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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢をみるのは




 夢をみることが出来るのは、あたしたちのような人間の形をしたモノだけなのだろうか。猫や犬や魚は夢をみるのだろうか。大木が身じろぎもせずに佇んでいるのは、覚めない夢に溺れているからではないのだろうか。
 生きていないモノたちは夢をみないのだろうか――。


「もういらな〜い」
 ふと耳にしたのは、幼くて、けれど冷たく胸に響く声だった。
 ――いらない?
 ――何が?
 ガラガラ、ドカ。千切れそうな痛みが腕に走った。そして落下していく。どこまでもどこまでも……空を飛んでいるのではないかと錯覚する程の間、あたしは下へ落ちていったのだ。


(嫌な夢……)
 眩暈を覚えながらあたしは起き上がった。昨日はなかなか寝付けなかったから、こんな夢をみたのだろうか。
「早く……ご飯の支度しなくちゃ。夏休みだからって寝坊するのは良くな……」
 ――目の前はまっくら闇だった。窓のある気配も、布団の感触もない。
 ここはあたしの部屋じゃない!
 鈍く痛む片腕。落ちていく感覚は夢ではなかったのか。あるいは、ここにあたしがいるのも夢なの?
「暑い……」
 自分の声はやけにくぐもっていた。そういえば全身にふわふわとした感触がある。数え切れない毛が肌を刺激している、これには覚えがあった。着ぐるみを着ているんだ。
 半ば麻痺していた感覚が過敏になり始め、状況が飲み込めてくると同時にあたしは頬を赤らめた。
(やだ……中は裸なんだ……)
 どうしてこんな格好を?
 答えは勿論わからない。汗が細く細く筋を作って、背中を、胸を、脇の下を流れていく。
 こうしてはいられない。
 最初に比べていくらか視界は良くなった。豆電球よりもずっと暗いが、全く見えないことはない。着ぐるみのせいで針の穴から覗いた程の視野でも、歩けない訳じゃない。見も知らぬ場所で朽ちることは嫌だった――。
 一歩足を踏み出す。足の裏に軽い痛みがあった。
(な、何……?)
 ゴツゴツと固くて、小さい物……だと思う。暗すぎて判断が付き辛い。子供のオモチャの一種かもしれないと考えをめぐらせる。
(だとしたら、ここは子供部屋?)
 頭の中にあの子供の声が甦る。妹よりも幼い子みたいだったけど。「もういらな〜い」――あたしは身震いをした。怯えている? 自分よりもずっと小さい子に?
 何歩か進むと鏡が立てかけてあるのを見つけた。
 チャンス!
 そう思って鏡の正面まで歩いていった。途中、何度か足の裏に痛みを覚えた。さっきの物とも違う、もっと尖っていたり、柔らかかったりした。足の神経はどんどん過敏になっていくみたいだ。
 ――鏡の前に立っても、殆ど何も見えなかった。この暗さを思えば仕方ないことだけど、あたしは肩を落とした。ただ、着ぐるみのシルエットは僅かながらわかる気がする。もっと近づいたら……。あたしは鏡へともう一歩踏み出した。
 ぐんにゃりした物を踏みつけた。その次の瞬間だった。突然周囲が明るくなったのだ。鏡はその全てを光の下に晒しだしていた。
 可愛らしいクマの着ぐるみを着ているあたし。その後ろにはその着ぐるみと同じ姿をしたクマのぬいぐるみがコテンと座っている。足元に散らばっているのは積木や人形といったオモチャたちだった。
 そして――
 あたしの視線は急に点いた光の筋を辿っていた。天井からではない。足元からそれは来ていた。
 目を見開いた。
 光っていたのは西洋風の人形の青い瞳だった。あたしの右足に首を踏まれ、毒々しいくらい赤く塗られた唇を大きく歪めてニヤニヤと笑っていた。目を青々と光らせながら、あたしを眺め回していたのだ――
 暗闇を裂くような鋭い叫び声が、あたしの口から細く長く出ていった。


 遠く――
 ずっとずっと遠くで声が聞こえる。小さな女の子の声と、大人の女性の声と、男性の声。一家団欒を思わせるように、笑っているんだ――。


 尻餅をついたあたしの傍で、クマのぬいぐるみが西洋人形をたしなめていた。
「冗談が過ぎるよぅ」
「アタシはレディーをよく見たかっただけよ?」
「それが怖いんだよ。僕だって、最初君に見られたとき泣きそうになったもぉん」
「失礼ネ!」
「本当のことだから仕方ないよ。お姉さん、名前は?」
 突然話を振られて、あたしは戸惑った。ええと、悪いひと(ヒトじゃないけど)じゃないのかな……。
「海原みなもです」
 西洋人形は三回頷いた。
「みなもサンね。初めて同性の友達が出来たわ! 女同士仲良くしましョ」
 目を瞬かせたあたし。
 ってことはやっぱり悪いひとじゃないんだ!
(悪いことしちゃったよね……)
「勿論です。こちらこそお願いします。さっきは叫んだりして、ごめんなさい」
「いいのョ、スイッチが入っちゃったせいもあって、ビックリしたのよネ」
 そう言って西洋人形さんは胸元を指差した。ここを押すとスイッチが入って目のライトが点くらしいのだ。
「そこで、だ」
 クマのぬいぐるみさんが居住まいを正した。
「僕らはみなもお姉さんにお願いがあるんだ。聞いてくれる?」
「はい」
「まず、僕らは捨てられたんだ」
 その目はとても切なそうで。
 話を聞き終わる前から、あたしは彼らの願いを叶ようと思っていた――


 幼女の声が聞こえる――
「だめー、パパ、このCMちゃんと見て」
「可愛いウサギのぬいぐるみだね」
「でしょう? 喋るんだって。それでね……」
 ――…………
 この声は、クマさんにも西洋人形さんにも聞こえないのだろうか――


「捨てられてから、僕たちはずっとここにいるんだ。外に出たいよぅ」
 クマさんは頭を垂れた。
「ここじゃない所へ行きたいのョ。みなもサン、連れて行って欲しいの。アタシたち――ここにいるオモチャ全員のことよ――じゃあ、小さすぎてここから出られない。アナタならきっと出来るわ」
「そしたらみなもお姉さんも家に帰れると思うんだ」
「わかりました。みなさんを連れて、あたし外に出ます」
「ありがとう! それじゃあ、僕らは一緒に付いていくとして……他のみんなの魂を受け取ってもらえる? 抱きかかえていくのは無理だもんね」
 木の葉程の大きさのオレンジ色の光がいくつも灯りだした。
(これが魂……?)
 なんて、温かい色をしているんだろう。なのに、寂しそうに揺れている。
「どうぞ、入ってください」
 両手を広げたあたしの中へ、熱いものが入り込んできた。
 頭が壊れたテレビみたいな音で一杯になる。ヌメヌメした感触が肌を通って内側へと足をしのばせるのだ。
「ぅ……」
 小さく声を漏らしたあたしの傍で、「まだ半分も入っていないよ」と声がした。
 身体が崩れ落ちていく。
「大丈夫です……から……もっと一気に……ハァ……」
 熱い!
 肩で息をしても追いつかない程、呼吸が乱れている。
 汗が滴っているのが着ぐるみを着ていてもわかっていた。お願い、もっと、早く、全てを入れて欲しい。でなければ、もう息がもたなくなってしまうから。
「あああああああああァァァァん!」
 叫び声にも近い。上下に動いていた肩に痺れが加わり、あたしはぐったりと倒れこんだ。
「みなもお姉さん起きて。もう魂は全部入っちゃったよ。さぁ行こう」
「デリカシーのない男はこれだからヤァネ!」
 背中を誰かが撫でている。多分、西洋人形さんが擦ってくれているんだろう。
「無理しなくていいのョ。休む?」
「いえ、大丈夫です……」
 再び腕に力を入れて立ち上がる。
(早く外に行きたい)
(みなさんを連れて、ここから出なくちゃ)
 大量の汗が腿を流れて足へと落ちていった。喉も渇く。だけど、そんなことどうでもいい。みなさんの願いを叶えるのは、あたししか出来ないんだ。
 魂が訴えている。「ここから出たい」と。
 さぁ、早くと。


「ねえ、パパ。買ってくれるでしょう?」


 一面に転がっているオモチャたちを踏まないようにしながら、歩いていく。クマの着ぐるみを着たあたしと、クマのぬいぐるみさんと、西洋人形さん。視界は狭くても、西洋人形さんのライトのお陰で転ばなくて済む。
 誤って踏みそうになる積木さんたちやクレヨンさんたちに詫びながら…………ずんずん、ずんずんと進むのだ。
 埃のにおいがしているのは、動くことも出来ずに長いときをここで過ごしているひとが多いから――。
『さぁ、早く!』
「外ってどんなものなのかしら?」
「そうですね……」
 西洋人形さんの質問に、あたしは天を仰いだ。
「もっと明るくて、色んなひとがいて、建物もいっぱいあって、木とか花とか……」
 ここになくて、外にあるモノ。それはあまりに多い。
 暗い場所にずっと閉じ込められていることがどういうことか。考えるだけで気が滅入りそうだった。次第に外のことも忘れて、埃の舞う場所でぼんやりと過ごしていくのだろうか。
「ここに長くいると、だんだん自分のこともわからなくなってくるんだ。ここは暗いからね……。僕なんてさっき久々に自分の姿を見たよ」
「そうなんですか……」
「うん。やっぱり、時々は鏡を見たいなぁと思ったよ。僕は自分が生きているのかどうかさえ、わからなくなってきていたからね」
「アタシもそうよ。もう自分はどこにもいない気がしていたのョ」
 二つのためいき。
 呼応するように、胸がざわつく。魂たちが頷きあっているんだろう。
(みなさん、不安なんですね……)
 何て励ましていいか、あたしはすぐにはわからなかったけど――足をとめて、二人の手をぎゅっと握った。力強く。ここにいるよと言うように。
「外に出たら、数え切れないくらい鏡を見ましょう。飽きるくらいに、いっぱい」
 わざと元気良く言ったら、魂の笑う声が聞こえた。
『そりゃ大変そうだね』
 ……あたしは静かに苦笑いした。


「お前には叶わないなァ。よォし、明日買ってきてあげようか」


 茨の巻きついた柵の前まで来た。あたしの身長よりも高いけど、足を上手くかけていけば超えられる高さだ。棘は――ううん、かまっていられない。
 クマさんと西洋人形さんを両肩に乗せると、柵に足をかけた。
「……っ」
 体重を乗せた瞬間、着ぐるみ越しに鋭い痛みが掌と足に走った。湿った感じがするのは、おそらく出血したからだろう。
(これくらい……大丈夫)
「もう少しの辛抱です」
 足にぐっと力を入れて、勢いをつけて柵にまたがった。両腿に痛みが襲い掛かる――平気、こんなの何でもない――。
『早く、早く!』
 今度は両腕に力を込める。飛び降りるのだ。
「あぁ、ついに外に出られるんだね」
「楽しみだわ。ワクワクするわョ」
 あたしは二人ににっこりと微笑んで、一呼吸した。そして、一気に飛び降りた。
 これでみなさんは自由になれる――
 筈だった。


「ありがとう、パパ!」
「さァ、もう寝なさい」
「はぁ〜い」
 幼女はいくらか不満げに返事をすると、自分の部屋へと戻っていった――


 肩の上に乗せていた二人が火に巻かれている!
 気づいたとき、炎は二人を包み込み、あの世まで離さぬと震えていた。
「あぁ、そっかぁ」
 間延びした顔でクマさんは口を開いた。
「僕たち、とっくに燃やされていたんだぁ……」
 西洋人形さんは、大きな青い瞳から涙をポロポロ零していた。表情は微笑んだまま――、
「考えてみればそうよネ。アタシたち、いらないんだから、燃やさないと邪魔だもノ。外に出たいなんて、都合のいい考えだったわ。そんな場所、アタシたちには最初から無かったのョ……」
「やめてください!」
 悲鳴のような声で、あたしは叫んでいた。
「今すぐ消火しますから! 外は明るくて、きっと楽しい場所です……あたしと一緒に外へ行くって話したじゃないですか!」
 二人を叩いた。だけど火は収まるどころか、その牙を二人に突き立てていった。何度叩いても消えもしなければ、あたしに燃え移りもしなかった。
 ――消えて!
 ――消えてよ!
 ――お願いだから消えて!
 身体に衝撃が走った。
 魂があたしの中から出て行く!
「待って……」
 叫び終わる前に、魂は目の前で炎に包まれて消えていった。
「逝かないでください!」
 誰に言っていいのかわからず、空に懇願していた。生きて。殺さないで。お願いだから……。
 手に残るのは僅かの灰。
 目の前にあるのは、光を失ったまっくら闇の世界だった。
 柵から離れたあたしは、下へ下へと落ちていく。あたし独り、“外”へ向かって。


 ベッドに入ろうとしていた幼女は、物置に使っていたクローゼットから物音がすることに気が付いた。
 開けてみると、自分よりもずっと大きなクマのぬいぐるみがあった。
「わ。こんなの買ってもらったっけ」
 遊び足りないと思っていた幼女は、面白そうに手を伸ばした。
 だが――
 驚いたことに、ぬいぐるみが喋ったのだ。
「どうして燃やしたんですか……?!」
「?」
 首を傾げる幼女に、ぬいぐるみは掌を見せた。それは灰まみれになっていて、幼女は眉をしかめた。汚い手だと思った。
「クマのぬいぐるみも、西洋人形も、たくさんのオモチャも……どうして燃やしたんですか!」
「オモチャ……? ああ、あれかぁ」
 クスクス。
「わたしのせいじゃないよぉ。いらな〜いって言ったら、ママが片付けてくれただけなんだもん」
「…………いらないって……それでまた新しいオモチャを買うんですか」
 クマのぬいぐるみは肩を震わせていた。一体、どういう仕掛けになっているんだろう。不思議で仕方ない。幾らくらいしたのかな。パパも買ってきてくれたなら、教えてくれればいいのに。でもこの手は駄目だ。ママに洗ってもらわなくちゃ。
「だって、飽きちゃったんだもーん」
 可愛らしくふくれっつらをしてみせると、幼女は両手を前へ伸ばした。
 新しいオモチャと遊ぶために――



 泣きながら目を開けた。
 朝になっているらしく、電気を点けていなくても眩しい。
「みなさん……」
 寝たまま、両手を天井へかざした。
 灰の跡などない、綺麗な掌が、夢であったことを告げている。
(あのあとはどうなったの……?)
 あたしは、
 幼女は――、

 魂の生々しい感触だけが肌に残っていた。




 終。