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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


折れた御柱 その1

「諏訪大社の御柱がねえ……」
 編集長のデスクに座り、新聞に目を通していた碇麗香が、部屋中に聞こえるような声で言った。
 その響きに嫌なものを感じた編集者たちは、慌てて部屋から出たり、仕事に忙しいふりをしてみたりする。
「あら、誰も興味ないのかしら?」
 さらに大きな声で麗香は言う。
「新聞によると、一昨日の夜、折れたらしいわ。近所の人の話によると、折れる音は聞こえなかったというんだから、不思議よね」
 新聞には折れた御柱の写真が大きく掲載されていた。いや、それは折れたというよりも裂けたといったほうが良いかもしれない。まるで雷でも落ちたかのように、地面に突き立てられた長さ10メートル近い巨木が、真っ二つに引き裂かれている。
 だが、2日前の夜に長野県で雷が起きたという気象記録はないと新聞には明記されていた。
 このところは大きな事件もないため、こうしたことが全国紙にも載るのだろう、と麗香は思った。諏訪の御柱は重要文化の1つでもあるのだ。
 長野県の諏訪地方には、日本の三大奇祭にも挙げられる「御柱祭」という大きな祭りがある。数え年で7年に1度、山から巨木を切り出し、それを各部落の氏子たちが引いて町や村を練り歩き、川を渡り、最後には木落とし坂と呼ばれる傾斜のきつい崖から、人を乗せたまま御柱を落とし、厄を払うという祭りだ。
 その木落としでは死者が出ることも珍しくなく、大阪の「だんじり祭り」と並び、テレビなどで報道されることが多い祭りでもある。
「御柱が音もなく裂けた。なんだか気になるわね」
 御柱も木である以上、乾燥による収縮率の差などで割れたりすることもあるだろう。しかし、ここまで豪快に引き裂かれるものだろうか。
「誰か、ちょっと長野まで行ってくれないかしら?」
 だが、誰一人として返事をする編集者はいなかった。そこで麗香は編集部の片隅にいた一団に目をつけた。いつも、用もないのに部屋にいる連中である。
「あなたたち、ちょっと長野まで取材に行ってきてくれない。もし、なにもおかしなことがなかったら、そうね、長野の神話や民話でも調べてきて」
 そう言って麗香はニッコリと笑いを浮かべた。しかし、やはり誰も返事をしようとはしない。まるで余計なトラブルを押し付けられるのを恐れているようでもある。
「秋月さん。行ってくれないかしら?」
 突然、麗香から声をかけられて秋月律花は驚いて顔を上げた。
「みんな、行きたくないようだから、お願いできないかしら」
「私にとっては専門分野も同然ですから、構いませんけれど……」
「急で申し訳ないけれど、お願いね」
 時折、編集部でアルバイトをしている身としては、麗香の頼みを断ることなどできるはずもなかった。
「三下くん。秋月さんに同行して」
「え? 僕がですか?」
「なに? 不服なの?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
 編集部の女王たる麗香の命令を断れる編集部員などいるはずもなく、三下もわずかに顔を引き攣らせながら命令を受けざるを得なかった。

 新宿発、松本行の特急あずさに乗った律花は、指定席に座りながら新聞に目を通していた。平日ということもあってか車内は空いている。スーツ姿のサラリーマンらしき男性がちらほらと見えるだけである。
 律花の前には駅弁を抱えた三下が座っていた。乗客が少ないこともあり、律花と三下は2列分の席を向かい合わせにして利用していた。
 諏訪大社の御柱が折れたという記事は、いくつかの全国紙の片隅に載せられていた。記事によると折れたのは上社前宮であるようだった。
 上社前宮。諏訪明神信仰の原点とも言われている社だ。建御名方命が最初に居を構えた場所として知られているが、その建立がいつであるのか、厳密には判明していない。
 さらに、前宮には御神体が祀られていない。これは全国の諏訪大社の総本山ともいうべき社にしては異例ともいえる。
「なにか、わかりましたか?」
 弁当を口にほおばりながら、三下が気楽そうに訊ねた。当初は麗香からの命令ということで顔を強張らせていた三下であったが、今回の取材が幽霊とは関係なさそうだということを知ると、一転して明るい表情になった。今では観光気分といった状態である。
「さあ、この記事だけでは特にわかりませんね」
 新聞を折り畳み、律花は窓際に置いた。缶コーヒーを手に取って口をつける。
「ですが、前宮というのが気になりますね」
 御神体のない上社前宮。つまり、神が祀られていないということにはならないだろうか。
「あの……良くわからないんですが、諏訪大社って1つじゃないんですか?」
 場違いともいえる三下の言葉に、律花はひっそりとため息を漏らした。しかし、オカルト雑誌の編集者とはいえ、歴史や宗教などに詳しくなければ知らなくても当然だろうと律花は思った。
「諏訪大社というのは、上社の本宮と前宮。下社の春宮と秋宮の4社からなっているんです」
 諏訪市の上社本宮。茅野市の上社前宮。下諏訪町の下社春宮、秋宮。上社は諏訪湖の南東。下社は北側に位置している。
 その歴史は古く、西暦927年に記された延喜式神明帳には、すでに名前が載っている。御祭神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻が奉られている。古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて幽閉された神である。
 古事記の時代、諏訪湖は一面の葦の原であり、そこを開拓した神として崇められている。鎌倉時代には、武士たちに戦神としても尊敬された。諏訪大社は信濃国、諏訪の地に鎮座と古事記にも記され、日本最古の神社の1つであり、諏訪大明神、諏訪南宮大明神、諏訪南宮正一位法性大明神などと称されてきた。
 祭神である建御名方命は大国主命の第二子で、兄である事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任に当たった。諏訪の地に農耕、機織を教えたのも建御名方命であるとされている。
 昔は狩猟の神、農業の神として神格を併有したが、神功皇后三韓征伐に神威を顕現、文永弘安の役に諏訪氏が外敵を退けた以降、国家鎮護の守護神として歴代の武将に篤く信仰された。鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営、祭祀を復興、江戸幕府はまた社領1500石を奉献し、神徳を仰いだ。
「なるほど。つまり、かなり古い神社ということですね」
 本当に理解しているのか、していないのか、三下は曖昧な表情でうなずいた。

 新宿駅を出発してから約2時間。正午を少し回った頃、律花と三下は茅野駅のホームに降り立った。平日の昼間ということもあり、ホームには人がいない。改札口を潜って西口へ出ると、駅前に止まっていたタクシーに乗り込んで上社前宮を目指した。
 茅野市は諏訪盆地の東端に位置する。これより東へ行くと八ヶ岳、南アルプス山脈の裾野へと入る。
 一般に諏訪と呼ばれる地域は、岡谷市、茅野市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町、諏訪郡原村、諏訪郡富士見町の6市町村となっている。諏訪の中心地は今も高島城とされており、高島城一帯から東側を上諏訪、それより岡谷側を下諏訪と呼んでいる。
 茅野駅から国道152号線に出たタクシーは、国道20号線の下を潜るトンネルを抜け、上川を渡って前宮まで15分とかからずに着いた。
 タクシーを降りた律花は、改めて自分が長野に来たのだということを実感した。駅周辺には、それなりに高い建物が並び、東京近郊のベッドタウンなどと変わらない風景であったが、こうして市街地から少し離れると、びっくりするほど山が近いことを認識した。
 山に囲まれた諏訪盆地。心なしか空気が澄んでいるように感じられた。
 ただ1つ残念に感じたのは、参道前の第1鳥居に立った時、そこからコンクリートの生成施設が見えたことである。通り沿いに施設と、幾台ものミキサー車やダンプなどが見え、一気に現実へ引き戻されたのを律花は感じた。
「本当に、ここでいいのかい?」
 運転席の窓から顔を出しながらタクシーの運転手が不思議そうに訊ねた。
「はい。ここから歩きたいので」
「お譲ちゃんも、物好きだねえ」
 苦笑を漏らしながらも、運転手はどこか納得したようにうなずき、走り去った。
「ここですか?」
 石造りの鳥居を見上げ、三下が言った。
「はい。でも、本殿はまだ先です。ここからは歩きます」
 そう答えて律花は参道を歩き出した。
 1の鳥居から本殿までは200メートル近く距離がある。今では車で近くまで行けるようになっているのだが、律花はあえて歩くことを選んだ。
 この場に漂っている霊的な雰囲気を自身の肌身で感じたいと思ったのだ。仮に、今回の御柱が折れた原因が霊的なものにあるとすれば、社を覆っている雰囲気も変化しているかもしれないと律花は思った。
 その読みは外れていないようだった。鳥居を潜った瞬間、律花はなんともいえない違和感を覚えた。こうした神社仏閣を訪れると、霊感のある律花は様々なものを感じる。だが、それは決して不快なものではない。神聖で、清らかな空気にも似た雰囲気だ。
 しかし、今の律花が感じているのは、そのどれとも違っていた。神聖な空気に混じり、どこか禍々しいものが潜んでいるように思えた。
「結構、歩きますね」
 律花の後ろを、息を切らせながら歩いていた三下が言った。
 決してきつくはないが、傾斜が続く参道は、デスクワークを主とする三下には辛いかもしれない。さらに天気は快晴。初夏とは思えないほど日差しが強く、気温も高い。
「そうですか? これくらい普通ですよ」
 発掘調査の手伝いなどで、フィールドワークに慣れた律花には、むしろ心地良いくらいであった。東京とは違い、流れる風も涼やかで気持ち良い。
 前宮の本殿は小ぢんまりとしていた。他の諏訪大社と比べると、これが全国1万社にも及ぶ諏訪大社の総本山ともいうべき社かと思ってしまうほどだ。境内は掃き清められ、神聖な雰囲気ともいえるが、木々が茂り、鬱蒼としているともいえた。
 本殿の四隅には、巨大な木の柱が地面に突き刺さっていた。御柱である。
 だが、今は4本すべてが縦に引き裂かれ、無残な姿をさらしていた。それでもなお、倒れることなく御柱は立ち続けている。
「これが、御柱ですか?」
「はい、そうです。見るのは初めてですか?」
「ええ。話には聞いたことがあるのですが」
 裂けた御柱を見上げ、その姿に圧倒されたように三下が言った。
 御柱を祭る御柱祭は諏訪大社最大の行事だ。正式には式年造営御柱大祭と言い、寅と申の年に行われる式年祭である。起源は平安時代以前とされ、諏訪大社は五穀豊穣、狩猟、風、水、農耕の神として古くから信仰されていたため、それらを祈願するための祭りと推測されているが、やはり定かにはなっていない。
 さて、祭神である建御名方命であるが、前述の通り大国主命の次男である。建御名方命が諏訪へ入る際、地主神のミシャグジ神と対立し、この地においてもミニ国譲りともいうべき行為があったとされている。妃神は八坂刀売神であり、十三の御子神とともに諏訪の開拓に尽力したことから、神話の戦神的な面と同時に、開拓の神としても尊敬が篤い。また、古来より竜神と考えられたため、そうした伝承も多い。
 しかし、竜神信仰に関しても謎が多い。農耕の神である以上、水との関わりは決して切れない縁のようなものだ。そこから竜神信仰に発展したとされる説が有力ではある。
「ミシャグジ神というのは?」
 聞き慣れぬ言葉に三下が疑問を口にした。
「ミシャグジ神というのは、古来より日本に伝わる自然神です。白い蛇の姿をしているともいわれ、この辺りに蛇の夢を見ると縁起がいい、という話の由来があるようです」
 基本的にミシャグジ神は古くからマタギなどの山人たちによって信仰されてきた神だ。建御名方命と同一視されることもあるが、諏訪地方における国譲りの話を考えると、別々の神であった可能性は非常に高い。
 現在でもミシャグジ神を祀る御社は数多い。マタギに信仰者が多かったことから、縄文時代に端を発する古来神の一種ではないかとも考えられているが、これも明らかではない。
 裂けた御柱を見上げていた律花は、やはり禍々しいものを感じるような気がしていた。
「宮司さんに話を聞いてみましょう」
 そう言って律花は社務所へ足を向けた。

 大学の教授から預かった紹介状による効果か、律花たちの応対に出た宮司夫妻は嫌な顔ひとつせずに話をしてくれた。宮司は60代後半と思われる温厚そうな人物であった。平日ということもあってか、律花たちの応対に出た時には普段着であった。
「では、新聞にあるように、雷の音はしなかったのですね?」
「ええ。なにも音はしませんでした。朝、起きたらご覧のように裂けていましてね」
 律花と三下は社務所にある和室に通された。社務所とはいっても、その造りは一般の住宅と変わらない。宮司夫妻の住まいと社務所が一緒になっているのだ。
「原因は、なんだと思われますか?」
「まったくもって、検討がつきません。悪戯にしては悪質すぎるし、そうでないのなら不吉だと女房とも話していたところです」
 そう話すものの、宮司も今回のことが悪戯とは考えていないようであった。
 以前、本宮の鳥居にクレーン車が衝突し、鳥居を建て替えるという事件もあったが、そうしたこととも違うと思っているような節を律花は感じた。
「1度、お伺いしたいと思っていたのですが、御柱の起源というのは、どのようなものなのでしょう?」
「情けないことですが、我々のような宮司でも、正確な起源というのは知らんのです」
 苦笑いを浮かべつつ漏らした宮司の言葉に律花は驚きを感じた。
「それは、文献なども残されていないということでしょうか?」
「ええ。正確な起源を記した文献などは、今でも発見されておらんのです。今、伝わっておるものは、後世の人間が語り継いできたものばかりですから」
「それでも構わないので、お聞かせ願えませんか?」
「延文元年。西暦1365年に作られた書物に諏訪大明神画詞というものがあるのですが、そこには寅申の年に造営あり、と書かれています」
 この西暦1356年、延文元年に記された諏訪大明神画詞には、御柱が桓武天皇の時代に始まると書かれているが、これを詳しく解読すると「寅申の干支に当社造営あり」となり、寅と申の干支の時に造営ありというように解釈されている。さらに「一国の貢税、永代の課役、桓武の御宇に始まれり」とも書かれており、この御柱祭には信濃一国から税金を集め、その税金で諏訪大社の造営をしろとされている。
 つまり、桓武天皇の時代には、すでに社の造営がされていたということになる。従って御柱際自体は、桓武天皇の時代より前からあったとする説は根強い。ましてや、干支という概念が中国から伝わってきたものであることを考えると、中国から様々な文献が入ってきた天智天皇時代より以前から本殿の造営は行われ、御柱祭は行われてきた。
「基本的に、御柱祭は本殿の造営の代わり、つまり真似事だとする説が現代では一般的です。昔は天皇の命令により、この長野一帯にある国から税金が集められ、造営が行われていましたが、時代の流れとともに造営はなくなり、御柱祭だけが形骸的に続けられているというものです」
「つまり、御柱祭というのは、社殿の四隅の柱を表しているというということですね?」
「現在、伝わっている起源というのは、そうなりますね。ですが、その造営もいつから始まったのかは定かではありませんし、そもそも諏訪大社の建立起源も明らかではありませんからね」
 これが現状なのか、と律花は落胆にも似た思いを感じた。
 しかし、諏訪大社、そして御柱祭の起源は古く、その起源、成り立ちなどは誰も把握していないというのが現状である。また、他の大社、神宮に比べると文献などが驚くほど少ないということも、謎が解明されない要因の1つとなっている。
「では、竜神信仰についても、わかっていないのですか?」
「そうですね。そもそも、天津神である建御名方命が、竜神と同一視されるのかは謎のままなのですよ」
 元々、竜神という概念は中国の民間信仰から始まったものだ。それが日本へ伝わり、神道、陰陽、密教などと混じり合った。古来より、日本では力のある神は別の神、主に国津神を吸収し、その名を広めてきたという一面もある。
 諏訪の竜神信仰に関しては、土着神であったミシャグジ神を建御名方命が吸収し、ミシャグジ信仰者を取り込むために行ったという説もある。

 諏訪湖を望むホテルの1室で、窓際に置かれた椅子に座って暗い湖を眺めながら律花は今日、得た情報を整理していた。
 前宮の宮司から話を聞いた後、上社本宮、下社春宮、秋宮も見て回ったが、こちらの御柱には異変は見られなかった。また、上社前宮に漂っていたような禍々しい気も感じることはなかった。
(つまり、問題は前宮にある、ということよね?)
 情報が不足していて、どれも推測の域を出ない。しかし、それもある部分では仕方ないとも思っていた。
 文献も残されていない、伝承も曖昧な諏訪大社だが、その起源や成り立ちのどこかに、今回の事件の原因が隠されているような気が、律花はしていた。
 その時、部屋のドアが開いた。若干の驚きとともに振り向くと、スーツ姿の三下が嬉しそうな顔をしながら入ってくるのが見えた。
「アポ取れました」
 部屋に上がり、三下は手帳を開いた。
「明日の午後1時、先方の研究室で話を伺えることになりました」
「そうですか。ありがとうございました」
 律花はさらに多くの人間から話を聞く必要があると考えていた。宮司などの神職関係者だけでなく、民俗学や歴史学に精通した人物からもだ。そのため、律花は自身が通う大学の教授に連絡し、諏訪の歴史や風習などに詳しい人間を紹介してもらうことにした。
 そして、今回の御柱事件の取材を名目に、アポイントメントを三下に取ってもらうようにしたのだ。教授からの紹介状があるため、アポなしで律花が訪ねても応対はしてくれるだろうが、正式な取材ということにしたほうが良いだろうと判断してのことだった。
「では、明日は話を聞きに行くことにしましょう」
 三下を見つめながら律花は言った。

 完


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 6157/秋月律花/女性/21歳/大学生

 NPC/三下忠雄/男性/23歳/白王社・月刊アトラス編集部編集員

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして。九流翔と申します。このたびは、ご依頼いただきありがとうございます。
 遅くなりまして申し訳ありません。
 第1回ということで、このような内容になりました。いくつか情報が不足しているかもしれませんが、これらを基に推理していただければ幸いです。
 リテイクなどございましたら、遠慮なく申し付けください。
 では、またの機会によろしくお願いいたします。