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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


求メヨ、幻ノ紫煙


◆旅の理由

「――何ぃ!?」

 草間・武彦の大袈裟な驚愕の声に、草間・零はハタキを動かしていた手を止めた。新種の動物を発見したかのような驚き振りである。
 アンニュイな午後にかかってきた一本の電話。相手は武彦の古くからの友人であるらしく、珍しく機嫌良く談笑していたのだが、事態は急変したようだ。
 武彦は深刻な表情で相槌を打ちつつ話をまとめ、ガチャリと受話器を置いた。
「零、頼みがある」
「はい、何ですか?」
 はたいていた本棚から向き直ると、鋭く真摯な眼差しに射抜かれた。獰猛な獣が獲物を捕らえるかのような、野生的な眼。本気になった時の眼だ、と零は確信した。
「――ある店まで買い物に行って欲しい」
「また煙草ですか?」
「御名答! しかもただの煙草じゃねえ……葉巻だ」
「兄さん……」
 今月の家計簿も9割方煙草のせいで赤字だ。
 溜息混じりに文句を述べようと試みるが、慌てた武彦に遮られる。
「わかってる! おまえの言いてぇことはよーくわかってる! だがな、三度の飯より煙草が命の俺にとっちゃ一大事なんだよ!」
 零に反論させる隙も与えず、「いいか」と真面目に表情筋を引き締める武彦。零は半ば諦めていた。本気になった彼はシーソーに乗せても動かない。
「その店は満月の夜にだけ開く店だ。しかもオーナーは若ぇ女の前にしか姿を見せねぇときてやがる。俺が直接行くのが一番手っ取り早いんだがな」
「それで私に行かせるということですね。その葉巻はどんなものなんです?」
「その店が30年に一度しか入荷しねぇらしい幻の葉巻だ。どうやら今日が入荷日らしくてな。何せレア物だから狙ってる奴も多いだろう。今夜は丁度満月だし、買わねぇわけにゃいかねぇな……!」
「なるほど、事情はわかりました。でも兄さん」
 すぅ、と小さく息を吸い込み、淡々と言い放つ零。
「私が極度の方向音痴であることをお忘れですか?」
「……もちろん憶えてるとも」
 うそだ、と零は見抜く。普段使わない語尾で喋るのは、武彦が本音を隠している証拠だ。微妙な間がそれを強調させている。バツが悪くなったのか、武彦は明後日の方向を見やって後ろ頭を掻いた。
「あー……まぁ一応地図描いて渡すが、ひとりで不安なら誰か協力してくれそうな奴と行動しても構わねぇぞ。こっから徒歩2時間はかかる小せぇ店らしいからな」
「そういうことなら同行者を募ります。でも、出かけるのはお掃除を終えてからです」
 再びハタキを動かす零。苦笑した武彦は「頼んだぞ」と念を押す。

 あえて表情や言葉には出さないが、妹は兄の喜ぶ顔が見たいと思っていたのだ。


◆旅は道連れ ―黒・冥月の場合―

「――というわけで、皆さん宜しくお願いします」
 集った3人の女性同行者に、零はぺこりと頭を下げた。興信所で事務員を務めているシュライン・エマ、時々武彦の探偵仕事を手伝いに来る黒・冥月、元企業傭兵のササキビ・クミノ。いずれも興信所の顔見知りで、信頼できる人物達だ。
 冥月はデスクの武彦に盛大な溜息を吐き出した。
「阿呆ここに極まれり、だな。たかが葉巻で。大体奇妙なものは嫌いなはずだろうが」
 黒曜石めいた切れ長の瞳で一睨すると、武彦は軽く怯みつつも意味ありげに笑み、
「男の浪漫だよ。おまえならわかるだろ」
「わかるかっ!」

 げしっ!

「ぐぼぁっ!!」
 武彦の顔面に鮮烈な跳び蹴りをかまし、長い黒髪を翻して華麗に着地する冥月。シュラインが苦笑し、零とクミノが嘆息をこぼす。
 冥月の男性口調は仕事上のものであり、身も心も男性と化しているわけではない。相変わらず失礼な男だ、と漆黒のロングコートの裾をはたく。
「まったく、煙草のこととなると見境がなくなるのだな貴様は」
「しかもそのために義理の妹を酷使するとは……怒りを通り越して呆れたぞ草間」
 クミノも氷より冷えた視線を武彦に突き刺す。13歳とは思えぬ冷静な態度だ。
 落ちたサングラスをかけ直し、ティッシュで鼻の辺りを押さえた当人が、苦々しく反論する。
「俺だって悪ィと思ってるさ。けど仕方ねぇだろ、オーナーは若ぇ女の前にしか現れねぇんだからよ。じゃなきゃ俺が直接行ってる」
「零から大体の説明を聞いたが、若い女というのは見た目か、それとも実年齢の話か?」
 日本で若いといえば大学生までだろうか、と考えた中国育ちの冥月は、傍らのシュラインをちらりと見やる。気付いた彼女はにこやかに、
「あら、何か言いたいのかしら冥月さん」
「いや、何でもない」
 自分はまだ20歳、曲がり角には程遠い。クミノも余裕で許容範囲内である。
 いつものように一服しつつ――鼻は押さえたままだが――口を開く武彦。
「まぁ見た目若けりゃ問題ねぇだろ。買うのに身分証明書もいらねぇみてぇだし。バレなきゃいいんだよバレなきゃ」
「貴様、よくもぬけぬけと――」
「それより武彦さん」
 攻撃態勢をとった冥月の怒声は、シュラインの穏やかな声に遮られた。
「零ちゃんから手描きの地図を見せてもらったけれど……汚すぎて読めないのよね」
「――へ?」
 武彦のサングラスが傾く。
「申し訳ないけれど、ネットで詳しい地図印刷したいから、改めて口頭で説明して頂けるかしら」
 冥月の溜息はクミノのそれと重なった。
「貴様は地図もまともに描けないのか」
「零さん。葉巻を買って帰ったら、この馬鹿を煮て焼いて食っていいと思いますよ。まぁ見るからに不味そうですが」
「酷ぇ言われようだなオイ……」
 項垂れる兄にくすりと微笑む妹。その頭を、冥月は慰めるようにぽんぽんと叩く。
「零も大変だな。こんな情けない奴には勿体無い妹だ」
「兄さんの煙草への情熱はいつものことですから。これが仕事にも向けられればいいんですけど」
「ほら、妹がこう言っているぞ。少しは反省しろ草間」
 しかし冥月の声が耳に届いているのかいないのか、武彦は窓の外を胡乱げに見つめて一言。
「おまえならわかってくれると思ったんだがなぁ……同じ男として残念だよ」
「まだ言うか、この減らず口がぁ!」

 どげしっ!

「げほぁっ!!」
 柔らかな陽射しに照らされた所長の横顔に、闇色のブーツの踵がめり込んだ。
 やはり零には相応しくない男だ、と再確認する冥月であった。


◆旅の始まり ―シュライン・エマの場合―

 流石に徒歩2時間は零には無謀だ。
 そう判断した一行は、シュラインが印刷した地図を頼りに電車で向かおうと決定した。経費削減のため、冥月は影を操る特殊能力で零の影伝いに移動、クミノは光学迷彩で姿を消して同行することになった。
 カタンカタンと穏やかに揺れる私鉄の車内。午後3時過ぎのそこは、混雑せず丁度良い人口密度である。
 青いシートの7人掛け座席に腰を下ろす零とシュライン。地図を見ながら目的地までの確認を始める。
「これから2回乗り換えれば、お店のある町まで大体70分くらいね。お店は駅から徒歩15分くらいかしら」
「やっぱり徒歩より電車の方が速いですね。便利な世の中になったものです」
 しみじみと頷く零にシュラインは笑みをこぼす。
 この子はたまに外見年齢に似合わないことを言うけれど、そこがまた可愛いのよね。
「すみません、シュラインさん。冥月さん、クミノさんも。私が方向音痴でなければひとりで行けたんですけど……」
「なに言ってるの。私たちは零ちゃんが好きだから一緒に来たのよ」
 冥月とクミノも言葉は発さないが同意を示していることだろう。
 俯いた零の両手が、膝上でぎゅっと握りしめられる。
「兄さんのあんなに生き生きした顔を見るの、久し振りなんです。煙草を買うときはいつも嬉しそうですけど、今回は特別な感じがして……。最近依頼続きで疲れているみたいでしたし、元気付けてあげたいと思ったんです」
「確かに武彦さん、このところ輪をかけてローテンションだったものねぇ」
「葉巻が売り切れたらどうしましょう……。兄さん、怒ってしまうかも」
 不安げに沈む声。大丈夫よ、と優しく頭を撫でる。
「万が一のことを考えて早めに出たんだもの。お客さんの列ができているかもしれないけれど、オーナーもそれを見越して、ある程度の数を入荷して下さっているんじゃないかしら」
「そう、ですよね」
「それに、零ちゃんが買ってきてくれたっていう事実だけでも、きっと武彦さんは喜んでくれるわ。大切な妹からレア物の葉巻を受け取れるなんて、最高のことよ」
 ――だから、自信を持って。
 面を上げてシュラインを見つめる零の瞳からは、不安の陰は消えていた。
「――はいっ」
 冬が過ぎ去るのを待ち侘びた春が、パッと花を開かせたかのような笑顔。この笑顔に興信所は癒され、支えられている。
 零を悲しませるようなことだけはできない。無論、武彦も。兄妹のしあわせは自分のしあわせでもある。
 妹が兄を喜ばせたいと思うように、シュラインもまた零を歓喜という光に導きたかったのだ。


◆旅の途中 ―ササキビ・クミノの場合―

 その店の名は《絶華》といった。
 武彦が口頭で示した店の所在地は、どう見ても単なる空き地だった。ワゴン車を1台駐車する程度の面積しかない。しかし周辺には葉巻狙いらしい男女が集っている。一見して50人前後といったところか。鮮やかな橙色に染まった空が彼らを見下ろす。
 光学迷彩を解いたクミノは、零に歩み寄って囁く。
「零さん、本当にこの場所なんですか? 草間の馬鹿が間違えたとかそういうことは――」
「いえ、ここで間違いありません。兄さんは煙草に関しての情報収集なら特に正確ですから。でも……」
「肝心のお店そのものがないっていうのが不思議ねぇ」
 頬に片手を添えて小首を傾げるシュライン。皆考えることは同じであるようだ。
 満月の夜にしか開かない店――零にそう説明された。が、店は存在しない。ならば、とクミノは空き地を見据えて思案する。
 他に考えられる可能性は限られる。
「この空き地に店はある。今は『視えない』だけだ」
 ――台詞を取られた。影から抜け出た冥月が続ける。
「空き地の左隣に一軒家があるだろう。その影が空き地に伸びているから、試しに移動しようとしたが不可能だった。つまり」
「空間軸がずれている、ということですね」
 クミノが結論付けると、冥月はフッと微笑んだ。
「そういうことだ。なかなか賢いな。おそらく、何らかの方法でこちらとは空間軸をずらし、店を不可視化させているのだろう。夜になり月が出れば視えるかもしれない」
「じゃあ、《絶華》は異界のお店ということになるわね」
「となると、やはり経営者は人外である可能性が高いですね。零さん――」
「大丈夫です」
 危険性を述べようとしたのだが、柔和な笑みで即答された。愚問だったようだ。さすが零さん、と感心する。
 仮に人外の店主が零の命を狙おうとも、彼女の実力ならば興信所の掃除よりも容易に回避・応戦できるだろう。
 正直、クミノにとって葉巻などどうでもいいものである。買って帰った暁には、ブツを武彦の顔面めがけて叩きつけてやるほどの心持ちでいたのだが。
 道すがら、零の武彦への一途な想いを知ってから気が変わった。
 ここまで付き合ったのは零さんのためだ、間違っても草間のためではない。零さんの喜ぶ顔が見られるなら、私は――。
 橙色の木漏れ日は、談笑する零の横顔によく映えた。幸せ者め、という武彦への罵りを呟いたが、幸い彼女の耳には入らなかった。


◆旅の終わり

 待機という行為は時間を長く感じさせる。1時間で半日が過ぎるかのようだ。
 何事もなく訪れた午後8時過ぎ。空はようやく闇に包まれ、その一点に満月がぽっかりと顔を覗かせた。普段の月とは異なり、青白い神秘的な光を纏っている。
 ざわざわと客の喧騒が高まる。道に連なるものは、店は何処だ、まだ開かないのか、などと文句ばかり。興信所一行も例に漏れない。
「……どうも店主は客を焦らせるのが趣味らしいな」
「月が昇っても開かないなんて妙ですね。何かアクシデントでもあったのならわかりますが」
「葉巻が入荷されていないなんてこともありえますね……兄さんに怒られる……」
「それは困るわねぇ。今は信じて待つしかないけれど」
 4人の溜息が闇に吸い込まれていった瞬間。

『うっさーい!!』

 何処からともなくこだました怒声に、ぴたり、と喧騒が止む。反射的に身構える冥月とクミノ。零とシュラインは聴覚に神経を集中させる。
『あんたたち、待つのはいいけどうるさすぎ! 近所迷惑よ!』
 声の主は若い女であるらしい。聴音に優れたシュラインが小声で確認する。
「この声、鼓膜じゃなくて脳に直接響いてくるわ。少なくとも周りの人の声ではなさそうね」
「だが、ヒステリックに喚く方も充分迷惑だ」
「同感です」
 冥月の低い呟きにクミノが便乗する。しかし声はそれすらも捉えていたらしく、
『ちょっと誰よ、今あたしをヒステリー呼ばわりしたの! 失礼ねっ』
 プンスカと怒鳴るだけ怒鳴ってから、小さく咳払いして女は続ける。
『あんたたち、葉巻を買いに来たんでしょ。悪いけどあたし、男は大っ嫌いなの。店に入るのは女の子だけにさせてもらうわ』
 たちまち湧き起こる男性客のブーイングにも構わず、
『それと、これからあたしが女の子をひとりずつ順番に指名するから、その順番通りに入ってらっしゃい。入った子が店を出るまで、他の子は入らないように』
 言い終えると同時に、空き地の空間がぐにゃりと歪む。現れたのは山小屋じみた家屋。店名が刻まれた木版の看板も、古びてガタが来ているのかやや斜めに傾いている。
「ここが、《絶華》――」
 零が感嘆の言葉を紡ぐ。やはり異界の店だ。満月の夜にしか開かないというのも頷ける。
 女――《絶華》の店主は説明を再開する。
『じゃあこれから呼ぶから、呼ばれたらすぐに入ってらっしゃい。最初は、そうね……』
 思考を巡らせるような間の後に指名したのは。
『白いリボンを着けた黒髪でワンピース着てる子』
「え……?」
 ――最初の客は、零。
 思わず同行者達の顔を見つめると、促すような笑みが返された。
「よかったですね零さん! これなら売り切れる前に買えますよ」
「でも、いいんでしょうか……私が一番なんて」
「零が呼ばれたのだから、他の連中に構うことはない。――そうだ」
 冥月がロングコートのポケットから札束をひとつ取り出し、零の手にぽんと乗せる。
「もし購入数に制限がないようなら、これで私の分も買ってきてくれ。草間の奴が羨ましがるくらい大量にな」
「冥月さんも煙草吸われるんですか?」
「いや。ただ葉巻の匂いは嫌いじゃないから、それだけでも楽しめればと思ってな」
「わかりました。買えたら一緒に買いますね」
「あ、そうそう零ちゃん。葉巻は切り口で味が変わるから、オーナーに吸い口の大きさや保管注意点とかを確認した方がいいわ」
「なるほど、確かにそれは重要ですね」
 財布の中身と冥月の札束を確認してから、いってきます、と零は微笑んだ。


◆旅の土産

 軋む扉を開けると、そこは黒一色だった。窓も灯りもなく、光源は不要とでも言いたげな店内だ。
 正面奥にある木製長テーブルから、紅い双眸が零を見つめた。
 人間の眼でないことは零には瞬時に判断できた。もっと動物的な――猫に似た眼だ。
 扉をゆっくりと閉め、まっすぐに歩み寄りながら声をかける。
「あの……葉巻を買いに来ました」
「いらっしゃい。あなたみたいな可愛い子が来てくれて嬉しいわ♪」
 本心なのだろう、ボールが弾むような店主の声に安堵する。が、零は次の瞬間、己の視神経を疑った。
 テーブル上にちょこんと座っているのは、1匹の黒猫だったのだ。
 姿や大きさは普通の野良猫と変わらない。異なるのは中身。流石、異界の店を持つ者だけはある。
 店主はおかしげに笑みをこぼし、
「驚いた? あぁ、大丈夫よ、別に怒ってないから。お客はみんな目をまるくするのよ、最初はね」
 徐に右手を頭の高さまで上げる。

 ぽんっ!

 桃色の煙と共に右手に出現したのは、1本の葉巻。
「欲しいものはこれでいいかしら?」
「はい。あの、もしかして入荷数が少ないんですか?」
「そうなのよ。うちが30年に一度しか入荷しない貴重な葉巻。毎回凄い人気なの。だから入店者をこっちで選ばせてもらうってわけ。今回はおひとり様1本に限定させてもらうわ」
「そうなんですか……」
 1人1本ということは、優先するなら当然武彦の分。冥月には申し訳ないが諦めてもらうしかない。
 あとで冥月さんに謝ろう、と心に留める。
「では、それを1本頂きます。お代は――」
「あ、お金はいらないわ。だってあなた、人間じゃないでしょ? だから最初に呼んだんだもの」
「え……?」
 ――正体を見抜かれている。くすくすと黒猫は笑う。
「わかるのよ、あたしには。長年培われた勘でね。安心なさい、誰にも言う気はないから」
「はあ……。でもお代はいらないなんて、そんな」
「お金の代わりにね、頂きたいものがあるの」
「何ですか?」
「ちょっとあたしの方に顔を寄せてくれる?」
 何だろう、と訝りつつ身を屈めて店主に顔を近付ける。鼻先が触れそうになるほど接近した瞬間、店主は背伸びをした。
 ちゅ、と温かいものが額に触れる。一瞬のことだった。
「あー、やっぱり若い子はいいわねぇ! お肌スベスベ! か〜わい〜♪」
 客の反応も気に留めず、ひとりはしゃぐ店主。意味がわからず小首を傾げる零。脳内には疑問符が飛び交っている。
「えーと……今のがお代の代わり、ですか?」
「そうよ、ありがとう! あたし、可愛い女の子にちゅーするのが好きなの。はい、葉巻」
「あ、ありがとうございます」
 受け取った品からほんのりとぬくもりを感じる。30年に一度の稀少な葉巻。
 ――これで兄さんも喜んでくれる。
 そうそう、と店主は指揮棒を振るようにぴっと右手を上げた。
「その葉巻は吸い口をまるく切ってから吸うと美味しいわ。直射日光の当たらない所に置いて保管してちょうだい。天気や温度の変化で味が変わってしまうこともあるから気をつけて」
「わかりました。本当にありがとうございます」
「ふふ、大切にしてね」
 深々と頭を下げてから扉へ向かう。外へ出る瞬間、
「お兄さんによろしくね」
「え――」
 思わず振り向くが、店主の表情は闇に紛れて窺えなかった。



◆可愛い子には旅をさせよ

 帰宅すると、武彦は諸手を上げて狂喜乱舞した。
「お〜!! 買って来てくれたか、伝説の葉巻!!」
「はい。1人1本限定だったのでこれだけですが」
「そうかそうか。可愛い妹に旅をさせた甲斐があった。――ありがとうな、零」
 くしゃくしゃと大きな手が零の頭を撫でる。俯いてこぼす微笑。だが兄には見せない。妹はそう決めていた。
 意地を張っているわけではない。ただ、少し照れるのだ。
 よかった、兄さんがこんなに喜んでくれて。
 同行者達も顔を見合わせて笑む。
「本当に何事もなく買えてよかったですね。買うまでにひと悶着あるかと思いましたが」
「まったくだ。草間の依頼にしては珍しく平和的だったな」
「オイコラそこっ。珍しくたぁ何だ珍しくたぁ」
「武彦さん、イライラしないの。葉巻、早速吸ってみれば?」
「あー……どうすっかな。1本しかねぇし、楽しみに取っておくか」
「ほう、これまた珍しいな。迷わず口にすると思ったが。いっそ私が頂きたいくらいだ」
「明日は天変地異で大震災が起こるかもしれませんね」
「吸うのはいいけれど、葉巻がクセになって零ちゃんを困らせちゃダメよ。家計簿厳しいんだから」
「おまえらなぁ……」
 他愛のないやり取りに笑い、零はぽんぽんと兄の肩を叩いた。
「兄さん、少しお聞きしたいことが」
「ん? 何だ」
「《絶華》のオーナーさんとはお知り合いなんですか?」
「はぁ? 会ったこともねえ――っつーか会えねぇっつの。俺、男だし」
「ですよね……。でも、お店を出るときに言われたんです。お兄さんによろしくね、って」
「何だそりゃ」
「さぁ……」
 窓から満月を見上げてみる。黒猫が笑って手招きしているような気がした。


―完―


◆おまけ

「そういや、大分前に黒猫を助けたような……。悪霊に襲われてたんだっけか」
「きっとそれですよ兄さん」
「けど……まさかなぁ」



■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
1166/ササキビ・クミノ/女/13歳/元企業傭兵兼学生

■ライター通信■
ご参加本当に有難うございました!
ウェブゲームでの集合描写は初めてだったのですが、いかがでしたでしょうか……。
零が普通の女の子のようだったり、武彦さんがヘタレでマダオ(=まるでダメな男)だったりしましたが(笑)、PC様方のおかげでとても楽しんで書けました。
よろしければ、愛と思いやりのあるご感想・ご批評をお聞かせ下さいませ。