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END of KARMA ―choice & sunrise―
手紙に目を通した浅葱漣は苦々しそうな顔をする。
実家からの手紙は、思ったように帰還命令だった。
(何が延命処置だ……)
数ヶ月の延命を試みるために一度帰って来いだと? そんなもの……。
もう一通に目を遣る。
書かれていたのは日時と場所。それに覚悟の有無。
簡潔な内容だった。誰が寄越したものか……容易く想像がつく。
(決断の…………時がきたのか)
*
漣の様子は重苦しい。そのためか、夕食の間にも二人には会話らしいものはなかった。
「ごちそうさま」
日無子が手を合わせて、言う。
漣も食べ終えていた。いつの間に食べていたのか、気づかなかった。
(……話そう)
彼女に、自分のことを。
知っていることを。
「日無子」
「ん?」
彼女は明るい声で首を傾げた。
「……話がある」
漣の言葉に日無子は表情を消した。彼女は頷く。
「俺は……俺の体調が悪いのは、一族の呪いのせいなんだ」
「ノロイ……」
日無子の声はまるで機械のように冷たい。
「短命の呪。一子相伝の呪だ」
「…………」
「延命か、解呪か……二つの選択がある。今のままでは、俺は半年ももたない」
「…………」
反応しない日無子を真っ直ぐ見て、漣は続けた。
本当は怖い。彼女が嫌そうな顔をしたらどうする?
「……解呪の成功率はかなり低い。だから……」
日無子はすっくと立ち上がり、そのまま無表情で歩き出す。
戸惑う漣のほうを見もせずに、日無子は言った。
「お風呂、入ってくる」
「…………わ、わかった」
日無子が完全に見えなくなり、漣は大きく深く、息を吐き出した。
責められるわけでもなく……彼女はただ黙って聞いてくれた。胸のつかえが取れて、少しは楽になった。
不安はあるが、漣の心は不思議と落ち着いていた。
(最後まできちんと聞いて欲しかったんだが……)
自分がどうするか、もう決めていたのだから――。
*
食器などを片付け、日無子と入れ違いになるように漣は風呂へ入った。
熱い湯船に浸かり、安堵する。
(……日無子……何も言わない……)
入れ代わるように風呂に行こうとした漣を、彼女は見もしなかった。
あの冷たい瞳は……彼女が一ヶ月の眠りにつく直前ととてもよく似ている。
(怒ってるのか、な……。今までタイミングがなくて言えなかったこともあったが、やっぱり……)
自分が散々彼女に「死ぬな」と言っておいて……いざ漣は死の呪いを受けていると知ったら……。理不尽だと怒るかもしれない。
責められるなら、早いほうがいい。
別れを切り出されたらどうしよう。
(…………嫌だ)
漣は熱い湯の中で前髪を掻きあげる。その瞳は深い独占欲が占めている。
(嫌だ。絶対に手離すものか……!)
自分が執着した唯一の存在なのだ。せっかくこの手にした彼女を、失いたくない。
風呂からあがって歯を磨き、ふと気づくと部屋の電気はほとんど消されていた。
やはり気分が凹む。
(お、怒ってるのか……)
静かに歩いて、布団が敷いてある和室に入った。
畳の上にある一組の布団にはすでに日無子がいる。眠っているのだろうか。
落胆したように肩を落とし、漣は布団の上に軽く膝をつく。
「日無子、そのままでいいから聞いてくれ」
だが彼女は何も言わずに起き上がった。
「なに?」
「……これ」
実家からの手紙を取り出す。すると漣はそれを思い切り、真ん中から二つに破った。
「…………一縷の望みに賭けてみる。だから、実家には帰らない」
「…………」
決意した表情の漣は、日無子に手を伸ばして彼女の華奢な体を抱きしめた。日無子は驚いたように目を見開く。
「不安にさせたなら……悪かった」
「…………」
「でも、これだけは言える。絶対に日無子を置いていったりはしない」
「…………」
抱きしめていると落ち着いた。彼女の心臓の音と、暖かさが心地良い。
数分間そうしていて、さすがに漣は気恥ずかしくなってきた。
(……その……こういった時、どうすればいいんだろう……)
なにせ恋愛経験値がゼロに等しいのだ。気の利いたことすら言えないし、行動もできない。
キスだって、触れるだけのものしかしていない。それ以上は彼女が踏み込ませてくれなかった。
どうすればいいんだ……?
「あ、えっと……」
「…………漣」
どきっ、とした。
「……ん、んん?」
思わず声が裏返る。動揺が丸わかりだ。
「話してくれてありがとう」
彼女の手が漣の背中に回される。漣は顔を赤らめた。
「怒ってないよ、あたし。ただ……もうだめ」
「だ、ダメって……?」
「我慢できない……」
低い、艶やかな声が漣の耳元で囁かれる。切迫した日無子の声に漣の心臓が大きく跳ねた。
「漣が死ぬかもって思ったら心臓がひどく痛くて……。何も考えられなくて。
……あたし、あたし……」
堪えるように言う日無子の言葉に漣は頭の芯がぼうっとなるのを感じた。
まずい、と心のどこかで思った。このままでは……。
気づけば漣は彼女を押し倒していた。
状況に漣はきょとんとする。
なぜ自分が彼女を布団に縫い付けているのか、理解できない。
畳のにおい。布団のにおい。それら全てが明確に感じられ、妙な気分になる。
こんな匂いは、今まで気にしたことすらない。
薄暗い室内に差し込むのは月光。カーテンの隙間から微かに入ってくるそれだけだ。
頬を染めている日無子は少し驚いたような表情で漣を見上げていたが、困ったように顔をしかめる。
嫌がられる、と本能的に察知して漣は我に返りかけた。
「れ、漣……あの、言い難いんだけど」
冷静になっていく頭の中。彼女を押し付けている手から力を抜こうとする。
日無子が瞼をきつく閉じ、恥ずかしそうに言った。どこか泣きそうだった。
「あ、あたし……その、経験がないから……。知識はたくさんあるんだけど……。ご、ごめん、満足させられないかも」
その言葉に。
漣の頭のどこかでぷつん、と何かが切れた。
*
愛を交わすのはなんと官能的で幸せなことなんだろうか。
目を覚ました漣は腕の中の彼女を見てそれを噛み締めた。
後ろから寄り添うように彼女を抱きしめていると、徐々に頭がはっきりしてくる。
幸福で満足で、でも……どうしようもなく恥ずかしかった。
顔を赤らめて内心は苦笑する。
経験がないのは自分も同じ。彼女の健気な言葉に理性の糸が簡単に切れてしまう未熟者だ。
呪のせいでふらふらなのに、気分のせいか非常に身体が楽に感じる。
ぎゅ、と彼女を強く抱きしめた。
「……全てが終わったら海とか、行こうな」
ぽつりと小さく呟く。
もっと普通の若者のように彼女と過ごしたい。
今まで得られなかったものを得たい。
「……うん」
日無子の声が返ってきて、漣がビクッとみっともなく反応した。
「ひ、日無……お、起きてたのか?」
「……いま起きた」
「あ、えと……身体、だ、大丈夫、か?」
どもってしまう。
漣とは違って、日無子のほうが負担が大きいはずだ。
「大丈夫。だてに鍛えてないから」
「そ、そうか」
安堵する漣のほうへ日無子は向き直った。
どことなく艶やかな感じを受けてしまうのは、気のせいだろうか?
彼女は微笑む。いつもと同じように、屈託のない明るい笑顔だ。
「でも、漣、嬉しそうだね」
「え? そ、そうか……?」
赤面する漣に彼女は嘆息した。
「あーあ。漣の体調が悪いからって、遠慮してたあたしの努力はなんだったのかなあ。
あ。そういえばあたし、ちゃんと言ってなかった」
へ? と漣は身構える。
日無子は漣の頬に手を遣り、くすぐるように撫でた。
「あたし、漣のこと大好きだよ?」
その笑顔に、「反則だ……」と漣は思ってしまう。
恥ずかしそうに俯いてしまう漣に彼女はくすくす笑った。
「ね、もっと言ってあげようか?」
やめてほしい、と少し思ったが……。漣は小さく頷く。
彼女の愛の囁きを受けながら、漣は決意していた。きっと必ず、この呪いを解こう――――と。
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