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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


三下忠雄が幸せだった話


 海の中のように、雨が降っている。
 あんなに月がらんらんと輝いてたのに、今や世界は水の物。ざあぶりと、クジラも泳げそうなくらいで、けれど人の命を奪うには、
 よく涙を、この轟きの中に混じらせる彼の命を奪うには――弱い。
 何よりも強い悲しみで、声をあげて鳴き、泣く、彼。
 眼鏡、割れてしまってる。
「不幸、だと、思いますか?」
 膝付く彼の傍ら、砕けたレンズ、曲がったフレーム、
「いつものように、不幸だって」
 泣いているのに、この雨の中ではっきりと涙が、叫んでいるのが解るくらい泣いているというに、彼は、
 三下忠雄は、
「幸せでしたよ」
 笑っていた。
 ずぶ濡れた彼、ずぶ濡れた微笑、普段の道化の情けなさも消えた、白い月のような姿で語るの、歌のように、強く強く、
「だけど、僕は幸せでしたよ。本当の本当に――何よりも、誰よりも、きっと幸せでした。本当にずっと、ずっと、幸せで」
 幸せ、だからこそ、
 だからこそ今、感情は。
「幸せ、だったんです」
 泣いて、
 、
 笑って。

 これは三下忠雄の話、
 不幸な彼が、幸せだった、それだけの、
 彼の、話。


◇◆◇


「幸せだったと思いますよ」
 気休めに過ぎない。
「貴方は、幸せだった」
 そんなはずは無い。
「幸せだったかどうかなんて、見て解る物じゃないでしょうけれど、」
 彼の名前は三下忠雄、
「貴方は今回」
 全てから、不幸を命ずる、銘打たれる彼、
「貴方自身で、頑張りました」
 道化を演じる以前、道化として生きろ。
「その手で、その足で、その心臓で」
 お前はそれゆえ愛される。
「その心で」
 お前は、そうでなくては価値が無い。
「貴方は何時も、嘆くだけで」
 劣っているゆえ、苛められ、からかわれ、
「他人に振り回されるばかりで」
 他者の、心の愉悦となる。
「責任を他者に委ね、自身はただ身を屈めるだけ」
 それこそが存在理由、それだけが、
「だから」
 それだけが三下忠雄という命――

「私は、貴方が幸せだったと思います」
 加藤忍はそう告げて、

 ……神様、
 ねぇ、
 神様、
 彼に、彼の名前に、彼の手に、彼の足に、彼の心臓に、
 彼の心に――
「……不幸、だと、」
 幸せは、許されますか?
「思いますか?」


◇◆◇

 何時通り、何時も通りの日常だったはずなんですよ。三下さんから始まる事は。知っているでしょう、彼の体質は不幸に対する磁石のようなもので、トラブルを、……いわゆる依頼を引き付ける。そして、そこから何時も始まる。
 何時もは、そうでした。
 けど。

◇◆◇


 午後三時、太陽が高く、闇見通す夜目を生かせぬ気候。けれど、人込みをするりと行く足運びは、流石と言った所か、加藤忍。
 特に何か、用事も無く。最近開設した防犯相談所からもまだ、その手の仕事へ通じる道は開けた訳では無い。さぁどうしよう、する事は無い、何もしないをしようか、そういう訳にはいかない、人に呼吸は必要である、呼吸の後選択は二つ、寝るか、起きているか、起きているならば、今、こうして歩いているならば、
 加藤忍は、だから見た、群を。人間の。
 東京駅前、クロスになっている、広い道を渡る為の大きな横断歩道。その端、まるで理科室のサンプルのように人々が並び、信号の色が変わるをの待っていた。
 人の群を眺めると、思い知らせる。彼らはまるで自動人形のように。日々を繰り返す。まるでそれだけしかないように、命をダラダラと使う。民衆はそうやって、
 ……そして、自分もまた、その群れの一部だという事。
 息を細く吐き出した。薄く目を閉じる。
 七秒後に青色の、光の色である白と混ざる事により緑となる青色の点灯は始まり、人々は一斉に歩き出した。すれ違う事、お辞儀もしない、袖触れ合う事が多少の縁なら、何故東京は孤独が多いのか。ただそっと、触れるだけでは、絆も生まれない、
 大きな声がした。
 ……中央付近、ああ、袖触れ合った訳じゃない、身体と身体がぶつかったのだ。それも、今尻餅を付いている男の相手は、明らかにスジ者だった。
 因縁を、付けられている。怒鳴られている。
 横断歩道の中央だ。
 人々は注目はするけど、通り過ぎていく。視界の外にやる事は、現実の外にやる事と同議の集団。
 加藤忍は、視線を外さなかった。義憤という理由よりも強いのは、単純、
 後姿でも解る、彼はあの編集部員だと。
 全く、相変わらず――そう思い彼を、
 どうしようもない彼を助ける為に、足早に近づいて助けようとした時、

 三下忠雄は、立ち上がり、叫んだ。
 ただ、それだけの事。

 ……それだけの事。しかし、
 叫び声は狼の唸りよりも激しく、その場に居る全員の時を、数秒止めた。三下の前に居るスジ者も、そして、忍自身も。
 そうしている内、プルプルと震えた侭三下は、その侭、向いている方向へと走り始めた。それが逃げているという事にスジ者が気付いたのは、迂闊にも数秒、待て、と追い始めようと背を向ける、
 向けた背、無防備な首筋に、誰も見えない速度で忍ぶは軽く手刀を打つ。
 軽い眩暈を生じさせ、まさか、車の障害物を放置しておく訳にもいかず、大丈夫ですか? と自分でやっておきながら肩を貸し、点滅を始めた頃にやっと渡りきり、適当な花壇に腰掛けさせた。
 する事は無い日、
 する事を、作る。追う事、彼を。所詮は暇つぶし、
 だけれども、興味は強い。だって、あの三下が、
 三下忠雄という男が。


◇◆◇

 何を頑張っているんだろう、と、ね。一生懸命に。通常有り得ない事ですから、あんなに彼が、必死になるなんて事は。それも追い詰められた鼠が見せるような姿じゃなく、逆に、何かを追い詰めようとするような意思。
 彼は……相変わらずでしたよ、改札口を通る前に、財布を掏られるし、その財布を掏り返して戻してあげたと思ったら、今度は切符を買う時に小銭を、それも五百円玉を落とす。相変わらずでした。
 ……瞳。
 眼鏡の奥なる目の色だけが、おかしかった。おかしかったんですよ、彼にしては。
 笑えないくらいおかしかった。
 強い色でした。

◇◆◇


 身体なんて物は所詮、魂の乗り物に過ぎない。そう僧侶が言った。
 ……うつむいた侭、電車の席に座る彼。隣の車両から監視する。……もし僧侶の説が、子供の教科書に書かれていたならば、彼は、どれだけ呪うのか。どうしようもない自分の身体を、脆弱な意思を生み出す脳を、何よりも、不幸を引き付ける宿命を。
 もし自分がそうだったら、と。
 もし自分が、三下忠雄だったなら、と。
 首に縄をかけるか? 海に身を捨てるか? 刃を胸に突き立てるか? そんな、そんな事をする勇気、いや、愚かさも無いか?
 少し考えた後、忍は表情に出さず、ただ心の中で自嘲する。そんな事になったというなら、
 そこから行くしか無いじゃないか。
 たった、それだけの事なのだ。問題は、それを諦めと呼ぶか、運命と呼ぶか、そして、
 選択と呼ぶか。
 乗り物が、急停止する。
 ……電車内に流れるアナウンス、暫く動かない、その侭待機。事故が発生しました、暫くお待ちください、それは、
 彼には待っていられないようで。無言で立ち上がると、緊急開閉のレバーを、まばらな周囲がざわつく、その場に居た車掌が駆けつける、すいません、と一言だけ残し、飛び降りて、転げ、走り出して、
 ……愚かだ、間抜けだ。
 どうせ電車なんて、よほどの事故で無ければ動き出す。走るよりも早いに決まっている。加藤忍は先回りの形になる。
 何をそんなに急いでいるのだろう。何を、求めようとしてるのだろう。
 何を。


◇◆◇

 東京から随分離れた駅で降りて、そこからまたタクシーで向かって、そんな事している内に暗くなってきました。昼と夜の間、陽炎のように白い月が現れて。
 タクシーから降りた場所は、何処とも知れない町です。
 運転手にも挨拶せず、走り出した彼ですが、その内歩みを止めて。疲れたのだろうか、そう思いましたけど、
 やがてゆっくりと歩き始めました。
 背中は、脅えているように感じられました。まるで死刑執行に会う罪人のように。
 一時間、二時間かけて、歩いていきます。そういえば、急いでいたはずなのに、なんでタクシーから降りたのかも解らない。
 ……周囲の景色を眺めるように歩いていたから、何かを、確かめたかったんでしょうか。
 解らない事ばかりの一日です、やがて、
 何処とも知れない広場、時刻も夜に差し掛かった時、三下さんは立ち止まった。
 その直後でした。

◇◆◇


 三下忠雄の目前が、凄まじく発光した。後ろから伺っていた忍の夜を見通す目に、痛いくらいの衝撃を生じさせる、
 これが求めていた物、これが、彼が一生懸命だった理由、
 愚かで、間抜けで、人知れず手助けを借りねば、ここにきっと辿り着けなかった彼の、
 ……否、
 辿り着けたかもしれない、百分の一、否、万分の一、
 砂浜に混じったたった一つの砂金を取り出すよりも低い確率に過ぎないのだとしても、この世の森羅万象に内在する全ての確立以下だとしても、諦めないという事は、
 それが人に希望に縋る理由であり、そして、夢を追い滅ぶ原因であり、
 彼は、辿り着いた。
 何を、求めて。何を、しようとして。
 何時の日か離れ離れになった人を追ったのか、世界で唯一の宝石を求めたか、耐え難い自分を変える為か、何時もどおり碇編集長の命か、
 ……世界を、救う為か。

 光は徐々に薄れ始め、
 白い霧のような向こう、何かが見え始め、
 三下忠雄が求めた物、
 今、
 成そうとする事――
 光が消えるその刹那、
 刹那、


◇◆◇

 私は、目を閉じました。

◇◆◇


 誰にも、侵せない領域があるとしたら。
 聖域のように、踏み入れてはならない世界があるとしたら、きっと、あの光景がそうだったのだろうと、雨に打たれながら思う。二人、お互い、傘も指さずに思う。
 突如月を浮かべていた空が始めた、人を殺すかのように激しい降雨、けれど、
 癒しかもしれない。これくらいが、ちょうどいいかもしれない。全てが終り今、打ちひしがれているこの人には、これくらい強く。
 屈み、頭を下げている彼を、眼鏡が砕けてしまった彼を、忍は見下ろしている。
「貴方を追ったのは、……、ただ確かめたかっただけです。気にしないでください」
 自分がここに居る理由をそう告げ、助けた事は、あえて伏せ。
 顔をあげない彼。
「お疲れ様でした。何があったかは、知りませんが。仕事をやり終えたのでしょう」
 労いの言葉。
「ずぶ濡れの侭では、風邪をひきます。……服を買って、銭湯を探して」
 ただ、淡々と、
 もしかすれば、
 世界を救ったかもしれない存在へ。
 ねぇ、
 三下忠雄、君は、
 君という存在は――
 何をしていた。

「何処かで、一杯やりましょうか」

「……幸せ」
 、
「でしたよ」
 海の中のように、雨が降っている。





◇◆ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◆◇
  5745/加藤・忍/男性/25/泥棒

◇◆ ライター通信 ◆◇
 初めまして、今回はご参加おおきにでした。いわゆるオチすら丸投げというタイプの依頼でしたが、敢えてそこを決めてないプレイングでしたので、こういう形で仕上げさせて頂きました。ちょっとというかかなりストーカーチックになってしまいましたが(こら
 三下が痴漢に間違われる、というトラブルを入れるかどうかは迷いましたが、書き始めた話の雰囲気にそぐわないと断念しました。プレイングを生かしきれず申し訳ありません。
 それでは、改めまして今回は有難うございました。また機会があればよろしゅうお願い致します。