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<東京怪談ノベル(シングル)>


「蒼い宝石は毎夜 海に沈む」
 
 
 
 魂には重さがある。
 死にゆくヒトの重さを量ると、死後、21グラム減るという。
 しかし、ほんとうにそれだけしかないのだろうか。
 物質は加速すれば加速するほど重くなり、力を増す。
 なら、思いつめ、思いつめ、思いつめ、拘泥し、懊悩し、身の内側で加速しつづけた魂は、いったいどれだけ重くなるか。
 いったいどれほど力を増すか。呪いの力を、祝いの力を。
 古物には何かが宿るというならば、それは鬼か魑魅か、生き霊、死霊。
 八百万の神を讃える日の国ならば、そこに何が宿ろうとても不思議はない。
 一神教の国だとて、神の御業と頭を下げて、悪魔の仕業と石を拾う。
 アンティークショップ・レンにある、古物はいずれも影をもつ。
 影とは、そこに宿った何者かの隠しきれない自重の澱。見えずとも心に感じるその気配。
 見るものは、その圧迫の気配に戦慄き、しかし目を離せずに、心引かれる。
 まるで連星が互いの重力に引かれ合ってめぐるように、離れては近づくを繰り返す。
 今日もまた、ひとりの少年が古物屋に訪れて、とある品に興味を引かれているのであった。
 
 
 「気になるかい?」
 碧摩蓮は、ショーケースをじっと見つめる尾神七重に声をかける。
 少年は視線をあげ、うん、とうなづき、視線を落とす。ガラスケースの中にある、蒼い宝石。その首飾りに視線を戻す。
 じっと見つめる尾神に、碧摩蓮はショーケースからそれを取りだす。
 「これはねえ、沈没した豪華客船からサルベージされたものなんだってさ」
 ガラスケースに紅の絹生地を敷き、そこに置く。
 まるで光届かぬ深海のよう、石の蒼に自らキラメク気配はない。
 だが見つめれば見つめるほど、その蒼色に視線は奪われ、石の奥に吸い込まれてく。その中に焦点が引きずられてく。沈んでいく。蒼い闇に。その奥に。
 いけない、これはいけない、と尾神は思うが、まるで頭からがっしと抱えられてしまったみたいに目が離せない。
 
 
 狭い通路を女は進む。
 もはや床は斜めになって、壁にしがみつくようにして下っていく。
 背後からは海水が流れ落ち、ときおりその流水に足をとられて、おおきくよろめく。
 ヒールはすでに捨てていた。爽やかなライトブルーのドレスは、びしょびしょに濡れそぼって身体に張り付き、長い髪も顔から首にまとわりついてしまっている。
 悲壮で懸命な形相も、胸元のペンダントを握りしめるととたんに緩む。
 白昼夢を見ているような虚ろな瞳。半笑い。
 行かなくちゃ――行かなくちゃ。あなたのところへ。
 つぶやきは水の流れ込む轟音にかき消され、行く手から、また後ろから、パニックをおこした人たちがすれ違ってく。床に座り、泣きわめく子供たち。傷を負い、倒れて動かぬ大人たち。叫ぶ。叫ぶ。誰もが愛するひとを求めて叫ぶ。けど沈みゆく船のなか、誰も正しい判断なんてできはしない。互いの叫びと揺れる船に恐慌を煽られて、右往左往を繰り返すばかり。
 女はひどく羨ましそうな顔をする。
 抱き合う男女が目に入ったのだ。このふたりはきっと、この先の人生で得ようと願っていたものが、すべて失われたと観念したのだ。ふたりにはもう互いしかなく、互いが己のすべてになった。ひとつになった。だから岩のように固く抱きしめ、抱きしめ合って動かなかった。
 そうよ――わたしも。
 女は悔しそうに、自嘲のようにくつくつと笑いながら先を急ぐ。
 離れ離れで死にたくないわ。
 離れ離れで、死にたくないわ!
 あなたと一緒に、あなたと一緒に!
 その気迫は、通路の壁に爪さえも食い込ませた。
 
 ふと、尾神は石の見せる幻に、その爪が自分の喉を、薄い胸を刺したように感じてしまう。
 女の指に、小さな手に、か細い腕に、鬼のような力を感じる。
 船の通路は底が抜け、昏い海があふれ出す。あっという間に水に満たされ、通路にはいくつもの身体が浮かぶ。死んだ身体。窒息にもがき、痙攣しながら死にゆく身体。苦しくて、苦しくて、意識が朦朧としながらも、なお岩のごとく抱き合う恋人。家族たち。
 行かなくちゃ――
 女はなおも進んでいく。通路の先へ、奥へ、奥へ。壁に、床に爪を刻んで進んでいく。
 海に沈んだ船のなか、尾神はなおも喉から胸を女に掴まれ、引きずられてく。水中で酸素が欲しいとあらがうが、逃げられない。息ができない。水が喉につまってく。肺に水が満たされる。かぽ、と喉の奥から最後の空気が逃げていく。血液に酸素はなく、四肢は硬直、舌も動かず、喉を塞ぐこともない。一度、喉の奥がびくりと跳ねたが、満たされた海水が重たく動いただけだった。
 視界が暗く消えていくなか、「行かなくちゃ――」そうつぶやいた女の指が、力をなくして浮かんでいった。
 
 
 
 「どうだい? 少年」と碧摩蓮。
 尾神は神妙な面持ちで意識を戻す。
 「発見された当初はずいぶん騒がれたみたいだけどねえ。いわくつきで、誰も欲しがろうとしないのさ」
 女主人に顔をあげる。
 「いわくつき?」
 「そう、これを所有していたひとはね。みんな、海の底に引きずり込まれる夢を見るんだ。溺れ死んでく体感は、ほんとうに怖いらしくて」
 尾神はかすかに顔をしかめる。碧摩蓮はその微妙な変化にニヤリと微笑む。
 「あんた、勘がいいみたいだね。どうだい? 気に入ったんならあげるよ。代金はいらないさ。前の持ち主もさ、買うというのに金も貰わず、押し付けるように出てったからさ」
 「気に入った、わけじゃないです。けど、行きたいところがあるみたいですから。そこへ行かないと、この石は女性の悲しみを再生し続けるだけですから。それじゃ、彼女も苦しいだけですから。もう、終わりにしてあげましょう」
 尾神は蒼い宝石、首飾りを手に帰路に着く。
 そしてその晩、また夢を見た。
 
 
 
 行かなくちゃ――
 行かなくちゃ――行かなくちゃ。あなたのところへ行かなくちゃ。
 離れ離れで死にたくないわ。
 あなたと一緒じゃなきゃ、イヤなの。
 
 行かなくちゃ――
 行かなくちゃ。あなたがひとり沈んだ海へ。
 海で死んだあなたのもとへ。あなたのもとへ。
 ひとりでいるのは寂しいでしょう?
 わたしがいなくて寂しいでしょう?
 あなたのところへ行きたくて、せっかく船を沈めたのに。
 素敵な墓標を届けたくって、せっかく船を沈めたのに。
 
 どうして――どうして、わたしはここにいるのっ!
 あの海へ! あの海へわたしを帰して!
 あの海へ、あの海へ! あの海の底へ!
 行くの、行くのよ!
 あのひとが待ってるんだからっ。
 あの海の、あの海の底で、彼が待ってるんだからっ!
 
 
 
 
 「……イヤな夢」
 ため息をつき、尾神はさっそく女の沈んだ海へ向かう。
 かつて豪華客船が沈んだ海。
 小さな島の港町に降り立つと、沖に出る船はないかと訊ねて回る。
 そうしていると、ふと気になった。
 波止場に佇むひとりの老人。
 尾神は引きずられるよう、振り返る。
 たしかに女の恋人を探していた。彼の沈んだ海を探していた。
 けど、彼は沈んではいなかった。
 老人に付き添う娘は苦笑する。
 「むかし、大嵐で漁船が難破したんだって。その破片にしがみついて、爺ちゃんは奇跡的にこの島に辿り着いたの。でもそのとき記憶がなくなっちゃって。まあ、もうこの年でふつうにぼけちゃってはいるんだけどね。いっつも、こうやって港に来ては海を見てるの」
 そうですか、と尾神は寂しそうに目を伏せる。
 「これ、あなたのところへ来たがっていました」
 首飾りを受け取ると、老人は声をあげた。呻くような声は、その内容を判然とさせない。
 ただ、泣きむせぶ老人を前に、尾神はしばらく動けなかった。そこから歩きだせなかった。
 蒼い宝石、その昏い底から何百という死の影が、女に道連れにされてしまった乗客たちが、怨嗟の息を発している。
 その影の重さに引きつけられる。老人が首飾りをポケットにしまいこみ、ようやく尾神は歩き出せた。
 「ごめんなさい」
 尾神はつぶやく。あの石にこれ以上関わることを忌避したかった。あの数の怨霊は手に負えない。たとえあの老人を見殺しにするとしても。これはあの恋人たちの問題だから、そう理由づけた。
 数多の怨霊は自らを死に追いやった女を呪い、その恋人の男も呪う。
 女はしかし、男をかばい、しかし女は男を誘う。
 「――私の沈んだ海に来て」
 
 
 翌朝、島を発つとき、尾神は聞いた。
 老人がひとり、昨夜から行方知れずと。
 
 
 
 
 
 
   <了>
 
 
 
――――――――――――――――――――――――――
 
 はじめまして。
 ライターの瀬ノ内淳です。
 このたびはご依頼、ありがとうございました。
 シチュエーションが面白かったので、どんどん話が膨らんでいってしまいました(苦笑
 また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。