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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


やって来た熊


 藤井家の居間を、藤井・蘭(ふじい らん)はうろうろと歩き回っていた。それを見て、藤井・葛(ふじい かずら)は苦笑交じりに「どうした」と声をかける。
「落ち着かないな、蘭」
「だって、今日は熊太郎さんが来る日なの」
「熊太郎って、あれだよな?前に話していた、熊のぬいぐるみ」
「そうなのー。熊太郎さん、家庭訪問なの」
 何かが違う気がしたが、あえて葛は突っ込みを入れることなく「そうか」と答えた。テーブルの上にはお菓子の皿が置かれ、コーヒーメイカーがこぽこぽと音を立てている。部屋中にはコーヒーのいい香りが充満しており、妙にくすぐったい。
「持ち主さん、今日は和馬おにーさんも来るんだよね?」
 蘭は藍原・和馬(あいはら かずま)を思い浮かべながら尋ねる。葛はこっくりと頷きながら、口を開く。
「ああ。にゃんじろーを一緒に見る約束をしていただろう?」
 葛の言葉に、蘭がにこっと笑う。
「じゃあ、皆で熊太郎さんをお迎えできるの」
 満面の笑みで言う蘭に、葛は「そうだな」と頷く。
 先日、喫茶店で熊太郎らしきぬいぐるみを発見した事は、まだ蘭には伝えていなかった。いや、らしき、ではない。きっと熊太郎本人だろう。動き回り、尚且つ飲食までする熊のぬいぐるみというのは、熊太郎以外に聞いた事が無い。
 ぴんぽん、とチャイムが鳴る。蘭がぱたぱたと玄関に向かい「はーい、なの」と声をかけた。
 やって来たのは和馬だった。蘭はきゃっきゃっと嬉しそうに和馬を出迎えると、和馬は「よ、チビ」と言いながら蘭を担ぎ上げた。
「元気してたかー?」
「元気してたのー」
「よしよし、それはいい事だ」
 和馬は蘭を抱えたまま、居間に入ってきた。手土産に、やわらかミルクプリンというものを携えて。
「ばっちり四人前だぜ、葛」
「有難う。……ところで、和馬」
 葛はプリンを受け取りながら、蘭に聞こえないようにこそっと話しかける。
「今日、熊太郎が来るんだけど……あれ、だよな?」
 蘭をおろしながら、和馬も真剣な顔でこっくりと頷く。
「あれ、だろうな。ほぼ間違いなく」
「となると、やっぱりコーヒーはブラックなのかな?」
「ブラックだろうよ。何せ、お代わりをしていたからな、コーヒーが好きだと見た」
 二人は言い合い、こくこくと頷いた。
「何を話してるのー?」
 きょとんとしながら、蘭がくりっとした大きな目で二人を見上げてきた。葛と和馬は顔を見合わせ、揃って「なんでもない」を繰り返す。蘭に、先日熊太郎の後を追いかけていった事は話していない。別に隠す事でもないが、わざわざ言うことでもないだろう。
 葛は和馬から受け取ったプリンを冷蔵庫に入れていると、再びチャイムが鳴り響いた。蘭は目を輝かせながら「熊太郎さんなの!」と言って、ぱたぱたと走って玄関へと向かっていった。
「熊太郎さん、いらっしゃいなの!」
 勢い良くドアを開けると、そこには傘を高く掲げる熊太郎の姿があった。その姿に、玄関にやってきた葛と和馬の動きが止まった。
「……なんで、傘を掲げてるんだ?」
 和馬が尋ねると、熊太郎は「よっ」と言いながら傘を下ろし、もふもふと前足で後頭部を掻く。
「いやはや、お恥ずかしい。僕の身長では、チャイムに届かなくて」
「……ノックでも良かったのに」
 葛の冷静な突っ込みに、熊太郎は「あ」と声を出す。一瞬の沈黙が、その場に流れた。
「そういう事もあります。人生、何事も勉強ですから」
 人生と言うか、熊生というか、ぬいぐるみ生というか。
「熊太郎さん、入ってなの」
「はい、お邪魔します」
 熊太郎は傘を立てかけ、履いていたものを玄関で脱いだ。それは、靴ではない。巾着状になった布だ。家庭用品コーナーにある「机などの脚につけておけば、床に傷をつけずに音もしません」と銘打った、アイディア商品である。
「面白いものを履いているんだな」
 玄関に脱がれたものを見つめ、和馬が呟く。
「ええ。うちの所員が見つけてきたものなんです。最近は百円ショップというものがありまして、これもそこで購入したんです」
 三人が「へぇ」と言うと、更に熊太郎はぐっと前足を握り締める。
「なんと、四つも入って百円なんですよ?お買い得ですよね」
 それを靴にするというのが引っ掛かるが、三人はとりあえず頷いておいた。熊太郎は何故か誇らしそうだ。
 蘭が嬉しそうに熊太郎の前足をひっぱり、居間に連れて行く。熊太郎は部屋の中を見回し、ほう、と頷く。
「綺麗なお部屋ですね。それに、いい香りがしますし」
「コーヒーなの」
 蘭はそう言ってちょこんと座り、隣に熊太郎が座るように手招きする。熊太郎は「では」と言ってちょこんと隣に座った。
 葛は皆に出す為のコーヒーとお菓子を準備する為に台所へと向かった。和馬もそれについていく。
「葛、やっぱりそうだったな」
「そうだな。……と言うことは、やはりブラックコーヒーか」
 葛はそう言い、4人分の硝子コップを置く。氷をたくさんいれ、そこにコーヒーを注いでアイスコーヒーをつくる。蘭のだけは、半分くらい牛乳を入れたが。
「和馬、プリンも出してくれ。折角、さっき入れたんだけど」
「ま、人生そんなもんさ」
 和馬は冷蔵庫からプリンを出す。居間の方では、蘭が楽しそうに熊太郎と話している。
「あの後、お花は大丈夫なの?」
「はい、大丈夫ですよ。ランタンたちのお陰で、子ども達も声を怖がらなくなりましたから」
 ランタン?
 不可思議な言葉に、葛と和馬は顔を見合わせる。お盆に置いたコーヒーとプリンを手にし、テーブルへと持っていく。
「はい、どうぞ」
「あ、恐れ入ります。……いい香りですね」
「コーヒーにシロップとかミルクとかは」
「結構です。僕は、ブラック派なんですよ」
 ははは、と笑いながら熊太郎はコーヒーカップを持って笑う。葛と和馬は顔を見合わせ、こっくりと頷く。「やはり」と呟きながら。
「なあ、さっきランタンとかいう言葉が聞こえてきたんだが」
 葛が言うと、熊太郎と蘭が顔を見合わせる。そして熊太郎が「ぽむ」と前足をうった。
「ああ、コードネームですよ」
「コードネーム?」
「ええ。うちの所員に、そういうのを付けるのが得意な者がいましてね」
 得意かどうかは怪しい。何しろ、蘭に「ランタン」などという不可思議なコードネームを付けるくらいなのだ。
 熊太郎はそんな思惑に気づくことなく、ストローでコーヒーを飲む。
「美味しいです」
 葛と和馬はひそひそと「やっぱり飲んでるな」「どうしてかな」と話し合う。それを見て、熊太郎が「どうされましたか?」と小首をかしげた。
「いや、熊太郎ってぬいぐるみなんだよね?」
 葛の問いに、熊太郎はこっくりと頷く。
「なら、アイスコーヒーを飲んだら、中に染みないか?」
 和馬の問いに、熊太郎は不思議そうに小首を傾げる。
「コーヒーは飲むものですから、綿に染みたりしませんよ?」
「熊太郎さん、すごいのー」
 蘭が素直に感動する。熊太郎は「いえいえ」と言いながら、前足を横に振る。
「普通の事ですよ。ランタンだって、コーヒーを飲んだからと言って、体の表面がコーヒー色に染まったりしないでしょう?」
「しないのー」
「それと、同じ事ですよ」
 どこが?
 そんなツッコミをしたくてたまらない。喋って動くだけでも充分普通ではない熊のぬいぐるみだというのに、飲食までしているのだ。普通、という意味が分からない。
「あ、プリン俺が買ってきたんだ。ここのが、すっげ美味くってさ」
 和馬が言うと、皆揃って「いただきます」と言って口に入れた。とろ、としたプリンが口の中ですうっととけ、口いっぱいにカスタードのほんのりとした甘みが広がっていく。
「おいしいのー!」
 蘭が幸せそうに、にこーっと笑った。
「確かにこれは美味ですね」
 熊太郎もこっくりと頷きながら答えた。
 和馬と葛は顔を見合わせ「味まで分かるんだな」「やっぱり普通ではないな」とひそひそと話し合う。
「あ、そろそろにゃんじろーが始まるのー」
 蘭はそう言って立ち上がり、テレビのリモコンを持ってくる。ばち、という音がして、テレビに電源が入った。
「にゃんじろー、ですか?」
「ああ。熊太郎は、にゃんじろーを知らないのか?」
 葛が尋ねると、熊太郎は「ええ」と言って小首を傾げる。
「どのような話なのですか?」
「にゃんじろーが、悪い事をするおにーさんを止めるために旅をしていてー、にゃりりんと一緒に頑張るのー」
 蘭が説明する。一応、話の内容的には合っている。合っているのだが、何故か合っていないような気がするのは気のせいだろうか。
 しかし、熊太郎には通じたらしく、こくこくと何度も頷いている。
「なるほど、それはさぞ感動的なヒューマンドラマなのでしょうね」
「猫だけどな」
 ぼそ、と和馬が突っ込む。
 そうこうしていると、威勢のいい三味線と共にオープニングが始まった。蘭は嬉しそうに「始まったのー」と言って手を叩いている。
「あ、アニメなのですか。なるほど、これはファンタジーですね。猫が動いていますから」
 熊のぬいぐるみが動き回っているのも、負けていないと突っ込みたかった。少なくとも、葛と和馬は突っ込みたくてたまらなかった。
「今日の話はね、にゃりりんが崖から落ちたからにゃんじろーが助けるの」
「感動的なシーンと言うわけですね。そんな時に見れるのですから、僕は運がいい」
「テディ・ベアと一緒にテレビを見れることの方が、よっぽど運がいい気がする」
 ぼそ、と葛が呟く。
「そうだな。普通に考えたら、絶対に有り得ない構図だし」
 ぼそり、と和馬も頷く。
 テーブルにはアイスコーヒーとプリン、お菓子。動いて喋って物まで食べるテディ・ベアと一緒に、アニメ番組を見るのだ。
 普通に生活していたら、絶対に有り得ない状況である。
「このオープニング、僕一生懸命練習してるのー」
「ほほう、それは素敵ですね。是非今度、歌声を聞きたいものです」
 熊太郎が言うと、蘭は嬉しそうに笑った。
「なら、今度カラオケでも行くか?一緒に」
 和馬が言うと、熊太郎は「ええ」と頷く。
「これでも事務所をやっておりますので、その業務が許す限りでしたら」
「その事務所の仕事って、尾行、とか?」
 葛が尋ねると、熊太郎は「はい」と言って微笑む。
「隠密行動は、僕の得意技です」
 そうだろうか?
 先日の尾行風景を思い出し、葛と和馬は疑問を抱く。凄く目立っていた事は言うまでも無く、得意とは到底いえないような様子ではあったのだが。
「熊太郎さん、凄いのー」
 蘭だけが感心したように、ぱちぱちと手を叩いた。熊太郎は誇らしそうに「どうも」と言いながら、前足で後頭部を掻いている。
「ほらほら、始まったぞ」
 葛が言うと、蘭と熊太郎は真剣な眼差しでにゃんじろーに釘付けになった。葛と和馬は顔を見合わせ、くすくすと笑う。
「次はカラオケか」
「ま、それもいいかもしれないな。楽しそうで」
 その場合、熊太郎は何を歌うのだろうか。それを想像し、二人はくすくすと笑い続けた。
 一方、蘭と熊太郎は、笑い声を気にすることなくテレビに集中するのだった。


<やって来た熊と一時を過ごし・了>