コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 コードナンバーXXX:『怪奇ノ類 求む!!』


 ここのところ降り続いていた雨は、今日は息を潜め、代わりに、初夏の青空に浮かぶ太陽が、辺りにきらめきを撒き散らしている。
 草間武彦は、相変わらずレトロな雰囲気を醸し出す興信所内の椅子にだらしなく座り、窓の外を眺めながら煙草を吹かしていた。
 そこに、零がアイスコーヒーの入ったグラスを持って来ると、彼の横にあるデスクにそっと置く。
「どうしたんですか? お兄さん。何だかご機嫌ですね」
「久々の仕事だ」
 零の言葉にすぐに答え、アイスコーヒーを一口飲んでから、武彦はにやり、と笑う。
「ああ、なるほど」
 この興信所は、年中閑古鳥が鳴いている。それを思って、零もにっこりと微笑んだ。ただ、武彦の上機嫌ぶりは、いつもとは違う気がする。
「『普通の』お仕事なんですね」
「ご名答。『普通の』仕事だ」
 零が試しにそう言ってみると、武彦は即答した。これで、彼のいつにない上機嫌ぶりも、納得がいく。
 この草間興信所に持ち込まれる依頼は、所長である武彦が毛嫌いしているのにもかかわらず、とにかく怪奇現象絡みの類が多い。そして、いつの間にかそちらの方面での評判が広まり、また次々と奇妙な事件を引き寄せてしまい、悪循環に陥っている。
「依頼は、金持ちの嬢ちゃんのお守りだそうだ。……まあ、あまり探偵っぽくない仕事だが、この際何でもいい」
 そう言って、また窓の外に目を向けた武彦を見て、笑いがこみ上げてくるのを抑えながら、零はキッチンへと向かう。依頼人が来るのであれば、迎える準備をしなければならない。
(コーヒー豆、まだあったかしら……)
 流石に客人にインスタントコーヒーを出すというのも気が引ける。なければ緑茶か紅茶にでもしようかと彼女が頭を悩ませていると、けたたましくブザーの音が鳴った。
「はい」
 零は急いでキッチンから戻ると、玄関に向かい、静かに扉を開ける。目の前には、仕立てのいいスーツをセンス良く着こなした、老紳士がいた。六十代くらいだろうか、髪には白いものが混じっていたが、きちんと整えられていると、それもひとつのファッションのように見える。
「お初にお目にかかります。私、依頼をさせていただいた、佐多家の者でございます」
「はい。お世話になります。どうぞお入りください」
 そう言って、深々と頭を下げる老紳士に、零もお辞儀を返すと、彼を部屋の中へと導いた。

「……で、俺はおたくの嬢ちゃんのお守りをすればいいんだな?」
「はい……そうなのですが……」
 応接セットに向かい合って腰をかけると、武彦は話を切り出した。しかし、老紳士はどこか歯切れが悪い。
 ちなみに、彼の前に置かれたのは、ジャスミンティーだった。コーヒー豆も、緑茶も、紅茶の茶葉も切らしていたため、他に選択肢がなかったのだ。ただ、もらい物であるので、質は良かったと零は記憶している。
「……ああ、申し遅れましたが、私、セバスチャンと申します。佐多家の執事を務めております。どうぞ、宜しくお願い致します」
「セバスチャン?」
「変わったお名前ですね」
 それを聞き、武彦も零も目を丸くする。どう見ても、セバスチャンと名乗った老紳士は、日本人としか思えない。
「ええ……実はコードネームでして……。お嬢さまからの仰せで、本名は明かしてはならないのです」
「はぁ……コードネーム、ねぇ……」
「何だかカッコいいですね!」
 それを聞いて瞳を輝かせる零とは対照的に、武彦は、嫌な予感が体を走るのを感じた。
「とりあえず、仕事の内容を聞かせてもらいたい」
「は、はい……。実は、お嬢さまは、作家を目指していらっしゃいまして」
「ふむ……それで?」
 問いかける武彦に、セバスチャンは取り出した白いハンカチで、額の汗を拭いながら続ける。
「それで……今度は、怪奇小説をお書きになりたいと仰せなのです」
「……それで?」
 嫌な予感はどんどん強くなるが、武彦は努めて冷静に、先を促す。
「はい。そのために、お嬢さまは怪奇現象に遭遇したいと……。もちろん、私どもとしましては、お嬢さまをそのような危険な目に遭わせるわけには参りません。なので、ここはひとつ、草間さまのお力をお借りして、適当に怪奇現象を『演出』していただき、何とかお嬢さまを納得……」
「ちょっと待った! そんなこと、俺は一言も聞いてないぞ!? それに、アレが見えんのかアレが!」
 セバスチャンが全てを言い終わるよりも早く、武彦は壁の一部分を指差して大声を上げた。そこには『怪奇ノ類 禁止!!』と張り紙がしてある。
「いえ、ですから……先に申し上げると、草間さまはお引き受けくださらないと思いまして……それに、この業界では、草間さまに勝るお方はいらっしゃいません」
「いったいどの業界だ! 駄目なものは駄目だ! それに、嬢ちゃんは小学生だろ? そんなんおたくの財力を使えば、幾らでも騙せるだろうが!」
 武彦の剣幕に、セバスチャンは恐縮しながらも、何とか口を開く。
「……お嬢さまは、大変聡いお方なのです。下手な演出では、簡単に見破られてしまいます。そのようなことになったら、また家出を謀られるかもしれません……。以前家出なさった時には、佐多家の動員できる全ての者を使ったのですが、半月経っても見つからず、お嬢さまから指定された連絡方法を使い、旦那さまが要求を呑まれるまで、お帰りになりませんでした。その時は、お嬢さまはどんな手を使われたのかは存じませんが、いつの間にかオーストラリアにいらっしゃいました」
 その話に、武彦は驚きを隠せなかったが、それでも何とか言い返した。
「いや、駄目なものは――」
「お兄さん。ちょっと」
 唐突にそのやり取りをさえぎったのは、零だった。彼女は、応接セットから少し離れた場所に立ち、武彦に向かって手招きをする。
「何だ?」
 武彦は、怪訝に思いながらも、ソファーから立ち上がり、零のもとへと向かった。すると、彼女は小声で話し始める。
「今日、お客さまにコーヒーをお出ししようと思ったんですけど、コーヒー豆がありませんでした。それどころか、緑茶も、紅茶もありません」
「買えばいいじゃないか」
 そう返す武彦に、零は溜息をついてから続ける。
「買えるならとっくに買ってます。さっき家計簿をチェックしたんですけど、このままだと煙草もカットしなきゃいけません。ここの家賃も滞納しています。私、大家さんに何度も頭を下げて、待ってもらってるんですよ」
「うっ……」
 言葉に詰まった武彦に、真っ直ぐに視線を向けると、零はハッキリと最終宣告をした。
「この依頼は、受けてもらいます。拒否権はありません。いいですね? お兄さん」
 武彦は、返事の代わりに、盛大な溜息をついた。


 ■ ■ ■


「よう、久しぶりだな。へなちょこ探偵? 相変わらず冴えねェ顔しやがって」
 唐突に戸口から声がかかり、武彦は驚いてそちらを見やる。
「……お前か。ビックリさせるなよ」
「こんなことで驚くようじゃ、怪奇探偵の名が泣くぜ?」
 ようやく言葉を搾り出した武彦に、突然の来訪者――フェンドはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「あ! フェンドさん、お久しぶりです!」
 そこで、キッチンから出てきた零が明るい声を上げた。
「おう、久しぶりだな。これ、茶だ。良かったら飲んでくれ」
「わぁ、ありがとうございます! ちょうどお茶がなかったところで……。それに、フェンドさんからいただくお茶は美味しいですし」
「そりゃあ良かった」
 フェンドが持っていた紙袋を零に差し出すと、彼女は嬉しそうな笑顔を見せる。
「……ったく。『へなちょこ』も『怪奇』もどっちも迷惑だっつーの。俺はハードボイルドな探偵なんだ」
「へェ……で? そのハードボイルドな探偵さんは、何をそんなに悩んでるんだ?」
 武彦のぼやきを聞きとめると、フェンドは笑いを堪えながら問う。
「久しぶりに依頼が来たんです! ……またちょっと変わってるんですけど」
 それには、零が代わりに答えた。それを聞き、フェンドは再びニヤリと笑うと、口を開く。
「いいぜ。俺が引き受けても」
「え? でも、依頼内容も聞かなくていいんですか?」
 不思議そうに首をかしげる零に、フェンドは頷くと、また武彦の方を見た。
「だが、ハードボイルドな探偵さんの見せ場を奪っちまうのも気が引けるしなぁ……」
「ああもう、俺が悪かったよ! 頼む! 引き受けてくれ!」
 武彦は投げやりにそう言うと、不貞腐れた顔で、そっぽを向いた。


 東京に、夜の帳が下りる。
 雨は降っていなかったが、空はどんよりとしていた。月の姿の一部が、幽かに見える。
 遠くから、車のエンジンの音が聞こえた。こちらに向かってきている。恐らく、依頼人だろう。
 それから暫し。
 フェンドの前に、一目で高級と分かる白い乗用車が止まった。そして、中から運転手の男が出てくると、後部座席の扉を開ける。
 そこから出てきたのは、迷彩服に身を包み、頑丈そうなヘルメットを被り、大きなリュックサックを背負った少女だった。彼女に付き添うように運転手も歩いてくると、こちらに向かい、頭を下げる。
「フェンドさまでいらっしゃいますね? 夜分遅くにありがとうございます。ただ、出来ましたら、なるべく早くお嬢さまをお帰しいただきたく存じます」
 それを聞き、フェンドは静かな声で告げた。
「それは、嬢ちゃん次第だな」
「……と、仰いますと?」
「ジャクソン。良いのだ。私が頼んだのだから。明日は学校も休みだし、心配するな」
「は、はぁ。ですが……」
 少女が運転手の言葉を遮ると、ジャクソンと呼ばれた運転手は、ちらちらとフェンドの方を見ながら食い下がる。恐らく、彼の姿を見て、不安なのだろう。フェンドの風体は明らかに怪しいから、それも致し方ないかもしれない。いつものことに内心で苦笑しながら、フェンドは口を開く。
「お宅の執事が草間に依頼をした。そして、俺が仕事を任された。きちんとした契約だ。安心してくれ」
「そうだぞジャクソン。この者の言うとおりだ。お前は下がれ」
 庇っているつもりの少女にまでそう言われては仕方がないと思ったのか、ジャクソンは「では、宜しくお願い致します」と、再び頭を下げると、車に戻っていった。
 エンジンのかかる音がし、車の姿が見えなくなると、少女はフェンドに向き直り、口を開く。
「私はエミリーだ。宜しく頼む。ええと……」
 そして、一旦言葉を切り、フェンドを上から下まで観察すると、再び言葉を発した。
「お前のコードネームは……グラサンヘッドだ」
 それを聞き、フェンドは思わず吹き出す。
「……嬢ちゃん、幾らなんでもそれは見たまま過ぎねェか? 作家になりてェんだろ? もっと気の利いたコードネームを考えてくれ」
「じゃあブラック」
「それもいただけねェな」
「うーむ……お前は何となく雰囲気がつかみにくいのだ」
 エミリーはそう言って考え込むと、暫くして口を開く。
「……では、ゴンザレスというのはどうだ?」
「まぁ、それで手を打とう」
 フェンドがそう言った時、二人の脇を、電車が走り抜けた。風が吹きつけて来る。
「なぁ、何故こんなところで待ち合わせなんだ? 何か起こるのか?」
 二人は現在、とある踏切の前にいた。フェンドは、エミリーの頭を軽く叩くと、ニヤリと笑う。
「何か起こるから、ここにしたんじゃねェか。嬢ちゃんは、怪奇現象に遭いてェんだろ? まあ、暫く待てって。……ああ、それからその物騒な『音』のするモンは、絶対使うなよ」
「物騒な音?」
 エミリーが首をかしげると、フェンドは真面目な顔で言う。
「背中のモンだ」
「……ああ、対霊ランチャーか。何かあったときのためにと、作らせたんだが」
「そんなモンは、必要ねェ」
「……分かった」
 フェンドの穏やかではあるが、有無を言わせぬ雰囲気に、エミリーは仕方なく頷くと、ゆっくりと上がっていく遮断機に目をやった。
 ――そして、二十三時十三分。
 突然、周囲の音という音が消えた。
 元々、この辺りは静かだったが、訪れたのは、完全なる静寂。
「……あぁ、来るぜ。これを着ろ。嬢ちゃん」
 そう言うとフェンドは、手に持っていた黒いコートをエミリーにかけてやった。
「寒いな……」
 急激に気温が下がったので、彼女はコートの前をぎゅっと合わせる。周囲の闇が、一段と濃くなった。すると――
「……電車だ」
 いつの間にか目の前に、電車が止まっていた。周囲の闇に映し出された映像のように、ぼんやりと浮かび上がっている。車両は、一両しかない。
 『気紛れな都電』。数多くある都市伝説のひとつ。
 電車の走らない、時刻表の谷間の時間帯に走る電車があるという。何処かに消え、何処からともなく現れる都電。
 それをぼんやりと眺めているエミリーの目の前で、音もなく扉が開いた。
 すると、いくつかの影がそこから出てくる。
 切り絵のようなペラペラな人間、青白い生首、顔いっぱいの大きさの目を持った髪の長い女、半透明の中年の男、子犬ぐらいの大きさしかない和服の老婆。
 その誰もが、フェンドに気づくと挨拶をし、方々に消えていく。
「すごいな……」
「ほら、嬢ちゃん。乗るぜ」
「あ、ああ……」
 フェンドはそう言うと、エミリーの手を取る。彼女は、呆然としたまま、彼に従った。


 音もなく、振動もなく、『気紛れな都電』は走る。
 車内は、異形の者たちで溢れかえっていた。しかし、まるでフェンドたちを待っていたかのように、座席が二人分だけ空いていたので、二人はそこに座っている。
 エミリーは、先ほどから興味深げに周囲を見回していた。
「外が真っ暗だ」
「そりゃあ、夜だからな」
「でも、何も見えないぞ」
「本来の夜ってのは、暗いもんだ」
『次は……死の影橋……死の影橋……お降りの方は……降車ブザーでお知らせください……』
 消え入りそうな男の声が、車内に響く。
「聞いたことがない駅名だ」
「まぁ、嬢ちゃんが知らねェ駅名もあるさ」
 エミリーが呟くと、フェンドは肩を竦める。
「……何で、怪奇現象に遭いたいなんて思ったんだ?」
 これだけ気味の悪い状況下にありながら、怖がりもしないエミリーに、ふと興味を覚え、フェンドが問うと、彼女は少し考えてから、口を開いた。
「……怪奇現象の気持ちが知りたかったんだ」
「怪奇現象の気持ち?」
「ああ。怪奇小説を書くには、怪奇現象の気持ちが分からないといけないと思ったんだ」
 エミリーの良く分からない理屈に、フェンドは暫し考えてから言葉を発する。
「だが、小説ってのは、想像力で書くモンだろ? 男だって女の気持ちを描くことは出来るし、動物が主人公の話もある」
「でも、それは会ったことや触れたことがあるから想像できるんだ。怪奇現象に遭えば、気持ちが想像できるようになると思った」
「成る程」
 それを言ったら、SFやファンタジー、歴史小説など、書けなくなるものばかりになってしまうのだが、彼女なりに真剣に考えた結果がそうだったのだろう。
 そう思い、フェンドはそれ以上追及するのはやめた。怪奇を舐めているのかと思っていたが、意外とそうではないのかもしれない。
「ゴンザレス、桜がたくさん咲いてるぞ」
 フェンドの思惑をよそに、エミリーは窓に張り付いて、外を眺めている。
「ああ、それは桜御前の屋敷だな」
「桜御前?」
「ああ。彼女の屋敷には年中桜が咲いているから、そう呼ばれている」
「へぇ……」
『次は……桜御前邸前……桜御前邸前……お降りの方は……』
 ブーッ。
 車内アナウンスの途中で、ブザーが鳴った。
 窓の外を一生懸命見ていたエミリーの肘が、降車ブザーに触れてしまったのだ。
(拙い……)
 この都電の降車ブザーを押してしまうと、『強制的に』降ろされる。しかも、よりにもよって、桜御前邸前とは。
 暫くして、音もなく電車は止まり、音もなく扉が開いた。
 そして、エミリーの姿が消える。
 フェンドも、急いで電車から降りた。


 桜。
 桜。
 一面の桜。
 今の季節を忘れてしまうほどに、その景色は生々しく、美しい。
 フェンドは、『音』を頼りに走る。
 やがて、大きな門が見えてきた。
 木製の門には、見事な装飾が施され、中央には女性の顔が浮き彫りにされている。
 フェンドがその前に立つと、女性の面が、ゆっくりと目を見開く。
『これはフェンド様。お久しゅう御座います。只今、桜御前はお取り込み中につき、お取次ぎ出来ませぬ。もう暫しお待ち下さいませ』
 柔らかな声が、そう告げる。
「無礼を承知で申し上げる。桜御前と今すぐお会いしたい」
 フェンドがそう言うと、女性の面は、目を瞬かせた。
『ですから、出来ませぬ』
「ならば仕方がない。申し訳ないが、力ずくで入らせていただく」
 フェンドは、意識を集中させる。
『な、何をなされる……か……』
 女性の面が、苦しげな表情で、口をぱくぱくさせる。
『否!』
(ここじゃねェ……)
 さらに彼は、『音』に意識を向けた。
『否! 否!』
(あった!)
 それは、言うならば『再生ボタン』。
『応!』
 その声と共に、門が、ひとりでに開いた。
 フェンドは、門をくぐり抜けると、再び走り出す。

 回廊。
 回廊。
 回廊。
 どこまで行っても、回廊が続く。
 フェンドは、『音』を頼りに進むが、一向に目的の場所にたどり着けない。桜の花びらが散る音が、煩すぎる。
 その時。
 爆発音が響いた。
「中々やるじゃねェか」
 彼はひとり呟き、ニヤリと笑うと、そちらへと向かった。


「来るな……っ!」
 広大な座敷の中で、和服姿の女と、エミリーが対峙している。
 だが、エミリーは畳にへたり込んで動けず、がたがたと震えていた。それでも、肩に構えた対霊ランチャーから、また弾丸を放つ。
 それは、女の身体をすり抜け、後方の壁を破壊した。
「ほほほ……中々気丈な子じゃのう。遊び甲斐があるわ」
 それを見て、女はさも可笑しそうに笑う。
「嬢ちゃん!」
 フェンドは、座敷の中に入ると、エミリーと女の間に割って入った。
「ゴ……ゴンザレス……」
「大丈夫か?」
 フェンドがそう声をかけると、エミリーは気が抜けたのか、そのまま気を失う。フェンドは、崩れ落ちるエミリーと対霊ランチャーを受け止め、そっと床に置いた。
「フェンド殿。何故邪魔をする」
 そこに女――桜御前の冷たい声がかかった。
 フェンドは彼女に向き直ると、静かな声で言う。
「桜御前。申し訳ないが、今回は見逃していただきたい」
「何故じゃ。ここは我が屋敷。我が摂理」
「それはこちらも理解している」
 不機嫌そうに顔を歪める桜御前に答えながら、フェンドは意識を別の方向へと集中させる。だが、桜の花びらが散る音が、それを邪魔する。
 出来るだけ、時間を稼がねばならない。
「この者は、手違いで駅に降りてしまった。元々、望んで迷い込んだわけではない」
「そのような理が、まかり通るとお思いか」
 美しい桜御前の顔が、徐々に般若の形相に変わっていく。
「今回ばかりは通してもらう」
「否! 『門衛』に細工をし、人の屋敷に土足で踏み込んで来たばかりか、食事まで邪魔しようとは言語道断!」
 桜御前は、屋敷に迷い込んだ者を喰らい、自らの糧とする。屋敷を囲んでいる数多の桜の下には、数多の死体が埋まっているという。

 ひらり、ひらり。
 ひらり、ひらり。
 ひらり、ひらり。

 あまりにも、桜の花が煩すぎる。
(もう、賭けに出るしかねェ)
 フェンドは、腹を据えると、桜御前に向かい、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「何が可笑しい」
 それを見咎め、眉をひそめた桜御前に、フェンドはさらに笑みを大きくする。
「いや、別に。また『本体』が移ってやがるな、と思っただけさ」
 その途端、桜御前の顔色が微妙に変わったのを、フェンドは見逃さなかった。
「つまらぬはったりを申すでない」
「ハッタリかどうか、試してみるか? 一瞬で終わるぜ?」

 ひらり、ひらり。
 ひらり、ひらり。
 ひらり、ひらり。

 無言の時間が続く。
 フェンドの内に焦りが出始めた頃、桜御前が堪えかねたように、大きな溜息をついた。
「……仕方がない。今回は見逃そう。ただし、二度はないと思え」
「ありがたい」
 そう言うが早いか、フェンドはエミリーを小脇に抱えると、屋敷を後にした。


 もう、空は白み始めている。
「あ……ゴンザ……ここ……は?」
 エミリーが、意識を取り戻し、覚束ない口調で尋ねる。
「ここか? ここはな……俺の背中だ」
「……え?」
 フェンドが笑いながら言って初めて、エミリーは自分がフェンドの背中に負ぶわれているのに気づく。
 そして、力いっぱい、フェンドに抱きついた。
「怖かった……」
「そうか。『怪奇現象の気持ち』は分かったか?」
 エミリーが、小さく頷いたのが分かる。
「人と違う……違うもの。面白がって近づいてはいけないもの」
「そうだな」
 暫く、沈黙が流れた。
「もうそろそろ朝だ。良かったな」
 再び口を開いたフェンドの言葉が理解できずに、エミリーは小さく「何故だ?」と呟く。
「夜は、本当は人に優しくはねェんだ。忘れられつつあるけどな。もう分かったと思うが、人の世界じゃねェ場所はあるってことだ」
 エミリーが、無言で頷く。
「我が儘なのも可愛いが、程々にしろよ」
 また、頷くのが気配で感じられた。
「ゴン……フェンド」
「何だ?」
「……ありがとう」
 恥ずかしそうに呟いたエミリーに、フェンドは悪戯っぽく返す。
「そう思うなら、それなりの見返りをもらわねェとなぁ?」
「……何だ? 金か?」
 それを聞き、フェンドは忍び笑いを漏らした。
「いや、もっと凄ェモンだ」
 エミリーは、フェンドにしがみついたまま、暫く考えていたが、首を振って言葉を発する。
「分からない……何だ?」
「嬢ちゃんの将来だよ」
「将来……?」
 エミリーの戸惑う姿が面白く、フェンドはまた喉の奥で笑いながら、言葉を紡いだ。
「嬢ちゃんが作家になる夢を叶えたら、今回の分はチャラだ」


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【3608/セイ・フェンド(せい・ふぇんど)/男性/652歳/風鈴屋】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


■セイ・フェンドさま

いつもありがとうございます! 鴇家楽士です。お楽しみいただけたでしょうか?

今回も、納期ギリギリの納品となりまして、申し訳ありませんでした。大変お待たせ致しました。
『気紛れな都電』の設定がとても面白かったです。でも、書いていたら、何だかあらぬ方向に行ってしまいました……(汗)。少しでも楽しんでいただけていることを祈るばかりです。

それでは、読んでくださってありがとうございました!
これからもボチボチやっていきますので、またご縁があれば嬉しいです。