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<東京怪談・PCゲームノベル>


姿のない暗殺者

「なんだとッ?」
 事務所でテレビを見ていた草間武彦は、不意に流された臨時ニュースを見て驚きの声を漏らした。
「お兄さん、どうかしたんですか?」
 草間の声を聞きつけ、キッチンから草間零が顔を覗かせた。そんな零に微妙な表情をした草間が顔を向け、テレビを指差した。
 疑問に思いながら零はキッチンから出てテレビを見た。そして、画面に映し出された文字と、ヒステリックに言葉を吐き出すアナウンサーの声を聞き、思わず息を呑んだ。
 画面には「外務大臣暗殺」の文字が表示され、アナウンサーは外務大臣が首相官邸前で狙撃され、即死したことを繰り返し告げていた。
「お兄さん、これって……?」
「テロ、なんだろうな」
 どこか苦々しい口調で草間が言った。
 草間が生まれてから政府の要職に就く人間の暗殺などなかった。日本が平和であったのか、それとも警察が事前にテロ行為を阻止していたのかはわからない。ただ、赤軍派以降、日本の過激派やテロ活動が衰退していたことは確かだ。
 誰も日本でこうした事件が起きるなど想像していなかったに違いない。草間もそうした人間の1人だった。
 その時、不意に電話が鳴った。
 草間はテレビから視線を外さないまま電話に手を伸ばした。
「はい。草間興信所」
「草間か。久しぶりだな」
 その声に草間は聞き覚えがあった。グレイ・レオハースト。渋谷を中心に始末屋を生業とするアメリカ人だった。
「テレビを見たか?」
 前置きもなくグレイは言った。
「暗殺の臨時ニュースか? それなら、今見てるよ」
「そうか。実は、そのことで力を貸してもらいたい」
「どういうことだ?」
「私は犯人を知っている」
 グレイの言葉に草間は驚いた。
「なんだと!?」
「いや、知っているというのは言葉が過ぎた。正しくは、あの狙撃をできる人物を知っているということだ」
「誰なんだ?」
「かつてアメリカ陸軍で狙撃兵をしていた男だ。名前はディック・ガルアード。少し前に聞いた噂では、傭兵となって中東にいるということだったのだが」
 なるほど。確かに犯人が狙撃兵ならば今回の暗殺も納得が行く。だが、草間には1つ引っかかることがあった。
「そいつが犯人だという根拠は?」
「1週間ほど前、昔馴染みから奴が日本へ入国したらしいという話を聞いていた。それが事実ならば、タイミングが良すぎる」
「なるほどな。傭兵から暗殺者に鞍替えというわけか」
「今のところ、奴が日本を出国したという話は聞かない。それに、これで暗殺が終了とは限らない」
「まだ暗殺が続くと思うのか?」
 少し疑わしく思いながら草間は言った。
「今回の狙撃は外務大臣を狙ったものではなく、実際には総理大臣を狙ったものが、逸れたのだという非公式な情報もある」
「次は総理大臣を確実に狙う、か」
「そうだ。そうなる前に奴を見つけ出したい」
「そいつは構わないが、いつから正義の心に目覚めたんだ?」
「そんなものではない。今、総理大臣を殺されると、困る人間がいるということだ」
 思わず草間は肩をすくめた。
「まあ、いいさ。とりあえず、話を聞きに行く。渋谷でいいのか?」
「ああ、いつもの店で待っている」
 そこで電話は切れた。草間はソファーから立ち上がり、近くのコートかけにかけられていた上着を手にした。
「出かけてくる」
「ちょっと待って」
 零に告げ、草間が事務所を出ようとした瞬間、声がかかった。それまで黙ってテレビに視線を向けていたシュライン・エマがジャケットを手に立ち上がった。
「わたしも連れて行って」
「しかし……」
 シュラインの申し出に草間は逡巡した。だが、その様子から彼女に引き下がる気はないと察した草間は、ため息混じりに答えた。
「わかった。ただし、絶対に俺から離れるなよ」
 いつになく真剣な表情で言った草間に、シュラインは小さくうなずいた。

 渋谷のセンター街の片隅にあるパブラウンジ。雑居ビルの階段を下りて、草間とシュラインは店に入った。店内は薄暗く、煙草とアルコールの臭いに混じってドラッグがかすかに香る。決して上等な店とは呼べない場所であることは明らかだった。
 店にいる客は若い人間ばかりだ。それも10代の少年少女が圧倒的に多い。大人を寄せつけないような雰囲気が漂っているのを草間は感じた。
 渋谷の裏側を知る人間にとって、この店がストリートギャング『colors』の溜まり場であることは周知の事実であった。現在、渋谷最大規模のストリートギャングにまで成長した『colors』は、なおも勢力を拡大させ、地元暴力団に迫る勢いだ。
 薄暗い店内を、若者たちの間をすり抜けるようにして進んだ2人は、カウンターに3人の男が座っているのを発見した。そのうち1人は見覚えがある後姿だ。草間は見覚えがある男の左隣に腰を下ろした。草間の左側のストゥールにシュラインも座る。
「久しぶりだな」
 懐から煙草を取り出しながら草間が言った。バーテンダーが注文を聞きにきたが、草間は断った。酒を飲んでいる気分ではない。
「そうだな。1年ぶりといったところか」
 草間を一瞥してグレイが答えた。その様子を見つめながらシュラインは2人の接点を理解できずにいた。初めて会う男だ。それも雰囲気が鋭い。まるで抜き身の刀を向けられているような、肌を刺す空気をシュラインは感じた。
「人を連れているなんて、珍しいな」
 グレイの右隣に腰かける男を見て草間が言った。まだ少年といったほうが良いかもしれない。その顔からは幼さが抜けきってはいない。だが、その容姿には不釣合いな鋭い雰囲気を、こちらも発している。それは手負いの獣のような印象を見る者に与えた。
「今、別の仕事で組んでいる。だが、それよりも今回の事件のほうが重要なのでな。仕方なく連れてきた」
「藤堂元です」
 言って元は草間たちに会釈した。
「おまえこそ、女連れとはな」
「勘違いするな。そんなつもりで連れてきたわけじゃない。彼女はうちの人間だ」
 揶揄するようなグレイの言葉に、草間は少し苛立ったように答えた。
「それはすまなかったな。どうやら、いつになく神経が高ぶっているようだ」
 冷酷とすら言われるこの男にしては珍しいことだった。
「お嬢さん。失礼をお詫びする。グレイ・レオハーストだ」
「いえ。気になさらないで。シュライン・エマです」
 草間の前を通って差し出されたグレイの手をシュラインは握り返した。たったそれだけのことで張り詰めていた空気が少しだけ緩んだような気がした。
「それで、今回のことはなんなんだ? 俺に連絡してきた理由は?」
「おまえに連絡をした理由はひとつだ。時間も人手も足りない。奴が次の行動を起こす前に、それを阻止しなくてはならないからな」
「なぜ、俺を?」
「私が知っている人間の中に、おまえほど優秀な調査員はいないというだけのことだ」
 グレイも懐から煙草を取り出して口に咥えながら答えた。その言葉に草間は思わずシュラインを見た。彼女は微笑みながら「そのとおり」とでも言うかのようにうなずいた。
「高い評価をもらえてありがたいね。それで、俺にどうしろと?」
「奴を見つける手助けをしてもらいたい」
「ディック・ガルアード、とかいっていたな。どんな奴なんだ?」
「アメリカ陸軍、特殊作戦群――通称グリーンベレーの精鋭だ。第1次湾岸、アフガニスタン侵攻、第2次湾岸を渡り歩き、生き残ってきた」
「その歴戦の勇士が、なぜテロリストなんかになった?」
「第2次湾岸戦争が奴を変えたとした思えない」
 どこか沈痛な面持ちでグレイは言った。
 第2次湾岸戦争。一般には2003イラク侵攻の名称で知られている。1991年に勃発した第1次湾岸戦争で多国籍軍に惨敗を喫したイラク政府、当時のフセイン大統領は国連から提出された安保理決議687号を受諾し、正式な停戦合意がなされた。687号の内容はクウェートへの賠償、大量破壊兵器の廃棄、および恒久的な不保持、国境の尊重、抑留者の帰還などだ。特に重視されたのが大量破壊兵器の不保持である。
 だが、2002年初頭、アメリカのジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領は、一般教書演説の中でイラク、イラン、北朝鮮は大量破壊兵器を保有するテロ国家であると名指しで非難した。特にイラクに対しては第1次湾岸戦争以降、続けられてきた武装解除の進展が遅々として進まないことと、大量破壊兵器の拡散を危惧し、2002年に入ってからはアメリカがイラクの政府関連施設などの査察を要求していた。
 イラクは査察に応じたものの、結果はアメリカの納得が行くものではなかったとして、国連決議に基づいてブッシュ大統領がテレビ演説を行い、48時間以内に空爆を開始すると攻撃予告の最後通牒を行った。演説通り、2日後には多国籍軍によって空爆が開始された。これがイラクを泥沼の内戦へと導く悪夢の始まりであった。
「戦争そのものはすぐに終わった。アメリカの兵士にも死傷者が出たが、ベトナム戦争に比べれば、ないも同然だ」
 実際、アメリカ政府の公式発表によると、イラク政府との戦闘中に死んだ米兵の数は136名。この人数は第1次湾岸戦争よりも下だ。だが、アメリカが終結宣言を出した後に、テロ行為などで死んだ米兵の数は2500人にもなると言われている。
 対テロを名目に開始された第2次湾岸戦争であったが、アメリカが指摘していたイラクの大量破壊兵器は発見されず、CIAなども事前にイラクが兵器を保有していなかった事実を把握していたことを認めた。結局は油田などによる中東の利権を確保するためにアメリカは動き、その結果としてイスラム系過激勢力との敵対関係を深めることとなった。
 イラクに駐留する米軍は格好の標的となり、今も現地に残されている米兵の多くが極度の緊張下で精神を蝕まれつつある。兵士たちは疑心暗鬼に陥り、一般の住民ですらテロリストに見えることがあるという。米兵による民間人への暴力や虐殺。もはや兵士たちは限界に達している。それでも内戦状態と化しつつあるイラクに留まらなければならない。
「長期間にわたる極限状態は、いかに訓練された兵士でも耐え続けることはできない。それは狙撃手でも同じことだ。2年前、奴は軍を除隊した」
「今、イラクは泥沼状態だと聞いています。そして、それに耐えられなくなった米兵が脱走してアメリカへ戻っているとも」
 シュラインが言った。その言葉にグレイはうなずく。
「幸いにして、私はアフガニスタン侵攻にも第2次湾岸にも参加せずに済んだ。だが、当時の同僚たちから、その酷さは聞いている」
「それで、軍を抜けた奴はどうした?」
「最後に聞いた時には、イラク周辺で傭兵をしているということだった。それもイスラム勢力に雇われているという話だった」
「どういうことだ?」 
 グレイの言葉に草間は眉をひそめた。イスラム勢力――特にアルカイダを始めとする一部のイスラム原理主義はアメリカを敵視し、そしてアメリカも自国をテロの標的としている悪の枢軸とまで断言している。そんなイスラム勢力が米国人を雇うとは思えなかった。
「奴はイスラムの教えに救いを求めた」
 キリスト教もイスラム教も、その教えの原点にあるものは同じだ。だが、イラクに駐屯する米兵の中には、キリストの教えに疑問を抱き、改宗する者もいるという。それはイラクの人々と触れ合う中でイスラムの教えに目覚めたのか、それとも混沌たる現状を打破できない祖国、そしてキリスト教というものに絶望したのかはわからない。
「除隊する前、敬虔なクリスチャンであった奴はイスラムに改宗し、そして傭兵としてアルカイダ系の原理主義組織に雇われたようだ」
「なるほどな。イスラムの教えに目覚め、テロリストに成り下がったってわけか」
「そんなところだろう」
「そのイスラム原理主義組織が、なぜ日本の政治家を狙う?」
「日本が本当の意味でテロや暗殺に備えておらず、狙いやすいということもあるだろう。だが、1番の理由は日本がアメリカに追従しているからだろう」
 第1次湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、そして第2次湾岸戦争。アメリカが中東を侵攻するために日本が支払った金額は、この3度だけで優に2兆円を超えている。
 そうした日本からの資金流入を防ぐだけで、アメリカの勢いを抑え込むことができるとイスラム勢力が考えたとしても、なんらおかしな話ではない。日本からの資金提供がなければ、アメリカとてそう何度も戦争を起こせるとは思えないからだ。
「日本の首相を暗殺したところで、その国の方針が完全に変わるわけではない。だが、奴らはその方法しか知らないのだ。もちろん、力を誇示する意味もあるだろうがな」
「短絡的だな」
「そうでなければ、テロリズムになど走らんよ」
「それで、どうする?」
「ディックを探す」
 そう言ってグレイは懐から数枚の写真を取り出し、それぞれに手渡した。写真には30代後半から40代前半と思われる男性が写っていた。灰色の髪と目をした体格の良い人物だ。写真を見ただけで手ごわそうな雰囲気が伝わってくるかのようだ。
「これがディック・ガルアードさん、ですか?」
 シュラインの問いにグレイはうなずいた。
「そうだ。だが、この顔を使っているとは限らない」
「どういうことです?」
「顔を変えているかもしれない」
「整形しているということですか?」
「その可能性もある、ということだ」
 続けてグレイはディックに関して自分が知っていることを話した。性格や経歴、軍事機密に抵触しない範囲でこれまでの作戦についても。
 そこから草間たちが理解できたのは、ディック・ガルアードという男が、本当に単独で敵地へ潜入し、任務を完遂する能力を持ち合わせた一流の兵士であるということだった。
「首相の公式日程がどう変化したのかもわからない。それも含めて調べる必要があるだろう」
「今回の狙撃ポイントはどこだったんですか?」
 シュラインが訊ねた。
「それもわかっていない。公安が明かしていない」
「では、それも調べて次の狙撃ポイントを予測しなくてはなりませんね」
 その後、細々とした打ち合わせを行い、店を出ようとしたところで、草間は意外な人物が店に入ってくるのを目撃した。
「ジェームズ」
「おや? 武彦ではありませんか。それにミス・エマも。珍しいところでお会いしますね」
 驚いたようにジェームズが言った。そして、草間の後方に立つグレイの存在に気づき、ジェームズは芝居がかった仕草で驚きを表した。
「本当に珍しい。ミスター・グレイも一緒とは。その節はどうも」
「ああ」
 ジェームズの会釈にグレイはうなずきを返しただけだった。
「皆さん、おそろいでなにか悪巧みですか?」
 にんまりと口許に笑みを浮かべ、ジェームズが言った。
「そういうわけじゃないんだが」
 一瞬、言葉を詰まらせた草間であったが、ふと思い立って口を開いた。
「ジェームズ。ちょっと協力してもらいたいことがあるんだが、時間をもらえるか?」
「別に構いませんよ。それに、武彦の頼みは断れませんしね」
 大げさに肩をすくめてジェームズは快諾した。草間とグレイから、外相暗殺の件と、それを実行したとおぼしき人物のことを、ジェームズはたいして興味もなさそうな表情で聞いていた。
「要は、そのディック・ガルアードを探し出せば良いのですね?」
「そうだ」
 グレイがうなずいた。そして2人1組で行動する案も出されたが、現時点では危険がないだろうとの判断から、各々が独自に調査を行うこととなった。なにかがわかり次第、携帯電話に連絡することにして5人は街に散らばった。

「チーフ、来客です」
 珍しく研究所で白衣を身に着けて仕事をしていた恭介を若い女性が呼んだ。これまでに収集した物品の解析と分類が、この日の主な仕事であった。日頃、会社から押しつけられる非合法なフィールドワークに忙殺され、どうしてもこうした仕事は後回しになる。
「来客?」
 恭介は首をひねった。今日、この研究所に恭介がいることを知っている人間は限られている。それに会おうと思ったところで簡単に通してくれるような施設でもない。ここでは機密事項に抵触する研究を数多く行っているからだ。
「誰だ、いったい?」
「常務です」
 その返答で恭介は納得した。彼にとっては直属の上司に当たる人物だ。いかなる場合でも恭介は常務に行き先を告げている。それは彼が会社のダーティーな面を請け負っているからであり、そうした仕事は決して時と場所を選ばないからだ。
 今回もそうした仕事だろう。恭介は白衣を脱いで近くの椅子にかけながら思った。そうでなければ常務が自らこんな場所を訪れるはずがない。
「失礼します」
 ドアをノックして恭介は部屋に入った。研究棟とは渡り廊下で隔てられた一般来客用の建物に重役用の部屋が設けられていた。窓の前に置かれたデスクには見慣れた初老の男が座っていた。いつものように葉巻を指に挟んでくゆらせている。
「来たか」
 そう男は言って手元のリモコンを操作した。窓のブラインドが下り、室内の蛍光灯が点灯した。本社と同じように、この部屋にも盗聴などを防止するための装置が組み込まれている。機密事項に関する会話も行われるため、当然の措置といえた。
「今日のニュースは見たかね?」
「いえ。ずっと研究室にいたもので」
 質問の意図がわからずに恭介は戸惑ったように答えた。フィールドワークに出ているのでもない限り、外部の情報を受け取る手段はこの研究所にはない。テレビやラジオなどはなく、機密保持の名目で各端末も外部からは完全に遮断されているからだ。
「今日の昼、外務大臣が狙撃された」
「なんですって!?」
 恭介の口から驚きの声が上がった。恭介が生まれてからというもの、おおむね日本は平和であった。政府の要職に就く人間の暗殺はもちろん、襲撃や狙撃などといったことも行われたという記録はない。ただ赤軍派以降、日本の過激派やテロ活動が確実に衰退していたということは明らかだ。誰も日本でこうした事件が起きるなど想像していなかったに違いない。恭介もそうした人間の1人だった。
「それで、どうなったのですか?」
「頭部を撃ち抜かれ、即死だったそうだ」
 たいして感情をこめずに男は言った。どの政治家が殺されようと関係ない。まるでそう言っているかのように恭介には感じられた。
「だが、今回の狙撃は外務大臣を狙ったものではなく、実際には総理大臣を狙ったものが、逸れたのだという非公式な情報もある」
「次は総理大臣を狙うということですか?」
「その可能性は否定できない。そこで、君に狙撃した人間を探し出してもらいたい」
「私がですか?」
「そうだ。本来ならば、これは公安の仕事だ。しかし、今回は緊急を要する。総理大臣が殺害される前に、犯人を捕まえなくてはならない」
 その話を聞いて恭介が思ったのは、会社と政治家の癒着であった。決してありえない話ではない。企業献金をして政治家に貸しを作ることで、公共事業の入札などに利便を図ってもらうということは昔から行われていた。
「警察を信用していないわけではないが、それだけでは不安と考えるのが人情だろう。非公式にだが、君たちを動かしてほしいという打診があった」
 当然だ。表向きには恭介は会社に存在していないことになっている。この会社が裏で汚い仕事をしているという噂は裏社会を中心にして流れているが、所詮は噂でしかない。
「次の犯行が完了する前に、犯人を見つけだすのだ」
「わかりました」
 静かに答えながらも、恭介は気が乗らなかった。どの政治家が殺されようが彼にとっては関係ない。ただ、それによって会社に不利益が生じるのも確かに問題ではある。
 男に会釈して恭介は部屋を出た。また、研究が遅れる。そんなことを考えながら駐車場へと向かった。

「じゃあ、ここで」
 そういって元はジェームズと別れた。首相官邸周辺で狙撃可能な場所を割り出すというジェームズとともに国会議事堂前まで来たのだった。一時の混乱は落ち着いたようだが、辺りには警察官の姿が多く見られる。
 歩み去るジェームズの後ろ姿を眺めながら元は携帯電話を取り出した。馴染みとなった電話番号へかけると、数回のコールのあとに聞きなれた声がした。
「俺だけど、議事堂周辺にいるスポッターを教えてもらいたいんだ」
「どうしたのさ?」
「ちょっと調べたいことがあるんだ」
「まあ、イイけどね」
 電話の相手は馴染みとなった情報屋だった。一度も顔を合わせたことはなく、電話やメールでのやり取りばかりだが、腕は良いほうだろう。宗家の追っ手から逃れるため、元はこうした情報屋に頼ることがあった。
 情報屋は何人かの名前を挙げ、その人物がどの辺りを縄張りにしているかも教えた。元は礼を言って電話を切った。裏社会には情報屋と呼ばれる職種とは別に、スポッターと称される人間がいる。スポッターとは観測手のことで、元々は軍事用語である。風や目標、着弾点などの情報を報告し、狙撃手の補助を行う。
 また、似たような意味でインディカー・レースなどでもスポッターという言葉が使われている。レースの最中にトラフィックの情報をドライバーに伝える役を担い、IRLでは非常に重要な仕事である。そうしたところから路上観測員、いわゆる面割を仕事とする人間をスポッターと呼ぶようになったとされている。
 スポッターは街中にいる。決して裏社会に関わっている人間ばかりではない。会社員や学生、主婦なども立派なスポッターだ。要は誰かが必要とする人間の顔を覚えているか否かでスポッターの素質は決まる。高い記憶力が要求される仕事だ。情報屋からの問い合わせに対し、スポッターは面割した情報を売る。そうしたシステムが出来上がっている。
 相手が透明人間でもない限り、狙撃を行った人物は誰かに目撃されているはずだ。それがどんなに些細な情報でも今は構わない。
 目的の人物はすぐに見つけることができた。それは首相公邸のはす向かいに建つ保険会社の本社ビルを警備する1人だった。元が近づいて声をかけると、警備員は驚いた表情を見せたが、情報屋の名前を出すと納得したような顔をした。
「狙撃事件があった時間帯に、この人物を見かけませんでしたか?」
 元はグレイから渡された写真を見せた。しかし、警備員は首を振るだけだった。この辺りは各国の大使館も多く、また官公庁が建ち並んでいるため、外国人の姿は決して少なくない。また、ディックが素顔のまま歩いている可能性は低かった。その後も情報屋から教えられた何人かのスポッターに当たってみたが、どれも空振りに終わった。スポッターとはえ、万能というわけではない。訊かれたこと以外の情報を教えることはできないのだ。
 1つ収穫があったとすれば、誰も銃声を聞いていないということだった。これは消音器を使用したということだ。消音器を使用すれば、多少なりとも銃弾の威力は落ちる。当然、射程距離も制限されるということになる。また、ライフルが収まるようなケースを持っている人間も目撃されていない。これはライフルを分解して運んだか、事前に狙撃ポイントに隠していたということだろう。
 若干の落胆とともに元は次の情報を探ることにした。

 これまでの経験からジェームズは狙撃可能な箇所をいくつかに絞り込んでいた。報道によれば、外務大臣は総理大臣とともに首相官邸から出てきたところを狙撃された。頭部に1発。即死だったようだ。捜査上の理由だろう。どの角度から弾丸を被弾したのかは公表されていないが、それでも推測するには情報が不足しているわけでもなかった。
 まず首相官邸の東西に建つ建物は除外された。官邸の出入り口は東側にあり、西側からは狙撃できないこと。東側に建つ建物は国会記者会館や内閣府、衆議院第2別館などの官公庁であり、警備員や警察官が配置された場所には、いくらなんでもライフルを持ち込むことができないだろうと考えた。同様の理由で北側も排除された。
 官邸の北側には衆議院第1議員会館がある。そのさらに北側から狙撃しようとしても、議員会館が盾となって不可能だ。
 答えは南側。官邸南側には首都高速の高架道路が走り、狙撃を遮りそうだが、高架道路よりもはるかに高いビルが建ち並んでいる。また、首都高速を走る車の騒音が銃声を消し、車の照り返しがスコープの反射をごまかしてくれるという利点もある。
 距離は最低でも200メートルは離れているはずだ。官邸から100メートル南に狙撃にうってつけのビルがあったが、距離が近すぎる。これでは警護のSPなどに発見される恐れがあった。200から300メートル離れた地点から狙撃したはずだ。
 ジェームズは外堀通りの南側に建つビルに目をつけた。いくつかのビルが密集し、万一、発見された場合でも逃亡する時間を稼ぐことができる。
 ジェームズはビルの1つに入り、エレベーターと非常階段を使って屋上に上がった。まだ警察は来ていないようだった。しかし、そこで意外な人物を見つけ、ジェームズは若干の驚きを覚えながら声をかけた。
「恭介ではありませんか」
 ジェームズの言葉に、しゃがんで床を見つめていた恭介が立ち上がった。
「どうしたんですか? こんなところで」
「仕事だ。そっちこそ、どうしたんだ?」
「暇潰しです」
 気楽な様子で言ってジェームズは肩をすくめた。恭介はどこか呆れたような表情でジェームズを見て、再び床に視線を戻した。
 その視線が気になり、ジェームズも床に目を向けると、そこにはかすかな黒い粉が付着していた。埃や汚れなどに紛れ、見逃してしまいそうなほどのものだ。その黒い粉がなんであるかをジェームズは悟った。
「発射残渣ですか」
「そうだ」
 ジェームズの言葉に少し驚きながらも恭介は答えた。
 発射残渣とは銃器を発砲した場合に、銃弾の飛び出す勢いで銃口から火薬が噴出し、それが周囲に付着するものである。狙撃などにおいて、銃口を台や床に固定して発砲すると、火薬が付着して発砲位置の特定することができる。
「もしかして、恭介も狙撃ポイントを探していたのですか?」
「俺も、ということは、ジェームズも?」
「ええ。ちょっと知り合いから頼まれましてね」
 そう答えながらジェームズは発射残渣のある位置から首相官邸の方向を見やった。ビルの隙間を通り抜けて官邸の入り口が見える。官邸側から見れば、手前のビルが邪魔をして狙撃手を発見することは困難であるように思われた。
「ここで間違いありませんね」
「そのようだ。発射残渣もある。官邸入り口まで直線距離で230メートル。優秀な狙撃手ならば決して外さないだろう」
「そうですね」
 恭介が言うのだから間違いはないだろう、とジェームズは思った。これまでに何度か彼と厄介な仕事に関わってきたが、恭介の射撃能力には目覚しいものがある。
「ここから見て、なにかわかりますか?」
「そうだな。外務大臣を狙撃したのはプロだということだ。いかに警備の人間に囲まれていても、車に乗り込む寸前というのは、どうしても隙が生じやすい。そこを狙ったのだろうな。それに場所の選定も悪くない」
「なるほど」
 恭介の答えにジェームズは納得した。
「獲物はなんだと思いますか?」
「普通の口径7・62ミリのライフルだろう。1発で仕留めたところを見ると、セミオートではなくボルトアクションタイプと思われる」
「なぜ、セミオートではないと?」
「構造的な問題で、些細だが命中精度に差がある。状況から、2発目はないと考えていたはずだ」
「恭介。あなたなら、なにを使いますか?」
 ジェームズの疑問に恭介は沈黙した。
「俺ならL96A1を使うだろう。信頼性が高いからな」
「仮にその銃が使われたのだとして、いったい、どこから入手したのでしょうね?」
 なにかを探るような目つきで恭介はジェームズを見た。だが、ジェームズは冷笑にも似た笑みを口許に浮かべると、小さく肩をすくめた。
「私はこれから武器の入手ルートを調べます。なにかわかったら連絡しましょう。ですから、恭介もなにかがわかったら連絡してください」
「共同戦線というわけか?」
「そうですね」
「わかった」
 そうして2人は屋上を後にした。

 草間とシュラインは大手新聞社の政治部に来ていた。外務大臣が狙撃、死亡したことで政治部は混乱とも受け取れる慌ただしさに包まれていた。号外の製作や次の外務大臣候補への取材、与党内部の動きなど、取材しなければならないことは山ほどあるようだった。
 そんな2人の応対をしてくれたのは、時島という30代後半の小太りの男だった。つい数週間前に文化部から異動させられたばかりで、そのぐうたらぶりは新聞社始まって以来とも言われている。以前、シュラインが某作家のゴーストライターとして原稿を書いた時に知り合った。その際は時島も文化部にいた。
「久しぶり。エマさん」
「ご無沙汰してしまい、もうしわけありません。時島さん」
 互いの挨拶が終わったところでシュラインは草間を紹介した。草間と時島は名刺を交換し、握手を交わした。
 3人は新聞社の1階にある喫茶室にいた。簡単な打ち合わせなども良く行われる場所だが、狙撃事件の直後ということで新聞社全体が慌ただしいせいか、喫茶室には草間たちの他にもう1組しかいないようだった。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
 草間が軽く頭を下げた。だが、煙草を咥えた時島は顔の前で手を振り、ライターを取り出した。
「いいのいいの。オレなんか、いてもしょうがないし」
 笑いながら言って時島は煙草に火をつけた。
「それで、エマさん。今日はどうしたの?」
「実は、総理大臣の予定を教えていただきたいんです」
「首相の?」
 煙を吐き出し、運ばれてきたコーヒーに口をつけながら時島は怪訝そうに眉をひそめた。
「なに? 取材?」
「そんなところです」
 シュラインは曖昧に答えた。外務大臣を狙撃した人間を探すため、とは言えない。
「首相の予定ってもなあ。外相が暗殺されちまったから、どんな変更があるかわからないよ?」
「それでも構いません。時島さんが把握している範囲で結構ですから」
「うーん……」
 うめくように言って時島は顔を大きくしかめた。そして、草間とシュラインの顔を見比べるように見つめ、再びうなり声を漏らした。
「まあ、エマさんの頼みだから仕方ねえか」
 苦笑いを浮かべながら言って時島は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
「以前の予定では、たいした動きはなかった。今は通常国会の会期中だから。ただ、3日後に韓国の大統領が来日する。そのとき、晩餐会が催される予定だったんだが、これがどうなったのかはわからない」
 時島の言葉で草間とシュラインはニュースの内容を思い出した。以前から韓国の大統領が訪日することを各報道機関が伝えていた。対北朝鮮政策に関する話し合いが政府のトップレベルで行われるというものであった。
 草間とシュラインは顔を見合わせた。ディックが総理大臣を狙うとしたら、晩餐会の可能性が非常に高いと感じたのだ。
 通常国会の期間である以上、首相といえども国会議事堂と首相公邸の往復で1日が終わってしまう。国会議事堂を狙撃することは配置的に困難であり、公邸も出入り口の前に背の高い木が植えられているため、前回のように狙撃することが不可能と思われた。
 ディック・ガルアードが狙撃以外の方法を用いてくれば話は違ってくるが、生粋のスナイパーである以上、自分にとって最も確実な手段で暗殺を決行するはずだ、とシュラインは考えていた。
「その、韓国大統領が来日する日の詳しいスケジュールはわかりますか?」
「うーん。警備上の問題もあるから、すべて明らかにされているわけじゃないんだが、昼前に大統領が羽田空港に到着して、昼過ぎに首相との会談が予定されているらしい」
「晩餐会は何時頃から?」
「公式発表では、6時頃に首相官邸に大統領が到着するそうだ」
 その言葉を聞いたシュラインの表情がかすかに曇った。
 前回、同じ場所で外務大臣が狙撃されているため、当然、さらに警備のほうも厳重になっているだろう。そうした場所をディックが再び狙うかどうかは微妙であった。
 そうなると、狙撃に固執することはないのかもしれない。別の手段を講じてくる可能性も考えなければならないだろう。
 その後もいくつかの情報を聞き、シュラインは時島に礼を言って席を立った。

 元は行き詰まりを感じていた。情報が出てこないのだ。簡単に行くとは思っていなかったが、どのスポッターに問い合わせても、誰もディックらしき人物を目撃していなかった。
 これは確実に変装している。また、ライフルをどのようにして運んだかも不明なままであった。分解したとしても、大きな物であるから、それなりに目立つものだと思っていたが、現実には誰にも目撃されずに獲物を狙撃場所にまで運んでいる。
 その時、携帯電話が鳴った。取り出して液晶画面を見ると、先ほど登録したばかりのジェームズの名前が表示されていた。
「もしもし?」
「ああ。ブラックマンです。狙撃地点が判明しました」
「どこですか?」
「外堀通りの南側にあるビルの屋上です」
 ジェームズはビルの名前を元に告げた。
「私は、これからライフルの入手ルートなどを調べようと思います。ミスター藤堂はどうされますか?」
「俺は、そのビルの周辺を調べてみます」
「わかりました。もし、なにかがあったら連絡してください」
「はい」
 そこで電話を切り、元は教えられたビルへ向かうことにした。それまで首相官邸付近で聞き込みを行っていた元は、道路を南下して特許庁の前を通過し、外堀通りを渡って問題のビルに入った。
 エレベーターと非常階段を使って屋上に上がると、そこには誰もいなかった。周囲には鉄柵が張り巡らされており、屋上の北側からは、ビルの隙間を通り抜けるようにして官邸の入り口を見ることができた。官邸側から見れば、手前のビルが邪魔をして狙撃手を発見することは困難であるように思われた。
(確かに、ここからなら狙えるよな)
 距離にして200メートルちょっとといったところだろうか。ここから狙撃するには、どのようなライフルを使えば良いのだろうか。
 元は少し考えたが、ライフルに関する専門的な知識がないために諦めた。
 ここが外務大臣の狙撃場所であることは間違いない。そうなれば次に行うことは決まっていた。踵を返し、元は屋上を後にした。

 ジェームズは1軒の店の前にいた。店の名前は「ディセンド」。会員制の高級クラブで、紹介状のない客は絶対に入ることができない。政財界の大物が多数、出入りしている店だ。店の正面玄関には常に黒服のボディーガードが待機しているのだが、営業時間前の現在は誰もおらず、店も静まり返っているようだった。
 この店が持つ裏の顔をジェームズはなんとなくだが知っていた。政財界の大物が集う場所である反面、この店には白人や黒人、特にアメリカ系外国人が多い。その実態はアメリカン・マフィアの巣窟だともされている。
 店は六本木通りから1本、裏手に入ったところにあった。他の飲食店などからは少し離れ、六本木にしては静かな場所にひっそりと存在していた。
 誰もいないだろうと考えながらも、ジェームズは正面玄関の扉に手をかけた。すると、音もなく扉が開いた。当然、鍵がかかっているだろうと考えていたジェームズは、呆気に取られた。用心しながら扉を開けて店の中へ入る。
 開店前の店内は薄暗く、静寂に満ちていた。決して消えることのない香水の臭いに混じってアルコールと煙草が染みついている。
 カウンターの前に並べられたストゥールの1脚に1人の女性が座っていた。
 マザー。本名は誰も知らない。グレイの紹介でジェームズは1度だけ、この女性と会ったことがあった。正確な年齢はわからない。30代にも40代にも見える。ただ、確実なのは妖艶な雰囲気を漂わせ、なんともいえない色香を放っているということだ。
 この「ディセンド」オーナー兼ママであるが、滅多なことでは人前に姿を見せない。ジェームズが彼女と出会えたのは偶然でしかない。
「お久しぶりね。ブラックマンさん」
 グラスを手に振り返りながらマザーが言った。ジェームズが訪れたことに驚きを感じているようには見えない。まるで予期していたかのように落ち着いている。
 同時に、目の前の女性が自分の名前を覚えていることにジェームズは驚きを感じた。商売柄、1度でも会った人間の名前と顔を忘れないようにしているのだろうか。それともジェームズだけが特別に覚えられているのか。
「まるで、私が来るのがわかっていたような感じですね」
「そうね。古い友人から、誰かが訪ねてくるかもしれないとは聞いていましたわ」
 その友人が誰なのか、ジェームズは気になった。
「お飲み物はなにがよろしいかしら?」
 ジェームズは首を振った。
「結構です。今日は客として来たわけではありませんから」
「そう。残念ですわ。1人で飲むのは寂しいのよ?」
 マザーは潤んだような瞳でジェームズを見つめた。酔っているようでもあり、シラフでいるようにも見えた。
「それは、またの機会にさせていただきますよ」
 丁重に断り、ジェームズは懐から1枚の写真を取り出した。グレイから渡されたディックの写真だ。それをマザーに見せながら訊ねる。
「最近、この人物を見たことはありませんか?」
 写真を受け取り、マザーは見つめた。この女性ならば、東京を訪れる白人や黒人の動向を掴んでいるだろうとジェームズは考えていた。また、不慣れな土地で仕事をするのに、同郷の人間に助けを求めるのは、万国共通の人の性だ。
 いかにイスラム教徒になったとはいえ、ディック・ガルアードは米国人である。東京で米国出身の外国人を束ねているマザーの許を訪れた可能性は決して低くない。
「この人物が、どうかなさったのかしら?」
「この国の外務大臣を暗殺しました」
 暗殺という言葉を聞いてもマザーは平然としていた。人間の生死ごときでは感情を動かされないようだ。
「それで?」
「今、私はミスター・グレイの依頼で動いています。この人物が次の仕事を行う前に、身柄を確保したいと彼は考えているようです」
 マザーはグレイのことを無視できない。そう考えての発言であった。
 グレイとマザー。共通しているのは白人であり、両者とも米国出身であろうということだけだ。だが、それだけの関係ではないようにジェームズは思えた。
 男女の関係などという陳腐なものでもない。もっと深いつながりのようなものを直感的に感じていた。それがなんなのかはわからない。しかし、互いの存在を簡単に無視することができないほど、この2人は強く結ばれているという気がしていた。
「1週間ほど前、この店にいらっしゃいましたわ」
 心臓の鼓動が高鳴るのをジェームズは感じた。
 1週間ほど前と言えば、グレイから聞いたディックの入国時期と重なる。日本へ入って間もなく、この店を訪れたということだろう。
「それで、この人物はなにをしに来たんですか?」
「武器を欲しいといっていたので、ある方を紹介いたしました」
「それは誰です?」
 だが、ジェームズの問いにマザーは首を振るだけだった。教えられないということなのだろう。いかにグレイからの依頼で動いているとはいえ、ジェームズに話せることと話せないことはある。誰をディックに紹介したかをジェームズに喋ることで、その人物からの信頼を失うことにもなるからだ。
「おそらく、グレイならば知っているでしょう」
 マザーはそう付け加え、ジェームズに背を向けた。これで会話は終わりだと告げられたような気がジェームズはした。
「ありがとうございました」
 礼を言い、マザーの背中に会釈してジェームズは踵を返した。一刻も早くグレイと合流する必要がある。店を出ると、ジェームズは懐から携帯電話を取り出した。

 時刻は間もなく深夜に指しかかろうとしていた。満足な休みも取らず、情報収集に当たっていた面々が、草間興信所のさして広くもない部屋に集まっていた。
 そんな一同をねぎらうかのように、テーブルの上には大量の料理が並べられ、零が遅い夕食の支度をしていた。
「零ちゃん、わたしも手伝うわ」
「疲れているんですから、エマさんは座っていてください」
 ソファーから立ち上がろうとするシュラインを押しとどめ、零はどこか嬉しそうな表情で食器や箸を並べたり、各々におしぼりを配ったりしている。
「とりあえず、腹ごしらえをしよう」
 真剣な顔を突き合わせていた一同であったが、草間の一言で食事が始まった。腹が減っては戦ができぬ、という諺もある。栄養をつけなければなにもできない。零の手料理に全員が舌鼓を打ち、多少のアルコールも入ったことで雰囲気は一気に和んだ。
 やがて睡魔に襲われない程度に腹を満たした一同は、零とシュラインの淹れたコーヒーを飲みながら、それぞれが集めた情報を公開した。
「じゃあ、俺から言います」
 紙の束を手に元が言った。
「ブラックマンさんから教えてもらった今日の狙撃ポイント付近で、ディック・ガルアードとおぼしき人物は目撃されていません。これは変装しているためだと思います。そこで知り合いに頼んで、ディックの変装パターンをいくつか作成してみました」
 元はグレイから預かった写真を使い、コンピュータグラフィックスで合成した様々なディックの写真がプリントされた用紙を全員に渡した。髪や瞳の色を変えただけのものから、老人、老女、女性などの格好をしたディックが印刷されている。
「狙撃に使用したと思われるライフルですが、現場付近では発見されていません。また、3日前まで遡って聞き込みを行いましたが、ライフルのような長尺物を持ち歩いていた人物も目撃されていません。これはライフルを分解して運んだか、別の人間に運ばせたのだと思います」
「使用したライフルについて、情報があります」
 元の後を引き継ぐようにジェームズが言った。
「ディックは日本へ入国した直後、武器商人と連絡を取っています。その武器商人から得た情報では、彼が注文したライフルは、イギリス、アキュラシーインターナショナル社製のL96A1スナイパーライフルです」
 それは以前に恭介が指摘した物と同じライフルであった。
「武器商人の話では、ディックが彼に接触したのは、1週間前。ライフルは2日後に用意されました。当然、試射したとは思いますが、状況から見て4日前には狙撃ポイントのビルに運び込まれたと考えて良いでしょう」
「くそッ……」
 ジェームズの言葉に思わず元が悪態を漏らした。もう1日、遡って調べればディックを目撃したという人間が現れていたかもしれないからだ。
「今回の狙撃ポイントはこのビルだ」
 テーブルに地図を広げながら恭介が言った。
「首相官邸まで直線距離で230メートル。手前のビルや首都高速の高架が目隠しとなり、首相官邸側から狙撃ポイントを見ても、相手には気づかなかっただろう」
 赤いマジックで恭介は問題のビルから首相官邸まで直線を引いた。
「今日、使用されたライフルで狙える最大の距離はどれくらいなんだ?」
 草間が訊ねた。
「最大射程ということなら1キロは行くだろう。しかし、確実に狙撃するとなると、400メートルが限界と思っている。このように都市部での狙撃の場合、とくにビルなどの密集地帯には、ビル風という強風が吹くことがある。それを考慮すると、どんなに腕の良いスナイパーであろうと、400メートルが限界だと思う」
「問題は次にディックが首相を狙う可能性が高い場所なんだけど……」
 どこか歯切れの悪い口調でシュラインが告げる。
「3日後、韓国の大統領が来日して晩餐会が開かれるのよ。狙うとしたら、その混乱に乗じてということになるのだろうけど、開催場所は首相官邸なのよね」
「他に狙う可能性が高い場所は?」
「この先、1週間ぐらいの総理大臣の予定を見てみたんだけど、3日後の晩餐会以外は、国会か官邸で会議を行うことになっているわ」
 シュラインの言葉に全員が難しい表情をした。それは、ディックが同じ場所から狙撃を行うか、と考えてのことだった。
 当然、今日の外相狙撃を受けて、警察は大幅に警護の人間を増やし、首相の狙撃を阻止しようとするだろう。すでに今日の狙撃ポイントが警察にも判明していると考えれば、ディックも危険を犯そうとはしないはずだ。
 国会議事堂を出入りする首相を狙うのだとしても、周囲の建物の配置関係から狙撃は困難であることは判明している。
 会議のため、公邸から官邸へ移動する間を狙撃しようとしても、首相の周囲には屈強なSPが盾となっているに違いない。また、公邸前には背の高い木が植えられているため、狙撃することが不可能と思われた。
 そうなると、韓国の総理大臣を官邸に迎える際の混乱に乗じて、暗殺を決行すると考えるのが最も確率が高いだろう。それには1週間以内にディックが仕事を終えるつもりでいるのなら、という前提がつくが。
「そこで考えたのだけど、狙撃以外でディックが暗殺を決行するという可能性はないかしら?」
 そう言ってシュラインはグレイを見た。
「確かに奴は優秀なスナイパーだが、それは同時に優秀な兵士ということでもある。スナイパーは時として、単独で敵陣へ潜入し、狙撃することもある」
「つまり、近接戦闘にも優れているということか?」
 草間の問いにグレイがうなずいた。
「そうだ。奴はたいていのことならば、並の兵士以上にこなす。伊達にグリーンベレーの隊員ではないということだ」
「当然、晩餐会当日には外国人記者も多く取材にくるだろう。その中に変装して紛れ込まれれば、見破るのは困難かもしれない」
 と恭介。
「でも、記者なら事前に身分証明書の呈示が求められませんか? どこの会社の記者だとか?」
 元が疑問を口にした。
「その辺りは偽造しているだろう。そもそも、日本へも本人のパスポートを使ったとは思えない。どこかで偽造した身分証を入手していると考えたほうが自然だ」
「そうですね。手段はいくらでもありますから」
「その辺りは調べてきた」
 恭介とジェームズの言葉を引き継いでグレイが言った。
「ディックは、サイモン・カスールという名で入国している。ルートはスイス経由。現在もこの名を使用しているかは不明だが、都内の主要ホテルを当たってみたところ、サイモン・カスールの名前で宿泊している人間がいないことから、すでに別の身分を手に入れている公算は高い」
「あるいは、まったく名前が知られていないような場所に泊まっているかですね」
 元がうめくように言葉を吐いた。
「決行日と思われる日まで2日ある。総理大臣の周囲を見張りながら、引き続き情報収集をすることにしよう」
 草間の言葉に全員がうなずいた。今は情報を集め、それに対処するしか方法がない。本気で姿を隠そうとしている人間を探すことほど、困難なことはない。
 2日間で変装し、身分を偽ったディックを発見することは不可能に近いと全員が感じていた。時間をかければ可能だろうが、そんな余裕は与えられていなかった。

 3日後。新聞記者に扮したシュラインと草間は、他の報道関係者に紛れて総理大臣官邸の前にいた。襟元にはピンマイクがつけられ、耳にはイヤホンを挿している。
「こちら、シュライン。今のところ異常なし」
 ピンマイクに向けてシュラインが囁いた。その声は電波に乗って官邸のあちこちに散らばった仲間たちへ届いている。グレイの提案で米軍が使用する特殊な周波数を使用しているため、官邸周辺を警備している警察官に無線の内容が傍受されることはないだろう。
「こちら真行寺。官邸周辺に狙撃手の姿は見られない。このまま監視を続行する」
 雑音混じりに恭介の声が聞こえた。シュラインが空を仰ぐと、官邸の上空で1機のヘリコプターがゆっくりと旋回しているのが見えた。某有名テレビ局の名前が機体の横に描かれているが、それは偽装だ。実際にはライフルを構えた恭介が、機体から身を乗り出すようにしてスコープを覗き込んで官邸周辺を監視している。
 どのような手段を用いたのかは不明だが、すべてグレイが必要な装備を揃えた。草間やシュラインが記者として潜り込むための偽造身分証。テレビ局の名前を描いた偽装ヘリコプター。他にも別の場所で待機している元やジェームズ用の品物などだ。
「こちら藤堂。官邸内部に不審者はいません。警備の人間が慌ただしく動いているから、もう間もなく大統領が到着すると思います」
 晩餐会のスタッフとして官邸内部にいる元から通信が入った。少年の雰囲気が抜けていない元であったが、その辺りはメイクでごまかした。
 現在は正装をした元が官邸の中を歩き回っているだろう。警備の人間や他のスタッフたちに怪しまれないように、不審人物や不審物のチェックをしていた。当然、警備の人間も確認済みだろうが、それでも念を入れるに越したことはない。
「ジェームズ、聞こえるか?」
 草間がピンマイクに向かって問いかけた。しかし、ジェームズからの返答はなかった。
「あいつ、どこに行ったんだ?」
 草間は顔をしかめながら言ったが、その答えはシュラインも知らなかった。今回の配置を割り当てる直前になってジェームズは姿を消した。ピンマイクや無線機はすでに渡されていたから、草間たちの会話は聞こえているはずだが、どこにいるのかはわからない。
「グレイだ。大統領を乗せた車は首都高速を霞ヶ関ランプで降りた。間もなく、そっちへ到着する」
 報道関係者に混じって羽田空港から大統領の乗った専用車両を追跡していたグレイから無線が入った。狙撃や妨害などを防ぐため、羽田空港から首相官邸までの道路は封鎖されている。そのため、グレイは大統領専用車両をかなり後方から監視していることになる。
「上空からも確認した。現在、内閣府下の交差点を右折中」
 ヘリコプターにいる恭介からも報告があった。官邸の動きが慌ただしくなり、それに伴って官邸周辺にいる報道関係者たちも動きを開始した。
 えもいわれぬ緊張が全身を襲うのをシュラインは感じた。どのタイミングでディックが暗殺を仕掛けるのかわからない。まだ不審者は発見できていない。どこに潜み、タイミングを窺っているのかも掴めていない状況であった。
 パトカーに先導された黒塗りのセンチュリーが官邸に滑り込んできた。同時に新聞記者の構えたカメラが無数のフラッシュを放つ。草間とシュラインは周囲の記者やテレビ局員に注意を向ける。少しでもおかしな素振りをする人間がいないかを確認するためだ。
 センチュリーが官邸入り口の前で停止した。それと同時に官邸の扉が開き、黒服のSPに囲まれた総理大臣が姿を現した。その斜め後ろには、平然とした表情の元が控えている。
 建物の前にいた正装した警備員が後部座席の扉を開けると、大統領と婦人が車から降り立った。一際、フラッシュが瞬く。
 総理大臣と大統領が近づき、握手を交わした。
 次の瞬間――
 センチュリーの運転席が勢い良く開き、車内から1人の男が飛び出してきた。その手には黒い塊が握られているのを、報道関係者たちの群れの最前列にいたシュラインは見た。
 一瞬の出来事に、誰も反応することができなかった。
 否。いつの間に現れたのか、男の行く手を阻むかのように総理大臣の前に黒衣で全身を包んだ男が立ちはだかっていた。
(ブラックマン!?)
 突如、現れた人物の正体をシュラインが認識した刹那、数回の乾いた音が轟いた。
 それが銃声だと理解すると同時に、総理大臣の背後に控えていたSPの群れを飛び越え、元が男へ接近する。
 元は視界の片隅で、ジェームズが崩れ落ちるのを見た。
「よくもッ!」
 瞬時にして男の懐に飛び込んだ元は、寸打を腹部へ叩きつけた。その凄まじい衝撃を喰らい、男が体勢を大きく崩した。
 元は素早く男の背後に回り込み、腕をひねり上げて拳銃を奪い取ると、四肢を絡ませて動きを封じた。男は背中に元を張りつかせたまま、うつ伏せの姿勢で地面に転がった。
 その時になって、ようやく警護のSPたちが動き出した。怒号が飛び交い、十数人のSPが元ごと男を押さえつける。一気に辺りが騒然となった。
「ブラックマン!」
「ジェームズっ」
 警備員の隙を突き、草間とシュラインが飛び出した。SPたちが2人を遮ろうとするが、それを掻い潜ってジェームズの許へ行くと、服を脱がせるのももどかしいように、ジェームズの傷を確認しようとした。
「武彦。私に、その趣味はありませんよ」
 だが、ジェームズは平然とした様子で答えた。
「おまえ、平気なのか?」
 驚愕に目を丸くしながら草間が訊いた。
「世の中には、防弾チョッキという便利なものがあるのです。そうでなければ、わざわざ楯になろうなどという酔狂な人間はいませんよ。ただ、もしかしたら肋骨は折れたかもしれませんが」
「この野郎。余計な心配させやがって」
 思わず苦笑を漏らしつつも、草間は肩を貸してジェームズを立ち上がらせた。
「草間さん! こいつ、ディックじゃないッ!」
 悲鳴にも似た元の声が辺りに響いた。一瞬、総理大臣と大統領を官邸内部へ避難させようとしていたSPの動きが止まった。
 次の瞬間、銃声が轟いた。
 総理大臣を護衛していたSPの1人が頭部を吹き飛ばされ、血と脳漿を撒き散らしながら地面に倒れた。
 再び銃声が反響した。
 だが、それで誰かが倒れることはなかった。
「こちら真行寺。センチュリーのトランクに狙撃手が潜んでいる。こちらの銃弾を受けて沈黙したと思うが、誰か確認を頼む」
 ヘリコプターから恭介の無線が入った。
「わかった」
 グレイの声が無線に乗って各自の耳に届いた。
 辺りは混乱に包まれていた。警護のSPたちは総理大臣と大統領を非難させることと、最初にセンチュリーの運転席から飛び出してきた男を取り押さえることに手一杯であった。
 その混乱に乗じて、グレイがセンチュリーの後部へ近づいた。センチュリーの車体横側には、直径5センチほどの穴が開き、そこからライフルの銃口がかすかに覗いていた。
 トランクフードには直径3センチほどの穴が2つ開いており、恭介が上空から狙撃したのだとグレイは理解した。恭介は最初の狙撃を上空から見て、その火線から狙撃ポイントを瞬時に割り出したのだ。
 トランクを開けると、そこにはうつ伏せに倒れる1人の男がいた。その顔をグレイは良く知っていた。ディック・ガルアード。かつてグレイが米軍に在籍していた頃、彼の上官を努めたこともある人間だった。
 トランクの内部は血で染まり、脈を取るまでもなくディックが絶命しているのは明らかであった。
 恭介が使用したのは普通のライフルではない。対物狙撃銃――アンチマテリアル・ライフルと呼ばれる代物だ。第1次世界大戦では対戦車ライフルとして使用されていた。今は装甲車などの動きを止めるために用いられる。
 口径12・7ミリの銃弾を使い、その射程距離は1キロを優に超える。国際条約では人間への使用が禁止されているが、今回、ディックがどのような場所に潜んでいるか最後までわからなかったため、どのような場合でも対処できるように対物狙撃銃を用意した。
「こいつが、ディックか?」
 ジェームズを支えながら歩いてきた草間が言った。しかし、グレイは静かに首を振った。
「いや、ただのテロリストだ。ディック・ガルアードという優秀な兵士は、もうどこにもいない」
 混乱の喧騒の中にグレイの呟きが流れた。

 完


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
 2512/真行寺恭介/男性/25歳/会社員
 5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人&??
 6191/藤堂元/男性/17歳/逃亡者・武人

 NPC/グレイ・レオハースト/男性/32歳/始末屋
 NPC/草間武彦/男性/30歳/草間興信所所長、探偵
 NPC/マザー/女性/45歳/クラブ「ディセンド」のオーナー

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■         ライター通信          ■
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 はじめましての皆様。九流翔と申します。
 そして毎度、ご依頼くださる皆様。今回もご依頼いただきありがとうございます。
 遅くなりまして申し訳ありません。長々となってしまいましたが、このような結果となりました。
 リテイクなどございましたら、遠慮なく申し付けください。
 では、またの機会によろしくお願いいたします。