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罠と愛の確かめ
今日はとても天気が良い。
黒の艶やかな髪を揺らし、シリューナは散歩へと出かけていた。こつこつとヒールを慣らしながら歩いていれば、ふと、目にかかるのは一枚のポスター。
まだ新しいものなのか、色あせもせず張りがあった。内容といえば
「へえ…展覧会、ねえ…」
シリューナの見たポスターは、世界中の特殊なものを集めた展覧会だそう、明日からの展示だとか…。それにしても、ポスターには不思議な絵や、壺、また良く判らないものまでレイアウトされている。
一つに銅像もあった、それを見たシリューナの赤い目は瞬かれ…口端が上になる。不敵な笑みは、太陽の光に当てられようとごまかされはしないだろう。
「あっ、お姉さま!お帰りなさい!」
シリューナが帰ってきたのを、尻尾を振る子犬のように出迎えたのは弟子のティレイラ。純粋な笑顔をシリューナへと振りまいている。
シリューナの笑みは消えてはいないが、企みは微塵も感じさせない穏やかなものだ。
「ティレ、良いものを見せて上げよう。こっちへおいで」
師事しているシリューナの導きともなれば、尻尾が在れば千切れんばかりに振っているだろう事は間違いないほどにはしゃいでしまっている。
「わ、本当ですかあ?!行きます行きますっ」
喜んで!と言わんばかりに、大手を振るってシリューナの後について歩みいく。シリューナの腕が円を描けば、空間に捩れが生じたのだろう、ぽっかり大口を開けたようにも見える。
「さ、お入り」
「はあい」
シリューナに招かれれば、ついて行くのは当たり前。だが、ティレイラには一つ不安があった。それは、つい先ほどの事が発端となる。
『やです…止めてください!』
『これも、修行の一環だと思え』
『そんな!ひどい、あんまりです…』
幻覚と言うよりは幻聴…なぜなら、それは暗闇の中で行われるだろう会話だったからだ。
…行く先はどうやら暗闇の様子、ティレイラはあの未来はすぐにひっくり返せることだと良いと願いながら、シリューナに招かれるよう歩みを進めて行くのだった。
「…わあ、何ですか?コレ…」
暗闇を抜ければ、思ったよりも明るい其の場所。ティレイラの目の前には、物珍しい数々のアンティークな物が無数に安置されている。それらのジャンルは幅広く、金銀の装飾類の類に見たことも無い絵画やレリーフ、果ては壺から銅像までと並んでいた。
ティレイラは初めて見るだろう、それらをまじまじと観察している。これをシリューナは見せたかったのか、其れを思い出せば思わず口元が綻んでしまう…が、そう上手くはいかないのもいつもの事だろう。
「ティレ、そこにお座り」
「え?あ、はい…お姉さま、何を?」
台座のようなものにシリューナの言うとおり、腰を落ち着けるものの…なんだか落ち着かない。ティレイラに一抹の不安がよぎる、思わずシリューナを見上げ問いかけたのだが…眼に映るシリューナの表情に動揺は隠し切れない。シリューナは不敵な笑みを浮かべ、ティレイラを見ている。そう、其の表情は意地の悪い事を仕掛けてくる前触れでもある。
シリューナの腕が振るわれた、微かに形の良い唇が動いている。何か呪文を唱えている、駄目だ、危険だ、早く逃げなければ!ティレイラの心臓は早鐘を打ち、今にも口から飛び出そうなほどと感じれた。少しばかり眩暈を起こしながらも何とか立ち上がろうとすれども…
「っ、や、やです…なんで…!」
立ち上がった瞬間、足が動かず台座へとしりもちをついてしまう。痛む腰を擦りながらも、動かぬ原因を探ろうとすぐに目線を下へと下げれば、そこには皮膚のような柔らかさを称えた巧みの石像の足が見えた。今、己の身体は着々と石化していくのをティレイラはまじまじと己の目で見てしまう。
我を忘れて思わずぼうっとしていれば、ぱっと室内の電気が消された。コレでは真っ暗闇だ、己の掌だって見えはしない。ティレイラは慌てててを彷徨わせ、シリューナを探すが微かな笑い声しか聞こえはしない。
「やです…止めてください!」
…ティレイラは己の口走った言葉に思わずはっとしてしまう、ああ、この事だったのだろうか…もう少しためらいを覚えるべきだった、そう頭の端で後悔をするもそういう場合ではない。石化は腰まで進む、すでに後ろへと振り向けはしないくらいまで、肌は石に覆い尽くされて行った。
「これも、修行の一環だと思え」
「…そんな、ひどいです、お姉さま…」
シリューナの言葉に哀願しようとも無駄なことは知っているのか、ティレイラは必死に腕を動かし、足も動かそうとしているのか腹部の筋肉が動くのを感じるもそれだけだ。石となった両足は全く動こうともしてはくれない。
徐々に石化の呪文は身体を這い上がってくる、それから逃れるように首を少し伸ばして顎を上げるがそんな抵抗では逃れられる訳もなく…。ぴきぱきと小気味良い音を立てながら、石の肌は既に頬まで来た。ティレイラの目に涙が浮かぶ。
「ひどい…一体、いつまで…」
「一週間のみ、美術館の展示が終われば元に…もう、聞いてはおらんだろうな」
シリューナが期限を口にする前に、ティレイラはすでに旋毛まで石と化してしまっていた。くすりとシリューナは笑みを浮かべる、明日からの展示、楽しみだと言わんばかりの嬉しげな顔…じっくり眺めてあげよう。
(ああ、一杯人がいる…どうなるんだろ…)
展示会場へと搬送されたティレイラの石像は、元々在るはずがない故に何処に置こうかと主催者がとても苦悩していたのだが、出来も見栄えも良いその石像。主催者は気に入ってしまったらしく、空いていた展示場の真ん中、とても目立つ場所へと置かれてしまっていた。
展覧会は無事に開式し、沢山の人が入ってくる。そして、まるでそのまま人を固めたかのような石像に、食いつく人もまた多い。
(あんまり見ないで…!!)
ティレイラは心のそこから恥ずかしさを感じるも、石ゆえにそれは表面には出ない。ほっと安堵はするものの、羞恥心が消えたわけではない。凝視する沢山の者たちの視線から逃げたい…と言う意識はあるが、どうにも手足は石。髪の毛一本すら余す事無く、石像と化している。
暫く経った後、ようやっと人々は立ち去り始める。閉館の時間だろう、展示会場の電気は消され、しんと静まる広い会場にティレイラは少しばかり恐怖心が芽生えてくる。こう言うときに限って、先見の幻影は現れず…。
暗闇は外からの明かりを素直に受け入れては、また閉ざすのを繰り返す。ティレイラは泣きたくなったが、目頭は冷たいまま。
(もう…疲れた…いつ、元に戻れるのかしら…)
すでに石に去れて一週間、ぼうっとティレイラは人々に見られながら、シリューナの事を考える。しかし、全くと当の本人は現れはしないのだ。未だ慣れる事はない好奇の視線を浴びるのは、さすがに精神的苦痛も大きく…疲労困憊し衰弱していると自分でも判るほど。
溜息を吐きたいが、石の唇は閉ざされたまま動きはしない。まるで死んでいるのと変わりないのでは…、などと考えをめぐらしてしまうのも、また道理の話しだった。
「ええ、はい、判りました…貴重なものですが、其のお値段でしたら」
…ティレイラの機能していないようで、している耳は微かな話し声を受け取った。それはなにやら商談のよう…恐らくは、この展示品たちのどれかが売れたのだろう。
自分は相当な大きさだ、自分ではないことをティレイラは考え、次はどの品だろうと考えるが、視線は固定されたまま動けはしない。きっと美しい装飾品や壺だろうか、いや、絵画かもしれない。
そうこう考えているうちに、時は既に夜。展示会場の明かりもぽつぽつと消されていく…はずなのだが、何時まで経ってもティレイラの周りだけ明かりは付いたまま。まるで舞台上の女優のように照らし出されるティレイラの石像は、飽きる事無い愛らしさがある。
「こちらです」
あれに見えるは主催者、誰かを連れて此方へと来る。
連れて来られたものの服装は、真黒で闇の中に埋もれるように顔と手と足が辛うじて見えた。主催者はティレイラの前まで歩み寄り、そっと掌で指し示すのは…ティレイラの石像。
連れてこられた人物は初老の女性客のようだ、髪は上へと結い上げているのだろうか、それとも短いのか…帽子で見得はしない。
(…ん?)
「美しいでしょう、何も検査はしていないので、何時の時代のものとも知れませんけれど…」
(…ちょっと)
「お気に召していただけて宜しかった、もうすぐトラックが着きます。この石像、大切にして下さいね」
(…待ってーーーー!!!!)
そう、やはり…と言うべきだろうか。売られ行くのはティレイラだったのだ。主催者の言葉に女性は軽く…だが満足そうに頷いただけだった。
主催者の携帯電話が高い悲鳴のような音を上げた。どうやらトラックが来たようだと主催者は軽く女性に頭を下げて、展示会場を後にする。…残される女性客と二人きりの状況は、石になろうともティレイラに気まずさを覚えさせた。
(…ああ、そんな…売られるなんて、ひどいよ…)
気まずさよりもそちらのショックがぶり返してくる、…お姉さまはこの事を知っているの?このまま本当に連れ去られてしまったら?私はこの女性の家で一生石像として暮らすの?お姉さまが助けに来てくれなかったらどうしよう…。
不安な考えは何時まで経っても収まることはない。それもまた当然だろう、目の前に迫る危機に石になろうとも心臓が早鐘を打っているように思えた。
「…さすが、綺麗な石像だわ」
(石像じゃないのに…)
出てきそうな気がする涙を堪えなくとも、ティレイラの涙腺は硬く石に閉ざされている故に、目から涙は溢れることはない。…低い、展示品のひとつ、柱時計の午前0時を告げる音が響く。
一体自分はこの後どうなるのだろう、ティレイラは思わず溜息を吐いてしまう。……おや、唇が、動いた…?
「…っあれ?」
そして、水の感覚が頬へと伝う。目は潤み止め処なく涙が溢れ出しているのに、ティレイラは一週間石になっていたがゆえに、数秒遅れて気付くことになった。
恐る恐ると肩を動かし、腕を上げる仕草。当たり前の動きなのだが、つい先ほどまで全く自由の利かなかった腕は、すんなりと上がり細い指は頬へと触れた。…柔らかい感触、石ではない。
「泣くな、元に戻してやっただろう?」
「…ぉ、姉さま…」
上手く声が出ない、しかし、目の前にいたのは初老の女性客ではない。服装は同じだが、髪は下ろされ艶やかな光を放ってゆれている、それは師のそれ、其の物。
「中々の石像の出来栄えだった、客の目もティレに釘付けだったな」
シリューナは満足そうに笑って言い遣る、ティレイラはまだ慣れてないのか台座に座ったままだ。だが、不満そうな表情を作る事だけは出来た。
「嬉しくありませんっ」
「そうか?よく褒められていたのと言うのに」
つんと返答を返すティレイラに、シリューナは飄々とそれに返す。ティレイラの不服そうな表情は崩れることはない、が…頬に己の指以外の指が触れたのにティレイラは気付いた。
シリューナは何時の間にやら近くに寄っていた、その手は上げられ、何処へ向かっているかと言えば、ティレイラの頬。
「…何時まで泣いている気だ」
「…泣いてません」
「泣いてる、ほら」
シリューナの指がティレイラの頬に線を描く、ティレイラは冷たい線が頬に描かれていくのを感じ、それはすぐにティレイラ自身の体温で紛れてしまった。
少しぐすんと鼻を鳴らし、目の潤みも更に増す。それで箍が外れたように、ティレイラは両腕を思い切り伸ばせば、目の前のシリューナへと抱きついたのだった。
「…一週間も石にされていれば、泣きたくもなりますっ」
「はは、では今度は三日ではどうだ?」
シリューナの言葉に、一瞬唖然とするも、力強く嫌です!と断りを入れれば、抱きつく腕に力を入れる。
「お姉さまの傍が良いです」
安堵したようなティレイラの表情と声に、シリューナは優しく口元を緩め、抱き返す。
暫くの間、無言の抱擁が続けど主催者の足音だろう。耳へと届けば、ティレイラの背後がぐにゃんと曲がる。
「さ、帰ろう」
シリューナの言葉に、ティレイラは軽く頷いたまま。シリューナの足は後ろへと下がった、身体は徐々に歪んだ空間のひずみへと沈みこんでいく。
―――――二人は抱き合ったままに、歪んだ空間へと溶け合っていった。
今宵の夜は深い、月光はライトのように眩しく夜空を照らす。星々は月の明かりに隠れるように、微かに瞬いた。街路には、風が吹きぬけ木を揺らす。
さて…二人の姿は、無事に家にあるだろうか。
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