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<東京怪談ノベル(シングル)>


ウゴドラクの牙 〜五月雨には御用心〜


  恵みの雨。
 生命の雨。
 たしかにそうなのだが、季節的には不快指数の高い、そんな季節。
 少し遅れた入梅宣言あり、何とも体の動かしにくい季節の相成りました。


 海原・みなも(うなばら・みなも)は、湿気で腕に貼りつくノートを毎回ひじを持ち上げては取り、を繰り返し、あまり授業に集中出来ていない。
「(〜〜〜雨や梅雨は嫌いじゃないですけど…さすがにこればかりは鬱陶しいですね)」
 ペタペタと何度もくっついてくるノートや教科書の端っこを、何度も腕を持ち上げて移動させる。
 日ごろ意識せず滑るように腕を移動させて、気づけば文字をこすって手や腕が黒く汚れている、そんな他の季節が待ち遠しい。
 下手をすると腕に文字が写るという何とも間抜けな今日この頃。
 同じようなことを思っているクラスメートも多いであろう。
 家に帰る途中でも、気温こそさほど高くないのに滝のように流れる汗はやはり湿気大国。
「…暑い…」
 朝はぱりっとしていたハンカチが、帰る頃にはしんなりしているのを見るとため息しか出てこない。
 たまり始める不快指数。
 普段感じるストレスとは別物なのだが、この際そんなことはどうでもいい。
 この微妙な暑さと大量の湿気によるイライラを何とかしたい。
 そこでみなもは奥の手を出した。
「…頻繁に使うのはよくないってわかってるんですけど……」
 以前、アンティークショップ・レンで購入したアイテム、『ウゴドラクの牙』
 夜に装着すればたちまち人狼へ変化し、朝日を浴びると牙は外れ、また夜が訪れるまでは使用できなくなるという代物だ。
 鬱積がなくなるわけでも悩みが解決するわけでもない現実逃避だが、やらないよりは…そう思ったみなもは再び牙の魔力に身を委ねる。
 忘れえぬ高揚感。
 体中に力がみなぎり、体を濡らす雨も気にならない。
 気になるどころか大きく体を震わせるたびに、スカッとした爽快感が駆け抜ける。
『気持ちいい――…』
 夜の闇が支配する中、切り裂くように雨風の中を駆け抜ける。
 あれほど鬱陶しかった雨も、まるで冷たいシャワーのような気分にさせてくれる。
 そうして、そんな爽快感とも高揚感ともお別れの時間が近づいてきた。
『――夏至を過ぎたせいですね。夜明けがこんなにも――…』
 …………早い、はず?
『…あれ?』
 朝日が差し込まない。
 それどころが空はどんより曇り空。
 早朝だと言うのに薄暗い鉛色の空。。
『あれれ!?』
 朝日が、ない。
 厚い雲に覆われ、見渡す限りの暗雲。
 朝日が差し込む隙などどこにもない。
『うそ……』
 自宅のベランダでみなもは青ざめた。
 といっても姿は人狼のままゆえ、顔色の変化などわからない。
 ポツリポツリと雨が降り出す。
『…梅雨――――――――ッ』
 そうなのだ。
 みなもはそのことをすっかり失念していた。
 今は夏を前にした梅雨の季節。
 晴れる日よりも雨だったり曇りだったりすることの方が多いのだ。
『ど、どうしよう…!?』
 あたふたしていると、朝日を浴びたわけでもないのに全身を覆う体毛が引いていく。
 それに驚いたみなもは、体質が人狼へ変わるだけで、日がな一日中半人半獣の姿ではない事に気づいた。
 ところが、周囲の目を誤魔化せるかもと思った矢先、完全に体毛が引いた筈の体の所々で、なにやら違和感を感じた。
「??あ…れ…?何これっ!!」
 全部引っ込んだと思ったみなもだが、ぴこぴこと、ぱたぱたと動く体の二箇所にたちまち青ざめる。
 慌てて鏡を覗き込むと、そこには狼の耳と尻尾をはやした自分の姿が、何とも情けなく映りこんでいるのだ。
「うそ…」
 そんなどこぞのコスプレ会場じゃあるまいし、何でこんな半端な姿になってしまうのだろう。
 余計に情けなくて泣きそうになるみなも。
 けれど、体の奥から湧き上がる力はそのまま。
 全身を体毛に覆われる半獣下や完全獣化は夜にならないとできないようだ。
「…姿は情けないけど………」
 体は軽い。
 何でも出来そうな自信が、何処からともなく湧き上がる。
 人魚の自分でいる時より、清々しい…
「!だめだめっ」
 思考が一瞬遠のきかけた。
 今までの自分が消えて、新しい自分が構築されようとした。
 ネガティブな考えばかりで一日を過ごす今までの自分ではなく、自分の力で道を切り開こうとする、もう一人の人狼(じぶん)が…
 このまま、悩みなど捨てて、明るく自由に生きられる自分というのも、悪くはない。
「!!」
 相反する思考が脳裏をよぎる。
 そのたびにしっかりしなきゃと思うものの、急速に自分の人魚としての理性が消えていく。
 一夜を超えた使用がこれほどまでに自分を蝕むものなのかと、その侵食の早さにみなもは恐怖を覚える。
「だめ…いけない…」
 次第に心が軽くなる。
 このまま楽な方へ行ってしまいたい。


 けれど…



  ところ変わってアンティークショップ・レン。
 いつものように煙管をふかして、紫煙を吐く碧摩・蓮(へきま・れん)。
 今日はどんな客がくることやら、と思っていたらゆっくりと店の扉が開いていく。
「おや、いらっしゃい。今日は何を――…お?」
 蓮の目の前にはみなもの姿が。
 しかしいつもと様子も格好も違う。
 つばの広い帽子にふんわりと広がったスカート。
 どこぞのレースやフリル満載の洋服を作っているブランドの服を思わせるいでたちに、はて?と首をかしげる。
「……男でもできたかい?」
 女の趣味が変わる時は大概男の影響と相場が決まっている。
 ところがみなもは違うと首を左右に振った。
「そんな余所行きの格好でどうしたんだい?今日も学校のはずじゃないのかい?」
「…この姿で学校へ行くのは…」
 帽子を取ると、その頭には可愛らしい耳がついているではないか。
「………は?」
 そしてスカートのふんわりとした膨らみが急にしぼんだかと思えば、下からするんと飛び出す長い尻尾。
 それに思わず蓮は煙管を落としかける。
「…アンタ、まさか…」
「今日朝からずっと曇りで……時折日が差し込んでも全く元に戻らないんです…」
「そりゃそうだ。有効なのは清浄な朝日だけ。昼の日差しじゃ戻れないさ」
 呆れているのは態度ですぐにわかる。
「…元はかなりの人狼で、その牙をつけて人狼になれても…レベルとしては半人前だからねぇ。半人半獣の姿も完全には隠せないってわけだ」
 かといって引っ込められるようになろうと思えば、それこそ本気で人狼になるしかない。
 勿論、そんなことは望んでいない……筈だ。
「―――それは朝日を浴びることでしか取り外しのきかないモンだ。個人差はあるだろうが、晴れの日を待つしかないね」
 半眼でみなもを見つめる蓮。
 聊か視線が痛い。
「…意識も侵食されかけてるね。アタシの言葉は理解できるかい?」
「!勿論ですッ」
 少しでも気を抜けば一気に侵されそうな中、みなもは必死で最後の理性を守っていた。
「――悪いが、アタシがしてやれることは何もない…すまないね。あとはアンタの精神力次第さ。次に朝日が差し込むその時まで…」
 耐えられるかい?
 蓮はその言葉をあえて言わなかった。
 耐えられるかと問われれば、耐えられます、耐えてみせますと声を張れるのに。
 この人は意地悪だ。
 それすらも自分で選択しろと言ってくる。
「…お邪魔しました」
「気をつけてお帰りよ」
 振り返らず、そのまままっすぐ家まで帰った。
 その間にも、溢れんばかりの力が漲り、ジッとしていられない衝動に駆られる。
「(…抑えなきゃ…)」
 こんな不安定な状態の中、夜に半獣化でもしてみろ。
 瞬く間に残りのちっぽけな理性など吹き飛んでしまう。
 鬱屈とした気分を晴らす為だけに使ったはずなのに。
 今はこんなにも理性と快楽の狭間でもがいている自分がいる。

 それでも、時折大きな誘惑が襲う。


 
 ”―――仕方がないよね…”



 その一言で、その言葉の魔力で、一切の抵抗をやめてしまいそうになる。
 そんなことを少しでも考えてしまう自分の弱さが、苛立たしい。
 せめぎ合う理性と本能。
 夜になるとそれはいっそう激しさを増す。
 相反する力の拮抗に、頭がおかしくなりそうだ。
 夜の闇が深くなるにつれて、人狼の力が増してくる。
 欠片の理性が今にも壊れそうになる。
「…も…だめ…」
 人狼の力に完全に身を委ねてしまいそうになったその刹那。
 ぽろりと牙が落ちた。
「!?」
 窓から差し込むまぶしい光。
 待ち焦がれた朝。
 待ち望んだ朝日。
 五月晴れの清々しい朝日が、街を、みなもを包んだ。
 そしてまた、みなもの日常がかえってきた。
 不快指数の高い毎日。
 梅雨時の不便さ。
 降り注ぐ恵みの雨。
 毎日思う、暑さと湿度の高さへの不満。
 自分が抱える将来への悩み。



「――今回の教訓をしっかり活かさないといけません」
 決意新たにそう声に出すみなも。
 危うく身も心も完全に人狼と化してしまうところだったが、今でもみなもは牙を持ち歩いている。
 捨てたら何かに負けた気がするから。
 そう理由付けしたものの、きっぱりと拒絶しきれないのは己の弱さ。
 わかっているからこそ、みなもは牙を見るたびに苦笑する。
 これからは使い方を誤らないように。


 これからは使う時には天気予報の確認を忘れないように。



― 了 ―