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『ミルキーウェー』
ただ護る事で一生懸命だった。
それが重荷だとは思わなかった。
他にももっと辛い記憶があるから。
同じくらいに辛い記憶を未都を一度失った時に心にまた刻まれたから。
心に走った皹から流れ出る血に染まりながらも、
それでもまだ、
だから心は望む。
―――強くある事を。今度こそ大切な人を、その人と一緒に居られる居場所を護れるようにと。
だから俺は絶対に忘れない。二人を失った時の事を。
それが俺の贖罪で、そして強くある事への想いの証。
もう掴んだ手を、離さない。
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Mito+a
ひょこりん、と人ごみの中から顔だけを出すのは龍斗お兄ちゃんが未都を見てびっくりしてしまわないように。
驚いて、緊張して、負けちゃったらかわいそうでしょう?
きゃぁー、という黄色い歓声。
龍斗君、がんばってー、とか、照亜先輩、ファイトー、なんて女の子の声が体育館を揺るがす。
なんとなく龍斗お兄ちゃんの相手の殺気が2割り増しになったように感じたのは、未都の思い違い?
先ほどまでの試合は【フルーレ】。
だけどこれから龍斗お兄ちゃんが出る試合からは【エペ】。
だから未都は龍斗お兄ちゃんを心配する。本当は【エペ】はやめて欲しい。
【フルーレ】や【サーブル】のようにメタルジャケットを着込んでいない龍斗お兄ちゃんは体のラインがぴったりと出るタイプのユニフォーム(これはここだけの内緒ね? 龍斗お兄ちゃんがフェンシングをし出すまでこのユニフォームって全身タイツかと思ったら、違っていたんだね。びっくりだよ。ちゃんと上着とズボンに別れていて、ズボンは膝までで、そこから下はハイソックスなの。)に身を包み、フェンサーらしく白一色で、それがどことなく凛と咲き誇る白薔薇を思わせてカッコいい。
【エペ】。それは決闘のフェンシング。
3種目の中でも一番重い剣を龍斗お兄ちゃんは構えて、そして試合(決闘)が始まる。
この競技は先に突いた者勝ち。
エペ、決闘という名の通りに決闘の要素をそのまま受け継いだこの競技は、4分間の間には決着がつかないものもあって、
素人の未都の目から見ても龍斗お兄ちゃんと相手は同等。
だから必然と相手を倒すために攻撃も苛烈となる。【エペ】はどこを攻撃しても良いって認められているの。
「あ、龍斗お兄ちゃん!!!」
未都は思わず目を瞑っちゃう。だって、相手の剣が龍斗お兄ちゃんの足に!!!
きゅぅ、ってシューズが床板を踏み鳴らす音がして、それで歓声。大気がびりびりと揺れるのを感じる。
おそるおそる目を開けるとまだ試合はやっていて、
それで、
龍斗お兄ちゃんと相手は同時に突きを放って、お互いを攻撃した。
お兄ちゃんたちは後ろに飛んで間合いを計り、体育館内はしーんと静まり返る。
どうなったの? 未都の睫が忙しく動く。
「ク・ドゥブルよ」
ク・ドゥブル?
えっと、どういう意味だったかな?
「同時突き。お互いに点が入ったの」
さらり、と軽やかな声がした。
未都が声がした方を向くと、少しだけ未都の顔よりも高い場所にあるその綺麗な女の人の顔は、優しそうに微笑んだ。
「こんにちは。お兄さんの応援?」
Ryuuto+a
試合に負ける気はしなかった。
負ける訳にはいかない、という表現の方が正しいかも。
未都印のお守り。
そして内緒でされていたソックスの羽根の刺繍。
そう。お守りの効果と、ソックスに刺繍された羽根の効果で、今日の俺は何倍も凄いから。
そして試合が始まる。
針のように細く鋭い緊張感が心地良い。
周りの声はノイズ。
意識は相手に集中している。
剣を避けられたのはやはりお守りと刺繍のおかげ。
ク・ドゥブル。
だけどその後直ぐにポイントを取り、俺は勝利した。
試合が終わり、その後のミーティングも終了して、体育館の玄関を出ると、そこには予想していなかった光景があった。
思わず眉根が寄るのがわかる。
そこに居たのは妹の未都と昨日告白を断ったはずの彼女だった。
先ほどまで降っていた雨の匂いがまだ大気に残っていて、そして夕暮れ色に染まり始めた空に浮かんでいるのは珍しい二重の虹だった。
しかし俺は未都の頬にも虹が見えるような気がした。
………つまり泣きそうだ、という事だ。
俺は困惑する。
「えっと、あのね、龍斗お兄ちゃん。未都、龍斗お兄ちゃんをびっくりとさせたくって、それで内緒で試合の応援に来たの」
「照亜君の試合も一緒に応援したんだよ」
彼女はにこりと笑う。
それから意味ありげな視線。
だけど雨の匂いが俺の心に霧を発生させて、その視線を遮断する。
雨は、トラウマだ。
未都が外に居る時の雨は。
それは俺が覚えている事で、
そして未都は覚えていない事。
それをズルイとは思わない。
寧ろ忘れていて欲しいと思うから。
もう、雨に打たれるだけの冷たい小さな体は、見たくは無いから。
「お疲れさん。応援、ありがとう」
何から逃げるのかといわれれば、それは未都が雨の匂いがする場所に居る事から。
だから俺はリボンのついた黄色い手袋を握る。
―――だからそのリボンのついた黄色い手袋が震えた事も、硬い事も、きゅっと握り返してくる事も無かった事も、俺は気付かなかった。
……………気付けなかった。
「帰るぞ、未都」
「………龍斗お兄ちゃん」
「タイム。お茶ぐらい、しようよ。そんなに邪険にしないで」
悪意の無い彼女の微笑を見据えながら断りの文句を考える俺の視界の中で、未都のもう片方のリボンのついた黄色い手袋が、彼女の手に引かれた。
Mito+b
ファミリーレストランの奥のボックス席。
そこで未都は龍斗お兄ちゃんと並んで座っている。
こういうの時の隣は嬉しくは無い。
こういう時は未都は龍斗お兄ちゃんの前がいいよ。
だけどその希望する場所は彼女に取られていた。
未都は知っているよ。
この人が龍斗お兄ちゃんの好きだったお姉さんに似ている事。
さらさらの黒のショートカットの髪に縁取られた顔は、前に見た写真の中のお姉さんによく似ていてすごく綺麗で、
胸なんかもすごく大きくって、
肌も雪のように白い。
細くって、
手足もすごくしなやかに伸びていて、
本当にまるでモデルさんみたい。
だけど未都は…………もう――――――
だけどもう未都は―――――――
甲高いブレーキ音と、激しい水の流れる音。だけどその中ですぐそこで聴こえるこぽこぽこぽという音―――――
これは、何?
龍斗お兄ちゃん…………
――――三人で座るボックス席。
すぐ隣に座っている龍斗お兄ちゃん。
だけど龍斗お兄ちゃんがすごく遠いよ。
昨日の事が…………何だか遠い、昔のようだよ―――――――
ひょこりん、と家のリビングでソファーに座って、剣の手入れをしている龍斗お兄ちゃん。そのお顔はちょっと怖いほどに真剣。剣の手入れをちゃんとしていないと突きが決まった時に電流が上手く流れなくってポイントが認められないんだって。
だから龍斗お兄ちゃんは真剣。そして龍斗お兄ちゃんのそんなお顔はカッコいい。
未都の顔も綻ぶ。
「どうした、未都?」
顔文字の[壁]・。)ジー、みたいな感じでリビングの出入り口の所から見てた未都に剣から視線を移して、龍斗お兄ちゃんは前髪を揺らした。
「えっと、あのね、未都も龍斗お兄ちゃんと一緒に作業していい?」
いつも龍斗お兄ちゃんと一緒がいい。
龍斗お兄ちゃんの隣がいいの。
それが未都の幸せで、
それで心は春の陽だまりのようにぽかぽかになれるから。
龍斗お兄ちゃんは舞台上の役者さんのように大仰に肩を竦める。
「甘えただな、未都は」
くすりと優しいぬくもりに満ちた意地悪な笑みを浮かべて、龍斗お兄ちゃんは横に移動してくれた。
未都はいそいそと両手で紙袋を抱え持って、龍斗お兄ちゃんの横に移動する。
と、座ろうとした瞬間にすかさずソファーの前のテーブルの上に乗せてあったクマちゃんが予定地に乗せられる。
ソファーに乗せようとしていた未都のお尻をクマさんは硝子玉のつぶらな瞳で見つめていた。
クマさんのエッチ。
「龍斗お兄ちゃんのいじめっ子ぉ〜」
未都は紙袋をテーブルに乗せて、そしてクマさんを持ち上げると、それを抱え持って、ソファーに座って、クマさんは未都の足の上に乗せた。
呆れたように苦笑する龍斗お兄ちゃんの横で未都はご機嫌。
龍斗お兄ちゃんの横にいつも居たくって、くっついている未都。
カルガモの親子のように未都は龍斗お兄ちゃんの後をくっついていく。
龍斗お兄ちゃんはそんな未都に甘えただな〜、って笑うけど、でもいつもそれを許してくれる優しい人。
だから未都は龍斗お兄ちゃんのその優しさに甘えるの。
甘えられるだけ甘えたいの。
龍斗お兄ちゃんが大好きだから。
それだけで充分。
今は……………
「…………今だけは」口の中だけで呟く。無意識に。
心の中だけで続ける。
龍斗お兄ちゃんが、泣いちゃうから。
―――――――今だけは見ない様にしていても、わかっているから、本当は……………
「どうした、未都?」
「ううん、何でもないよ、龍斗お兄ちゃん。テーブルの上、ビーズ広げていい?」
「ビーズ?」
「うん。いいよ」
龍斗お兄ちゃんは剣の整備を終えると、それを鞄の中に入れて、テーブルの上は未都が紙袋から出したビーズの道具で占領される。
「また何を作るんだ?」
「携帯電話のストラップ。頼まれたの」
未都がにぱぁ、と笑うと、龍斗お兄ちゃんも微笑んだ。
黄色いリボンは揺れる。
未都の手が動くのと一緒に。
黄色の手は魔法の手。
指は小さなビーズを摘まんで、細い糸を通して、
黄色い指は色とりどりのビーズの海に沈んで、選んだビーズで可愛らしい犬を作る。
ビーズアクセ。
既存のようなストラップを作るのも得意だし、ビーズでお人形を作るのも得意。大好き。
「ふーん、やっぱり未都は得意だな、そういうの」
「うん」
未都は龍北斗お兄ちゃんが見ているから調子に乗って、ちょっとテレビに映るプロの人のように手を動かす。
黄色い手袋の指は手袋をはめた状態の手、とは思えないほどの器用さで動く。
未都の想いを反映している。
「はい、出来上がり」
きゅ、っと糸を結んでやって、それで完成。
そんな感じで龍斗お兄ちゃんの前でビーズアクセの携帯ストラップを完成させた。
盗み見た龍斗お兄ちゃんの顔は何だか自慢そう。未都みたいな妹を持ってえへん、って得意げ?
だったら嬉しい。
「龍斗お兄ちゃんのも作るよ? どんなのがいい?」
未都が嬉しさを込めて言うと、龍斗お兄ちゃんは未都に携帯電話をぶら下げて見せた。その携帯電話には前に未都が龍斗お兄ちゃんが喜ぶ顔が見たくって作ったストラップがぶらさがっている。
嬉しさ9、残念なのが1。
未都が作ったストラップを大事にしてくれているのがすごく嬉しい。
でも龍斗お兄ちゃんにその頃よりもレベルアップしたストラップを作って上げられないのが残念。
「あっ、でもだったら、お守り作る」
「お守り?」
「うん。だってフェンシングなんていくら剣の先が潰してあっても危険だもん。だから龍斗お兄ちゃんが怪我しないように想いを込めて。それで次に勝てるように」
うん。怪我をしないのがまず大事。その次が勝利。
そう言う未都に龍斗お兄ちゃんは笑った。
「でもだって怪我したら大変だよ」
未都がそう言うと、そうだな、って龍斗お兄ちゃんはちょっと大人っぽい顔をした。まるで勝つためなら怪我をすることなんてどうでもない、それこそ肉を切らせて骨を絶つ、そんな男の子的な顔。
未都に言わせたら間違った覚悟の表情………
「心配だよ、未都は」
「ありがとう。でもフェンシングは面白いよ? 未都もやる?」
「え、え、え」
未都は慌てる。だってフェンシングのユニフォームって、
「全身タイツなんでしょう? 身体のラインがでちゃうよ」
女の子には恥ずかしよ。
未都は両手の黄色い手袋で顔を覆う。
「全身タイツじゃない。前に見せてあげたでしょう? 大丈夫だよ。ゆったりめのユニフォームもあるから。だから未都の身体のラインも隠せる。でも今度はそれはそれでぶかぶかになるかな?」
意地悪く笑う龍斗お兄ちゃん。でも未都が心配する身体のラインと龍斗お兄ちゃんが言う身体のラインは意味が違うように感じられるのは未都の想い過ごし?
違う。想い過ごしじゃない。意地悪く笑う龍斗お兄ちゃんの眼が言っている。大丈夫。幼児た………
「仲間同士で仲良くやっていて」
えい、ってエッチなクマさんを龍斗お兄ちゃんの顔に押し付けた。
龍斗お兄ちゃんはくすくすと笑いながらクマを未都の頭の上に乗せる。
ふん。そんな可愛い事をしても許してあげないんだから。
――――構ってくれるのは嬉しいけど。
横目で見た龍斗お兄ちゃんは立てた片膝に両手を乗せて、その上に顎を乗せて未都を見ていた。
「でも未都はそうやってかわいい小物をたくさん作って、他の人の笑顔を見ている方が幸せかな?」
他の人………龍斗お兄ちゃんの笑顔が一番幸せ。
大好きな龍斗お兄ちゃん。だから本当に龍斗お兄ちゃんが怪我をしちゃわないようにお守りを作らなきゃ。
お裁縫箱の下の段に入れられているフェルトを取り出して、黄色い手袋がハサミを持つ。手袋はフェルトも持って、
黄色い手袋はリボンを揺らしてハサミを使って、フェルトを、ちょきちょきちょき。
綺麗に切れたフェルト。
今度は左手の黄色の手袋で針を持って、
右手の黄色い手袋で糸を持つ。フェルトと、未都の手袋と同じ黄色い糸。
小さな針穴。
糸を持った黄色い手袋のリボンは今度は揺れない。
リボンを揺らさずにそっ〜〜〜と糸を針穴に。
針穴を通過した糸の先端をさっと黄色の手袋の指先で持って、さらりと結ぶ。
今度は黄色いリボンをリズミカルに揺らしてお裁縫。ちくちくちく。
あっという間にお守り袋の完成。
「お守り袋の中に入れるご神体は?」
「大丈夫。ちゃんとあるから。すごーくご利益の高いご神体なんだよ」
と言いつつ、白い紙に黄色の水生ペンを持った黄色い手袋がリボンを揺らしながら書くのは龍斗お兄ちゃんが怪我をしませんように、って。それを入れる。あと未都と龍斗お兄ちゃんの顔が写ったプリクラ。
「完璧」
満足げに言う未都に龍斗お兄ちゃんが笑う。
「完璧ね」
「うん。完璧だよ。すごいご利益なんだから。これで明日の試合は絶対に怪我をしないよ」
「ありがとう」
誇らしげに言う未都にだけど龍斗お兄ちゃんは子どもをあやすような表情。
「信じて無いでしょう? 龍斗お兄ちゃん」
半目で言う未都に、
「信じてる。信じてる」
そう真面目な表情で言う龍斗お兄ちゃん。
未都は頬を膨らませる。
「ああ、子ども扱いしている。龍斗お兄ちゃん、ひどい。未都はお子ちゃまじゃないもん」
「はいはい」
頭を撫でられる。
ぶぅー。
嬉しいけど。
龍斗お兄ちゃんは笑いながら明日は試合だから、って寝に行ってしまった。
未都にもお子ちゃまは早く寝るように、って言って。
ぶぅー。
だけどちゃんと龍斗お兄ちゃんは未都印のお守りを鞄の中に入れてくれたよ。
それがすごい嬉しい。
でもやっぱり今回も反応が今一。
それがちょっと不服。
龍斗お兄ちゃんがすごく喜ぶ顔が見たいのにな。
「どうすれば、喜ぶかな?」
ソファーの上で両足を抱えて、膝小僧に顔を埋める。
浮かんだベリーナイスなアイデア♪
「そうだ。そうしよう」
未都は針に糸を通して、そうして龍斗お兄ちゃんの鞄のファスナーを開けた。
そう、そんなにも未都は幸せだったの。
龍斗お兄ちゃんの笑顔がすぐ隣で見られて、
龍斗お兄ちゃんが未都だけを見てくれて、
大好きな龍斗お兄ちゃんの事だけを考えられて、
すごくすごくすごく幸せで嬉しかったの。
なのに………………
「仲良いんだね、妹さんと」
――――――妹さんと…………………………
知ってるもん。
わかっているもん。
未都は妹だって。
血は繋がっていないけど、妹だって。
それでも………それでも…………血は繋がってはいないから、だからひょっとしたら、って………………
だけど決定的な事が、未都に…………
――――未都は龍斗お兄ちゃんの素敵なお嫁さんに………………
落雷。
また激しく降り出した雨。
車の、急ブレーキの音。
―――――胸が痛い。
「未都? 大丈夫か?」
龍斗お兄ちゃんの心配そうな声。
ダメ。
龍斗お兄ちゃんにそんな顔をさせたら。
未都は哀しいよ。
だから未都は笑うの。
雨の音と、
落雷の音と、
車の急ブレーキの音がすごく怖いけど。
怖い?
――――どうして?
それは…………
「未都、本当に大丈夫か?」
「うん。でも未都、帰るね」
「だったら今、迎えに…」
龍斗お兄ちゃんは携帯電話を取り出して、
そしたら、
「あら、素敵なストラップだね」
彼女が未都が龍斗お兄ちゃんのために作ったストラップに触って、それで、
カチカチカチカチ、
糸が切れて、ビーズがテーブルに当たって、音を奏でた。
未都が龍斗お兄ちゃんのために作ったストラップが、壊れてしまった………
『龍斗お兄ちゃん、このストラップ、携帯に最初から付いてたの使っているの?』
『じゃあ、未都が龍斗お兄ちゃんに素敵なストラップを作るよ』
『はい、龍斗お兄ちゃん』
『わぁー。大切にしてくれる? すごく嬉しい』
未都は龍斗お兄ちゃんの笑っている顔が好きで、見たかったの。
だけどそれは未都が龍斗お兄ちゃんが大好きなだけじゃなくって、本当は、未都が大好きな龍斗お兄ちゃんをあの時に泣かせちゃったから………
あの時って何時?
何時?
―――――『死にたくない………死んじゃいたくない…だってお嫁さんになる夢もまだ叶ってないもん…………お兄ちゃん…お嫁さん…………』
「―――――ぁっ」気付いたら未都は悲鳴をあげていて、
そして走ってお店を出ていた。
Ryuuto+b
重なる、あの時と。
どうしようもなくあの時と重なる。
どうしてまた、俺は………
――――――ダメな兄貴。
一度目の後悔は姉の時。
その時は無力だった。
とてもとても。
二度目の後悔は未都。
その時は傍にも居てやる事は出来なかった。
身体を鍛えたって、大事な時に居てやれなければ、何の意味も無いじゃないか!!!
そして三度目の今は、
その手を握ってやっている事ができなかった!!!
雨の中を俺は走っている。
未都を探して。
重なる状況に俺は心の中で焦るばかり。
あの時も、こんな風に雨が降っていた。
『猫が、捨てられている』
小さな空き箱。バスタオルが敷き詰められている空き箱の中で仔猫は鳴いていた。泣いていた。
『みゃぁー』
か弱い声でそう一声、鳴く。泣く。
『ダメだよ、未都。家では飼えないよ』
『うん。でも、かわいそう…』
―――結局二人でこっそりと飼った。
近所の神社の境内で。
仔猫はすぐに俺たちに慣れて、俺たちの言う事なら何でも聞くようになった。
俺はあまり情が移らないように最低限の事だけをやって、後は飼い主を探すようにした。本当に最低限の事だけを。
だけど未都は違った。
仔猫に情をかけて、きっと未都はずっとこの時が続く事を願っていた。
仔猫の飼い主は意外にもすぐに見つかった。
仔猫はその人に渡された。
未都は泣かなかった。
泣かなかったけど、連れられていく仔猫をじっと見つめていた。
俺たちは血は繋がっていない。
複雑な家庭環境もある。
だからきっと未都は捨てられていた仔猫に、自分を重ね合わせていた。
それをわかっていないわけではなかった。
寧ろわかっていたから、だから未都が傷つかないように、俺は未都が猫に情をかけすぎないようにした。
ある日突然、その繋がりが絶たれる痛みを俺は知っているから。
本当にある日突然、何の前ぶりも無く、別れは、不幸は、悪意は襲ってくる。
だから………
――――結論から言えば、俺はわかってはいなかった。
逃げていただけの事を厭と言うほどに理解させられた。
雨に打たれるだけの動かない未都の小さな身体を抱きながら。
仔猫を貰ってくれた人から電話があったのだ。
仔猫が居なくなって、そしてそれを未都に伝えたら、未都もどこかへ行ってしまったと。
きっと未都は泣いている仔猫に自分を重ね合わせていた。
だから俺が本当にやらなくっちゃいけなかった事は、仔猫を他にやる事ではなく、護ってやる事――――
仔猫を飼っていた神社。
その階段を駆け下りてくる仔猫。
激しく雨が降る中、
大きな落雷の音が響く中、
仔猫は怯えたように走っていた。
そしてその仔猫を追いかける未都。
道路の真ん中で仔猫をつかまえた未都の横顔は確かに涙に濡れていて、
そしてその涙に濡れた未都の顔は、仔猫をその腕に抱いた瞬間に、未都の方こそが、夕暮れ時の人ごみの中で迷子になって、途方に暮れて、泣いてしまって、誰も声をかけてくれない人ごみをさ迷って、さ迷って、それでようやっと母親に見つけてもらえて、泣き出してしまった幼い子どものような、心細かったその恐怖に、見つけてもらえた幸福と安堵に泣きながら笑うような、そんな表情が浮かんでいて、
それで俺は仔猫を頼み込んで、返してもらおうって、そう決めて、だけど、そこに車が走ってきて、
急ブレーキの音が雨の中で響き渡って、
未都の小さな身体は、雨が降る中を、落雷の音がする中で、舞って、
舞って、
道の隣の川に、落ちた…………
車に撥ね飛ばされた未都は、川に落ちた………
『みぃとぉー』
―――頭のどこかで何かがぷつん、と切れる音が聴こえて、
周りの闇から何かがざわりと蠢いて、
土砂降りの雨のせいで水かさが増して、流れも速くなっている泥水の川の中に俺は何かと一緒に飛び込んで、
そうして、気付くと俺は未都の動かない小さな身体を抱いて、
『――――――――――ァッッッッ』
夜の闇に向かって、啼いていた。
俺は走っていた。
そして未都を見つけた。
未都はあの神社の階段の前の道の真ん中で蹲っていた。
その未都に声をかけるのは怖かった。
声をかけた瞬間に未都が消えてしまいそうだったから。
それでも未都に声をかけたのは、大事で大切で、ただひとりの妹が泣いていたから。
「未都」
未都の瞳が俺の顔を見た時、きっとその瞳に俺を責める感情の色が浮かんでいたら、俺は楽だった。そしたら俺は俺を心置きなく責める事が出来るから。
でも未都の目に浮かんでいたのは俺を求める感情の色で、
だから俺はその感情の色に、ズルくも安心と、罪悪と、他のたくさんの感情を抱いて、未都を抱きしめた。
小さな身体はガタガタと震えていて、
リボンのついた黄色い手袋はぎゅっと俺の身体を求めてきて、
全身で未都は俺を求めてきて、
だから俺も本当に強く強く未都を抱きしめた。
ごめん、と言う事も出来なくって、
他に言う言葉も適切じゃない気がして、
胸にある痛いほどの想いは言葉には出来なくって、
だから俺には未都を抱きしめる事しか出来なくって、
なのに未都は、「ありがとう。龍斗お兄ちゃん」って、言ってくれた。
俺は顔を横に振る。
未都は訥々と言った。
ずっと抱き続けていた自分の存在への想い。
だから俺は、未都の涙に濡れた黄色いリボンのついた手袋をぎゅっと握った。
「大丈夫。おまえは生きている。おまえはおまえだから、ありのままでいるのが一番だ」
「ありがとう。龍斗お兄ちゃん」
未都の身体の震えは消えはしなかったけど、だけど小さくなっていった。
だから俺はその震えが消えるまで、この大切で護るべき存在である妹の小さな身体を抱きしめていようと想った。
あの日のように雨に打たれながら雨を降らせる空を見上げる。
その上にある空に願う。
ただただ妹の未都の幸せを。
一日一回必ず強く願う事を今も。
その一日一回心に強く願った想いが、一つ一つの星が集まって、天の川を成す様に、大きな祈りの川となって、そうして願う彼女の幸福に、ちゃんと未都を送り届けてくれるように、と。
だから俺は、それを願い続けた。
どうか大切な未都が幸せになるように。
その時が来るまで俺は絶対にどれだけ傷ついても未都を守り続けるから。
その想いの約束の証かのように空は明けて、そこには天の川があって、それを未都が涙に濡れた顔で見上げて、綺麗、と呟いた。
「そうだね、未都」
【ending】
「うん。完成」
かちり、とペンチで金具を閉じて、ストラップを完成させる。
前のストラップは壊れちゃったから、だから新しいの。
心を込めて。
感謝を込めて。
ねえ、龍斗お兄ちゃん。
知ってる?
未都はね、いつも未都の存在に不安を感じていたの。怖かったの。
だからあの時も、龍斗お兄ちゃんが来てくれるまで消えてしまいそうなぐらいに怖かったの。
不安だったの。
哀しかったの。
だから龍斗お兄ちゃんが来てくれて、未都を抱きしめてくれて、すごく嬉しかったんだよ。
龍斗お兄ちゃんがあー言ってくれて、すごく嬉しかったんだよ。
ありがとう、龍斗お兄ちゃん。
だからこのストラップに未都の龍斗お兄ちゃんへのありがとうな気持ちと、大好きを込めて。
「どうした、未都?」
「うん、あのね、龍斗お兄ちゃん、はい、ストラップ。新しいの」
「ありがとう、未都」
どこか悪戯っぽい龍斗お兄ちゃんの顔。
そして龍斗お兄ちゃんは未都から受け取ったストラップを、携帯電話に取り付けた。前に未都が贈ったストラップと一緒に。
「お兄ちゃん、その携帯電話のストラップ!?」
「直したんだよ。だってせっかく未都が作ってくれたストラップだろ?」
「龍斗お兄ちゃん」
未都は龍斗お兄ちゃんに抱きついた。
だって本当に嬉しかったから。
「本当に未都は甘えただなー」
っていう言葉にも、だけど頭を撫でてくれる龍斗お兄ちゃんの手が優しかったから、だから頬は膨らませなかった。
→closed
++ライターより++
こんにちは、照亜未都さま。
いつもありがとうございます。
こんにちは、照亜龍斗さま
はじめまして。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。
前回ノベルの嬉しい感想を聞かせてくださってありがとうございました。^^
とても嬉しかったです。^^
本当にほっとしました。
可愛らしい物語、そうなれたのはでもやはり未都さんとPLさまの持たれる可愛らしさと優しさのおかげだと想います。
私はそれを形にするお手伝いをさせていただいたまでですから。^^
やはりPCさまはPLさまの鏡で、私は未都さんから感じた優しさと可愛らしさをそのままお話にしただけですから。^^
でも本当に嬉しかったです。
こちらこそ、本当にありがとうございました。
願わくばこのノベルもまた、お気に召していただけます事を祈っております。
未都さまへ。
ご依頼ありがとうございました。
龍斗お兄ちゃん大好き、という感情をたくさん書けて、
そして身体いっぱいで表現する未都さんを書けてすごく嬉しくって、楽しかったです。
今回は展開が少女漫画的な感じで、ちょっと未都さんにとっては辛い感じでしたよね。
私も凄く書いていて辛かったです。
でも最後の龍斗お兄ちゃんが来てくれて、抱きしめてくれて、黄色い手袋を握り締めてくれたシーンがあって、それまでの辛い想いも幸せな想いで書き換えられました。
たくさんの辛い事があって、どうしようも出来ない事がって、恐怖や不安が合って、だけどそれでもいつでも泣いている未都さんの所に龍斗お兄ちゃんは駆けつけてくれて、抱きしめてくれて、守ってくれるのだろうな、ってすごく書いていて思えて、だから安心できました。^^
未都さんも安心ですよね。龍斗お兄さんが居てくれるから。^^
ですから本当にお二人の絆は書いていてすごく楽しくって、嬉しかったです。^^
龍斗さまへ。
ご依頼ありがとうございました。
フェンシング、ハイソックスのワンポイントとか、剣のブレードテープとか、ちょっとしたフェンサーのお洒落心なポイントだったりするそうなのです。
ですからお兄ちゃん想いの未都さんはこっそりとハイソックスを取り出して、ちくちくと羽根の刺繍を。(^―^
選手の控え室で着替える時にハイソックスにこっそりと刺繍がされていた事にくすりと笑い、それでこれは余計に負けられないな、って心に誓った設定があったりします。
あのきゅ、というシューズの音と歓声のシーンはそのような裏設定が。つまりソックスの羽根の効果でフットワークが軽かったのです。
未都さんの視点から見た、描いた兄妹愛とはまた違った愛情、想い、絆、それを書くのは凄く光栄でした。
うん。光栄、という言葉が相応しいと想います。守りたいと想った事、誓った事、そういう未都さんとの絆を一番最初に書かせていただける機会を与えてくださった事に本当に感謝をしております。
守れなくって、だから守る事を誓って、守ろうとして、悲壮なぐらいにそれを誓って、自分に背負わせて、そういう姿が尊くって、同時に少し哀しくって。
お姉さんの事、未都さんの事があって。
だからすごく心配な面もあって、
だけどやっぱりでも、守っているようであって、守られている面もあって、未都さんが居るから、未都さんに守られているから、だから大丈夫って。
いつか願った一つの想いがより集まって川となって、願う場所に辿り着けるように、そう私も願っています。^^
そして今回は未都さんにとって、龍斗さんにとってすごく重要な設定を書かせていただけた事を感謝いたします。
未都さんの亡くなるシーンには私なりの兄妹の背負う物や想い、そういうモノを込めて書かせていただきました。
いつか本当にお二人がたくさんの色んな想いや壁を乗り越えて、幸せになれる事を祈っております。
それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。
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