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<東京怪談ノベル(シングル)>


サーカスの華




 放課後の人通りのある道で、ピエロが何人かプラカードを持っていろんな人に笑いかけていた。
 声を張り上げ微笑むお姉さんの説明を聞くと、どうやらサーカスの無料チケットを配っているらしい。
 気分転換に丁度いいかなと、あたしは説明されるままにチケットを受け取って、サーカステントのある広場を目指した。

「どうぞごゆっくり」
 出入り口でチケットをちぎってもらい、道端で見たピエロとまた違うピエロに話し掛けられる。
 ありがとうと笑い返して中に入ると、すでに人でいっぱいの空間が広がっていた。

 サーカスが始まった後の時間は、本当にあっという間に過ぎていった。

 猛獣のショーがほとんどで、次々と動物たちがステージに上がって芸をする。定番の三輪車乗りをする熊、火の輪をくぐるライオン、長縄跳びをする可愛い犬たち、愛嬌を振りまいて黒豹の上を飛び跳ねる猿、猿が居なくなると自由自在にテントの中の縄の上を走り回る黒豹、大きな玉の上でくるくると回り始める猫、計算式をするカラスたち。
 目が回るほど次々と演目が消化されていく中、興奮状態のあたし。ひとつマジックをしますと宣言され、お手伝いとしてあたしに当てられたスポットライト。
『では、そちらのお嬢様! 青髪でセーラー服のお嬢様、貴方にお願い致します!』
「あたしで良いんですか?」
 思わず口を付いて出てしまった一言に、会場の拍手が咲き乱れた。
 檻の中に入って猛獣になるというマジック。隣の席の男の子が心配そうにスカートを引っ張ってきたけれど、大丈夫だよと頭を撫でてステージへと歩を進めた。司会のお姉さんの言うとおりに檻の中へと入っていく。
 黒い幕の掛けられた檻の中で、ピエロたちが唇に指を当てながら黒豹を導いてくる。なるほど、この黒豹と入れ替わるんだとマジマジと見つめていると、黒豹はどこか物悲しそうにあたしを見つめてきた。
 ピエロたちに導かれるまま、黒豹と入れ替わりに檻の中から脱出する。こうやって入れ替わって、いきなり登場するんだなと思っているとどんどんとステージから引き離されてしまう。黒豹の入っていたステージ端の、外から中の見えない木の箱の中へと押し込められる。
 ステージは何も知らずにどんどん進んでいく。あたしは檻の幕がはがされ、『あたし』が黒豹になったと驚くみんなのどよめきに笑みを漏らした。
 違うよ違う、ここにいるよと言いたかったけれど、種明かしはまだだと我慢した。
 けれどスポットライトはこちらのあたしへと向けられず、観客席へと向けられる。
『はい! お嬢様、ご協力ありがとうございました! 皆さんも盛大なる拍手を!』
 あたしは自分の目を疑った。うそ、なんで! と大きな声で叫びたかったけれど、驚きすぎて声も出なかった。
 正真正銘、『あたし』自身が観客席に立っていた。
 なんで、どうしてと問う間もなく『あたし』は割れんばかりの拍手の中、もといた客席に腰掛けてしまい、隣の親子連れと会話を始める。
 サーカスのお姉さんは黒豹の檻をピエロに運ばせ、あたしの入った木箱も持ち上げられて揺られだす。
 遠ざかるステージに助けてと声を張り上げるけれど、割れんばかりの拍手に打ち消されてしまう。
「助けてください! あたし、ここにいます!」
「大丈夫だよ。何も怖くないからね」
 ピエロが優しく子供にでも言い聞かすように囁いてくる。まるで鼓膜を舐めしゃぶられたような不快感に、あたしは首を振って唇を噛み締めた。

 連れて行かれたのはテントの奥。大小の檻に動物たちが入っている、獣臭いけれど百合のように何かの花が強く香っている場所。薄暗くて、でもさっきまで見ていた動物たちが居るのはよく見えた。
「どうしよう」
 ピエロたちは黒豹を元々入っていたのだろう檻に難なく移動させると、あたしをマジックで使っていた檻に入れ直して、引き止める間もなく出て行ってしまった。
 抵抗しても暴れても押さえつけられ、でも言葉や口調は背筋が凍るほど優しかった。
「大丈夫、君を傷つけたりしないよ」
「ちょっとの我慢さ。さぁ、入るんだ」
 ピエロたち何人かが代わる代わるに口を開いて、控えめに鳴き声を上げる動物たちにも同じような優しい言葉を掛けて出て行った。
「なんでこんなことになったの?」
 俯いて考え込むと、花の香りが強くなる。
 小さな呼び声が聞こえた気がして顔を上げると、こちらを見ていた蛇と目が合った。蛇は舌をちょろちょろ出しながら、可愛らしい女性の声で囁き始める。
「それは貴方が選ばれたからよ。このままだったら、私たちみたいになっちゃうわ」
「……あの、話せるんですか?」
 あたしが問い掛けると、蛇と言わずそこら中の動物たちがしのび笑う。中には苦笑する動物も、泣きそうに笑う動物も居た。
 けれどそのどれもがその個々の動物らしい笑い方ではなく、女性の線が見えるような笑い方だった。
「ええ、もちろん。だって人間だもの!」
 ウサギがよく通るソプラノで声を張り上げ、隣のライオンと笑い合う。
 聞こえてくる笑い声はどれもこれも華のように可愛らしく、漂ってくる獣臭さより同じく香ってくる花のような香りがぴったりだった。
 あたしは思わず檻の中から身を乗り出した。
「どういう事ですか? 皆さんが人間なら、なぜそんな姿になってるんですか?」
「あら、知らないの?」
 驚いたようにウサギが立ち上がり、あたしを見て口元を前足で隠す。なにが面白いのか分からないけれど、あたしを見て笑ってしまったようだった。
 笑いが治まったウサギは、簡単に教えてくれた。
 このサーカスが人攫い集団と言うこと、女性ばかり狙うこと、攫われた女性は一人残らず動物にされてしまうということ。
 あたしが体を震わせると、動物達にしか見えない女性達はまた笑う。
「……あの、あたし逃げます」
 ここに居ても動物にされるだけ。
 急いで逃げなければと檻の中で立ち上がると、檻の出入り口を強く掴んで揺らしてみる。当たり前みたいに外れない。
 揺らしても無駄なのにと泣きながら叫ぶカラス。あたしはそれでも力いっぱい檻を揺らす。
「来たわ」
 大人っぽい落ち着きのある声が響く。花の香りが寄り一層強くなって、あたしの足から力が抜けた。
「え?」
 しゃがみ込んだ自分の下半身に力が入らない。
 テントのめくられる音と足音が聞こえてくる。近づいてくる足音は、楽しそうに笑いかけてきた。
「おや、まだ効いてなかったのかい。耐性があるのかな?」
 ピエロがあたしを覗き込んでいた。慌てて檻から手を離すけれど、ピエロは笑い化粧で気味の悪い声のまま、しゃがみ込んであたしの顔を見つめてくる。動物達は一気に口をつぐんでしまう。
 ピエロは笑ったまま手袋に包まれた手をあたしの顔にかざす。花の香りが強くなって、意識が一気に遠のき始める。
「……っ!」
 抵抗する言葉も紡げないほど濃厚な香りは、あたしの手足の自由さえも奪っていった。
 気持ち悪いと叫び声を上げることすらままならず、ピエロの気持ちの悪い声ばかりが耳の奥にねっとりと侵入してくる。
「大丈夫、君もスグ可愛らしい動物になれるよ」
 体の力が抜けていき、冷たい床の感触が頬に触れる。ピエロの手があたしの手を掴んだ気がするけれど、何か喋った気がするけれど何も聞こえない。
 沈んでいく意識の向こうで楽しそうに笑いさざめく動物達の、可愛らしい女性達の笑い声が聞こえた。