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鬼の泣く夜
シトシトと雨が降る夜。
一人の少女によって水溜りがバシャリと跳ねた。
肩に掛かるほどの髪が水を吸って肌に張り付くのを煩そうに払い、人気の無い通りを走る。
彼女の名前は神代・晶(かみしろ・あきら)。水泳部に所属するエースだ。
それ故、体力には割かし自信があり、部活終わりの時間に全力疾走で人気の無い通りまで来てもそれほど息は荒げない。
「はぁ、はぁ……ふぅ。ここまで来ればもう心配ないかな」
息を落ち着け、後ろを振り返る。
その視線は厳しく、仇敵でも見るかのように目の前のモノを貫いていた。
「正直、いい加減にして欲しいんだけどね。私はアンタらみたいな奴らに追いかけられるのにウンザリしてるんだから」
晶の視線の先にあるモノ。
それは身長にして3mはあろうかという巨躯を持ち、顔は見るにも堪えないような醜さ。
四肢は人間の域を越えている程に筋骨隆々、身につけているものは腰巻一枚と言う、不思議で不気味ないでたちをしていた。
そのモノはグルルと低く唸りながら晶を見ている。
「どうやら喋れないみたいね。知力の低い鬼なんて……最悪」
晶が鬼と呼称した存在、目の前の醜い巨体は晶の罵りを受けても動じた様子も無い。
晶の発した言葉の意味の端も理解できていないのだろう。
「アンタみたいな鬼を相手にするもの、ハッキリ言って死ぬほどイヤなんだけど、他人に迷惑をかけるのはもっとイヤなの」
この醜悪な鬼から逃げるために走っていたわけではない。
関係の無い他人に迷惑が掛からないために、人気の無い場所までおびき出したのだ。
晶は鬼を睨みつけながら自身の能力を行使する。
右腕に力を込め、身のうちに封じられた力の一部を発現した。
「おとなしく帰ってくれるなら、何もしないんだけどね」
言葉を発するうちに晶の右腕は黒ずみ、その太さ、長さを増させていく。
最終的には木の幹もあろうかという太さ、地面に手首をこすり付けるほどの長さとなった。
これは、晶の内に封じられた鬼の力の一部である。
「まぁ、言葉で言っても解らないんだろうけどさ」
晶は苦笑を浮かべながら、全身に殺意を帯び始める。
晶の殺意に当てられた鬼は一声、高らかに鳴き、地を蹴る。
それとほぼ同時に晶も鬼との間合いを詰めにかかる。
リーチはほぼ同じ。
故に、二人の攻撃はほぼ同時に繰り出される。
晶は右手を力強く打ち出し、鬼の下顎にクリーンヒットさせる。
鬼の拳は晶の左足の少し外に着弾し、地面を軽く抉った。
すぐに拳を引き、次の攻撃に移る。
ダメージを受けた鬼はよろめいている。次の攻撃までに致命的な隙を生んでいる。
ならば、ここが好機、と言わんばかりに晶はその右拳を鬼の左脇腹に向けて打ち込む。
遠心力をつけたその一撃は凄まじい破壊力を持っていたはずだ。
だがしかし、その遠心力に晶の生身が小さな悲鳴をあげた。
腰のバネが千切れそうなぐらいの勢い。
それに耐え切れず、晶は地を掴んでいた足を離してしまった。
踏ん張る足が無くなって威力を激減させた拳は、鬼に大したダメージを与える事もできず、反動で晶がよろけてしまう。
そこに、鬼の巨大な足から繰り出される強烈なケンカキックが晶の腹部に直撃する。
「……っぶ!」
晶の右腕は鬼の力を持っているが、それ以外の部分は普通の女子高生。
建築物を破壊する鉄球のような威力を持つその蹴りを受けて、晶は軽々と吹き飛び、地面を二転三転した。
晶の吹き飛ばされた地面には、水溜りに赤黒い水滴が混じっている。
よろめきながら立ち上がった晶は口についた血を乱暴に袖で拭き取り、闘争本能剥き出しの眼光で鬼を睨んだ。
「痛いじゃないのよぉ!!」
咆哮と共に地を蹴って鬼との間合いを詰める。
走る最中に右腕を後ろ溜めに溜め、鬼を間合いに収めた瞬間に、大砲のような右ストレートをぶち込む。
鬼はそれを辛うじて防御するが、想像を絶する衝撃を受けて、その足が地面を滑る。
その攻撃に面を食らった鬼は一瞬、腕を痙攣させる。
晶の一撃が相当痛かったようだ。
その隙を見逃さず、晶は右腕を地面にぶつける。
反動で晶の身体は空高く跳ね飛んだ。
そして右腕を勢い良く振り、体を回転させる。
グルングルンと回転する晶の身体。それはその右腕にどんな物をも叩き潰すような威力を与えている。
先程のフックとは違い、足を踏ん張って打ち込む攻撃ではなく、完全に遠心力に頼った攻撃だ。生身にかかる負担は少ない。
ただ、三半規管が弱いとこれからの攻撃に支障が出るが。
晶の行動に気付いた鬼はすぐさま防御行動に移る。回避では完全に間に合わない。
両腕を頭の上でクロスさせ、衝撃に備えてしっかりと足を踏ん張る。
そこに晶の強烈な一撃が降りかかる。
その一撃を鬼が受けた瞬間、初めに耐え切れなくなったのは地面。
コンクリは容易く割れ、周りの地面がボコボコと隆起する。
ひび割れがビシビシと四方八方に広がり、それが走った後はコンクリが針の山のように盛り上がる。
周りの廃ビルの壁面にもひびが及び、外壁がボロボロと零れ落ちる。
廃ビルの壁を走るパイプが地面の変異に対応してひしゃげ、連結部からはじけ飛ぶ。
「ゴォオオオォォ!!」
次に悲鳴をあげたのは鬼。
驚いた事に、受け止めた衝撃のほとんどを地面に流した鬼は、しかしその腕に大きなダメージを負ったらしい。
晶が攻撃の反動で再び宙を舞っている間、鬼の左腕はブラン、と振り子のように風に揺れていた。
着地した晶がその様子を見て、薄く笑う。
「その左腕、もう使い物にならないでしょ?」
粉砕骨折くらいしているだろうか。
普通なら痛みで転げまわってもおかしくないぐらいの激痛なはず。
だがしかし、鬼は一声叫び声を上げると、なんとその左腕を何も無かったかのように振り回し始めた。
「……超回復!? 体力馬鹿の特殊能力ってヤツかしら。やりにくいわね……」
晶がぼやいている内に、鬼は左腕の準備運動を済ませたらしく、すぐに間合いを詰めてくる。
「インファイトになると腰のバネを使う攻撃が増える……。そうなると生身の私の方が不利ね……」
冷静に判断し、再び右拳を地面にぶつける。
ピザのように分かれたコンクリが、晶の右拳のよって礫のように弾ける。
それらは鬼に向かって飛び、その進行の邪魔をする……はずだったのだが、鬼はその礫を無視して突進。
それに驚いた晶は鬼の繰り出す左手に対応できなかった。
鬼の左手は晶の首を親指と人差し指で掴み、晶の体を天高く持ち上げて、そして勢い良く地面に叩きつける。
割れた地面を更に粉々に砕くほどのインパクト。
晶は声も無く苦痛を顕にする。
しかし、鬼の攻撃は止まず。
そのまま晶を引きずって10mほど走り、更に晶を真上に放り投げる。
半ば気を失っていた晶はなされるがまま、体を空中に遊ばせた。
自分の間合いに帰ってきた晶を、待っていましたとばかりに、鬼の右腕が強か打ちつけられる。
まるでおもちゃの様に吹き飛び、地面を転がりまわる晶を見て、鬼はゲラゲラと笑っていた。
その高らかな笑い声がやたら耳に障る。
「ああ……くそっ! 腹立つ!!」
身体全体の痛みに堪え、晶はやっと立ち上がり、鬼を睨みつける。
「もう絶対許してやらない。容赦もしない。全身全力、徹底的にアイツをぶっ飛ばしてやる」
怒りに晶の瞳が紅くなりかける。
自らの内に黒く、禍々しい力が渦巻いているのがよくわかる。
とてつもなく大きい破壊衝動が、晶の中から出てこようとしている。
それを何とか抑えながらも、晶はまだ笑い続ける鬼に向かって走り出す。
再び渾身の右ストレート。
鬼の鳩尾を狙った一撃必殺のパンチ。
だが、それは空を切る。
手ごたえの無さに晶は驚いた。
なんと、鈍重そうな鬼が、晶のパンチを避けていたのだ。
しかし、それだけに留まらず、その右腕を掴み、きつく締め上げる。
「ああっ!! っぐ!!」
そのまま腕を折られるかのような痛みに晶が声を上げる。
その痛みに喘ぐ晶を見て、鬼は更に声を上げて笑った。
鬼は晶の苦悶の表情を楽しむかのように、晶を自分の顔の前まで持ち上げた。
晶の目の前に醜い顔が一面に映し出されている。
それに、息も臭い。
「……最低ね……。この顔が最後に見るものなんて……死んでも死にきれない」
絶体絶命の状況にありながら、晶の目は死んでいなかった。
それもそのはず、起死回生の一手はまだある。
晶は笑いこける鬼の隙を突いて、右腕を元の大きさに戻す。
瞬間的に細くなった腕は、鬼の締め上げる手から抜け出し、晶はそのままストンと地面に落ちた。
一瞬、何が起きたのか、良く解らないような顔をした鬼。
その隙を見逃さず、晶は再び右腕に鬼の力を宿らせる。
そして、全力の一撃を手近なところにある鬼の身体にぶつける。
それが奇しくも金的。
鬼はとてつもなく大きな声を上げて泣き叫び、その場にうずくまった。
鬼の頭が地面で転がる。
それを蔑んだように見下す晶。
「容赦なく、叩き潰す」
その言葉通り、黒い鉄塊のような晶の右腕が鬼の頭に落ちてきて、その頭をトマトのように潰した。
シトシトと雨が降る夜。
異様な死臭が漂う人気の無い路地裏。
晶はその場にペタンとへたり込んでいた。
「……背中がスースーすると思ったら、制服が破けてる……」
先程鬼に引きずられた時にでも破けたのだろう。
全く気付かなかった。
戦闘に手一杯だった、からだろうか?
いや、ただ単に、あの破壊行為が面白かったのかもしれない。
「鬼が……力を増している……」
自分の中の何かが蠢くのがわかる。
晶は小さく震える自分の肩を抱き、雨音に消え入るような声で呟いた。
「何でこんな目に合わなきゃならないの……」
その問いに答えるものは、誰も居なかった。
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