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クラクション△ビート
四速入れてラランラン。首都高の路面に黒線引いて。
「ひ、ひ、ひィ……」
耐えられないほどラランラン。タイヤの悲鳴が怖い。
「来るな、来るなァ」
ゆるやかカーブをラランラン。落とせない速度が凶器。
「来るなァァァァ!」
追いつけ追い越せラランラン。黒いボディが迫る。
「――ッ!?」
ハンドル離してラランラン。迫る壁が――。
「この一週間で、交通死亡事故が十件?」
資料に踊った赤文字を見て、草間は思わず苦笑を浮かべる。
しかし、これを持って来た交通課の巡査の顔を見れば、
それが嘘偽りでない事は容易に分かることだ。
「しかし、単なる偶然といった可能性も」
「偶然に――偶然に、過去に暴走歴のある人間が十人も死ぬと?」
乾いた声でつぶやく巡査の顔には、何かに憑かれたような憔悴
しきった表情が浮かんでいる。警察の内部資料を持ち出してまで
何かを解決したい彼の狙いは、何なのか。
「黒いレーサー」
「ん?」
「病院に担ぎ込まれたヤツが、うわごとで繰り返してた。
黒いレーサーが、黒い車体が、いつまでも追いかけて来るって」
いつまでも――その言葉は、彼にこそ当てはまる。
頭を抱え、所どころ茶に染まった髪をかきむしり、彼はうめく。
「クラクションが鳴り止まない。鳴り止まないんだ」
「……おまえも、暴走歴が?」
草間の問いに返事はない。ただ、押し黙ったまま唇を噛む彼の
顔が、それを全力で肯定していた。
「クラクションが……」
最後にそう呟き、彼は己の心臓を握る。
まるで、自分の鼓動≪クラクション≫を確かめるように。
◎START
「分ってるのはこんな所ね」
A4のレポート用紙をデスクの上に広げ、エマは髪をかきあげる。
枚数にして五枚ほどのレポートを要約すれば、この一文となる。
“暴走歴のあるものたちの過去に、怪しい所はない。それが怪しい部分である”。
「いや、さすがさすが、よくまとめられてらっしゃる。ただ……これでは何も見えてきませんね」
「それを言わないで。なにせ、翼さんの能力でもさっぱりなんだから」
ほう、と息をついたブラックマンに、少しいらついた顔で外を眺めていた翼が鷹揚≪おうよう≫にうなずく。
地道な調査で実証を積み上げるエマの手法が表なら、風の声を聞き知識を得る翼の手法はさしずめ裏。
その両方を使って“なにも出ない”。その状況の異常さに気づいているのは、当人たちだけではない。
「ずいぶんと“ひんこうほうせい”なお友達をお持ちなのですね」
無邪気に問いかけるみそのに、青年はなにも答えようとせず、ただ胸を押さえているのみ。
何かある。そう思っていても彼は依頼人。強制的に聞き出すわけにはいかない。
結局、落ち着く先は“どう黒いレーサーを捕捉するか”になる訳なのだが。
「はやり、その手しか無さそうですね」
「依頼人を危険にさらすことになるかもしれないけど、しょうがないわ」
言葉を交わすまでもなく、今までの経験が今どうすれば良いかを語っている。
ただ、事情を知らない青年だけが、おどおどと周囲を見つめていた。
「お、俺はどうなるんだ?」
「気にする事はない。僕がついている」
「わたくしも“いいだくだく”と付いていきます」
青い瞳に自信の色をのぞかせる翼と、事情を分っているのかさえ謎なみその。
二人にみつめられ、青年もようやく事の次第を悟ったようだ。
何か言いかけた青年は、しかし、もごもごと歯切れ悪く口をとざすと、小さく頷いた。
「決まりね。私は二輪で行くわ」
「車は下に。皆様、どうぞ」
事件解決の為に動き出す調査員達――その姿を、デスクの向こうで見送る影が一つ。
「じゃあ、頑張ってきてくれ」
これで厄介事が減ったとばかりにほっとした笑顔を浮かべる草間に――ブラックマンが笑顔を向ける。
「ミスター・草間。貴方もぜひ」
「……やっぱり、そうなるのか」
「今日“は”スポーツカーです」
「なんだその“は”ってのは、おい」
にこやかな笑みを崩さないブラックマンと、対するように苦い顔の草間。
助手席に草間を詰め込んだブラックマンは運転席へ。それに続くように、翼と青年が後部座席に入る。
後部ドアが閉まった音を確認すると、ブラックマンは腕時計の時間を確認する。
――午前三時五十分。
黒いレーサーが怪異ならば、それ相応の時間に現れるのだろう。そう思い決めたのがこの時間。
眠い眠いとぼやいていた草間もさすがに腹を決め、残るは胸を押さえた青年のみ。
額に脂汗を浮かべた青年は――明らかに、おかしかった。
夜が更けるにしたがって、青年の口数はみるみるうちに減り、動きもぎくしゃくと狼狽を隠そうともしない。
それでもこの車に乗ることを決めたのは、青年の最後の勇気か、それとも。
「さて、出発しますか」
キーを回しながら――ブラックマンが、ぽつりと呟く。
「ところで――」
男達が首都高に入ったのを確認して、エマは大型二輪をスタートさせる。
発車前に確認した時間は、午前三時五十五分。
頭の中でカウントダウンを数えながら、エマはスポーツカーの後を追う。。
その隣に、黒い影が舞い降りた。
「わたくしもお供します」
黒いジャケットと同色のパンツ。足にはピンヒールという姿で――みそのは、飛んでいた。
その姿に驚きを隠せないエマだが、すぐに気を取り直すと、スポーツカーに視線を移す。
今のところ、スポーツカーの動きや周囲に変化はない。中にいる青年も、今はじっとしているのだろう。
そろそろ午前四時。この時間に黒いレーサーが現れるという確証はないが、黒いレーサーが青年を狙っているのは確かだ。
エンジンの回転を上げようとして――みそのが、ふっと顔を上げた。
「来ました」
「え?」
思わず聞き返したエマとみそのとの間。そこを――。
黒い塊が、突き抜けた。
「く!」
突然の来襲に二輪のバランスを崩しかけたエマが体勢を立て直す間に、その車体は一気に駆け抜けていく。
バックガラスもライトも、ナンバープレートさえも漆黒に染まった、その車は。
「あれが、“くろいれーさー”なのですねえ」
ぽわん、と呟いて笑うみそのの声に合わせるように、黒いレーサーは轟音と共に速度を上げる。
目指す先にあるスポーツカーが、ふらり、と揺らめいた気がした。
「来たぞ!」
翼の言葉を理解する前に、真っ青な顔をした青年が叫び声を上げた。
「ぎゃああああああ!」
「むっ――こ、こら!」
むちゃくちゃに腕をふりまわす青年は、ブラックマンの肩や腕にまで手を伸ばして引っ張ろうとする。
まるで――自ら死を望んでいるかのように。
引っ張りまわされたステアリングに従って、スポーツカーは左右に蛇行。自然、速度は遅くなる。
揺れる車内から背後を振り向いた翼は、こちらに迫る黒い車体をしっかりと目にした。
黒いレーサーに追いつかれれば、こちらがやられる。ならば。
「仕方ない――代わるぞ!」
その瞬間、車内に風が渦巻いた。
スポーツカーの異変は、後ろからそれを追うエマたちにも見えていた。
はっきりと速度を落したスポーツカーめがけ、黒いレーサーが迫る。
「危な――!」
黒いレーサーに追突されるかと思われたスポーツカーは、すんでのところで黒い砲弾を避けた。
更に追撃を繰り出そうとする黒いレーサーに対して、スポーツカーは急ブレーキで応戦する。
とっさに減速した黒いレーサーの横に、スポーツカーがぴたりとつける。
先ほどとはうって変わった正確な運転。なにがあったかは分らないが、今がチャンスだ。
「急ぐわよ?」
「はい?」
ぽかんと返事をしたみそのを置いて、エマは二輪を飛ばす。
スポーツカーの運転で速度を落とされている黒いレーサーを挟み込むように、反対側から迫るエマ。
助手席側のドアをのぞき込んでみるが、黒く塗りつぶされた窓からは、なにも読みとれない。
「やっぱり霊障? じゃあ……」
エマが取り出したのは、園芸などに使う霧吹き。それを黒いレーサーに向けようとするが、揺れる手元はうまく定まらない。
じりじりと焦る腕を――みそのの手が、そっと支えた。
「大丈夫、どうぞ」
聖母のごとき微笑みを浮かべたみそのの両手に支えられ、エマは黒いレーサーに向けて霧吹きの取っ手を押し込む。
夜の道路を霞ませるように吹き出た霧は――見えない“流れ”に導かれるように、黒いレーサーの車体に降りかかった。
一瞬の間の後――黒いレーサーの車体の間から、煤煙のような霧が吹き出す。
「狙いは当たったみたい――!」
会心の笑みを浮かべたエマは、こちらへと迫る車体に対応できず、ハンドル操作を遅らせる。
エマの二輪を跳ねとばそうとした車体は、すんでの所で大きく進行方向を変えた。
大きくスリップした黒いレーサーは、地面に黒い筋を引きながら、カーブの壁に側面を向けて突っ込み――。
――フォォォォォオオオン!
「う……!」
おぞましく歪んだ声は、ほんの数秒でとぎれる。
音に耐えきれず二輪を止めたエマの隣に、車体前面を凹ませたスポーツカーが止まった。
「大丈夫か!」
「ええ、なんとか……」
操縦席から飛び出した翼にそう答えると、エマはその先を見つめる。
路面に黒々とついたタイヤの跡、その向こうには――何もなかった。
「消えてしまいましたね。“御方”の為にお話が聞きたかったのですが」
残念そうに呟くみそのの声が、世の闇に溶け、広がっていく。
その隣に、顔面蒼白となった青年が、呆然と立ちすくんでいた。
「あいつは、消えていったのか……」
「これで、終わりだ」
火の付いていない煙草を口にくわえた草間が、青年の肩を軽く叩く。
それにゆっくりと振り返り、青年はようやく――ほっとした笑みを見せた。
「俺、頑張ります。あいつの分まで、頑張って良い刑事になります」
「その時は、顔、貸してくれ」
にやりと笑う草間に、青年もにやりと笑い返す。
遠くかすかに聞こえるクラクションの音が、全ての終わりを示していた。
そう、全ての――。
話は、それから数日後に下る。
高速の途中に設けられている徐行領域。そこに取り付けられた電話の隣に、夜風を浴びるみそのの姿があった。
「よい“流れ”です。ねえ」
みそのが問いかける先、首都高の路上には、ただ黒い闇が広がっているのみ。
――電灯で照らされているはずの路上に、黒い何かが広がっている。
その異様さに気づいているのかいないのか、みそのは薄くほほえんだ。
「あなた様は、この“流れ”が欲しかったのですか?」
みそのの問いに、返事はない。
ただ、みそのの髪を乱す風だけが、じっとりとした湿り気を帯びていた。
吹き付けられる風を全身に浴びながら――みそのは、深くうなずく。
「ええ、そうですね。あなた様は、この“流れ”を手に入れて、あの“流れ”を断ち切りたかった」
みそのがうなずく度に、風は湿度を増し、ねっとりと肌に染みついていく。
それはまるで、一度消えた“なにか”が、羊膜を破りながら再び現れるようでもあった。
新たな存在の誕生に面しながら、みそのは細い瞳を更に細め、深く笑う。
「良いことです。さあ、“お行きなさい”」
その瞬間――全ての風が、嵐のように渦巻いた。
防音壁を揺らした風が収まった時、そこには、誰の姿もない。
ただ、一つだけ。
――フォォオン。
空耳か風の音か、そんなクラクションの音が聞こえた――気がした。
それから数日後、ネットのたわいのない噂に、こういう話が付け加えられた。
――午前四時、首都高を走っていると黒い車に追いかけられる。
――黒い車のクラクションを聞いた人間は事故にあって死ぬ。
――それを避けるには、クラクションが聞こえないようにクラクションを鳴らし続けろ。
その噂の真相は、誰も知らない。
そう、誰も。
◎END
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1388 /海原・みその/女性 / 13 / 深淵の巫女
0086 /シュライン・エマ/女性/26 / 翻訳家/興信所事務員
2863 /蒼王・翼 / 女性 / 16 / F1レーサー/闇の皇女
5128 /ジェームズ・ブラックマン/男性/666/交渉人
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■ ライター通信 ■
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闇夜に走る一台の車。鳴り響くクラクションの鼓動≪ビート≫――。
そんなイメージから始めた今回の話。如何でしたでしょうか。
新しい試みとして、各人のリプレイにそれぞれソロシーンを挿入しています。
それぞれのリプレイ単体でも楽しめますが、一緒に事件に臨んだ仲間のリプレイを見てみると、また楽しいかもしれません。
それでは、また次の話で。
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