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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の迷宮 4

 ある日の仕事帰り、碇麗香と偶然出会った草間武彦は、彼女からイベントのチケットを譲り受けた。東京湾の沖合いに、人工島を造って建設されているテーマパークの、開幕前夜のイベントチケットだという。
 当日、草間は零と友人たちと共に、その人工島へと向かった。
 だが、その島で気づいた時、彼は名前以外の記憶の全てを失っていた。
『キングを倒せ』
 その脳裏に、不可解な声が木霊する。
 失われた記憶を取り戻すためと、言葉の謎を解くため、草間は互いの素性を知らないまま、巡り合った零や友人たちと共に、手掛かりを求めて島をさすらった。
 その結果得られたのは、この島の地図と、キングはこの島の王であり、記憶と時間を操る存在だということと、キングの住まう館の位置だった。
 それは、島の中央に二つ並んだ小高い丘の、西側の頂上に建っているという。
 麓の関所を突破した零たちだったが、草間は敵に捕らわれたのか、応答がない。おそらく、キングを倒せば彼もまた解放されるに違いないと信じ、零たちはそのままキングの館を目指すことを決意した。
 やがて彼女たちがたどり着いたのは、キングが支配する街タルナ。街を見下ろす小高い丘の上には、キングの館がはっきりと見えていた。
「あそこに、キングがいるんですね。……そして、それを倒すことができれば、私たちの記憶も戻り、タケヒコさん……いえ、お兄さんもきっと解放される……」
 零は、低く呟いて、その館を見据える。
 関所で手に入れたパスを使って、兵士のふりをしてキングの館に潜り込む――そう決めた零と仲間たちは、いよいよそれを実行に移すのだった。





【1】
 シュライン・エマは、ロビーの窓から丘の上に聳えるキングの館を見やって、小さく溜息をついた。
(ようやく、ここまで来たのね。……待っていて、武彦さん。かならず、助けるから)
 呟く彼女の胸には、まだ関係ははっきり思い出せないものの、自分にとって大切な相手だったらしい、草間武彦を案じる気持ちが強かった。
 ちなみに、今現在彼女たちがいるのは、丘の麓に広がるタルナの街の繁華街の一画にある宿だった。昼前にこの街の入り口にたどりついた彼女たちは、街の近くに奪ったジープを隠し、軍服から元の衣服に着替え、荷物だけを手にして街に足を踏み入れた。
 タルナは、東京を何分の一かに縮めたような街で、それほど大きくはないが、さまざまな施設が整っており、これまで彼女たちが旅して来た所に較べると、格段に都会という雰囲気があった。ただし、本物の東京のように、高い建物はない。また、車もそれほど通ってはおらず、そのせいか道幅も狭かった。それでも、行きかう人々の服装や持ち物は彼女たちのよく知る現代風のもので、イチの村などと較べるとまるで別世界のようだった。
 街に入る際にも手形の提示を求められるようなこともなく、宿に泊まることも簡単だった。宿は基本的にツインの部屋しかないとのことで、彼女たちは三つ取った部屋に、女たちは二組に分かれ、シオンだけが一人で一部屋を使うこととした。
 そうして一旦部屋におちついた後、彼女たちはこのロビーに再び集まったというわけである。
 ロビーには、他に客らしい者の姿はなかったが、彼女たちはロビーにいくつか作られているテーブル席の、一番奥まった場所を選んで、思い思いに腰を下ろした。
「思ったよりあっけなく、街に入れたわね。……ただ、関所がどうなってるかは気になるし、少し情報収集して回った方が、いいんじゃないかしら」
 最初に口を開いたのは、法条風槻(のりなが ふつき)だった。
「そうね。どっちにしろ、あれだけの騒ぎを起こしたんだから、この街やキングの館にも、なんらかの知らせは行っていて、警戒されていないとも限らないものね」
 シュラインはうなずく。
「……あの、ところで皆さん、もう一度関所で得た情報を確認させていただきたいんですけれど……」
 それへシオン・レ・ハイが、おずおずと言った。
「ええっと……まず、館へのパスは人数分手に入ったわけですよね。それと、何が書き込まれているのかよくわからない、CD−ROMが一枚と。あと、私が手榴弾四個とプラスチック爆弾四個、ピストル一丁、防弾チョッキ一つを所持、と」
 周囲に聞かれないようにか、小声でぼそぼそと彼は言う。ちなみに、手榴弾とプラスチック爆弾は、人数分六個ずつ手に入れてあったのだが、関所の中で兵士らの注意を引きつけるのに、二個ずつ使ってしまったのだ。
「それで間違いないと思います。……あと、関所から館への一度の交替人数は三十人だそうです」
 草間零がうなずいて、補足する。
「どうにも、武器が足りない気がするわね。それと、情報。……館の見取り図が手に入ればいいんだけどね」
 幾分顔をしかめて、風槻が言った。
「武器はともかく、館の情報は、あのROMの中に入っている可能性もあるわ。部屋にパソコンがあったから、あれで調べてみようと思うんだけど」
 そう告げるシュラインに、風槻が考え込む。
「中身を調べるのは賛成だけど……ここでやって、大丈夫かしら」
「履歴や何かを消すのは、なんとかなりそうよ」
 シュラインは、漠然とだが本当になんとかなると感じていたので、言った。
「そう? それなら中身を調べるのはきっと、今後の役に立つと思うわね」
 風槻もそれを聞いてうなずく。
 その二人のやりとりに、小さく肩をすくめて口を挟んだのは、クミノだ。
「そう心配する必要はないだろう。私たちに必要な情報だと思えば、邪魔されることなく見ることができるはずだ」
「どういうこと?」
 シュラインは、軽く眉をひそめてそちらをふり返る。そっけなくクミノが言った。
「感じないか? 私たちは、最初から何者かの手の上で踊らされている。その何者かは、私たちに必要だと思えば、情報を与え、武器を与え、食糧を与えてくれる」
「それは……」
 シュラインは、言葉に詰まる。
 それへ、思い詰めたような顔で、零が言った。
「それでは、私たちの記憶のことも、固有の特殊能力が危機に際して使えたりすることも、その人物の采配なのでしょうか」
 そして彼女は、タケヒコと名乗っていた男が自分の兄、草間武彦であったことと、自分に霊能力があるらしいこと、その能力で怨霊を刀などの物質に変えて使うことができることを話す。
「それはどうかしらね」
 懐疑的に言ったのは、風槻だった。
「あたしも透視能力があることがわかったりしたけど、それに関して何か記憶が戻ったってことはないし……むしろ、状況的なものなんじゃないかしらね。どっちにしろ、ここであれこれ言っていても、それは推測の域を出ないわ。あたしはとにかく、一度街に出て、関所がどう出て来るかとか、館のこととか情報を仕入れたいって思うんだけど」
「それなら、ついでに何か食糧も買って来ていただけると、うれしいですが……」
 シオンがちょっと顔を赤らめて言った。
「私、お腹が空いてしまいました。さっきフロントで聞いたら、宿の食堂は夕方からでないと開かないそうですし……」
「そう言われればそうね」
 シュラインも空腹に気づいて、笑って言う。考えてみれば彼女たちは、朝食も抜きなのだった。
「じゃあ、私が行って、食べ物を買って来ます」
 軽く挙手して零が言った。
「あたしの分はいいわ。外で勝手に食べるから」
 慌てて言ったのは、風槻だ。
「わかりました」
 うなずいて、零は他の者たちに、どんなものがいいかを尋ねる。この宿に来る道筋で見かけた店には、ごく当たり前の食べ物が並んでいた。だからおそらく、弁当だとかパン類のようなものならば、普通に売っているだろう。
 零はフロントからメモ用紙とペンを借りて来て、それへ他の者たちの注文を書き付ける。シュラインは、おにぎりと唐揚げ、それにマカロニサラダとウーロン茶を頼んだ。
 やがて、零と風槻はそれぞれの目的を果たすため、ロビーから宿の外へと出て行く。
 それを見送り、シュラインたちも件のCD−ROMを調べるため、立ち上がった。

【2】
 シュラインたちは、彼女が零と共に使っている部屋へと向かった。
 部屋の作りはおそらく、他と同じだろう。ベッドが二つ並べられ、奥にはテラスがある。ベッドの足元の側には丸テーブルと椅子が並べられ、二つのベッドの間に置かれたサイドテーブルの上に、ノートパソコンが置かれている。
 シュラインはそれを、丸テーブルの方へ持って来ると、電源を入れた。電源はバッテリーで賄われ、ネットへの接続も無線LANを使った常時接続が可能なようだ。
(それにしても、イチの村のことなんかを考えると、すごい差ね)
 椅子に腰を下ろしてシュラインは、内臓のCDドライブに例のROMを入れながら、少しだけ愕然とした。
 ROMは、簡単なパスワードがかかっているだけで、さほど苦労することなく中を見ることができた。そこに記録されていたのは、キングの館の見取り図である。しかも、どこに常時何人の見張りがいるだとか、どんな警備体制が敷かれているだとかも、全てわかるようになっている。
 そのあまりの不自然さに、シュラインはクミノやシオンと顔を見合わせた。
「これってまるで……私たちに館に侵入して下さいと言わんばかりじゃない?」
 シュラインは、モニターを睨みつけながら、呟く。
「このROM自体が何かの罠だってことはないでしょうか」
 少し考え込んだ後、シオンが言った。
「でも、私たちが関所に侵入したことは、これを見つけた時点では知られていなかったのよ?」
「それはそうですけれど……」
 シュラインに問い返され、シオンは眉をひそめて言いよどむ。そんな彼を見やってシュラインは、意見を求めようとクミノをふり返った。
「ロビーでも言ったとおり、私たちに必要な情報だと思ったから、提示されたのだろう。どれほど不自然であれ、この見取り図が本物なら、役立てる以外、ないだろう。もし心配ならば、風槻さんに透視してもらって、これが正しいかどうか確認すればいい」
 むっつりとクミノが言う。
「そうね……」
 シュラインは、しばらくどうするべきか考え込んだが、やがてうなずいた。
「とりあえず、これをプリントアウトしておいて、風槻さんが帰って来たら、透視で確認してもらいましょ」
 言って彼女は立ち上がる。プリンターも部屋の隅に用意されていて、至れりつくせりだ。
 彼女が見取り図のプリントアウトを始めたところへ、零が戻って来た。手には、コンビニやスーパーでくれるようなビニール袋を提げている。
「先に食べてて。これが終わったら行くわ」
 シュラインは、仲間たちに言った。うなずいて、テラスの方に出て行く彼らを見送り、シュラインは印刷されてプリンターから吐き出される紙の束を見やる。その動きは順調で、傍で見張っている必要もないのだが、なんとなく気になって残ったのだった。
 やがて、紙が詰まったり印刷に問題があったりすることもなく、データのプリントアウトは終了した。シュラインは、その紙の束を揃えて自分のベッドの上に置くと、仲間たちのいるテラスの方へ向かう。
 テラスでは、クミノとシオンが零にROMの内容について話していたようだった。開いている席に腰を下ろし、テーブルの上に残されているおにぎりと唐揚げ、それにマカロニサラダと缶のウーロン茶を広げながら、彼女は仲間たちに告げる。
「食べたら私、もう少しあのROMの中身を調べてみるわ」
「じゃあ、私はこの宿の中を、探検してみます。宿の人たちとか、他のお客さんたちから、何か情報が得られるかもしれませんし」
 食べながら、シオンが言う。彼の前にあるのは幕の内弁当と缶の緑茶だ。箸は付属の割り箸ではなく、自分のものを使っている。
「じゃあ、私もご一緒します」
 零がそれへ、名乗りを上げた。こちらは半分に減ったフルーツサンドを手にしている。彼女は尋ねるようにクミノを見やった。
「私は、部屋で休む」
 肩をすくめて、クミノが返す。そっけないその言い方に、シュラインは何かあったのだろうかと、ふと考える。だが、彼女には質問を拒む頑なさがあった。
 やがて彼女は自分のサンドイッチを、食べ終わったようだ。残っていたコーラを飲み干すと、立ち上がった。
「では、私は失礼する」
 またそっけなく言って、彼女は立ち去って行った。
 それを見送り、シュラインはなんとなく零やシオンと顔を見合わせる。だが、言うべき言葉は見つからず、彼女はただ黙って食事を続けた。

【3】
 食事を終えた後、シュラインは他の者にも言ったとおり、部屋に戻って再びあのROMを調べることに専念した。
 彼女自身、自分が特別パソコンに詳しい人間だという感じはしない。ただ、キーボードを打つ指の感触などに、妙に馴染んだことをしているという感じがつきまとっているのだ。
(毎日、パソコンを使って仕事をしていたのは、たしかかもしれないわね。……一番考えられるのは、事務職かしら。でも、だったら自分の名刺に何か、それらしい肩書きや社名が入っていても、よさそうなものだけど……)
 パソコンを操りながら、彼女は思う。それとも、肩書きがないほど小さな会社だったのか。だとしても、やはり社名は欠かせないだろう。
(名刺が必要だけど、肩書きも社名もない……となると、フリーランスで何かの仕事をしていた、とか?)
 目はパソコンのモニター上をさまよいながらも、頭の中ではそんなことを考え続けている。そのせいだろうか。思いがけない場所をクリックしてしまい、小さなエラー音に、彼女は我に返った。が、見ればモニターには新しい画面が開いている。
(何、これ)
 軽く眉をしかめて、モニターを覗き込んでしまったのは、画面に表示された文字が日本語ではなかったので、一瞬文字化けしたのかと思ったのだ。しかし、そうではなかった。それは、ルーン文字と呼ばれる古い言語だ。
(私……この字が読める……)
 彼女は、軽く瞠目して、胸に呟いた。
 すぐに彼女は、メモ帳を開くと、そこにその文章を直感的に日本語に訳したものを、入力して行く。
 やがて出来上がったのは、なんらかのシステムを管理するためのプログラムを立ち上げる方法だった。もっとも、方法そのものは、そう難しくはない。そのプログラムがインストールされているパソコンのCDドライブに、このROMを入れて、再起動をかけるだけだ。
(これってもしかして……キングの館の防犯システムの管理画面を開くためのものなんじゃ……)
 自分の訳した文章を読み直し、元の文章と見比べた後、ふと彼女は思った。
 それは半ば直感だった。原文の最初に、まるで見出しのように防御を意味する文字が、他の文章とはなんのつながりもなく、配置されているのが妙に気になり、それを見詰めているうちに、脳裏にそんな考えが浮んだのだ。
(他に何か、ないかしら)
 彼女は、原文の画面のあちこちにカーソルを置いてクリックしてみたり、右クリックしてみたりと、いろいろやってみた。そのうち、原文の下部に、不自然な空白があることに気づく。
(もしかして、これ……)
 彼女はその部分を、反転してみた。途端そこにも、同じくルーン文字が浮び上がる。それは、「王を守る騎士たちの書」と日本語訳できた。
(王を守る騎士たち……やっぱりこれ、キングの館の防犯システムに関するものかも)
 シュラインは、いくらか興奮してその文字を見詰める。
 その後も、あれこれROMを調べてみたが、もうそれ以上は何もないようだ。途中で零が戻って来たので、彼女にも自分の発見を知らせ、念のためにさっきの画面と自分の訳文をプリントアウトしたりしているうちに、時間は過ぎた。
 すっかり日が落ちて、空腹も覚え始めたので、彼女は零と共に食堂へ行こうと、部屋を出た。むろん、その前に使ったパソコンから、履歴を消すのも忘れなかった。零はクミノの部屋に寄って行くというので、彼女は一人で食堂へ向かう。
 その途中で、シオンに出会った。彼と共にロビーまで来たところで、風槻が戻って来たのにでくわした。彼女は一人ではなく、十二、三歳ぐらいの少年を連れていた。少年は小柄で背が低く、黒髪だが後ろに一房、長く伸ばした髪だけが金色だった。小麦色に焼けた肌と黒い目をして、半袖のTシャツとジーンズ、スニーカーというなりだ。
 風槻は彼を、御崎月斗(みさき つきと)と紹介した。彼もシュラインたちと同じく、名前以外の記憶を失って森の中で目覚め、その後一人でここまで来たのだそうだ。むろん、目覚めた時に「キングを倒せ」の声も聞いていたし、チケットの半券も持っていた。
(一人でここまで来たなんて……ただものじゃなさそうね)
 シュラインは、それを聞いてふと思う。
 互いに紹介を終えて、彼女たちは一緒に宿の食堂へと向かう。
 そこは清潔で雰囲気も悪くはなかったが、人はあまりいなかった。
 彼女たちが席に着いたところへ、クミノと零が姿を現した。再び風槻が、月斗を二人に紹介する。
 その後彼女たちは、食事をしながら互いに得た情報を交換し、キングの館に乗り込む日時や手順を話し合った。
 シュラインたちは、風槻と月斗にROMの中身のことを話し、風槻に透視能力で見取り図が本物かどうか確認してほしいと要請する。
 それを承知した後、風槻は自分が得た情報を話した。関所が襲われた事件は、街でもニュースになっているようだった。ただ人々はそれについて、何も危機感を抱いていないらしいという。
「みんな、キングのお膝元のこの街で、恐いことなんて起きるはずがないって思っているみたいね。あたしたちのことも、軍の演習か何かだと捉えているみたいだったわ」
 風槻が言うのへ、シオンがうなずく。
「私が話した人たちも、そんな感じでした。宿の人たちは、何年かに一度、こういう騒ぎがあって、でもすぐに捕らわれて平和になるんだって言って、笑っていました。その……お祭か何かみたいに思ってる感じです」
「実際に、祭みたいなもんなのかもな」
 それへ口を開いたのは、月斗だ。
「キングについての伝説みたいな文面の中に、外から来てキングに記憶を奪われた者が、この地の人間になるってのがあっただろ? あれって文字どおりでさ、何年かに一度、今の俺たちみたいなのが出て、でもキングを倒せなくて捕らわれて、それで残りの記憶とかキングを倒そうとした記憶も全部消されて、適当に島の中の土地へ放されてるんじゃないかな。偽の記憶かなんか植え付けられてさ」
「でも、なんのために?」
 思わず尋ねるシュラインに、彼は肩をすくめた。
「だから、祭なのさ。なんていうか、毎日同じことの繰り返しじゃ、人間って飽きるだろ。それをリフレッシュするために、非日常的なことをやるわけだ。キングを倒そうとして、バカな奴らが暴れる。それで、しばらくは周りの者は、結果がわかっていてもどうなるのか、面白おかしく成り行きを見守るわけさ。で、最後にはキングを倒そうとした連中は失敗して捕らわれ、対外的には処刑されたってことになる。それで人々は、平和な日常はいい、これも全てキングのおかげだってなる。……これは、そういうイベントだと、俺は思うよ」
「なるほどね。そう考えると、あたしたちの写真とかが出回ってないのも、納得がいくわね」
 風槻がうなずきながら、呟いた。そして彼女は、街のどこにも自分たちの顔のわかるものは提示されておらず、街頭で流れていたニュースも、写真などはなかったと告げた。
「写真が、手に入らなかったからじゃない? 私たち、関所では監視カメラにも映らないように気をつけてたんだし」
 シュラインは、思いついて言う。
「それはそうだけど、兵士には顔を見られてるわよ、あたしたち。関所を通ってこの街に来たのはわかってるわけだし、モンタージュ写真とか口頭での人相風体ぐらいニュースで流しそうなものじゃない。でも、何もそれについての言及がなかったの」
 風槻が返す。
「どちらにせよ、私たちの次の行動は予測され、館では待ち伏せされている可能性もあるということだ」
 ふいに、さっきからずっと黙っていたクミノが、まるで彼女たちの会話に終止符を打つように言って、空になった水のグラスをテーブルに置いた。
 その不穏な発言に、シュラインたちは思わず鼻白んで顔を見合わせる。それを無視するように、クミノは立ち上がった。
「部屋に戻る」
 一言だけ残し、シュラインたちに背を向けると、クミノは立ち去って行った。
 それを幾分、あっけに取られたように見送って、風槻がシュラインたちをふり返った。
「何かあったの?」
「さあ……」
 尋ねる彼女にシオンが、首をかしげる。シュラインにも、何も思い当たることはない。
「何か、気になることがあるのかもしれません」
 零が、幾分心配げに言って、クミノの立ち去った方を見やる。どうやら、誰もなぜクミノが不機嫌なのか、理由を知らないようだ。
「何か思い出したのかもしれないわね。……だとしたら、彼女自身の問題だわ」
 言って肩をすくめると、風槻が話題を戻した。
「さてと。じゃあ、館へはいつ行くの?」
 問われてシュラインたちも、顔を見合わせる。が、とりあえず今は、クミノ抜きで話を進めるしかないだろう。彼女たちは再び顔をつき合わせるようにして、キングの館へ向かう計画を練り始めるのだった。

【4】
 シュラインたちが、キングの館へ向かったのは、その日の真夜中のことだった。
 出発の三十分ほど前に置きだして、キング軍の軍服に着替え、ショルダーバッグを持って、そっと宿の玄関を出る。
 玄関先には、関所で奪ったジープが横付けされていた。風槻が取りに行って来たらしい。他の者たちも皆、軍服をまとっている。月斗も、どこで手に入れたのか、やはり彼女たちと同じ恰好をしていた。
 全員が収まると、風槻がジープをスタートさせた。
 暗い夜の道を、他に走る車もない中、ジープは通りを丘を目指してひた走る。頭上は暗く、月も星も見えない。
 やがてジープは街中を抜け、丘への登りにかかった。ほどなく、キングの館が見えて来る。それは、小さな城といってもいいような造りの建物だった。入り口には巨大な門があり、そこを抜けると広い庭が続き、その先に劇場の入り口のような大きな玄関が見えて来る。
 門前には人の姿は見えず、全てが機械仕掛けだった。関所で手に入れたパスは、手配されてもいないのか、なんの問題もなく彼女たちを通してくれた。それは、怪しいといえば怪しかったが、もうここまで来たら、あれこれ考えてもしかたがないだろうと、シュラインは腹をくくっていた。
 ROMに入っていた見取り図は、本物らしかった。夕食後、透視を行ったらしい風槻が、そう保証したのだ。それで結局彼女たちは、それを元に立てた計画どおりに行動することにした。
 庭にもやはり、人の姿はなかった。彼女たちは玄関前でジープから降り、それぞれ武器を手にして、玄関へとひそやかに走り寄る。
 ちなみに、彼女たちの携帯している武器は、以下のとおりだ。
 風槻が関所で手に入れた警棒と、手榴弾、プラスチック爆弾を二つずつ。月斗は出て来る時、シオンが手榴弾やピストルを渡そうとしたものの、受け取らず、一見すると何も持っていないように見える。シオンは槍を持ち、上着の下に防弾チョッキをまとっている。クミノは自分で招喚したピストル一丁。零は、怨霊から作り出したという剣を一本。そしてシュライン自身は、イチの村でもらったナイフと、シオンから渡されたピストル、それに手榴弾とプラスチック爆弾を二つずつ所持していた。
 彼女たちが玄関に走り寄った時、どこかでかすかに、鳥の羽ばたくような音が聞こえ、鈍く光る何かが月斗の傍へと舞い降りた。月斗はそれを見やって、小さく口元をゆがめる。
「あんたの言うとおりだ。俺たちは、待ち伏せされてるみたいだぜ」
 クミノを見やって、彼は言った。
「わかるの?」
 幾分驚いて尋ねるシュラインに、彼は肩をすくめる。
「ああ。偵察にやっていた式神が、そう言ってる。敵は俺たちの十倍近くいるぞ。皆、武装している」
「やはりな。あまりにも情報がすんなり手に入りすぎると思ったんだ」
 顔をしかめて言うクミノに、風槻が言った。
「でも、ここまで来た以上、引き返すわけにも行かないでしょう?」
「ええ。何者かに踊らされているのだとしても、いっそ最後まで踊り続ければ、何かわかるかもしれないわ。武彦さんのことも、このままにはしておけないんだし」
 シュラインもうなずく。
 クミノがそれへ、小さく肩をすくめた。
「別に私は、この先へ進むことを、反対しているわけではない。……ただ、一つ言っておく。もし私が何か不審な行動を取っても、私に対して攻撃するな。今までの旅の過程でも想像がつくと思うが、私の半径二十メートルには、不可視の障壁が張り巡らされていて、私を攻撃する者全てを、約一日で即死させる力を持つ。だから、私が不審な行動を取り始めたら、私を見捨てて皆は先へ進め。それが一番賢い方法だ」
「どういうこと? なんだか、今の言葉は自分がキングに操られる可能性があると思っているように聞こえるけど」
 シュラインは、眉をしかめて問い返す。それは、聞き捨てならない言葉だった。何かあるなら、話してほしい。だが、クミノは答えなかった。
「行こう」
 扉の方を見据えて、そう言っただけだ。
 シュラインは、風槻、シオン、零の三人と思わず顔を見合わせた。その彼女たちを、月斗が促す。
「いいから、行こうぜ。時間が惜しい」
「ええ」
 シュラインはすぐに気を取り直してうなずき、手の中のピストルを握り直した。他の者たちもうなずく。
 こうして彼女たちは、ようやく玄関の扉を開けた。
 月斗の言葉どおり、その先の広いエントランスホールには、かなりの数の兵士らが手に手に自動小銃を構えて待ち伏せていた。
 それへ月斗が、攻撃の暇を与えず、ポケットから取り出した長方形の紙束を投げつけ、叫ぶ。
「ノウマク バサラ ダン カン!」
 それが何かの呪文らしいと漠然とシュラインが気づいた時、空中に舞う紙束がいきなり燃え出し、大きな炎となって兵士らを包み込んだ。
「うわあっ!」
 いきなり服や髪などに炎が燃え移り、兵士らはパニックに陥る。まさか、こんな攻撃をされようとは、考えてもいなかっただろう。
 もちろん、驚いたのはシュラインたちも同じだった。だが。
「ぼうっとすんな! 走れ!」
 月斗の鋭い怒声に、彼女たちは慌てて、走り出した。
 炎に巻かれていない兵士らが、その彼女らめがけて撃って来る。それを食い止めたのは、思いがけず、シオンだった。彼は兵士らの前に立ち止まり、なぜか両手でスプーンを握りしめて目を閉じ、一心に何かを念じているようだ。それに呼応するかのように、彼の眼前に兎の形をした氷の壁が現れ、立ちはだかる。兵士らの放った銃弾は全て、それに遮られて、シュラインたちの元へは、届かなかった。
「い、今のうちに……早く、先へ進んで下さい……!」
 シオンは、額から油汗を流しながら、苦しげな声で彼女たちに言う。
「わかった。おい、行くぞ!」
 うなずいて、彼女たちを促したのは、月斗だ。どう見ても小学生か中学生ぐらいだろうに、こうした場に慣れているらしいのは、奇異に映る。だが今は、そんなことを考えている場合ではなかった。シュラインたちは促されるままに、奥へ向けて走った。
 館の中は、見取り図を頭に叩き込んでいても、どこか迷路のようだ。エントランスホールからは細長い廊下が続き、その先にもう一つ広いホールがある。そこには三基のエレベーターと階段があったが、それぞれに行き先が違っており、一つ間違えば、館の中を堂々巡りするか、まったく関係のない場所に出てしまうだけだ。
 エレベーターの並ぶホールへ飛び込んだシュラインたちは、その扉を死守するかのように、そこに並んだ。月斗が、それより少し離れた床の上に、半円を描くように長方形の紙を間隔を空けて貼り付け、言った。
「一応、結界を張ったからな。奴ら、これより先には入って来れない。あ……それから、これ」
 彼は、更に数枚の紙束を、シュラインに渡した。
「あんた、一番武器の扱いがトロそうだから、少し分けてやるよ。一枚ずつ、丸めて投げな。手榴弾程度の役には立つからさ」
「え……。でも……」
 シュラインはとまどう。彼の唱えていたような呪文など、彼女には当然わかるはずがない。が、それを見越したように、月斗は言った。
「真言、唱えなくても呪力が発動するようにしてあるから、心配すんなって」
 そして彼は、彼は風槻をふり返る。風槻がうなずいた。
「じゃ、あたしたち、行って来るわね」
 シュラインたちに声をかけ、彼女は月斗と共に、真ん中のエレベーターへと飛び込んだ。二人は、シュラインがあのROMの中に見つけた方法で、この館の防犯システムを支配下に置くために、中央管制室へと向かったのだ。
 それを見送る暇もなく、ホールに兵士らが飛び込んで来た。最初に見たのよりは、多少数が減っている気がするが、それでもまだ、かなり多い。
 彼らは、月斗の言ったとおり、紙束で作った線よりこちらへは、入って来れなかった。そこを踏み越えようとすると、たちまち炎が吹き出し、兵士は黒焦げになる。だが、さすがに銃弾を防ぐことはできないようだ。降り注ぐそれは、零が怨霊で作り上げた楯によって防いでいた。その隙を縫うように、シュラインは月斗にもらった紙束を一枚ずつ丸めて投げる。それは、武器の扱いに慣れない彼女には、たしかに向いているようだった。丸めた紙は、兵士の体に触れたり、床に落ちたりすると、強い炎を放って燃え出した。
 一方クミノは、月斗が作った紙束の線より外に出て、応戦していた。それでも彼女自身は、障壁があるので無傷である。
 そうやって戦い始めて、どれぐらいの時間が過ぎただろうか。いきなり、ホールの戸口にシャッターが下りた。すでに、ホールにいる兵士の数は、ごくわずかになっていた。と、クミノの無線能力付き携帯電話が、着信音を鳴らした。この携帯は、他の携帯電話と圏外にあるなしに関わらず、リンクして互いに話すことのできる機能がある。それを利用しているのだ。
 相手は、風槻だったようだ。
「わかった」
 答えてクミノは、シュラインと零をふり返る。
「風槻さんと月斗さんが、防犯システムを完全に掌握したそうだ。キングのいる最上階までのルートを、他の部分から切り離したから、キングの元へ向かうよう言って来た。エレベーターは、一番右端のだそうだ」
 やはり、あのROMは自分が考えたとおりの役目を持っていたらしいとホッとしつつ、シュラインはクミノに尋ねた。
「けど、シオンさんはどうするの?」
 彼はまだ、エントランスホールで戦っているはずだ。が、シャッターが下りてしまったので、こちらへ来られないだろう。
「シュラインさんとクミノさんは、先に行って下さい」
 言ったのは、零だ。
「お二人がエレベーターで上へ向かったら、その後、私がこの剣であのシャッターを切り裂いて、シオンさんを助けに行きます。かならず一緒に、後を追いますから」
「頼む」
 クミノが、躊躇せずにうなずいた。
 シュラインもそれには反対を唱えなかった。この三人の中で、今確実にあのシャッターを壊せる武器を持っているのは、彼女だけだと思ったのだ。クミノも、招喚すればもっと威力の強い武器を手に出来るのかもしれないが、その場合、シオンがそれに巻き込まれる可能性もあるかもしれない。それを考えても、ここは零に任せるしかないだろう。
 少しだけ心配ではあったが、しかたがない。
(零ちゃん、かならず追いついてね)
 心の中で零に声をかけるシュラインを、クミノが促す。彼女はそれへうなずき、クミノと二人、一番右端のエレベーターへと向かった。

【5】
 一階のホールから、最上階のキングのいるフロアにたどり着くのは、驚くほどあっけなかった。全てがコンピューター制御であるがゆえの、脆さであったのかもしれない。
 シュラインは、そのことに少しだけとまどいを覚えつつも、ふいに奇妙な考えに捕らわれていた。この館を統括するコンピューターのシステムそのものが、キングなのではないかという考えだ。
 まるでゲームをやっているかのような奇妙な感じはむろんのこと、時間と記憶を操るというそれに関してもそうだ。実際に時間や記憶を変化させているわけではなく、人の認識にずれを生み出しているだけのように感じられるのだが、それが彼女には妙に機械による演算めいて見えるのだ。
(クミノさんが、自分がキングに操られる可能性があると考えたのも、そういう理由かしら)
 彼女はふと胸に呟く。クミノが言ったことも気になっているのだが、この状況では、それを問い質すこともできないでいる。また、館に入る前に尋ねて答えてくれなかったものを、今答えてくれるとも思えなかった。
 ともあれ、途中で合流した風槻と月斗を連れて、彼女たちは最上階のフロアの、一番奥の部屋の前に立っていた。そこへ、シオンと零も追いついて来た。
「零ちゃん、シオンさん。無事だったのね」
 シュラインは、二人の姿にホッとして言う。
「はい。ご心配かけて、すみません」
「私たちは、大丈夫です」
 シオンと零が、それぞれそれへ言った。
「では、行くぞ」
 全員がそろったところで、クミノが声をかけると、先頭に立って扉を開いた。その向こうは、何もない広々とした部屋になっており、奥に一段高くなった場所がある。そこは、周囲に重そうなベルベットのカーテンを掛けまわされており、まるで王の玉座のようだ。
 と、そのカーテンの一部が揺れて、ゆっくりと人影がそこに現れた。
「よくここまでたどり着いたものだな、諸君。私がキングだ」
 尊大に名乗るその人の姿に、シュラインは思わず目を見張った。
 そこに立っていたのは、関所で捕らわれたはずの、草間武彦だったのだ。もっとも、服装は彼女たちと行動していた時とは違い、足にぴったりとしたズボンにブーツ、丈の長いチュニックという、まるで中世の王様のような恰好で、マントまでまとっている。
 シュラインは呆然として、仲間たちをふり返った。クミノとシオン、零の三人は彼女同様、驚いている様子だった。が、風槻は「予想どおり」と言いたげに、小さく肩をすくめただけで、草間と面識のない月斗は、純粋に相手をキングと見止めてか、そちらを睨み据えている。
「あんたが、キングか。俺たちの記憶、返してもらうぜ!」
 彼はわめいて、ポケットから取り出した紙を構えた。
「さて。できると思うなら、やってみるがいい」
 キングを名乗る草間は、余裕しゃくしゃくで、それへ返す。
「月斗くん、やめて!」
 シュラインは、思わず叫んだ。
「武彦さんが、キングだなんて、そんなはずないわ。彼はきっと、本物のキングに操られて、代理を演じさせられているのよ」
 それは、彼女にしてみれば、先程のキングはコンピューターのシステムかもしれないという考えが念頭にあるため、可能性としてはなくはないと思えるものだった。だが月斗には、ばかばかしい言い分と聞こえたようだ。
「おいおい。ここまで来て、何言ってんだよ」
 彼は紙を構えて正面を向いたまま、苛立ったようにちらりとシュラインを見て言った。
「こいつが偽物か本物かなんてことは、倒してみればわかることだろうが」
「いや。私もシュラインさんに同感だ」
 意外にも、それへ言ったのは、クミノだった。彼女は、すぐ傍にいるシオンに、何事か囁く。
「やってみます」
 シオンはうなずくと、再びスプーンを握りしめ、目を閉じて念じ始めた。と、面白そうにこちらを見やっていた草間の足元に、みるみる氷が張り詰め、その足が氷付けになって行く。
「な、なんだ……?」
 さすがの草間も、こんな現象が起きるとは思っていなかったのか、驚いて足を動かそうとするが、もう遅かった。もっとも、さすがに全身を氷付けにしてしまえるほどではないらしい。
 しかし、クミノにとっては、これで充分だったようだ。彼女はずかずかと壇上に上がり込むと、草間の背後にかかっているカーテンを無造作に剥ぎ取り、招喚した巨大なハンマーでそこの壁を打ち壊した。
 シュラインは、思わずそちらへ駆け寄った。仲間たちも集まって来る。
 覗き込むと、その後ろにはごく狭い、人一人が立って両手を横に広げればそれで一杯になりそうな部屋が姿を現していた。部屋の中央には、天井から床までを繋ぐ形で細いガラスの円柱が立っており、その中央に、きらきらと輝くミラーボールのようなものが収められていた。
「何これ……」
 呟いたのは、風槻のようだ。
「おそらく、これがキングの正体だ」
 クミノが言って、手にしていたピストルをそちらに向け、撃った。一発目で円柱に亀裂が入り、二発目で球体の一部が剥がれた。三発目で球体に亀裂が入り、四発目で球体が吹き飛ぶ。同時に、あたりに白い光が炸裂した。
「きゃっ……!」
 シュラインは、思わず腕で顔をかばって目を閉じる。あまりの眩しさに、目を開けてなどいられなかったのだ。だが、それはますます強くなり、あたりを白熱した光の洪水の中へと、飲み込んで行った。

【エピローグ】
 目覚めた時、シュラインは病院を思わせる白い部屋に据えられたベッドの中にいた。
(私は……いったい……)
 思わず半身を起こし、彼女は胸に呟く。ベッドの中にいるということは、今までのは夢だったのだろうか。
(私は、シュライン・エマ。二十六歳。職業は翻訳家でゴーストライターで、草間興信所の事務員。語学と家事全般が得意で、声帯模写能力があって……)
 念のため、自分の名前や年齢、職業などについて頭に浮かべてみるが、なんの支障もなく、すらすらと全て思い浮んだ。だけではない。草間興信所での日々の雑用や、得意な料理から苦手なもの、十代半ばからの声を失った経験や、これまでこなして来た興信所への依頼の数々までが、鮮明に思い出せた。
(記憶が戻ったんだわ……。よかった)
 シュラインは、ホッとして思わず胸元を押さえる。なぜだか、本当の自分自身を取り戻せた気さえした。
(でも、ということは、やっぱりあの球体が本物のキングで、武彦さんは操られていただけだったってことなのかしら)
 ふと、意識を失う前のことを思い出し、彼女は首をかしげた。そして、草間や他の仲間たちはどうなったのだろうかと、考える。
 その時、部屋の外から軽いノックの音が響いて、人が入って来た。一人は、月刊アトラス編集長の碇麗香だ。もう一人は、白王社の社長、白王要である。
 シュラインは要とも面識があるが、彼は実は四十代だが一見すると二十代の青年だという、とんでもない外見を持つ男だった。
 彼は、やわらかな笑顔でシュラインに微笑みかけた後、言った。
「シュラインさん、お久しぶりです。せっかくまたお会いできたのに、それがこんな状況でとは、いささか悲しいですが……まずは、お詫び申し上げます。わざわざ参加いただいた前夜祭イベントで、まさかこんな手違いが起きてしまうとは、思いもしませんでした。本当に、申し訳ありませんでした」
「手違い?」
 思わず問い返すシュラインに、要が説明したところによると。本来彼女たちが参加したイベントは、島全体を使って謎解きをしながら、最後にはキングと称するボスを倒すという内容は同じでも、もっと娯楽性の高い、そして危険のないアドベンチャーゲーム風のものだったそうだ。ところが、どうしたことか島を統括するコンピューターが暴走し、島を特殊な磁気で包み込んでしまった。彼女たちの記憶が失われたのは、その磁気の影響と、コンピューターが島全体に流していた誘導性の強い電波のせいだったのだという。ただ、暴走してもコンピューターのプログラムの中核にあるのは、本来のアドベンチャーゲーム風のイベントだったため、彼女たちは「キングを倒すため」に動かされることになったのだそうだ。
「シュラインさんたちは、いわば半ば夢を見ているような状態で、あの島で行動していたというわけです。先程、その夢の内容については、草間さんから伺いましたが……あそこであったことは、全て夢だと思っていただいた方がいいと思います」
 話を締めくくるように言った要の言葉に、シュラインは小さく目を見開いた。そして思い出す。自分たちが、そもそもなぜあの島へ足を踏み入れたのかを。チケットの半券に印刷されていた「キングアイランド」は、あの東京湾の沖合いに人工島を作って建設されたテーマパークの名前だ。彼女たちは、草間に誘われて、その前夜祭のイベントに参加するため、あの島に行ったのだ。
「武彦さんや、他の人たちは無事なの?」
「もちろんですよ」
 思わず尋ねるシュラインに、要は笑って言った。
「シュラインさんには、あの島で何日も過ごしたように思えるかもしれませんが、実際には、あなたがあそこで過ごしたのは十二時間程度のことです。コンピューターのネットワークに侵入し、その暴走を止めるのに、かなり時間がかかってしまいましたが、それ以上はすぎていません。それに、あそこは娯楽のための施設ですからね。本物の銃を持った兵士がいたり、手榴弾やプラスチック爆弾なんかが格納されている、なんてことはありません。全ては、コンピューターによって見せられた幻です。救出された時、みなさん意識を失っておられたので、こちらの病院に運ばせていただきましたが、怪我などはないようです。一応、精密検査を受けていただくことには、なりますけれどもね」
 そして彼は、この件については後日、説明会を開き、きっちり彼女たちの精神的苦痛に対する補償をしたいと告げ、深々と頭を下げて、麗香と共に立ち去って行った。
 ちなみにここは、東京湾近くにある病院の一室らしい。
 彼らが立ち去ると、シュラインは思わず小さく溜息をついた。
(あれが全て、夢だったなんて。……なんだか、信じられないわ)
 胸に呟き彼女は、ふと自分の手を見やる。そこにはまだはっきりと、日ごろ持ち慣れないピストルを握りしめた感触が、残っているような気がするのだ。
(でも、そうね。夢でよかった。……武彦さんも零ちゃんも、そして私も、また今までどおりの日常を、送って行けるのよね)
 彼女は、もう一方の手で今見詰めていた手を握りしめ、小さく微笑む。
 翌日、彼女は退院した。いくつかの検査の結果、どこにも異常はないと、医師が判断したためだ。
 病院の外に出て、彼女はふと空をふり仰ぐ。明るくどこまでも続く空は、現実ならではの強い存在感を持って、そこに広がっているように、彼女には感じられた。だが、歩き出そうとして彼女は、ふと足元に濃く伸びた影が揺らいだ気がして、息を飲む。
(本当に、これは現実なの? こちらこそが夢で、要さんたちが夢だというあれこそが、現実だったんじゃないの?)
 奇妙な心もとなさと共に、彼女はふいにそんなことを感じた。そして、あの名前以外の記憶を全て失った不安な日々の中で、同じような夢を見て、同じことを思ったような気がして、急に寒気を覚える。見下ろす自分の影の中に、キングを名乗った草間の姿が浮かび上がった気がした。
 その時だ。
「シュライン!」
 声をかけられ、彼女は弾かれたように顔を上げる。少し離れた所に、草間と零が立っていた。
「シュラインさんも、今退院されたんですね」
 零が言って、こちらへ駆けて来る。その後ろから、草間がゆっくり歩いて来るのが見えた。それは、シュラインにとっては見慣れた人々と見慣れた光景だ。
 その姿に、彼女の中から、一瞬のまどいが消えて行く。
(大丈夫。こここそが、現実よ。そして私は、そこにしっかりと足を踏みしめて、立っているわ)
 胸に強くうなずいて、彼女は叫んだ。
「武彦さん、零ちゃん!」
 そして、そちらへと力強く歩き出した。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1166 /ササキビ・クミノ /女性 /13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
【6235 /法条風槻(のりなが・ふつき) /女性 /25歳 /情報請負人】
【0778 /御崎月斗(みさき・つきと) /男性 /12歳 /陰陽師】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /紳士きどりの内職人+高校生?+α】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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ライターの織人文です。
「記憶の迷宮」に最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
さて、内容のほどはいかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただけていれば、幸いです。

●ササキビ・クミノ様
続けての参加、ありがとうございます。
最後は結局、このような形に締めさせていただきましたが、
いかがだったでしょうか。

●法条風槻さま
続けての参加、ありがとうございます。
草間の件については、まさにズバリ、そのとおりでした。
ともあれ、楽しんでいただけていればうれしいのですが。

●御崎月斗さま
お久しぶりの参加、ありがとうございます。
4回目のみの参加ということで、これまでは他PC様たちとは、
別行動だったという形にさせていただきました。
なお、草間からの仕事の依頼ではありませんでしたので、
金銭的なものは白王要から……という形にさせていただきました。
ご了承下さいませ。

●シオン・レ・ハイ様
続けての参加、ありがとうございます。
スプーン曲げに再挑戦ということで、今回は成功でした。
得意技? もせっかく書いていただいたので、使ってみました。

●シュライン・エマ様
いつも参加いただき、ありがとうございます。
キングを人間の姿にするか、それ以外にするか決めかねておりましたので、
シュライン様のプレイングを参考にさせていただきました。


それでは、またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。