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<東京怪談ノベル(シングル)>


END of KARMA ―creeping limit―



 日曜日がやって来た。
 漣は目覚ましを止めて起きる。はあ、と息を吐き出した。
 一組しか布団がないので、彼は日無子と一緒に寝ている。正真正銘、寝ているだけだ。
 漣の体調を気遣って頭を洗ってくれたり背中を流してくれる日無子は、布団に入るとさっさと寝てしまう。
 男として見られていないのだろうか、と漣は心配になった。
 視線を遣ると、布団から体が半分くらいはみ出た日無子の惨状に赤面して口元を引きつらせた。
 彼女の白くて長い脚が浴衣から出ている。なんなんだ? 俺の忍耐力を試しているのか???
 漣は日無子を揺する。
「日無子、今日は買い物に行くんだろ」
「ん〜……」
 唸る日無子がゆっくり瞼を開けた。体を漣のほうに向けると彼女は寝惚けた顔で上半身を起き上がらせた。軽く欠伸をすると、横に居る漣の首に手を回す。
 漣は間近にある日無子の顔にどきどきした。
「ど、どうした……?」
「今日は買い物だから、やる気を充填したいな」
 カッ、と漣が耳まで赤くなる。
 彼女と暮らしてからそれなりに経つ。その間にわかったことがある。
 漣が彼女に愛情を態度で示せば、彼女は元の能力を発揮できるようになるのだ。大発見だと喜んでいた彼女と違い、漣は微妙な気分だった。
 つまり、日無子からの行動では意味がない、ということになる。
 彼女の肉体と魂を繋ぐ鎖の結びつきを強くするには漣の行動が必要不可欠なのだ。
 汗を流す漣だったが、決意して彼女の腰に手を回した。嫌というわけではない。恥ずかしいのだ。
「じ、じゃあ……目を、と、閉じて……」



 一人暮らしから二人暮らしになったため、日用品の減りが早い。なので、今日は二人で商店街まで買い物に来ている。
 最初にどこに行く? と問われて漣は。
 視線を日無子の胸元に向ける。そしてすぐに逸らした。
 ぎちぎちにサラシを巻く必要がないため、彼女は上半身に下着をつけていない。そのことでわかったのだが、彼女はそこそこ胸がある。
「日無子……た、頼むから少しは恥じらいってものを……」
「恥じらい? 何が?」
 眉をひそめる日無子はわかっていないようだ。
「だから……その……」
 下着を買ってくれなんて、言えるわけがない。恥ずかしい。
 押し黙る漣を不思議そうに見ていた日無子に、彼は思い切って言う。
「と、とにかく生活必需品を買うぞ!」
「? う、うん」

 漣は女性用の下着店の前でふと足を止める。とてもではないが、男の自分が入れる空間ではない。
 あの華やかな空間に入れるのは女性だけだろう。
 買うものを思案していた日無子は、漣の視線に気づいて足を止め、振り向く。
 彼の視線を目で追い、それから「ああ」と納得した。
(漣の言ってた生活必需品て、アレか)
 なるほどと思った彼女は漣のところに戻ってくると腕を引っ張る。そして店を指差した。
「あそこ行きたい」
「えっ」
 驚く漣に彼女はにっこりと微笑んだ。
「そういえば胸当ては一つも持ってなかったから。行こう!」
「行こう、って……ちょ、ちょっと待っ……!」
 店内に引っ張り込まれた漣は顔を赤らめて俯かせる。どうしてこんなことになっているんだ?
 店の外で待つと言っても日無子は言うことを聞きはしなかった。
(目がチカチカする……)
 鮮やかな色ばかり。こんなに種類があるのかというほど豊富だ。無論、漣がこういう店に入ったのは今日が初めてである。
「漣、どれがいい?」
「ぶっ!」
 思わず吹く漣。ありがたいことに店内に他に客はいない。早い時間に買い物に来たのが幸いした。
「ど、どれって……自分で選べよ!」
「いや、やっぱりここは漣の趣味に合わせようと思って」
「合わせなくていいから!」
「…………」
 困ったように眉をさげる彼女は肩を落とす。
「よくわかんないから選んでもらおうと思ったのに」
 その言葉に漣はしまった、と思う。彼女はそもそも自分の趣味というものがない。格好だって、似合うから、という理由だけで選ぶことが多いのだ。
 店員の若い女性が日無子に話し掛けてきた。
「どのようなものをお探しですか?」
「あ……えっと」
 日無子は逡巡し、にっこり笑った。漣を指差す。
「彼を悩殺できるのください」
 度肝を抜かれた漣がその場で転倒してしまう。店員は顔を赤らめて苦笑した。
「そ、そうですか。えっと……では大胆なのがよろしいですか?」
「……うーん。漣はそっち系統じゃない気がする……。清楚で清純な感じのください」
 床に這いつくばっている漣は二人の会話に痙攣した。そっち系、ってなんなんだ。
 結局あれこれと店員と話した挙句、サイズを測ってもらい……なんとか購入した。
 この一時間ほどで自分の体重が激減したのでは、と錯覚するほど漣は疲れていた。
(いちいち俺に似合うか訊かないで欲しかった……)
 彼女は均整のとれたプロポーションをしているので、何を着ても似合うだろう。それがわかっているだけに、漣は非常に困る。それに下着について男に尋ねるのもどうかと思う。変な想像をしてしまうではないか。
 並んで歩いて必要なものを各々の店で購入していく。
 しかし歩いていて苛々するのは……日無子がどうしても周囲の視線を集めてしまうことだった。
 彼女は見た目がすでに異常なほど可愛い。だから皆が注目するのもわかる。
(……面白くない)
 やっと振り向いてもらったのだ。だからこそ、強い独占欲もある。
 同時に……漣はそわそわした。
 彼女と同じように自分も見られている……。気のせいではない。
(何故俺まで見られる……?)
 最近学校でも話し掛けられることが多くなったし、やたらと視線を感じるようになった。なんなんだ一体?
 荷物を持つ漣に、日無子が心配そうにする。
「……漣、身体は大丈夫?」
「大丈夫だ」
「……無理、しないでね」
 小さく呟く彼女はこういう時にやけに弱々しく見える。漣は胸の奥が熱くなった。人目がなければ抱きしめてしまいたくなる。
 その時だ。日無子が目を細めた。
「……漣、見られてる」
「ん? そ、そうだな……」
 やはり彼女も視線に気づいていたようだ。
 日無子はむぅ、と眉間に皺を寄せた。難しい表情の彼女は歩く速度を落とす。
「日無子?」
「…………面白くない」
 低い声の彼女はとうとう足を止める。
「…………漣はあたしのなのに……」
 嫉妬心丸出しで苦々しく呟く彼女の言葉に、漣は頬を赤らめた。正直……嬉しかった。
 彼女は喜怒哀楽がそもそも造り物に近かった。誰かの真似をして、その通りに反応する。それが当たり前だったのだ。
 そんな彼女が自身の心情を露にすることは珍しい。
「お、俺は……気にしてないぞ」
「…………」
 ちら、と日無子が漣を見遣る。どこか睨みつけるような視線だ。だがすぐに逸らした。
「…………やだなあ。我慢してるのに……」
 我慢? 何を?
 不思議そうにする漣を彼女は見た。頬を赤らめて。
「漣が体調悪いから……本当はもっとベタベタしたいのに、我慢してるんだよね。
 ……参ったな。これが噂の『嫉妬』か……厄介だな、ほんとに。我慢できなくなるじゃん」
 ぼそぼそと言う彼女は、心底そう思っているらしかった。
(が、我慢してたのか……)
 ということは、我慢しなくなったらどれほど凄いことになるのか……。そ、想像できない。
 漣は彼女の指先を小さく握りしめた。
「お、俺は……日無子、だけ、だから」
 俯きながら小さく、本当に小さく言う。こんな言葉で彼女に自分の気持ちが伝わるだろうか?
 日無子が握り返してくる。そして嬉しそうに顔を赤くして、頷いた。



 手を繋いでアパートまで戻って来た漣と日無子。漣は郵便受けに入っているものに気づいて顔を強張らせた。
 二通の手紙。
 すぐさま裏返しにして差出人を見た。
 一つは本家から。おそらく帰還命令だろう。
「こっちは……?」
 もう一通には差出人の名がなかった――――。