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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

「ここはどこだろう…」
 昼下がりの東京都内。
 その中を烏有 灯(うゆう あかり)は、辺りをきょろきょろしながら歩いていた。
 本当は原稿作成の息抜きに家から出ただけだった。だがそれから数時間、灯は闇雲にあちこちを歩き回っていた。
 建物や信号についている地名が全く分からない。それどころか自分がどこにいて、どこに向かっているかも見当が付かない。建物が皆同じように見え、どうしたらいいのか分からない。
「…疲れた」
 そんな時だった。
 入った小路から見えたツタの這った建物。そして掛かっている看板には『蒼月亭』と書いてある。灯は砂漠でオアシスを見つけた旅人のような気分でそのドアを開けた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 あまりの疲労に、灯はふらふらとカウンターに座り込んだ。目の前にはレモンの香りがする冷たい水がそっと置かれる。灯はそれを一気に飲み干し、トン…とグラスをコースターの上に置いた。
「お代わりいただけませんか?」
「はい、少々お待ち下さい」
 水を持ってきた少女が笑いながらグラスに水を足した。それで気付いたのだが、ここの水は他の喫茶店などで飲む水と違い、人工的な感じがしない。レモンの香りはついているが、それは清涼感を出すためにほんの少しだけ入れられているようで、水の味を全く邪魔していない。
「ふぅ」
「お客さんお疲れみたいだな。メニューそこにあるから、ゆっくり選ぶといいよ」
 色黒で長身のマスターがそう言いながらメニューを指さす。その言葉で灯はようやく店内を見渡す余裕が出来た。
 後ろの棚に並べられているたくさんのリキュールやウイスキー。そして奥にあるレコードプレイヤー。スピーカらは小さくジャズがかかっている。カウンターは一枚板のしっかりしたもので、照明のガラスシェードも店の雰囲気を邪魔しないものだった。それらはすべて綺麗に磨かれており、埃一つ落ちていない。
 灯はメニューをパラパラとめくりながら注文するものを決める。
「あの、ブレンドを頂けますか?」
「豆の種類とか希望ある?」
 そんな事を聞かれたことはないので、灯はその言葉に少し慌てた。
「いえ、お任せします」
「はい、少々お待ち下さい」
 そう言うとマスターはコーヒー豆の入った缶を開け、それをコーヒーミルに入れる。どうやらここは客が来てからコーヒー豆を挽くらしい。それを物珍しそうに見ていると、今度は横からそっとクッキーが差し出された。
「え、頼んでませんが…」
「これ、コーヒーのお客様へのサービスなんです。注文してから豆を挽くので、他のお店よりちょっと時間がかかりますから、その間にどうぞ」
 何だか今まで自分が入ったことのある喫茶店とはちょっと様子が違うようだった。
 そのクッキーを口にしながら、灯はコーヒーが挽かれる音に耳を傾けた。口の中で優しく溶ける甘いクッキーと、その音が何だかとても懐かしいように感じる。やがてゆっくりとコーヒーが落とされると、今度は香ばしい香りが立ち上ってきた。
「お待たせしました。お客さん初顔だな…俺はここのマスターのナイトホーク。あっちは従業員」
 カウンターの中からコーヒーを差し出しながらナイトホークは少女の顔を見た。すると少女はぺこりとお辞儀をしながら灯に挨拶をする。
「従業員の立花香里亜です。よろしくお願いしますね」
「あ…烏有灯です。童話作家をやってます」
 そう言ったときだった。香里亜がそれにピンと来たのか、カウンターの中に戻りながら灯の前に来る。
「もしかして『まほろば島の冒険者たち』の烏有さんですか?私、あの話大好きで、全部持ってるんですよ」
「あ、ありがとうございます…」
 戸惑う灯を前にナイトホークが香里亜の頭をぽんぽんと叩く。
「こら、お客様がゆっくり出来ないだろ。店の中ではアイドルでも誰でも扱いは同じって言っただろ」
「ごめんなさい、ちょっと嬉しかったんで…ゆっくりしてくださいね」
 そう言いながら香里亜は笑いながら会釈をし、後ろの棚にあるボトルを拭き始めた。ナイトホークも、灯の邪魔にならない位置でシガレットケースから煙草を出し火を付ける。
 何だか不思議と居心地がいい店だった。それと同時に、自分が入ってきたときのことを思い出し、灯は何だか急に恥ずかしくなる。こんな落ち着いた空間に、倒れるように入り込んでくるとは…。
 するとそれに気付いたのか、ナイトホークが煙草を灰皿に置き灯の前に来た。
「烏有さん家近いの?」
「いえ…実は、迷子になってここに来たんです」
「迷子?」
 ナイトホークはそう言うと香里亜と顔を見合わせる。
 灯は、いつもなら話さない迷子の理由を、この二人には話したくなった。他の人にしたらきっと笑われるような理由だろうが、この二人なら真剣に聞いてくれるかも知れない。
 美味しいコーヒーを一口飲み、灯はふっと溜息をつく。
「…東京に出て来て十年立つけれど、未だに建物の見分けがつかなくて困ります。これが森の中なら木々一本一本個性が見えて迷うことなどないのですが…」
 うすうす気付いていた。
 自分が東京に否定的だから、この土地に受け入れられないのだろうと。
 元々いた島は鬱蒼とした木々が茂った緑の多い島で、どうしてもここが自分のいるべき場所ではないような気がするのだ。それを思うと東京も自分を拒んでるような気がして、何年経っても道を覚えられない。
「しかしこの店は良いですね。見掛けも匂いも懐かしい気がして、他と全然違う」
 灯の話を聞きながら、ナイトホークは無言で煙草を吸っていた。香里亜はボトルを持ちながら振り返り、灯の話に頷く。
「私も東京に来てから半年経ってませんれど、全然道とか覚えられないんですよ。でも、不思議なんですけど他の場所に行こうとすると迷うんですけど、何処かからここに帰ろうとするとちゃんと帰れるんです」
「それは香里亜が『ここが自分の巣だ』って思ってるからだろ」
 ナイトホークの言葉に灯は顔を上げる。
 『自分の巣』…確かに自分のいるべき場所ではないと思っているから帰れないのだろうか。そう思うと、ますます自分の居場所がなくなるような気がする。
「烏有さんさ、一人暮らし?」
 唐突な質問に灯は首を横に振った。
「いえ、甥が一人います…」
 それを聞いて、ナイトホークがふっと笑う。
「じゃあ、あんたにも立派な『巣』があるんだよ。家に帰れば誰かがいたり、誰かが帰ってくるのを待てる場所があるなんて、立派な巣じゃないか」
「そうでしょうか…」
「あんたがそう思ってなくても、その甥っ子はそこが巣だと思ってるさ。他の道なんて無理して覚える必要ないんだよ。自分が帰れる場所だけ覚えていれば、香里亜みたく家にだけはちゃんとたどり着けるようになる。たとえ遠回りしてもな」
 たとえ遠回りしてもたどり着けるようになる…。
 ナイトホークのぶっきらぼうだが優しい言葉に、灯は何だか目が覚めたような気がした。今まで自分が迷うと思っていたのは、ナイトホークの言うようにちょっとした遠回りだったのかも知れない。灯はそっとカップを持ちコーヒーを飲む。
「この街に、俺の居場所はあるんでしょうか?」
 ナイトホークは煙草を消して溜息をついた。香里亜はその後ろでポットに紅茶を入れている。
「『東京』はこう見えて懐の広い街だ。美しい物や醜い物だけじゃなくて、普通の人間も普通じゃない人間も同じように許容する…俺みたいなのでも、ここでならそれなりに暮らせるからな。居場所のない奴を十年も置いとかねぇだろ」
「そうですよ。私もたまにどこに行けばいいのか、分からなくなっちゃうこともありますけど、でもやっぱりここに来て良かったと思ってます。烏有さんにも会えましたし」
 そう言う二人はすごく自然だった。
 もしかしたら東京が自分を拒んでいたのではなくて、自分が東京を拒んでいたのかも知れない。確かに自分がいるべき場所は緑に囲まれた場所なのかも知れないが、その人生のひとときだけでも都会に巣を持つのも悪くないかも知れない。
 心が軽くなったような気がしながら、灯はナイトホークに話しかける。
「俺のような田舎者でも楽しめる場所ってありますか?」
「たくさんあるさ。東京って言うとどうしても新宿とかのビル街を思い浮かべちまうけど、武蔵野とかに行ったら『井の頭恩賜公園』とかでボートも乗れるし、板橋の『赤塚公園』なんて自然林も残ってる…」
 そう言いながらナイトホークはまたシガレットケースから煙草を出し、それを口にくわえた。
「ま、自分が探さないと宝物は見つからないよ。あんたの書いた話もそうだろ」
「え…?」
 その言葉に灯と香里亜は同時にナイトホークの顔を見た。その様子にナイトホークは少し驚きながら、二本目の煙草に火を付ける。
「俺が読んでたらおかしいのかよ」
「ナイトホークさんが読んでるのが意外だなぁーって」
「すいません、俺も意外でした」
 灯がおずおずとそう言うと、一瞬の間が開き香里亜が笑い出した。
「お前等…」
 煙草を持ったまま二人を見るナイトホークは何だか憮然とした表情をしている。
「あははっ。いや、だって烏有さん、意外ですよね」
「何となくマスターは、そういうの読まない気がしてました…でも、そうですね。宝物は探さないと見つかりませんよね」
 そう言って笑いながら灯は思っていた。
 確かに宝物は探さなければ見つからない。でも今日は自分で探さなくても、偶然宝物を見つけることが出来た。森の中にいるようにくつろげる場所と、気負わずに話せる友人達。そして暖かく美味しいコーヒー。
 カップに入っていたコーヒーを飲み干し、灯はこう言った。
「ブレンドをもう一杯お願いします。あと、何か持ち帰りできそうなお菓子があれば、それを二人分包んでください」

 シフォンケーキとクッキーの入った箱を持ち、灯は蒼月亭を後にしようとしていた。
 名刺サイズの店の案内をもらったが、またここにちゃんと来られるか灯は少しだけ心配になる。そんな灯の表情を察したのか、ナイトホークが灯の顔をのぞき込んだ。
「どうした?」
「いえ…一度この店に来るのに、迷子にならない方法はないかなと思って」
 もう一回ここに来たい。
 「蒼月亭」という店の場所を忘れたくない。
 だが灯の不安を吹き消すようにナイトホークが笑う。
「別に巣は一つだけじゃなきゃいけないってわけでもないだろ?時々大人がゆっくりするための宿り木だって必要だ。この店も人を呼ぶから、烏有さんが来たいと思ったらちゃんと来られるさ。俺が保証する」
「大丈夫ですよ。一度この店に来たら、何故かふらっと来ちゃいますよ」
 横から顔を出した香里亜の言葉にナイトホークが溜息をつく。
「俺の店は化け物屋敷か」
 でもその言葉が灯にとっては嬉しかった。
 きっとここには迷わず来られる…家にもちゃんと帰れる…二人に言われるとそんな気がする。
「今日はありがとうございました。また来ます」
 まだ甥が帰って来るには時間がありそうだ。それまでに家に帰って、お茶を入れて一緒にケーキを食べよう。そして、原稿の続きをしよう。
 そう言えば、元々は原稿の息抜きに外に出たのだった。そんな事すら忘れていた自分に、何だか楽しい気分になる。
「またのご来店をお待ちしています」
 ナイトホークと香里亜の言葉を聞きながら、灯は東京の空の下に確かな一歩を踏み出した。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5597/烏有 灯/男性/28歳/童話作家

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます。水月小織です。
道に迷って蒼月亭にたどり着く…というのと、東京を好きになれるきっかけを…という事でしたので、ナイトホークや香里亜と話をする場面の多い感じになりました。
ナイトホークからすると、家に待っている人がいる灯さんがうらやましいのかな…とか。店などにはたくさん待っている人がいるのですが(笑)
自分で書いて言うのも何ですが、ナイトホークが童話を読んでいるのは何だか不思議な気がします。意外と読書好きなのかも…。
リテイクなどは遠慮なくお願いします。
また蒼月亭にコーヒーなどを飲みに来てくださいませ。