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<東京怪談・PCゲームノベル>


人形博物館、見学 〜邂逅〜

 それは――
 久々津館の面々と花見に出かけたその時からほんの少しだけ遡った。
 三月の、半ば頃のお話。
 その日から。
 アリスは『パンドラ』の常連になった。

 小さな店構えのアンティークドールショップ『パンドラ』。
 そして、その向かいにひっそりと佇む洋館。
 今となっては、見慣れた光景だけれど。
 何年も前から訪れていたような気さえするけれど。
 でもその時が、初めてだった。
 それが久々津館との、出会い。

 その日は――三月の半ばとは思えないくらいの寒さだった。
 空は鈍い灰色に染まって、重く垂れ込めて。
 風は強くはなかったけれど、ひんやりと冷たくて。
 気づけば、頬に当たる微かな感触。
 ちらり、ほらりと粉雪が舞っていた。

 この地、この世界に赴任してそれほど間はなく。
 少しでもこの世界の状況と、そして文化とを把握しようとアリスはよく散歩に出ていた。
 そんな中で。
 独特な雰囲気のある館を見つけた。
 洋館というだけでも、周囲からは浮いている。
 でも、それだけではない、何か。
 不思議な気配のようなものを、感じた。
 周囲で話を聞いていると、その館の中には『人形博物館』があるという。
 他に得られたのは、久々津館という名と、人形博物館にまつわるいくつかの噂。
 いつのまにか予感は、好奇心に取ってかわっていた。
「行ってみようか、な」
 少しだけ逡巡のニュアンスを含んだ独り言。けれど、足は確実に館へと向かっていた。アンジェラを連れたまま、門をくぐり、敷地に入る。

 扉までの石畳はそれほど長くもなく。
 ほどなく、大きな構えの扉にたどり着く。
 見回してみると。
 扉の脇には、『人形博物館:入り口はこちら どうぞお入りください』とプレートが下がっていた。
 アンジェラに手伝ってもらい、両開きの扉を押し開ける。
 その先は、そこそこの広さのホールになっていた。
 明かりは薄く、暗闇が靄のようにかかってはいたが、古い建物特有の黴臭さは感じない。埃っぽくもない。掃除が行き届いているのだろう。
 ホールの奥には、受付とおぼしきカウンターが見える。
 しかしそこには、誰の姿もなかった。
「ん……誰か、いませんかー? 博物館、見学させていただきたいのですけれどー?」
 張り上げるといったほどではないが、少し大きな声を出してみる。
 アリスのよく通るその声は、しかし虚しくホールの中で響きあい、やがて少しずつ吸い込まれるように消えていった。
 ――ひょっとしてもう、潰れたところ、なのかな……?
 そんな疑問が頭をかすめる。
 そして。
 もう一度だけ声をかけてみよう、と息を吸い込んだときだった。
「お一人様、500円に、なります」
 背後からの、突然の囁き。
 慌てて振りかぶると。
 そこには、黒髪の女性が立っていた。
 背もそこそこ高く、美人ではあるが――表情は、仮面でもつけているかのように微動だにしない。そこには、全く感情というものが存在していなかった。
 それにしても、物音どころか気配すら全くなかった。
 それらの要素が、一瞬だけ、アリスを硬直させる。
 でも、それは本当に一瞬だけ。
「こんにちは! 人形博物館って、こちらでいいんですよね? これ、二人分、千円です。よろしくお願いしますね!」
 元気良く挨拶をして、お札を取り出す。
 相手は差し出されたお札を受け取った。そして、無人だったカウンターの内側に収まり、千円札をしまう。続いて、カウンターの中から何かを取り出す。
「これ、おつり、です」
 彼女はそう言うと、手につまんでいた硬貨をアリスの掌に乗せようとした。
「え、いえ、姉と二人分です。一人五百円ですよね?」
 その手をやんわりと押し返しながら、アンジェラと自分とを指差す。
 しかし、それでも相手は譲らなかった。
 ただ首を振って、硬貨を差し出す。
 アンジェラが人間ではないことに気づいているのだろうか。
 だとしたら、余計に調べておかなければならないだろう。噂もあながち真実なのかもしれない。
 そんな言葉に出さない呟きで期待感を軽く包みながら、アリスは炬と名乗った受付の女性が指し示す入り口をくぐるのだった。

 人形博物館は、外から見た館の印象よりもかなり広かった。
 暗めの照明。その中に、浮かび上がるように並ぶ人形たち。古今東西のその人形たちの無機質な瞳は、なるほどそれだけで恐怖心を煽る。
 順路に従って廊下を、部屋を抜けていく。
 どうやら部屋ごとに、地域、年代が分かれているらしい。
 ヨーロッパ、アジア。日本は別部屋になっていて。
 さらに、時代は古いところから新しいところへと遡っていく。文化が変わっていく様が体験できるような、そんな作り。地域、時代ごとに雰囲気を違える人形たちは、見ているだけで中々楽しい。
 ただ、気になるのは。
 人形のことにある程度詳しいとは言え、決して専門家ではないアリスから見ても分かるほど、はっきりと『そぐわない』人形がちらりほらりと見受けられることだった。
 そして。
 そういった人形に限って。
 ふと、背を向けたときなどに。
 なぜか――視線のようなものを感じるのだった。
 それも、一度きりではなく。何度も、何度も。
 ぞくり、と背筋が寒くなるような感覚。
 普通だったら、気味が悪いと、怖いと感じるのかもしれない。
 だけれどアリスは違った。
 やはり、ここには何かある。
 そんなことを確信して。
 逆にそういった怪しい人形を、こちらからじっくりと凝視してみたりする。
 そんなことを繰り返しながら、相当にゆっくりと見て周っていると。
 ずっとそうしてきたように、『順路』と貼られた扉を開けると。
 そこは、明らかにこれまでと違っていた。
 短い通路。行き止まりには、木製の扉。
 薄暗いという点には変わりはない。ただ、何と言うか――無造作なのだ。
 これまでのところは、質素な作りではあるが、装飾はされていた。博物館としての体裁は整えていたのだが。その短い通路は、行き止まりに見える扉も含めて――手が入っていない。倉庫、と言った単語が頭をよぎる。
 どこで間違えたのだろうか。いや、さっき『順路』と書かれた扉を開けたばかりだ。間違えるわけがない。
 ――おいで――こっちだよ――
 戻ろうか、とそう考えて、踵を返したときだった。
 そんな声が、微かに。
 振り返る。扉が見える。他には何もない。
 ――おいでよ――
 確かに、聴こえた。扉の向こうから。
 どうしようか。
 頭に浮かんだ迷いは、しかし一瞬だった。
 好奇心と理性が天秤にかけられて。
 アリスは、扉に手をかけた。
 ゆっくりと、押し開く。
 警戒はしていたつもりだった。
 しかし。
 その瞬間、扉の向こうの暗闇から、足元にめがけて。
 何か、影がよぎる。
 ちょうど、足首のあたり。すくわれる格好になる。
 バランスを――崩す。
 短い、小さい悲鳴があがる――けれど。
 咄嗟に、アンジェラが動いた。すかさずアリスの身体を支える。
 そこへ追い討ちをかけるように、小さな影が飛び掛る。
 今度は先んじて、アンジェラがアリスをかばうように前に出て――素早い動きで抱えるようにして身をかわす。
 ぎゃひん。
 ぶつかるべき目標を失ったそれは、奇妙な声を上げて床に突っ込んだ。
 追い討ちをかけるように、アンジェラが動こうとする。
 が、アリスは遮るように腕を出し、やんわりとそれを止めた。
「おイタはダメですよ」
 緊張感の欠片もない、優しげな、ゆったりとした声。
 そこには恐怖が全く感じられない。
 ささやかな微笑。だからこそ、印象に残る。
 小さな影の、動きが止まった。
 ようやく、その輪郭がはっきりと見えてくる。
 それほど背が高いわけではないアリスの、その膝までもない背丈。
 和装の、平安時代? のように見える出で立ちに、手には笛のようなものを持っている。
 描かれた張り付いた無表情の、墨を引いただけの目鼻、唇。温かみを感じない肌。
 明らかに――人形だ。すっくと立ち、こちらを睨みつける、爛々と輝く瞳を除いては。
 声などしないのに、唸り声が耳を打つかのように感じるほどの視線。
 どんな道程をとどってきたら、こんなに強い――痛々しい光を湛える瞳を持つことができるのだろう。
 少しだけ、哀しくなる。
 思わず、腕が伸びる。手を差し伸べようとして。
 ゆっくりと近づく、指先。
 まさに、石膏のような白い頬に触れようかという、そのとき。
 墨を引いてあるだけに見えた口の部分が、大きく開く。
 その中は、何も見えない。ただの黒。闇。
 それが、指先を吸い込むように、食らいつく。
 アンジェラはもう動かない。アリスがどうしたいか、分かっているかのように。
 右の人差し指を飲み込まれたまま。
 左の腕を伸ばす。広げた小さい手が、それよりもさらに小さい相手の顔に添えられる。
 光が――揺らぐ。
 燃えるような、瞳の光が。揺らいで、少しだけ、穏やかになる。
 触れられていた瞬間から暴れていた手足が、徐々に落ち着き。
 そして、静かになった。
 張り詰めて淀んでいた空気はどこかに消えていっていて。

 アリスは表情は、いつのまにか、ささやかな微笑から、穏やかな笑顔へと変わっていた。
 空気の変化は、その笑顔がもたらしていた。

「あらあら。すっかり毒気抜かれちゃって」
 背後から声がかかる。
 振り向くと、そこには女性が立っていた。
 緩やかにウェーブのかかった金髪。大きめの碧眼は、整った顔立ちと合わせて、はっと目が覚めるような美貌を作り上げている。
「貴方、お客様かしら。人形博物館にようこそ。私は、この館の向かいでお店をやってる、レティシアと言います。どうぞご贔屓に」
 そこまで語ると、花が咲いたかのような笑顔とともに、流麗な動きで背を折る。芝居がかっているのに、嫌味を感じさせない。まるでそうすることが自然であるかのように。
「ここは、変わったところですね。ちょっとびっくりしました」
 言いながらも、アリスの表情には驚きなど微塵もなかた。屈託のない笑顔だけがそこにはある。
「あはは。面白いわ、貴方。まだ若そうなのに、結構落ち着いてるし。でも、助かったわほんと。その子、しまわれるのが嫌で飛び出しちゃってね。探してたのよ」
 アリスの手の中に納まっていた和装の人形を、そっと抱くように受け取る。もう観念したのか、人形は先ほどまであれほど生気を持って動いていたのが信じられないほど大人しくなっていた。
「気になっていたんですけど、その子、どんな人形なんですか。日本の物だというのは分かるんですけど」
 その姿を見たときから頭の片隅に引っかかっていた疑問を投げかける。
「あー……そうか、日本の文化にあまり詳しくないかな? これはね、五人囃子、って言ってね、三月三日、桃の節句に飾る人形たちの一人なのよ。桃の節句は、雛祭りとも言ってね、女の子が主役のイベントなんだけど」
 そこまで説明を受けたところで、思い出す。雛祭り、桃の節句のことを。赴任にあたってその先の世界や国の文化は学んだつもりだったが、知っていることと、実際にそれを目の前にあるものとつなげて喚起するということは違い、意外と難しいものだ。
「そうね、せっかくだから、ちょっと別の部屋でお茶でもいかが? そこで、雛祭り体験させてあげる。もう一回活躍の場があるってことなら、この子も多少は納得するだろうし」
 五人囃子の人形を指で軽く撫でるようにしながらの、お誘い。
 断る理由などどこにもなかった。

 案内されるままに館の中を歩き、中庭を抜ける。
 いつしか、粉雪は止んでいた。
 それが、アリスが久々津館の常連となった、最初の日のことだった。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【6047/アリス・ルシファール/女性/13歳/時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】

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■         ライター通信          ■
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 伊吹護です。
 この度は発注ありがとうございました。
 前回に引き続いての発注、ありがとうございます。
 アクションをもとに、こんな感じでまとめてみました。
 ホラーっぽい部分はかろうじてほんの少し、隠し味スパイス程度で、どちらかといえばゆったりした雰囲気が出せていれば思惑通りなのですが、いかがでしたでしょうか。
 今後もよろしくお願いいたします。