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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


露天風呂の日


 6月26日は「露天風呂の日」らしい。

 草間興信所‥‥東京の片隅にひっそりと存在しているそこを知る者はそう多くない。それは、愛想のない鉄筋作りの古い雑居ビルの一室に居を構えていた。しがない探偵・草間武彦と、探偵見習いであり妹である草間零が細々と経営している興信所である。
 興信所という看板を掲げながら、扱う内容は千差万別。来るもの拒まず。否、慢性的な経営難から拒むことなどできないのだ。尤も、最近は所長も観念したようで一様に「何でも屋」と化しているようだが。

「兄さん、6月26日は『露天風呂の日』なんだそうです。温泉宿の無料招待券を頂きましたから、皆さんと一緒に行きませんか?」
「‥‥無料、なんだな。じゃぁ、適当に面子を揃えておいてくれ」
 草間は新聞を読みながら、適当に相槌を打った。
 遡ること数日前。
 零はアトラス編集部の碇麗香に呼び出され、白王社を訪れていた。
「こんにちは、零ちゃん。実はお願いがあって〜」
 しなを作りながら、麗香はチケットのようなものを机の上に置いた。
「はい、これ。露天風呂温泉宿の招待券なの、よかったら武彦たちと行ってきて。勿論、いつもの通り記事にするつもりだから、しぃーっかりレポート持ってきてね!」
「はい、分かりました! いつもありがとうございます」
 零はニッコリ笑い、深々と頭を下げた。
 そう、零が時々興信所に「無料○○大会、無料○○券」やらの行事ごとを持ち込むのは、実は麗香の差し金だったのだ。
「前回のもバッチリだったから、今回も宜しく! 原稿料も弾むから」
 零の両肩を叩き、麗香はホホホと笑いながら自分のデスクへ戻っていった。

 不甲斐ない兄のために妹が内職していることを、まだ誰も知らない――。

□ シュライン・エマを誘う
 興信所へやってきたシュライン・エマに、零はにっこり笑いながら「よかったら一緒に」と宿の招待券を見せた。
「温泉? いいわねぇ。零ちゃん、お誘いありがと」
――で。潮干狩り同様、無料にはきっとなにか理由があるのね‥‥。
 招待券を手に取ると、シュラインはハザマ海岸での無料潮干狩り大会のことを思い出していた。確かに『無料』ではあったものの、実際は「海岸で起こっている怪奇現象を調査・解決して欲しい」という大いなる陰謀と漁業組合の思惑があったのだった。なんだか、今回もその影がチラ付いている気がしないでもない。
 しかし、よく見れば宿泊先は有名な温泉観光地。本来なら宿を取るにも一苦労するはずだ。何かあったら、それはその時に考えればいいわね、と草間の背中を見ながらシュラインはほくそ笑んだ。

□ 櫻・紫桜を誘う
 校門の前で傘をクルクルさせて待っていた零は、にっこり笑いながら櫻・紫桜(さくら・しおう)に「よかったら一緒に」と宿の招待券を見せた。
「こんにちは、零さん。結構有名な温泉街じゃないですか、いいですね。でも、俺が行ってもいいんですか?」
「ええ、ぜひ。一緒に遊びに行きませんか?」
 零によると、今回の集まりには高校生が多いのだとか。どうせなら同世代のほうが好いだろう、と零は紫桜を誘いにきたのだと云う。
「はい、それではご一緒させていただきます」
 紫桜は微かに微笑み、零に頭を下げた。
 当日は草間興信所に集合だという。せっかくの零からの誘いである。平日ですが、一日ぐらいなら羽目を外しても良いでしょう。しとしと降り続ける雨のを眺めながら、紫桜は独り言つ。

□ 菊坂・静を誘う
 学校からの帰り道、菊坂・静(きっさか・しずか)は、カフェのカウンターで男と立ち話をしてる零の姿を見付けた。このカフェは『ノクターン』という。本当は「ネットカフェ」らしいのだが、ケーキ類も侮れない。
「あ。こんにちは、静さん。ここを通ると思ってましたv」
 零はにっこり静に笑いかけると「よかったら一緒に」と宿の招待券を見せた。
「温泉ですか。ここって確か、予約取るの大変なんですよね」
 零に渡された招待券を見ながら、場所を確認する。しかし、なんだか視線を感じ顔を上げた。先程まで零と喋っていた男が、どうやら静を見ているようだ。話しに割り込んだようで、なんだか気まずいような気分になった。はにかむような苦笑を浮かべ、静は男を見る。
「スミマセン‥‥なんだか僕、お邪魔してしまいましたか?」
「ああゴメン、違うんだ。君、たまにウチに来てるよね? ガトー・ショコラ、クリームなしの子」
 男はカウンターに肘を突きながら、手首をひらひらさせた。生クリームの苦手な静は、確かにいつもガトー・ショコラを「クリームなし」で頼んでいた。カウンターの中に居るということは、この店の関係者なのだろう。
 少し曇った表情の静を察したのか、零は、
「雷火さんっていうんです、兄さんが時々お世話になっているんですよー。この店のオーナーさんなんです」
 道理で、云われてみれば見掛けたことがあるかもしれない。静は微笑み、肩を竦めた。
「草間さんのお知り合いなんですか。僕は菊坂静といいます、初めまして」
「うん。でもオレは君のことよく見掛けるから、初めてじゃないけどね」
 よかったら紅茶でも飲んでいってよ、と雷火は空いているテーブルを指差した。

□ 桜井・瀬戸は悪友に誘われる
「瀬戸ー。お前、温泉とか興味ある?」
 桜井・瀬戸(さくらい・せと)が教室で怪奇雑誌を読んでいると、悪友が話し掛けてきた。瀬戸は顔を上げただけだったが、悪友にはそれが「興味がある」と云っていることがちゃんと伝わっているらしい。
「オレの叔父さん、温泉宿を経営してんだけどさぁ。6月26日は『露天風呂の日』とかいうのらしくて、組合から宿の空室出すなって云われてるらしいんだよ。お前、一緒に温泉行かね?」
 悪友はそう云い制服のポケットから折り畳まれたチケットを出した。瀬戸はそれを受け取り、目を走らせる。地名は聞いたことがある、結構有名な温泉街だと記憶している。それに、どうやら割引券ではなく無料招待券。つまり、宿代は無料、ということらしい。それならば断る理由など特にない。
「‥‥ん、行ってもいい。平日だけど、中間テスト前の『戦略的休暇』で、いいんじゃない?」
 自分の性格を理解する悪友だけに通じる笑顔を向け、瀬戸は雑誌を閉じた。


 さて、6月26日当日――。
「こりゃあ‥‥『適当に』面子を揃えておいてくれ、とは確かに頼んだが‥‥零よ」
 シュラインと雷火、紫桜(15歳)、静(15歳)、そして雷火に拉致されてきた井上洸(18歳)‥‥。
「フフッ なんだか、修学旅行の引率みたいね」
 そう云ってシュラインは笑った。零も云ってみれば外見は十代半ばの少女のようではあるし、たまには同年代(?)の者たちと喋りたかったのかもしれない。
 今日は人数が多いので電車で移動、ということになっている。一行は駅へ向かってゾロゾロと歩き出した。
「あー、いつも武彦のお抱え運転手だからさぁ。今日はいいねぇ、ラクで」
 特急列車内の座席に座り、雷火は伸びをしながら草間とその隣のシュラインを見る。
「今日は少し遠いしな。電車のほうが速そうだろ、特急だし」
「そうね、それに雷火さんって結構呑むものね。若葉マークの洸くんにあの車を運転させるのは、ちょっと、ね」
『あの車』とは、草間興信所で事あるごとに雷火が出す、白い(正しくはダイヤモンドシルバーである)ワゴンのことだ。大きい車体なので車内も広く乗り心地は良いのだが、免許取立ての人間が運転するには手に余る車種といえる。
「そんな事だったら、僕は丁重にお断り致しますよ‥‥」
 とぼとぼ付いてきた洸の背後はなんだか暗い。
 隣のボックス席を陣取った年下の者たち(年齢不詳の者、若干一名)が、宿についてなにやら話している。
「今日泊まるお宿は、浴衣の柄がいろいろ選べるんですよ。どんな柄がいいですか? 紫桜さん」
「浴衣ですか。浴衣も良いですが、甚平のほうが動きやすそうですね。静くんはどうですか?」
「僕は‥‥白地の浴衣が良いなぁ。本当は、真っ白が良いんですけど」
 それを聞いて、零はごそごそとパンフレットのようなものを広げている。
「あ、男性は甚平もあるみたいです! 柄物もいろいろあるのが宿のウリみたいですから、静さんの気に入る浴衣もきっとありますよ」
 零はにっこり微笑いながら、浴衣について書かれている部分を指し示し静と紫桜に見せた。

 都心から特急列車で約2時間弱。
 駅を出るとそこは、古びた(これは、褒め言葉である)温泉宿が軒を連ねていた。目指す宿は、温泉街のやや奥の川岸に建っている。
「わぁ、広い部屋ですね。それに、見晴らしもとってもいいですよ」
 窓際に寄り、菊坂静は崖下を見下ろす。やや深さのありそうな、ゆっくりとした流れの川が広がっている。対岸の木々は霧雨でしっとりと濡れ、深い緑を呈していた。静の感嘆の声を訊きながら、櫻紫桜は宿の主人の言葉を思い出していた。
「‥‥ご主人は何故草間『様』ではなく、草間『探偵』と確認したんでしょうか?」
「そのことなんだけど‥‥多分、この宿には何かあるんだと思うの。前もね、あったのよ」
 草間がその場に居ないことを確認し、シュライン・エマは紫桜と静、洸を手招きした。
「春先に無料潮干狩り大会に行ったんだけど、蓋を開けてみれば『海岸で起こっている怪奇現象を調査・解決して欲しい』ってことだったの。だから、この宿にも何か問題があって、それを調べて欲しいとかそんな思惑が隠れている気がするのよね」
「シュラインさんは、それを分かっていて今回も参加されたんですか?」
 静はやや驚いたようにシュラインを見詰めた。
「だって‥‥この温泉街の宿、お高いし、シーズンだと予約取るの大変なのよ?」
「それはそうですけれど‥‥シュラインさんって意外とご都合主義なんですか?」
「静くん、それは少し失礼ですよ。せめて楽観主義とか」
「‥‥言葉がちょっと違うだけで、どっちも云ってる意味は一緒なんだけど、紫桜くん。まぁ、でもとにかく。せっかく来たんだから、温泉を楽しみましょ」
 ちょうどその時、草間と雷火が喋りながら部屋に戻ってきた。草間の口調は少し荒れている。
「おい。ここの露天風呂、片方整備中で入れないらしいぞ。夜までは男女入れ替え制だとよ!」
「今は女性の入浴時間らしいから、シュラインと零は早く行ってきなよ」
 あと40分位みたいよ?と腕時計を指しながら雷火は云った。その言葉を聞いてシュラインと零はいそいそと準備を始め、あっという間に部屋を出て行った。
「草間さん、入れ替え制なことがそんなに腹立たしいんですか?」
 苛立たしげに煙草を吸う草間を、紫桜は正座しながら見る。
「違う! さっき、瀬戸に会ったんだ‥っと、お前らは会ったことないか。とにかく、知り合いに会ってな。なんでも露天風呂が整備中なのは、お湯の色が変色しちまって使い物にならんらしいんだ。それはまぁいい。そしたらあの野郎『ああ、変色の原因を調査しにいらしたんですね?』とか抜かしやがる。零のヤツ、またどっかから変な話しを持ってきたんだなっ」
 紫桜と静は顔を見合わせ、心の中で『やっぱり』と呟く。だから「草間『探偵』様ですね」とあの主人は聞いたのだ。
「少し前なんだけど、突然お湯の色が変わっちゃったんだってさ。もともと露天風呂は男女日替わりだったからどちらの風呂がっていう訳じゃないけどね。変色したときは女湯の日だったらしいよ」
 あとを引き継ぐように雷火が喋りだす。草間は三本目の煙草に火を点けていた。
「女湯の日に色が変わる露天風呂‥‥それって、まさか赤色に変色して、更に周辺が少し鉄臭くなったりしないですよね?」
 爽やかな笑顔で、静はさらりと云った。
 草間が唇からぽろりと煙草を落とす。隣に居た紫桜が、畳に落ちたその煙草を素早く拾った。
「‥‥っ! 静。頼むから、女性陣のいる前でそんなこと云うなよ? お前のその顔で云われると、なんだか凄い卑猥なこと云われてる気分になるから。お願い」
「うん、軽いセクハラかも」
「いえ、雷火さん。軽いどころか、かなり‥‥」
 最後は紫桜も少し赤くなり俯いた。
 確かに、女性を目の前にしたら少々失礼な話しではあるが。こんなことぐらいで赤面しないで欲しい、小学生じゃあるまし。と、女系家族を持つ洸は思った。

「‥‥桜井、瀬戸です」
 男性陣の入浴も終わり寛いでいると、草間の云う『知り合い』の瀬戸がやってきた。18歳、彼も高校生である。
 なんでも、ここは瀬戸の友人の親族(瀬戸にしてみれば他人だ)が経営している宿らしい。瀬戸は、事前に悪友から温泉の色が変わったことを聞いていた。
「会ったとき、お前が俺に云ったこと皆に説明してくれ」
「え、面倒くさいんですけど」
「俺も面倒くさい、パス」
「じゃぁ、オレが云う。お湯の色が変わったのは、2月頃。もともとの色は‥‥みんなさっき露天風呂に入ってきたから分かると思うけど、乳白色だね。で、隣の湯船は真っ黒になってた。色が変わったときにお湯を抜いて確認したらしいけど、湯船が変色してる訳でも、混入物があった訳でもないみたい。成分は全く一緒だったらしいから」
「そうですか‥‥原泉の分岐箇所で、色が変わった方に何か混ざっているのかとも思ったのですが、違いますか」
 紫桜は推理していたことが否定され、雷火の言葉に顎を擦った。
「私も見てきたんだけど。湯船にお湯が入ると色が変わるみたい。ここって原泉掛け流しなんだけど、湯船に入る直前のお湯はちゃんと白いの。で、流れ出るお湯も」
「ええ、ちゃんと乳白色でしたね。僕も見てきました」
 シュラインと静が続く。
 つまり。
 お湯はどちらも同じ成分、片方の湯船の中だけお湯の色が黒く変わる、掛け流しの排出側も色は同じ乳白色。
「数百年続く温泉街ですから、イロイロ居ますよ?ココ」
 瀬戸がしれっと締めた。皆が心の中で考えている通り、多分、原因はアッチ系の話しなのだろう。
「なんだよ、イロイロ居るって」
 草間は瀬戸を睨み付けながらグラスに注がれたビールをあおる。シュラインは草間の傍にあったビール瓶を手の届かないところにそっと隠した。
「ああ、草間さんは『見えない』人なんでしたっけ」
「‥‥やっぱり。居るよね、ソコ。気になってたんだけど」
 瀬戸の言葉に静が反応する。言葉にこそしないが、紫桜もずっと違和感を感じていた。そして、残念ながら洸にもソレは見えていた。
 四人は草間ではなく、その左隣をじっと見詰めている。少年たちの只ならぬ態度に、シュラインと雷火も草間の左隣を見る。
「な‥‥なんだよ、お前ら」
「兄さん、不安だったら見えるほうがいいですか?」
 オレンジジュースを飲んでいた零が小首を傾げた。その言葉に、草間は横目で自分の左を見る。
「今、なんと仰いましたか零さん」
 草間は何故か敬語になる。
「ですから。見えたほうがいいですか、お隣の方?」
 居るんだ‥‥。
 シュラインは小さく息を吐く。その動作が、草間にはまるで自分を馬鹿にして笑っているように見えた。
「なにが可笑しいんだ、シュライン? お殿様と腰元ゴッコするぞ?」
「‥‥なにそれ。別に笑ってないし、私」
 ビール瓶を隠すのが少し遅かったようだ、草間はすでに酔っている。
「せっかくなので、お話しを聞きましょうか? 零さん、お願いします」
 紫桜は零に向き直って目配せする。零は「はい」と微笑んだ。
 ほどなくして。そこには、甚平を着た(服装から察するに)男の子供が座っていた。
「‥‥名前は?」
 顔を手で擦りながら、草間は呻くように尋ねる。一気に酔いが飛びそうだった。
『お前が先に名乗れ、ド阿呆』
 なんだか聞き覚えのある遣り取りのような気もしたが、シュラインは黙って聞いていた。
「云えってば」
 瀬戸は子供の後頭部をパシーンと叩く。反動で子供は前のめりになった。瀬戸を振り返るが、叩かれた部分を擦りながら不満そうに口を尖らせながら云う。
『‥‥アズマ』
「アズマか。で、一体何者なんだ? キミは」
『‥‥‥』
「何者なんだい?」
『‥‥隣の宿の、付喪神だ』
「付喪神か。で、一体何なんだよこれは!」
 草間はアズマを指差して瀬戸に怒鳴る。瀬戸は相変わらず無表情で草間を見ていた。いや、草間には無表情に見えるだけで、瀬戸自身は草間の反応を楽しんでいた。
「だから、隣の露天風呂の付喪神くんですよ。お隣の宿はまだ歴史が浅いので、具現化するとこうなるんです」
「そういうものなのですか?」
 紫桜はじっとアズマを見ていた。同じような甚平を着ているからか、なんだかミニチュアの自分を見ているような気分だった。実際、ちょっと似ている。
「カタチなんてどうでもいいじゃない。ね、ジュース飲むかい?」
 傍らにあったオレンジジュースの瓶を持ち、静はそれを揺らす。アズマが大きくコクリと頷くので、新しいグラスを取ってジュースを注ぎ、静はアズマに手渡した。
「もし、知ってたらでいいんだけど。この宿の露天風呂のお湯がどうして変色しちゃったのか、聞かせてもらえるかしら?」
 ジュースを飲んで一息ついたアズマに、シュラインは話し掛けた。口元を手の甲で拭って、ハーッとため息を付いた。
『あの夫婦なー、俺たちも困ってんだよなぁ』
 皆に丁寧に扱われたせいか、その後アズマはペラペラと話し始めた。瀬戸よ、お前は一体アズマに何をしたんだ。
 この宿の露天風呂には、それぞれ付喪神が居る。男と女、めおとの付喪神だ。別段仲が悪いという訳ではない、むしろ仲が良くて有名なほどだった。
『ほら、アレ『卒業旅行』とか云うんだっけ、二十歳そこそこの人間が集団で来るヤツ。だから、2月くらいかな。そん時にあの二人が大喧嘩して、色が変わったみたいなんだよなぁ』
「喧嘩の理由は、なんだったか分かる?」
 空になったグラスに再びジュースを注ぎながら、静は尋ねた。
『さぁな、理由は分わかんねぇけど。どうせだったら本人に聞いてみたら?』
 顔を見合わせて、皆頷いた。当事者に聞いたほうが早いかもしれない。

『‥‥なんの用だ?』
 変色した露天風呂、零によって具現化された露天風呂の付喪神は千代という女性型だった。千代は湯船の中央にある岩の上に腰掛け、腕を組んでこちらを見ていた。着崩した着物の裾から覗く素足がなんとも妖艶であるが、瀬戸はあまり興味がなかった。
「千代さん。どうしてお湯の色を変えてしまったんですか? 宿の皆さん、困っていらっしゃるようですよ」
 紫桜は目のやり場に困って、目線を逸らしながら千代に話し掛ける。脚をお湯にチャポンと付けて、千代は所在なさげに足首をぐるぐる回した。
『困っていることは知っている。だが、許せんものは許せんのだ』
「何があったの? よかったら、お話し聞かせてくれませんか?」
 湯船の傍らに膝を折って、シュラインは手でお湯を掬った。手の中に掬ったお湯は原泉と同じく乳白色だ。お湯の成分に違いがないのなら、いっそ『黒い露天風呂』として名を売り出しても面白そうだ、と思った。

 一方、乳白色の露天風呂。本来なら一般客が入浴できる営業時間内だが、宿の主人に事情を話し30分だけ人払いをお願いしたのだ。こちらの風呂の付喪神は、真之介という男性型である。具現化された真之介は見るも無残な姿だ。
「‥‥まるで、落ち武者だなオイ」
 草間のその表現は的確だった。
 髪は乱れ、着物は所々破けて、左目周りは赤黒くなっている(殴られたのだろう)。あちこちにミミズ腫れになった引っかき傷があった。
「奥さんと何があったのですか。宜しければ、お話しさせてくれませんか?」
 静は僅かに微笑んで、真之介を見た。湯船の中央にある岩の上にあぐらをかいた真之介は、こちらまで聞こえてきそうな程大きな溜息を付いた。
『ああ‥‥構わん。皆が困っていることは知っているよ。もとはといえば、オレが悪いんだしな』
 静の後方、露天風呂の入り口近くの壁に寄り掛かっていた草間は、傍らの雷火と顔を見合わせる。
「痴情の縺れですかね?」
『ち・じょ‥‥まぁ、そのようなものかもしれん』
(どうしたの、武彦?)
(‥‥いや、なんでもない)
 静のような整った顔でさらりと云われると、普通のことが淫靡で卑猥な響きを帯びて聞こえるのは何故だろうか。いや、其れは草間の頭の中が少々おかしいだけだ。

 2月。
 進路も決まり(中には決まっていない者も居るようだが)卒業を控えた学生たちは、『卒業旅行』と称し各観光地を訪れる。それは観光地のオフシーズンであり、またオンシーズンである訳である。
 二人の言い分を纏めると、このような事になる。
 以前、湯船は男女固定されていたのだが『女湯だけが狭いのは不公平である』との声が挙がり、日替わりまたは週替わりで湯船を替えることにした。熟年女性旅行者は、観光業界では宝なのだ。彼女たちの意見を蔑ろにすることはできなかった。
 それ自体に付いては、付喪神たちも特に気に留めることもなく日々湯船を見守っていたのである。
 問題は、その卒業旅行シーズンだった。
 真之介もやはり男なのである、若い女に興味がない訳はない。彼は湯船を見守るのではなく、人間の女たちを見守っていた(?)のだ。その視線に気付いた千代は烈火の如く怒(いか)った、ということだ。
「‥‥つまり。のぞきをしていた、ということですね?」
 その声に真之介は顔を上げたあと、震え上がって後ずさった。その様子から静との間に何かあったのだということは推測できるが、草間たちは静の背後にいるため、両者の間にどのようなことが展開されているのか窺い知ることはできなかった。
「千代さんは、水が濁れば人間の身体が見えないと考えたんでしょうね」
 瀬戸が傍らのアズマを時々小突きながら云う。変色した湯船、千代に話しを聞きに行っていた面々もこちらへやってきていた。シュラインは「まぁまぁ」と瀬戸を制しながら、アズマの頭を撫でていた。
「真之介さん、千代さんに謝ったの?」
「実際、どう思ってらっしゃるんですか? もう一度、じっくりと話し合ってみれば良いんじゃないかと俺は思いますけれど」
『千代は‥‥あのあとオレと口を利いてくれぬ』
 真之介は、紫桜に自嘲の面持ちで答える。その表情につられてシュラインも苦笑する。
「仲が良かったのなら、尚更よ。話し合うべきね」
『‥‥千代は美人だし、器量も良い。オレは片時も奴のことを忘れたことはないよ。だが、野郎やら萎んだ‥いや、年配の女性ばかり見ていると、やはり若い女が来れば目は行ってしまうのだ』
――好き者?
 皆が、頭の中に同じ考えを思い浮かべていた。
「‥‥真之介さん、もう一度殴られてくるといいですよ」
 草間たちは静の背後にいるため以下略。
 静は真之介の腕をむんずと掴むと、竹垣の方へ力一杯放り投げた。真之介は竹垣をすり抜け、変色した露天風呂側へ入っていった。
 その直後、辺りに悲痛な悲鳴が響き渡った――。


 深夜。一行は黒い湯船に浸かっていた。
 変色以外特に変異がないのなら、変色露天風呂として楽しむことはできないかとシュラインが宿側に提案したのだ。
 千代もしばらく変色を解くつもりがないらしい。付喪神の云う「しばらく」だ。少なくとも数年、あるいは十数年単位でお湯の色が戻ることはないだろうが、同じお湯がここまで色が違うというのもなんだか面白い。
『アズマ、何故お前がここに浸かっておるのだ?』
 岩の上から、瀬戸の隣で一緒になって湯船に浸かっているアズマに千代は不思議そうな顔をして声を掛けた。
『コイツの力のせいで宿に帰れないんだよ。助けてよ、千代』
「明日になれば帰るから、それまで付き合ってよ。意外と面白いから、俺、君のこと気に入ってるよ」
 その瀬戸の言葉に、アズマは顔を上げる。『明日になれば帰るから』それはそれで少し寂しい。
『そうか‥‥明日帰んのか』
「別に、着いてきたいならウチに来てもいいけど。付喪神が居なくなったら君の宿、困るんじゃない?」
『‥‥バーカ、自惚れんなよ』
 折りしも、今宵は新月。
 月夜ほど明るくはないが梅雨の間僅かに晴れた空に、星が良く輝いて見えていた。


      【 了 】


_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 登場人物 _/_/_/_/_/_/_/_/_/※PC整理番号順

【 番号 】 PC名 | 性別 | 年齢 | 職業 |
【 0086 】 シュライン・エマ | 女性 | 26歳 | 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
【 5453 】 櫻・紫桜 | 男性 | 15歳 | 高校生
【 5566 】 菊坂・静 | 男性 | 15歳 | 高校生、「気狂い屋」
【 6531 】 桜井・瀬戸 | 男性 | 18歳 | 学生
【 NPC 】  雷火、井上洸、草間武彦、草間零

_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ひとこと _/_/_/_/_/_/_/_/_/

初めまして&こんにちは、担当WR・四月一日。(ワタヌキ)です。この度はご参加誠にありがとうございました。

今回、受注日にバラつきがありまして、お届けが遅くなってしまった方は大変申し訳ございません。
蓋を開けてみれば、シュライン様以外は図ったように高校生ばかりという形に。酒呑んで大騒ぎー!ができませんでした。お酒は二十歳になってから。
初めての方が多くとても緊張した上、皆さま「礼儀正しく」「敬語を使う」とのことだったので、うまく書き分けができず課題の残ったような気がしております‥‥。
気になるところがございましたら、リテイク申請・FL、矢文などでお気軽にお知らせください。

2006-07-17 四月一日。
 └→ blogにて、ナニやらボヤいている時がございます