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記憶の迷宮 3
ある日の仕事帰り、碇麗香と偶然出会った草間武彦は、彼女からイベントのチケットを譲り受けた。東京湾の沖合いに、人工島を造って建設されているテーマパークの、開幕前夜のイベントチケットだという。
当日、草間は零と友人たちと共に、その人工島へと向かった。
だが、その島で気づいた時、彼は名前以外の記憶の全てを失っていた。
『キングを倒せ』
その脳裏に、不可解な声が木霊する。
失われた記憶を取り戻すためと、言葉の謎を解くため、草間は互いの素性を知らないまま、巡り合った零や友人たちと共に、手掛かりを求めて島をさすらった。
その結果得られたのは、この島の地図と、キングはこの島の王であり、記憶と時間を操る存在だということと、キングの住まう館の位置だった。
それは、島の中央に二つ並んだ小高い丘の、西側の頂上に建っているという。ただし、そこに行くには、麓の関所を突破しなければならない。
とりあえず、その関所を目指して進む草間たちは、途中で関所に食材を運ぶ商人のトラックと行き合った。
「徒歩で旅をしているとは、大変だね。私たちも関所まで行くんだ。なんなら、乗って行くかい?」
気前のいい女将の言葉に、ありがたくトラックの荷台に載せてもらった草間たちは、関所までの数日を、彼女らと共に旅する。
やがて関所にたどり着いた草間たちは、女将に頼み込み、荷物の中に潜んで建物の中へと入った。そして、その夜――草間たちは行動を開始するのだった。
■ ■ ■
【1】
シュライン・エマは内側からそっとコンテナの蓋をずらして、隙間を作ると、外の気配を伺った。食材が運び込まれた庭は、しんと静まり返り、人の気配もないようだ。
彼女は、音を立てないように蓋を更にずらして、自分が出られるだけの空間を作ると、そこから外へと滑り出した。
彼女と同じように、他の仲間たちもあたりを警戒しながら、それぞれコンテナから這い出して来る。
「全員、いるか?」
低い声で言ったのは、タケヒコだ。そして、集まって来たメンバーを確認するように見やる。シュラインも、仲間たちを見回した。
ササキビ・クミノ、シオン・レ・ハイ、法条風槻(のりなが ふつき)、草間零の四人とタケヒコ、それにシュライン自身を入れて六人だ。
「よし。この後の行動を確認するぞ」
タケヒコが小さくうなずき、再び低い声で口を開いた。
「これから俺たちは、全員でまず備品室へ向かう。そこで予備の軍服と通信機、もし手に入れば階級章を入手、その後二手に分かれ、俺とクミノ、シオンは武器の調達のため、武器庫に向かう。シュライン、風槻、零はキングの館に入るためのパスの他、館に関する更に詳しい情報の入手に向かう。合流は二時間後。この関所の反対側の門の脇にある庭だ。合流した後はそこに潜み、朝になって関所の門が開くのを待つ。門が開いた後は、キングの館へ行く兵士のふりをして、ここを出る。いいな?」
「ええ」
シュラインはうなずいて言った。これから危険の中に飛び込むというのに、彼女はずいぶんとおちついている。
「なんだかあたしたち、どっかの軍隊の工作員みたいね」
風槻が笑って言った。シオンは今タケヒコが言ったことを忘れないようにか、ブツブツと口の中で自分たちの行動計画を繰り返している。零は、緊張の面持ちで両手を強く握り合わせて立っていた。
彼女たちの記憶は、相変わらず完全に戻る気配もなかった。ただシュラインの中には、相変わらずタケヒコへの奇妙な慕わしさが存在している。それと、一つもしかしたらと感じていることがあった。
それは、零とタケヒコ、そして自分の関係だ。
この数日にわたる旅の間、シュラインは仲間たちとあれこれ話をしたが、その中で零がタケヒコは自分の兄かもしれないと、そっと彼女に打ち明けたのだ。
「タケヒコさんが、あんたのお兄さん?」
「はい。最初に泊まった館で、私には兄がいたらしいってことを、シオンさんと話している拍子に思い出したんです。その後、タケヒコさんを見たら、頭の中に何かたくさんの記憶がよみがえって来た気がしたんですが……それについては、やっぱり思い出せません。ただ、ずっとこうして一緒にいて、この人は私の兄なんだって……」
うなずいて言う零を、シュラインはまじまじと見やった。零とタケヒコは、外見的にはあまり似ていないので、兄妹だと言われても、彼女にはピンと来ない。それに、年齢も離れすぎているような気がする。それでも彼女は、その可能性について考えてみた。
(零ちゃんとタケヒコさんが兄妹だとすると、タケヒコさんも苗字は『草間』だってことになるわよね。草間タケヒコ……あら?)
妙にどこかで聞いた気がする名前だ。
(あ……!)
ふいに気づいて、彼女はショルダーバッグの中からサイフを取り出し、そこに入っていた名刺の一つを確認する。そこには、「草間興信所・所長 草間武彦」と記されていた。
それを目にした途端、シュラインの中で何かのピースが、かちりと嵌ったような気がした。
「草間武彦……武彦さん……」
口に出して呟いてみると、その名は驚くほど唇にも心にも馴染んだ。
自分たちがどういう関係だったのかは、やはり思い出せない。だが間違いなく自分は、毎日のようにこの男とこの少女の名を呼び、日々を過ごしていたのだ。そんな実感が、はっきりと胸の奥の深い所から湧き上がって来る。
「私も、あんたと彼をとてもよく知っている気がするわ」
シュラインは、零に言った。
「私も、そんな気がします」
零もうなずいた。
彼女たちが乗せてもらったトラックの荷台は、この関所に収めるための食材や調味料などの詰まったコンテナが満載されていた。彼女たちは数日間は、昼間はその上に座り、夜はその荷物の間で眠るという毎日だった。
肉体的には辛かったが、シュラインは仲間たちと話す以外に、女将からも話を聞いて、関所の情報収集に努めた。殊に彼女が必要だと感じていたのは、当然ながら関所内部の構造についてだ。それと、通風孔の位置は、是非知っておきたいと考えていた。それを知っていれば、万が一の時にいろいろ役立つに違いないと思ったのだ。
だが、女将はだいたいの関所内の構造は知っていたものの、どこにどんな部屋があるだとか、通風孔についてなどは、さすがに知らなかった。
(そうね。食糧を運んでいるだけなんだから、そこまで詳しいことは、見ないわよね。普通)
トラックで過ごした最後の夜、女将と何度目かの関所についての会話を交わして、荷物の間に横たわりながら、彼女はしかたないかと胸に呟いたものだった。
その翌朝。トラックの荷台で簡単な食事を取っている時に、風槻が関所内部の地図が手に入ったと告げて、シュラインたちを驚かせた。昨日眠りに就く前には、そんなものはなかったのだから、いったい彼女はどうやってその地図を手に入れたのか。
誰もが同じ気持ちだったのか、代表するように地図について尋ねたタケヒコに、風槻は言った。
「寝る前からずっと、関所内部の地図が欲しいって思ってたのよ。それで、中がどんなふうになってるのか、ずっと考えていたら……いきなり、頭の中にぶわーっと建物の中の様子が浮んで来たの。入り口入った先はどうなってるだとか、どこにどんな部屋があって、そこまで行く廊下はどうなってるだとか、全部見えたの。それで、慌てて飛び起きて、シオンに紙をもらって鉛筆借りて、見えたものを地図に起こしたってわけ」
「それってつまり……透視能力か何かってこと?」
シュラインは、とまどいつつ尋ねる。
「あたしにも、よくはわからないわ」
肩をすくめてそっけなく答えてから、風槻は続けた。
「ただ、なんとなく思うんだけど、あたしたちって全員、ちょっと普通じゃない能力の持ち主なんじゃないかしら。シュラインは聴力に優れた耳と声帯模写の能力があるでしょ? ササキビは武器を招喚できるし、あの森の館では攻撃されても平気だったわよね。それに、武器の扱いにも長けているみたいだし。タケヒコも武器の扱いには慣れているようだし……お嬢ちゃんとシオンも、こんな騒ぎにいきなり巻き込まれて、それでも平然としているなんて、やっぱり並みの神経じゃないと思うのよ」
「そうだな。……むしろ、俺たちはそんなふうだから、記憶を奪われ、この島に置き去りにされたって可能性もあるかもしれないな」
タケヒコが、しばし考え込んだ後、慎重な口調で言った。
「逆の発想……だな。だがそれだと、私たちをここへ放置した者は、キングを倒させたい誰かということになる」
それへ言って、小さく肩をすくめたのはクミノだ。
「もっとも、どれだけ私たちがあれこれ考えてみようと、それが事実かどうかをたしかめるすべは、今はないということだ」
「それはそうですね。……ともかく、もうここまで来たら、関所をなんとか突破して、キングの館へ行ってみる以外、ありません」
シオンが、うなずいて言った。
その後、彼女たちは風槻が作成した地図を囲んで、関所に入ってからの行動計画を入念に練ったのだった。
ちなみに、関所を通してもらうにも手形が必要だが、キングの館に入るのもパスが必要らしい。これは、彼女たちをここまで乗せて来てくれた商人の女将から聞いた話だった。
女将によれば、キングの館のある小高い丘はタルナの丘と呼ばれており、その麓――つまり関所の向こうには小さな街が広がっているのだという。いわばキングのお膝元にある王都といってもいいだろう。
関所は、その王都への人や物の出入りを監視・監督する役目を担っているわけだ。
もっとも、関所を通過できても行けるのは王都までで、キングの館へはパスを持たない一般人は立入禁止である。そこに行けるのは、特別に許可を得た商人たちか、兵士らだけだという。
キングの館は常に大勢の兵士らに守られているが、関所に詰めている兵士らはここから送られて来るのだ。何日かずつ、いくつかの部隊が入れ替わる形で、その勤務は行われているらしい。
つまり、シュラインたち六人も、パスを手に入れその交替の兵士らにまぎれれば、問題なく関所を通れる上に、キングの館に入るのも容易いというわけだ。
「よし。じゃあ、作戦開始だ」
タケヒコが全員を見やって、低く言った。シュラインたちはうなずくと、ひそやかに行動を開始した。
【2】
夜間だからだろうか。建物の中はしんと静まり返り、中を警備して回る兵士の姿もないようだ。シュラインは、耳を澄ませて見張りの兵士らの足音や、監視カメラの稼動音を聞き取るのに努めたが、カメラの稼動音はともかく、兵士らのものらしい足音は、聞こえなかった。
(ここの見張りは全て、機械任せってこと?)
彼女は、かすかに眉をひそめて胸に呟く。いくらなんでも、こうした建物内部がまったくの無警戒ということは、あり得ないはずだ。
(よくわからないけど、音には気をつけているようにしよう)
そう決めて、彼女は仲間たちと共に先へと進む。
関所は、地上三階、地下一階の建物だった。
正面の大門から王都のある南側の門までは、建物の真ん中を貫く広い通路を通って行くようになっており、両方の門の内側に、手形の確認を行うための窓口があり、その後ろは兵士らの詰所となっていた。
通路の頭上は二階までの吹き抜けで、地図を見るとその構造のせいか、一階と二階は東西二つの棟に別れる形になっており、三階と地下はそれぞれ一つの棟になっている。シュラインたちが最初に目指す備品室は、二階の西側の棟の一番奥にあった。
ちなみに、シュラインたちが潜んでいた食材のコンテナが運び込まれたのは、一階の西の棟の中にある、小さな坪庭だった。食材は一旦ここに運び込まれ、その後兵士らによって地下の食糧庫に収められるらしい。が、シュラインたちを乗せてくれた商人のトラックが関所に到着したのは、もう夕方近くのことだった。関所本来の仕事に忙しい兵士らは、食材を倉庫に収めるのは明日に持ち越したようだ。
坪庭は、一階西棟の玄関のような場所でもあるらしく、そこからは二階へ向かう階段と、一階の西棟内部への入り口が伸びていた。もちろんシュラインたちは、二階への階段を昇る。
そこから地図を頼りに歩いて、備品室はすぐに見つかった。
さすがに鍵が掛かっていたが、それは暗証番号式のもので、壁に取り付けられた数字のパネルを風槻が素早く操作し、最後にEnterキーを押すと、それは難なく開いた。
「すごいですね。これも、透視したんですか?」
それを目を丸くして見やり、言ったのはシオンだった。
「ええ。あたしが中の様子を見た時、偶然操作している兵士がいたから、覚えてたのよ」
風槻がうなずいて、答える。
(透視能力か。便利なものね)
シュラインは、感心しつつ扉の中へと滑り込む。
中は至って簡素な部屋で、洋服屋で並んでいるような金属製のパイプを組み合わせた、背の高いバーがいくつか据えられ、そこに予備のらしい軍服がいくつも掛けられていた。また、隅の方に並ぶスチール製のロッカーの中には、帽子や手袋、ベルト、靴などといったものが収められている。その一番端のものの中に、小型の通信機が収められていた。さすがに階級章はなかったが、それ以外は充分すぎるほどそろっている。
シュラインたちは、手早くバーに掛けられた軍服の中から、自分に合うサイズのものを選び出す。軍服は厚い生地でできており、ズボンと半袖Tシャツ、それに長袖の上着の三点セットになっていた。色はどれもカーキ色だ。
彼女たちはそれに着替え、最初に着ていた服は、ロッカーの中にあったナップザックに入れる。もともとの荷物はともかく、これをずっと持ち歩くわけにもいかないので、このあと武器庫へ行くことになっているクミノとシオン、タケヒコの三人が、全員の分を合流場所に隠すことになっていた。
ほっそりして長身のシュラインは、何を着てもよく似合った。現代ならば世界各国、どこの国でも女性兵士は珍しくないが、そんな恰好をすると、彼女は本物の兵士のようにも見える。ショルダーバッグはもちろん、軍用のものではなかったが、シンプルなデザインなので、この恰好で持っても、少しもおかしくない。その中には、イチの村で鍛冶屋にもらったナイフも収められていた。といっても、ちゃんと扱えるかどうかは、いささか怪しい。ただ、気持ちの上ではそうしたものがバッグの中にあると思うだけで、心強かった。
軍服だけでなく、通信機も入手したのは、関所内で仲間同士でやりとりしても、不審がられないためだ。クミノの持つ携帯電話には、トランシーバー機能もついていて、携帯電話とリンクできる。が、関所内で周波数の違う通信システムを利用して、かえって自分たちの侵入が関所側に知られてしまわないとも限らない。また、この中で使うことを前提にしている通信機ならば、他の兵士たちのそれでのやりとりも、傍受できる可能性もあった。
彼女たちは他に、ロッカーの中にあったペンライトもそれぞれ手にした。ずっと暗い所にいて目が慣れているとはいえ、明かりがあるに越したことはない。
そうして用意が整うと彼女たちは、二手に分かれて動き出した。
【3】
シュラインが、風槻と零と共に向かったのは、三階にある長官室である。そこに、キングの館に入るためのパスや、兵士らが交替のために出かける日時などの表が管理されているようだと、風槻が言ったためだった。
三階へは、備品室を出てすぐのところにあった階段から上がり、そこから東南の角に位置する長官室まで向かう。
「ねぇ、ここって見張りの兵士はいないの?」
その途中、シュラインは気になっていたことを、風槻に尋ねた。
「一階の東西の兵士詰所の奥に、監視モニターがあって、その二ヶ所で建物全部の見張りをやっているのよ。だから、そこには何人か兵士が起きているとは思うわよ」
風槻は言って、笑った。
「でも大丈夫よ。監視カメラの死角はちゃんとチェック済みだし、今朝地図を前にして説明した時、いくつか私が注意したポイントがあったでしょ? あれを守ってさえいれば、見張りには見つからないわ」
「……あれは、そういうことだったの」
シュラインは、幾分驚いて呟いた。
今朝、地図を元にして作戦を練った時、風槻は事細かに、ここは通ってはだめだとか、ここを移動する時には端に寄るべきだとかを彼女たちに告げたのだ。何か理由があるのだろうと、彼女らは黙ってそれを覚えたのだが、まさにそのとおりだったわけだ。
「じゃあ、通風孔の位置なんかもわかる?」
ふと思いついて、シュラインは尋ねた。
「もちろん、わかるわよ」
うなずくと、風槻は足を止める。シュラインと零を、自分の方へと手招き、ズボンのポケットから自作の地図を取り出すと、今いる三階の分だけ簡単に説明してくれた。さほど複雑な構造ではない。通風孔は各部屋の壁の上部に開いており、そこから今彼女たちがいる廊下に沿って天井を走る本筋に、全て合流する形になっていた。更に通風孔は、階段室の壁の内側を這って、下の階へも伸びている。
シュラインは、その構造を頭に叩き込んだ。
それからまた彼女たちは、長官室を目指す。
ほどなくそこにたどり着いたが、当然ながらここのドアにも鍵が掛かっていた。備品室と同じような、暗証番号式のものだ。シュラインと零は、期待を込めて風槻を見やる。が、今度は彼女も番号を知らないようだ。
「中の登録データを読み取れないの?」
シュラインは、ちょっと考えてから尋ねる。
「磁気データの読み取りと透視能力は、別物よ」
肩をすくめて答え、風槻は改めて壁に取り付けられた数字パネルと向き合う。
「うーん。まあ、暗証番号なんて、数字の組合せの問題ではあるけれどもね」
言って彼女は、いくつか数字を入力してはEnterキーを押す行動を、三度ほど繰り返した。だが、どれもエラー音が鳴るばかりだ。
「……じゃあ、これでどうかな」
四度目の数字入力と共に呟いて、彼女はまたEnterキーを押す。と、軽い承認音が鳴って、鍵が開いた。
「すごい」
シュラインは、思わず声を上げた。
「どうして、暗証番号がわかったんですか?」
零も目を丸くして尋ねる。
「食料品屋の女将から、ここの長官のことをいろいろ聞いていたのよ。そこから推測して、だいたいこんな数字の組合せが好きじゃないかなって思うものを、入力してみたの」
答えて風槻は笑った。
ともあれこれで、中を調べることができる。三人は、開いたドアから部屋に足を踏み入れた。
室内は広々としていたが、一方でずいぶんと殺風景でもあった。部屋の中央にはスチール製の大きな机と椅子が置かれ、部屋の壁に沿って、書類棚や金庫が並ぶ。机の上にはパソコンがあった。
「たぶん、日程表はこの中ね」
シュラインがそれを見やって言った。
「と思うけど……パソコンを起動させるのは、ちょっとヤバイわね。監視カメラとは別に、監視系統があるみたいだから」
うなずいてから、風槻が返す。少し考え、言った。
「まずは、印刷されたものがないかどうか、探そう」
「わかった」
シュラインと零もうなずき、室内の捜索を始める。
その結果、日程表は印刷されたものが机の引出しから出て来た。それによれば、明日の朝十時に、三十人ほどの兵士らがキングの館に向けて出発するようだ。
後は、パスを探せばいい。
ところが、これが簡単に見つからない。
(まさか、明日の朝出発する兵士たちに、もう渡されてしまっているとか?)
シュラインは、ふと眉をしかめて考えた。
商人の女将から聞いた話では、パスは厳重に保管されていて、交替の兵士らが出発する当日に渡され、彼らがキングの館から再びこの関所の勤務に就く際には、全て廃棄されるという。つまり、兵士らもキングの館にいる間だけ、パスを携帯することが許されるというわけだ。女将は、馴染みになった関所の兵士から聞いた話だと言っていたから、嘘ではあるまい。とすれば、やはりパスはこの室内のどこかにあるということだ。
「あと探していないといえば、金庫ね」
風槻も同じ結論に達したのか、言った。
「そうですね」
零がうなずく。
三人は、部屋の隅に置かれたいかにも重そうな耐火金庫の前に、集まった。
「これも開けられますか?」
零が、風槻に尋ねる。が、彼女は顔をしかめて首をひねった。
「これは無理ね。……普通にダイヤル式でしょ。こういうのの番号は、使う人が決めるわけじゃなくて、造った所が任意に決めているわけだから、推測が効かないもの」
ややあって、肩をすくめて彼女が言う。
「じゃあ、今度は私がやってみるわ」
シュラインは言って、金庫の前にしゃがみ込んだ。ドアに耳を当て、ゆっくりとダイヤルを回しながら、音をたしかめる。しばらくやっていると、明らかに音の違う部分があるのに気づいた。そこに当たるよう回す順番を、いくつか組替えながら試していると、ふいにカチリと鍵の開く音がした。
シュラインは、思わず笑顔になって、金庫のドアを開ける。中はほとんど空に近い状態で、そこに三十人分のプラスチックのカードでできたパスと、CD−ROMが入っていた。
シュラインは、束の上からパスを六枚取り、少しためらった後、CD−ROMも手にした。
「これ、ここでは見れないかもしれないけど、この先の街でなら、パソコンを使えるところも、あるかもしれないわ」
「そうね。キングの館の情報が、何か入っている可能性もありだし、もらって行きましょう」
彼女が言うのへ、風槻もうなずく。
「さて。じゃあ、そろそろ退却しましょうか」
「ええ」
シュラインと零がうなずいた時だ。いきなりけたたましい警報の音が、あたりに響き渡った。
「な、何?」
思わず顔を上げて室内を見回すシュラインと零に、風槻が小さく舌打ちするのが聞こえた。
「見つかったみたいね。あたしたちの方か、タケヒコたちの方かは、わからないけど」
彼女が呟く間にも、建物に一気に照明が灯り、人のざわめく声がし始める。
「どちらにしろ、ここへ人が来るのも時間の問題だわ」
呟いて、風槻はしばらく考えていたが、すぐに顔を上げ、シュラインと零をふり返った。
「二手に分かれましょう。あたしは、ここから配電室へ向かうわ。建物内の電源を落として、兵士たちを霍乱するから、二人はパスとそのROMを持って、合流場所へ向かって。電源を落としたら、全員に通信機で連絡するわ」
「わかったわ」
シュラインはうなずくと、零を見やった。彼女もうなずく。零のリュックにパスとROMを収めると、二人はそのまま部屋を出た。
だが、少し走ったところで、すぐに兵士らと出くわした。兵士らは、自動小銃を携帯している。対してこちらは、ほとんど丸腰に近い。撃って来る兵士らに、シュラインたちは必死で廊下の影に飛び込んだ。しかし、兵士らはあきらめる様子もなく、このままでは身動きできない。
と、ふいに零が彼女にリュックを下ろしてそれを押し付けながら、囁いた。
「シュラインさん、ここは私がなんとかします。だからシュラインさんは、これを持って、先に行って下さい」
「でも……なんとかするって、いったい……」
こんな少女に、どうするすべがあるというのか。シュラインが途方にくれた時、零の手の中に白い靄のようなものが集まり、それが巨大な楯と剣に姿を変えた。
「零ちゃん……!」
シュラインは、驚いて声を上げる。それへ零は、断固として言った。
「行って下さい、早く」
「わかった。……零ちゃんも、気をつけてね」
まだ驚きは覚めないものの、今がためらっている時ではないことだけは、彼女にもわかる。うなずくと、精一杯の言葉を残して、彼女は元いた長官室へと駆け込んだ。後ろで一斉に銃声が響いたが、彼女はふり返ることもせず、そのまま椅子を利用して棚の上によじのぼり、通風孔の金網をはずすと、その中へと潜り込む。
後はそれを伝って、一階を目指すだけだ。
必死の思いで二階まで降りたところで、建物内の照明が消えたようだった。通風孔にわずかに射し込んでいた光がなくなる。同時に、ポケットに収めた通信機が鳴った。引っ張り出して、通話ボタンを押す。
『みんな、聞こえる? あたし、風槻よ。今、建物内の電源を全て落としたわ。連中がパニくってる間に、ここを突破するのよ。いい?』
こちらが答えるより先に、通信機からはそんな声が流れ出して来た。備品室を出る時に、六人で同じ回線を使えるよう、それぞれ通信機の設定を合わせているので、この声はおそらく、一斉に他の四人にも届いているだろう。
「了解よ」
シュラインは答えて通話を切ると、それをポケットにしまった。そして、再び通風孔の中を進み始めるのだった。
【4】
シュラインは、どうにか通風孔を抜け、合流場所の南側の門の脇の庭へとたどり着いていた。兵士らが停電にパニックになったのは、最初のうちだけだったのか、あたりからはさほど混乱した様子は伝わって来ない。もっとも、風槻が配電盤を壊しでもしたのか、明かりはなかなか元に戻らず、建物内は闇に閉ざされたままだった。
他の仲間たちは大丈夫だろうかとシュラインが幾分気をもんでいると、ほどなく風槻と零が姿を現した。二人とも無傷のようなので、彼女はホッとする。
駆け寄って来た零にリュックを返すと、こちらも彼女が無事で安堵したのか、笑いかけて来た。
その二人に、風槻が通路を隔てて正面に位置する車庫に置かれたジープを示した。
「あれ、ここを突破するのに、ちょうどいいと思わない?」
「そうね。足はどうしても必要だし……たしか、武彦さんが車の運転、できたわよね」
シュラインは、イチの村の件の時、森の館から戻るマイクロバスを彼が運転したことを思い出して、言った。その口からは、「タケヒコさん」ではなく「武彦さん」とごく自然に流れ出る。隣で、零が軽く目を見張った。
風槻の方は、そんな細かなことには気づいていないだろう。ただうなずいて返す。
「ええ。それに、実はあたしも免許証持ってるのよ。だから、運転できると思うわ。ドライバーが二人いたら、交替しながら移動できるし、便利でしょ」
「そうですね」
零も同意した。
そこへ、シオンがなんとなくよれた風情で姿を現す。ただし、彼は一人だった。
「あら、シオン一人なの? ササキビとタケヒコは?」
風槻がそれに気づいて尋ねる。
「途中で兵士に出会ってしまって、バラバラになったんです。でもきっと、二人ともすぐに来ると思います」
シオンの説明にうなずいて、風槻は彼にもジープを示して今話していたことを告げた。
「そうですね。武器を調達して、荷物も増えましたし、車があるのはいいと思います」
話を聞いて、彼もうなずく。
「じゃ、シオンも賛成してくれたってことで、残る二人を待つ間に、あれを奪いましょうか」
風槻は気楽に言って、どこで手に入れたのか、警棒のような棒状の武器を握りしめた。
だがそれは、彼女が言うほど簡単なことではなかった。
シュラインたちが通路の半ばを渡り終えた時、車庫のある東側の棟にいた兵士らに見つかってしまったのだ。彼らは同士撃ちを避けるためか、銃を使っては来なかったが、かわりに風槻が持っているのと同じ棒状の武器で攻撃して来た。
シュラインたちは各々、それをなんとかかわしつつ、ジープに近づこうと必死に試みる。
その時だった。どこか遠くで、爆発音が響いた。
一瞬、兵士らの動きが止まる。シュラインたちも、思わず音のした方をふり返った。
「これ、きっとクミノさんです。近くにいます」
叫んだのは、零だ。
「わかるの?」
シュラインは尋ねる。
「はい。クミノさんの体から流れ出ている銀の奔流が、ここからはっきり見えてますから」
零が力強くうなずいて言った。
彼女にはなんのことかよくわからなかったが、先程の楯と剣のことと言い、零にも何か秘められた力があるようだ。その力で、クミノの気配を見分けているのだろう。
そうこうするうち、また爆音が響いた。今度は、どこが爆発したのか、ここからでもはっきり見えた。西棟の北側、二階だ。派手に火柱が上がり、壁の一部や窓が吹き飛ぶ。
兵士たちの間から、怒号とも非鳴ともつかない声が上がる。彼らは、新手の侵入者がいるとでも思ったのかもしれない。何人かが、そちらへ向かって走り出した。
そんな中、爆発は更に続く。
兵士らは、完全にパニックに陥ったようだ。もはやシュラインたちには目もくれず、我先にと彼らは爆発して燃え出した建物の方へと走って行く。
それを尻目に、風槻がジープに駆け寄った。その後に、シュラインらも続く。
兵士たちはよほど慌てていたのか、ジープにはキーがつけっぱなしになっていた。風槻がエンジンをかける。その隣に収まって、シュラインは思わず不安の声を上げた。
「クミノさんが近くにいるのはわかったけど、武彦さんはどうしたのかしら」
「私、通信機で呼んでみます」
零が後部座席で言って、上着のポケットから通信機を出した。だが、いくら呼びかけても応答がないようだ。
「シオン、あんた、彼がどうしたか、知らないの?」
シュラインは思わず詰問口調になって、シオンに尋ねた。
彼は真剣に考えているようだったが、結局、無我夢中で走り回っているうちに、はぐれていまったので、どこで別れたのかさえ覚えていないと告げる。
シュラインは、思わず落胆した。
だが、いつまでもそうしてタケヒコの身を案じている暇はなかった。
クミノが、門の傍に走り寄るのが見えたと思った途端、巨大な門は、派手な音を立てて吹き飛んだのだ。後はただ、そこから外へ出るだけである。
それを見やって風槻が、ジープを急発進させた。クミノの傍で急停車させる。
「ササキビ、乗って!」
風槻がクミノに叫んだ。シオンが、後部座席からクミノに、手をさしのべる。それへすがって、彼女が隣に収まった。それを確認すると同時に、風槻はすごい勢いでジープを発進させる。
そのままシュラインたちは、関所の門を抜け、ひたすら走り続けた――。
■ ■ ■
ようやく追っ手が完全にいなくなった時には、東の空が白みかけていた。風槻が、少しスピードを落す。
この時になって、クミノはやっとジープの中にタケヒコの姿がないことに、気づいたようだった。
「タケヒコさんはどうしたんだ?」
「それが、わからないんです」
彼女に問われて、シオンが困惑したように答える。
「私、途中までは一緒だったんですけれど、いつの間にか見失ってしまって……」
「通信機で呼び出せば……」
言いかけるクミノに、零がかぶりをふった。
「門の前でも、呼んでみました。でも、まったく応答がなくて」
「じゃあ、まさか……」
「たぶん、そのまさかよ。連中に、捕らわれたんだわ」
思わずというように呟くクミノに、風槻が運転しながらうなずいて言う。
あまり考えたくはないが、この状況ではそう思うしかない。
(せっかく、彼が零ちゃんのお兄さんで、私とも何か関わりのある人だとわかったのに……こんなことって……)
シュラインは、きつく唇を噛んで、胸に呟いた。
彼が捕らわれたことは、彼女たちの戦力を大きく削がれることでもあった。それに、クミノもシオンも、さほど大きな荷物を持っていないところを見れば、銃や防弾チョッキなどのかさばるものは、彼が運んでいたと考えてもいいだろう。つまり彼女たちは、せっかく手に入れた武器の一部をも失ってしまったのだ。
だが、そんなことよりも彼女には、タケヒコ自身がいないことの方が痛い。もしこのまま彼を失うようなことになったらと思うと、恐怖さえ感じる。だが、彼女たちはここで立ちすくんでいるわけにはいかないのだ。それに、きっとキングを倒せば、タケヒコも解放される。
そんな彼女たちに、しばし小さく唇を噛んで考え込んでいたクミノが、尋ねた。
「それで、どうするんだ?」
シュラインはその声に、恐怖をふり払うかのように顔を上げる。
「このまま行くわ。彼のことは心配だけど、きっとキングを倒せば、彼も解放されると思うから」
「そうね。あたしもそれがいいと思う。もう、いつまでも自分が何者なんだかわからない状態のままでいるのは、うんざりよ」
うなずいたのは、風槻だ。
「私も、今の状況では、キングを倒す方が先決だと思います」
シオンもうなずいて言った。
「私も、そう思います」
零もうなずいた。風槻が、尋ねるようにクミノに視線を投げる。
「私もこのままキングの館ヘ向かう方へ、一票だ」
肩をすくめてクミノが返すと、風槻は笑った。
「満場一致で、キングを倒すに決定ね。……飛ばすわよ」
言うなり彼女は、再びスピードを上げた。
風が耳元でうなり、シュラインの長い髪をさらって行く。彼女たちはようやく、旅の終わりに近づきつつあった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1166 /ササキビ・クミノ /女性 /13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /紳士きどりの内職人+高校生?+α】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【6235 /法条風槻(のりなが・ふつき) /女性 /25歳 /情報請負人】
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■ ライター通信 ■
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ライターの織人文です。
『記憶の迷宮 3』に参加いただき、ありがとうございます。
さて、今回はいかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
●ササキビ・クミノ様
すみません。前回のプレイングとクミノ様の設定に関して、
一部勘違いがあったようですね。
申し訳ありませんでした。
●シオン・レ・ハイ様
リンボーダンスの姿勢で避ける! というのが斬新でした。
いつも、楽しいプレイングをありがとうございます。
●シュライン・エマ様
今回は、金庫破りに挑戦していただきました。
鋭い聴力の延長(?)で、こんなこともできるかもな……と
思いまして。
●法条風槻さま
地図があって、助かりました。
暗証番号については、情報分析力に優れているなら、
こういうこともできるかな……と想像を逞しくしてみました。
次回は解決編です。
最後まで参加していただければ、うれしいです。
ということで、どうぞよろしくお願いします。
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