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<東京怪談・PCゲームノベル>


怪の牢


 気付けばそこは見知らぬ山村だった。
 人の手を離れて久しいと思しき田畑は、今や荒れ放題となっている。
 遠くに見える山並みの上には、妖しく光る半月が横たわっている。
 そぞろ歩けば、山間のものとは思えないような、生温い風が頬を撫ぜる。

 どうやら知らぬ間にこの山村の中に迷い込んでしまったらしいと、三人はそれぞれに辺りを見渡す。
 そう――示し合わせたわけでもないのに、シュライン・エマとセレスティ・カーニンガム、それに赤羽根灯の三人は、この闇の中で互いの顔を見合わせるところとなったのだ。
 舗装の無い、石や泥の剥き出しにされたあぜ道を行く。伸び放題になった草花が、歩き進むたびにそれぞれの足にまとわりついてくる。

 周りにあるのは人の住む気配の感じられない廃墟ばかりだ。それを横目に見遣りつつ、三人は軽い挨拶などを交わしながら、しばらく暗がりの中を歩いて行った。
 それぞれの脳裏をよぎる、同じ内容の疑念は、三人共に口に出したりはしなかった。
 いつの間にか夢を見ているのかもしれないと、それぞれに思案する。――それほどまでに唐突に、彼らは闇の中にあったのだ。 
 ――と、視界が突然大きく開き、その向こうに佇む立派な屋敷が姿を見せた。
 門戸に掛けられた表札に彫られた苗字は、どうにも読み取れそうにない。

「――おや、お客人かね」

 不意に、何の前触れも無くかけられた声に振り向けば、そこには、いつ現れたものかも知れぬ、白髪の老婆が立っていた。
 ひん曲がった腰に、手入れなど考えも及んでいないであろうと思しき白髪。真白な装束が、漆黒ばかりの闇の中で、奇妙な程に際立っている。
「あんたら、この屋敷がどんな場所かを知ってて立ち入ろうというのかい?」
 訊ねられ、三人は互いの顔を見合わせた後、静かにかぶりを振った。すると老婆はキシキシと嗤い、枯れ落ちそうな指で門戸の向こう――つまりは屋敷に向けて言葉を継げた。
「この中にはね、気の触れちまった妖が一人ばかり住んでんのさ。その昔、ここの当主につけられちまった楔のせいで、かわいそうに、正気を失っちまったのさ。キシシシ、だからねえ、この屋敷は呪われていやがんのさ。立ち入れば最後、呪いに喰われちまうか、気が触れちまうかしかないのさ」
 そう言って、老婆はキシキシと枯れ木が軋みをあげるような声で嗤い続ける。
 ふむと小さな頷きを返した後に、老婆の言葉に応えを返したのは、闇の中にあっても黒に染まらぬ輝きを持った紳士――セレスティだった。
「ならば、その呪いというものを断ち切ってやればよろしいのでは?」
 訊ねたセレスティに、シュラインと灯がそれぞれに同意を見せる。
 と、それを受けた老婆はぬらぬらと光る眼差しを持ち上げ、セレスティの顔を覗きこむように首を傾けた。
「ああ、ああ、それもまた可能さね。ただしね、この屋敷は呪いのせいであちこちひん曲がって迷路になっちまってる。それをすり抜けて、妖のいる座敷牢まで辿り着ければ、あるいはそれも可能かもしれないねえ」
 キシキシと笑う老婆の声がする。が、程なく、その姿は笑い声共々に闇の中へと融けいるように消えていった。


 闇は完全たる闇だった。月も星もなく、むろん、街灯などといったものはただの一つも見当たらない。ゆえに三人の足元には影もなく、それどころか互いの姿を確かめ合うにも僅かばかりの気苦労を要してしまうほどだった。
 しかし、この闇は、程なくしてぼうやりとした明かりを得る事となった。
 灯の手の上に、大きさで言うならばドッヂボールぐらいの大きさの、炎の塊が造りだされていたのだ。
「行くんですよね?」
 闇を照らしながら、灯は好奇心旺盛な心を映した眼差しをくるくると動かし、シュラインとセレスティを順に見遣る。
「お屋敷の中」
 続けてそう訊ねかけた灯に、応じたのはシュライン。シュラインはわずかばかり首をかしげて、
「あなたとは、依頼なんかで何度か会った事があるわよね。――ええと、灯さんっていったかしら」
 そう言いながら灯の顔を見つめ返した。
「はい! 私も憶えてます。シュライン・エマさん。お花見の席でもご一緒させていただきました」
 じりじりと燃える炎の球体が、満面の笑顔を浮べる灯の表情をゆったりと照らし出す。
 シュラインは灯の笑みを受けてわずかに首を竦め、それから提げていたカバンの中から懐中電灯を取り出した。
「興信所での仕事柄ね、こうした道具は常備携帯っていうのが癖になっちゃってるみたいで。――でも、これって私達が見てる夢じゃないのかしら」
「夢?」
 カチリとスイッチを押して懐中電灯を点けたシュラインを、セレスティがゆらりと細めた眼差しで見据える。
「だって、私、確かに興信所に帰ろうとしてたはずだったのよ。用事を済ませて、電車に乗って。なのに気付いたらこの場所にいるんだもの」
「私もですよ。私も、今日は自室で業務処理に追われていたのですが――気がついたらここに」
 シュラインのため息に、セレスティが同意を見せて頷いた。
「私もです。私も、バイトが終わって、更衣室で着替えをして、それで気付いたら」
 灯が大きく頷いた。
「だから、もしかしたら、気付かない内に寝ちゃってたのかしらって」
 首をかしげたシュラインの言葉を、不意に流れた夜風がさらって吹いていく。
 灯がともした炎は風に巻かれて大きく揺らぎ、屋敷を囲う鬱蒼とした木立ちが何事かを呟くようにざわめいた。
「……風が出てきましたね」
 風に揺らぐ髪を押さえつけながら、セレスティが静かに告げた。
 わずかばかりの明かりを得た闇の中、先ほどまではぼうやりとした見えていなかった屋敷の姿が浮かんでいる。
 白壁で囲まれた平屋造りの、しかし、規模としては豪邸と呼ぶに相応しい面積を有した屋敷。屋根は昔ながらの瓦が敷かれ、しかし、もはや誰も住んではいないであろう屋敷であるにも関わらず、雨戸や戸口は開け放たれたままになっている。
「誰の気配もしないわね」
 シュラインが呟いた。
「でも、荒らされた感じとかしませんよ。お庭も綺麗だし」
 灯が、屋敷のあちらこちらに視線を向けて頷く。
 セレスティは、しばし口を閉ざして屋敷の戸口に目を遣っていたが、やがて
「この中へ、行ってみるんですよね?」
 今度はセレスティがそう述べた。

 戸口は施錠もされておらず、むしろ来客を歓迎でもしているかのように、すらりと難なく開かれた。
 屋敷の中には明かりの気配すらもなく、湿った空気の重さと、漂うカビ臭さとがそこかしこに充ち広がっている。
 懐中電灯を持ち上げて屋敷の内部を照らしたシュラインの目に、戸口から真っ直ぐに伸びる長い廊下と、右手に連なる、閉じた襖とが映りこむ。 
 明かりで照らし出した光景を目の当たりにして、シュラインが訝しみながらセレスティの顔を確かめた。
「さっきのお婆さんのお話だと、ここって無人の屋敷のはずよね」
「いいえ、正確には、婦人はこの屋敷を”無人”だとは仰っていませんでした」
 シュラインの言葉にかぶりを振りながら、セレスティは靴を履いたままの足で廊下へと踏み入れた。
「あ、セレスティさん、日本のお家では、靴は」
 灯が慌てて引き止めようとしたが、しかし、セレスティはゆるゆるとかぶりを振りながら小さな笑みを浮べるのだった。
「ありがとうございます、灯さん。――しかし、この館を歩くには、恐らく靴を履いたままの方が好ましいと思われますよ。……なぜなら、」
 言いかけた、その時。
 廊下に面して連なっていた幾枚もの襖が、奥側から、すたりすたりと音をたてながら開放されていったのだ。
「……!」
 シュラインが懐中電灯で襖を照らす。
 襖の向こうには畳敷きの和室が広がっていた。一番手前の部屋を照らす。そこは恐らく来客をもてなすためのものであったのだろう。――テーブルの上に、きちんと並んだ三つの湯呑が並んでいた。どれも湯気をたてている。
「……見えざる主が、私達を迎え入れようとしているようです。が、さすがに、その誘いに応じるわけにはいきませんでしょう?」
 ぼうやりと呆けている灯を、セレスティの微笑が”現実”へと引き戻した。

 屋敷の中はあちこちひん曲がって迷路になっちまってる。

 老婆の言葉を受け、三人が目にしたのは、門戸から一番近い場所、すなわち庭に面した長廊下だった。
 おそらくは雨戸で覆われていたのであろう廊下なのだが、しかし、雨戸はひとつでさえも見当たらない。文字通りの吹き抜けとなった場所になっている。
 どれだけの歳月を風雨に曝されてきたものかは定かではない。が、床板はむろんの事、柱の一本一本、果ては障子紙に至るまで、少しの乱れも確認出来ないのだ。
「誰かが定期的に手入れをしてるのね」
 歩きながら、格子に指を這わせ、シュラインがすうと目を細ませる。その指先には、廃墟であるならば必ず確認出来るであろうはずの汚れが一切残されてはいなかった。
「でも、誰が?」
 三人の先頭をきって歩いていた灯が肩越しに振り向いて訊ねる。
「通いの家政婦がいるっていうわけでも――ないわよね」
 小さく微笑み、シュラインはわずかに肩をすくめた。

 屋敷の中に踏み入ってから数分ばかりが経った頃。
 未だ続く長廊下は、外部から見た屋敷の全容には見合わないだけの距離をもっていた。もしくは、真っ直ぐに直進してきたつもりが、どこかの角で曲がってきたのかもしれない。だが、
「でも、どこかで曲がったっていう感じはしなかったですよね」
 廊下の先を見つめながら、灯がごちる。
 同意を見せながら、セレスティがふと足を止めて庭の方へと目をやった。
「……? なにかあった?」
 セレスティが足をとめたのに気付いたシュラインが、灯を制してからセレスティの視線を追いかける。
 セレスティが見据えていたのは、庭に広がっている池だった。廊下に平行して細長く造られた池の周りを、積み上げた石が囲っている。その水の上に、数輪の睡蓮が花開いていた。
「睡蓮……?」
 首をかしげ、廊下を降りて池の傍へと歩み寄る。
「シュラインさん、ちょっと待ってください」
 花に手を伸べようとしたシュラインを制し、セレスティもまた廊下を降りて池の傍へと歩み寄った。
 その時、大きな水音を立て、真黒な池の水が大きく噴き上がってシュラインの手を絡め取った。
「シュラインさん!?」
 慌てて走り寄ってきた灯が、手にしていた炎を池の水を目掛けて放り遣る。
 ざわざわざわと音をたて、じっとりと張り付くような夜風が庭の草を薙いでいく。
 赤く爆ぜた炎が、シュラインを絡め取っていた黒い水を弾き飛ばす。と、池の水面はざぶざぶと音を鳴らしながら、次第に鎮まっていったのだった。
「大丈夫ですか!?」
 駆け寄った灯に、シュラインは少しばかり息を整えてから笑顔を浮べる。
「大丈夫よ。……不用意だったわね」
 応えて、池の水底に目を向ける。
 真白な睡蓮がゆらゆらと音もなく揺らいでいるその下で、真白な、人の手にも似たものがじりじりと揺らいでいる。
「……この屋敷のどこかに妖怪が囚われているというなら、お花とか持っていったら、少しでも慰めてあげられるかしら、なんて思ったのよ」
 水底に揺れる怪しの気配に眼差しを細めつつ、シュラインは落とすようにそう告げた。
「それに、廊下に花びらを置いていったら、進路の目印にもなるでしょ? ……ダメかしら」
「いいえ。それは良案だと思いますよ」
 返したのはセレスティ。セレスティは先ほどシュラインが手を伸べた花に向けて片手を差し出し、白い花の先にちりと触れた。
 鎮まっていた水面が再び泡立ち、闇を映した黒い水がセレスティの白い手首を絡め取ろうとした――が、水面は泡立つばかりで、セレスティの動きを遮る事は出来ないままだった。
「……ただ不粋にいただいていくのでは申し訳ないですね。……こちら、二輪ほどいただいていきますね」
 淀みなく透き通る水底を呈した双眸で、ぬらついた黒い池の底を確かめる。
 セレスティの手には睡蓮の花が二輪ばかり手折られ、持たれていた。
 その手によって制されていた水は、セレスティの手が水面を遠く離れると、再び自由を得てざわざわざわと波打ちだした。
「あの池の中、なにかいましたよね」
 池を後にして廊下へと向かうセレスティとシュラインを追いながら、灯は肩越しに振り向き、睡蓮の揺れる池の全容へと目を向ける。
 うっそりと広がる夜の中、それはまるで口を開けた何者かの腑の底を思わせるような漆黒を湛えていた。
「どうやら”呪いに喰われる”というのは、あながち嘘ではなかったようですね」
 灯の視線に、セレスティもまたちらりと振り向いて池を見る。
「あの池の中には数人の方々が囚われていました。――おそらくは悪戯にこの屋敷に忍び入り、そして囚われてしまったのでしょうが……」
「私も危うかったのね。……それにしても、」
 セレスティが伸べた睡蓮を手にとって、その花びらを一枚廊下の上に置きながら、シュラインは廊下の向こうへと目を向けた。
「この屋敷に囚われているという妖。この山間がどの辺にあるのかとか、主だった財源はなんだったのかとか、まるで情報のない状態だけど、でも、どの家も決して貧しそうな風ではなかったし、この屋敷も随分と栄えていたように見えるわ」
「座敷わらし」
 静かに言葉を挟みこむ灯の手に、再び炎の球体が生み出される。
「私もそう思うわ。……座敷わらしは、その家に繁栄をもたらすって言われてるけど」
「この屋敷の当主によって楔をつけられた」
 二枚目の花びらが廊下の上に置かれる。
「遊ぶ相手もなく、ずっと閉じ込められた状態が続いていたと仮定すれば、……気を病んでも仕方がないわね」
 シュラインの声がひっそりと沈む。

 懐中電灯と炎とに照らされた廊下は、やがて大きな角をぐにゃりと曲がった。曲がった先にはすぐに壁があり、行き止まりとなっていた。
 左手に、閉じられたままの障子が一対。――その向こうに、ぼうやりと光る小さな明かりが揺れている。
「誰かいるみたいです」
 そう言って障子の引き戸に手を伸べた灯を、今度はシュラインが引き止めた。
「待って、灯さん」
 引き止め、障子の上部へと目を向ける。
 つられて上部を確かめた灯の目に、おびただしい数の札が、闇の中で白々と浮かび上がっているのが映りこんだ。見れば、その札は壁に直接貼られたものもあれば、糸で吊るされ、宙に泳いであるものもある。
 さらに、目を凝らしてみてみれば、障子紙の、至る部分に表情の判然としない人の顔が浮かび上がっているのが分かった。
 伸べた手を引っ込め、灯はシュラインの顔を見上げ、目をしばたかせる。
「……あ」
 
 シュラインが灯の肩に手を置き、思わずそう呟いたのと同時に、閉ざされていた障子がすらりと音もなく放たれた。
 開いた隙間から、小学低学年ぐらいの見目をした少女が顔を覗かせる。
 ざんばらに伸びた白髪に、青白い肌の色。身につけているのは仕立ての良さそうな和服であり、手には、子供の手には余るほどの大きさをした毬を持っている。
 少女は、障子の前にいた三人の客人を、じとりと見つめているばかりで、何事かを発しようとはしなかった。
 が、三人はそれぞれに確認したのだ。――少女が手にしている手毬が人間の頭蓋であるのを。
 三人の視線に気付いたのか、少女はやがて紅い口の両端を吊り上げるようにして笑い、糸のような双眸をさらに糸のように細め、半月の形を象った。
「それ……あなたの手毬?」
 ヒタヒタと笑う少女の前で、シュラインはゆっくりと膝を折って座り込む。むろん、充分たる距離を保ちながら。
 少女は頭蓋をすうと持ち上げて、それを畳の上でテンテンと突き始めた。
 頭蓋が、テンテンと小さく弾む。だが、やはり無骨な形ゆえか。それは程なくして軌道を変え、三人がいる廊下の側へと転がり出てきたのだ。
 セレスティと灯の視線が、足元で転がる頭蓋の眼孔を確かめる。
 シュラインは少女の視線から目を逸らす事なく、提げ持っていたカバンの中に手を突っ込んだ。
「ねえ、これ。可愛い手毬でしょう? ここに来る前に、職人さんにいただいてきたの。――私が遊ぶには、あまりにも可愛らしいものだから、良かったらあなたがもらってくれたらなって思うんだけど」
 言いながら取り出したのは、少女の手にちょうど良い大きさの、赤糸や金糸などで可愛らしい花が刺繍された手毬だった。
 ヒタヒタと笑っていた少女の笑い声が止んだ。少女は、シュラインが手にしている手毬に視線を向け、やがてゆっくりと両手を持ち上げる。
「……ねえ、あなた、ずっとこの部屋に閉じ込められてきたの?」
 シュラインの横で、やはり同じように膝を屈め、灯が少女に声をかけた。
 少女は灯の顔に一瞥を向け、それから頭上で揺れる数多の札を指差した。
「この札が、あなたの自由を縛り付けてきたのですか?」
 セレスティが訊ねかける。
 少女はシュラインが差し伸べている手毬を掴もうとして、両手で宙をかいている。
「……そうですか」
 少女からの返事はなかったが、セレスティは悲痛な表情を浮かべてため息を吐いた。
「自由になりたいよね」
 少女の手は、障子よりこちら側へは届かない。時折「おーあー」など言いながら、少女はやがて白髪を大きくかきむしり、声にならない声で叫びを震わせた。
 やがて、立ち上がって頭上の札を睨み遣ったのは灯だった。
「このお札って、この子が外に出れなくするための、呪術的なものだよね」
 札は、触れると、わずかにチリチリと火花をあげる。
 その効力はまだ活きているのだ。
「呪術を張った人にしか解けない術――かしら」
 灯に続き、シュラインもまた札に手を伸べて首をかしげた。
 少女が放つ叫びは、屋敷中の空気をビリビリと震わせている。震えは地鳴りのように響き、屋敷は大きく揺らいだ。
「村から人気が絶えたのは、おそらくこの震えのせいかもしれませんね」
 セレスティが、そうごちる。
「多分、何らかの事情で、術者が消えてしまったのでしょう。……亡くなってしまったのかもしれません。あるいは、この少女をこの場に縛り付けておくために、ここの主が」
「大丈夫です。私が解放しますから!」
 セレスティの言葉を遮り、灯が両手を札の前へとかざす。
「待っててね。今、あなたを解放してあげるから!」


 灯が放った炎は、数知れぬ札の全てを焼き払い、消していった。
 最後の一枚が焼失するのと同時に、それまでは障子のこちら側へと渡れずにいた少女が、のめりこむような勢いをもって廊下の側へと倒れこんできた。
 シュラインが手毬を渡すと、少女は先ほどまでのそれとは異なる笑みを浮かべ、そしてそのまま溶けいるようにして、暗闇の中へと消えていったのだった。
 地鳴りが響く。
「いけない。シュラインさん、灯さん。急いで屋敷を出ましょう」
 セレスティの言葉で、三人はそれぞれに庭先に降り立ち、そのまま真っ直ぐに門戸の方へと走り出す。
 廊下に撒いた花びらは、そのままその場所に置かれたままだった。が、進路の目印は、もう必要ではなくなっていた。
 ひたすらに歩き続けてきたはずの廊下は、さほどに時間を要する事もなく、ふと終わりを見せたのだった。

 門戸を抜け、屋敷から離れた場所で足を止める。
 今まで建っていたはずの屋敷は、古びた板が容易く折れるのと同じように、見る間に崩れ落ちていったのだ。
 熱風が巻き起こる。
 札を焼いた炎は、そのまま燃え広がって、崩れた屋敷の全部を焼き尽くしていくのだった。




 気付くと、そこは電車の中だった。あるいは自室のデスクの前であり、バイト先の更衣室の前だった。
 それぞれに、狐につままれたような面持ちで辺りを見渡し、それから時計の時刻を確かめる。
 時計は三人がそれぞれに確認していた時刻より、ほんの数分ほどしか経っていない事を知らせている。
 シュラインは提げていたカバンの中を確かめた。懐中電灯を初めとする、常時携帯の道具がおさまっている。しかし、小さな可愛らしい手毬がなくなっていた。
 灯は両手を確かめて、そこに炎の残り香がないかを確かめた。かすかに炎の痕跡が感じられる。
 セレスティは、デスクに置かれてあった一輪の睡蓮に目を向けた。

「夢……だったのでしょうか」

 セレスティが一人ごちてため息を漏らしていた頃、シュラインは窓の外を流れていく夜の街を眺めていた。その頬が、かすかな笑みを滲ませている。

「あの子、今頃お友達と遊べてるかな」
 
 夜なお賑わう街中へと踏み入った灯の足取りは、ひどく揚々として弾むようだった。 







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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【5251 / 赤羽根・灯 / 女性 / 16歳 / 女子高生&朱雀の巫女】



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          ライター通信          
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お世話様です。このたびは「怪の牢」へのご参加、まことにありがとうございました。
夏といえばホラー、ホラーといえば和ものという事で(?)、今回のこのノベルが、少しでも皆様のお気に召していただければと思います。

>シュライン様
手毬のお土産、ありがとうございました。やはり和といえば少女、和で少女といえば手毬ですよね!
また、懐中電灯やお塩を常時携帯してしまうというのは、やはり、興信所でのお勤めが長いゆえんなのですね。
七つ道具的なものがおさまっているのかなとか、ちょっと想像してみました。

>セレスティ様
今回のノベルを書かせていただいているときに、ふと、そういえばセレスティ様は水の浄化なんかも可能なんだろうなーとか思い、
そういった部分(妄想)も使わせていただこうかとも考えたのですが。機会がありましたら、今度はそういう描写も書かせていただければなーなんて
思ってみたりしました。

>灯様
今回は、灯様にはわりとフルで動いていただきました。
方向音痴ということで、もしも個別で書かせていただいていたら、もしかしたらえらい事になっていたりしたのかなーなんて想像してみたり。
最後、お屋敷を燃やしちゃっていますが(笑)、やり過ぎだよ〜などというお声がございましたら、その旨、お申し付けくださいませ。


それでは、またお三方にお会いできますようにと祈りつつ。

また、このノベルは、後日 鳩山凛絵師の方でピンナップとしておこされるはこびとなっています。
よろしければそちらもご検討くださいませ(礼)。