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<東京怪談ノベル(シングル)>


赤い戦車

 その妙な客がやってきたのは、夜中に降り出した土砂降りの雨の日だった。
「すいません。少しだけ、雨宿りさせてください……」
 雨のせいか、それとも何かがそうさせたのかは分からないが、俺の経営している蒼月亭には客が全くおらず、早じまいをしようと外に出たときだ。
 そいつは全身ずぶ濡れで、どう見ても未成年の少年にしか見えない。だがその疲れた表情は、俺に何かを感じさせるには充分だった。
「入んな、どうせ早じまいするつもりだったんだ。俺はここのマスターのナイトホーク。お前の名前は?」
 看板を『Closed』にし、俺が客用のタオルを投げて渡すと、その少年は鋭い動きでそれを受け取った。
 どうやら「訳あり」の客らしい。まあ、この店に来るのは大抵何処か「訳あり」の客なのだが。
「統堂元(とうどう・はじめ)です…」
「何て呼べばいい?」
 俺がそう言うと、ハジメは店の入り口で俺の渡したタオルで頭を拭きながら顔を上げた。俺はシガレットケースから煙草を出し、一本くわえマッチで火を付ける。
 よくよくその姿を観察すると、ハジメは荷物も何も持っていなかった。まるで何か外出でもした拍子に、ついでにここまでやってきたというような感じだ。そして季節に似合わない長袖の下には、少年には似合わない筋肉がついているのが分かる。伊達に長いこと客商売をやってきたわけじゃない。
「ハジメ…で」
「分かった。ハジメ、腹減ってないか?」
 そう言われたのが意外だったのだろう。それでようやく自分が空腹だったと気付いたように、無言で俯く。
「………」
「パスタでいいか?夜中に重たいもの喰うと胃にもたれるからな。あと、俺ので良かったら、服が乾くまで着替え貸してやる」
 そう言いながら俺はカウンター奥に引っ込み、今度は着替え一式を出す。
「あの…何も聞かないんですか?」
 差し出した着替えを前に、ハジメは何故か困ったような表情をした。俺はカウンターにある灰皿に煙草を置く。
「聞くって、スリーサイズとかかよ?」
「…そういうのじゃなくて」
「冗談だよ。真夜中にずぶ濡れの客が来るのも、訳ありの客が来るのも珍しくないし、蒼月亭ではずぶ濡れの客を、そのままカウンターに座らせると思われるのが嫌なだけだ」
 そう言いながら俺は手洗いの方を指さす。
「広いからそこで着替えな、ハンガーはそこにある。その間にパスタでも茹でとくさ」
「ありがとうございます」
 ハジメは礼儀正しく頭を下げると、服を持ったまま手洗いの方に向かった。
 礼の仕方は多分無意識なのだろうが、武術でもやっているようにしっかりしている。今時の若者にしては姿勢もいい。
「悪いクセだな…」
 どうしても訳ありげな客の観察をしてしまう。俺は煙草の載った灰皿を持ってカウンター奥のキッチンに向かった。

 エビとトマトの冷製パスタにコーンポタージュ、客に出そうと思っていたチョコレートケーキまできれいに食い尽くし、ハジメはようやく人心地ついたように店内を見回した。アンティークのガラスシェードにガラス瓶、こだわったテーブルと椅子。確かに未成年には珍しい物だらけだろう。
 俺は食後のカフェオレをそっとハジメの前に出した。
「コーヒーは飲めるか?」
「はい…ありがとうございます。ご飯、美味しかったです。ご馳走様でした」
 俺は自分のグラスにスコッチを注ぎ、その様子を観察する。
「ナイトホークさん、でいいんですよね」
「ああ」
「この店は、一人でやってるんですか?」
 カウンターが十席に、四人用のテーブル席が二つ。満席になればかなり忙しいが、それでも一人で何とかやっては行ける。グラスを傾けながら俺は首を横に振った。
「いや、昼間はもう一人入ってる。でも夜は俺一人でやってるよ。まあ、時々忙しいけどな」
 するとハジメはカフェオレのカップを置き、俺の顔を見た。それは何か決意を秘めたような、そんな真剣な顔つきだ。
「あのっ…俺、金も仕事も寝る場所もなくて…もし良かったら、ここでバウンサーとして雇ってもらえませんか?」
「はい?」
 その唐突な頼みに俺は思わず咳き込みそうになった。
 確かに様子から見て金は持ってないだろうとは思っていたが、まさか「雇ってくれ」と言われるとは思っていなかったのだ。しかもバウンサー…用心棒など、今のところ必要ない。
 真剣なハジメの顔から目をそらすように、俺はベストの胸ポケットからシガレットケースを出した。何か引っかかるとは思っていたが、このせいか…。
「待て、話が見えん。まずある程度の身の上から話せ、話したくないことは話さなくていい。だけど、とりあえずこれだけ聞かせてくれ。お前いくつだ?」
「十七歳です」
「学校は?」
 ハジメは黙って首を横に振る。俺はそれを見て、天を仰ぎながら煙草の煙を吐いた。
 これは…訳あり中の訳ありっぽい。十七歳の口から「バウンサー」など、一体どんな育ち方をしてきたんだか。
「俺、家出してきたんです。理由は言えないけど、衝動的に家から逃げたくなって…」
「何で東京に?」
「分かりません。ただ、とにかく必死に歩いてきたらここに着いたんです」
「なるほど…」
 きっとハジメも東京に『呼ばれた』者の一人なのだろう。
 この街は時々そうやって人を呼ぶ。人と違った世界が見える者、心に傷を負った者、そして俺のように人ではない者…。どこから逃げてきたのかは分からないが、それを追い返すつもりはない。
「あのさ、用心棒って言うからには腕に自信があるのか?」
「はい…」
 仕方ない。俺は溜息をつきながら煙草を消し、蝶ネクタイを外した。
 多分ハジメは逃げてきたばかりで視野が狭いのだ。とにかくこの街にやってきて、そして何とか生きていく術を探そうともがいている。それはまるで昔の自分を見ているようで、微笑ましくもあり苦々しくもある。
「服が乾いてたら着替えろ。俺の服だと袖と裾が余って動きにくいだろ?そんなに自信があるなら一戦交えてみようぜ」
 その言葉にハジメの顔が急に引き締まる。やっぱり何処かで武術でもやっていたに違いない。
「手加減できませんよ。いいんですか?」
「手加減したら意味ないだろ。雇う雇わないはそれからだ」

 外はまだ雨が降っていた。
 店の前には人影もなく、動き回るのにはちょうどいい。ハジメは少し体を動かし、俺の顔を真っ直ぐ見て構えを取った。
「後悔しないでくださいね」
「それはこっちの台詞だよ」
 その瞬間、ハジメが素早く俺の懐に飛び込んでくる。息を整える暇もなく、その動きは研ぎ澄まされたように鋭い。
「早い…!」
 その手刀を俺は間一髪左手で受け止めた。その隙にハジメの膝が目の前に来て、俺は思わずのけぞる。
「避けた?」
 ハジメがそう言いながら俺と距離を取った。
 これは、実戦武術だ…左手に感じる重さ、風を切る音でそれが分かる。
 ハジメが身につけているのは「人を殺せる技」だ。俺が今避けられたのはひとえに「生きてきた長さの違い」だけで、もしハジメが大人になって完成された体になれば、最初の一撃もかわせるかどうか。だが…。
 俺は左手の人差し指をちょいちょいと動かし、ハジメを挑発する。
「なるほど、自信があるわけだ。でもまだちょっと足りないな」
「まだですか?次は当てます…!」
 ハジメが真っ直ぐ俺に向かって飛び込んでくる。顔をめがけた容赦のないフィンガージャブ…俺はそれをあえて避けず、右手に隠し持っていたスキットルの液体をハジメの顔にめがけてかけた。顎に来る衝撃に朦朧としながら、俺は何メートルか吹っ飛ばされて派手に転ぶ。
「痛ってぇ…」
 何とか起きあがりハジメを見ると、ハジメは右目を押さえながら俺の方を見ていた。スキットルの中に入っていたスコッチが目に入ったのだろう。それでも必死に戦闘の構えを取っている。
 俺は自分のシャツとズボンを確認した。ベストを脱いできたのは正解だった…両方とも一気にすり切れて、とても使い物にはなりそうにない。
「強いのは良く分かったが、お前さんはちょっと真っ直ぐすぎだ。ここの客は俺みたいに卑怯な奴が多いんだ…さて、中入るか」

 ハジメと俺はタオルを肩にかけたまま、店の中で顔をつきあわせていた。目の前には暖かいブランデーエッグノックが置いてある。無論ハジメのには、体が温まる程度のブランデーしか入れていない。
「………」
 ハジメは無言でじっとカウンターを見ていた。不意をつかれたのが悔しかったのか、それとも追い出されるのが怖いのかは分からないが、その表情は店に入ってきたときのように暗い。
 俺はカクテルを飲みながら大げさに溜息をつく。
「はぁ…ハジメに殴られたときに首の筋違えて、痛てぇ痛てぇ」
「すいません…」
 ポタ…とハジメの前髪から水が落ちる。
「これじゃ、昼間はいいとしても明日の夜大変だ。今日は客いないけど、これでも毎日結構客入るんだぜ」
 ハジメは無言のままだ。その様子を見ていると、本当にまだ十七歳なんだなと思う。それもかなり純真だ。実際殴られたダメージなんかとっくに回復しているし、筋なんか違えちゃいない。
 俺は伸びをしながら、もう一度意地悪く溜息をついた。
「こりゃ、明日から夜に一人増やさないとやってけそうにねぇわ。慰謝料代わりに、バウンサー兼従業員として頑張ってもらうぜ」
「えっ?」
 ハジメが顔を上げて俺を見た。それに俺はニヤッと笑い返す。
「聞こえなかったのか?明日から頑張ってもらうって。このビルの二階に部屋もあるし、生活必需品がそろうまでは俺の部屋に泊めてやる。三食住居付きで休みは週二回、それじゃ不満か?」
 さっきまで暗かったのが嘘のように、ハジメの表情が明るくなってくる。
「本当に、いいんですか?」
 傷ついてここにやってきた奴を門前払いするほど、俺だって鬼じゃない。これも何かの縁だろうし、夜に一人欲しかったのは本当の話だ。
「まずはとにかく服だな。ここの客は服装とかに厳しいから、朝になったら体に合ったシャツとズボン買いに行くぞ…ああ、一つだけ条件あったわ」
「なんですか?」
「明日から働くときは十八歳な、ハジメ。じゃないと俺が捕まる」
 そう言った瞬間だった。
 今までずっと緊張気味で無表情だったハジメが声を出して笑う。それを見ながら俺は煙草に火を付けた。
 やっと普通の十七歳っぽい顔になった。そのうちここの個性的な客達に揉まれて、だんだん表情も豊かになっていくだろう。ハジメがどこからやってきたのかなどは、話したくなったときに話せばいい。
「あはは…分かりました、ナイトホークさん。明日からよろしくお願いします」
「さて…それ飲んだら掃除するか」
「はい!」
 それを聞き、俺は立ち上がりすれ違いざまにハジメの頭をくしゃくしゃ撫でた。ハジメはまるで初めて頭を撫でられた子供のように、嬉しそうに笑う。
「よし、いい返事だ」

fin

◆ライター通信◆
初めまして、ご指名ありがとうございます。水月小織です。
バウンサーとして雇ってもらう話…との事でしたが、用心棒が必要な事があまりなさそうなので「バウンサー兼従業員」と言う形にしました。きっとこれからナイトホークの言うように、個性的な皆(ナイトホーク含む)に囲まれて成長していくのだと思います。
従業員…と言うことですが縛りは特にないので、お休みの日などにはどんどん出かけてください(笑)
戦闘シーンも入れてみましたが「純真vs狡猾」になりました。
今回初めてナイトホークの一人称で書いてみましたが如何だったでしょうか?リテイクなどがあれば遠慮なくお願いします。
では、また窓開け時などの時はよろしくお願いします。