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猫と奏でる狂想曲(カプリッチオ)
その日。或る骨董品屋「神影」の店番代理人、藍原・和馬(あいはら・かずま)は非常に退屈していた。
この「神影」。確かに店ではあるのだが、少々変わっており、客を呼び込む気などほとんどない。
店の表には申し訳程度の看板がぶらり、と下がっているばかりで、そのほかにこの場所を店と知らせるものがないのだ。
しかも、とくに高名な店というわけでもないので、自然と、やってくる客の数も限られてくる。
そうなると、暇な店番代理人にすれば、店の中に楽しみを見つけるしかないのだが、それも難しい。
胡散臭いもの、正当な骨董品、稀に見る珍品。様々なものが眠るここも、眠っている分には、ただ少々手狭なだけの店である。
真昼間だというのに、店の中には陽射しなど申し訳程度にしか入ってこず、天井には万年暖色系の薄明かりが灯り、これがまた人を眠い気分にさせる。
この和馬、確かに大抵の仕事は引き受けるが、退屈だけは性に合わないのか、先ほどから足のあたりがむずむずして仕方がない。
何かおもしれぇことでもないもんかねぇ、とぼうっと考えていたその時に、恰好の二人がやってきた。
「こんにちはー! なの!」
日頃、あまり見たことがないくらいの元気よさで扉が開けられ、和馬は嬉々として、来訪者の二人を迎える。
「おウ、お二人さんいらっしゃい〜」
ひらひらと手を振って招くと、二人は嬉しそうに店内に入ってきた。
「和馬おにーさん、遊びに来たのー」
元気良くそう言って手をあげたのは、緑色の髪の下にイキイキとした銀の瞳を輝かせた少年で、藤井・蘭(ふじい・らん)。
「雪彼も一緒よ。藍原ちゃん、今日も元気?」
蘭の後ろでそう言ったのは、水鏡・雪彼(みかみ・せつか)だ。
腰までの癖のないフェアブロンドに、透き通るような緑の瞳。小さいといえども身だしなみにも礼儀にもきちんと気を遣うこの少女は、今日も人形のように愛らしい。
「あぁ、元気だぜ。だが、ちょいと退屈してたんだ。来てくれて助かったぜ」
「そうなの? お店、暇なの?」
きょとん、として見上げてくる蘭に、和馬は軽く首を竦めた。
「何せ、こんな変わり種の店だからな。客なんて滅多にこねーし。……そうだ。せっかく来たんだからどうだ。面白そうな本が何冊かあるんだ。見ていかねぇか」
「うわぁ、見たい、見たい!」
「雪彼も! 雪彼も見たい!」
喜ぶ二人に、和馬は顔を綻ばせて頷き、一旦奥の倉庫へと入っていった。 そしてしばらくすると、手に数冊の本を抱えて戻ってくる。
それを自分が店番をしていた番台に広げると、二人はすぐに飛びついた。
「わぁ、猫さんの本ね。可愛い〜」
「これ、僕の友達の本なの。緑がいっぱい……」
動物や植物が好きな二人の為に、興味がありそうな本を選りすぐって持ってきたのだ。予想通りの二人の反応に、和馬は満足そうに笑って、またどっかりと傍らの椅子に座る。 二人は色とりどりの表紙の本を前に、どれを読もうか迷っているようだった。
「ねー、ねー、和馬おにーさん。こっちの猫さんと、こっちの猫さんだったら、どっちがいいと思う?」
「んー? どれだ」
蘭が差し出しているのは、「踊り猫の不思議」と「猫の国のおとぎ話」というタイトルの本だった。
先の表紙には、意外とリアルな猫が描かれ、後のものにはデフォルメされた童話調の猫がたくさんいる。
和馬が二つの本を見比べていると、別の本を見ていた雪彼も身を乗り出してくる。
「雪彼にも見せて!」
「よしよし、じゃあ、三人で見るか?」
言いながら、和馬は「猫の国のおとぎ話」の方の本を手に取った。絵も可愛らしいし、二人にはこっちの方が面白いのでは、と思ったからだ。
両脇の二人に、これでいいか? と尋ねながら本を開く。開いたそこには、特徴的な丸い書体の文字で書かれた短い文と、大勢の猫の絵が並んでいた。
≒≒≒≒≒
むかし、むかし。
猫だらけの国がありました。
国の中は、どこにいっても猫だらけ
≒≒≒≒≒
≒≒≒≒≒
猫が溢れる、この国には、いろいろな猫がいます。
魚が好きな猫、散歩が好きな猫、寝ることが好きな猫。
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≒≒≒≒≒
けれど、これだけいると、いい猫ばかりではありません。
中には、いたずら好きな、困った猫もいました。
≒≒≒≒≒
いくつかページを繰ると、挿絵は一匹の猫を描き出していた。
キジトラの模様で、緑色の目を持った、どこかすばしっこそうな猫の姿。
読みながら、なるほど、こいつが困った猫なのか、と思っていた和馬は、その時微かに異様な匂いが香ったのに気付いた。
すなわち、立ち上る妖気のようなものに。
(……こいつぁ……まさか。曰くつき、か!?)
思わず手を止め、眉を寄せる。
つい、注意を払っていなかったが、この「神影」に置いてあるのは、ただの骨董品ばかりではない。
むしろ、何らかの不可思議な理由によって、持ち主の手を離れたものも多いのだ。
「和馬おにーさん、どうしたの?」
動きを止めた和馬を不思議そうに見やる蘭に、答えようとした時。
手を触れてもいないのに、手元の本のぺージがぱらり、ぱらりと数枚めくれ、その中からするり、と『猫』が抜け出した。
「なにぃ!」
平面だったはずのその体は、一瞬で立体のしなやかな体躯を形成する。
柄はキジトラで、薄く緑がかった、ビー玉のような目をしていた。先ほどの挿絵の猫だ!
「ふに。猫さんなの?」
ぽかん、とした様子でそう呟いた蘭の声を合図に、猫はさっ、と駆け出す。本を置いていた番台から、器用に三次元効果を使って着地したものだから、がしゃーん! とけたたましい音をたてて何かが壊れた。
しかも、そのままあろうことか閉まっていたはずの扉をすり抜けて、外へと飛び出していってしまう。
和馬はあまりに突然の惨劇に、開いた口がふさがらない。
無残にも壊れた骨董品の花瓶と、きぃきぃ、と音をたてて軋む扉を交互に見つめ、唖然とした。
「蘭ちゃん、追いかけよう!」
一番早くに行動したのは雪彼だった。
白いワンピースを翻して、今しがた猫が抜け出した扉へ走る。
「うん! 行こう、なの!」
飛び出す二人の背後で、ようやく我に返ったらしく、和馬が叫ぶ。
「こらー! 待ってくれ、俺が怒られる……!」
頭を抱えながら叫んだ言葉を聞いていたのは、静観する骨董品と、開け放たれたままの扉のみ。
そちらばかりみていた和馬は、手元の本の文に、一行が付け加えられていることに気付かなかった。
≒≒≒≒≒
おやおや、今回も、この困った猫は逃げ出してしまった様子。
はたして、猫は戻ってくるのでしょうか。
≒≒≒≒≒
*
店の中から、なにやら沈痛な叫び声が聞こえたが、蘭と雪彼は正直それどころではなかった。
何せ、目の前にひどくワクワクすることが起こっているのだ。これを追わないわけがない。
絵本から抜け出した猫を追いかけるなんて、なんだか「不思議の国のアリス」のようで、楽しい。彼は、どこに行くつもりだろう。
「雪彼、たのしいこと、だーいすき!」
「猫さん、待てーなの!」
イキイキと駆ける二人に追いつかれまいと、絵本から抜け出した猫は、普通の猫と変わらず――いや、それよりもずっと早く、しなやかな走りで道を行く。
だが、二人もそれに負けはしない。
軽やかなステップでたまにすれ違う人たちを器用に避け、確実に猫を追って行く。
道行く人々は突然遭遇したおっかけっこに驚きながらも、理由を察すると温かいまなざしでその姿を見送った。
……迷惑を被る人々以外は。
この猫は本当にいたずら好きのようで、わざと色々な狭い物の隙間をすり抜ける。
商店街の店先に並んだ靴の群れや、雑貨のかご、薬屋の置物など、足で蹴れるものはすべて利用して、転がしたり、咥えて散らばしたり、着地点につかったりしては、道に散らばして行く。
後ろを追う二人はそれをなんなく避けて追跡を続けるが、店の人にすればたまったものではない。
中には二人に混ざって猫を追いかけ始める根性のある店主もいたが、そのスピードと軽快さにはついていけず、やがて途中で脱落した。
そんな逃走劇を繰り広げながら、猫は、騒がしい商店街を抜け、大通りから路地の隙間に入ると、じぐざぐに細い筋ばかりを通り、次第に人気のない、有刺鉄線の張られた広場まで走り抜けていた。
まるで、隠れるに都合のいい場所を予め知っているかのようなルート選択だった。
猫は、有刺鉄線を抜けた後、その先の金網が少しだけ破れた小さな穴にするり、ともぐりこみ、いくつもの資材が折り重なったフィールドにすべる。やがて、そっと鉄パイプが並ぶ先に身を隠すのが見えた。
行き着いたその広場は、どうやら何かの資材置き場のようで、猫が隠れられるような場所もたくさんあると見えた。ここに本格的に隠れられてしまってからでは、探すのが大変だろう。
直感でそう思った雪彼は、そっと一旦足を止めて、猫の現在地を素早く確かめる。それから、後ろに続いていた蘭に耳打ちした。
「ね。猫さん、ほら。ね? ……だから」
「え? うん。……うん、わかった、なの。じゃあ、僕あっちから行くね」
金網の先を何度か指差しし、指示をだす雪彼に何やらうんうん、と頷き、蘭はさっと駆けて行く。雪彼も猫がそろりと止まったのを確認すると、走り出した。
当の猫はというと、さっきまで執拗に追いかけてきていた二人が取りあえずは見えなくなった為、少しばかりの小休憩をとっている最中だった。
積み重なる鉄パイプの中段に腰を据え、尻尾をぱたり、ぱたりと振りながら、手を何度も舐め、顔をあらう。時折、あくびをしては伸びをした。
長い間、あの本の中で体さえ伸ばせなかったのか、随分と気持ちがよさそうに見えた。 その姿は、まったく普通の猫と変わりない。
鉄パイプの上は、丁度いい具合に日陰になっており、追跡者の脅威からも解放された猫は、さぁ、何をしようか、と思案をはじめた。その時。
「みーつけたっ! なの〜」
非常に元気のいい声がして、猫がいる、丁度左側から蘭が現れる。
仰天した猫は、慌てて逆側に足を向けたが、こちらには予め先回りしていた雪彼がいた。
「怖がらないで、猫ちゃん。雪彼、何も嫌がることはしないのよ」
じり、と後ずさりをしていた猫はさらに今度はパイプから下りようとする。だが、後ろ側は金網があり、その上にトンボ線が張ってあるためにできず、だったら逆に、と動くとすでに二人が逃げ隠れできないほどの位置まで近寄ってきていた。
こうなると、もうどうしようもない。
猫は、最後の抵抗、とばかり、ふー!! と毛を逆立て、きりり、と鋭い爪をたてて抵抗した。
そんな猫を見て二人は顔を見合わせ、また飛びっきりの笑顔を浮かべる。
できるだけ猫を怖がらせないよう、しゃがみこんで、優しい瞳でそっと手を伸ばす。
「怖がっちゃだめなの。僕がなでなでしてあげる。大丈夫なの」
蘭の手が鼻先にくると、猫はぴくん、と少し震えて、身を引いた。蘭は、かまれることは恐れない。それよりも、この猫を安心させてやりたかった。
雪彼も、澄んだ目でその様子を見守っている。二人の視線は、けして相手を害さない、無垢なものだった。
身を引いた猫を刺激しないよう、蘭はゆっくりゆっくり、猫を撫でる。猫は、初めはひどく体を硬くし、けして力を抜こうとはしなかったが、やがてすっとそれを軟化させた。 いつでも駆け出せるように固めていた足場を崩し、ぺたり、と鉄パイプの上に腰を下ろす。そうして、蘭の手に顎を乗せてじゃれ付いた。
「わぁ。可愛い……」
それを見て、雪彼も猫に手を伸ばす。猫は、もう抵抗しようともせず、その手に愛撫され、ひどく幸せそうに一声鳴いた。
ザラザラとした感触の舌が、顎や首筋を撫でる小さな掌を舐める。雪彼は、とても嬉しそうに無邪気に笑った。
「猫ちゃん、ちょっとだけ自由に遊びたかったんだね。これからは、いつだって雪彼たちが遊んであげる。だから、逃げなくていーんだよ」
*
「おーお、お帰り、お二人さん」
二人が猫を伴って帰ると、店番代理人・和馬は非常に疲れた様子で、だらしなく椅子にふんぞり返っていた。
が、先ほどこのいたずら好きの猫によって破壊されたはずの花瓶の姿がどこにもない。「あれー? 壊れてた花瓶がない、なのー」
「しっ! おっきな声だすなっ、て!」
不思議そうに指摘した蘭に、しー、しー、と人差し指を立て、慌てて和馬が立ち上がる。
すっかり二人になついた猫は、雪彼の頭の上に乗せてもらい、そんな和馬の慌てぶりを我存ぜぬ、という風体で眺めていた。
和馬はその様子を恨めしそうに見つめながら、二人にぐいっと頭を下げる。
「頼む! 今度スイーツバイキングおごるから。あの割れた花瓶のことは、黙っててくれ。な、この通り。頼む!」
長身の彼が頭を深く下げて平謝りに頼む姿は、なんだかちぐはぐで、和馬には悪いが、少し楽しい。
蘭と雪彼は顔を見合わせ、ふきだすと、大手を振って喜んだ。
「わーい、なの! スイーツ、スイーツ!」
「藍原ちゃん、ありがとう! 雪彼、絶対言わないから」
ね、猫ちゃんも。
雪彼がそう言うと、猫は頭の上でナーン、と甘えた声を上げた。
「おまえもか……」
それをみた和馬は、さらに深く脱力する。
店内には、ひどく楽しげな二人と一匹の声が満ちていた。
当然といえば当然ながら、番台に置きっぱなしにしていた本は、誰にも注目されていなかった。この本でさえも、証拠隠滅を図る和馬の手によって、また倉庫の奥深くしまわれてしまうのだろうから、きっとこの文章に気付くものはいないだろう。
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こうして、二人の友を得た猫は、
これからはいつでも好きな時にこの猫の国から抜け出し、
思う存分外でいたずらができるようになったのです。
めでたし、めでたし。
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果たして、この結末を、和馬は見たほうが良かったのか、見ない方がよかったのか。
それだけは、誰にもわからないことだった。
END
Writing by 猫亞
Thank you for the order.
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