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<東京怪談ノベル(シングル)>


白球は青空を舞い…


 ある日、刹利は野球のボールを買った。真っ白な皮に真っ赤な縫い目の入ったそれはとても高価そうだったが、自分が予想したよりもかなりお手頃な価格で売られていた。彼はそれを1個だけ買った。もちろん使い方くらいは知っている。しかし、これで一度も遊んだことはなかった。いつもの場所でこのボールを使うスポーツのお勉強した後、まずはひとりで遊ぶ方法を試してみる。ボールを壁に投げて、跳ね返ってきたところをキャッチ……ただそれだけだが、これがなかなか楽しい。少しでも投げ方を変えると、バウンドやキャッチするタイミングも変わるのだ。一度として同じ動きをしないボールを見て目を丸くする刹利は、まるで自分よりも大きな玉でじゃれている猫のようにも見える。
 これだけ楽しいのなら、テレビみたいに試合をやったら絶対に面白い。刹利は「野球をやってみたい!」と思った。しかし、チームを結成できるほどの人数を集めるのは難しい。彼が読んだ本にも「野球は最低でも20人くらいいないとできない」とあった。でも、野球を趣味でやってる人はいくらでもいるわけで……と、刹利はあることを思い出す。
 実は彼の友達に趣味で草野球をやっている奴がいる。お父さんと同じく投手をしていると聞いていた。いつも出入りしている神聖都学園にはサークル活動用のグラウンドもいくつかあり、そこへ行けば彼に会えるかもしれない。幸運にも明日は土曜日……学園の授業はお休みだ。服のポケットにボールを突っ込み、グラウンドがどんな広さか実感するだけでもいい経験になると前向きに考えてお出かけの準備を始めた。


 翌日、偶然にもその友達はいた。周囲から彼のことは『秋山』と呼ばれていたが、刹利は『勝矢』と呼んでいる。グラウンドにはずいぶんと人がおり、白球がみんなのグラブを行き来していた。夢に描いたとおり、やっぱり人数が多いと楽しい。心が躍る。彼はさっそく勝矢を捕まえて仲間に入れてもらえるよう頼みこんだ。

 「ねーねー勝矢クン、ボクも草野球に混ぜてくれない?」
 「お、刹利じゃないか。いいぞいいぞ。ってお前さ、ルールとか知ってるの?」
 「図書館で勉強して、テレビで復習したんじゃ……ダメかな?」
 「それで十分だ。ただ指示を出すのにサインなんか出さないけどな。草野球だし」

 勝矢は「そんなに難しくされたら逆に野球できなくなっちゃう」と困った顔をする刹利を見て少し笑うと、さっそくご希望のポジションを聞く。彼の希望はキャッチャー。理由は『誰よりもたくさんボールを捕れるし、打球によってどのように人が動くのかを見ることができるから』だそうだ。ここでも勝矢はニヤリと笑う。刹利の興味と勝矢の願いがうまく合致したからだ。勝矢はどこでも守れるが、今日はピッチャーを任されている。彼が初心者である刹利の面倒を見るのに最適なポジション……それはキャッチャー。それに彼の運動能力のよさはすでに把握している。どこまでやらせられるかは自分なりにわかっていた。
 そんな事情をチームメイトに説明し、周囲を納得させた上で、刹利は正式に今日のキャッチャーに抜擢された。大喜びの刹利はみんなから使い込まれたキャッチャーミットやマスクを貸してもらい、それをちゃんと装着する。そしてさっそくホームベースを前にして「しまっていこー!」とまだ誰も準備の整っていないグラウンドに向かって叫んだ。そう、本には確かに書いてある。「キャッチャーはムードメーカーでなければならない」と。

 そして審判役の男の子から「プレイボール!」の声がかかる。刹利のチームは後攻なので、さっそく興味津々の守備機会に恵まれた。相手チームにも『相手は初心者だから、声の指示はオッケー』という確約をもらっている。泣いても笑っても7回まで。この貴重な体験を無駄にしてなるものかと意気込む刹利は、いきなりキャッチャーミットをど真ん中に構えた。すると勝矢もそれに頷き、ノーワインドアップからモーションを起こす。
 思わず敵チームの先頭打者は鼻で笑った。そりゃそうだ、こんなもの「打ってください」と言わんばかりの配球なのだから。いくら勝矢の球が超高校生クラスでも、ど真ん中となれば話は別だ。草野球言えども、野球は野球。その辺の駆け引きは日常茶飯事である。そして放たれたボールはやはりストレートど真ん中……素人キャッチャーには申し訳ないが、ここはいただきとばかりに打者はバットを思いっきり振った!

  バシィィッ!
 「ストラィィーーーッ!!」
 「う、うそだろ! あの変化球を見切って捕球すんのかよ、このキャッチャー! ホントに素人なのか?!」

 勝矢が投げたのは得意とする高速スライダー。放たれた瞬間は直球のようなスピードで、そして打者の手元付近で急に大きく横へ曲がるのが特徴だ。刹利は自分がキャッチしたボールを勝矢に投げ返すと、ふたりは目を合わせて「してやったり」という表情で笑う。ここから先はずっとこのスタイルを貫いた。とりあえず刹利はど真ん中にミットを構え、勝矢が自分で適当に投球の組み立てをして投げる。刹利は運動神経も動体視力もいいので、相方が失投さえしなければキャッチできる。実は最初から『指示を出すのは、盗塁とバントの時だけ』とふたりの間で決めていたのだ。
 さすがに相手チームはこの作戦に困惑し、打順が一周するまではキリキリ舞いにされた。低めのストレートやアウトコースギリギリのスライダーに釣られて面白いようにゴロを積み上げる。そのたびに刹利は勝矢を含む内野陣がアウトひとつ取るのにめまぐるしく動く様を見て、「へぇー」と声に出して感心した。こうして刹利は前半から中盤まではチームメイトも驚くほどの活躍を見せたのである。

 打つ方では勝矢から直接の指示は特になかった。ところがその都度、刹利は不安になったり興味を持ったりして詳しい説明を聞きに走る。早い話が「戦略を必要としない場面だから説明なし!」なのだが、勝矢はその理由を丁寧に教えた。好きなことを人に教えるのは楽しいものである。また相手がそれで嬉しそうな顔をするのなら、なおさらだ。刹利は左のバッターボックスに入り、バットを短めに持ってボールを待つ。すると相手ピッチャーは露骨に嫌な顔をしながら、右手に持ったボールをミットの中で握りなおした。
 一般的に野球では『投手の利き腕と打者の打席が一致すると打ちにくい』のである。打者の視点で言えば、相手投手の腕の振りやボールの握りが見えづらくなってしまい不利になってしまうからだ。ところがその逆、『投手の利き腕と打者の打席が一致しないと打ちやすい』というのもある。まさに今の状況がそれだ。しかも彼の動体視力のよさは折り紙つき。さらに大振りをせずに当てるだけのフォームをしているので厄介なことこの上ない。自軍ベンチはやんややんやの大騒ぎ。ところが彼らを騒がせている刹利はその理由が半分ぐらいしかわかっていない。まぁ、自分が人を笑わせることをしているのならいいかと楽しそうな表情で野球を楽しむ。
 相手投手は苦労しながらも、都合2打席はなんとか打ち取った。ところが刹利が対戦している最中に厄介なことを覚える。それは『ストライクゾーンの球で打てなさそうなのはファールで逃げる』という高等テクニックだ。これにはさすがの勝矢も脱帽した。最終的にはセカンドやファーストの前にライナーを飛ばしてしまい、残念ながら結果を出すことはできなかった。だが、チームメイトの誰もが一塁から戻ってくる彼を拍手とハイタッチで迎える。相手ピッチャーに球数を投げさせて疲れさせることも大事な仕事のひとつ。勝矢は自分の打席以外の時にいろいろとアドバイスした。
 刹利の活躍が功を奏し、チームは先制点を取ることができた。同じ一巡目でも先頭打者に刹利を据えた勝矢の作戦勝ちである。その後も毎回のように打者を塁に出し、点も先に取られて苦労のピッチングを強いられる相手ピッチャー。それとは対照的に大暴れの勝矢。試合は6回の表を迎えた時点で2対0……もちろん刹利のチームが勝っていた。

 残り2イニングで完封勝利の勝矢だったが、ついに相手チームに捕まった。白球は刹利のミットに収まることなく、そのままフィールドへと転がる。連続ヒットでノーアウトで1塁と2塁……本日最大のピンチを迎えた。内野陣が勝矢を囲み始めたのを見て、刹利もマスクを脱いで側へ駆け寄る。

 「勝矢クン、大丈夫?」
 「連打だからな。いくらお前でも心配するよなー、たはは」

 みんながグラブで口元を隠しているので、自分もグラブで真似しながら声をかけた。それでも勝矢の声は沈んではいない。

 「あいつらうまいんだよな〜。他の奴のパターンで投げたんだけど、配球を読まれたかな。次はピッチャーだな……あいつ俺の球にかすったこともないから、ここはバントしてくるだろう」
 「バントか……じゃあ、ボクは勝矢クンの指示を聞いて投げればいいんだね」
 「そういうことだな。あと悪いけどさ、サードは浅めに守ってくれる? 塁の近くでよろしく」

 普通バントをした場合、ピッチャーとキャッチャーの間をボールがゴロで転がる。これを内野陣が前進守備などでプレッシャーをかけるのが当然なのだが、勝矢はあえてサードにそれをさせなかった。彼はある策を用意していた。全員がグラウンドに散ると、指示通りの守備につく。刹利もマスクをかぶりなおすと、「オッケーオッケー!」と味方を鼓舞する。
 相手チームも必死だ。ここで1点も取れなければ、このまま終わってしまうことくらいわかっている。勝負事には『流れ』という不思議な要素があり、それを逃せば敗戦は必至だ。ゲームも終盤……このチャンスを逃せば、勝利の女神は彼らに微笑みはしない。打者はゆっくりとバットを横に向けた。やはり、ここはバント。勝矢はさっきよりも窮屈そうな構えに見えるセットポジションから投球となる。
 ここで刹利はなぜかミットを内側に構えた。誰の指示でもない。彼のスタンドプレイである。これにはバントに集中していた打者が戸惑った。終盤に来て初めてのことである。打者は思わず『これは勝矢の入り知恵なのか?』と邪推してしまった。もしこのままインコースに投げ込まれたら、バントしてもフライになってしまい、走者を次の塁に送れない可能性がある。彼が悩んでいる隙を突いて、勝矢は一球目を投げた!

 「刹利……お前、すごいわ」
 「し、しまっ……ど、ど真ん中だ! バ、バントしないと……!」

 投球はど真ん中……打者は慌ててバットを出した。しかし無情にもバットの先でボールを上げてしまった。実は勝矢が投げたのはスライダーで、ストライクゾーンいっぱいいっぱい使っている。まんまと策に溺れた打者は大いに落胆し、つい走るのをやめてしまった。さっき彼が思い描いていた最悪のパターンが現実になるなんて……流れを断ち切るキャッチャーフライ。これで刹利が捕って1アウト、と思いきや勝矢から大声で矢のように早く指示が飛んだ!

 「刹利っ! 一度落とせっ! バウンドしたらすぐに捕って3塁へ投げろぉっ!」
 「うん、わかった!!」

 勝矢の指示で初めて作戦の意図を知った相手チームは顔面蒼白。塁上にいたふたりの走者はおろか打者までもが慌てて走り出したが、もはや手遅れ。刹利はワンバウンドした球を3塁に投げ2塁走者をアウトにさせ、今度はサードが2塁へ送球。もちろんここもアウト。そしてさらに1塁は打者のスタートが遅れたのだから間に合うはずがない。結局、あっさりと3アウトで攻守交替となった!

 「すっごい、勝矢クン! みんなもすごいよ! ボールの流れがキレイだった!」
 「いや、おまえがインコースに構えなかったら成功しなかったかもしれない。とっさの判断だろうけど、効果は絶大だったよ」
 「ボクの構えが一本調子だったから、『ここで変えた方がいいかなー』って思って……」

 絵空事だったはずの3アウト作戦を刹利が現実に近づけてくれたおかげで、チームはこのまま波に乗った。この後、刹利の前に走者が貯まる。もちろん勝矢の指示は『ダメ押しの追加点を取るためにヒットを打て!』だ。ここで刹利は初ヒットを放ち、同時にタイムリーヒットとなった。その後は勝矢もタイムリーを放つなど、終わってみれば刹利のチームの圧勝で幕を閉じた。


 その後、刹利が両陣営から勧誘を受けたのは言うまでもない。彼は思った。

 『勝矢クンとバッテリーを続けるのもいいけど、いつかは対戦するのも面白いかな?』と。