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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


或る夏の怪異





【オープニング】

「武彦―――温泉旅館に行きたい奴は居ねぇかな?」
「帰れ」

 ―――そんな、頭痛すら感じる不躾な訪問者の一言が今回の物語の始まりであった。
 訪問者の名前は汐・巴とセレナ・ラウクード。
 聞いてみれば、それなりに火急の事態であるらしい。



「依頼は山間の温泉街にある旅館からでな。それなりに歴史も規模もあるところだ」
「……厄介な要素は何処にあるんだ?無いならウチには来ないよな?」
 じろりと、武彦は巴を睨む。それに答えるのは―――巴の隣に座る金髪の男である。
「それがねぇ。原因は全く分からないんだけど、昔その旅館に勤めていた従業員の方々が『戻って』来たみたいでさ。それだけならまだしも、「消える前にもう一度旅館で働き、お客様の笑顔が見たい」と言い出したとか」
「……言われてみれば、そろそろ盆か」
「現れたのは十日以上も前で、未だに現世に留まっているみたいだがな」
「……」
「細かいことは気にしたら負けだよ、武彦」
 あはは、と気楽に笑う白い魔術師、セレナの台詞に武彦は不承不承頷いた。
「流石に一般人や、現行の従業員に客をやらせるわけにはいかないからねぇ」
「それで、俺の処に来たのか……」
「ああ。やはりそれなりの人員で臨みたいからな……例えば彼等は枕投げをしたがっているが、枕投げで死人が出るやも知れぬ。おいそれと一般人には任せられんよ」
「出ねぇよ。っていうかそれは旅館の接待じゃねぇだろ!?」
 真面目な瞳で見詰めてくる巴の台詞は、乱暴な台詞で一刀両断。色々と間違っている気がしてならない…
「やれやれ……」
 嘆息して、武彦は暫し中空へ視線を彷徨わせて黙考し、

「……まぁ良いだろう。それで、何人くらい要るんだ?」

 結局、その台詞を紡いだのであった。





「………着いた」
 そう呟いて、ごくりと彼は喉を鳴らす。
 心なしか全身が汗ばんでいる気色すらする。そう、今は夏。日本の夏は厳しい……
(否、そうじゃない……そうじゃ、無いんだ)
 心が持ち上げてきた安易な理由付けを、決然たる意志で跳ね除ける。
 目の前の『草間興信所』、その古びたドアを開ける行動に躊躇を覚えていることを否定してはならない…
「……開けるしかないんだろうけど、な」

 ともあれ、既にすべきことは決まっているのだ、と。
 彼、櫻・紫桜が知らないはずは―――――無いのであった。


 ことの始まりは数時間前。いつものように草間武彦から電話がかかってきたことが原因である。
 ……彼はその異能により彼と親交を持っている。故に、彼からの依頼を受けることは不思議ではない。
 問題は、彼の呟いた最後の一言である。


「いいか、心して聞くんだ紫櫻。………甘いものにも、辛いものにも……負けるんじゃないぞ」


 憔悴した武彦の声は、今でも無駄に心に焼き付いている。
(つまり―――あの人達のどちらかが来ている、ということだ)
 思い、頷く。既に彼は、武彦を憔悴させる人物を知っていたのだ。
 ―――故に。
戦いに赴く者、人外と当たる武士として、出来得る限りの準備は整えねばならない。
「……ふ」
 懐に秘めたるは最高の友。胃薬と正露丸である。
 相手の攻撃を上手く回避し、ことを有利に運べば―――武彦の敵を討てないまでも、死にはすまい。
(では、いざ……!)
 ノックをして、お邪魔します、と礼儀正しくお辞儀をしつつ彼は部屋に突入した。
 その気概と準備。
 待つのが悪鬼であろうが羅刹であろうが、なんのことかあらん、と。

「失礼します、草間さん。櫻ですが……」
 だが。
「お、久し振りだな紫桜!幽霊騒動の時依頼ではないか!」
「僕は『諧謔』で少し会って依頼かな?紫桜君、相変わらず真面目そうで素敵だねぇ」

 侮るべからず、数の優位。

 ランチェスターの言うところによれば、基本的に1対2の場合、後者は四倍の有利である……!

「お、お久し振りです、巴さんにセレナさん。それで―――」
 ……つまり。
 目の前に居る、退魔師汐・巴と、魔術師セレナラウクード。
「どうして、今日はお二人で来ていらっしゃるんですか?」
 予想された倍の戦力が前では、流石の紫桜とて嘆息くらいはするのであった。



「……つまり、今回は温泉に浸かれ、と?」
「うむ、理解が早くて助かるぜ」
 数分後。
 依頼の内情を話し終えた、主の居ない草間興信所内の一室で三人が言葉を交わしていた。
 ……因みに、主たる草間武彦は別室で零とシュラインから手厚い(必死の)看護を受けているとか。
「話を聞いていると妙な依頼ですが、まあ普通の旅館に泊まりに来たように接した方がいいですよね」
「そうだね。相手も、「普通の接待」がしたいんだって言ってたし……」
 ちら、とそこで言葉を切るセレナに、なんと言うことも無く紫桜は言う。
「ああ、勿論受けさせて貰いますよ。今回も宜しくお願いします」
「……巴、紫桜君が僕達の対応に慣れて来てる気がするんだけど」
「むぅ」
 少しばかりの当惑と、少しばかりの喜の感情が顔を覗かせた。
「それと、枕投げもしたいとのことですが……理由を聞いても良いですか?」
「ああ、それか……」
 ――――誰かに質問されるとは、彼も思っていたのだろう。
 微妙に顔をしかめつつ、この男にしては珍しく不可解そうな表情で紫桜に答えた。


「伝統、だそうだ」


「………伝統、ですか」
「ああ。最近は余りやらないようだが……イギリス人が紅茶を飲むが如く、どうしても行いたい伝統らしい」
「……そうですか。それは素晴らしい伝統ですね」
 一応納得したような顔で、紫桜は首を縦に浅く振った。
 世の中には、不思議なものが沢山在る。深く追求するのは正解ではない………
 微妙な沈黙が過ぎようとする頃、再び声を出したのは巴ではなくセレナだった。
「では、紫桜君の期待を裏切らないように食事でもしようか―――って、しまった。持ってきた食材は全部武彦の口に詰めちゃったんだった」
 笑顔を咲かせて言うが、しかし自分のミスに気付いてしまった、と天を仰いだ。 
「食べさせた、じゃなくて詰めたんですか……?というか、別に俺は期待してません」
「変わらないだろ?最終的には消化するんだし……しかし困ったな。いっそ『諧謔』に招待でもするか?」
 尊い武彦の犠牲で、今回は救われた。
 そう胸を撫で下ろした次の瞬間に、彼の絶望を引き出す強烈な一言が告げられる。
(招待?俺が?………何処に?)

 単身で、敵の要塞に特攻しに行くようなものである。

「うん、悪くないね巴。では紫桜君、病人は放っておいて―――」
「すみません、宿題があるので……」
 故に、彼は完璧な回避行動を行った。
「へぇ、どんな?」
 しかし敵も然る者である―――今回は喰らい付いてきた。
(くっ……)
 駄目だ、此処で負けてはいけないのだ、櫻・紫桜。
 それでは隣の部屋で死の淵にある草間武彦の二の舞なのだから!
「た、担任が厳しくて……理系には古典の問題集が二冊、文型にはフーリエ解析の大学級問題が……」
「期限は?」
「…今日出されて、明日までに」
 ああ、しかし。ついに、此処に来て頭脳明晰な紫桜も動転して馬脚を現した。
 そんなスパルタな進学校、日本に現存しているのだろうか?
(NOだ……)
 痛恨の思いで判決を待つ彼に――――しかし。

「ふむ……それじゃ、仕方ないか。残念だけど紫桜君、頑張ってね?」
「くぅ、何てことだ!ついに日本も中国やインドの若輩層の追い上げに目を向けたか…負けるなよ紫桜!」
「は、はぁ……」

 彼等は、妙なところで人が良かった。
(………だから。悪い人達じゃ、無いんだよなぁ)



 初対面の頃から持っていた感慨を改めて抱きつつ紫桜は帰宅して、序盤の幕が下りる―――







 ―――そして、仕事(観光旅行、では無い。念のため)の当日の朝である。

 とりもなおさず、それは草間興信所から発された、人外と邂逅する奇抜な依頼の始まりだ。

 緊張感と共に始まるべきソレは、しかし――――


「爽やかな朝日の下、我々は今、知られざる未知の領域へ足を踏み込もうとしているのである……!」
 ―――そんな、巴のマヌケな口上が発せられる雰囲気の中で始まっていた。
 

「……何やってるんですか、巴さん?」
「お、基か。いやなに、ちょっとモノローグをな」
「モノローグ、ですか……」
 深刻な表情で告げる巴の隣に座る眼鏡の美青年が、それを目撃してはぁ、と吐息を一回洩らした。
 口調に驚いて見たものの、確認した巴の口元は緩んでいた。ソレを見て、青年は浅く頷く。
「でも、実際のところ楽しみですよ。温泉なんて久し振りだ……」
 そして彼―――環和・基は、その景色を楽しむために視線を逸らして窓の外を見るのであった。
 広がる景色は流麗にして雅。流れていくそれに思わず目を細める。

 ―――それが、座席の一角である。

「うんうん、子が成長するに従って、旅行なんて行かなくなる家庭も多いからねぇ……今回の依頼は楽しみだぜ!なっ、しーたん?」
「ええ、そうですね……」
「あー、しーたん。また敬語になってるって。タメ口推奨だってば、ほらほら」
「あ、ああ……そうだった、な……」
「うん、そうそう!さってと……、運転手さーん!あとどれくらいですかー?」
「あと一時間と少し、ですかねぇ」
 更に、その後ろ。
 同じく二人の青年が座って、景色を見ながら楽しそうに雑談を交わしている。



 ああ、つまり。
 異能者ご一行様は、何故か車で移動中であるらしい。



「向こうに着いたらさ、卓球やろう!とにかく全力で!もう帰るときは死んでるくらいの勢いでさ!」
「……それは駄目じゃないのか?」
 はしゃぐ青年、弓削・森羅に苦笑しつつ、友人たる櫻・紫桜が的確に突っ込みを入れている。
 晴れ晴れとした笑顔は、晴天の気候に良く合う気持ちの良いそれである……。


 さて、それでは他の面々は如何だろうか?

「それにしても、運転手さんが迎えに来てくれるとは意外だったわね…」
 穏やかに森羅に答えた、「半透明の」運転手を複雑な瞳で見据えながら。
 巴達の対面、右側のシート列に座る女性陣の一角、シュライン・エマはふぅ、と溜息。
「免許証とか、どうなのかしらね……」
 ……現実的な問題をついつい考えてしまうこの身が、何となく損をしている気もするが。
「まあまあ、エマさん………なんとかなるでしょう。多分」
 それも詮無きことだろう。
 実際、隣で車酔いとは無縁の読書を黙々と楽しんでいる秋月・律花の姿勢を自分は見習うべきだ……
「っていうか、やっぱり貴女は本を持ってきたのね……巴さんかセレナさんに、釘刺されなかった?」
「あ、あははははは……ノーコメントで」
 乾いた笑いで、律花は必死にシュラインの追求を回避する。
「いや、僕と巴は言ったんだけどね……一応」
 けれど、にゅっ、と突出してきた金髪が、彼女の回避する先に小石を置いた。
 さて、彼こそは巴の相棒、まこと歳相応の振る舞いを見せない魔術師、セレナ・ラウクード――――
「こら、前の座席に顔を出すな。小学生か貴様は!」
「う。痛い痛い、冥月君。折角の温泉旅行なのにイジメは良く無いよ」
「ほぅ?」
 そして、むんずとその頭を後方へ引っ張る黒・冥月である。
「しかし我慢しろ。なに、素敵な思い出に変わる日も来る―――」
「……前から思ってたけど、君って結構お茶目な女性だよね」

 
 それは、一見すると個性的な集団である。仲睦まじいという言葉も、或いは当てはまろう。
 けれど、断じて普通では有り得ない異能の集団である。


「……今更ながらに思ったが、この顔触れで無事に旅行が終わるのか?」
「気付くのが遅いよ、巴」
 ぼそりと交わされた会話は、果たして誰の耳に入ったか。
 見るものが見れば、彼等の目的を問うだろう。どんな凶悪者を追っているのですか?いやいや、凶暴な妖怪の討伐で?
 無論、それも否―――――

「さあ、そろそろ山に入ります。景色が綺麗ですよ」
「いや、それは分かるけどさ。道路も大分荒れているのに、このスピードは危ないんじゃ……」
「ああ、それなら大丈夫です」
 基の質問に、にっこりと笑う半透明の従業員。
 微笑からは奉仕の心。真の意味で客を喜ばせようという意図しか読み取れない……。

「私は見ての通りの状態ですから、事故になっても問題ありません!」
「……おい、誰かあの運転手を倒して運転を代われ!」


 ともあれ、巴とセレナの誘いで集まった彼等は、「温泉旅行」を果たすために集まったのである。


「さあ、一秒でも早く皆様を送り届けますよ―――――!!」
「運転手さん!安全運転!安全運転で――――!!」
「うおおおおおおおお、この急カーブで150キロを超えてるぞ!?」
「………どうしてこう、依頼の冒頭からスリリングを味わわなくてはならないのかしらね」

 もっとも、それが普通の温泉旅行かと言えば。
 …………非常に残念ながら、そうでもなさそうなのだが。








「おー、これは中々の絶景だな……」
 命の凍る勢いで山道を走破して、ほぼ三十分後。
 冥月が本気で幽霊をしばき倒そうとしているのをどうにか宥めつつ、一向は旅館に到着した。


『これはこれは、ようこそいらっしゃいました!私ども、半透明ですが一生懸命尽くす所存です!』

 そんな歓迎の台詞は、ジョークなのかどうか判別がつかなかったが。
 ともあれ、当てられた部屋は二室。森羅、基、紫桜、セレナに巴が泊まるこちらは多少大きい作りとなっている。
「すぐ下には川も流れていますね。せせらぎの音が美しい」
「おおっ、しーたんが詩人だ!」
「……そ、そうかな」
 四方に広がる風景は突き抜けるような緑のコントラスト。
 紫桜の言の通り、視線を落せば目に入る川の流れも涼しげである…何故だか、暑さが苦にならない。
「それで……基本的に自由行動で良いんですか、セレナさん?」
「うん?」
 皆がどさりと荷物を置く中、いそいそと風鈴(持参したらしい)を設置するセレナに基が聞く。
 嬉しそうな微笑が、返ってきた。
「そうだね。食事の時間まではフリーだよ。接待したいって言っても、旅館とはそういうものだからね」
「分かりました」
 こくりと頷くと、いつのまにか浴衣に基は、

「では、俺は風呂に行ってきます」

 純白のタオルを肩にかけ、規律正しく告げた後にぴしゃりと襖を閉めた。
「……早いな。色々と」
「んー、温泉好きって多いですからね。何回も入るんじゃないですか?」
 呆然と呟く巴に、森羅が陽気に一言返した。
 ……因みに森羅の方は、何故か紫桜と人生ゲームを始めている。
「さあ勝負だしーたん!この転職マスが序盤の分かれ目だぜ……!」
「あ、俺、アイドルだ」
「馬鹿な――――――!?」
「若者は元気だねぇ……」
 森羅の持って来たスポーツバッグにどうやって入っていたのか、という疑問も湧いたが黙っておく。
 気にしてはいけないことだし、多分触れてもいけないことだ。
「んじゃ、俺は散歩でも行くかね。セレナは?」
「僕もその辺を散策しようかな………まぁ、」
 ―――なんにせよ、楽しまなければ損である、という認識は共通のものであろう。
 巴の問いに、セレナが肩を竦めつつ、
「こういう旅行の王道。紫桜君の好きな女の子の話題なんかも素敵なんだけどねー。絶対拒否されそうだし」
「なんで俺に限定されてるんですか?」
 神速のツッコミを背に、あはは、と笑いながらセレナと巴は襖を閉めた。
 ………此度の依頼は、まだ始まったばかりである。





「くそー、負けた!っていうかしーたん強いって!!」
 皆が出て行ってから、数十分後。
 「GOAL」のマスに乗った己の車を睥睨しつつ森羅が絶望的に叫んでいた。
「まあ、勝負は時の運と言いますし……」
「しーたん、敬語は駄目ー」
「……すまん」
 じろ、と森羅が紫桜を睨む。もっと気安くても良いのだ、と意思を込めて。
 ………ただ、紫桜の持つ大量のゲーム紙幣に視線がスライドした気もするが。
「あー、次は違う何かで勝負しよう!色々あるぜ、人生ゲーム平成版、人生ゲームEX、人生ゲームM&A……」
「全部人生ゲームじゃないか………」
 がっくりと紫桜が肩を落とす。
 ―――――どこに収納していたんだ、とは絶対に聞けない問いである。聞きたいが。
「むぅ」
「なら……卓球でもどうだ?湯のスペースの傍にあっただろう」
「名案だね」
 要は、白黒がはっきりとつくゲームにすれば良いのだ。
(いささかステレオタイプだが……)
 なにはともあれ、温泉といったら卓球だろう。
「よし、それじゃラケットはこれ!行こう、しーたん!卓球台はすぐそこだ!」
「……だから、なんでそんなものまで持参しているんだ……」
 入れずには居られない突っ込みは、勿論あっさりと無視された。






 卓球台は、紫桜の言ったとおり存在していた。
 些か使い込まれた感があるが――――それが風情というものだ、と信仰する森羅である。
「さあ、先程は奥さんに逃げられたりマグロ漁船に積まれたりと俺の惨敗だったが、今度は負けないぜしーたん!」
「そんなイヴェントは人生ゲームに存在しないと思うが……」
「細かいことは気にしない!――――さあ、行くぞっ!」
「……了解」
 ゆったりと歩く紫桜とは対照的に、極めて活き活きと森羅が駆けていく。
(楽しんでるなぁ………)
 どちらもシンプルな意匠の浴衣を身に纏い、この温泉旅館という空間にこの上なく馴染んでいる。
 くるくるとラケットを器用に回転させつつ、素振りを始めている森羅の対面側に立った。
「さて、先攻はどちらで?」
「俺!」
「左様ですか……」
「しーたん、敬語になってる」
「………左様か」
 わざわざ言い直す、律儀な男であった。
「さておき――――行っくぜぇぇぇぇぇ!!!!」
「来い……!」
 背景に炎を背負いつつ森羅がサーブを放つ―――意外と言うべきか、凄まじい速度で玉が紫桜に迫る!
「!」
「ひゃあ!?」
 ひゅっ、と風を切る音。
 目を見開く紫桜の頬を掠め―――――後ろで作業をしていた従業員に半ばまでめり込んだ!
「だ、大丈夫ですか?」
「はっはっは、霊体じゃなかったら死んでたね」
「嫌な死に方ですね…」
 紫桜へ朗らかに笑う従業員が、緩やかな放物線で森羅の方向へと球を放る。
 す、と。森羅が受け止めた。
「ふ、ふふふふ………さあ、もう一本行こうか」
「……」
 そうして、第二打が放たれる。技を無視した、強烈な速度重視の直球サーブ。
 う、と思わず先程の(哀れな)従業員が身をすくめ――――
「……………見えたッ!」
 かっ、と覚醒した瞳で紫桜が腕を振るう。
 鬼をすら打倒する腕の一振りは、正確に玉を捉え、森羅の領域へ叩きこむ!
「くっ!」
 返されると思って居なかったのだろう。
 先程の紫桜をリプレイするように、身動きひとつ出来ずに森羅がポイントを略奪された。
「やるね……流石はしーたんだ……」
「……俺も、卓球には少しばかり経験がある」
 ざっ、と互いに腰を落して構える。
 物静かな紫桜が闘志を見せることは、成程珍しいが―――――挑まれた勝負には全力で答えるのが礼儀である。
「全力で行くぞ!」
「うおおおおおおおおおおお!!!」
 どちらも、強き体術を身に修める強者。
 いっそ殺し合いにも似た気勢が、びりびりと空間を圧迫する。
「楽しんで……頂けている……ようで…」
 息も絶え絶えに、プレッシャーに圧倒される半透明の従業員が嬉しそうに呟いた。
 嬉しいが、とりあえず此処を離れなくては―――
「おや、二人とも卓球ですね?楽しそうだ、俺も入れてもらって良いですか?」
「ふふん、中々の錬度だ。面白い、私も混ぜろ」
 と思った矢先、廊下から歩いてきた冥月と、温泉の暖簾をくぐってきた基が合流した。
 遠巻きに巴を見つけたが、彼は全く参加する気が無いらしい(当然の反応だが)
「お、丁度良いや。ダブルス!ダブルスにしよう、しーたん!」
「いいですね……お二人とも、ラケットは?」

 此処から、更なる激闘が幕を開けるのだが―――それはまた、別の話である。
 …………それと。
「………現状の従業員に、なんて説明しようかな」



 この日、旅館の卓球台が一台大破したことを最後に追記しておく。











 ―――さて、言うまでも無く。
 温泉旅館と銘打たれている以上、この宿の注目と言えば温泉である。
 時刻は、日暮れをやや越して既に夜。暗くなり始めた空が魅力的だった。

「故に、こうして湯に身を沈めて楽しむのは正しいのだー………」
「巴、タオルは湯船から出さなくちゃ駄目だ。それでも日本人かい?」

 更に、この宿の自慢は水風呂も完備した露天風呂。
 これを、皆で堪能しない手は無いのである。宗教上の理由から湯に入れない者でもない限り……
「くあー、気持ち良いな!今回の依頼は踏んだり蹴ったりだ!」
「それ、間違ってる気が……」
「というか、凄く間違ってます」
 人知を超える戦闘を卓球で体験した森羅、基、紫桜の三人が、これも目を細めて湯を楽しむ。
 ………この時間を、この世で体現されうる極楽の一と言ったとして。誰が否定するだろうか?
「うむ、素晴らしい……熱燗の一つもあれば最高だな?」
「まあね……律花君にエマ君、冥月君も楽しんでいるだろう……あ、紫桜君。覗いちゃ駄目だよ?」
「そうだ、覗きは駄目だぞしーたん!」
「何故俺なんですか」
 セレナの、のほほんとした台詞に光の速度で森羅が便乗。
 そしてそれを上回る速度で紫桜が突っ込みを返した。瞠目すべきそれは既に神の領域である。
「早いですね……もしかして、学生の傍ら芸人を?」
「いや、基。世の中にはああいう才能の持ち主もいるということだ……まあ、それ故に槍玉に挙げられるのだが」
 ほぅ、と感心する基に巴が耳打ちする。
「しかし……良い湯だな。これで上がった後は夕飯だろう?非の打ち所が無いな」
「武彦さんや零ちゃんも連れてきてあげれば良かったですね…」
 立ち上る湯気と上等の温泉が、皆の心と身体を程好く弛緩させていく。
 まさしく、日本の誇る文化の一角だろう………が。いつまでも続くに思われた時は、
「あー、疲れが取れるな。帰りたくなくなるぜ」
「ふん、貴様のような者に居座られては旅館の者も迷惑だろうな」

 聞こえるはずの無い、そんな声で終わりを告げた。

「……セレナ、俺の耳はどうやらおかしくなっちまったらしい」
「いや、多分間違ってないよ。ほら」
 びき、と姿勢を硬直させて巴。なにやら嫌な予感がする……
「冥月君が、偉そうに立ってるじゃないか」
「偉そう、は余計だ魔術師。というか――――」


 張りのある声は、相変わらず。
 態度も変わらない………しかし否、否否否否否!それは良い、大した問題ではないのだ!
 ―――問題は。

「此処は混浴だ。誰も気付いていなかったのか?」
「気付いてたんならお前は女湯に行け、うつけ……!」
 黒・冥月。
 彼女のメンタリティは、「混浴だから水着を着よう」などという方向性とは無縁であったことだろう。
「ええええええ、此処、混浴だったのか!?」
「しまった……誰も彼も疲れていたから気付かなかった。基さんは!?」
「気付いてたけど、面倒だったので……つい」
「面倒とかで片付けないで下さい!?」
 慌てる二人に、温泉が絡むと微妙に間延びするクールな一名。
 やがて、冥月が慌てる群集に楔を打つ――――嗚呼、ここに平穏は破られた。

「邪魔するぞ」

 そも、彼女は口調や性格から誤解されがちだが。顔立ちや体型に関しては文句の付けようも無い。
 一般の女性が羨む、豊満な起伏と抜けるような白い肌。

 ―――胸から腰にかけてのラインは、過去累々に見られる女性の彫刻に対し挑発を送るが如くである。

 ………問題は、前述した通り。


 意外なことに、動揺を見せたのは巴だった。
「み、冥月!貴様、年頃の娘がそのような振る舞いとは何事だ!?」
「おや、意外だな。女の身体には免疫があると思っていたが、案外ウブか?」
「よ・の・な・か・に・は・な!TPOってものがあるんだよ!!」
 思わぬ奇襲に図らずも赤面する巴が、切々と冥月を責める。
 ……彼は、まだ良い。動揺し赤面しようとも、彼女に声を上げられた。
「巴さん、大変だ!クールだと思ってたしーたんが大破!戦闘の継続は困難です!」
「衛生兵を呼べ!逆上せのスペシャリストは基が居るだろう!?」
「いそいそと水風呂へ行ったまま、戻ってきません!」
「ぐあああああああああああ、なんてこった!!」
「くくく、どうした巴?依頼仲間である私が風呂に入ることに、何か不都合でもあるのか?」
「うわあ、冥月君、悪魔みたいだ」
「褒め言葉と受け取って置こう」
 一人だけマイペースのセレナを差し置いて、周りは既に大混乱である。
「しっかりするんだ、しーたん!傷は深いぞ!?」
「それでは……駄目じゃないか……」
「ああ、こんな状態でも律儀にツッコミを!?凄いぞ!」
「何させてるんだ森羅ぁぁぁぁぁ!?」
 埒が明かない―――そう判断した巴は、紫桜を抱え、タオルを腰に巻き脱出を図る!
「ふ、出口へは通さんぞ。何となくだが」
「冥月君、凄く良い笑みだね……」
「くっ、この悪魔め!」
 歯噛みする巴。だが、だが大事な戦友を捨て置けるものか!
「……実存、観念、諸共に犯し変容を為す」
 小さく呪文を唱え、己の身体能力を強化。
 然る後に――――
「ならば、横道から脱出する!此処が混浴なら隣は男湯だろ!」
 その脚力で垣根を飛び越え、見事に巴は脱出を敢行した――――






 ほぼ、同時刻。
「良いお湯ですねぇ……」
「本当に。冥月さんも途中まで一緒だったのに、何処へ行ったのかしらね?」
 阿鼻叫喚の坩堝となっている隣の現状も知らず、律花とシュラインは女湯で寛いでいた。
 どちらも常識人であり、男勢のボケが無いのなら平和に時を過ごすのが上策である。
「うーん、本当に来て良かったですね。大きなハプニングも無かったし…」
「そうね。あとは夕飯を頂いて、ゆっくりと……良い骨休めが出来たわ」

 温泉、かく在るべし。
 川のせせらぎに耳を澄ませ、ゆったりと流れる時間に身を任せる二人であった。
 あくまで戦場は隣の混浴。こちらにまで飛び火してくることは有り得ない。

「隣が少し騒がしいようですけど……巴さんたちでしょうか?」
「わざわざ混浴に?ああ、大方気付かなかったんでしょうね……」
「まあ、今日のお客さんは私達だけですし、問題も無いでしょうけど」
「そういうことね」
 ふふ、と二人で微笑し合った。
「それにしても、冥月さんは何処に――――」
「ならば、横道から脱出する!此処が混浴なら隣は男湯だろ!」
 居るんでしょうね、と続けようとした矢先。律花の台詞が聞き覚えのある怒号に遮られた。
 次いで、何かが垣根を飛び越えてきた――――
 紫桜を抱えた巴である。
「え?」
「む、間違えたか。しかし結果オーライだ……二人とも!紫桜が大変だ、助けてくれ!」
 残念ながら、巴は冥月のことが言えない程度に鈍かった。
 ……逆に、冥月の奇襲と彼女の資質の相乗効果による攻撃が、いかに凄まじかったか分かろうものだが。
「というか、良く考えたら逆上せてるだけで命に別状は無いんだけどな!」
「……巴さん」
「ん、どうした律花?」
 慌てて会話する内に、冷静を取り戻した巴がはっとする。どうやら紫桜は無事だ……


 しかし、目の前の二人の威圧感はいかなるものだろう?

「三秒あげます。紫桜さんをそこに置いて、ついでに神に祈ってください」
「律花さん、殺しては駄目よ?」

「うむ」
 言われたとおり、彼は紫桜を床に横たえた。
 嗚呼、愚鈍かな、一流の退魔師よ。
「それで、今の指示の意味は何なんだ?」




「貴方は、一体、何をやってるんですかっ!!」
「巴さん、流石にフォローし切れないわ……」
「うおおおお、落ち着け!ってくそ、俺が接近戦で攻撃を捌き切れねぇ!?何の冗談だ!?」

 程なくして、哀れな男の断末魔の叫びが聞こえてきた。
「ふむ、面白いな」
「………巴も可哀想に。まあそれはどうでも良いとして、森羅君、基君、そろそろ出ようか?」
「ええ。いいお湯でしたね……」
「くっ、すっげえこの皆の反応にツッコミを入れたい………!!」


 ―――世界は、概ね平和であった。









 波乱から暫しの時を置き、夕食時になった。
 折角だから、ということで通された大広間は、ちょっとした運動会が開けそうな豪勢なもので。

「ふむ、素晴らしい味だ……」
 ……そして、酒粕と白身魚の絶妙な組み合わせが織り成す甘さは、傷ついた巴の心を癒すに十分であった。
「うん、このエビチリの辛さも絶妙だ。常人なら舌が死ぬね」
「あ、本当だ。美味いですね」
「おや、嬉しいね。森羅君はこの味を理解できるんだ?」
「ふっふっふー、俺も結構いけますよ?」
 余興は要らず、ただ料理人の腕前に舌鼓を打つ時間が過ぎていく。


「しかし……巴さん、何故あんなにボロボロだったんですか?」
 ……無論、仲間内の親交を深めるための話題というのは得てして生ずるのだが。
「うう、紫桜。俺はお前のためにな、身を挺して―――」
「身を挺して、女湯に突っ込んだんだよな?」
「………うるせえ。ハーレム展開中の奴は黙ってろ」
 くつくつと笑う冥月を、巴がじろりと睨んだ。


 ……浴衣を身に纏う冥月は、成程。艶かしい女の魅力がある。
 だが、世の中においてそれは一因でしかない。
「ささ、冥月さん。もう一杯どうぞ」
「ああ……」
 その者の立ち振舞い、言動、思考パタン。それらもまた、人物を形作る重要な因子である。
 つまり――――最初、一見して美人であろうとも。女性からの人気を獲得する女も居るのである。
「女の人の従業員、殆ど冥月君付だからねぇ。云い得て妙だ」
「ハーレムなんて滅多にお目にかかれないがな。いや、恐れ入った」
「黙れ」
 結果。
 影の張り手が、茶化す男を張り倒す―――――


 寸劇が展開される一方で、一人温泉を堪能していた基が、巴の不幸にふるふると首を振っていたりもした。
 ………結局、真の意味で温泉を堪能したのは彼を置いて他には居なかったに違いない。
「すみません、あまりに見事な温泉だったので……俺が水風呂に沈んで居なければ、結果も違ったのに」
「っていうか、基君もうたた寝していて、十分くらい水風呂に沈んでたよね……」
「いえ、俺は慣れてますから」
 ……慣れているという次元の話ではない気もしたが、皆が敢えて突っ込みを入れなかった。
 まさに、宴もたけなわの風景の面目躍如といったところであろうか。

 …巴とセレナの嗜好も、シュラインが予め彼等の分の料理のみの差し替えを頼んでいたため問題無い。
 この辺りは、物語を円滑に進めることに貢献した素晴らしい行動であったと言えよう。
「…うん、巴さんの甘い料理も美味い」
「凄いな、森羅。中々優秀な舌を持っているようだ……うむ、重ね重ね此処の料理は素晴らしい。律花とエマにやられた傷が癒えるぜ………」
「自業自得です、まったく……」
「あのね、巴さん。少しは常識とかマナーを覚えましょうね?」
 嘆息する巴に、すかさず律花とシュライン。呆れたように、半眼で巴を睨む。
 ……実のところ、己の得意分野たる接近戦で惨敗した巴は、暫く体育座りをしていたものだが。
 ―――「世の中、タイミングを間違えると酷いことになると学んだ」とは、巴の後日の述懐である。



「さて、デザートは葛切か……主よ、バニラエッセンスをあるだけ持ってきてくれ」
「あ、僕は豆板醤をあるだけお願いするよ」
「やめなさい、二人とも……!」
 などなどと、比較的穏やかに夕食の時間は過ぎた。
 けれど、物語はこれでfin.へ向かわない。平和な依頼であったが、それでも残しているものはある。
 すなわち―――――


「では、お客様。本旅館名物の『激闘!怪我人も出る枕投げ』を最後にご堪能下さい」
「うわ……老舗旅館も、生き残りに必死なんだな」
 色々と間違っている、従業員達の最後のサーヴィスこそ最終関門である―――。




「えー、ルールは簡単です。枕を投げ、相手が起き上がれなくなっても良い。また、各陣地の最奥にあるゴール人間(生贄)に当てたら大量得点です。時間制限はあるようでありません。荒々しく戦ってください……って、随分ファジィなルールね……」
 数分後。
 すっかり膳を片付け、そのまま大広間を使って最後のイヴェントが開かれることになった。
 審判はシュライン。渡された「るーるぶっく」なる本を片手に、微妙な表情でルールを説明している。
「ふむ、枕投げとはそういった競技か……面白い、勝負事を私に挑むとはな」
 骨肉の争いであると知った途端やる気を出した冥月が、妙に嬉しそうである。
「えー、霊体の従業員さんは大分打撃に強いので、生身の人は異能も使用可能ですって」
「ふむ。では、こちらは人員補充は要らんな」
「本当に良いの、巴さん?」
「ああ。そこの浴衣冥月がニヤニヤしてるから、多分大丈夫だ。というか、単機性能で―――」
 首を傾げるシュラインに答えつつ、巴は後ろを振り返る。
 森羅、紫桜、律花、基は既に臨戦態勢である。
「……数の有利を覆せるメンバーだしな」
「了解したわ。それじゃ、始めるわよ?ゴール人間は?」
「僕と巴がやろう。術で威力を軽減できるから、ばしばし狙ってくれ。特に巴を」
「セレナ……貴様、少しは歯に衣を着せろ」
 愚痴りつつ、セレナと巴がそれぞれ部屋の奥に歩いていく……わざわざゴールに人間を設定するあたり、この旅館は何を考えているのか理解不能だ、と思いながら。しかもゴールは目標でしかないので、攻撃参加は不可という完璧振りである。
「あーあ、俺もやりたかったんだが……」
 ぼやきつつ「ごーる」と書かれた札を額に貼り――言うまでも無くシュールだ――壁際に立つ巴。
 彼を元気付けるように肩を叩いたのは基である。彼なりの激励で、巴を励まそうとする。
 
「心配しないで下さい巴さん。巴さんの分まで俺たちが頑張り……」
 
 そして、激励を言い終える前に貧血で倒れた。


「あああああああ、おい基!?まだ試合は始まってすら居ねぇぞ!?」
「む、しーたんしーたん、武士の情けで止めを刺したほうが―――」
「やめて下さい」
「あ、また硬い言葉になってる。タメ口で言ってくれよー」
「やめろ」
「……ちょっと怖い」
 紫桜と森羅が仲良く漫才を繰り返す傍らで、基は倒れたまま動かない。
「とりあえず、端に運びますか?」
「すまん、頼む律花…」
「ええ」
 と、律花が基の腕を取り―――――
「………あれ?」
 ふと、彼の体付きが男性のそれではなくなったことに気がついた。
 否。完全に女性の、それも恵まれた体付きの――――
「と、巴さん!基さんが女の子にっ!?」
「律花……頭は大丈夫か?セレナ、病院に電話だ」
「110番だね?」
「真面目に聞いてください!それと110番は警察です――――!!!」
 戦う前から、脱落者が二人か……そういわんばかりに首を振り、巴は基に視線を移す。
 ……と。
「ふっふっふ……面白そうじゃないの」

 むくりと、基であったはずの「彼女」が起き上がっている場面を目撃した。

「あら、ちゃんと浴衣着こなしてるじゃない♪温泉って言ったらやっぱ浴衣よね〜」
「…エマ、すまん。俺も頭がおかしくなってしまったみたいなんだが」
「……ああ、彼は時々女の子に変身するのよ。元さん、だったかしら?」
「イエース、その通りっ」
 信じられないように首を振る巴に答えるように、彼女は皆へ手を振って自己紹介。
 ご機嫌な様子で、基とは似ても似つかぬ声で言葉を紡いだ。
「知らない人は初めまして!私のことは元ちゃんって呼んでね♪」
「……びっくりだな。基が危険に陥っても大丈夫、と武彦が言っていたのはコレが理由か」
「うふふ、やるからには本気で行くわよー!」
 凄まじく嬉しそうに腕をぶんぶんと振る彼女―――元に、別段かける言葉も無いだろう。
 ともあれ、
「……紆余曲折あったけど、始めるわね?」
 いつの間にやら集まった、凄まじい数の半透明な従業員。

 その大群にたった五人で立ち向う無謀の幕が、切って落とされた―――――






 口火を切ったのは、数に頼んだ霊体従業員達の枕の雨である。
 いかに優れた人員であろうとも、一斉掃射で片を付けて体力を削り取る―――彼等は戦いに慣れていた。
「この戦法で、お客さんとの戦いでは常に優秀な勝率を誇っていたらしいよ」
「……あ、解説もするのね?」
 状況を説明するように、ゴール役のセレナの解説が入った。しかしシュライン以外は聞いていない。
 既に戦闘は、開始されているのだから。

「……なら、まずは最初にそのリズムを崩します!」
 しかし、断じてこの物語の主役では彼らでは有り得ない。
 その慈悲無き暴力に単身で立ち向ったのは、あろうことか非力そうな律花である。
(こんなことに使うなんて、考えてなかったけど……!)
「全力展開――――」
 流れるように呪文を唱え、律花は空間に己の知る紋章を一瞬で描く。

「…………『望み、夢想し、隔てる!』」

 曼珠沙華を漠然と連想させる紋様が空中に展開し、然る後に強力な結界を展開した!
「少し……多いですね」
 枕如きで己の異能が崩れることは有り得ないが、意外と敵の攻勢の時間が長い。
 しかし、決然たる意思を以って耐え――――

「……今ですっ!」

 その攻撃の合間を示し、瞬時に結界を解いた。
「オーケイ、行くぜしーたん!」
「ああ!」
 弾丸の速度で飛び出すのは、森羅と紫桜のペアである。
 獣の如き前傾姿勢で、枕を回避しつつ―――狙うは、敵の最奥。
「うわ……お前ら、俺狙いか!?」
 ゴールの象徴たる、汐・巴その人である。
「中々やりますね……しかし、そう簡単にやらせませんよ!」 
 無論、数の優位は絶対的に強固なものである。
 走る二人を、その体で、或いは枕の弾丸で止めようと集中攻撃が開始される―――
「今、これは本当に枕投げなのか?とか思ったでしょ、しーたん」
「……ノーコメント」
 しかし、二人も伊達に武術を修めた戦闘者ではない。
 襲い来る弾丸を、二人は気を込めた拳で弾き返しつつ進撃を止めない。
「なっ!?」
 そして――――
「悪いね、借りるよっ!」
 跳躍し、迫る霊、その一人の肩を借りて更に大きく跳躍した!
「わ、私を踏み台にして!?」
「お約束の台詞だが―――――しーたん!」
「応!」
 しかし、二人のコンビネーションはそこで終わらない。
「まずは、こちらが先制点だ!」
 たっ、と。素早く、重力をその刹那無視したように。
 紫桜が、森羅の方を踏み台に更なる跳躍を見せる……………!
「うわー……酷ぇな、こりゃ」
 ぼやく巴と、紫桜の視線が交錯し―――
「すみません、巴さん!」
「ぐはっ!?」
 弾丸の如き枕のような物体は、まっすぐに巴の顔に飛来し、直撃した!
 胸の辺りを狙ったのだが――――そもそも枕である。多少のコントロールミスが悪いのは仕方無い。
「はい、これで草間興信所チームが三千点追加ね?」
「三千点って……おかしくないか?」
 辛そうにぼやく声に、狼狽する従業員。無敵であるはずのこちらが先制点とは―――

「しまった、お客様達の狙いはこれだったのか!?」
 思わずわめくが――――


「否、アレは派手な前座だ」


 浴衣。男前な美人。黒・冥月。

「とりあえず、枕に魔力を付与して……複数発射。冥月ちゃんには負けられないからねっ」

 同じく浴衣。基ではなく双子の姉。環和・元。


「さあ、悲鳴を上げろ従業員共」
「派手に行くよ――――――!!」


 さあ、強豪三人を使った豪勢なブラッフに相手は諸共に引っかかった。
 後は、大量殺戮を行うのみである。
「し、しまっ」
「遅い」
「遅いね!」
 冥月が一瞬で形成した、影の軍団による一斉射撃。
 魔術による属性付与で、さながらホーミングミサイルと貸した枕の、こちらも一斉射撃。
「「お、おおおおおおおおおおおおおおお!?」」
 ―――――哀れな悲鳴が、上がった。



「む、無残だな……」
 一気に全員が倒れ臥した戦場を見て巴が流石に嘆息した。これはなんというか、悲劇である。
「ま、まだまだぁ……!」
 だが、盆の奇跡は終わらない。無限のタフネスを秘めた従業員達は立ち上がった!
「ほう、面白い……」
「そうこなくっちゃね…!」
 更に、がらりと襖を開けて生身の従業員が乱入を果たす!
「先輩だけに任せて居れません――――この勝負、旅館の全ての者で受けて立ちましょう!!」
「くぅぅぅ、良いねこのノリ!しーたん、俺たちも存分に暴れようぜ!!」
「ああ!律花さん、援護をお願いします!」
「夜は読書にしようと思っていたけれど……これに参加しない手は無いわね。了解しました!!」
 犬歯を剥き出しにして、ニューカマーを迎え撃たんと紫桜、森羅が再び駆ける。
 その後ろから、的確に結界と枕射撃(どういう射撃だ、と思ってはいけない)で律花がサポートする!
「はっはっは、もう馬鹿ばっかりだな!おいセレナ、俺たちも混じるぞ!」
「オーケイ……流石にバランス悪いからね、僕らは魔術解禁で旅館側に回ろうか!」
「ああ、もう……乱戦というか、酷い有様ね」
「何言ってんだエマ!お前も加われよ……どうせ、『盛り上がってきたら審判も戦列に加わりましょう』とか、意味不明なルールもあるんだろ!?」
「……良く分かったわね?」
 びり、と札を剥がして嬉しそうに戦場へ走る退魔師と魔術師。
「まあ……たまには、こういうのも悪くないわね……!」
 嘆息して、シュラインもその渦の中へ身を躍らせて。
「おら、冥月!また怪しげな攻撃を使いやがってるな!?」
「ふん、的確な戦術だ。貴様が敵に回るのも一興だな―――!」
「では僕は、元君を止めるとしようかな?」
「あら、セレナさんも魔術師?いいわ、付き合ってあげる!」
 ………何故か、爆発まで起こり始める。
「さあ、これから忙しくなりますよ!森羅、一気にこの方面を制圧するぞ!」
「いや、此処は敢えて律花さんを前線に立たせるのはどうだろう!?」
「悪くないな……」
「いや、絶対悪手ですよそれ―――――!?」
 更には、律花が意外な好成績を挙げ始めたり、始めなかったり。



『ありがとう』



 夜更け過ぎまで、宴は続き………



『ありがとう。ありがとう……私達は、貴方達のして下さったことを。ずっと、忘れません』



 一人、また一人と半透明の従業員の数が減っていく。



『本当に………ありがとう、ございました』



 誰もが、その光景を見ながら枕を投げ続けた。
 やがて、誰もが眠りに付き―――或る者は、少しだけ微笑んで部屋を出て行く。
 最後に起きていたのは、シュラインだけになった。
 彼女は、寝てしまった一人一人に毛布をかけて回る。何故か、彼女も微笑みながら。
 最後に、少しだけ残った霊達と共に。黙々と作業を続けていく。
「お疲れ様、皆……勿論、あなた達も」
 ねぎらいの言葉に、はにかみながら彼等、彼女等も消えて行った。
「………おやすみ、なさい」
 誰も居ない空間に、そう声を掛けて。
 他の皆と同じように、彼女もその場に横になって眠りに付いた――――。








「いやー、ついつい力が入っちゃったね。久し振りに全力だったよ!」
「……これは、明日は筋肉痛かな」
 翌朝。
 現行の従業員達に深々とした礼で見送られながら、巴達は家路に着いた。
 今、運転をしている者も。生身の人間。安全運転で山道を走破している。
「ふう、本は家に帰ってから読むことにしますか…」
「結局、律花もノリノリだったからなぁ……」
「というか、あの場で完全燃焼しなかった者は居なかっただろう?」
「かく言う冥月君も、最後は生身一つで特攻してたしね……」
 話す内に、見慣れた都市の景観に景色が切り替わっていく。
 少しばかり、名残惜しかった。
「……俺も参加したかったな。肝心な所で倒れるとは、運が無い……」
「まあ、ある意味で基君も大活躍だったけどね?」
「?どういう意味ですか、セレナさん?」
「知らぬが華、という言葉もあるわよ。基君?」
「まあ、エマの言う通りってことにしておいても……な。それに、温泉は堪能できたんだしな?」
 釈然としない顔の基。
 他の者は、昨夜の彼―――否、彼女か―――の奮戦を知っているので、苦笑するのみである。
「まあ、その、なんだ。色々と騒がしかったが……」


 ――――完全に、景観が都会のそれに変わった。
 そろそろですね、と運転手の声が聞こえる。


「……それなりに、悪くない依頼だったろ?」

 茶化すように微笑んだ巴の言葉に、異を唱えるものは居なかった。
 
 ―――山間地にある、気紛れな奇跡が起こした一騒動。
 関わった一部の者達と旅館の従業員達の胸にのみ刻まれた夏の怪異は、こうして終わりを告げたのであった。
                                    <END>









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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【6157 / 秋月・律花 / 女性 / 21歳 / 大学生】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳  / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5453 / 櫻・紫桜 / 男性 / 15歳 / 高校生】
【6608 / 弓削・森羅 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【6604 / 環和・基 / 男性 / 17歳 / 高校生、時々魔法使い】




・登場NPC
セレナ・ラウクード
汐・巴

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■         ライター通信          ■
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 櫻・紫桜様、こんにちは。ライターの緋翊です。


 この度は「或る夏の怪異」にご参加頂き、誠にありがとうございました!
 今回は、初めてのいつもと違った趣旨の依頼ということで気負ってしまい、文章の組み合わせを試行錯誤している内に納品が遅めになってしまいました。

 申し訳御座いませんでした。此処に、深くお詫び申し上げます。


 いつもの私の依頼だと戦闘面で活躍して頂く紫桜さんですが、今回ばかりは存分に戦闘抜きで動いて頂きました。結局、ご友人の森羅さんの卓球に付き合わされてしまい宿の中で一日を過ごして頂くことと相成りましたが……今回はボケるキャラが多く、八面六臂の勢いで突っ込みを入れまくって頂きました。
 なんというか、やりすぎただろうか、と紫桜さんの活躍振りが増していくごとにその不安も増えていき、葛藤で悩みながら執筆を続けていました……(苦笑)イメェジから乖離していないことを切に願いつつ、枕投げでも敵陣に切り込んで頂いております。此度の作品、気に頂ければ良いのですが。


 さて、一風変わった夏の怪異は如何でしたでしょうか?
 今回も色々と試行錯誤をしつつも、全力で執筆作業に当たらせて頂きました。
 楽しんで読んで頂けたらこれほど嬉しいことはありません。


 それでは、また縁があり、お会い出来ることを祈りつつ……

 改めて、今回はノヴェルへのご参加、どうもありがとうございました。

                              緋翊