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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


化け物屋敷前編 −怪・地方の章−


 昔、人を取って食うものがあり、これを人食いとした。
 人を食うものは、蟲のような外見をしており、二つの胴体に足が左右、四本ずつついていたので、土蜘蛛と呼ばれた。
 人を害することによって、ただの虫けらは化け物と名を変え、人の脅威として時に殺められ、時に奉られる。
 不可視の姿を持った者共を神とするか妖とするか。生かすも殺すも、人の次第である。
 それが、正しいか否か。
 此度、ゆるりと確かめよう。

 怠惰な腰を上げよ、……バケモノ共。

*
 首都東京。
 夏の入り口に立ったばかりの日本の中心には、日常の些細な綻びに紛れ込んだ不可思議な事象を解決する機関が絶えず、雑多に散らばっていた。
 人間達は今日も、じめじめと蝕むような暑さの中で、自らの日々を満喫している。
 交差点は人で溢れ返り、騒がしい音楽と車のクラクション、ざわざわとした大勢の異なる声が絶えることなく続く。
 ビルに埋め込まれた巨大なスクリーンの中では、ブランドネームを持つ会社たちの宣伝番組が入れ替わり放送されている。
 大正・昭和の時代から、さして変わらぬ量の人々を吐き出し続ける駅の中央改札には、行きつ、戻りつする人々の群れ。
 どこを向こうと、人を見ない場所など存在しなかった。
 明るく、地上を照らす天道の恩恵を支配しているのは、この人間たちに他ならない。
 今、まさにそれを深く理解して、或る男は目深に被った帽子に一層深く、頭を押し込む。
 それ故、男の顔のほとんどはハンチング帽の下に隠れ、目も明らかではなく、ただ見えるのは僅かな頬と、口元だけになった。
 頬には、深い皺が刻まれている。
 忙しく人が行き交うその波の中にあって、男は少しも乱れた様子がなく、自分の歩みを進めていた。
 これだけの人が闊歩する中であれば、誰かに行き当たることも不思議ではないのに、男は違う。もうぶつかるか、と思われるのに、実際に衝突することはなく、何事もなく行き違う。それは、まるで男の周りの空間だけが何か、一つ敷居を越えた場所に形成されているようにも見えた。
 一枚に見える絵が、実はいくつも層を経て重なり合い、構成された別個の存在であるように。
 だが、そんな光景に不審を覚えるものは、今この場所に誰もいなかった。
 男の頬に刻まれた皺が、不意にすぃ、と一際深くなる。
 どこか赤茶けた、あまり健康的とは言えない唇がめくれ上がり、半月型を作ると、その先に黄ばんだ歯列が互い違いに並んでいた。
 男は、笑ったのだ。
 そして、歩き出す。


 草間興信所所長。他称怪奇探偵草間・武彦(くさま・たけひこ)は困惑した表情を浮かべて、その老人を迎えた。
 望むにしろ、望まないにしろ、怪奇探偵という仕事柄、草間は様々な人物と接する機会を得る。中には、依頼を持ち込むもの自体が人を模したモノノケの類であることも多々ある。
 だが、この時の客はそういったものとは一風、毛色が違っていた。
 確かに人であるようなのだ。ただ、ひどく不気味なだけで。
「……ここには、この世ならんものが関わる事をたちどころに解決する知恵者がいる、と聞き及んだが。それは本当のことか」
 興信所の扉を開け放つなり、しわがれたダミ声で、老人はそう切り出した。
 応対にでた零は、にっこりとした笑みを絶やさないままだったが、その老人が放つ臭気とでも言おうものを嗅ぎ取り、心でそっと首をかしげた。
「ご依頼ですか?」
 それでも、彼女は通常通り、仕事を続ける。老人はその問いには答えず、ふぅむ、ふぅむ、としきりに唸っていたが、やがて零に向き直った。
「まったくもって、汚らしい場所だが。本当にそんな大層なやつがおるのか」
 本当に何の悪気もなさそうにそう言う。そもそも、目深に被ったハンチング帽に遮られ、目自体が見えないので表情が読みにくい。
 だが、さしもの所長もその言葉は聞き捨てならなかった。
「……汚らしい場所で悪かったな」
 笑いながらも困った様子の妹を制し、奥からのっそり、と草間が現れる。
 老人は、それでも何らうろたえた様子はなかった。
「あんたがここの主か」
「そうだが。……何か用か」
 ぞんざいに聞くと、微かに草間を値踏みするような仕草を見せる。
 上から下までを確かめ、ようやく口を開いた。
「化け物屋敷を、一つ持っておる。元々、そうとわかって購入したものだ。ひとつ、そこを使い物になるようにしてもらいたいのだが」
 一息にそう言うと、男は笑った。
 乾ききった唇がめくれ上がり、不揃いな歯列が明らかになる。
 草間は、ただの失礼な客か、と思い、追い返す腹しかなかったもので、非常に困惑してその老人を眺めた。
 老人は、改めて見ると随分とおかしな恰好をしていた。
 目深に被った、黄土色のハンチング帽。
 黒の紋付に、下は袴だった。その両方ともが、どこか薄汚れており、一度土に埋めたものを掘り返したような風体のものだ。手に一つ、枯れ木でできたような長い杖を持っており、それを左手でついていた。だが、それを持つ手のほうがよっぽど木のようだ、と思った。
 変わり者の資産家でも装っているのだろうか。だが、あまりにちぐはぐだ。
 草間は、不審に思いながらも、話を続ける。
「……分かっていて買ったのなら、自業自得というものじゃないのか」
「ただの噂と思っておったのよ。だが、家人も使用人たちも嫌がって、どうしても屋敷に近寄らぬ。困っておるのだ。助けては、もらえんか」
 まったく困ってもいなさそうな口調で、老人はそう言う。
 言っていることにそう不審なものはないのだが、どこか引っかかった。
「ここは、困っている者を助けてくれると聞いてきたのだ。場所は、少し地方なのだが、ここならば大丈夫だと聞いて、頼ってきた。できる限りの報酬は出そう。よろしく頼む
 老人は自分が困っている、ということを何度か強調し、くどくどと少しずつ言葉を変えて説明してきた。
 それを出されると、草間としても強く断る理由がない。そもそも、自分の立場で、「あんたは少し胡散臭いから」などといって断るのも、随分私情を挟んだ行いだ、と思った。
「……わかった。地方となると、しばらく泊り込みになる可能性が高い。人選に少し時間をもらうかもしれないが、かまわないか」
 そう言うと、老人は口しか見えない顔をぐしゃり、とゆるませた。
 どうやら、また笑ったようだった。
 なんてぎこちない笑いだろう、と草間は思った。まるで笑い方を知らないようだ。
 老人は、件の化け物屋敷の所在が山間の村のはずれにあること。今は誰も人を入れていないこと、いつから調査に入ってくれてもかまわない、との旨を告げて、屋敷の図面と鍵を置いて、興信所を辞すことを告げた。
「……ちょっと待ってくれ。せめて、連絡先を置いていってくれよ。依頼が解決しても、連絡がつかなければ話しにならない」
 後姿にそう声をかけると、老人は、電話などない、と不快そうに吐き捨てた。
「あんなものは性に合わぬ。化け物がいなくなれば、すぐにわかる。そうすればまたここに来る」
 言い切り、そのまま扉を開けて出て行ってしまう。
 が、ふと思い出したように閉じかけた扉の隙間から僅かに顔を覗かせた。口元しか見えない、顔を。
「そうそう。調査にあたる者は、できるだけ多い方がよい。……そうじゃ。その方が安心であるからな。そうしてくれ」
 そうして、ギシギシと歯軋りでもしているような奇妙な笑いを残して、老人は去っていった。
 どことなくすっきりしない心持で、草間がちらり、とその図面を見ると、屋敷は二階建てで、随分な広さがあることが分かった。
 どうも、古い様式の和屋敷のようだった。
「……俺の性なのか? こういう厄介ごとばかりがやってくるのは」
 首を振り、大きくため息をついた後、草間は大儀そうに年代物の黒電話に手を伸ばした。


「なんだか、異様な空気を持った人だったわね……。武彦さん」
 草間が電話を切ると同時に、女の声がした。
 いまだ老人が残した奇妙な余韻の残る事務所の奥。給湯室から、そう呟きながら一人の女性が現れる。
 黒く、しなやかに流れる髪。切れ長の瞳に、中世的な顔立ちを持つ彼女は、この草間興信所の数少ない事務員。シュライン・エマ(しゅらいん・えま)だった。
 先ほど零の代わりに客の応対に出ようとしたところ、奥で様子を見ていてくれ、と草間に止められ、それに従っていた。
 当の零は足りなくなったものを買い足すとのことで、先ほど事務所を出て行き、今はいない。
「……ああ。疲れた」
 草間は、本当に急にどっと疲れがきたような気がして、書類やファイルが山積みになったデスクを前に深く、腰を下ろす。
 胸ポケットを探り、煙草を取り出そうとしたが、あいにく切れていたのでそのままぐしゃり、とボックスを押しつぶして投げ捨てた。
「武彦さん」
 その様子を見て、たしなめるように、シュラインが名を呼ぶ。
「ああ。悪い……」
 足元に転がった潰れた煙草の空を指摘され、腰をかがめて拾いながら、草間は机の上に置かれた一つの鍵と、図面を見た。
 自然と、シュラインもそちらに目を向けながら聞く。
「調査員の面々に、連絡はついたの?」
「ああ。今のところ、手が開いていて泊り込みも大丈夫そうな連中が三人ほどいたよ。現地で集合ということになった」
「そう。とりあえず、よかったわ」
 淡く笑んで頷くと、シュラインは改めてじっくりと図面を検分することにした。
「……随分広い家ね」
 図面の右上に、達筆な文字で220坪とある。二階建てだ。
 だが、二階はほとんど申し訳程度に付け足されたようで、六帖と七帖の二間と、僅かな押入れがあるのみだった。
 それに対して一階は非常に広く、敷地を最大限まで利用して、実に26室もの部屋が建築されていた。そのほとんどは和室のようだ。
 家人の居室には必ず次の間が用意され、茶室や客間なども設けられている。二の廊下に面する縁側からは庭が一望できる造りになっており、その先に小さいながら別室の茶室も設けられているようだった。
 生活していた家族はけして多くはなさそうだが、女中の間などがあることから見ても、相応の資産家のものであろう。
 草間がうなり声を上げる。
「大邸宅だ。それも随分と造りが古い。建てた奴はさながら時の人だろうな」
「でしょうね。……あの老人、詳しいことは何も言っていかなかったけど」
「ああ、調べが必要だ。場所は、山間で……S市の県境近くらしい。村が麓にあると言っていたが。村の名前は、河内村(かなしむら)というらしい」
 かろうじてメモに取った調書ともいえないものを、草間は読み上げる。
「かなし? 漢字からすると……かわち、と読むのかと思ったわ。変わった読み方をするのね」
「当て字だろう。聞いたこともない村だ。……本当にあるのか」
「あるんでしょう。そんなことを偽る意味が見えないわ」
 疑わしそうに軽口を叩く草間をいなし、シュラインはもう一度じっくりと図面に見入る。
 屋敷の敷地は、ほぼ正方形を形作っている。部屋の方角配置などについては、特に問題がないように施行されているように思った。実際に使われていたと見るに不自然ではないつくりだったが、ただ、それにしてはこれだけの和屋敷のどこにも仏間がないことが少し目に付いた。
(建てられた時代にもよるけれど……設けてあっても不思議ではないのに)
 実宅ではなかったのだろうか。頭の片隅に覚えておこう、と思いながら、今度は傍らにある鍵に手を伸ばす。と、草間が僅かに眉を顰めて聞いてきた。
「……おまえ。もう、この調査に参加する気でいるな?」
「え?」
 指摘され、シュラインは切れ長の目を何度かしばたかせ、草間を見返る。そしてその目に、どことなく心配そうな色が浮んでいるのを認めると、柔らかく微笑んだ。
「本当に心配性ね、武彦さん。私はここの事務員だもの。依頼があって、手があいていれば調査くらい行くわ。人手は、多い方がいいでしょう」
「……別に心配しているわけじゃない」
 不器用な男はそっぽを向いてそういい、くしゃり、と頭をかき回す。そして、シュラインが手に取った古ぼけた鍵を眺めながら、ふと思い出したように言った。
「…………そういえば、確かに人数は多い方がいい、と言っていたな」
「なんだか、ただ単に、人手が多い方が解決が早いから、という意味合いでもなさそうだったわね。どちらかというと――――」
 何か、含むところのあるような言い方だった。
 そもそもあの老人。服装は妙にちぐはぐで、一度地中に埋めたものを掘り返したような汚れ具合だった。それに、ハンチング帽を目深に被っていたせいで、一度も彼の目を見ていない。
 もしかしたら――――あの依頼人自身がこの世のものではないのではないだろうか。そう、思わされるような。……奇妙な老人。
「――――シュライン?」
「あ、はい。ごめんなさい。なに?」
 自分の思考に浸かっていたシュラインは、呼ばれ顔を上げる。訝しげな顔をしていた草間は、表情はそのままにとりあえず言葉を続けた。
「俺はここを離れるわけにはいかない。悪いが、調査に行く用意をしていてくれ。俺はせめて、こっちでできるだけのことを調べておく」
「はい。わかりました」
 答えるシュラインに頷き、そのまま上着を攫って、事務所を出ようとした草間だったが、何か思い直したように振り返った。
 向き直られ、シュラインも伺うように草間を見る。草間は視線を少し横に逃したまま、上着の内ポケットを探ると何かを取り出し、シュラインに向かって投げた。
「え、あ、と!」
 慌てて、その何かを受け取り、手にすっぽりと収めてから見ると、それはいつも草間が愛用している給油式のライターだった。
「…………武彦さん。これ」
「持っとけよ。役には、たたないだろうが」
 お守りだ、と聞こえるか聞こえないか、という程度のかすれ声で呟きを残し、本当に事務所を出て行く。
 残されたシュラインはほんの少しの間、彼が消えた扉を見ていたが、やがて手の中のライターを大事そうに握り締め、服のポケットにしまう。
 そして、ふと目の端に映った床の光景に、静止した。
 正方形をタイル状に並べたリノリウムの床の上に、僅かに赤茶けたものが入り口に向かって点々と、続いている。あんなものは、確か今朝出社した時にはなかったはずなのに。草間は気付かなかったのだろうか。
 不審に思い、しゃがんで手に取り、指をこすり合わせて感触を確かめてみると――――それは、土だった。
 少し湿った感じの、柔らかい土。シュラインは、今は沈黙し、閉まったままになっている扉を見る。先ほど中断された自分の考えが起き上がってきた。
「…………あの、老人」




 その村の名は、河内(かなし)という。
 江戸という時代の地図から、その村はちらほらと姿を現している。うず高くそびえる山の麓に位置する小さな村で、古くは、極度に水が少ない土壌であったようだ。その為、かわなし、という名がついたのだという。
 それが江戸をこえる頃になって、ようやく地図に河の記述が見られるようになった。
 これについては諸説様々であるが、こんな話がある。
 ある時、日照り続きで干ばつに悩んだ村人達が山ノ神に必死の祈願をしたところ、七日目に神が夢に現れ、水の種なるものが満たされた白い瓶を渡してくれた。
 その瓶の中にあった水の種を撒くと、小さなそれはたちどころに泉となり、一筋の河となった。ようやく村は水に満たされた生活ができるようになったのだ、とある。よくある、昔話の一つであろう。
 もともとは「かわなし」という読みであったが、それがなまり、「かなし」となった。明治になってそれに漢字をあて、河無としたが、今では河があることから、河の内とした。そういうことだ。
 都市と呼ばれる東京から、電車に乗ること4時間。
 その村にいち早く駆けつけたのは、調査員の中では一番年若い、早津田・恒(はやつだ・こう)だった。
 短い茶髪に、くるくるとよく動く茶色の瞳が彼の気性をシンプルに表している。
 18歳になる彼は、神聖都学園高等部の生徒で、現在は夏期休暇に入ったばかりだった。
 電車に長時間揺られた後は、さらにレトロな地元バスに乗り30分。降りる先はもちろん、河内村登山口だった。
 折りたたみの扉が開くとともに、背中に片がけしたバックパックを背負いなおし、恒は運転手を振り返った。
「サンキュー、おっちゃん。帰りも世話になると思うから、よろしくな!」
「あぁあ。気ィつけて行けヨー、兄ちゃん」
 ほとんど貸切状態のバスの中で、話し相手はあの少し訛りのある運転手のみだった。昼間だと言うのに、悠長なバスだと思ったが、これが日常の風景らしい。
 中高年だろう、バスの運転手は初め、むっつりと黙ったままだったが、そこは恒の気性でなんなく馴染んで色々と面白い話を聞かせてもらったのだ。
 バスが排ガスの息を残してUターンし、走り去る後姿に大きくぶんぶん、と手を振りながら、恒は辺りをぐるっと見回した。
 東京に比べれば、これが同じ国か、と思われるほどに緑が多い。空気も随分とすがすがしく感じられた。
 村には、あまり車の出入りがないのだろう。
 バスがずっと通ってきた道も、途中からはほとんど行き違う場所がないような狭さの道ばかりで、待避所も数えるほどしかなかった気がする。
 確かに移動手段としてはバスが通っているのだし、駅までならば時間はかかるがけして歩けない距離ではない。
 村にたった一つだけあるという商店に乗り入れる車だけが、唯一毎日この村の入り口を通過して行く車体と言うわけらしい。
 ただ自分達が知らないだけで、日本にはまだまだこんな場所があるんだな、と恒は感心する。
「ぱっ、ぱっと片付けちまったら、ここで休暇のお楽しみってのもいいんじゃねぇ?」
 陽射しを防いで、涼しい木陰を落とす木々を一通り眺めた後、よし、と呟いて歩き出す。
 肩にかかるバックパックには、数日間になるかもしれないこの村での滞在期間を過ごす為の用品と、今回草間から請け負った仕事に使おうと思って持ってきた選りすぐりの用品がぎっちりと詰まっている。
 一見してもその鞄は随分と重そうだったが、体を動かすことが大の得意で、体力もありあまる恒にはなんと言うこともない荷物だった。
 大股でするすると村を抜け、彼は目的地である山間の屋敷へと一路、向かう。



 その頃。
 次なる調査員である瀬崎・耀司(せざき・ようじ)は、遅ればせながら草間興信所を訪ねていた。
 逞しい小麦の体躯に、落ち着いた色合いの着流しを纏うこの男は、考古学者であり、つい先日まで海外の遺跡をうろついていたのだ。
 一年の半分を世界各所の遺跡で過ごす彼は、一つ何かが違えば自分がこのような出来事に行き当たることもなかったのだろう、と不思議な気分に陥る。こんな時、瀬崎は時が巻く偶然仕掛けの縁(えにし)を感じずにはいられない。
 久しく足を運んでいなかった都心の隅。何という特徴もない雑居ビルの2階、草間興信所において、彼は再会を懐かしむ間もなくこの度の依頼について、説明を受けていた。
 すでに、全調査員4人のうち、3人は問題の村に向かったという。
 では、僕が最後なのか、と顎を撫でながら、瀬崎は互いに異なる色を宿す、黒と真紅のオッドアイを草間に向けた。
「ふむ……。話は、よくわかった。思うに、その依頼者の老人とやらは、そも人間とは常軌を逸した存在であるかもしれないね。……況や、真っ当な人間であったとしても、化け物屋敷と知った上で、その家を買い取ろう、などという思考を持つのだから、少なからず人間離れした存在であるように思うが」
「……それについては、同感だな」
 頷き、草間は「怪奇事件禁止!!」と書かれた張り紙を貼った壁を半眼で見つめた。
「そもそも、あの老人、名を名乗ろうとしなかった。連絡先を尋ねたが、調査が終われば必ずわかる、といって聞かなかったし……。妙に薄汚れた服を着ていたと言っただろう。その時、俺は気付かなかったんだが、事務員の一人が老人が歩いた後の床に土が落ちていたのを確認している」
 これを、一体どういうことだと思う? と草間は、瀬崎とは視線を交えず、リノリウムの床に目を移したまま聞いた。
「ここに来るまでの道でたまたま湿った土の上を歩き、履物に付着していた土を落としていっただけのことなのか。それもありえるだろう。だが、不思議なことに」
 草間は首を竦めて視線を瀬崎に戻しながら言う。
「その土の跡。この扉を出て、地面まで続く階段には、一つも落ちていなかった」
「……なかなか、回りくどいね、草間くんも」
 まるで怪談話を語るような手法をとる草間に、瀬崎は苦笑する。
「つまり、君もその老人をただならぬ者だと判断しているのだろう。それほどに奇異な人物であるのなら、僕はむしろ一度、その御仁と面識を得たいのだが」
 そこまで言って、瀬崎はふと口を噤む。先ほどの草間の話では、老人は自分の身の証となるものを一つも明かしていかなかったということだ。
 通常、興信所というものに案件の解決を求める者の義務として、自らの素性の開示は絶対条件であるのに、彼はそれを拒否した。この依頼を無視されていないのは、偏にこの草間興信所のあり方によるものだろう。
 老人は、草間の弱みをまさに突いたのだ。『自分は困っている』。そう言えば、草間が無碍に依頼を断らないだろうことを、恐らく知っていたのではないだろうか。
 草間は、瀬崎が黙りこくってしまった理由を察したのか、おもむろに立ち上がると、山積みの資料の一番上に載っていたファイルを取り出した。
「村へ出立する前に事務員が調べていったものだ。家の図面のコピー。遡っては調べているだけの時間がなかったが、現在のその家の所有者の名だけは分かっている。これがその老人なのかどうか、まだ裏がとれていないが」
 草間からファイルを受け取り、瀬崎は中身に目を通す。
「日崎康三郎……」
「日楼庵(ひろうあん)、という和菓子のチェーン店。聞いたことあるだろう。どうもそこの先代の名が、そんな名前だったという話だったけどな」
「……なるほど」
「だが、瀬崎よ。もし本当にあの老人に会いたいというなら、俺はいますぐにその河内村とやらに急行する方を押すぜ」
 ファイルを閉じる瀬崎を見ながら、草間はポツリ、とそう漏らした。
「……何故だね」
 一瞬をおいて問い返された言葉に、薄茶の眼鏡の向こうからまっすぐな視線が返される。
「あいつは、化物屋敷が使えるようになればすぐに自分にはわかる、と言ったんだ。どこからか見張っているわけではないだろうが、紙面の嘘か本当かわからない情報を辿るよりは、ずっと早道のような気がする」
 根拠はない。勘、だな。
 そう呟く草間に、瀬崎はつい、と口の片端を上げ、頷いた。
「では、すぐたとう」



 山道は、いびつな螺旋を描いて、木々の合間を縫うように続いていた。途中までは舗装された道路だったというのに、頂上に近くなってくると、次第に荒々しい山肌の砂利道が姿を現すようになってきた。
 キャンピングカーを運転していたマリオン・バーガンディ(まりおん・ばーがんでぃ)は、密やかにため息をつく。
 車を運転することに異議はない。同行者を乗せているのだから、スピードは出せなくても仕方がない。だが、これほどの悪条件の道が待っているのなら、他の下道をさがした方が良かったのではないか、と思った。
 恐らく、この道は乗せている自分よりも乗せられている人物の方が険しく感じるはずだ。
 そう思ったマリオンは、後方の座席でなにやらファイルを開いているシュラインに声をかける。
「ごめんなさい、シュラインさん。こんな道じゃ疲れるでしょう」
 シュラインは、顔を上げた。
「あら。大丈夫よ。私、比較的乗り物には弱くないから。それより、乗せてもらってこちらこそごめんなさいね」
「それは、いいのです。どうせ私も同じところに行くんですから。他の調査員さん達も乗せて行こうと思ってたのです」
 柔和な笑みを浮かべて、マリオンはバックミラー越しに返事をした。
 それを受けて、シュラインも笑い、窓の外に目を向ける。
 山道は、頂上を越え、ようやく下りに入っていた。目の下には、遠く、この山を囲むなだらかな山々の稜線が広がっている。
「……東京から、新幹線と特急を乗り継いで、およそ4時間。そこから車に変えて……もしかしたら、あのままローカル線に乗った方が迷惑はかけなかったかしら」
「いえ、僕は大丈夫なのです。車は好きですから」
「車といえば……毎度のことだけれど、驚くわ。あなたの能力」
 シュラインはマリオンの異能を指して言う。
 マリオンは、かのリンスター財閥の数多ある美術品の管理をまかされている青年だ。柔らくウェーブを描く黒い髪の下には、密やかに光る金色(こんじき)の瞳。体型は小柄であったが、頼りない体つきではなかった。茶色を基調とした、シンプルなオーダーメイドを身に着けている。
 最も、青年といっても、彼は長生者であり、実際の年齢は見かけよりもずっと高い。しかし、外見は18歳前後か、それ以下に見えるので青年といっても問題ないだろうと思われる。
 そして、その長生ゆえの能力であるのか、彼には不思議な力があった。
 写真や絵画の静止画、もしくは映像などの動画の向こうに広がる空間に、干渉を持つことができるのだ。
 例えば、車を映した写真がデジカメにおさめられていたとする。マリオンは、そこから車を取り出すことができる。車はきちんと立体で現れるし、その機能はまったく損なわれない。
 つまり、映像や画像を保存しておけるものを持っていれば、それが丸ごとマリオンの手荷物のようなものなのだ。
 これによって、彼は調査の時にも膨大な機材や、必要と思われる器具をコンパクトにまとめて持参することができる。
 非常に重宝される人材なのだ。
 ただ、そうやって写真などから品物を取り出す彼の姿は何度見ても驚きを禁じえない。「今回も、色々と必要だと思われるものなどを持ってきたのです。食べ物や飲み物、懐中電灯やロープ、それに自転車とかも。もし何か必要があったら、言ってくださいね」
「ありがとう。心強いわ」
 その後、キャンピングカーは緩やかに山を下り、村道へと入っていった。
 途中、村の方からやってくるバスとすれ違う為、待避所を探さねばならない事態に陥ったが、マリオンも相手方の運転手も運転に長けていたので、さしたる時間ロスではなかった。


 無用に目立つことを避けるため、シュラインとマリオンは、村道に入る前にキャンピングカーを降り、一旦それをデジカメの中に収納し直した。
 お互い、最低限の荷物だけを手にして、改めて村に入る。
「山間の村だからかしら。空気がすがすがしいわね」
「本当です。……けれど」
 マリオンは口ごもった。
 駅へ向かう村からの道は一つだけのようで、歩いてきた入り口の横に丸く錆びたバス停の標識が傾いて置かれていた。

 ”河内村登山口”

 運行表を見ると、その運行数は、驚くほどに少ない。これでは、数年のうちには廃止になるのではないだろうか、と思うほどに。
「何か、妙な雰囲気ではありませんか?」
 陽はまだ十分に高く、駅側の村道からやってきた二人は、奇妙な感覚を覚えた。どこか、おかしい。――視線だ。
 見ると、今の今まで畑仕事をしていたらしい老人たちが、三、四人ばかり寄り集まって、なにやら話をしている。
 よそ者が珍しいのか、彼等はちらちらとマリオンとシュラインの方を伺う。だのに、声をかけてこようとはしない。皆、老人ばかりだ。
 人々は、そのまま、また二言、三言話したかと思うと、二人が話しかける前に三々五々、散っていってしまった。
 畑には、鍬や鎌が持ち主を失って、所在なさげに転がっている。
 数人が、何度か振り返っているのが見えた。
「……なにかしら」
「どことなく、嫌な感じなのです」
 顔を見合わせ、村を見渡す。
 歩き出した。
 集落の入り口から道は二手に分かれており、その一方は、ぎりぎりバスが通れるほどの広さをかろうじて保った舗装された道で、もう一方は人や自転車が通るだけの道、といった風体のものだった。
 見渡す範囲には、田や、畑が多く目につく。随分前に田植えを終え、米の苗たちは雄雄しい緑の頭を天に向かって持ち上げていた。
 濁った泥の水面下を、黒い尻尾を靡かせ、おたまじゃくしが泳いで行く。
 照りつける日差しは、厳しい。それでも、東京よりも涼しく感じるのは、周辺に緑が多いからであろう。
 遠く、山々は、村を守る腕(かいな)のようにぎゅっと周りを囲い、どこか空恐ろしいほどの存在感を持って、青々しい稜線を空に刻んでいる。その山の頂上は、この世で一番天に近い場所のように見えた。
「……この村の祭神は、山の神だということだけれど」
 検索に検索を重ねても、ネットで調べられたこの村周辺の伝承は山の神によって水不足を救われた、というものだけだった。
 降り注ぐ陽射しを手で避けながら、シュラインはポツリと呟く。マリオンは頷いた。
「農耕で育った村のように見えるのです。これだけ山に囲まれていれば、夏は嵐、冬は吹雪。吹き込んでくる天災を少しでもやわらげてくれるのは、多分山々に生える木々なのです。雪が積もっても、あれだけ木が多ければきっと雪崩も起きにくいでしょう」
 村は、あの山々によって守護されている。さながら、あれは神の山。そういうことではないだろうか。
「その神の山に、化物屋敷があるなんて、なんだか不思議ね」
「一見、確かに不思議なような気はするのです。でも、そういうものなのかもしれません」
「……どうして?」
 シュラインが不思議そうに聞き返すと、マリオンはどこか深い目をして言った。
「誰も手を触れず、大切にしている禁域だからこそ、悪いものが現れようと人々は放っておけるのではないでしょうか。そういった場所は世界中に存在するのです。日本で言うところの墓や、神社などの神聖な場所。そういう場所では、たとえ自分に害なす生き物でも、殺してはならない、といって、野放しにしておくでしょう」
「そういわれれば、そうね」
 人は、自らの勝手で地を切り開きながら、未知なる物や知識で説明のつけられないものに畏敬の念を抱き、禁則地として祀り上げる。そして、その禁域への畏怖が大きければ大きいほど、それを侵すものは許されざる罪人なのだ。
 村のような、限られた閉鎖的な空間であるからこそ、なお更。
 誰とて、村八分にされたくはない。
 この村には、いまだにそういった因習が残っているのだろうか。
 村や、島などの閉鎖的な空間においては、よそ者を嫌うと言う。まさか、先ほど二人の姿を見て逃げるようなそぶりを見せたのは――――。だが、今の時代になって。

 入ってくる時は広く見えた村道は、ロータリーで一時終点を見せていた。
 道は続いているものの、その先は大型のトラックが入れるほどの道幅はない。どうやらこの周辺にこの村の入用を済ませられる店共が集まっているらしく、一角はちょっとした商店街になっていた。
 ロータリーの周りには小さな植え込みがあって、道に沿うように円を描いている。その横にくすんだ赤と黄色で構成されるノボリが数本、力なく風に揺れていた。
「……山道は、この村を抜けた所にあるのかしら」
「どうなのでしょう。そこの店の人に聞いてみてもいいのかもしれません」
 マリオンが指したのは、一見駄菓子屋のようなこじんまりとした店だった。あまり、古びた感じはなく、ほかの店に比べると年季が入っていないように思った。
 店先には背もたれのない長椅子が一つ設けられ、その上に赤と青で飾り付けられた氷の旗がめくれ上がっている。真昼間だと言うのに、客の姿は一人も見えなかった。
「すいません。どなたかいらっしゃいますか」
 シュラインが開け放された引き戸をくぐり、中に声をかける。すぐに奥から「はーい、ちょっと待って」と返事があり、ほどなく年の頃、二十後半から三十ほどの女性が出てきた。
「はい、ごめんなさい。お客さんかしら。ちょっと裏で洗濯物干しててねぇ」
 そういうと、彼女は愛嬌のある笑顔を見せてくれる。シュラインは少しほっとして自分も笑顔を覗かせた。
「とんでもない。少し、道をお尋ねしたいのだけれど、いいかしら」
「え? 道?」
 上がりかまちで足をつっかけに引っ掛けながら、店主は不思議そうに一瞬眉を寄せ、改めてシュラインたちを眺めた。そして上から下までを確認すると、ようやく合点がいったように「あぁ〜」と声をあげて何度も頷く。
「あら、ごめんなさいねぇ。土地の人かと思っちゃって。あなた方、外からいらっしゃったのね。まぁまたこんな田舎くんだりまで何しに?」
「少し、所用で」
 言葉少なく微笑むシュラインに、嫌な顔一つせず、店主は「ああ、そうなんですか」と笑う。
「それはまたご苦労さんです。道ですか? どこにいらっしゃるの?」
「北方の、物見山(ものみやま)というかと思うのですが。そちらの山間にあるお屋敷をご存知かしら? そちらに調査に来たんですが」
「まぁ! お屋敷に?」
 物見山、という単語を聞いた瞬間に、店主の顔が少しこわばったように見えた。一転して、どこか不審そうな顔で二人を眺めてくる。
「あの、調査とおっしゃいましたが、あなた方は……」
「あ、すいません。申し遅れました」
 言いながら、シュラインは自分の仕事用の名刺を一枚手渡しながら礼をする。
「草間、興信所……。 東京から? あらまぁ、随分遠くから」
 シュライン、マリオンと名刺を見比べながら、店主は少し態度を軟化させる。店の外をちらり、と見、「ここじゃなんですから」と奥へ二人を誘(いざな)った。

 店内は、クーラーもかけていないのに、随分と涼しく、心地よい風がどこからか吹き込んでいた。
 狭いところで悪いんだけど、と言いながら二人を丸いちゃぶ台の前に座らせると、台所から冷えた麦茶を運んできてくれる。
 店は、家の前側の部分のみで、後ろ半分は住居になっているらしい。こじんまりとはしていたが、一人で暮らすには快適そうな一間だった。
 二人が入ってきた入り口の反対側には障子があり、開け放たれた僅かな隙間からは緑の芽吹く小さな庭と縁側が顔を覗かせている。その軒で、釣鐘型の風鈴が涼しげな澄んだ音をたてていた。
「わたしはねぇ。ほんの少し前にここに移り住んできたもんだから。ほんとのとこいうと、あんまりこの辺に詳しいってわけじゃないんだけど。それで良かったら、何でも聞いてちょうだい」
 気持ちのいい笑顔でそういいながら、けどね、と店主は声をひそめる。
「さっき聞いた山のお屋敷のこと。あんまり、この辺で聞きまわらない方がいいわよ」
「どうしてなのです?」
 マリオンが首をかしげると、店主は、どう説明したものか、と眉根を寄せた。
「あの山はね、この村にとってはとても大切な山らしいのよ。なんでも、山に神社があるらしくって、なんていったかしら。山神さま。その神様がいらっしゃるんで、あの山のことは御山とも呼ぶのよ。……そうねぇ。特にお年寄りの方がそう呼んでるかしらねぇ」
 思い出すように目を閉じながら、店主は続ける。
「あの山は、昔から、代々この村を治めている長者さまの持ち物だったらしいんだけど、今もその血筋の人が所有してるのよ。それが、一角だけ所有者が違う地(じ)があって、お尋ねの屋敷はそこに建ってるお屋敷だと、思うのよ」
「一角だけ、ですか? それは変わっていますね」
「そうでしょう。なんでも、一度その長者さまの羽振りが悪くなった時があって、その時にいくつか地分けをしたっていうんだけど、村の人たちはどうもそれをよく思ってないみたいでね。あの屋敷の話を聞くと、とても機嫌が悪くなるのよ」
 なるほど、と二人は頷いた。
 正式な手続きを踏んだとはいえ、神の山に土足で踏み込むような真似をして、ということなのかもしれない。
「しかし、それは随分と昔の話……じゃないんでしょうか。未だに、その、そういった」 マリオンが言いにくそうに口ごもると、苦笑しながら店主も頷く。
「そりゃあ、この時代になって、と思われるでしょう。わたしだってそう思うもの。だけど、ここではお年寄りが基盤だもんだから。若い人で出れる人は、ほとんど都会に出て行っちゃってるしねぇ。農作業が多いし、自然と残るのは古い考えを持った人ばっかりになっちゃうんでしょうね。お年よりは、未だに外から見慣れない人が来るとよく騒ぐもの。騒ぐと言っても、別に嫌っているわけじゃあないんですけどね」
 ものめずらしいんでしょう、と言った店主に、シュラインは心の中で、そうかしら、と思う。
 先ほど見た数人の老人達の反応は、どう見ても外からの侵入者を厭っていたように見えたのだが。
「では、その屋敷の噂などはあまりご存知ないですか」
「そうねぇ。さっきも言ったように、あまりみんな口にしたがらないのよ。だけど、口に戸はたてられないって言うでしょ。こそこそとなら、ね」
 こんな風に、と笑い、店主は思い出すように目を閉じた。
「あそこは随分昔から、誰も住んでないらしいのよ。けども、管理してる人がいてねぇ、時々いらっしゃるらしいわ。だけど、あたしまだは見たことないのよ。こんな狭い村だし、雑貨屋みたいなものも少ないから……一度くらい寄ってくれてもいいのにねぇ。まぁ、もう一つの方に寄ってるのかもしれないけど」
「その屋敷の所有者が最近変わった、なんていう話はお聞きではないですか」
「あらやだ。そうなの?」
「いえ、そういう噂はなかったか、と思いまして」
 言葉をかわしながら、シュラインは店主を見つめる。店主はしばらく考えるそぶりを見せ、うーん、とうなっていたが、やがて首を横に振った。
「いえ、やっぱり聞いたことないと思うわ。まだあたしが知らないだけかもしれませんけどね。村の誰も、あそこにはあまり近寄らないようなんですよ。やっぱりほら。私有地ってことになるでしょう? それが村の誰かのもんだ、ってんならそんなに気も使わないんだけど、一角の所有者が変わってからは、どうにも敷居が高いっていうのかねぇ」
「そうですか……」
 では、村の誰に聞いても屋敷の情報は得られないのだろうか。
 少し落胆し、一度マリオンと視線を軽く交わしてから、シュラインは質問を変えた。
「では、何でもいいんですが、この村に伝わる伝承などは、何かご存知ですか? その昔、山神が水害を救った、というような話を聞いたことがあるんですが」
「昔話も調べてらっしゃるの? ……そうねぇ。ほかに何かあったかしら。そういえば、こっちに来たばっかりの時になにか聞いた気がするんだけど」
 しばらく、沈黙があった。どうやら、何か思い出しそうなのに思い出せないというそぶりを見せる。そうして数分悩んでいたが、やがてパチン、と手を叩いた。
「あ! そうだわ。思い出した」
 ああ、すっきりしたわ、と笑顔を向けて、店主は話す。
「あの山にね。人を食べてしまう、恐ろしい化物がいるんだ、って話だったわ。大きな大きな、蜘蛛の妖怪。それを、えらいお坊さんが退治して出てこられないようにしたんだって」



 陽は、もはや暮れかけていた。
 遠く、西の空で鴉の鳴き声が聞こえ始めたというのに、村の明かりは、東京のそれに比べるとあまりに僅かな光だ。星と月の明るさが多少その光を助けはするが、じきに、そんなものは何の役にも立たない闇を纏い、夜が降り立つ。
「夜が来る前に、着けたのは僥倖だな。慣れぬ山の夜は身を滅ぼすと言うが、さて」
「私達にすれば、山に入る前に貴方に合流できたのも僥倖だけれど」
 顎を撫でながら、深く呟いた瀬崎に、シュラインが肩を竦めながら言った。盛り塩を終え、足元にも塩を撒き、踏み、今、清めを済ませたところだった。
「手は、できるだけ多い方がいいのです」
 マリオンもそれに倣いながら、瀬崎に微笑む。
「時間が合えば、私が乗せてこれると良かったのです」
「それはありがたい。帰りはぜひそうさせてもらおう。だが、まぁ電車の旅も楽しいものだ」
 どちらとて、私はかまわぬよ、と口の端で、瀬崎は笑う。
「村では、随分と聞き込みを? 何か、面白い話でも聞けたかね」
「それが、そうでもないのです」
 首を振って、マリオンは苦笑する。
 雑貨屋の女店主が言っていたことは、確かだった。
 雑貨屋を辞した後、二人はその後も聞き込みを続けたが、情報収集はけして芳しくなく、村人の反応は非協力的と言っても良かった。
 誰に聞いても、屋敷のことは知らない、近寄らない。
 そして、屋敷の話を聞いた後に伝承などのことを尋ねても、ほとんどのものは早々に立ち去ってしまい、大した情報が得られなかった。
 そう言うわけで、途中から二人は屋敷のことは一切聞かず、もっぱら伝承についてだけを聞きまわることにしたのだ。
 そうすることで、村の老人などからいくつか新しい話を聞くことができた。
「まだ日が暮れていないといっても、時間の問題だわ。暗くなる前に、屋敷に着きたいの。それに、草間から連絡があったのだけれど、もう一人の調査員が、すでに屋敷に向かっているはずだから、合流したいし」
「なるほど。承知した」
「では、行くのです」
 まだそう暗くはなかったが、山道だというのでマリオンが先頭にたって懐中電灯を持ち、瀬崎がそれに続く。一番後ろにシュラインがつき、歩き出した。
 シュラインは、山道に入る前に深く一度腰を折り、「お邪魔します」と小さく呟くのを忘れなかった。
 件の化物屋敷は、丁度村側の旧道から二、三十分上った先にある。
 公道から行く手もあったが、まだまだ陽が十分に残っていることもあり、周辺の様子を確認しておく為にも旧道を行くことにした。
 雑貨屋の店主によれば、距離としては、その方が無駄なく進めるということだった。
 山道は、木々の合間から差し込む飴色の光に包まれていた。若々しかった新緑の香りも、今は暮れ行く空気になじんで、どこか湿気を纏いつつある。
 公道から少し外れた先に口を開けていたその旧道は、両脇を深い色の木々に囲まれ、一種の塀に仕切られた路地のようだった。
 曲がりくねって先に続く道は入り組んでいて、初めの頃は脇に目を向ければまだ眼下にコンクリート作りの公道が横たわっていたが、それもすぐに見えなくなった。
 周囲は、巨大な自然に覆われる。
 太古の昔、人々はこの道に分け入り、山を開いたのだろうか。しかし、山は人を拒み、この場所は禁域とされた。
 禁忌の風習は消えたが、山を敬う気持ちは今の村にも受け継がれている。
 この山に、昔は何が潜み、今は何が蔓延っているのだろう。
 歩きながら、思い思いに、そう考えずにはいられなかった。
 旧道は、今はもうほとんど踏み入るものがないのか、背の高い雑草が所々に生い茂り、道を塞いでいる。それを掻き分け、踏み固めながらすすんで行くと、丁度二、三十分ほどで、急にならされた平らな地面が顔を出し、目の前が開けた。
 そこは、随分と広い敷地だった。
 恐らく、かつては屋敷の前庭であった場所であろう。いまや植木も何もかもがなくなり、新地(さらち)のような愛想のない地面がむっつりと広がっている。
 かつて垣根が屋敷の門に向かって続いていたのであろう軌跡を、地中に埋め込まれた不ぞろいな踏み石の表面だけが主張していた。それを目で辿ると、なにやら屋敷の門構えの脇に、奇妙な風体の人の姿が見える。
 その人物は、旧道から現れた三人の姿を見ると、片手を挙げて「うぅーっす」と気だるそうに声をかけてきた。
 最後の調査員、早津田恒だった。
 半ば駆け寄りながら、挨拶もそこそこに、マリオンは思わず呟く。
「あの、早津田さん……その恰好は?」
「おう」
 どことなくぶすくれた顔で立ち上がり、恒はうーん、と伸びをする。大きく天に向けて伸ばした手には、黒く所々汚れの目立つ軍手。左に日用品としてよく知られるはたきを持っている。顎の辺りにずり下がったガーゼマスクは、恐らく口を覆っていたのであろう。 下から上までを隙間なく検分したその姿は、俗に言う「お掃除スタイル」だった。
「俺よー……。ちょっとばかし勘違いかましてたんだよな、多分」
 さすがに驚きを隠せない、という様子の三人の面々を眺めながら、彼はそう言う。
「なんか、草間さんに、化物屋敷を使えるようにしてくれ、って話で聞いてたから、ばりばりお掃除武装で来たんだけどな。この家、ちょっとやべーみたい」
「お掃除って……。じゃあ、あなたもしかして、この家に入って、掃除したの?」
 目を見張りながら、シュラインが声をあげる。武彦さんは一体どういう説明をこの子にしたの、という叫びがありありと顔に浮んでいた。
「あぁ、入ったよ。だけど掃除してねぇよ。ただでなくてもここに来るまでちょっと迷ったんだよなぁ。道、全然わかんねぇし――――しかも、この家おかしいんだよ」
「どう、おかしいのかね」
 瀬崎が問うと、恒はマスクを毟り取り、肩を竦めた。
「よくはわかんねぇ。でも、子供が走り回ってんだ」
 見えない子供が。
 謎めいた言葉を吐いて、恒は深く息を吐いた。


 その夜は、屋敷の前庭でベースを組むことに専念した。
 依頼人や草間からは特に指示を受けてはいないが、調査すべき対象である化物屋敷の中で休むのはどうにも勝手が違う。
 全員一致の意見でそう決まり、マリオンのキャンピングカーが更に役立つ時がやってきたわけだ。
 細かい用具などもマリオンのカメラ内の手荷物の中から出してもらい、各々で協力して炊き出しをし、とりあえずは屋敷探索の方針決めの為に、各々情報を出し合う運びとなった。
 山の夜は地上よりもずっと濃く、車のヘッドライトに加えて、いくつかの灯りを足しても尚暗い。
 それぞれ食事を口に運びながら、その闇を味わった。
 腹ごしらえも一段落し、人心地ついたところで、シュラインが口を開く。
「……ねぇ。そろそろ説明してくれないかしら、早津田くん。さっき言っていた、見えない子供が屋敷を走り回っている、というのはどういうこと? そもそも、あんたどうやって屋敷に入ったの?」
「俺? 裏口から。この屋敷、ぐるりと木の塀に囲まれてんだけど、丁度半周くらいしたところにちっさい木の戸があって、そこが開いてたんだよ。離れみたいな、小部屋が建ってて、多分、中庭だろうな。そういうのがあるとこに出た」
 話を聞きながら、シュラインは図面を確認してみる。
「……恐らく、それは茶室ね」
 こちらからいうと、北西に位置する一角だ。
「ああ、そんな感じだったぜ。脇の細い道抜けて、中庭に出たら、縁側だろうな。古臭い雨戸がたくさん閉まってた。まずはその辺から拭いてくかどうか、迷ったんだけど、水がなかったんだよな」
 それでそのまま中庭を突っ切っていったのだという。雨戸は、そのほとんどがきっちりと閉まっていたが、ある一角に通常の縁側からは飛びぬけて張り出した縁があった。
「そこの雨戸が外れてたんだ。中には光がいかねぇみたいで暗かったけど、まだ外は明るかったし、入れねぇわけじゃなかったからな。そっから入ったんだ。わりいけど、土足で」
 後から綺麗に拭くつもりだったからいいだろう、と思ったと恒は言う。
 張り出し縁から中に入ると、すぐに畳がはられた廊下があった。
 床じゃないなんて珍しいな、と思いながら、恒は持参していた懐中電灯の明かりを点け、屋敷内に入っていった。
「しばらくはなんてなかった。中は埃っぽかったし、汚れてるみたいだったから軍手はめて、マスクして。クーラーもきいてねぇし、すーげー暑かった。だから、まず雨戸を全部開けたんだ」
 ほとんどの雨戸は、ひどく建て付けが悪く、すべりも悪い。すべてを開け放つのに随分な時間を要した。
 恒は根気強く雨戸を慎重に脇に押し出し、少しずつ屋敷の中に光を入れていった。
「そうやって、中庭に面した縁側の雨戸を全部開けちまった後くらいだったかな。誰かの足音が聞こえたような気がしたんだ」
 それは、最初随分と密やかなものだった、という。
 自分が豪快に畳を踏み閉める音とは違う、こそこそとした小さな足音。耳を澄ませながら、作業を続けながら、断続的にその音を聞く内に、ようやくそれが本当に聞こえている音だと認識した。それも、どうも複数らしい。
「俺は初め、あんた達が来たのかと思ったんだ。表から来たから、もう家の中にはいってんのかもしれねぇ、と思って呼んだけど、返事がない。化物屋敷だ、って聞いてただろ? もしかして、なんかおもしれぇことがあるんじゃねぇか、と思って、どこから聞こえてくるのか確かめようとしたんだ」
 姿の見えない足音の主に、俄然興味が沸いてきた。
 恒は一時掃除を止め、五感の全てで一定の間隔でやってくる足音を探す。
 家伝の古武術を体得する恒にとって、それはある意味身近な行為だった。
 廊下を向かって左に移動すると、T字型の廊下に行き当たる。畳敷きの廊下はそこまでで、二手に分かれて伸びる廊下は、両方とも黒光りする板がはめ込まれた造りになっていた。
 また、トトトト、と小走りに走り去るような足音がする。恒は首を回し、まっすぐに続く廊下と、右手にある廊下を交互に見た。
 両方とも、大体同じくらいの距離を伸びた後、L字型に折れ曲がっている。足音は始まっては止み、また始まって、を繰り返しており、その方向ははっきりとは知れない。
 だが、なんとなく右側の廊下から気配がするような気がして、恒は右に足を向けた。
 片側の縁側を開け放ったところで、ここまでは光も届かない。
 いい加減目も慣れてきてはいたが、やはり薄暗い家の中。僅かな光源で先を照らすと、こごった闇の中にもうもうと埃が舞った。
 少し歩くと、すぐに行き止まりが来る。L字に見えた廊下の先は、細くまっすぐ続いており、どうやらこの先に浴室があるのだろう、と分かった。
 折れ曲がった先には、ほんの少しだけ同じような床板があり、そのまた先は一段低くなっていた。どうも、土で踏み固められた土間廊下のようだった。
 懐中電灯で照らしながら土間に下りると、その脇に二つ、間隔を開けて扉がはまっている。
 扉の形からして、恐らくこの先は土蔵になっているのだろう、と伺えた。石の廊下の突き当たりは木の引き戸がはまっており、押入れになっている。中には、何か雑多な道具が無造作に放り込まれていた。使われなくなって、随分たつのだろう。農具のような長い棒の先に蜘蛛の巣が何十にも張られている。
 押入れを閉めて、恒は改めて土蔵の方に目を向けた。
 懐中電灯で照らされた扉は、元は白かったのだろう、薄汚れた石壁を浮き上がらせる。 その面から幾らかへこんではめ込まれた扉の上の方に観音開きの覗き窓がついており、今はきっちりと閉まっていた。真ん中に、赤く錆び付いた鉄の錠が下りている。
 手で上げ下ろしするだけの、本当に簡易的な錠だ。
「……錆び付いてて、動かねぇな」
 力を込めて上に上げてみたが、ボロボロと赤錆が落ちて軍手を汚すだけで、錠は動こうとしなかった。
 息をついて、恒は軍手の汚れを払う。

 コト……トトトトトト

 ――――その時、また音がした。
 随分近い。どうやら、はっきりとはわからないが、音は土蔵の中、もしくはその向こうから聞こえてくるようだった。
 試しに土蔵の扉を押してみるが、こちらもびくともしない。これは、専用の鍵か、何かなければきっと開けることはできないだろう。
 依頼は確か住めるようにしてくれ、ということだったから、いくらなんでも探検で家のものを壊すわけには行かない。
「……おとなしく、掃除すっか」
 実力行使も諦めて、恒が一旦探索を打ち切ろうとした時のことだ。
 屋敷の中を、激しい、甲高い音が駆け抜けた。
 形容しがたい、耳障りなノイズ。
 それは、ほんの十秒か、十五秒ほど鳴り響いていたと思う。
 あまりに突然の大音量に、恒は一瞬で役立たずになった耳をきつく押さえ、顔を顰めていることしかできない。そうしている恒の視界には、先ほど歩いてきた木の廊下と、その先の浴室へ続く扉が映っていた。
 ふと、目の端に何かが横切ったような気がした。
 遠く、先ほどまではきっちりと閉まっていた浴室の扉が開いている。
 確かめようと、目を更に顰めて立ち上がると、背中側に気配がある。
 恒の背中は、瞬時にまるで氷水を浴びたように冷え込んだ。
 石の蔵から、硬く、冷やされた寒々しい空気と風に乗って、歌のような、でたらめな節が聞こえてくる。
「――――――」
 どうやら子供の、声だった。
 ひどくあどけないのに、抑揚のない単調な声。

 ――――やーい、やーい

 ――――おきてやぶりはばちぬぐい

 ――――さんどめぐってあなくぐり

 ――――かんなびおかしはよみへぐい

 ――――にどとどこにもかえられぬ

 ――――やーい、やい

 声に背を向けて静止したまま、恒はしばらく動かなかった。
 声は、もう止んでいる。先ほどまで熱された室(むろ)のようだった空気は冷え、今は鳥肌がたつほどに温度が低下していた。
 口を覆っていたマスクを下げ、埃を含んでいることは知りながら、恒は空気をゆっくりと吸い込み、体に取り入れる。
 丹田に気を練り、足腰に力が入っていることを確かめると、慎重に歩き出した。
 もう、この屋敷をすみずみまで掃除しよう、という気持ちは、なくなっていた。

「で、さっきに至るってわけだ。なんか居るのは間違いない。俺が言うのもなんだけど、ちゃんと調査しようぜ」
 あれじゃあ、依頼人もそりゃあ使えねーよ、と首を鳴らす恒に、マリオンが頷く。
「何事もなくて、良かったのです。今日のうちに体制を整えて、明日から調査ですね」
「……そうね。図面をコピーしておいたから、各自一枚ずつ持っていて。構造はできるだけ覚えながら言った方がいいと思うの。……早津田くんがその歌を聞いた土蔵というのは、どうやらここね」
 言って、シュラインは先ほど茶室があったのとは反対側、屋敷の北東にあたる部分に印を書き込んだ。
「しかし、その歌は奇妙だね。一見わらべ歌のように思えるが、そうではない」
「ン? どういうことだ?」
 首を傾げる恒に、瀬崎はそうだね、と顎を撫でる。
「おきてやぶりはばちぬぐい。これは、掟破りは罰拭い、だろう。次の、さんどくぐってあなくぐり、の真意はわからないが、その次の節に”へぐい”という言葉が出てきたね。これは、償い、ということだ。謳われている相手は、恐らく、何か罰せられるようなことを侵したのではないだろうか」
 わらべ歌の中でも、一種の脅し歌に分類される民謡だろう、と検討をつけた瀬崎に、恒はなるほどなぁ、と頷いた。
「エマくん。聞きたいんだが、ここに上ってくる前に、この辺りの伝承で、何か新しい話を聞いたと言っていたね。あれはどんな話だったのかね」
「あぁ、あれね」
 巨大な水筒からよく冷えた麦茶を各コップに注ぎながら、シュラインが応じる。
 深い紺色の空の中天には高く月が昇り、昼間の熱の猛威はようやく和らぎつつあった。「ええと、この周辺の伝承は大きくわけて二つほどあってね。一つは、水に困った村人達を山神が救う、救済譚。もう一つは、この山に人食いの化物が出て困っていた時に、旅の僧がそれを退治した、という妖怪退治譚だったの。救済譚については、ネットでも検索できたんだけれど、そういう、人食いの化物がいた、という話については初めて聞いたものだから」
 次いで、マリオンが話す。
「その人食いの化物は、当時、山を越える旅人や、村人を無差別に襲っていたらしいのです。何でも、この山の中腹――――ここからそんなに遠くはないと思うのですが、そこに大変巨大なご神木があり、そこを根城にしていたとか。ご神木に宿る化物ということで、村の人たちも処遇を決められなかった。食われる人々は、半ば人身御供となります。彼等にできたのは、できるだけこの山を越えないようにすることだけだったのです」
「そこに、旅の僧が来たのだね?」
「そうなのです。彼は知恵者であり、神の使いであるものが、そのように人を食い殺すわけはない、と退治を申し出たのです。村の人たちの反応は様々だったそうですが、結果的に僧は土蜘蛛退治に乗り出すことになった」
「土蜘蛛……?」
「はい。ここの妖怪は、土蜘蛛なのだそうです」
 マリオンの言葉に、瀬崎は目を細め、やがて何度か頷いた。そして、屋敷を顧みる。
 蟲の声が、屋敷と、神の山を彩っている。
 瀬崎が黙り込んだのを期に、場が少し解け、恒は「皿洗ってくる」と皆の分を集め出し、マリオンもそれを手伝い、雑貨屋の店主が教えてくれた沢場へと降りて行く。
 シュラインは、自分もそちらを手伝おうか、と立ち上がったが、思い直して屋敷を見たままの瀬崎に声をかけた。
「さっき、この山に上ってくる前、草間に電話したと言ったでしょう。その時に、この村の成り立ちを調べてくれるように言ったの」
「……土蜘蛛。それが、気になってのことだね」
 振り向かないままに、言葉だけを返してくる瀬崎に「ええ」と頷く。
「この国で、土蜘蛛といえば、単純に源頼光が倒したという、虎の顔に八本の足、という妖怪も確かにいるけれど、どちらかというと気になるのは土蜘蛛一族の方だわ。それが山に近い村だというのならなおさら。村の人たちが山を異常に神聖化するのが気になるの」 山の麓の村にとって、確かに村は脅威であり、同時に無くてはならない恩恵を与えてくれる恵みの場所でもある。だから、山を神として奉ること自体には何の疑問もわかないのだ。だが、その山を禁域としていたという箇所が、どうしてもシュラインにはひっかかる。
 かつて、山の国で天皇に逆らい、まつろわぬ民と称され、迫害を受けてきた先住民達も、土蜘蛛と呼ばれた。彼等は、国家統一に従わない、というだけの理由で大和の民に排除されてきた民族だった。
 山深い生活により、異常に発達した足と手の長さから、土蜘蛛と呼ばれた。これが、鎌倉の時代になって妖怪と変化したのだ、という学説がある。
 また、彼等は土蜘蛛のほかにも足長、手長、と呼ばれることもあり、これも妖怪として恐れられ、畏怖の対象とされているに他ならない証だった。
「この化物屋敷が、村の伝承や現在の様子とどう関係があるのかわからないけど……気は引き締めなければと思うわ。調査は、慎重に進めるつもり」
 依頼人の真意が、気になるの、というシュラインに、瀬崎も頷いた。
「……そうだね。私もそのように心得るつもりでいるよ」
 そう言った瀬崎に頷き返して、シュラインは寝床の準備をする為、キャンピングカーの方に歩いていった。
 ベースの灯りの下、一人きりになった瀬崎は、変わらず屋敷を仰ぎ見る。
「何を内包しているのか、この屋敷は。その抱え持つものの断片でもいい。――見たいものだね」
 屋敷を相手に、瀬崎は呟いた。
 屋敷は黙して、語らない。
 僅かに欠けた月が照らす夜の穏やかな光景は、さながら、荒れる一幕の前哨のようであった。

To Be Continued.


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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4487/瀬崎・耀司/男/38歳/考古学者】
【5432/早津田・恒/男/18歳/高校生】
【4164/マリオン・バーガンディ/男/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長】

五十音順


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■         ライター通信          ■
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はじめましての方も、そうでない方も、この度はご発注真にありがとうございました。
猫亞と申します。

今回のノベルが、ご希望通りの仕上がりになったかどうかはわかりませんが、
感想・要望・苦言などありましたら、お気軽にお寄せください。
次回執筆への原力とさせていただきます。

今回は、OPに小さく前・後編になるかも、と書かせていただいていたのですが、本当にそうなってしまいました。
今回での終わりを想定していらっしゃったお客様には、申し訳ないことです。
色々とモリモリ盛り込みたくなってしまって膨らんでしまうのです。
せめて面白くなるように頑張ります。

後編については、これより一週間後。
来週の金曜日辺りに窓を開くようにしたいと思います。
詳しくはまたクリエーターショップなどでお知らせするようにしたいと思いますので、よろしければご覧ください。

◆シュライン様◆
この度も当依頼へのご参加、まことにありがとうございます。
もうかなり草間氏とのやり取りを書くことが楽しくなってきて、いつもどう絡んでもらおうかつい考えてしまいます。
少しでもお楽しみいただけていると幸いです。

◆早津田様◆
はじめまして。この度は当依頼へのご参加、まことにありがとうございます。
が、申し訳ございません……。集合型ノベル、ということで、プロットの関係もあり、今回ばかりはご希望に添えないノベルになってしまったかもしれません。
あまりプレイングを活かしきれなかったところがあり、自分の力不足を痛感するばかりです。
キャラクターとしてはとても動かしやすいキャラクターで、書いていて楽しかったです。少しでも楽しんでいただけるといいのですが……。

◆マリオン様◆
こちらのPC様でははじめまして、です。大きな勘違いをしていないといいのですが。
この度は当依頼へのご参加、まことにありがとうございます。
作中でも紹介させていただきましたが、本当に調査の際には欠かせない人材かと思います。スピード狂、ということでその部分が書けずに少し自分で不満なのですが、場を和ませてくれるマリオン様の雰囲気はこういった依頼の時にはひどく在り難い存在だと思います。
少しでもこのお話をお楽しみいただけましたら嬉しいです。

◆瀬崎様◆
こちらのPC様でははじめましてですね。
この度は当依頼へのご参加、まことにありがとうございます。
ご用命をいただけた時には非常に嬉しかったものです。しかしプレイングをやはりあまりいかしきれていない気がして心が痛みます。
精進したく思います。
前・後編となってしまいましたので、中途半端なこれからだろう、というところで話が終わってしまっておりまして、恐縮です。
少しでも、お楽しみいただけいていると幸いですが。


それでは、今回のご参加、まことにありがとうございました。
今回はこの辺で。

猫亞