でもない」
 そう言うと武彦は、頬をさすりながら立ち上がる。傍らには、憮然とした表情で、窓の外を見ている黒冥月の姿がある。
「そう。……あ、零ちゃん。これ、頼まれてたコーヒーと紅茶とお茶。いつものでいいわよね?」
「はい! ありがとうございます!」
 零は笑顔でそれを受け取ると、キッチンの方へと姿を消した。
「それで、依頼というのは?」
「ああ。とりあえずもう一人加わるから待ってくれ。依頼人も用事があるとかで、もう少ししたら戻ってくる」
「……一人は来たようだぞ。もう一人もこちらに向かっている」
 冥月が冷静な声で、淡々と告げる。
 程なくして、ブザーの音が鳴った。
「入ってくれ」
「こんにちは〜」
 武彦が言葉を投げかけると、ドアが開き、秋山悠が入ってくる。
 それを見越したかのように、零がカップの載ったトレイを手に戻ってきた。
「これで皆さん揃いましたね。とりあえず、セバスチャンさんが戻ってくるまで、お茶をどうぞ」
 こうして、ささやかなティータイムと相成った。


「……と言う訳でして」
 セバスチャンが話し終えると、一同は少し考え込む。冥月は何故か、少し身体を震わせている。
「冥月さん、お腹でも痛いの?」
 それを見て、シュラインは言葉をかけてみたが、「大丈夫だ。何でもない」との答えが返ってきた。
「なら良かった。……ところでセバスチャンさん。必要経費はいくらかかっても構わないのかしら?」
「はい。お嬢さまのためでございますから」
「それなら……元々荒廃してるホテルとかを、周囲を含め、まとめて貸切ってみたらどうかしら? それで、私たちは、事件の聞き込みから始める。聞き込むお宅や人たちにもあらかじめお願いしておいて、話を合わせてもらうの。役者さんにお願いしてみるのも手かもしれないわね。もちろん、現場には細工をしておく」
 シュラインが自分の計画をざっと話すと、セバスチャンは暫し考え込んでから、口を開く。
「良いご提案だとは思うのですが……お嬢さまは、恐ろしく鋭いお方なのです。果たして、それでご納得いただけるかどうか……」
「なら、こういうのはどうだ?」
 冥月が口を開くと同時に、小さな悲鳴が上がる。皆がそちらを見ると、窓際に立って話し合いを見守っていた武彦の身体が、ずぶずぶと自らの影の中に沈んでいくところだった。
「ちょっ! 冥月、お前やめろ! 俺を実験台にするな!」
 情けない声を出す彼は、もう既に床から首しか出ていない状態である。それを見ながら冥月はくつくつと喉の奥で笑った。
「あとはポルターガイスト」
 冥月の影が伸びたかと思うと、書類棚がガタガタと揺れ始める。
「ラップ音」
 周囲に、パチン、パチンと手を叩いているかのような音が鳴る。
「それから、貧乏興信所の備品を壊すのも可哀想なのでやらないが、蛍光灯や花瓶など、色々なものが破壊できる。影を化け物のように動かすことも可能だし、草間にしたように、影の中の暗黒に沈めれば、相当怖いと思うぞ」
「おお! これならば中々良いのではないかと!」
 静かに微笑む冥月に、目を輝かせて頷くセバスチャン。
「でも、あんまりやり過ぎると、トラウマになったり……」
 シュラインは心配げに言いかけて、妙な違和感を感じ、暫く口をつぐんでから、また開く。
「……セバスチャンさん、今、『中々良い』って言わなかった?」
「はい。申し上げましたが」
「もしかしたら、これでも足りないってこと?」
「いえ。まだ分かりませんが、お嬢さまはとても気丈なお方ですので……」
 これで怖がらない子供を、果たして『気丈』というレベルで済ませて良いのかとは思ったが、さらに計画を完全なものとすべく、再び一同は考え込んだ。
 そこで、今まで黙って手帳に何か書き留めていた悠が、口を開く。
「セバスチャンさん。ご心配には及ばないわ。私がいるから」
「……と、仰られますと?」
 問いかけてくるセバスチャンに、彼女は不適な笑みを返すと、続けた。
「私の行く場所行く場所、怪奇現象が起こらなかった試しなし! かなり怖い体験できること請け合いよ!」
「おお!」
「でも安心して。私は毎日のように怪奇現象に遭遇してるけど、まだ死んでないから!」
「おおおっ!」
 そう言って胸を張る悠に、セバスチャンは感嘆の声を上げると、満足気に頷いた。
「お三方の案を上手く組み合わせれば、きっとお嬢さまもご納得が行かれると思います。どうぞ、宜しくお願い致します!」
 深々と頭を下げる彼に、皆は微笑む。
「おい……何でもいいから俺を出してくれ……」
 そこに、まだ影に埋まったままの武彦の、悲痛の声が響いた。


 次の週の日曜日。
 シュライン、冥月、悠の三名は、東京郊外にある住宅地の一角、小さな喫茶店の中にいた。店内は薄暗く、客もまばらである。
 窓の外には重苦しい灰色の空が広がり、しとしとと雨が降っている。
 暫くすると、喫茶店の前に、一目で高級と分かる白い乗用車が止まった。それを確認すると、一同は顔を見合わせ、頷く。
 乗用車の中から、まず、運転手と思われる男が姿を現し、後部座席に向かうと、扉を開けた。
 そして、そこから人影が出てくる。
 それを見て、シュラインたち三人は動きを止めた。
「何で、迷彩服なのかしら……?」
「さぁ……」
 シュラインが呟くと、悠も首を傾げる。車から出てきた少女は、迷彩服に身を包み、頑丈そうなヘルメットを被り、背中には大きなリュックサックを背負っていた。
「まぁ、何でも構わないさ」
 冥月がそう言うと、シュラインは気を取り直し、紅茶を一口飲むと、再び頷く。
「そうね。それより二人とも準備はいい?」
「ああ」
「OK」
 その言葉に、冥月と悠も頷いた。

 カラン、と古めかしいドアベルの音が鳴る。
 店内に入ってきた少女を、シュラインが出迎えると、席に座らせた。
「皆の者、よく集まってくれた。私はジュリアンだ。今日は仲間なのだから、呼び捨てで構わない」
 明らかに妙な名前だが、皆、少女がコードネームをつけたがるのを知っていたので、特に驚きはしなかった。
「そうだ。皆にもコードネームを与えなければ……まずお前」
 ジュリアンは、シュラインを指差す。
「お前は、キャサリンだ」
「キャサリンね。分かったわ」
 シュラインは、そう言って微笑む。
「お前は、シャオだ」
「了解」
 冥月は、どことなく気のない返事を返した。
「そしてお前は……」
 ジュリアンの指が、悠を指したまま一瞬止まる。暫し考え込んでから、彼女は口を開いた。
「お前は……メガネだ」
「……は?」
 それを聞き、悠は思わず間の抜けた声を出す。
「だからメガネだ」
「……あのね、ジュリアン」
「何だ、不服か? メガネ」
「不服に決まってるでしょーが! 何で私だけモロ小学生のあだ名レベルなのよ!」
 ジュリアンは実際に小学生なのだが、流石に悠も納得はいかないらしい。
「私はその人間がかもし出す雰囲気から、コードネームを決めている」
「くっ……私のかもし出す知的な雰囲気が、メガネひとつに負けているとは……」
「まあまあ、悠さ……メガネ、落ち着いて。それよりジュリアン。あなたのその格好は目立ちすぎるし、聞き込みには不向きよ」
 拳を震わせている悠をなだめながら、シュラインはジュリアンに言う。
「そうなのか?」
 彼女は自らの服装を見回してから、不思議そうな声を上げる。
「当然だろう。聞き込みをする相手に不審がられる」
「そうか……では、着替えてくる」
 冥月もそう言うと、ジュリアンは突然立ち上がり、店を出て、外に止めてある車へと向かっていく。

 十分後、彼女は白のパーカーに、ジーンズというラフな姿で戻ってきた。背中の大きなリュックは相変わらずだったが、それには皆、目をつぶることにした。
「じゃあジュリアン。今日は、この坂を上っていったところにある、ホテルに行くわよ。その前に、情報を得るために聞き込みをする。聞き込みも、取材のうちだからね。ネタにするなら、必ず使えそうな部分はメモする」
「分かった」
 悠が大まかな説明をしていると、近くでグラスの割れる音がした。
 店内の視線が、一気にそちらへと集まる。
 そこには、痩せぎすの若い男が立っていた。顔は蒼ざめ、身体が震えている。
「あんたたち、あのホテルに行くのか?」
「そうだが。何か問題でもあるのか?」
 冥月が静かな声で問うと、男はこくこくと頷く。
「あのホテルには近づくな。俺は、あそこに興味本位で行って、酷い目に遭った……行ったまま、帰って来なかったやつもいるという噂だ」
「具体的には、どんな目に遭ったのかしら?」
 シュラインの問いに、男は、首を左右に振った。
「お、思い出したくもねぇ……ただ、影が――わ、悪い。俺は失礼する。とにかく、絶対あそこには近づくな!」
 男は、震える声でそう言うと、レジに乱暴に金を置き、店を飛び出して行った。
(うん。いい感じ)
 シュラインは、男の後ろ姿を見送りながら、そんなことを思った。あの男は、彼女の提案で集められた、役者の一人だ。店に来ている客も、呆然としているマスターも全てそうである。この先で聞き込みをする予定の場所にも、役者が配置されている。
「では皆の者。参ろうか」
 ジュリアンはこれもまた迷彩柄の手帳に何かを書き留めると、口を開いた。表情ひとつ変えないところを見ると、セバスチャンが言っていたように、彼女は中々気丈なようだ。
 そして、一同は店を出ると、近くの家々を回り始める。


 十件ほど聞き込みを終えたところで、悠がジュリアンに問いかけた。
「どう? ちょっとネタ帳見せてみて」
 すると、ジュリアンは無言で迷彩柄の手帳を手渡してくる。
「えっと……これ、何?」
 思わず呟いた悠の後ろから手帳を覗き込み、シュラインが口を開く。
「ドイツ語ね」
「ドイツ語? 何で?」
 すると、ジュリアンはいつもと変わらぬ態度で返してくる。
「ネタ帳といったら、ドイツ語で書くものではないのか?」
「それはカルテよ! ――しかも昔の」
「それにこれ、文章になっていないし、単語もメチャクチャよ。聞き込みでパンダの話なんて出てないし」
 すると、ジュリアンは少し頬を赤らめ、素っ気無く呟いた。
「……私はドイツ語はよく分からんのだ」
「アホか……」
 それを聞き、ぐったりとうな垂れる悠の肩を軽く叩くと、シュラインはジュリアンに向かって笑いながら言う。
「次からは、ちゃんと自分に分かるような言葉で書いた方がいいわ」
「分かった。そうする」
「そろそろ次の家だぞ」
 冥月がそう言いながら前を指差す。
 再び、聞き込みが始まった。


 やがて一行は、問題の廃ホテルのあるという森の入り口までたどり着く。
「じゃあジュリアン。今までの聞き込みの成果を報告して」
 シュラインが促すと、ジュリアンは小さく頷き、手帳を見る。
「くろ……い……かげ。ポ、ポル……ター……」
「ジュリアン、ちょっと見せてもらえるかなぁ?」
 悠が有無を言わさず手帳を取り上げる。
「これは……」
「鏡像文字ね。まるでダ・ヴィンチみたい」
 それを横から覗き込んだシュラインは、感心して声を上げた。しかし、悠は手帳をジュリアンに突き返すと、冷たく言い放つ。
「……呆れた。作家になりたいっていうから、どんな志を持ってる子かと思ったら、コードネームだの、暗号じみた文章だの、ただの子供のお遊びじゃない。いい? 作家っていうのはね。そんなに甘い仕事じゃないの。……未来の強力なライバルになるかと思って、楽しみにしてたのに」
 それを聞き、ジュリアンは目を伏せてうな垂れると、やがてボソリ、と呟いた。
「すまなかった……皆を不愉快にさせたなら謝る。でも、私は本気なんだ。本当に作家になりたいんだ」
 暫く、辺りに重苦しい空気が流れる。
 それを破ったのはシュラインの声だった。
「まあ……彼女も反省しているみたいだし、話を先に進めない?」
「賛成だ。このままでは日が暮れる。別に私は夜になっても構わんが、なるべく早く返してくれとの依頼だからな」
 冥月も頷くと、悠は小さく溜息をついてから、笑顔を形作った。
「そうね。私もあんまり堅苦しいのは好きじゃないし、この話はここまで。楽しく行きましょ」
 すると、ジュリアンは顔を上げると、相変わらずの無表情のままではあったが、礼の言葉を述べる。
「ありがとう。ところで……」


 鬱蒼とした森の中を、先に悠とジュリアンの二人が、その後を冥月とシュラインが進む。
「しかし、やっぱり子供は子供だな……」
 冥月の呟きを聞き、シュラインは微笑む。
「でも、尊敬している人に会えるなんて嬉しいことじゃない? 私も会ってみたい人が沢山いるもの」
 先ほどの悠の言葉から、彼女が作家なのではないかと思ったジュリアンが尋ねたところ、悠が『秋山みゅう』というペンネームで、主に子供からティーンエイジャー向けにホラーやミステリなどを書いていることが判明し、彼女の本を愛読しているというジュリアンは、すっかり悠になついてしまったのだ。
 ちなみに、コードネームも『メガネ』から『みゅう』に改められた。
「そんなものか。……ところで、手筈は?」
「そうね……とりあえず、エントランスホールで、手近なものを壊してみるのはどう? 結構大きなシャンデリアも残っているみたいだけれど、それは流石に危ないと思うし」
「了解」
 シュラインがホテルの見取り図を眺めながら言うと、冥月は静かに頷いた。

 やがて、一行は目的のホテルへとたどり着く。アールデコ様式が取り入れられた、中々洒落た建物だった。しかし、今はところどころが剥がれ、崩れ、ツタが絡まっていて、不気味な様相を醸し出している。
「では、皆の者、行くぞ」
「あ、ちょっと待って」
 ジュリアンがさっさと中に入ってしまったので、悠も慌てて後を追う。
「――シュライン、私たちも行くぞ。私から離れるな」
「冥月さん、どうしたの?」
 冥月の真剣な声に気圧されながらシュラインが問うと、冥月は表情を変えずに答える。
「二人の気配が消えた。――この場所は、『本物』だ」


「どこが怪しいと思う?」
 薄暗いホテルのエントランスホールで、シュラインが見取り図を広げ、ペンライトで照らしながら尋ねる。
「……分からない。どこにもそれらしき『影』がない。……となると、異空間に入り込んだ可能性が高い」
「じゃあ、どうやって探したら……」
「とりあえず、他の場所も見て回ろう。何か手がかりがあるかもしれない」
「ええ」
 二人は頷き合うと、今は動いていないエレベーターの近くにあった階段を上っていく。
「どういう経緯で、このホテルに決まったんだ?」
 冥月が問うと、シュラインは少し考えてから答える。
「セッティングは全部セバスチャンさんにお任せしたから、分からないわ。……でも、そんなに危険な場所を指定してくるとも思えないし……」
「しかし、あの様子では、本気で危険な場所を用意する可能性も否定できん」
「それもそうね……こんなことなら、事前に調査しておくんだったわ」
 二人の脳裏に、話し合いの際のセバスチャンの姿がよぎる。
 その時、どこからか、啜り泣きが聞こえた。
「上だ」
 冥月はそう言うと、階段を駆け上る。シュラインも、後に続いた。


 声を頼りに進み、ドアを開け放つと、そこは、屋上だった。雨はもう止んでいたが、地面は濡れている。
 そこで、パジャマ姿の子供が立ち尽くし、顔を手で覆いながら泣いている。
 シュラインも冥月も、一瞬で悟った。
 目の前の子供は、この世の者ではない。
 すると、その子供がゆっくりと顔を上げる。
 憤怒に満ちたその顔は、原型が分からないほどに、焼け爛れていた。
『お前らか!』
 子供が、頭に直接響いてくるような『声』で、叫ぶ。
「違うの。私たちはただ――」
「言っても無駄だ。こいつは怨念の塊だ」
 シュラインの言葉を、冥月が制す。
 それと同時に、こちらにかざした子供の手から、燃え盛る炎が出現した。
「シュライン、下がっていろ!」
 冥月はそう言うと、自らの影を使い、壁を作る。
 炎は、瞬く間に影に吸い込まれていった。
『くそっ……お前らも同じか! お前らが、あんな変なのを連れてきたのか!』
 暫しの間、沈黙が流れた。
 シュラインが、おずおずと口を開く。
「……『変なの』?」
『そうだ! あんなヤツら、さっさと連れて、どっか行け!』
 その言葉と同時に、空中に、ナイフで切ったかのように、裂け目が出来る。
 そこから、悠とジュリアンが放り出されてきた。
「ジュリアン、悠さん、無事だったのね! 良かった!」
「こ……怖かった……」
「ふっ。他愛もない……」
 駆け寄るシュラインと冥月に、悠は視線を向けながら、ジュリアンは遠くを見ながら同時に呟き、ゆっくりと、その場に崩れ落ちた。


 後日。再び草間興信所。
 十数年前、火災が発生し、死者十数名を出したという『本物の』ホテルを今回用意したことで、セバスチャンは一同から絞られたが、「その方が雰囲気が出るかと思いまして。皆さまもおられましたし」と笑顔でかわし、礼を言って帰っていった。
 今回の一番の曲者は、あの執事だったのかもしれない。
「で? あいつの腕はどうなんだ? 作家の先生」
 冥月がブラックコーヒーに口をつけながら聞くと、シュラインも頷いた。
「私も作家みたいな仕事をしてるけど、ジャンルが違うから、興味があるわ」
 あの後、悠のもとに、ジュリアン――本名は佐多みつきというらしい――から、今回の件をもとにしたシノプシスと、書き溜めていたという小説が何点か送られてきたという。
「まだまだ。もっと頑張らないと」
 そして、ニヤリ、と不適に微笑むと、悠はこう続けた。
「私が、ね。……だって、この先、強力なライバルが出現することが、前もって分かったから」


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【3367/秋山・悠(あきやま・ゆう)/女性/34歳/作家】

※発注順

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■         ライター通信          ■
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■シュライン・エマさま

いつもありがとうございます! 鴇家楽士です。お楽しみいただけたでしょうか?

今回は、擬似怪奇現象を引き起こしたり、本物の怪奇現象を引き寄せるPCさまがいらっしゃいましたので、その辺りのプレイングは反映できなかったのですが、お話のベースとして、シュラインさまのプレイングを反映させていただきました。いつも的確なプレイングを書かれるので、凄いなぁ、と思います。

尚、個別部分や、個別視点で描かれたところもありますので、今回ご参加いただいいた他の方のノベルも併せてお読みいただけると、話の全貌(?)が明らかになるかもしれません。

それでは、読んでくださってありがとうございました!
これからもボチボチやっていきますので、またご縁があれば嬉しいです。