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<東京怪談ノベル(シングル)>


あちこちどーちゅーき -現代マヨイガ譚-


「あんたが持っとるそれ。わしに譲ってくれんかね」
「…………はい?」

 偶然降り立ったバス停の名前は、確か高見沢といったと思う。
 山を越える寸前の麓でバスを降りる気になったのは、気まぐれとしか言い様がない。
 窓の外を流れる景色をぼーっと見つめていると、なんとなく急に、そこに降り立ちたくなった。だから、停車ボタンを押してみた。
 運転手さんに「ありがとう」と声をかけて、運賃を払い、バスを降りる。
 迎えてくれたのは、いつからここに立っているのだろうか、と思われる標識。とっくに塗料が剥げて、赤錆びたその板からかろうじて文字を読み取った。
 バス停には待合室もなく、ただぽつんと「ここはバス停だよ」という印だけが立っている。
 バスがここを通るのは、日にたったの二度だけ。
 表にする意味があるのかなぁ、と思われるほど白い部分の多い時刻表が、そう知らせてくれる。
 それを確かめた桐苑・敦己(きりその・あつき)は、その時間までに帰るか、それとも野宿か、どっちにしようかな、と考えていた。
 左は長く続く畦道。右には、先ほどバスが大儀そうに上っていった山道。
 畦道はずっと遠くからバスに乗ってきたから、歩いて辿るのもいい。山道はまだ足を踏み入れてない場所だし、木や緑の多い道は歩くだけで気持ちがいいだろう。
 ほんの一瞬考えて、いつもの奴でいくか、とジーンズの後ろポケットに手をやった。
 そこには、コインが一枚入っている。十円玉だ。
 どっちに行くか迷った時には、いつもこれで決めることにしている。表か、裏か。
 そうして、敦己が十円玉を手にした時。出し抜けに、声がした。

「あんたが持っとるそれ。わしに譲ってくれんかや」
「……はい?」

 たっぷり、五秒は固まった。
 驚くなんてものじゃなかった。むしろ、驚きすぎたせいで普通の反応しかできなかった。
 先ほどまで、この道には自分以外、誰の姿もなかったというのに。
 出るにしたって、もう少し何かこう、前触れのようなものがあって出てもいいんじゃないのか、と思いながら声の方を向くと、そこに一人の老人がいて、敦己をじっと見上げていた。
 腰の少し曲がった、背の低い老人だった。いや、敦己が平均よりも背が高いせいもあるのだろうが。
 薄汚れたランニングに、裾の破れたズボン。その下には下駄を履いており、これがまた随分と古い物に見えた。
 山かどこかにずっと入り込んでおり、今まさに迷い出てきたような風体だ。
「譲ってくれ、というのは、えーっと。これのことですかね?」
 とりあえず、手に持っているコインを示して、確かめてみる。
 老人は一つ、こっくりと頷いた。
「それ、譲ってくれんか。わしに譲ってくれんか。ただとは言わん。いいことを教えてやるで」
 敦己は、手に持った十円玉と、老人とを交互に見比べた。
 譲ってくれ、といわれても、ただの十円だ。道選びのコインはまだ他にも持っているし、別に渡してもかまわない。
 ただ、なんとなくこの老人が、どうしてこのコインを欲しがるのかが気になった。
「どうしたんや。いいこと教えていらんのか。譲ってくれたら、教えてやるというに」
「……譲らないでもないんですが。これ、何に使うんですか?」
 聞くと、老人はブルブルと首を激しく振る。
「それは、言われん。言わんと、譲ってくれんのか?」
 そうして、ひどく恨めしそうに敦己を見る。
「いえ、全くもってそんなことはないですが」
 一瞬コインを見つめた後、敦己はにっこり笑って、老人にコインを渡した。
 その皺にまみれた掌にそれを落としてやると、老人は顔をくしゃくしゃにして喜ぶ。
「ありがとさん……ありがとさん……」
 コインを持った手をぎゅっと硬く握り締め、礼を繰り返しながら、老人は身を翻す。
 一目散に駆けていこうとしながら、思い出したように、後ろを少しだけ振り返った。
「いいこと、教えてやろ。そこな山道をまっすぐ上った先に三つに別れた道がある。喋っとる笹が生えておるから、笹の声をよく聞いてけ。ええな。わかったな」
 そういい残すと、老人は後も見ずに一目散に走り去ってしまった。
 残された敦己はその姿が消えた後をしばらく眺めていたが、やがて、ぽつりと呟いた。「あ。何かちょっとお腹すいた……」
 確かリュックにパンがあったはず、と思いながら、一服したら山を登ろう、と頷いた。 とりあえず、コインを使う必要はなくなったわけだ。

*
 老人が指した山道は、バスが上っていった広めの道の横にある、小さなわき道だった。 そこはどうやら旧道らしく、道の脇に朽ち果てた高見山登山口なる指標が立っていた。 が、近く誰かが踏み入ったような気配もない。これでは、慣れない者ならば道だとは気付かないだろう。
 ぼうぼうに生えた背の高い雑草を踏み固めながら、敦己はその古道に踏み込んで行く。 草のつぶれる匂いが、ツン、と鼻をついた。古道の先は湿っていて、木々や土の香りが強い。向こうの整備された道よりも、ずっと面白そうだった。
 よっし、と掛け声をかけて、登り出す。各地を歩いて回る敦己にとって、歩くことは何の苦でもない。
 歩きながら、しかし、あの老人は一体何者だったのだろう、と考えた。
 一瞬前まで、見渡す限り人っ子一人見えていなかったのだから、まず間違いなく人ではあるまい。随分あのコインに執着しているようだったが……。
「三叉路に喋る笹。三叉路に、喋る笹、と」
 三つに分かれた道に喋る笹。何だか、昔話で聞いた山梨取りのようだと思った。
 確か、あの話に出てきた三兄弟の内、一番上の兄貴と二番目の兄貴は、ああいう老人の話をよく聞いておかなかった為に、池の主に食べられてしまうのだ。
「……俺は、笹の声をよく聞かないといけないなぁ」
 ひとり、のんびりとした声で呟いて、先を行く。
 大して陽射しが厳しいわけでもなかったが、こうして木々の影を歩いていると本当に涼しい。季節が夏の始まりにかかっているということを忘れそうなくらいだ。
 姿は見えないが小鳥のさえずりや、どこか遠くを流れているのだろう、川の水音が一層山の道を彩ってくれる。
 自分のほかに誰も通るもののいない古道は、静かなものだった。
 やっぱり野宿もいいかもしれないなぁ。丁度いい、平地になっている場所さえあれば。 そんなことを考え考え、歩いている内に、敦己は、辺りに霧がかかってきたことに気付いた。
(……先が見えずらい)
 山で霧に囲まれた時には動くな、というが、今の霧はまだそれほどではない。先ほどよりも少しだけ足取りを慎重にし、木々に沿って歩を進める。
 まもなく、先ほど老人が言っていたのだろう三叉路が姿を現した。
「……笹」
 笹が喋っている。
 そう言っていったから、敦己は耳を澄ませた。
 ざわざわ、と枝通しがぶつかり合って鳴りあう音が聞こえていた。まるで、海の小波のようだ。

 がさがさ。

「…………」

 行くなっちゃガサガサ。行くなっちゃガサガサ。

 敦己は、自分が今立っている道を見る。一番、端の道だ。
 一歩、横に移動した。

 行けっちゃガサガサ。行けっちゃガサガサ。

 もう一歩、移動してみた。

 行くなっちゃガサガサ……。

 真ん中の道に戻る。

「なるほど。つまり、真ん中に行けってことですか」
 頷き、また歩き出した。
 後ろで、笹がわさわさと体を揺する音がする。見送ってくれているのだろうか、と思って、軽く後ろを振り返り、小さく手を振っておいた。
 彼等は、自分を一体どこに連れて行こうとしているのだろう。
 霧の道は、ずっとまっすぐ続いていた。たまに曲がりくねっていたが、ほとんど何の障害物もなく、敦己を先に導く。
 何か、山の意志のようなものが働いている気がしてならなかった。どこか怖いような感覚もあるのに、それよりも何よりも夢中になって、敦己は先に進んでいた。
 そうして、ようやく先が開ける頃には、先ほどまで自分がいた世界とは、まったく別の場所に迷い込んだのだ、と理解することができた。

 今まで、人一人がようやく行き来できるか、という程度だった道はひらけて、だだっ広くなり、小さな石塚が一つ築かれている。
 その塚を眺めて下に落としていた視線を移動させ、ずっと先を見ると、そこに一軒の屋敷が、黙して建っていた。
 一目で、それが随分と大規模な和屋敷だ、ということが見て取れる。
 敦己は、初めて息をついた。
「ここは……」
 この屋敷が、老人が言っていた、『いい事』なのか。見た所、無人のようだ。巨大な山門を思わせる家の門構えには、表札さえ上がっていない。
 もしかして、ここは。
 どこか、記憶の隅にひっかかるものを感じながら、敦己は門の敷居から、中をそっと覗いてみた。
 ――――牛の声がする。馬や、鶏の声も。
 首をめぐらせると、門の敷居を一つ越えた先は広い庭になっており、見たこともないような美しい花々が咲き誇り、綺麗に剪定されていた。
 そのまた先に、家畜小屋のようなものがあり、僅かに飼葉を積んだものと、動く牛のようなものが見える。
 飼われているようだ。
「ごめんくださーい……」
 一度、張りのある大音量で、中に呼びかけてみた。だが、返事は返ってこない。
 だだっ広い家の中に、自分の声だけが木霊している。
 普通ならば、いくら旅人を生業とする自分でも、他人の家に勝手に入ったりはしない。 けれども、先ほど老人が言っていたことと、思い当たる記憶を寄り辺に、敦己は、今、ゆっくりと敷居を踏み越えた。
「……お邪魔いたします」
 庭は、思った通り、誰もいなかった。家畜小屋の周りを回ると、確かに牛や馬、鶏などが、思い思いに餌をつつき、時折騒がしく声をあげていた。
 それを横に見ながら、敦己は母屋の方に足を向ける。
 表玄関に当たる入り口の戸は、人を迎える用意でもしているかのように、開け放たれたままだった。
 家の中には、ずん、と長く、先が見えないくらいの黒い廊下と、入り口に据えられた見事な意匠の屏風が見えている。
 どこもかしこも、しーんと静まり返っている。獣の声は聞こえるのに、人の声は一つもしない。
 黙ってその様子を眺めていた敦己は、ふと、微かな音を聞きつけて、履いていた靴を脱ぎ、丁寧にそろえてから、家の中に上がっていった。
 廊下は時折ぎしぎしと軋んだが、家人の誰かが出てくる気配はない。音は、もっと先の部屋から聞こえてきているようだ。
 さらにいくつか部屋を越えた後に、一つの障子を開ける。その向こうはいつか敦己が泊まったことのある寺の本堂くらいの広さがあり、奥には六枚扉の襖が並んでいた。
 どうやら、音はその先から聞こえてきているように思った。

 しゅん、しゅんしゅんしゅん……

 …………襖を開けると。
 そこはがらーんとした畳敷きの間で、中ほどに天井から下がった囲炉裏があり、真っ白な湯気が、凝った細工を施された鉄瓶からしゅんしゅん、と立ち上っていた。
 茶をたてる準備がされていたのだ。その部屋は明かりもついておらず、暗がりの中にあったが、その脇には、何人分かの膳と椀が整然と準備されている。
 が。やはり、人の姿は見えないのだった。
「――――やっぱり、この家は」
 だったら、俺がすることはひとつ、かな。
 敦己は、その場にしゃがみこんで、傍らの膳に置いてあった箸を一つ、取った。
 繊細に切り出されてはいるが、しっかりとした造りで、持ち手のところに微細に細工されている。
 それを丁寧に布にくるむと、敦己はもう振り返らず、生きた人間がたてる音のしない、静かな屋敷を辞した。

 敦己は、何かの話で聞いたことがある。
 何処かの山中に、誰も今まで見たことのないような立派な屋敷がひっそりと建っている。
 屋敷には、世話をするものがいないのに牛や馬が飼われ、草木は美しく世話をされている。座敷には客人を迎える用意が整っていて、なのに、人だけがいない。
 これを、人々はマヨイガと呼んだ。
 この家に招かれたものは、何か一つ、家のものを持ち帰ってよいことになっている。
 持ち帰られない場合は、後日になってそのものの家に届けられることがあるというが、真偽は定かではない。
 マヨイガのものを持ち帰ったものは、幸せを得る、という言い伝えなのだそうだ。
 マヨイガが、どういった存在であるのかはわからない。その存在自体が、家の形をした妖怪ではないのか、とされる説もある。

 なんにしても、稀有な場所に招かれたものだ。敦己は、屋敷から持ち帰った一そろいの箸を見ながら思った。
 そういえば、あの老人は、結局何者だったのだろう。


 ――――後日。
 高見山を下った麓にある、小さな飲食店で、変わった老人が駄菓子を買いにくる、という噂をしている店員を見た。
 その老人が現れるのは初めてではなく、数ヶ月に一度、その店を訪れているらしい。
 その老人が現れて、僅かばかりの金で菓子を買い求めた日には、何故か店の裏に出してある残飯や、野菜がなくなっていることが多いのだ、という。
 何だか、気味が悪いねぇ、と。
 それを聞いた敦己は、その店で、できるだけたくさんのパンやお菓子を買い込み、外に出た。
 そうして、一度降りてきた山の麓まで戻り、土肌が露な場所までくると、小さめの穴を掘った。そうして、今買ってきたばかりの食べ物を全部その中に放り込み、軽くあたりの葉っぱや雑草をかぶせておく。
「これで、よし、と」
 土のついた手を払い、敦己は微笑んだ。
 おそらく、あの老人は、ここいらに住む獣の何かだったのだろう。
 人間の食べ物を覚えてしまった彼等は、僅かばかりの金銭を得て、変わりばんこに店の表に人を呼び出し、その間に他の仲間が裏にある残り物にありついていたのだ。
 うまく、それを続けていられればいいんだけど。
 そう、心から祈りながら、敦己はまた歩き始める。

「さて。次は何処に行きますか」
 祖父の遺産を食いつぶすには、まだまだ、随分な時間がかかりそうだ。
 まぁ、ゆっくり行こうか。
 もっと、ずうっと遠くまで。

END


Writing by 猫亞 
Thank you for the order.