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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


七夕。夕涼み。願い事。



 温泉旅館から帰ってきて――。
「……なぜ、こんな……」
 困惑したような表情で、遠逆和彦は呟いた。
 いつもは静かな温室内がガラっと変わっている。
 楠には風鈴がつけられており、どう見ても不恰好だ。その下には竹縁台が置かれ、彼はそこに座っている。
 それだけならいい。まだ……いいのだ。
 七夕用の笹がでーんと置いてある。それを見て彼は呆れたような、どこか疲れたような表情をした。
(笹が届いているのはいいが……もっと質素にできないんだろうか……)
 持っている線香花火が、終わった。なんとも寂しい。
「あった。ありましたよ、短冊!」
 元気よく戻って来た都築亮一は、和彦に近づく。そして短冊を一枚差し出した。
「ほら、和彦君。願い事、書いて」
「…………」
 青ざめている和彦の様子に「あれ?」と亮一は怪訝そうにした。
 気づけば足元に小動物。毎年のことだが、この温室を根城にしている動物たちはやけに賢く、自分たちも短冊を書かせろとばかりに集まってくるのだ。文字が書けないので……だいたいは足跡とかばかりなのだが。
「ああっ、待ってください。ちゃんとあげますから」
 動物たちに短冊を渡していたのだが、途中でドサ、と音がして顔をそちらに向けた。
 見れば和彦が縁台から落っこちている。彼を取り囲んでいるリスやウサギが手で和彦の顔をフニフニと押していた。
「か、和彦君っ!?」
 なんで?
 亮一は和彦に近づき、様子をうかがう。彼は完全に気絶していた。
「ど、どうしちゃったんですか!?」
 和彦の顔色は悪い。
 熱はないようだし、脈拍も正常。突然どうしてと亮一は不思議そうにした。
「和彦君! しっかりしてください!」
「う……」
 うめきながら瞼を開けた和彦は気持ち悪そうな顔をして視線をさ迷わせる。亮一で目をとめ、「ああ」と気の抜けた声を出した。
「悪い……」
「いや、いいんですけど……。大丈夫ですか?」
「…………平気だ」
 ぼそっと呟き、彼はゆっくりと起き上がり、縁台に腰掛けた。だが、心なしか動物から離れるようにしている。
 そういえば先ほど亮一が短冊を持ってここに来た時、一斉に小動物が集まった。その時には和彦は気分が悪そうだった。
 亮一は動物たちに短冊を渡し、和彦の横に腰掛けた。
「顔色悪いですよ?」
「…………気にするな」
 沈んだ声で応える和彦は、薄く笑う。
 美桜ならば話すのだろうか、と亮一は思った。ペンを差し出す。
「筆ペンですけど、ハイ。願い事、書いてくださいね。飾りますから」
「……願い事……」
 心底困ったように和彦は視線を伏せる。
 亮一は自分の短冊に願い事を書き始める。ここぞとばかりに己の願望を書くことにしているのだ。
(えーっとまずは、美桜が幸せになりますように。それから、仕事量が減りますように。それから)
 ちら、と横目で和彦のほうを見遣る。和彦は短冊を凝視したまま、全く手が動いていない。
(……和彦君が、俺に心を開きますように)
 これはあまり期待できる願い事ではないが、まあ書かないよりはいいだろう。
「ん?」
 亮一は視界の隅に映ったものに気づいてそちらに顔を向けた。
 手作りの蕎麦を持ってこちらによたよたと危なっかしい足取りで向かっている神崎美桜の姿に、苦笑する。
「大丈夫ですか? 手伝いましょうか?」
 声を大きくして聞こえるように尋ねると、美桜は大丈夫とばかりににっこり微笑んだ。
 蕎麦を持ってきた美桜は、亮一と和彦が並んで座っているのに驚いたようだ。それはそうだろう。彼女は旅館での亮一と和彦の喧嘩を目撃しているのだから。
 目で「仲直りしたの?」と亮一に訊いてくる美桜に、亮一は肩をすくめてみせた。
「美桜はもう、短冊は書きました?」
「え? えと……は、はい」
 照れたように言う美桜は短冊を渡す。短冊を飾るのは亮一なのだ。
 書かれた願い事に亮一は無言になった。いつもと変わらないものである。
(また書いてますね……泳げるようになりたいとか…………あ)
 一つだけ違う。
(兄さんと和彦さんとずっと一緒にいられますように……。ダメですねえ、美桜は。もし和彦君と結婚したら、俺は『ずっと』居られないですよ)
 だがまあ。
(このへんは少し成長した、と思うべきなんでしょうけど)
 そんなことを思っている亮一から視線を外し、美桜は和彦に声をかけた。
「和彦さん、短冊になんて書いたんですか?」
「えっ?」
 ぎょっとしたように彼は顔をあげ、それから手元を見て唸る。
「……その、なにを書けばいいのか……」
「そんなに深く考えなくても……。自分の思ったことを書いてください」
「…………そうか」
 あまり心が晴れないようで、和彦は憂鬱そうな表情で筆ペンを動かす。
 元気の無い和彦の様子に美桜は落胆し、それから亮一に「スイカをとってきますね」と言って貯水池のほうへ向かった。彼女が持ってきた蕎麦は、亮一が受け取っている。
 残された亮一は蕎麦を縁台に置き、そっと和彦を見遣った。
(……眉間にすごい皺が……。願い事を書くだけでそんなに難しそうな顔しなくても……)
 口数の少ない和彦が何を考えているのか、亮一にはわからない。
 無口、無表情が常。美桜と居る時は若干表情が柔らかいようだが、基本的にはいつも生真面目な顔をしている。
(美桜と似てるんですよね……よく考えれば。この感情表現の下手なところとか……)
 今まで美桜を護ってきた。だが……和彦も護るべき対象ではないのだろうか?
 そう考えた亮一は和彦に声をかける。
「和彦君」
 彼は呼び声に反応して、こちらを見た。
「俺のこと……兄さんと呼んでいいんだよ?」
 微笑して言うと、和彦が一瞬で鳥肌を立てた。
「完璧な人間なんていないんだから、もう少し肩の力を抜きなさい」
 そう言って抱きしめようとしたが和彦が身を引いて、亮一の手から逃れた。
 亮一は和彦をじとっと見遣る。
「なんで逃げるんですか?」
「に、逃げるに決まってるだろ! 男に抱きつかれる趣味はないぞっ!」
「感動的なシーンに抱擁はつきものです。さ、こっちへいらっしゃい」
「や、やだ!」
 慌てて縁台から離れる和彦に、亮一は嘆息した。
「も〜……せっかく美桜がいないんですし、腹を割って話しをしましょうよ」
「…………」
 和彦は躊躇するような仕種をしたが、先ほど座っていた場所に戻って腰をおろした。お、と亮一が期待の眼差しをする。
「兄さんて呼んでくれるんですか?」
「……呼ばない。それに……俺は、自分が完璧なんて思ったことは一度もない。愚かで、未熟で、どうしようもない人間だとは思ってるが」
 言い過ぎではないだろうか?
(和彦君て……意外に暗いんですね……。後ろ向きというか……)
 汗を流す亮一に気づかず、和彦は少しもじもじする。
「あの……言いたいことを言えって、ことだよな?」
「はい?」
「腹を割って話すって……やつ」
 亮一はパッと顔を輝かせた。内心を語らない和彦から話してこようとするとは!
(まだ短冊飾ってないんですけど、いきなり願い事が叶ってしまいましたよ!)
「ええ。どうぞ。言いたいことがあるんですね?」
 また屋敷が広すぎるとか、過保護が度が過ぎるとかだろうか? まあそのへんは聞き流そう。
 こくんと和彦は頷いた。彼は決意したように拳を握り、亮一のほうに顔を向けた。
「俺……前から言おうと、いや、言いたかったんだが…………ここが苦手なんだ!」
「………………はい?」
 目を点にする亮一に気づかず、和彦は堪えていたものを吐き出すように続けた。
「実家がでかくて広かったのもあるんだが、俺は広すぎるところが苦手だ。それにこの温室……なんというか、生ぬるい!」
「なまぬるい?」
「童話やおとぎ話の世界というか……。ここにいると現実感が薄れるというか……感覚が麻痺するんだ……!」
 苦悩しているように和彦は頭を振った。ズレた眼鏡を押し上げ、彼は呼吸を整える。
「それに俺は……俺、動物が苦手なんだ……!」
 小声で和彦が言う。亮一は「は?」と訊き返した。
「動物が苦手って……。嘘ばっかり。平気で妖魔退治とかしてたんでしょ?」
「ここにいる……なんていうかな、人に懐きすぎな動物とは違うだろ? 俺は懐かれるのが苦手だ……! というか、寄ってこられるのも苦手なんだ……」
「…………」
「踏みそうになるし、ついうっかり殴り飛ばしそうになりそうで……!」
 うぅ、とうめく和彦が頭を抱える。
「殴り飛ばすって……和彦君、オーバーですよ」
「…………オーバー? 俺はオーバーなことなど一つも言っていないぞ」
「…………」
 そういえば美桜に聞いたことがある。和彦は昔、呪いのせいで常に妖魔に追われる生活だったとか。
 誰も寄せ付けず、何も寄せ付けず。そんな生活をしていたのだ。
(……それじゃあ、確かに苦手にもなりますよね……)
 彼は彼で特殊な生活環境にあったわけだ。
 先ほど動物に囲まれた時も我慢の限界に達してしまったのだろう。
(確かに現実主義者の和彦君には……少々辛い場所かもしれないですよね……)
 常に緊張感のあった生活とは真逆にあるのがこの屋敷だ。亮一や美桜が落ち着いても、和彦は落ち着かないのだろう。
「もっと楽に考えればいいんですよ。和彦君は真面目すぎますから」
「……楽? 楽に考えるって、どうやって……?」
「え、えーっと……」
 真剣に見つめられて亮一は困ってしまう。
 下手なことを言えば和彦の信頼がなくなってしまうだろう。
 悩んで視線をあちこちに移動させる亮一。
「スイカ、すっかり冷えてましたよ〜」
 スイカを持って戻って来た美桜が、よろめいてすぐそばの池に落ちた。呆然とそれを見ていたが、亮一が慌てて立ち上がる。
「み、美桜っ!?」



 お風呂に行って冷えた身体を温める美桜は窓から外を見て、笹に短冊を飾っている和彦に気づく。
 その傍に亮一もいた。
「ふふっ。和彦君らしいというか……」
 苦笑する亮一が、彼の願い事を眺めてそう洩らす。
『願い事はありません。自己の努力次第です』
 そう、書いていた。
「なんでそう生真面目なんですかねぇ。せっかくの七夕なのに」
「七夕だろうがなんだろうが、他人任せにしても願いなど叶わない」
 きっぱりと言い切った彼に、亮一はやれやれと笑ってみせた。