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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の迷宮 4

 ある日の仕事帰り、碇麗香と偶然出会った草間武彦は、彼女からイベントのチケットを譲り受けた。東京湾の沖合いに、人工島を造って建設されているテーマパークの、開幕前夜のイベントチケットだという。
 当日、草間は零と友人たちと共に、その人工島へと向かった。
 だが、その島で気づいた時、彼は名前以外の記憶の全てを失っていた。
『キングを倒せ』
 その脳裏に、不可解な声が木霊する。
 失われた記憶を取り戻すためと、言葉の謎を解くため、草間は互いの素性を知らないまま、巡り合った零や友人たちと共に、手掛かりを求めて島をさすらった。
 その結果得られたのは、この島の地図と、キングはこの島の王であり、記憶と時間を操る存在だということと、キングの住まう館の位置だった。
 それは、島の中央に二つ並んだ小高い丘の、西側の頂上に建っているという。
 麓の関所を突破した零たちだったが、草間は敵に捕らわれたのか、応答がない。おそらく、キングを倒せば彼もまた解放されるに違いないと信じ、零たちはそのままキングの館を目指すことを決意した。
 やがて彼女たちがたどり着いたのは、キングが支配する街タルナ。街を見下ろす小高い丘の上には、キングの館がはっきりと見えていた。
「あそこに、キングがいるんですね。……そして、それを倒すことができれば、私たちの記憶も戻り、タケヒコさん……いえ、お兄さんもきっと解放される……」
 零は、低く呟いて、その館を見据える。
 関所で手に入れたパスを使って、兵士のふりをしてキングの館に潜り込む――そう決めた零と仲間たちは、いよいよそれを実行に移すのだった。





【1】
 法条風槻(のりなが ふつき)は、ロビーの窓から丘の上にそびえるキングの館を見やって、小さく溜息をついた。
(ようやく、ここまで来たわね)
 呟く彼女の胸は、もうあと一息でこの記憶のないもどかしい状況が終わりを告げるかもしれないのだという、期待感に満ちていた。
 今現在彼女たちがいるのは、丘の麓に広がるタルナの街の繁華街の一画にある宿だった。昼前にこの街の入り口にたどりついた彼女たちは、街の近くに奪ったジープを隠し、軍服から元の衣服に着替え、荷物だけを手にして街に足を踏み入れた。
 タルナは、東京を何分の一かに縮めたような街で、それほど大きくはないが、さまざまな施設が整っており、これまで彼女たちが旅して来た所に較べると、格段に都会という雰囲気があった。ただし、本物の東京のように、高い建物はない。また、車もそれほど通ってはおらず、そのせいか道幅も狭かった。それでも、行きかう人々の服装や持ち物は彼女たちのよく知る現代風のもので、イチの村などと較べるとまるで別世界のようだった。
 街に入る際にも手形の提示を求められるようなこともなく、宿に泊まることも簡単だった。宿は基本的にツインの部屋しかないとのことで、彼女たちは三つ取った部屋に、女たちは二組に分かれ、シオンだけが一人で一部屋を使うこととした。
 そうして一旦部屋におちついた後、彼女たちはこのロビーに再び集まったというわけである。
 ロビーには、他に客らしい者の姿はなかったが、彼女たちはロビーにいくつか作られているテーブル席の、一番奥まった場所を選んで、思い思いに腰を下ろした。
 風槻は窓から視線を離すと、口を開いた。
「思ったよりあっけなく、街に入れたわね。……ただ、関所がどうなってるかは気になるし、少し情報収集して回った方が、いいんじゃないかしら」
「そうね。どっちにしろ、あれだけの騒ぎを起こしたんだから、この街やキングの館にも、なんらかの知らせは行っていて、警戒されていないとも限らないものね」
 シュライン・エマがうなずく。
「……あの、ところで皆さん、もう一度関所で得た情報を確認させていただきたいんですけれど……」
 それへシオン・レ・ハイが、おずおずと言った。
「ええっと……まず、館へのパスは人数分手に入ったわけですよね。それと、何が書き込まれているのかよくわからない、CD−ROMが一枚と。あと、私が手榴弾四個とプラスチック爆弾四個、ピストル一丁、防弾チョッキ一つを所持、と」
 周囲に聞かれないようにか、小声でぼそぼそと彼は言う。ちなみに、手榴弾とプラスチック爆弾は、人数分六個ずつ手に入れてあったのだが、関所の中で兵士らの注意を引きつけるのに、二個ずつ使ってしまったのだ。
「それで間違いないと思います。……あと、関所から館への一度の交替人数は三十人だそうです」
 草間零がうなずいて、補足する。
「どうにも、武器が足りない気がするわね。それと、情報。……館の見取り図が手に入ればいいんだけどね」
 幾分顔をしかめて、風槻は言った。
「武器はともかく、館の情報は、あのROMの中に入っている可能性もあるわ。部屋にパソコンがあったから、あれで調べてみようと思うんだけど」
 シュラインが言うのへ、風槻は考え込む。彼女自身は、キングの館へ行ってから、そこのパソコンででも調べればどうかと思っていたのだが、たしかに言われてみれば、事前に調べてみる方がいいかもしれない。だが、パソコンに履歴などが残っても大丈夫だろうか。彼女は、慎重な口調になって言った。
「中身を調べるのは賛成だけど……ここでやって、大丈夫かしら」
「履歴や何かを消すのは、なんとかなりそうよ」
「そう? それなら中身を調べるのはきっと、今後の役に立つと思うわね」
 自信ありげに言うシュラインに、それならと彼女もうなずく。
 それへ小さく肩をすくめて口を挟んだのは、ササキビ・クミノだった。
「そう心配する必要はないだろう。私たちに必要な情報だと思えば、邪魔されることなく見ることができるはずだ」
「どういうこと?」
 軽く眉をひそめてそちらをふり返ったシュラインに、クミノがそっけなく言う。
「感じないか? 私たちは、最初から何者かの手の上で踊らされている。その何者かは、私たちに必要だと思えば、情報を与え、武器を与え、食糧を与えてくれる」
「それは……」
 シュラインが、言葉に詰まる。
 それへ、思い詰めたような顔で、零が言った。
「それでは、私たちの記憶のことも、固有の特殊能力が危機に際して使えたりすることも、その人物の采配なのでしょうか」
 そして彼女は、タケヒコが自分の兄、草間武彦であったことと、自分に霊能力があるらしいこと、その能力で怨霊を刀などの物質に変えて使うことができることを話す。
「それはどうかしらね」
 風槻は懐疑的に言った。
「あたしも透視能力があることがわかったりしたけど、それに関して何か記憶が戻ったってことはないし……むしろ、状況的なものなんじゃないかしらね」
 そして、自分にできることをしようと、付け加える。
「どっちにしろ、ここであれこれ言っていても、それは推測の域を出ないわ。あたしはとにかく、一度街に出て、関所がどう出て来るかとか、館のこととか情報を仕入れたいって思うんだけど」
「それなら、ついでに何か食糧も買って来ていただけると、うれしいですが……」
 シオンがちょっと顔を赤らめて言った。
「私、お腹が空いてしまいました。さっきフロントで聞いたら、宿の食堂は夕方からでないと開かないそうですし……」
「そう言われればそうね」
 シュラインも空腹に気づいたのか、言って笑う。
「じゃあ、私が行って、食べ物を買って来ます」
 軽く挙手して零が言った。
「あたしの分はいいわ。外で勝手に食べるから」
 風槻は、慌てて言う。帰りがいつになるかわからない以上、その方が合理的だろう。
「わかりました」
 うなずいて、零は他の者たちに、どんなものがいいかを尋ねる。この宿に来る道筋で見かけた店には、ごく当たり前の食べ物が並んでいた。だからおそらく、弁当だとかパン類のようなものならば、普通に売っているだろう。
 零はフロントからメモ用紙とペンを借りて来て、それへ他の者たちの注文を書き付ける。
 風槻はそれを待って、やがて零と共に宿を後にした。

【2】
 外へ出た風槻は、零が食べ物を買うのにつきあった後、そのまま宿へ引き返す零と別れて、まずレストランへ入った。そこそこ混んでいそうな、ファミリーレストラン風の店を選ぶ。その方が、情報収集にはちょうどいいだろうと考えたのだ。
 やや奥まったあたりの窓際に位置する二人掛けの席に腰を下ろし、シーフードのカレーとサラダのセットを注文する。そして、それが届く間、ぼんやりと外を見ているふりをして、周囲の人々の会話に、耳を澄ませた。
「今朝のニュース見た?」
「ああ、関所が何者かに襲われたとかいうのね。見た見た。……でも、バカよねぇ。そんなことして、どうせすぐに捕まって、処刑されるのに」
「そうそう」
「案外、軍の演習じゃないんですかね……。にしても、こういうニュースは久方ぶりですな」
「そうですねぇ」
 たわいのないやりとりの中に混じって、そんな会話が時々聞こえて来る。
(やっぱり、ニュースにはなってるのね。……でも、なんだかあんまり、危機感がないわね)
 小さく吐息をついて、彼女は胸に呟いた。
 そこへ、注文したものが運ばれて来る。それらを食べながら、彼女はなおも周囲の会話に耳を澄ませたが、それ以上、めぼしい情報は得られなかった。
 食事を終えると彼女はレストランを出て、街中を当てもなくぶらぶらと歩き回った。途中、電気屋らしい店の店頭に飾られたテレビで、関所のニュースをやっていたので、足を止める。ニュースは至って事務的に、関所の襲われた時間帯と、襲った人数、被害の規模について流していた。
 クミノが派手に爆弾をしかけて吹き飛ばしたため、建物にはかなりの被害が出ているようだ。もちろん、人的被害も大きい。だというのに、彼女たちの写真やモンタージュどころか、人相風体すらもニュースには流れなかった。
(どういうこと? たしかに、監視カメラに姿を残すようなヘマはしてないと思うけど……あたしたち、けっこう何人もの兵士に顔を見られてるわよね。まさか、あたしたちの顔を見た兵士全員が死んだわけじゃないでしょうし、モンタージュを作るとか、性別や背格好ぐらいはわかるでしょうに。なんで、その情報を流さないのかしら)
 ニュースを聞き終わって、風槻は眉をひそめて、そんなことを考える。たとえ写真がなくても、自分たちはかなり個性的な集団だ。自分やシュラインはともかく、外見が派手なシオンや、どう見ても十八歳未満の零やクミノは、目立つ。
(あたしたちの特徴だけでもニュースで流せば、犯人を捕える確率は高くなるでしょうに。……それをしないってことは、あたしたちを捕えるつもりがないってこと?)
 そんなふうにも思ったが、すぐに彼女はまさかとかぶりをふった。
(いくらなんでも、それはあり得ないわよね)
 胸に呟き、彼女はテレビの前を離れた。
 通りから通りへ、なるべく人通りの多い道を選んで、彼女は歩く。そうしながら、時おり左右へ視線をさまよわせるのは、何かキングの姿を描いたものがないかを探すためだ。
 ここへ来るまでの間、結局彼女らは、キングの姿について触れた情報には行き合わなかった。そのことが、彼女には少し不思議でもある。書店やコンビニに足を踏み入れ、週刊誌などをパラパラとめくってみたが、そこにもそれらしい姿はなかった。
(キングは、この島の人間に、姿を見せないのかしら)
 ふと風槻は思う。
 たしかに現代日本では、外国のように天皇の写真や肖像画を外に飾る習慣はない。しかし、そんな状況でさえ、週刊誌には皇室の人々に関する記事が写真入りで載っているのが普通だ。それと比較して考えれば、キングの姿を人々に晒すことは、禁じられているとしか思えなかった。
(でも、だとしたらなぜ? 支配者が外に顔を出せない理由なんて、思いつかないけど……)
 彼女は、顔をしかめて考え込む。
(たとえば、二目と見られないすごい顔だとか? それとも、顔に傷があるとか。……ううん。どれも、何かピンと来ないな。案外、実体のないものだったりしてね)
 考えあぐねて、彼女は小さく苦笑した。これがゲームなら、姿を消したタケヒコが、キングとして現れたりするのがお約束だろう。
(なんだか、この状況からすると、それもありだって気がして来たわね)
 彼女は、ふと胸に湧いた思いにもう一度苦笑した。が、あながちそれは、あり得ないことではない気もする。実際、彼女たちの状況は、あまりにもゲームめいていたのだから。
 歩き回って、少し疲れた彼女は、通りの一画にあるオープンカフェで休むことにした。レモンスカッシュのグラスをストローでかき混ぜながら、やはり周囲の会話に耳を澄ます。
 と、ふいに目の前に影が落ちた。
「ここ、いいかな」
 同時に声が掛けられる。顔を上げると、そこに立っていたのは、十二、三歳ぐらいの少年だった。小柄で背が低く、Tシャツとジーンズという恰好だ。髪は黒いが、後ろに長く伸ばした一房だけが金色で、目も黒く、肌は小麦色に焼けていた。
 周囲を見回せば、別に空いた席がないわけではない。中学生か下手したら小学生ぐらいだろうに、こんな年上のお姉さんをナンパするつもりだろうかと思いつつ、情報を得るにはちょうどいいかと、うなずく。
 少年が、向かいに腰を下ろした。注文を取りに来たウエイトレスに、アイスコーヒーを頼み、彼は風槻をふり返った。
「あんた、これに覚えない?」
 言って彼がポケットから取り出したのは、チケットの半券だった。「キングアイランド・特別入場券」と書かれ、その下には日付のスタンプが押されている。そう、風槻や仲間らが持っているのと同じものだ。内心驚いたものの、キング軍の罠かもしれないと考え、彼女は上目遣いに少年を見やる。
「覚えがあったら、なんだっていうの?」
「あ、警戒させちまったかな。俺、御崎月斗(みさき つきと)っていうんだ。たぶん、あんたとおんなじ。名前以外の記憶がなくて、ここで気がついた時に『キングを倒せ』って声を聞いた。それで、キングの館目指して、旅をしてるんだ」
 少年は、名乗って言った。屈託のない笑顔を浮かべているが、その目は笑っていない。風槻は、眉をひそめた。はたして彼が本当のことを言っているのか、それともさっきも考えたように、何かの罠なのか判断がつかなかったからだ。第一、もし本当のことを言っているのだとしても、なぜ自分も同じものだとわかったのだろうか。
 月斗と名乗った少年は、まるでそんな彼女の考えを読んだかのように、言った。
「俺、どうも呪術っていうか、そういう術が使えるらしいんだよな。その術で、ずっと自分と同じ状況の人間を探してた。関所が何者かに襲われたってニュースを聞いた時、それは俺と同じように、名前以外の記憶を失って、キングを倒せばそれが戻るって信じた連中のしたことじゃないかって思ったんだ。だから、式神に、探させた」
「式神?」
「うん」
 思わず問い返した彼女に、月斗はうなずいて、ポケットから細長い紙の束を取り出した。その表面には、奇妙な文字が筆で書かれている。彼女はそれを見やって、どういうわけかそれが、陰陽師と呼ばれる呪術師たちの使う呪符だと理解した。それは、失われた記憶の中に蓄積された、情報の一つなのかもしれない。が、ともあれ彼女は、陰陽師らがそれによって、式神と呼ばれる人外のものを使役するのだと知っていた。
 彼女は肩をすくめて、サイフの中から半券を取り出した。
「式神に、これを目印に探させたの?」
「ああ」
 うなずいて、月斗はニヤリと笑った。そして尋ねる。
「あんた、一人じゃないよな? ニュースでは、関所を襲ったのは六人だって言ってたし」
「まあね」
 曖昧に言って、少し迷ったが、半券を見せたのだから同じことだろうと、彼女は自分たちが宿を取っていることや、そこに仲間がいること、これまでの旅のことや、関所でタケヒコが捕らわれてしまったことなどを月斗に話した。
 その間に、彼が注文したアイスコーヒーが運ばれて来る。
 それを一口飲み、月斗はうなずいた。
「だいたい、得た情報は同じらしいな。……俺はずっと一人だったんだが、この呪符があったし、式神がいたから、そう大変でもなかったぜ。関所も、あんたらみたいな大騒ぎを起こす必要なしに、通り抜けられたしな。ただ、キングの館へ入るパスを手に入れ損ねて、どうしようか困ってたんだ」
「それで、あたしたちを探したというわけね」
 彼の言葉に言って、風槻は苦笑した。
「少年、運がいいわね。あたしたちは、六人分のパスしか持ち出さなかったけど、タケヒコがいないから、ちょうど一人分余ってるのよ」
「ゲームのパーティは、六人いなくちゃいけないってことじゃないか? だから、俺が補充されたんだろ」
 月斗は、皮肉げな口調で言って、笑う。ずいぶん大人びた少年だと思いながら、彼女はすっかり氷が溶けて、水っぽくなったレモンスカッシュを飲み干し、立ち上がった。
「あたし、もう少し情報収集したいんだけど、いい?」
 尋ねると、月斗はうなずいた。
「つきあうよ。……と、あんたの名前、まだ聞いてないな」
「ああ、そうね」
 言われて初めてそれに気づき、風槻は名乗る。
「風槻、ね。よろしく」
 月斗は、平然と彼女を呼び捨てにすると、手を差し出した。その手を取って握り返すと、風槻は踵を返す。月斗も目の前のアイスコーヒーを飲み干すと、立ち上がり、その後を追って来た。

【3】
 風槻が宿に戻ったのは、すでにあたりが暗くなってからだった。むろん、月斗も一緒だ。
 ロビーでシュラインとシオンの二人に出会ったので、彼女は月斗を紹介する。宿の食堂へ夕食に行くところだと言うので、彼女と月斗も一緒に行くことにした。
 宿の食堂は、清潔で雰囲気も悪くはなかったが、人はあまりいなかった。
 彼女たちが席に着いたところへ、クミノと零もやって来た。その二人にも、風槻は月斗を紹介する。
 その後、食事をしながら彼女たちは、昼間得られた情報の交換をすると共に、キングの館に乗り込む日時や手順を話し合った。
 関所で手に入れたCD−ROMには、キングの館の見取り図が入っていたという。だけでなく、どこにどれだけ見張りがいるだとか、どんな警戒体制を敷いているだとか、そんな情報まで入っていたらしい。もちろん、調べたシュラインたちも、そのことを怪しんでいるようで、できれば風槻の透視能力で、見取り図が本物かどうか確認してほしいと言われた。
 風槻はそれを承知した後、関所が襲われた事件がニュースにはなっているが、街の人々がそれについて、なんら危機感を抱いていないようだということを話した。
「みんな、キングのお膝元のこの街で、恐いことなんて起きるはずがないって思っているみたいね。あたしたちのことも、軍の演習か何かだと捉えているみたいだったわ」
 風槻の言葉にうなずいたのは、シオンだ。彼は昼間、零と共に宿の中を情報収集して回っていたという。
「私が話した人たちも、そんな感じでした。宿の人たちは、何年かに一度、こういう騒ぎがあって、でもすぐに捕らわれて平和になるんだって言って、笑っていました。その……お祭か何かみたいに思ってる感じです」
 シオンの言葉に風槻は、たしかに自分が街で聞いた人々の会話の中にも、似たようなものがあったなと、思い出す。
「実際に、祭みたいなもんなのかもな」
 それへ口を開いたのは、月斗だ。
「キングについての伝説みたいな文面の中に、外から来てキングに記憶を奪われた者が、この地の人間になるってのがあっただろ? あれって文字どおりでさ、何年かに一度、今の俺たちみたいなのが出て、でもキングを倒せなくて捕らわれて、それで残りの記憶とかキングを倒そうとした記憶も全部消されて、適当に島の中の土地へ放されてるんじゃないかな。偽の記憶かなんか植え付けられてさ」
「でも、なんのために?」
 思わずというように尋ねるシュラインに、彼は肩をすくめた。
「だから、祭なのさ。なんていうか、毎日同じことの繰り返しじゃ、人間って飽きるだろ。それをリフレッシュするために、非日常的なことをやるわけだ。キングを倒そうとして、バカな奴らが暴れる。それで、しばらくは周りの者は、結果がわかっていてもどうなるのか、面白おかしく成り行きを見守るわけさ。で、最後にはキングを倒そうとした連中は失敗して捕らわれ、対外的には処刑されたってことになる。それで人々は、平和な日常はいい、これも全てキングのおかげだってなる。……これは、そういうイベントだと、俺は思うよ」
「なるほどね。そう考えると、あたしたちの写真とかが出回ってないのも、納得がいくわね」
 風槻は改めてうなずきつつ、呟いた。そして彼女は、街のどこにも自分たちの顔のわかるものは提示されておらず、街頭で流れていたニュースも、写真などはなかったと話す。
「写真が、手に入らなかったからじゃない? 私たち、関所では監視カメラにも映らないように気をつけてたんだし」
 シュラインが、それへ言う。
「それはそうだけど、兵士には顔を見られてるわよ、あたしたち。関所を通ってこの街に来たのはわかってるわけだし、モンタージュ写真とか口頭での人相風体ぐらいニュースで流しそうなものじゃない。でも、何もそれについての言及がなかったの」
 風槻は、ニュースを見た時にも感じたことを、シュラインに告げる。
「どちらにせよ、私たちの次の行動は予測され、館では待ち伏せされている可能性もあるということだ」
 ふいに、さっきからずっと黙っていたクミノが、まるで彼女らの会話に終止符を打つように言って、空になった水のグラスをテーブルに置いた。
 その不穏な発言に、風槻たちは思わず鼻白んで顔を見合わせる。それを無視するように、クミノは立ち上がった。
「部屋に戻る」
 一言だけ残し、風槻たちに背を向けると、クミノは立ち去って行った。
 それを幾分、あっけに取られて見送り、風槻は他の者たちをふり返った。
「何かあったの?」
「さあ……」
 尋ねる彼女に、シオンが首をかしげる。
「何か、気になることがあるのかもしれません」
 零が、幾分心配げに言って、クミノの立ち去った方を見やる。どうやら、誰もなぜクミノが不機嫌なのか、理由を知らないようだ。
「何か思い出したのかもしれないわね。……だとしたら、彼女自身の問題だわ」
 風槻は言って、肩をすくめると、話題を戻した。
「さてと。じゃあ、館へはいつ行くの?」
 問われて、他の者たちも顔を見合わせる。が、とりあえず今は、クミノ抜きで話を進めるしかないと、誰もが思ったようだ。彼女たちは、再び顔をつき合わせるようにして、キングの館へ向かう計画を練り始めるのだった。

【4】
 風槻たちが、キングの館へ向かったのは、その日の真夜中のことだった。
 彼女自身は、出発予定時間よりかなり早めに起きて、徒歩で街の外に隠したジープの所へと向かった。そこでキング軍の軍服に着替え、ウエストポーチを腰に巻くと、ジープを運転して宿へと戻る。
 彼女が宿の前にジープを横付けにした時には、仲間たちも全員が軍服に着替えていた。月斗も、どうやって手に入れたのか、やはり軍服姿だ。
 やがて全員が収まると、風槻はジープをスタートさせた。
 暗い夜の道を、他に走る車もない中、ジープは通りを丘を目指してひた走る。頭上は暗く、月も星も見えない。
 そうこうするうち、ジープは街中を抜け、丘への登りにかかった。ほどなく、キングの館が見えて来る。それは、小さな城といってもいいような造りの建物だった。入り口には巨大な門があり、そこを抜けると広い庭が続き、その先に劇場の入り口のような大きな玄関が見えて来る。
 門前には人の姿は見えず、全てが機械仕掛けだった。関所で手に入れたパスは、手配されてもいないのか、なんの問題もなく彼女たちを通してくれた。そのことを風槻は訝しんだが、ここまで来て罠を心配してみても遅い。怪しいといえば、全てが怪しいのだ。
 夕食後、キングの館を透視してみたが、ROMに入っていた見取り図は、本物のようだった。あまりに安易に必要なものが手に入りすぎると思うものの、手に入った情報は使わなければ損だ。結局、彼女たちはそれを元に立てた計画どおりに行動することにした。
 庭にもやはり、人の姿はなかった。彼女たちは玄関前でジープから降り、それぞれ武器を手にして、玄関へとひそやかに走り寄る。
 ちなみに、彼女たちの携帯している武器は、以下のとおりだ。
 クミノが自分で招喚したピストル一丁。月斗は出て来る時、シオンが手榴弾やピストルを渡そうとしたものの、受け取らず、一見すると何も持っていないように見える。が、実際は呪符を携帯しているだろう。シオンは槍を持ち、上着の下に防弾チョッキをまとっている。シュラインは、イチの村でもらったというナイフと、シオンから渡されたピストル、それに手榴弾とプラスチック爆弾を二つずつ。零は、怨霊から作り出したという剣を一本。そして風槻自身は、関所で手に入れた警棒と、手榴弾、プラスチック爆弾を二つずつ携帯していた。
 彼女たちが玄関に走り寄った時、どこかでかすかに、鳥の羽ばたくような音が聞こえ、鈍く光る何かが月斗の傍へと舞い降りた。月斗はそれを見やって、小さく口元をゆがめる。
「あんたの言うとおりだ。俺たちは、待ち伏せされてるみたいだぜ」
 クミノを見やって、彼は言った。
「わかるの?」
 幾分驚いたように尋ねるシュラインに、彼は肩をすくめる。
「ああ。偵察にやっていた式神が、そう言ってる。敵は俺たちの十倍近くいるぞ。皆、武装している」
「やはりな。あまりにも情報がすんなり手に入りすぎると思ったんだ」
 顔をしかめて言うクミノに、風槻は言った。
「でも、ここまで来た以上、引き返すわけにも行かないでしょう?」
「ええ。何者かに踊らされているのだとしても、いっそ最後まで踊り続ければ、何かわかるかもしれないわ。タケヒコさんのことも、このままにはしておけないんだし」
 シュラインもうなずく。
 それへクミノが、小さく肩をすくめた。
「別に私は、この先へ進むことを、反対しているわけではない。……ただ、一つ言っておく。もし私が何か不審な行動を取っても、私に対して攻撃するな。今までの旅の過程でも想像がつくと思うが、私の半径二十メートルには、不可視の障壁が張り巡らされていて、私を攻撃する者全てを、約一日で即死させる力を持つ。だから、私が不審な行動を取り始めたら、私を見捨てて皆は先へ進め。それが一番賢い方法だ」
「どういうこと? なんだか、今の言葉は自分がキングに操られる可能性があると思っているように聞こえるけど」
 シュラインが、眉をしかめて問い返す。だが、クミノはそれへ答えなかった。
「行こう」
 扉の方を見据えて、そう言っただけだ。
 風槻、シュライン、シオン、零の四人は、思わずといったように顔を見合わせた。そんな彼女たちを、月斗が促す。
「いいから、行こうぜ。時間が惜しい」
「ええ」
 シュラインがうなずき、手にしたピストルを握り直した。風槻たちもうなずく。
 こうして彼女たちは、ようやく玄関の扉を開けた。
 月斗の言葉どおり、その先の広いエントランスホールには、かなりの数の兵士らが手に手に自動小銃を構えて待ち伏せていた。
 それへ月斗が、攻撃の暇を与えず、ポケットから取り出した呪符を投げつけ、叫ぶ。
「ノウマク バサラ ダン カン!」
 途端に、空中に舞う呪符がいきなり燃え出し、大きな炎となって兵士らを包み込んだ。
「うわあっ!」
 いきなり服や髪などに炎が燃え移り、兵士らはパニックに陥る。まさか、こんな攻撃をされようとは、考えてもいなかっただろう。
 もちろん、驚いたのは風槻たちも同じだった。だが。
「ぼうっとすんな! 走れ!」
 月斗の鋭い怒声に、彼女たちは慌てて、走り出した。
 炎に巻かれていない兵士らが、その彼女らめがけて撃って来る。それを食い止めたのは、思いがけず、シオンだった。彼は兵士らの前に立ち止まり、なぜか両手でスプーンを握りしめて目を閉じ、一心に何かを念じているようだ。それに呼応するかのように、彼の眼前に兎の形をした氷の壁が現れ、立ちはだかる。兵士らの放った銃弾は全て、それに遮られて、風槻たちの元へは、届かなかった。
「い、今のうちに……早く、先へ進んで下さい……!」
 シオンは、額から油汗を流しながら、苦しげな声で彼女たちに言う。
「わかった。おい、行くぞ!」
 うなずいて、彼女たちを促したのは、月斗だ。どう見ても中学生か小学生ぐらいだろうが、妙に場慣れしているふうなのが、奇妙に映る。だが今は、そんなことを考えている場合ではなかった。風槻たちは促されるままに、奥へ向けて走った。
 館の中は、見取り図を頭に叩き込んでいても、どこか迷路のようだ。エントランスホールからは細長い廊下が続き、その先にもう一つ広いホールがある。そこには三基のエレベーターと階段があったが、それぞれに行き先が違っており、一つ間違えば、館の中を堂々巡りするか、まったく関係のない場所に出てしまうだけだ。
 エレベーターの並ぶホールへ飛び込んだ風槻たちは、その扉を死守するかのように、そこに並んだ。月斗が、それより少し離れた床の上に、半円を描くように呪符を間隔を空けて貼り付け、言った。
「一応、結界を張ったからな。奴ら、これより先には入って来れない。あ……それから、これ」
 彼は、更に数枚の呪符を、シュラインに渡した。
「あんた、一番武器の扱いがトロそうだから、少し分けてやるよ。一枚ずつ、丸めて投げな。手榴弾程度の役には立つからさ」
「え……。でも……」
「真言、唱えなくても呪力が発動するようにしてあるから、心配すんなって」
 とまどうシュラインに言って、彼は風槻をふり返る。風槻はうなずいた。彼女と月斗は、ここから、館の防犯システムを支配下に置くために、中央管制室へ向かうことになっているのだ。
「じゃ、あたしたち、行って来るわね」
 他の者たちに声をかけ、彼女は月斗と共に、真ん中のエレベーターへと飛び込んだ。このエレベーターは、中央管制室への直通なのだ。
 エレベーターを降りると、左右に扉の並ぶ広い廊下が現れた。ここには人はいないが、変わりに、天井や柱の角に取り付けられたレーザー銃が、敵と認識したものを狙って撃って来る。月斗が、呪符をそちらへ向けて放った。
「オン!」
 短い呪文と共に、呪符の貼り付いたレーザー銃が、次々に爆発する。
 敵のいなくなった廊下を、彼女たちは走った。突き当たりの大きな扉が、中央管制室だ。ここは電子ロックが掛かっているようだった。だがそれも、月斗が難なく破壊する。
「便利ね、それ」
 風槻は、ちょっと感心して言った。
 中は、それほど広い部屋ではない。壁にはずらりとモニターが並び、館内の見取り図なども壁に掛けられていた。部屋の中央には、一台のコンピューターが据えられている。風槻はその前に駆け寄ると、ウエストポーチの中から、関所で手に入れたCD−ROMを取り出した。それをコンピューターのCDドライブにセットし、再起動をかける。
 このROMが、ここの防犯システムに接続するための鍵のようだと言ったのは、これを調べたシュラインだった。あの関所の所長は、もしかしたら、この館でもそれなりの地位にあったのかもしれない。ともあれ、これを使って中央管制室の制御コンピューターに再起動をかければ、防犯システムの管理画面が立ち上がり、そこから館内の防犯システムを自在に操ることができる可能性があるというのだ。
 再起動した画面上には、シュラインの想像どおり、館の防犯システムの管理画面が立ち上がっていた。彼女はその画面を操作し、キングのいる最上階までのルートを、他の部分から切り離した。ルート上にあるレーザー銃を全て沈黙させ、人間の兵士らが出入りできないように、防火シャッターを下ろすよう指示を出す。
 それを終えると彼女は、ウエストポーチから携帯電話を取り出した。クミノの携帯を呼び出す。携帯電話そのものは圏外だが、クミノのそれは無線機能付きで、他の携帯電話と圏外にあるなしに関わらず、リンクして互いに話すことのできる機能がある。それを利用しているのだ。
 電話がクミノにつながった。
「防犯システムを完全に掌握したわ。キングのいる最上階までのルートを、他の部分から切り離したから、キングの元へ向かってちょうだい。エレベーターは、一番右端のを使って」
 そう伝えると、クミノからは「わかった」と例によって無愛想な答えが返って来た。だがこれで、彼女自身の役目は終わりだ。
 風槻は電話を切ると、防犯システムの管理画面を終了させ、念のためROMを取り出す。そして、万が一の時のためにドアを見張っていた月斗に声をかけた。
「終わったわ。あたしたちも、最上階へ急ぎましょう」
「ああ」
 月斗がうなずく。二人はそのまま部屋を出ると、再び廊下を走り出した。

【5】
 そして。
 途中でシュラインとクミノの二人と合流し、風槻と月斗は、最上階のフロアの、一番奥の部屋の前に立っていた。
 そこへ、シオンと零も追いついて来た。シオンはあのまま、エントランスホールで兵士らと戦っており、奥のホールとの間に防火シャッターが下りてしまったので、それをシュラインとクミノを見送った後、零が助けに向かったのだという。
「零ちゃん、シオンさん。無事だったのね」
 シュラインが、二人の姿にホッとした顔を見せる。
「はい。ご心配かけて、すみません」
「私たちは、大丈夫です」
 シオンと零が、それぞれそれへ言った。
「では、行くぞ」
 全員がそろったところで、クミノが声をかけ、先頭に立った。扉を開く。その向こうは、何もない広々とした部屋になっており、奥に一段高くなった場所がある。そこは、周囲に重そうなベルベットのカーテンを掛けまわされており、まるで王の玉座のようだ。
 と、そのカーテンの一部が揺れて、ゆっくりと人影がそこに現れた。
「よくここまでたどり着いたものだな、諸君。私がキングだ」
 尊大に名乗るその人の姿に、風槻は驚くよりもなんとお約束なと、呆れて目を見張った。
 そこに立っていたのは、関所で捕らわれたはずの、タケヒコだったのだ。もっとも、服装は彼女たちと行動していた時とは違い、足にぴったりとしたズボンにブーツ、丈の長いチュニックという、まるで中世の王様のような恰好で、マントまでまとっている。
 風槻が仲間たちの反応を見やると、クミノとシュライン、シオン、零の四人はこんな展開など予想していなかったのか、驚きに目を見張っていた。ただ、タケヒコと面識のない月斗は、純粋に相手をキングと見止めてか、そちらを睨み据えている。
 それを確認し、彼女は改めてタケヒコをふり返った。大仰な衣装が茶番めいていて、嘘臭い。
「あんたが、キングか。俺たちの記憶、返してもらうぜ!」
 月斗がわめいて、ポケットから取り出した呪符を構えた。
「さて。できると思うなら、やってみるがいい」
 キングを名乗るタケヒコは、余裕しゃくしゃくで、それへ返す。
「月斗くん、やめて!」
 その二人の間に割って入るように叫んだのは、シュラインだ。
「タケヒコさんが、キングだなんて、そんなはずないわ。彼はきっと、本物のキングに操られて、代理を演じさせられているのよ」
「おいおい。ここまで来て、何言ってんだよ」
 月斗は呪符を構えて正面を向いたまま、苛立ったようにちらりとシュラインを見て言った。
「こいつが偽物か本物かなんてことは、倒してみればわかることだろうが」
「いや。私もシュラインさんに同感だ」
 そう口を開いたのは、クミノだった。彼女はすぐ傍にいたシオンに、何事か囁く。
「やってみます」
 何を言われたのか、シオンはうなずくと、再びスプーンを握りしめ、目を閉じて念じ始めた。と、面白そうに彼女たちの方を見やっていたタケヒコの足元に、みるみる氷が張り詰め、その足が氷付けになって行く。
「な、なんだ……?」
 さすがにタケヒコも、こんな現象が起きるとは思っていなかったのか、驚いて足を動かそうとするが、もう遅かった。もっとも、さすがに全身を氷付けにしてしまえるほどではないらしい。
 しかし、クミノにとっては、これで充分だったようだ。彼女はずかずかと壇上に上がり込むと、タケヒコの背後にかかっているカーテンを無造作に剥ぎ取り、招喚した巨大なハンマーでそこの壁を打ち壊した。
 風槻たちも、そちらへ駆け寄る。
 その後ろにはごく狭い、人一人が立って両手を横に広げればそれで一杯になりそうな部屋が姿を現す。部屋の中央には、天井から床までを繋ぐ形で細いガラスの円柱が立っており、その中央に、きらきらと輝くミラーボールのようなものが収められていた。
「何これ……」
 風槻は思わず呟く。
「おそらく、これがキングの正体だ」
 クミノが言って、手にしていたピストルをそちらに向け、撃った。一発目で円柱に亀裂が入り、二発目で球体の一部が剥がれた。三発目で球体に亀裂が入り、四発目で球体が吹き飛ぶ。同時に、あたりに白い光が炸裂した。
「きゃっ……!」
 風槻は、思わず腕で顔をかばって目を閉じる。あまりの眩しさに、目を開けてなどいられなかったのだ。だが、それはますます強くなり、あたりを白熱した光の洪水の中へと、飲み込んで行った。

【エピローグ】
 目覚めた時、風槻は病院を思わせる白い部屋に据えられたベッドの中にいた。
(あたし……いったい……)
 思わず半身を起こし、彼女は胸に呟く。ベッドの中にいるということは、今までのは夢だったのだろうか。
(あたしは、法条風槻。二十五歳。仕事は、情報請負人……いわゆる情報屋ね。情報屋としての通り名は『D』。意味は『人形』または『娘』――)
 念のため、自身の名前や年齢、職業などについて頭に浮かべてみるが、なんの支障もなく、すらすらと全て思い浮んだ。ついでに、遠見の能力を暴走させた時のことや、鶏肉と魚介類以外の肉が食べられなくなったトラウマなど、思い出したくないようなことまで、鮮明に思い出す。
(キングを倒したから、記憶が戻ったの? それともあれは、本当に夢だったの?)
 記憶が戻ったのはありがたいが、妙にこころもとない感じがして、素直によろこべず、彼女は考え込んだ。
 その時、部屋の外から軽いノックの音が響いて、人が入って来た。一人は、月刊アトラス編集長の碇麗香だ。もう一人は、彼女の知らない青年だった。
 その青年を麗香が白王社の社長、白王要だと紹介する。
 彼はやわらかな笑顔で風槻に微笑みかけた後、言った。
「今回は、まことに申し訳ありませんでした。せっかく参加いただいた前夜祭イベントで、まさかこんな手違いが起きてしまうとは、思いもしませんでした」
「手違い?」
 思わず問い返す風槻に、要が説明したところによると。本来彼女たちが参加したイベントは、島全体を使って謎解きをしながら、最後にはキングと称するボスを倒すという内容は同じでも、もっと娯楽性の高い、そして危険のないアドベンチャーゲーム風のものだったそうだ。ところが、どうしたことか島を統括するコンピューターが暴走し、島を特殊な磁気で包み込んでしまった。彼女たちの記憶が失われたのは、その磁気の影響と、コンピューターが島全体に流していた誘導性の強い電波のせいだったのだという。ただ、暴走してもコンピューターのプログラムの中核にあるのは、本来のアドベンチャーゲーム風のイベントだったため、彼女たちは「キングを倒すため」に動かされることになったのだそうだ。
「法条さんたちは、いわば半ば夢を見ているような状態で、あの島で行動していたというわけです。先程、その夢の内容については、草間さんから伺いましたが……戦闘などは、実際には行っていませんので、どうかご安心下さい」
 要の言葉に、風槻は思わず眉をひそめた。
「それ、どういうこと?」
「法条さんは、あの島で何日も過ごしたように思っておられるかもしれませんが、実際には、十二時間程度のことです。コンピューターのネットワークに侵入し、その暴走を止めるのに、かなり時間がかかってしまいましたが、それ以上は過ぎていません。それに第一、単なる娯楽のための施設に、本物の銃を持った兵士がいたり、手榴弾やプラスチック爆弾なんかが、格納されているはずがないでしょう? 全ては、コンピューターが皆さんに見せた幻ですよ」
 要は笑って言うと、この件については後日、説明会を開き、きっちり彼女たちの精神的苦痛に対する補償をしたいと告げ、深々と頭を下げて、麗香と共に立ち去って行った。
 ちなみに、ここは東京湾近くにある病院の一室らしかった。
 風槻は、彼らが立ち去った後、眉をしかめて考え込んだ。
(あれが全部、夢だったっていうの? 本当に?)
 ふと彼女は自分の手を見やる。そこにはまだ、持ち慣れない銃や警棒の重みが、残っている気がした。あれが全て夢だったとは、とても思えない。
 翌日、彼女は退院した。いくつかの検査の結果、どこにも異常はないと、医師が判断したためだ。
 病院の外に出て、彼女はふと空をふり仰ぐ。明るくどこまでも続く空は、こここそが現実なのだと彼女に告げているかのようだ。だが、歩き出そうとして彼女は、ふと足元に濃く伸びた影が揺らいだ気がして、息を飲む。
(本当にこれが現実? こっちが夢で、あっちが現実だったということはないの?)
 奇妙な慄きと共に、彼女はふいに自問していた。そして、あの名前以外の記憶を全て失った不安な日々の中で、同じような夢を見て、同じことを思ったような気がして、急に寒気を覚えた。
 彼女は一瞬、行くべき道を見失ったかのように、立ちすくむ。だがすぐに、小さくかぶりをふった。
(バカね。こっちが現実に、決まってるじゃない)
 彼女は苦笑すると、ようやく歩き出した。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1166 /ササキビ・クミノ /女性 /13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【6235 /法条風槻(のりなが・ふつき) /女性 /25歳 /情報請負人】
【0778 /御崎月斗(みさき・つきと) /男性 /12歳 /陰陽師】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /紳士きどりの内職人+高校生?+α】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
「記憶の迷宮」に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
さて、内容のほどはいかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただけていれば、幸いです。

●ササキビ・クミノ様
続けての参加、ありがとうございます。
最後は結局、このような形に締めさせていただきましたが、
いかがだったでしょうか。

●法条風槻さま
続けての参加、ありがとうございます。
草間の件については、まさにズバリ、そのとおりでした。
ともあれ、楽しんでいただけていればうれしいのですが。

●御崎月斗さま
お久しぶりの参加、ありがとうございます。
4回目のみの参加ということで、これまでは他PC様たちとは、
別行動だったという形にさせていただきました。
なお、草間からの仕事の依頼ではありませんでしたので、
金銭的なものは白王要から……という形にさせていただきました。
ご了承下さいませ。

●シオン・レ・ハイ様
続けての参加、ありがとうございます。
スプーン曲げに再挑戦ということで、今回は成功でした。
得意技? もせっかく書いていただいたので、使ってみました。

●シュライン・エマ様
いつも参加いただき、ありがとうございます。
キングを人間の姿にするか、それ以外にするか決めかねておりましたので、
シュライン様のプレイングを参考にさせていただきました。


それでは、またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。