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記録採集者―名―
――私の記憶力は悪い。
それは常々自覚していることだ、と自身に言い聞かせながら、それでも日を大きく跨がないで起こっている事項については流石にこの常套句も通用しない。
秋月律花
既に顔を名前を憶えてしまった。
あと、個人を識別する他の要素も加えて幾つか。
気配とか空気だけで認識することはまだ出来ないけれども、一般的で人並みな関係を考えたとしたら、そういうのは必要ないのかもしれない。
向かう方向が同じだという理由で隣を歩く律花を、手にしたクレープを食べながら横目でちらりちらりと少女は見る。
「何か用ですか?」
「……別に、何も」
その時には偶然と必然の定義をどうとか考えるのにも厭き、取りとめのない会話を始めるも、口にするのは少女自身あまり有益な言葉を発しているとは思えなかった。
政治についてと言えば、難しい用語ばかりであるのと、日本人特有の性質として結論が最後に来ることから、完璧に流れを把握しているとは言い難い。
刑事事件についてと言えば、興味のある類の知識については深いが、それ以外については浅い。興味があるといっても、主婦好みの芸能スキャンダルネタが多いことは口が裂けても言えやしない。無差別に記録を収集しては分別していると言っても、その全てを保持し続けるには容量がなく、結果として幾つかは破棄するに至っている。
そう言えばこれからどこに行くのかという問いに、律花は、
「内緒です」
と意味深な答えを返した結果の方がよっぽど気になり、いっそここで記録を奪って知ることも――一瞬だけ考えてはみるものの、得られる記録があまりにもくだらないので却下する。そんなことを考えるなんてどうかしてるのかも、と少しだけ自嘲してみるも、考えたという事実は否めない。
「それで、最近は仕事は上手く行ってます?」
「仕事というか、趣味だけどね。あまり順調じゃないわ、正直」
「そうなの?」
「うん。正直……狩り尽くしたのかも」
身長のせいで歩幅の狭い少女に合わせて、律花もゆっくりと歩いてくれる。会話をするときはどうしても視線を上げないといけないことは少女をもどかしく感じさせたが、将来に期待ということで自らを納得させる。
互いに怪我も病気もない。最近少女の人差し指には一筋の切り傷が生まれたが、それは仕事とは全く関係のない類の話。
「でも色々と考えてみて、得た記録が客観的でも、結局は判断するのは私の主観でしかないんだよね。それが少しだけ妙な感じがするのが、最近はとても厭だな」
「判断するのが機械でなく人間に託されている以上、それは仕方のないこと。あなたの言う通り、記録に価値を付けるのは人間の主観なのよ」
だったらこれからどうすればいいのかが、一番の問題。
両腕を組んで、むうと唸っている少女の隣では、律花が愉しそうに微笑んでいた。
「それじゃあ、私ここだから」
目的地の場所を指差し、少女は律花を別れようとする。くるりと踵を返すも、視界には不十分にしか鍛えられていない胸板が入って先に進めない。視線を上げると、比較的誠実派がタイプに取っては嫌悪感すら抱きそうな外見の青年数人。
邪魔だと言おうとするも、目標は当然ながら律花の方。将と得んと欲すれば何とやらよろしく、少女の方にも執拗に声を掛けてくる。ここで安易にあしらえば律花にも害が出るかもしれず、少女は「はあ」と適当に頷くしかない。どうしたものかと考えあぐねていると、後方から呻き声が聞こえる。
「……?」
視線をやると、蹲る青年の一人と、究極の笑みを浮かべている律花。よく見れば青年の方は、下腹部を押さえている。見ていない部分の補間はこれ一つで凡そ可能なのだろう。白けたのか、残った数人は同時に一歩下がった。
「 」
少女すら思わず耳を疑った律花の啖呵が、決定的だった。ぱらぱらと拍手すら聞こえてきそうな場を残して、少しだけ勝ち誇った律花が少女の下に近寄って一目散にその場を脱した。その場から数十メートル離れた一画に身を隠したところで、漸く掴んでいた少女の手を離す。
「大丈夫だった?」
「ここは大丈夫だったかという問題より、律花さん身の危険を感じて欲しかったな。いざとなったら斬るし、私」
「表立ってするのは、良くないと思います。警察に捕まったら厄介でしょ?」
「……ここは律花さんの顔に免じて、勘弁してあげる。でも、危険分野の担当は私、それ以外はそっち。それだけは譲る気ないから」
ぴしっと指を向け、少女は言いのける。
それじゃあと背を向ける少女は、「怪我したら困るんだから」と声にならない言葉を呟いた。
「名前、女の子らしいのだから言いたくなかったんだけど」
少しだけ困ったような色を浮かべて、少女は律花の方に向き合う。
「呼ぶ相手がいるのって悪くないのかもしれない」
律花の方も、少女を友人として認識し始めていた。
「そうね」
その事実を認め、肯定の意を返す。
やり取りが少しだけ奇妙で、ほんの少し嬉しくて。
「私も、あなたを名前で呼びたいわ、いつか」
「それは研究対象として?」
「一人の大事な友達として、かな。まだちょっと曖昧な感情で、はっきりとは断言できないけど、そんな感じの気持ち」
名前を知らなくても仲良くは出来る。でも、固有のあなたを呼ぶための識別子を、私は持ちたい。
「花の名前。花言葉で、私にはらしくない意味を持つ花の名前。だから言うのは、躊躇うんだけど」
それを前提にと置いて、少女は口を開いた。
【END】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【6157/秋月律花/女性/21歳/大学生】
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■ ライター通信 ■
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お久し振りです、千秋志庵と申します。
依頼、有難うございます。
前回の続編という形になっています。
花の名前を持つ少女。
少しずつ進展していく関係に、愉しみながら書かせていただいています。
戦闘とは全く無縁の世界で、『友達』という仲になっていけたらなと思います。
兎にも角にも、少しでも愉しんでいただけたら幸いです。
それでは、またどこかで会えることを祈りつつ。
千秋志庵 拝
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