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さよな
もういいかい、もういいよ。
かくれんぼをしようとも。
つかまえた、つぎあなた。
おにごっこをしようとも。
けんけんぱっぱ、けんけんぱ。
ごむとびあそびをしようとも。
痛みは消えない。
心の痛みは消えぬのだ、それは思い出と同じ類の癖して、思い出よりも鮮烈に形を取り、しかも過去だのに現実の振りをして、そしてそれは実際であり、射抜く。
肉に迄作用する程、心を――
(さよな)
……言葉って、残酷で、湖の泡みたく突如、甦るそれは、
その都度、嗚咽も出せぬ程に、彼女の時を凍らせて、そう、
緩やかな日常の中では、余計に――
◇◆◇
肉が波のようにのたうっている。
血が、腐れた者達の隙間を埋める薬かのように溢れていた。
最早天上までその肉は埋まっていたのだ、世界という器に、魍魎の海。ゾンビや、化け物、悪霊、怨霊、……人襲う人でなしがまるで一つの生き物のように、肉と肉を掏り合わせながら、それが削げたら骨と骨をがきりがきりとぶつけながら、ただ一点へと向う。
火宮翔子という人間へ向って――
人間は床を銃という道具で円形に刳り貫き、その侭、下層へと落下していった。隙間を見つけた滴みたく、化け物達もそれを追うように穴へ、
ばちりと火花が飛び散った、彼女が護符で結界を張っていたから、でも、突き破ろうとする、そんな肉へ向って、
彼女は仰向けの侭、小型の機関銃を乱射した。
身体中に血と千切れた肉の雨が降ってくる。けれどそれに構いもしない、うっすらとした意識の中でするのは、一体でも、一体でも多くを殲滅する事、
この、屋敷で、
巨人の家のように広い、この屋敷で、
……、
屋敷なのか、これが、
この世界が、この空間が、
この場所が――
やがてこの層の天井である上層の床は、みきりと音をたててガラスのように割れ、
ぼとぼとと、頭が千切れ掛けた動く死体やら腐った血の塊やら目が腹に七つあるものやらが、雨霰と降ってくると同時、壁から、隙間から、次々と終わらぬ歌かのように肉と肉の化け物が沸いてくる。四方八方その呪歌が迸る。
そして、矢張り世界は、物言わぬ人外どもに満たされ、
人内である彼女へ、彼女へ、此処は、この場所は、
地獄よりも下品な、煉獄よりも凄惨な、
修羅場だと。
降って来る、から、立ち上がる、
肉の下敷きになりそうになりながら、身体に忍ばせていた暗器を傘にしてそれを避けながら、
一度切断されたくらいでは、這いずり回りみつめてくる眼がついた、頭蓋をかかとで踏み潰しながら、
ふらふらと揺れながら、朦朧とした意識で、揺れながら、
それを隙とし、喉を食いちぎろうとする小型の化け物に飛び掛ってこられながら、
無意識に身を屈め、無意識に頭上を通過するそれの腹に、銃刀を叩きつけながら、
傷だらけの身をどうにかここからどうにか逃がそうとしながら、
でも、逃げ場がもう無いと知りながら、
ゆうくりと迫ってくる肉海の中心で、遂に、
傷だらけの身体で、その場でうつ伏せに倒れこみながら、
(舐めていた)
二日目にして、やっと、はっきり認識した。
そしてもう、遅かった。
◇◆◇
同業者である友人が、都心から離れた住宅街にある、寂れた屋敷に潜入してから、行方不明。
ミイラ取りがミイラになる。
人間が、化け物になる。その事で有名な人食い屋敷。
せめて声をかけて欲しかったと思いながら、彼女は親友の救助へ乗り出した。
……舐めている気持ちなど、無かったはずだ。彼女は職務に忠実だから。
ただ、覚悟が足りなかったといわれれば、
現実には想像以上の事態が良く発生するという未来からの警告を、鐘音のように身肉に響かせてなかった事を言われれば――
……館の入り口、正面から潜入した。
映画で良くみるような典型的な踊り場。締め切られた窓、ただようほこり、今にも落ちてきそうなシャンデリア。……まだ禍々しい気配は感じず、ゆっくりと歩を進め、その内の一室に入る。
家具がまるで溶けたシャーベットのように壊されている応接間。……だが、それでも化け物の類は居ない。
時と条件が必要なのだろうか? そう思いつつ、ふうと一つ息をしている数秒、目を閉じて、目を、開けた。
……違和感が生じる。
目の開閉、その前後で感じる違和感、……はっきりとした変化が、あるはずで、でもそれが良くわからない。だが、何かやばい。
危機を感じ、迅速に彼女はこの部屋から出ようと振り返り、
振り返り、
……そして、
見回し、
気付いた。
部屋が、狭まってくる。
部屋の色に擬態した、化け物の群れの壁、
その色も剥がれ、赤茶けた暗い色の群れが、文字にならぬ奇妙な鳴き声をあげながら、徐々に彼女を圧殺しようと迫ってくる。見回す、空ろな目の半分がこちらをみつめている、
……恐怖する、暇なんてない、
戦慄を覚えている、暇などない、
迷っている暇はない――
「はぁッ!」
今自分が向いてる方の化け物達に突っ込み、符を壁に捻じ込むようにはり、効力を発動させた。炎! 蛇のような機動をとる、ぽかりと穴が開くよう燃え落ちる、
しかし一秒もせず、重力によって隙間は肉で埋まり、彼女が思わず止まってしまった一瞬、
その一瞬で、背中に骨の刃が深く突き刺さった。
目が見開き、背筋がのけぞる。片翼を引き抜かれた鳥みたいな様の翔子、そのまま前のめりに倒れ、
目の前は肉の壁で、
自分を取り込もうとする壁で、
「あ、く、あ、」
あ、
「あああああぁぁっぁぁぁああああっ!?」
気が動転している事を証明するかのような叫び、しかし、行動はまだ正しく、
符を両手に持ち、目の前に貼り、発動し、目の前に貼り、発動し、まるで沼に溺れた子どものようにがむしゃらに、手を振り回し、化け物の壁を掘り、そうやって、強引に、
彼女は部屋を抜け出し、前転しながら、背中に突き刺さった骨を抜き、入り口である踊り場で顔をあげ、
また、止まる。
4メートルはある、腹の膨れた、巨漢のゾンビ。
大きな掌で潰されそうになって――
それとの戦闘をしてる間に、館は最早館ではなくなった。一つの化け物へと姿を変えていった。死肉や化け物どもが、怨念や怨霊でに接着された、巨大な魍魎へと姿を変えていく。いや、変化ではない、姿を現したのだ。
切っても、切っても、終わった命や、出来損ないの命は、次から次へと溢れた。
友の救出など、頭から消さざるを得なかった。
逃げなければ。
生き残らなければ。
その道すら絶たれれば、友も、自分も、未来は無い。それだけは阻止しなければ、生きなければ、逃げなければ、
(……どうして)
逃げる、
(私は、私は)
、
扉や、窓は、
(私は)
化物達が塞いでる。
◇◆◇
舐めていた。
◇◆◇
うつ伏せに倒れる迄、二日経っていたのだ。一睡も出来ず、全身を稼動させ続けた様、
戦闘服も虫に食われたかのように破損し、覗く肌は悉く、彼女の傷跡と血で埋まっていた。余りにも圧倒的過ぎた。人が、海を滅ぼすかのように愚行だった。
……でも、それでも、
この侭、眠るのはまだ早い、
今居る場所は踊り場で、塞がれているが、あそこは入り口で、それなら、
それなら――
緋の目。魔眼。
対象を眼で捕らえ念じる事により、数秒後、温度を急激に上昇させ、発火や融解をさせる能力。その威力は符術のそれの比ではない。ただし、リスクがある。使用後は歩行すら困難な程の疲労に襲われるのだ。死に体の今ならば、最早屍への切符でしかない。
……いや、もう死にかけの今だからこそ、同じではないか。
彼女は閉じた目を開き、覚悟を決めた。機会は、一瞬だ。一瞬、
突如四つのゾンビが四方から彼女へ飛びついてきて、
最後の力を振り絞り、彼女は立ち上がり、回転しながらワイヤーを翻し、ゾンビの肉体を両断した。
そのまま、こけそうになりながらも、前へ向って走り出す、
扉とは逆方向に。
次々襲ってくる百もの千もの敵の多くを通り過ぎながら、必要最低限の対象だけ、的確に射抜きながら、目指す、
目に入った、一番大きな化物、
大きな腕があった、
彼女は飛び上がる、
大きな腕は振り上げられ、
彼女は腕を十字にクロスさせ、
大きな腕は空中の彼女を、
、
ぶん殴った。
身体中が罅割れながら飛んでいく、
塞がれた扉へ向って。
(緋の目)
念じて、数秒後、扉が凄まじい勢いで灼熱に炎上し、
外界への通路をこじあけ、
もう身体は動かない、爪の一つも動かない、ただ、
この侭、飛んでいけば、
入り口へ向って――
……ずさり、
着地、する。
着地した、
……、
ああ、
、
入り口の手前。
外気が、顔にあたっている、本当に、もうすぐそこである。
だけれどもう、身体は動かない。
声も出せない。
走馬灯を流す力も、もう自分の脳は持ち合わせちゃいない。
寄って来る数、化物の数、
無量対数にすら思える、悉くが、全くが、自分へ、
(駄目か)
彼女が目を閉じた瞬間、身体に、
何かの手が伸びて来て
◇◆◇
……ずり、ずり、と、
ずり、ずり、と、
なんの、おと?
……なんの、
なに、
ふくが、からだが、すれるおと、
ゆかとすれるおと、
なぜ?
な、
「え」
え。
友達が、外へ彼女を押し出した。
下半身と片腕を捥がれた友達が、笑顔で。
◇◆◇
緋の目を使用した身体は、激しい虚脱に襲われる。傷だらけの、激しい戦いを抜けた自分には尚更、
そんな事関係あるものか、待って、待ってと手を伸ばそうとする、実際には動かないけど、伸ばそうとする、
化物は外へと出てこれないのか、こちらを見つめはするが、屋敷の外へあふれ出さない。あくまで屋敷だけが、この屋敷だけが、
燃えた扉が、化物の身体で埋まり始めた。待って、
待って、
助けに来たの、
友達を、だのに、助けられて、私、
私、は、
「まって」
叫んだつもりなのに、その声は小さくしか響かなかった。
だけれども、聞こえたのか、友達には聞こえたのか、
聞こえたのか、
笑いながら友達は、
「さよな」
飲み込まれる。
扉が塞がれる、
群れの中に飲み込まれていく姿。
◇◆◇
そして、
◇◆◇
屋敷は元の沈黙を携え、
訪れる者を平等に出迎え、
訪れる者を、平等に飲み込もうとする。
彼女はその中で、稀有な生還者となった。
この屋敷がその後、どうなるかは誰も解らない。
無敵者によって玩具のように壊されるのかもしれないし、
変わらぬ侭、佇み続けるだけかもしれないし、
けれど、どちらにしろ、
火宮翔子の未来は変わらない。
だって、さよなという言葉は、
穏やかな日常の時こそ、良く甦り、その瞬間は、
緋の目を使った後よりも深く、彼女を全くの役立たずにしている。
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