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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『呪いの血脈』


 彼女の顔は青ざめていた。
 その顔色の悪さに草間武彦は彼女の身を心配する。
 彼女は身重だった。
 武彦の表情から何かを悟ったのか、彼女は武彦を安心させるかのように微笑んだ。しかしその笑みはどうしようもなく憂いに満ちていた。
「私は安井玲子(れいこ)と申します。桐生院家の家政婦として働いています。ええ、主人と一緒に。主人は桐生院家の弁護士をしておりまして、当主の桐生院詩(うたい)さまとは幼馴染で、私の夫、乙宮守(まもる)もまた、私がこの件をこちらさまに、草間さまにご依頼をするのを賛成してくれています。事の発端は詩さまのおじいさまです。そこから始まるのです。桐生院家の血に流れる呪いが」



 桐生院詩の祖父、桐生院礼(れい)は戦後の混乱期、焼け野原となった東京で安い日雇いの肉体労働に従事ていた。
 彼の家族は全員空襲で死んでおり、彼もまた戦争で満州に渡っていて、苦労の連続であった。
 故に彼は人間性に歪みを生じさせ、そして彼は金に執着を見せるようになり、
 日雇いの仕事や闇の仕事、そういったものに従事して、そこで稼いだ金すべてを元手に闇金融業を開業し、彼は財産を増やしていった。
 しかしその彼の会社にひとりの浮浪者が来た時から、事がおかしくなり始めた。
 その浮浪者は彼が持つ高価な懐中時計と引き換えにお金を借りたいと申し出てきて、そして桐生院礼は彼の懐中時計とは不釣合いなほどの小額のお金しか渡さず、
 それに不服を言った浮浪者に、
「なら、この懐中時計はお返ししましょう。ただし、私がこの懐中時計を受け取り、あなたがお金を受け取った時点で契約は執行されており、故に利息分も返してもらわねばならなくなりましたが、それでも良いので?」
 無論、浮浪者の持つお金は桐生院礼に渡されたお金だけであり、利息分など払えるわけも無く、
 浮浪者は暴れ、
 そして会社に常駐するヤクザ上がりの警備員に外に放り出され、その時不幸にも頭を道路にぶつけ、浮浪者は死んでしまった。
 そうしてその夜に桐生院礼の夢の中にその浮浪者が出てきたのだ。
「おまえを呪ってやる。私は私の怨念でおまえを金持ちにしてやろう。そうだ。それだけではない。おまえの嫌う人間は誰であろうと私が殺してやる。おまえの望む女の心も私がおまえのモノにさせてやる。そうだ。私がおまえに富みも名声も、女もくれてやるというのだ。ただし、いいか? おまえが少しでも幸せだと想った瞬間に、私はおまえを殺してやる」



「そして桐生院礼は本当に富みも名声も手に入れ、詩さまのお父上が生まれた時に、現れた浮浪者の霊によって首を跳ねられました………。その呪いは次は礼さまから礼二(れいじ)さまへと移り、礼二さまはそれから逃げるべく奥様が詩さまを妊娠成された時に顔を整形して、桐生院家の執事と入れ替わったのですが、結果は…さらに悪くなるだけでした。詩さまがお生れになった瞬間に礼二さまと入れ替わっていた執事は殺され、そうして今度は礼二さまに騙された執事の悪霊と浮浪者の悪霊の二人に呪われるようになったのです。もうそのような小細工ができないように礼二さまは常に監視されています。ええ、礼二さまは常に監視されていますよ。二人の悪霊に。礼二さまは。そして、詩さまの奥様が、私と同時期に妊娠なされたのです。詩さまも、詩さまの奥様も、そして礼二さまも恐れています。不安がっています。詩さまの奥様がその子を出産した時に、礼二さまも、詩さまも殺されてしまうと。そして今度もまた、その呪いが新たな命に移ってしまうと。ですからどうかお願いします。この桐生院家の血に流れる呪いを、どうにかしてください」
 彼女は切実な顔でそう訴え、頭を下げた。



 Open→


【1】

「自業自得と言い切るには重い事よね。生まれてくる命には、関係の無い事なのだから」
 親族の因果を子孫が背負い、苦しむ姿はこれまでの依頼でも数多く見てきた。その度に感じてきた、受け継がれる血とは、それほどまでに何もかも背負うほど濃いものなのかと。
 シュライン・エマは憂いを含んだ溜息を小さく吐いた。
「それは人間の感性ゆえなのかもしれませんね。とかく人は血に執着しすぎますから。良くも悪くも。偉大なる者をその系列に持てば周囲からの期待にプレッシャーを感じ、血筋に犯罪者か何かが居れば、その血を忌み嫌い、劣等感を感じる。血などは然してその人間の在り様に大した影響ももたらさぬと言うのに。血…いえ、家という籠に人は哀しいぐらい囚われすぎてしまう」
 なるほど。セレスティ・カーニンガムは血と家がイコールだという。一族という家が人間に与える正と負の恩恵は、しかし確かに家が無ければ受け継ぐ事が出来ず、受け継ぐための資格は血となる。
 そしてそれはすこぶる重い。
 人間という種はどれだけ自由に飛び立っているように思えても、やはり受け継ぐものがあるのであればそれを受け継ぎたいと望み、それは血に縛られるという事で、結局は家という籠からは飛び立てていない。
 自らが罪を犯していないのに、親族に、血筋に罪を犯したものが居れば、その血は忌まわしき罪人の血筋となる。未だ部落差別など下らぬ事があるではないか。
 全てが、血、なのだ。
 人間は。
「そうね。血縁関係者にすごい芸術家が居るのなら、人はその血に過剰に期待して、自分も、って想っちゃうし、逆に大罪を犯してしまった人間が系譜に居れば、人は血を恥じる。血というのは良くも悪くも人の一生を左右するほど重いモノなのね。でも、それだけ血というモノに拘るのなら、桐生院家の血は、少なくとも桐生院礼の血は薄くなっているはず。だから負の遺産は、新しく生まれてくる命には背負わせる必要は無いわよ」
「ええ、同感です、シュライン嬢」
 草間興信所の応接室。
 所長のデスクにもたれかかるシュライン・エマは前髪を右手の人差し指で掻きあげながらにこり、と笑い、
 来客用のソファーに座るセレスティ・カーニンガムはこくりと頷く。
 デスクに腰を下ろしていた草間武彦はぱちん、と手を叩き、
 両手でお盆を持っていた草間零は、「お茶、煎れますね」、と嬉しそうに笑った。
 それらはこの依頼を受けるという事の合図で、そしてこれから作戦会議が始まるという合図であった。
 作戦会議でまず議題に上がった事は時間だった。
 桐生院詩氏の妻の状態はあまりかんばしくないとの事だった。下手をすれば………
 時間は無い。
「これは早急に事を進めねばなりませんね」
 応接用のテーブルの上にはセレスティの手によってタロットカードが並べられている。
 そのカードの一枚をひっくり返し、出たカードの絵にセレスティは微苦笑を口元に浮かべた。
 それは何だか気になるじゃない?
 シュラインは悪戯っぽく笑いながら今朝焼いたクッキーを彼の前に出す。
「何か面白い結果でも?」
「いえ。面白くは、ありませんかね。下手をすれば我々の敗北を意味する事ですから」
「それは………聞き捨てならないわね」
「いえ、聞き捨てておいてください。今はまだ、私にとっても予感という名の確信程度の事ですから。ええ、でも、シュライン嬢、キミもお気づきになられているのでは?」
 くすり、とシュラインは笑って、肩を竦める。
 初夏の風は興信所のカーテンを軽やかに揺らしていたが、
 しかし――――シュラインがそれを口にした瞬間に、風は強く吹き、乱暴にカーテンを揺らした。
「意識的にしろ無意識的にしろ嘘を吐いているかもしれない、って事? いえ、知っているか、知らないか、そういう事かしら? 確かに気になる事はあるのよね」
 唇に右手の人差し指をあてながら彼女はセレスティに魅力的なウインクをした。
 セレスティは肩を竦め、
 零はスカートを押さえながら、不吉な風が吹いた外を見据える。
 ここで草間武彦が咳払いをし、
 それにセレスティ、シュライン、零がくすくすと笑う。
 何が笑える? そう、サングラスの奥で細めた目で言いながら一同を睥睨した武彦は、役割分担を口にした。迅速的且つ効率的にこの依頼を解決するために。



【2】


 桐生院家の屋敷へとアポ無しで行くのは躊躇われた。
 依頼人の安井玲子は亭主である乙宮守には草間興信所にこの件を依頼する事は了承を得ていたが、しかし桐生院家には秘密であったらしいから。
 だからシュラインは携帯電話で彼女を呼び出し、近くの和風喫茶店で合流した。
 席はクーラーから離れた場所を選んだ。
 まるっきりクーラーが効かない訳でもなく、また効き過ぎてもいない席に陣取ったのはひとえにシュラインの女性らしい気配りの証拠だった。
 喫茶店の扉が開き、扉につけられていた鐘が奏でる音色と共に店内に安井玲子が入ってくる。
 抹茶ティラミスパフェを食していたシュラインと零は彼女の姿を見、口をおしぼりで拭うと席から立ち上がった。
 安井玲子はぺこりと頭を下げる。
 そしてシュラインたちが座っている席に来て、シュラインの前の座席に座った。
「いらっしゃいませ」
 冷たい水とおしぼりを持って来てくれた店員に玲子はクリームあんみつを注文し、喉を冷たい水で潤すと、少女のようにシュラインに小首を傾げて見せた。
「あの、それでお話とは?」
「ええ、実は」
 店内には琴の音が流れていた。
 それは上品で涼やかな雰囲気を演出し、
 そこに居るだけで華やいだ気分になれた。
 だが、だからこそシュラインはそれを口にするのを躊躇うかのように一拍置いた後に、口を開いた。
「例の件。うちがお受けした事件の事なの」
「あ、はい」
 もちろん、それは想像がついていたはずだ。
 どこか遠慮がちになったようにも感じる琴の音が静かに響き渡る中、シュラインは自分が口にする言葉が場違いなのか、それとも琴の音が白々しすぎるのか、そんな事を耳朶を愛撫する自分の声と琴の音に想いながら口を開いた。
「時計の事。時計を見せてもらえないかしら? それから例の彼の事を調べてみようと想って」
 覚悟はあったのだろうが、シュラインが口にした不吉な時計、そしてそれを調べるのだ、という行為への忌避の念が玲子の顔に浮かんだ。
 その場の空気を敏感に感じ取ったのか、店員は玲子の注文した品を置き、新たに書き足した伝票をテーブルの伝票入れに入れると、頭を下げて早々に去っていった。
「時計は桐生院家にあるのかしら?」
「あ、あの、えっと、ちょっと、待ってください。私は、知らなくって。でも主人なら、知っていると想います。少し、お待ちください」
 そして玲子は鞄から携帯電話を取り出すと、店の外へと行った。
 それから数十分後、彼女の旦那である乙宮守が現れた。
 彼は名刺をシュラインと零に渡し、弁護士らしい実に事務的な笑みを浮かべた。
「私はここに居る安井玲子の夫の乙宮守です。それで時計の件ですね。時計を調べれば、それの持ち主であった浮浪者の霊をなんとかできるかもしれないという事でしたが、しかしそれは実は私の方でも、桐生院の家でも既に調査済みなのです。ですがそれでも何もわからなかったのです」
 彼は眼鏡を外すと、目頭を疲れたように揉んだ。
 安井玲子は心配そうに夫を気遣っている。
「それでも私たちは調べますわ。どんなに無意味に思える事でも、それでもそれをいちいちやる事で、苦労や手間を厭わない事で、それでようやっと解決できた事件を私たちはいくつもこなしてきましたから。そういう事で得た、我が草間興信所の対怪異事件のノウハウを信頼していただけないでしょうか?」
 真摯な声でシュラインは言った。
 零も義姉の横でその凛とした笑みを真似しようとするかのように微笑んでみせる。
 咲き誇る二輪の花に、乙宮守は深くため息を吐いた。
「時計は桐生院家の菩提寺に収めてあります。私の方から桐生院家の菩提寺には話を通しておきましょう。私の名刺を見せれば、あの時計が見えるようにしておきます」
 菩提寺は鎌倉の方にあった。
 シュラインと零は足としてセレスティに車を運転手付きで貸してもらっていたので、その車で桐生院家の菩提寺まで行った。
 そして安井玲子もまたそれに同行した。
「あの、私も連れて行ってください。そ、その、何故か私も、私も一緒に行かなければいけないって、そう想うんです。だから」
「わかったわ。一緒に行きましょう」
「心配ありません。私たちがあなたはお守りしますから」
 そういうやり取りを経て、三人はここへと来た。
 しかし、
 菩提寺の門の前、着物を着た女性が立っていた。真っ白な髪の彼女は、きりぃっとした表情でシュラインを値踏みするように頭の先からつま先まで、そしてその隣の零を同じ目で見た後に、
 玲子を見据えた。
「ぁっ…大奥様」玲子は親に悪戯が見つかった子どものような顔をして、右手を口元に持っていた。親指の爪を口でくわえる。
 女性は厳しい表情で玲子の前に歩いてくると、彼女の頬を叩いた。
「何を勝手に貴女はしているのですか?」
 それはとても厳しい声だった。しかし、その厳しい声にシュラインは眉根を寄せた。零は知っている。それは翻訳の仕事をしている時、しばしば原作に感情の違う不釣合いな文章や、読者を騙す時に筆者が敢えて挿入する下手な文章を読んだ時に彼女が浮かべる表情だと。
 零は安井玲子が大奥様と呼んだ女性を見た。シュラインは彼女から、彼女の態度、仕草、言葉から、どのような違和感…直感を得たのだろうか?
 零の眉根が寄る。
「す、すみません、奥様。その、でも私は、私によくしてくださる奥様や、若奥様、それに詩さまのために」
「それが余計な事だと言うのです。乙宮は何をしているのですか? 嫁の管理もロクに出来ないで。とにかく貴女は余計な事に首を突っ込まない。貴女には桐生院の家の事は関係無いのですから。いいですね」
 そして今再び彼女はシュラインと零を睨んだ。



 +++


「さて、では我々も仕事に移りますか?」
 セレスティは優雅に女性陣を見送った後に事務所に戻ろうと武彦に目線を送った。
 しかし武彦はどうにもどこか機嫌を損ねて拗ねた子どものような素っ気無さで反応が悪い。
 形の良い顎をすらりとした指先で触りながら考える事数秒、
「先ほどのウインクですか? 大丈夫。誰もキミの妻を取ろうなどとは考えてもいませんよ。確かにシュライン嬢を大事に想う気持ちはありますが、それと同じくらいに私はキミを想っている。大切な物を二つも一度に失ってしまうような愚かな事を私がすると想いますか? それに私には友情と同等の価値を見出せる愛情という物を注ぐ事のできる女性も既に居ますしね」
「ごちそうさん。じゃなくって、違う」
「おや、妻が他の男と仲良くしていてそれで拗ねたのでは? 付き合っている事を内緒にしているばかりに周りのクラスメイトは気を遣ってくれる事無く、体育の授業のプールで恋人がプールに入る時に見えた意外に豊かな胸の谷間の事について語っていたり、同様にプールから出た後の水着の食い込みやら、夏の制服の薄さのせいで透ける下着について、あれこれと言われて、勝手に流水の如く怒っている中高生の男子のように」
「って、おまえ、なんだ、その後半のは?」
「青の青春という40年ほど昔のB級映画です。今夜はその第二弾、続青色の青春の放送日でしてね。それが楽しみなのですよ」
 Z級映画だろ、それは。武彦は頭を掻きながらにこやかに微笑むセレスティに毒づいた。
 興信所に入ったセレスティは苦笑して、ソファーに座り、半分氷が溶けている麦茶を口にする。
「では何をそんな風に拗ねているのですか?」
 ん? と、杖の天辺に右の手を上に両手を重ねて乗せた右手の甲に形の良い顎を乗せてセレスティは穏やかな慈父のように双眸を細めた。
「やめろ、そうやって穏やかな口調で嗜めるのは。田舎のお袋を思い出す」
「ああ、それは是非に会いたいですね。キミを育てたお母上に。そしてキミをちゃんと操る術をご教授していただきたいものです。や、でもそれはシュライン嬢にもご教授していただけますかね?」
 なんせ私がキミについて知っている操作術は、こうやってからかって、色々な面白顔を浮かべさせる事だけですから。
 セレスティはにこりと意地悪く笑った。
 武彦はソファーの背もたれの天辺に後頭部を乗せて、天井を見上げる。気だるげに。
 セレスティはくすくすと遠慮なく声を立てて笑った。
「キミは本当に素直ですねー。要するにシュライン嬢と零嬢、お二人に行動役を申し渡して、なのに自分が私とこうしてこの草間興信所でくすぶっているのが我慢できないのでしょう? 妻と妹が心配なのが半分、男のプライドが半分。ええ、でも私はキミのその態度を見て安心しました。これならいくら甲斐性は無くとも、それでもシュライン嬢のヒモ亭主になる心配はありませんから。シュライン嬢の未来も安泰ですかね?」
「おい」
 こいつ、全部わかってて、その上で俺をからかいやがって!
 武彦は大仰にため息を吐いた。
「出来る事を出来る人間がやる。それが合理的なシステムというものです。いたってシンプルでしょ?」
 セレスティはモバイルを取り出すと、それをソファーの上に置いた。
「時計はね、実際にそれを手に取らねば調べようがありませんから。ですからそれを調べる役はフットワークの軽いお二人にお任せしました。そして私は私もその間に私が出来る事をやる。なに、それ以外の事はこの情報化社会、外に出ずともね」
 武彦にウインクしたセレスティの指がピアニストの指が鍵盤の上で踊るようにキーボードの上で踊る。
 武彦もセレスティの後ろに回り、セレスティの顔の横から液晶画面を覗き込んだ。
 数字とアルファベットの意味の無いような羅列。それを画面は高速で次々と吐き出すように表示していき、やがてその画面には戸籍表から学校の成績表までのあらゆる個人データーなどが表示された。
「桐生院家の面々、詩氏が生まれる時に礼二氏と入れ替わったという執事、乙宮守、安井玲子、その外の桐生院家に携わる人間の全ての詳細なデーターがここにあります。まずはこれで呪いの元となっている浮浪者との関係がないかを調査。そう。そちら側から我々は浮浪者について調べようというのですよ。それに執事氏の事についても調べておかないといけませんしね」
「やれるのか?」
 これにセレスティは銀色の髪に縁取られた美貌に涼風のような涼やかで爽やかな微笑を浮かべた。
「私を、誰だと?」
 武彦は肩を竦める。そしておどけたような声で言った。
「セレスティ・カーニンガム」
 そしてセレスティは再びキーボードの上で指を躍らせて、いくつかの事実を表示させた。
 武彦は無理やり出した唾をカラカラの喉に押し流すように喉を流し、
 セレスティはやれやれとため息を吐く。苦笑混じりに。
「草間氏、我々も外出しましょうか? この綿貫紀子、という女性を探し出しに。この彼女なら、行方不明となっている執事の子どもの居場所も知っているはずです」



【3】


 シュラインは玲子を見た。
「私はあなたに依頼されたの。草間興信所の依頼主はあなただわ。だから私たちはあなたの依頼だけを忠実に守ればいい。それで、あなたはどうするの?」
「私は………」安井玲子は自分のふっくらとしたお腹を手で触りながら俯いた。
「すみません。私は………奥様には、逆らえませんから………」
 幼い子どものように彼女はそう言う。
 だけど彼女に対するシュラインは優しかった。
「お腹の中のお子さんがそう言う?」
 それは占い師に自分の悩みを相談する前に、その相談しようとしていた事を言われた相談者のような顔だった。
「どうして?」玲子は呆然とした声で言った。
 だけどシュラインはもう彼女を見てはいない。シュラインが見ていたのは桐生院礼二の妻、桐生院秋子だった。
「こんな所で立ち話をしていたら玲子さんの身体に悪いわ。だからお寺のお部屋をお借りして、そこでお話ししませんか?」
「貴女………」
「溺れる者は藁をも掴む。だけど藁では深い底無しの罪の海から浮上できませんよ? そして私たち草間興信所は、深い底無しの罪の海で溺れるあなた方を救える手を持っている。ここでもしもあなたの小賢しい悪知恵の通りに上手く行ったとしても、それでもそれで亡霊は消えませんよ? ずっと呪いは続いていく事になる。関係の無い血筋でか、それとも悪霊をひとり増やして、桐生院家の血でか。後者は確実に本望ではありませんでしょう?」
 風が吹き、周りの木々の枝や葉が揺れる音がまるで海の波の音のように聴こえた。
 樹海、そういう言葉の起源を感じさせるように。
「あなたの取った手段は前と一緒。解決するための手段ではなく、ごまかすための手段です。それもまた、実に罪作りで、惨い。それでは悪霊が成仏する可能性はゼロ。ですが我々は、やれるかもしれない。絶対やれない、と、かもしれない、ゼロと0、1とではあまりにも大きな違いがあると想いませんか?」
 桐生院秋子は押し黙り、シュラインを睨みつけていた。
 事態の展開についていけていなかったような玲子はしかしここで、シュラインの両腕をすがり付くように両手で掴み、詰め寄る。
「それはどういう、どういう事でしょうか、シュラインさん?」
 だけど零が唇の前で右手の人差し指を立てた。
「しぃ。静かに。聞いています」
 そして零は、赤い瞳を哀しげに細めて、秋子を見た。
「あなたは、あなたもどうやら監視されているようです」
 だがこれに、秋子は、東大出の教師が間違った答えを意気揚々と言った出来の悪い生徒を見下すような笑みを浮かべ、顔を左右に振った。
「契約相手だから良いのよ」



 +++


 とある老人施設。
 そこのグループホームにセレスティと武彦は来ていた。
「こんにちは」
 セレスティが穏やかに話しかける。
 そしてその相手は、「まーろちゃん」、と古びたぬいぐるみをセレスティに見せて嬉しそうに笑った。
「セレスティ、言いたくはないが………」
 言い難そうにする武彦。
 が、次に彼はサングラスの奥で双眸を開け広げる事になる。
「60点。どれだけ演技しようがね、心の目で物を見る者にはわかるものなのですよ?」
 セレスティが事も無さげに言った言葉に綿貫紀子は怯えた。
 それは、演技ではないようだった。
「出ましょうか?」
 セレスティは杖をつき歩き、
 綿貫紀子を乗せた車椅子を武彦が押して、
 三人は施設から出ると、そこからすぐ近い場所にある公園へといった。
 初夏の日差しが少し眩しいが、それ以外は爽やかな空気に、微風があって、気持ち良かった。
 木々が鳴り、それにあわせて歌うように野鳥の鳴き声がする。
「あのような場所に居るよりもこうした場所に居る方が気持ち良いでしょう?」
 穏やかに言うセレスティに、しかし彼女は顔を振った。
「少なくともあそこに居れば桐生院家の目はごまかす事は出来る。皆、私以外の皆、桐生院家………桐生院秋子に殺されてしまった」
 武彦は火のついていない煙草を口にくわえ、
 セレスティは瞼を閉じ、髪を風に遊ばせる。
「我々はあなたにそれを聞きに来たのです。24年前、桐生院礼二の妻である桐生院秋子の出産に立ち会った、看護士であったあなたに」



 +++


「ねえ、このお嬢さんたち二人、殺す事はできて?」
 それは独り言ではなかった。
『けけけけけけ。それは契約には入ってはいないな。新たな契約を結ぶとしたら、また他におまえさんから貰わなくっちゃならないモノが増えるが、それでもいいかい?』
「構わないわ」
 桐生院秋子は即答した。
 そして転瞬、秋子は着物の胸元を鷲掴みながら苦鳴をあげ始めた。
「お、奥様」
『契約成立。では奥様。いただきますよ、契約としてあなたのお命を』
 桐生院秋子の傍らに包帯をぐるぐる巻きにした亡霊が現れた。
 安井玲子は悲鳴をあげ、気絶をし、
 その彼女をシュラインは支える。
 そして彼女は言った。皮肉げに。
「知らないの? 詳しい契約情報を提示されずに結ばれた契約はいつでも無効に出来るのよ」
 シュラインの傍ら、大鎌を手に持つ零が、それに踊りかかる。
『おっと。そんなのに殺られるかよ』
 けっけっけと笑うそれは包帯を取り外しにかかった。
 するとそれの身体が実体化をはじめる。
『久々に女の身体、切り刻む感触を楽しませてもらうぜ。色気のある女に、珍しい感じの小娘、それに妊婦、こいつは久々にご馳走だな』
 それは痩せ細った男だった。そいつはおもむろに宙から現れた柄も何も無い刀身だけの刃を口にくわえ、手の甲に突き刺した。
 そのままずぶずぶと刺していく。
 刺し貫いていく。
 それを両手に。
 そうして舌で唇を上下舐めまわして、いやらしく笑った。
『こうするとなー、感じるんだよ。びんびんに、ダイレクトに。人を切り刻む感触が。特に女。女は抱くよりも、切り刻む方が俺は趣味だ。イッちまうよ』
「この変態が」
 シュラインは吐き捨てた。
 気丈に男の亡霊を睨み据える。
 それに対抗する力は無くとも、心は折れる事を知らなかった。
『あはははは。これだからやめられないぜー、悪霊って奴はよぉー』
 零が大鎌を構えて、シュラインの前に陣取る。
 両手の刃が、その大鎌を襲う。
「この人、早い」
 刃は零の身体を切り刻んでいく。
 超回復。切り刻まれるそこから回復していこうが、しかしそれは痛みが消え、失われた血液が回復する訳ではなかった。
 きゅっと引き締めた零の口から苦鳴が零れ、
 その度に男の下卑た笑みが深まる。
「あっ」
 零のダメージはたまり過ぎていた。
 足を滑らせて、彼女は転ぶ。
 男はカマキリのように両手の刃を振り上げ、
 しかしそこにシュラインが肩からの体当たりをした。
 だがびくともしない。
『抱きしめてやるぜ』
 シュラインの体当たりを胸で受け止めた男の下卑た顔が最上級に高まり、
 シュラインを刃が突き出す両手で抱きしめんと、
 だがその瞬間、男の悪趣味な両腕は肩から切り離された。
 その傷口から血液が噴き出す代わりに、男の口から悲鳴が迸る。
 シュラインは安堵の笑みを持って振り返った。
 そこにセレスティ・カーニンガムが立っている。
 男とセレスティの間にある虚空には虹。
 だがその虹の架け橋が繋がる場所とは、どこなのだろうか?
 岸か、死期か?
『てめぇかー、このスカシ野郎がー』
 男は歯を剥き出しにして、セレスティへと駆けて行く。
 そのまま歯でセレスティの首筋に噛み付き、頚動脈を噛み切るつもりか?
 ―――――愚かな、真似を……………。
 それを観察者がわざわざ語るまでも無くおわかりだろう―――
 セレスティはクールに微笑んだ。
 涼やかな笑みだ。
 まるで大理石を削って作り上げたかのような美しき彫刻のような精緻な美貌には、焦りも恐怖も、そんな彼には不釣合いな表情は微塵も浮かばない。
 ただ彼は事実を疑わぬ余裕の美しい笑みを浮かべて、少しだけ右腕を振るうだけ。
 そうすれば、男の両足は粉々に切り刻まれ、
 そして次に腰が、
 胸が、
 最後に頭部が、切り刻まれた。
 それは瞬きするほどの間に起こった事だった。
 だがそこに居る全員が聞いている。
 それが、『ホントウ ノ コト イッテ ヤル アイツラ ニ』、と、言った事を。
 しかし今は、
「大丈夫か、シュライン、零」
 武彦はシュラインに駆け寄り、そして次に零を見て、二人の無事を確認すると、安堵のため息を吐いた。
 そんな武彦の顔にシュラインは優しく微笑み、だけど桐生院秋子を見つめるセレスティの顔を見て、彼女は憂いの表情を浮かべた。
 桐生院秋子の魂は、持っていかれていたのだ。
 そして安井玲子がお腹を両手で押さえ、悲鳴をあげ始めた。
「玲子さん。玲子さん、しっかりしてぇ!」
 シュラインは叫び、
 零は口を片手で押さえ、涙目となり、
 セレスティと武彦は顔を見合わせ、頷きあった。
「私の車に運んでください。救急車を呼ぶよりもそちらの方が早い」



【4】


「妻は?」
 病院に駆け込んできた乙宮守の第一声はそれだった。
 病室の外の廊下、車椅子に座るセレスティは彼に事の詳細を説明し、そしてそこに飲み物と食べ物を買いに行っていた武彦が戻ってきた。
 廊下のやり取りが聞こえてきたのか、シュラインが病室に玲子と零を残して出てくる。
「お腹の子にも、玲子さんにも異常は無いそうよ。今日一日は大事を取って入院して、明日には帰れるそうだから」
「そうですか」
 乙宮はほっとしたように溜息を吐き出すと、廊下の壁にもたれ、そのままずるずるとしゃがみこんで、疲れたように両手で顔を覆った。
「乙宮さん。今回の件に付いて、お話したい事があるの。ええ、重要な事」
 シュラインと武彦、乙宮とで病院の中にある喫茶店に移った。
 喫茶店は静かで、従業員もカウンターの奥に引っ込んでいるので、シュラインたちの他に人は居なかった。
「桐生院秋子さんは亡くなりました」
「ええ。桐生院家は大変な事になっています。詩も…」
「だけど彼もその妻も、私たちが知った事実を話せば、複雑ではあるけど、最大の悩みからは解放されるでしょうね」
 乙宮守はノーフレームの眼鏡のレンズの奥で双眸を細めた。
「それはどういう事ですか?」
「桐生院秋子さんはただひとり、秘密を抱えて死んでいったつもりだろうけど、私たちはもう彼女が犯した新たな罪の事を知っている。あなたは、あなたも知っているのかしら? 乙宮守さん。詩氏が執事の子であり、そしてあなたの奥さんである玲子さんこそが本当の桐生院礼二氏と秋子さんの子どもだと」
 しばし間を置いて、乙宮守は大仰なため息を吐いた。
「よく調べましたね。その事実は誰も知らなかった事でしょうに。いえ、私にでも調べられたのですから、プロの方の手にかかれば容易ですか。まったくもって桐生院秋子とは怖ろしい女です。玲子よりも三時間早く生まれていた詩を自分の子どもと摩り替えたのですから。執事の彼もね、自分の子どもが生まれるからこそ桐生院礼二の掲示した金額に誘われて、あの例のすり代わりを了承したらしいですよ。詩の言は、言の葉、言霊の意。寺はそのまま寺。嘘がまた死人を出すかもしれないが、それでも今度のその魂は悪霊とならぬように、との言の葉の呪なのだそうです。詩という口に出した嘘(言葉)がばれても、それが悪霊とならぬように。私もね、この歳で桐生院家の弁護士となるのに、詩と幼馴染だからなれた、などと陰口を叩かれるのもシャクだったし、それになによりも詩はかけがえの無い一番の友人だったから、だからこの件を色々と調べて、そして事の真相を知ったのは一週間前でした。私のその姿を見ていて、玲子も決めたのでしょうね。あなた方、草間興信所に今回のこの件を依頼するのを」
 そして彼は眼鏡を取ると、深々と頭を下げた。
「改めて私からあなた方、草間興信所にご依頼をしたい。私の妻と詩を助けて欲しい。呪われた桐生院の家など、亡霊に滅ぼされるのならそれで良い。ただ、妻と詩たちが無事に済むのなら、それが一番です。失礼ながらあなた方の事は私も調べさせていただきました。だからこうしてお願いしているのです。どうか、お願いします」
「ええ、任せてちょうだい」
 しかしそこに零が飛び込んできた。
「大変です。玲子さんの容態が、急変しました」



【5】


「どういう事なの? 出産予定日にはまだ二十日ほど早いのでしょう?」
 シュラインが分娩室に運ばれていく玲子を見送りながら下唇を噛む。
「悪霊どもの復讐、という事でしょうか? またしても自分たちを騙す桐生院家への報復として」
 セレスティは車椅子から立ち上がった。
「だったら、奴らは直ぐにでも桐生院礼二を殺そうとしている?」
「そうね。そして、玲子さんも。二十日も早く出産させる事で、それで桐生院家の血筋を途絶えさせる気かしら?」
「執事の方は説得できる可能性はある。問題は浮浪者の方ですか。失敗しましたね。これから菩提寺に行き、時計を得て、調べる時間が惜しい」
 だがそれに乙宮守が、
「時計ならここに。病院に来る前に受け取ってきました」
 と、鞄から時計と古びた帳面を出した。
「時計と、それから桐生院礼が浮浪者に書かせた書類や契約書である帳面です」
「助かります。では、調べさせていただきましょうか」
 時計と古びた帳面、それに手を触れて、セレスティは視る。
 それは情報保有物から読み解く力。運命を視る力。
 時計を媒介として、それを持っていた者の運命を視る。
 ―――――視えた。



 +++


 そしてセレスティ・カーニンガムはここに、桐生院家屋敷に居た。
 目の前には桐生院礼二。
 彼の背後には、執事の悪霊。奇怪なピエロの格好をしたその悪霊は、大きな玉の上に乗って、その玉を転がしながら笑っている。
 唄っている。桐生院礼二への恨みの念を。
 恨みの歌を。
「無意味な事はやめてはいかがですか?」
 セレスティは言った。
「無意味? 何が無意味な事なのか。こいつは俺を騙したのさ。しかも俺の子どもを自分らの子どもとして戸籍登録して、俺を自分の身代わりにしたように、俺の子どもをこいつの子どもの身代わりにして、そうして俺様らに殺させようとしたんだ。それを許せってか??? 許せるかYoooooo」
 ピエロはセレスティに向かってくる。
 その顔にはもはや破滅しかなかった。完全に我を失っていた。恨みの感情に。
「キミの子どもは桐生院家の子として育てられ、何不自由無い生活が出来ていましたが、しかし、それは確かに呪いへの恐怖の代価としては見合うものではありませんね。それでもキミの子どもは曲がる事無く強く生き、結婚をして、子を成した。それだけの精神力の強さは賞賛に値します。だからキミも、そろそろ父親らしくしたらどうでしょうか?」
 セレスティはペットボトルの水を振りまく。
 その水は、神社で汲んできた霊水であり、それをセレスティは操る。
「終わりです。キミの悪夢も」
 そう告げた瞬間だった、
 圧倒的な力で撃ち出された無数の霊水の水珠がピエロを撃ち抜き、滅ぼしたのは………。
 最後の最後、撃ち出す水の珠が、ピエロの眉間を貫いた時、しかしその時の彼の顔は、優しい父親の顔だった。
「ありがとうございました。後の事を…息子をお願いします」
 執事はぺこりとセレスティに頭を下げて、成仏した。



 +++


「どうしてあなたが、出産時を狙って呪いをしかけてくるのか、ずっと不思議だった。だけどあなたの事を調べて、わかったわ。あなたは戦争から帰って来て以降ずっと探していた家族を見つけた。でもようやく見つけた妻と子どもは長崎に落とされた原爆の影響で病気となっていて、その治療代が必要で、だから時計を質草にしてお金を得ようとした。でも、ダメだった」
 分娩室の前。
 シュラインは扉の前で佇んでいる。
 哀しげな瞳で、憐れむように彼、桐生院礼に殺され、以降ずっと桐生院家を呪ってきた彼を見据えながら。
「そうだ。俺はようやく家族を見つけた。妻と娘を見つけた。だけど妻は酷いケロイドで、娘は白血病で苦しんでいた。俺は、俺は戦争に行っていて、二人を、妻と娘を守り切れなかったんだぁー」
 男は泣き叫んだ。
 啼いた。
 シュラインはせり上がってくる嘔吐物を無理やり飲み込み、気丈に立っている。
 男を見据えている。
 廊下はいつの間にか異界とかしていた。
 墓場のように寒く、
 この病院で死んだ人間たちがうろうろとさ迷っている。
 恨めしそうに、哀しそうに、シュラインを見つめている。
 男は泣きながらシュラインを押しのけ、分娩室に入っていこうとする。
 安井…桐生院玲子を、殺すために。
 シュラインはそんな彼に深い慈愛の篭った笑みを浮かべた。
 そして異界の冷たい空気を吸って、
 口を開く。
「あなた、ありがとう。だけど、もういいのよ。だから、お願い。楽になって」
 男は動きをとめて、嗚咽を漏らすように声を漏らした。
「ぅぁぁあ………」
 それは妻の声だった。
 彼の妻の声だった。
 セレスティの能力によって時計と帳面から読み取った彼の素性、想い。
 それを基に彼の家を、家系を辿り、その子孫へと行き着いたのだ。
 最初に電話に出たのは、幼い女の子どもだった。
 そしてその子の母親、彼の孫娘にシュラインは全ての事情を話した。
「お父さん、あたしね、結婚したのよ。あたしが入院して、通っていた病院のお医者様。白血病のあたしが子を成すのは怖ろしかった。子どもに申し訳なかった。だからあたしは、最初は結婚も断っていたの。でも、彼は、あたしの病気を知り、理解してくれた上で結婚してくれて、そして二人で相談しあって、よく話し合って、子どもを産んだの。子どもにあたしたちがどれだけ悩んで、話し合って、でもどれほどに子どもが欲しくって、愛しているかを子どもに話すようにして、子どもに話して、子どもの感情から夫婦二人で逃げずに、受け止めていこうって、愛していこう、家族で頑張っていこうって、そう決めて。それでね、お父さん、あたし、子どもを産んで、その子も無事に育ってくれて、また子を産んで。あたしは幸せなのよ、お父さん。あたし、お父さん、幸せよ、今。あたし、幸せなの、お父さん」
 シュラインは泣き笑いのような笑みを浮かべる。
 娘が最愛の父に話しかけるように。
 苦しむ父を悲しむ娘のように。
 シュラインは切々と電話の向こうで、彼の孫娘が読んでくれた、彼の娘の日記の文面を口にしていく。
 彼の娘の声で。
 その声は、一番最初に電話に出た娘の声。
 妻の声は、彼の孫娘の声。
 彼は泣いていた。
 泣いて、
 ないて、
 泣き崩れて、
 その場に座り込んだ彼は、子どものように泣き続けて、
 シュラインは彼を抱きしめて、
 最後に言う。
「あなた、ありがとう」「お父さん、ありがとう」
 その瞬間、廊下は元の廊下に戻っていた。
 そして、シュラインは見たのだ。
 病院の廊下、ようやっと探していた人たちに出逢えて、幸せそうに笑う男と、
 優しそうに微笑むその美しい妻と、
 かわいらしい元気な女の子、
 その家族三人で、黄金色に輝く空へと、逝く光景を。
 その光景を見据えながら、
「おやすみなさい」
 そう呟くシュラインの頬を一筋の涙が伝った。



【ending】


 病院の中庭には蛍が飛んでいた。
 それを慈しむように、
 または哀しげに見据えるシュラインの横に、
 武彦が立つ。
「安井玲子さん、彼女も子どもも無事で、良かったな」
「ええ」
 シュラインは頷き、そして武彦の胸に額をあてる。
 武彦の手は自然とシュラインの頭に行き、そっと彼女の髪を撫でた。
 武彦からでは見えない。シュラインの表情は。
 でもシュラインは微笑んでいた。微笑む、という表情。その表情の起因する感情の名前は、だけどどのような言葉でも言い表せない。それはまだ、言葉による名前がつけられてはいない、言葉には出来ない、そういう感情だから。
 そういう愛しく、大切な感情だから。
「ありがとう、武彦さん」
「ああ」
 優しく苦笑するような感じで、武彦は言う。
 そして次にシュラインは悪戯っぽく笑う。
「今日は嬉しい事だらけね。最愛の夫に優しくしてもらって、しかも妬きもちまでやいてもらえて」
 うぐぅ、と引き攣ったような表情をする武彦。その後に病院の屋上の方を見ながらセレスティめ、と呟き、ふふん、と笑うシュラインから武彦は不器用に眼をそらす。
 くすくすと笑いながらシュラインは武彦の腕に自分の両腕を絡ませた。
「本当に嬉しかったわよ、旦那様。ほら、妬きもちは愛されている証拠だから。妻としては自分が愛されていて、しかもまだまだ女として見られている、ってすごく嬉しくって」
「だから、妬きもちじゃない………」
「あら、じゃあ、私が浮気をしてもいいの?」
「それは…」
「それは?」
 言い辛そうにする武彦にシュラインはくすくすと笑い、そしてじっと武彦の次の言葉を少女のように小首を傾げて待っている。
 優しさげに細めた瞳で武彦の困った顔を見据えながら。
 そうして武彦は、蛍が舞う中で、シュラインに唇を重ねた。
「これが、答えだ」
「はい、旦那様」
 くすくすと笑いながらシュラインはくしゃっと前髪を掻きあげる武彦の空いているもう片方の手を繋ぎ、そうして周りの蛍の燐光を見つめた。
 慈しむように、憐れむように。


 →closed



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、シュライン・エマさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 ご依頼、本当にありがとうございました。



 まずはご明察通りに安井玲子が桐生院礼二と桐生院秋子との間に生まれた子どもでした。^^
 礼と玲、れい、という呼び名を残し、子と最後につける事で、れいのこ、玲子、で、礼という字をつける桐生院家の習わしを平仮名でも守ったのは秋子が桐生院家という場所に嫁ぎ、その伝統を護っていくのだ、という彼女なりの矜持の表れだったのです。
 守、は、その名の字の通りに守るために存在する男で、秋子は彼に英才教育をし(孤児で、桐生院家に引き取られ、様々な金銭の援助を受けていました。)、男として立派に育て上げて、そうして玲子と結婚させて、何不自由無い暮らしを娘に秋子はさせようとしていたのです。
 メイドとして玲子を雇っていたのはやはり子どもを傍に置いておきたい親心と、それと心配だったのですね。
 玲子は秋子の家と関係のある安井家に預けられ、その養育費は秋子が払っていました。
 ちなみに事の真相は全て伏せられています。
 知っているのはシュラインさんたちと乙宮守だけです。
 それが裏に隠されていた真実でした。


 シュラインさんの気丈なところ、女性らしいきめ細かさ、優しさ、そういうのを駆使して書くのは凄く楽しく、
 そして私がシュラインさんを書く上で大好きな設定はやはり、声、でしょうか。
 シュラインさんの声帯模写能力は、やっぱり絶対的には普通の人間でいらっしゃるシュラインさんが、だけど危機を乗り越えたり、誰かを諭したり、助けたりする上では絶対に私の中では欠かせない能力であり、
 何が嬉しいかといえば、やはりその能力はシュラインさんの優しさをすごく表現させてくれる、という事だと想います。^^
 今回のお話で言えば、男の妻と娘の声の声帯模写ですよね。孫娘がその時の妻の年齢と一緒で、その子が彼の娘と同じ歳、という設定がありまして、だからその声をシュラインさんが口にする事で、娘が父へと残していた日記を娘の声で言う事で、妻の声でなりきって、夫への労わりを口にする事で、彼の眼を目隠ししていた怒りを、消す事が出来たのですから。
 だけどそれって、どれだけ綺麗な台詞を口にしても、感情が篭っていなければ、ただの言葉の羅列となってしまうように、シュラインさんの凛とした気丈さ、優しさが無ければ、それは物真似で終るんですよ。
 シュラインさんが出す声が、その時々の相手の欲するモノとなるのは、やはり敵すらも憐れみ、哀れむ事の出来るシュラインさんの優しさがあるからだと想います。
 だから私は、シュラインさんの優しさを、感性を一番に表現できるこの能力が好きだったりします。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、ありがとうございました。
 失礼します。