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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

「えーと、キリマンジャロにモカにマンデリンにブルーマウンテンに…あとは何だったかな」
 蒼月亭の夜の営業は19:00から始まる。
 従業員である統堂 元(とうどう・はじめ)は、メモを片手にコーヒー豆の缶を一生懸命見ていた。まだ雇われて日が浅いので、まずはコーヒーの入れ方を覚えろと店主のナイトホークからは言われている。
 すると背中から声が飛んだ。
「マイルドなブラジルに、甘い香りのハワイコナ。両方とも地名だから覚えやすいはずだぞ」
 ハジメの後ろにはナイトホークが立っている。その二つの名をメモに書き付け、ハジメはそれをベストのポケットに入れた。ナイトホークはベストもシャツも黒だが、ハジメは濃いブルーのシャツに黒いベストだ。
 ナイトホークはシガレットケースから煙草を出してハジメに笑いかける。
「どうよ、少しは慣れた?」
 慣れた、というのはおそらく仕事のことだろう。とある事情で家から逃げ出して来たハジメは、ナイトホークの計らいで住居付きの従業員をやっている。今まで人と触れ合うことがあまりなかったが、ここで仕事をするのは結構楽しい。
 ハジメは下を向きながら頷く。
「はい…まだ慣れないことがたくさんですけど、楽しいです」
「ならいいんだ。こういう仕事を嫌々やってたら客がくつろげないからな」
 そんな時だった。蒼月亭のドアを開け、ハジメの先輩である立花香里亜が両手にに鍋を持って入ってきた。ハジメは慌ててカウンターから出て、香里亜の持っている鍋を受け取る。
「こんばんはー。今日の夕ご飯兼お勧めメニューのポトフですよー」
 受け取った鍋からは、よく煮込まれた野菜の美味しそうな香りがしていた。蒼月亭は日曜の定休日以外は三食の食事が付いてくる。それを食べるのは大抵店の中だったりするのだが、最近なんとか一人じゃない食事に慣れ始めた所だ。煙草を灰皿に置きながら、ナイトホークが大きく伸びをする。
「じゃ飯喰う準備するか。俺は外の黒板に今日のお勧め書いてくるわ」

 ポトフとトマトのサラダ、そしてバケットにバターを塗った物を食べながら、ナイトホークはハジメの顔を見てこう言った。
「ハジメ、お前軽食関連勉強したいって言ってたよな」
 持っていたスプーンを置き、ハジメは顔を上げる。
 ハジメと香里亜はまだ未成年なので、ナイトホークは二人にアルコールメニューを絶対作らせない。昼の営業時にもその注文があると全部ナイトホークが対応する。香里亜は昼の営業担当なのでアルコール類を出すことは少ないのだが、ハジメは夜の営業時に役立てるように軽食メニューを覚えたいと思っていた。香里亜から本を借りてみたりもしているのだが、やはり本だけで何とかなるものではないらしい。
「はい、夜のフードメニューが出来るようになったらいいかなって…」
 元々あまり食べないのか、ナイトホークは皿に少しだけ入れたポトフをあっという間に食べ終わり煙草を吸っている。その灰を落としながらテーブルに頬をつき、香里亜に向かってぼそっとこう言った。
「香里亜、お前今日暇か?」
 それを聞いた途端、ハジメの隣に座っていた香里亜の目が一瞬光ったような気がした。
 ハジメは昼間も特に出かけたりすることがあまりないので、よくキッチンの隅で料理を教えてもらったりするのだが、香里亜は料理を作ったり、教えたりすることも好きらしい。
「暇ですよー。要するに私がハジメ君に先輩風ぴゅーぴゅーで、料理の作り方を教えればいいんですね」
「先輩風は吹かせるな。普通にしろ」
 ナイトホークが呆れたようにふっと笑う。
「じゃあ、ハジメ君。今日はこんにゃくの上に海苔を置いて、ずらさずに切れるようになるまで特訓ですよ」
「えっ?そんな事するんですか?」
 真に受けて思わず驚くハジメに、香里亜が笑いながら「嘘ですよー」と言いながら、自分ソーセージをハジメの皿に入れる。どうやらそれは、香里亜なりの冗談だったらしい。
「ハジメ、お前はちょっと疑うことを覚えろ。香里亜も後輩が出来て嬉しいのは分かるけど、くだらない事言うな」
「えへ。でもちゃんと教えますから安心してくださいね」
「お願いします」
 思わずしっかりと礼をしてしまうハジメに、香里亜が笑ってこう言う。
「ハジメ君、笑顔笑顔。そんなに堅いとナイトホークさんに『こら、客がくつろげねぇだろ』って言われますよ」
「…つっ」
 その『客がくつろげねぇだろ』というナイトホークの真似が、思いもよらず似ていたことにハジメは吹き出しそうになる。その反応を見て香里亜は喜び、ナイトホークはテーブルの下でハジメの足をつつく。
「わーい、この物まね他の人にも大ウケなんですよ。今度皆にも披露しなきゃ」
「香里亜、お前後で体育館の裏な。こら、ハジメも笑いたきゃ笑え」
「すいません、ナイトホークさん…でもそっくりです」
「体育館の裏って…ハジメ君、雇用主が何かしてきたら体張って先輩を助けるんですよ」
 一生懸命笑いをこらえながら、ハジメは憮然と煙草を吸うナイトホークと横でニコニコ笑っている香里亜を見ていた。
 自分が今まで暮らしていた所とは全く違う平和な暮らし。
 自分がどこから来たとか、そんな事を一切聞かずに普通に接してくれる人々。
 だがそれを心地よいと感じると共に、心の片隅に沸き上がる不安。
 その不安を悟られないように、ハジメは食事を取ることに集中した。

 夜の営業が始まり蒼月亭の中には客が入り始めていた。
 最初の方に頼まれるメニューはあっさりとした物が多いのだが、それでもその一手間が意外と大変だ。
「ハジメ君、チーズ切りはチーズの種類ごとにナイフ違うから気をつけてね」
「はい」
 それに注意しながら、ハジメはクラッカーとチーズの盛り合わせを白い皿に並べた。香里亜はその様子を見ながら、ハジメが盛りつけた皿をスッと取りカウンターにいるナイトホークに渡した。その動きには全く無駄がない。慣れているというのもあるのだろうが、香里亜もナイトホークもカウンターの中では最小限の動きで全てを行っている。それがハジメからは、まるで演舞のようにも見える。
 それに感心している暇もなく、カウンターから声が上がった。
「『カプレーゼ』一つお願いします」
「かしこまりました」
 それを聞くと共に香里亜が冷蔵庫からよく熟したトマトとバジルなどを出し、ハジメにに向かってこう言った。
「ハジメ君作ってくださいね。はい、まずトマトのへたを包丁で取ってください」
 ぽんとトマトを渡され、ハジメは慌てて包丁を取り出した。カプレーゼは夏の間はよく出るメニューだ。真剣な顔をしながらトマトのへたを取りフォークを刺し、今度は皮を剥くために少し切れ目を入れてからコンロであぶる。
「おっ、ハジメ君知ってますねー」
「これは何度か作ったことがあるんです」
「じゃあ全部お任せちゃいますね」
 トマトを熱しながら氷水を用意し、皮が弾けてきたらその中に入れ丁寧に皮を剥く。ここで焦って力を入れるとトマトが崩れてしまうので真剣だ。その間にも注文が入ってくる。
「『今日のお勧めポトフ』一つお願いします」
「かしこまりましたー」
 皿を用意し、まな板の上にモッツァレラチーズを乗せ、トマトと同じぐらいの厚さに切る。包丁を持ったのもここに来てから学んだことだが、それでも持ち前の飲み込みの良さでそれなりに使えるようにはなってきている。
「ハジメ君上手じゃないですか」
「これは簡単ですから…」
 トマト、チーズ、バジルの順で重ね、最後にオリーブオイルをかけ、カプレーゼが出来上がった。それをカウンターから渡そうとすると、ナイトホークが小さな声でこう言った。
「テーブルのお客さんだから、お前が持って行け。笑顔忘れるなよ」
「は、はい」
 急にそんな事を言われたので、ハジメは思わず緊張した。そういえば自分が作った料理を自分で直接提供するのは初めてかも知れない。
「お待たせいたしました。こちら『カプレーゼ』になります」
 一生懸命笑顔を作りながらテーブルに出すと、そこに座っていたのは仲の良さそうな老夫婦だった。
「ありがとう。君は新人さんかな?この前に来たときはいなかったね」
「はい…最近入ったばかりです」
 ハジメがそう言うと、二人は楽しそうに目を細めた。
「このお店に通い始めてから長いけど、マスター以外の人が入ってるのは珍しいのよ。マスターはいつでも変わらないけど、たまにはこんな変化もいいわね」
「そうだな。本当にマスターは変わらない…」
 その『変わらない』という言葉にハジメは何か違和感を感じた。思わずキッチンに戻ることも忘れ、つい質問をする。
「『変わらない』…とは、どういう事でしょうか?」
 その時だった。後ろからナイトホークがやってきて、老人の前にあったワイングラスに白ワインを注ぐ。老人はそれを見て今度はナイトホークに微笑んだ。
「私達が引き留めたんだから怒らないでやってくれ。マスター以外の子がいるのが珍しかったんでね」
「そうよ、マスターがずっと変わらないって話をしていたの」
 ナイトホークはそれに困ったように溜息をつく。
「そうですね…三十年以上ですか。ここに移転したのは五年ぐらいですけど、わざわざ探して通ってくるお客さんは珍しいですよ」
 三十年以上…?
 その言葉にハジメはナイトホークの顔を見る。どう見たって三十代前半ぐらいにしか見えないのに、三十年以上という言葉が信じられない。
 ナイトホークがカウンターに戻った後、老婦人は驚いたままのハジメを見てこう言った。
「マスターはね、ずっと『蒼月亭』にいるのよ。月がずっと変わらないように、マスターも同じなの。きっと貴方もそのうち分かると思うわ」
「お喋りしすぎてしまったね。カルパッチョを頂こうかな」
「はい、かしこまりました」
 本当はもう少し聞きたいことがあったのだが、ずっとここにいるわけにはいかない。ハジメはカウンター内に引き返しながらこう言った。
「『カルパッチョ』一つお願いします」

 深夜2:30に蒼月亭は営業を終了する。
 香里亜は0:00過ぎた時点で「次の日も仕事だから」と先に上がっていた。その後も客足は途切れず、ナイトホークの作ったカクテルを出したり、食器を洗ったりと忙しかった。ハジメは床に一生懸命モップをかけている。
 疲れてはいるがそれは嫌な疲れではない。むしろ心地よいぐらいだ。人と話したりするのは慣れてないのでたまに戸惑うこともあるが、それでもこの暮らしは楽しかった。
「ハジメ、コーヒー入れて。ブラジル100%で」
 それを聞きモップを片づけて手を洗い、ハジメはコーヒーミルに豆を入れ、やかんを火に掛けた。その様子を見ながらナイトホークはシガレットケースを出し、煙草に火を付ける。
「『俺が変わらない』って聞いて、びっくりしただろ」
「ええ、まあ…」
 コーヒー豆をゆっくりと挽いていると、ナイトホークが煙草を吸いながらこう言った。
「信じてくれなくてもいいけど、お前には言っとくわ。俺『不老不死』なんだよ。変わらないってそう言う意味。あの二人は古くからの常連さん」
 ハジメはなるべく動揺を見せないようにコーヒー豆を挽いた。不老不死…にわかには信じがたいが、初めて出会って手合わせをした時、自分の攻撃を直で受けたのにすぐ立ち直ったのはそのせいかもしれない。だが、ハジメは無言のままそれを聞いている。
「お前さ、逃げ続けるわけにはいかないとか思ってるだろ?」
「どうして、それを…?」
 カップを用意するナイトホークにハジメは思わず問いかけた。確かにここの暮らしを心地よいと思うと共に、沸き上がってくる不安。一生家から逃げ続けられるとは思わない。いつかここにいることも知られてしまうだろうし、その時に迷惑は掛けたくないとも思っている。
 何処かで立ち向かわなければ、一生消えない不安…。
「俺も逃げ続けてるから、何となく分かるんだよ。だから一つだけ覚えとけ。何があっても、お前には帰ってこられる場所がある。迷惑とかそんなの考えなくてもいいから、お前の好きなように生きろ。お前の人生なんだからな」
 自分には帰ってこられる場所がある…。
 短い言葉なのに胸が詰まりそうになった。そうだ、自分が生きているのは自分の人生なのだ。だからここまで逃げてきたんだ。
 自分の人生を生きるために…。
「………」
 ハジメは何も言わずにコーヒーを入れ、ナイトホークに出した。それに口を付け、ナイトホークが頷く。
「うん、これならここのコーヒーにうるさい客も文句なしだ。お前が入れるコーヒーはストイックな味がする」
 それを聞き、ハジメも自分の入れたコーヒーを飲む。それは、いつも飲むコーヒーよりもほろ苦く喉の奥に落ちていった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6191/統堂・元/男性/17歳/逃亡者/武人

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
ほのぼのとした日常と共に「逃げ続けるわけにはいかない」という想いを形にすべく、ラストにこんな形で持ってきました。よくよく考えるとナイトホークもずーっと逃げ続けているわけで、立場は似ているのかなと思ったり。
でもハジメ君には自分の人生を思い切り生きて欲しいです。
所々で香里亜が先輩風ぴゅーぴゅーです。何か気に入ってるらしいです。
リテイクなどはご遠慮なく言ってくださいませ。
またよろしくお願いいたします。