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<東京怪談・PCゲームノベル>


 夕立に消えた悪霊

 もう夕方だった。暑い暑い1日が終わろうとしている。それでもまだ辺りは明るかった。冬であればすっかり暗くなる時間だが、夏休みということもあり遠くから子供達の騒ぐ声さえ聞こえてくる。母親が呼びに来るまで遊ぶのだろうか。けれど、ノルタルジーに浸るにはあまりに環境が悪い。
「あっつ〜」
 水の量が極端に少ない川の上に架かる橋。そのたもとで四方神・結(しもがみ・ゆい)は日よけの帽子を脱ぎ、それを扇がわりにパタパタと顔の前で動かした。湿気を帯びたぬるい大気が動いて風となった。けれど汗を蒸発させたのか‥‥思ったよりもずっと心地よい。ピーカンだった空は急にどんよりとした雲に覆われていた。夕立がくるのかもしれない。
「今日も空振りかな?」
 結はチラッと空を見上げてから小声で言った。ここに立つのは3日目だ。あの黒服の男から『依頼』されてから毎日、結はここに立っていた。けれど、待ち人来たらず状態だ。カバンの中を見ると折り畳みの傘と並んで空っぽのペットボトルが見えた。コンビニで買った水だが、さっき飲み干してしまったのだ。けれど、この暑さでは補給した水分もみな汗となって出ていってしまった様な気がする。もう帰ろうか‥‥そろそろ晩ご飯の支度も考えなくてはならない。足が僅かに動く。けれど、どうにも踏ん切りがつかなかった。結が黒服の男の依頼を受けるのは男を喜ばせたいわけでもないし、組織に対して功績を誇りたいわけでもない。ただ、この世界に留まる事がその人にとって苦痛だと思うから‥‥早く苦痛から助けてあげたいからだ。人に話せば偽善と思われるかもしれない。けれど、結にとってはこの理由が本当であり『偽』ではない。だから‥‥。
「もう少し‥‥もうちょっとだけ、待ってみようかな?」
 自分に言い聞かせるように言った。食事は冷凍してあるモノを何か解凍してもいい。
「‥‥あ」
 ぽつりと冷たいモノが左頬に上から降ってきた。雨だと思った。何気なく左手を頬にあてその水を指でぬぐう‥‥すると指が赤く染まっていた。ヌルリとした感触がある。
「血?!」
 気が付くと辺りは真っ暗だった。誰もいないし、先ほどまで聞こえてた子供の声もない。
そして、強烈な存在感が沸き起こる。
「誰!」
 その『気』に向かって結は誰何した。

 闇色の雲が集まって来る。気体が凝集して個体になっていくように、闇色の塊はどんどん大きくなる。そしてそれは人の姿になった。黒い服を着た黒髪の男。まだ若い‥‥結とさほど年の離れていない若者だった。けれど、その表情は悪意を秘めた醜悪な笑みを刻んでいる。
「俺を待ってたんだろ? 出向いてやったぜ」
 先ほどまでの暑さも湿気も気にならない。結は目の前の男に意識を集中させる。
「あなたは‥‥自分の状況をわかっているんですね」
 目の前にいるのは死者。肉体を失ってしまった人の心の力が見せる姿だ。そして、男には悪意とはいえしっかりとした自我があり、自分がどういう立場にいるか把握している事がわかる。そう。こういう事はいつも何故だがわかる。それが結の力の1つなのだろう。男はゆっくりうなずいた。
「あぁ。俺は死んで‥‥けれど、何処か別のところには行かなかった。フラフラしてる時は多少苦しかったが、誰かの身体の中にはいるとそうでもないって事に気が付いた」
 男は軽く両腕を広げる。
「こいつは3番目だが今までで一番心地良い。多分、生きていた時の俺とそう違わないからだろう。性別も年も‥‥投げやりなこの心の中もな」
 男は大声で笑った。けれど、その笑みに100%の邪悪さは‥‥ない!
「わかってるくせに。こんな事をしても、全然楽しくない。全然幸せになれない。わかっているでしょう? なのにどうして?」
「うるせぇ!」
 怒号は害意となって、激しい風のように結に吹きつける。まるで小さな針が無数に飛んでくる様で、身体のあちこちがチクチクと痛い。結は腕を顔の前で交差して風を防ぐ。こんな時はやっぱり肌を露出しない服を着てきて良かったと思う。風はすぐに止んだ。結はピンと背筋を伸ばして男をキッと見つめる。
「そんな風に怒鳴っても凄んでも怖くありません。私にはわかる、見える。あなたが心の奥で困ってること。暗い場所から出たいって思ってること」
「黙れ!」
 また風が吹いた。けれど、今度はずっと弱い。結は首を横に振った。
「黙らない。私は敵じゃないんです。あなたをここから助けに来たんです。ほら、手を出して」
 結が右手を差し出した。ピンク色の健康そうな爪、そして白いけれど決して弱々しくはない手が男へと差しのばされる。料理もするし、掃除もする。シャーペンを握って宿題をする事もあるし、試験勉強をすることもある。編み物だって出来る。生きている美しい手。
「‥‥俺は」
 男の顔は引きつっていた。笑いが崩れ泣きそうにも見える。
「何故だ! なんで俺に手を差し出す。俺にそんなことをしてくれた人はいなかった。俺はいつも1人で‥‥親も学校も‥‥誰も」
「1人じゃない!」
 結はもう1度手を伸ばす。
「1人だって思ったかもしれない。でもね、1人ぽっちの人なんて本当はいない。もっともっと目を凝らして見たら、絶対に誰かいるってわかるんです」
「‥‥嘘だ」
「嘘じゃない!」
 結は断言した。強くハッキリと言う。
「私も‥‥わたしだってそう。お母さんはいない。お父さんも出張ばっかり。でも1人じゃないんです。友達だっている。自分から大事だって思えば私のことを大事に思ってくれる人は必ずいる。誰かに手を差しのばして貰いたかったら、まず自分が誰かに手を伸ばせばいいんです。ほら、こんな風に‥‥ね」
 いつの間にか男は結の伸ばした手のすぐ側に来ていた。まるで恐ろしいモノをでも視るかのようにじっと結の手を見下ろしている。
「自分から‥‥手を‥‥?」
「そう。何かして欲しかったら自分からする。大好きになって欲しかったら自分も大好きだって言う。まぁ恋愛とかは‥‥そ、そのぉ、結構言いにくかったりするんですけど、でも‥‥」
 雄弁だった結が急にしどろもどろになる。愛されたければ愛せばいい。簡単な事だけど、それがどれほど難しいか‥‥特に恋愛とか告白とか‥‥ああぁ、それは無理無理ってなる。
 心の中で思考が迷走し収拾がつかずに慌ててしまう。そんな結の心中を察したのか、目の前の男が笑った。先ほどとは違うごく自然な笑みがこぼれる。
「お前は‥‥不思議な奴だな。俺の為に時間を割き、そして俺に説教している最中に慌てだしたりする」
「な、なによ。しょうがないじゃないですか。ちょっと理論が破綻しそうになってしまったんだから。でも、でもね‥‥」
「いい。わかった」
 更に話そうとする結を男が制した。
「俺が浅慮だった。お前に利がある‥‥そんなことは最初からわかっていた事だった。俺はどうしたらいい? 俺は今まで随分と悪い存在だった。もし、今からでも遅くないんだたら‥‥」
 邪気はもう感じられなかった。男を取り巻くようにしていた黒いモヤも薄れつつある。
「遅くなんてないよ。だから‥‥新しいまっさらな『生き方』」をして下さい」
「新しい生き方?」
「そうです。新しい生で新しい生き方をして欲しいんです」
 結はもう何百回も口にした聖句を唱える。長い長い言葉の羅列は結の中にある力を引き出し、言葉と力は綴れ織り虚空に実体を浮かび上がらせる。それは黄金色に輝く大きな門であった。結が手をあげると門がすっと開き始める。
「あの門をくぐれば転生の準備が出来ます。まっさらになって下さい。そして、いつかまた‥‥また会いましょう」
 男はコクリとうなずいた。ふわりと身体が持ち上がる。空に描かれた金色の門に向かって男は空を登っていった。


 頬にぽつりと冷たいモノが降ってきた。
「え?」
 左の頬に手をやる。その間にも次から次へと冷たい雫が頭に肩に降ってくる。見る間にアスファルトの地面も濡れて黒くなる。
「あ、雨降ってきた」
 慌てて屋根のある場所を探しながらカバンを探る。折り畳み傘のカバーはこんな時にはなかなか外れない。
「あの人、濡れなかったかな」
 結はチラリと空を見上げる。白い雨粒の向こうにどんよりとした雲がたれ込めている。そして結が描いた門が金色の粒子となって空に吸い込まれるように消えていく‥‥そのキラリと輝く最後の一瞬だった。
「早く帰らなきゃ」
 やっと折り畳み傘を広げると、結は最寄り駅へと走り始めた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3941 / 四方神・結(しもがみ・ゆい) / 17歳 /認定導魂師】
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■         ライター通信          ■
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 導魂師のお仕事をお受けいただき有り難う御座いました。対象は生真面目な方でしたので、このような結果となりました。結さんも生真面目な方ですので、相手の気持ちがいつもよりもずっとわかってしまったのかもしれませんね。また妙で面倒な案件がありましたら黒服から依頼があると思いますので、是非お引き受けくださいますようお願いします。以上、導魂師協会広報兼任深紅よりでした。