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<東京怪談・PCゲームノベル>


あまやどり ― 柱時計 ―




先程まで気配もみせなかった水の気が、
空気の中に満ちてくる。

見上げる空には白い雲。
降りそうには思えない。


気のせいか。


暫く持ち歩きに慣れていた傘を今は持っていない。
だから敏感になっているのかもしれない。
ひとりごちて鼻の辺りをこする、
と人差し指に感触。


ぽつり。


見上げる瞳に落ちる水滴。
慌てて走り出し其れから避ける。
然し軒のある家など最近はそうはない。
どこかないものか、
走りながら視線を彷徨わす。

ふと飛び込んだ視界の中に、
まるで空間が違うかの如く静かに建つ家屋。
柴垣に柳格子の風流な佇まいに一瞬思考も止まる。


こんな家あっただろうか。


だがそれも降り落ちる雨雫に現実に引き戻される。
とりあえず軒下を借りよう。
あなたは手を顔上にかざすとその軒目指して走り出した。








追われる様にその家に辿りついた。
普段は気にもした事のない軒下の存在。
それがこれほど有難いものか、とあらためて思う。
軒下のある家というのは、
得てしてそれは優しさだ、
そんな風にも思う。
雨に濡れてそれから避けられた今、
少しの事が感謝の対象となる。


ひとつ、
大きな溜息。


息をはくと周囲の状況が目に入ってくる。
今立っているのは柳格子の戸の前。
その色は年季を感じさせる深く濃い色合いである。
この家の敷地をぐるりと囲むのは柴垣。
今は田舎でしか見られない光景が珍しい。



シュライン・エマは鞄からハンカチを取り出すと、
スーツの上から軽く押し当てた。
まっすぐこの軒下に駆け込んだのでそれ程濡れてはいない。
この時期の気温であればそのうち乾くだろう。

軒下に入る際、
矢張り人様の敷地内へ入る行為に変わりはないわけで、
ごめんください、少しお借りします、と声をかけた。
それに応える声はなかったものの、
一応、礼はつくしたので良しとした。

外仕事を終え、仕事先への連絡も終えたところの雨だった。
これから戻って残りの仕事を片付けたり等、
余計な事が待っている状態でない事が都合がいい。
このまま帰るだけ。
それだけに少しは気が楽かもしれない。


「ラッキー、」


小さく呟いた。





よく見るとすぐ隣の格子窓の方が丁度いい塩梅だったので、
二歩程横歩きで移動した。
こちらの方がひさしが出ていて足元も撥ねずに済む。

雨は静かに本降りになっていた。
道行く人もいない。
視界は薄い雨のヴェールに覆われ、
全ての人を隠したかの如く。

(静かだな、)

特に急ぐ事のない状態である為か、
シュラインは次第にゆったりとした心持ちになる。
雨が全てを包み込んでいた。
柔らかく、穏やかな腕に抱かれるが如く。

知らずシュラインは目を瞑っていた。
そうすると雨粒が色々な物の音を浮かび上がらせているのがわかる。
音が輪郭をつくる。

街灯、
自転車のハンドル、
ポスト、
おもちゃのスコップ、
じょうろ、

そこに生活の姿が見えてきて、
シュラインの口元は思わず綻ぶ。


、ぼーん……


それは唐突に、彼女の背後から聞こえてきた。
時計の音であるのは間違いなく、
超越された聴覚にそれがゼンマイ仕掛けである事を知らせている。

(何か懐かしい感じ、趣きのある年代物かも)

音の感じから、この家の情緒ある佇まいに相応しい時計と想像できた。
然し少しおかしい。
音が時を知らせる手前、いったんゼンマイが止まる様な音がする。
それはほんの微かなものではあったが、
確実にずれを生じさせていた。


「気になる、わねぇ」


不快、とまではいかなくとも
心地よい音であるだけに惜しくもある。

どんな形なのだろう、
どうして音がずれているのだろう、

一度気になると、好奇心は止まることをしらない。
まるで雨が現実世界から隔離したかの如く、
純粋にそれが見たくなった。

時計を。

心で大人の良識が騒ぐ。
勝手に雨宿りさせて貰っている上に、
敷地内を探るのは失礼だ。


「わかってる、でも……ごめんなさい、失礼します」


誰、ではなくその家に、
正確にはその家の木の壁に手をそっと置き、
家をめぐる事を詫びる。
詫びて、つと指を壁に滑らせそのまま家一回りの一歩を踏み出した。



軒下沿いの、雨を避けながらの冒険。
時計が時を刻む音を辿りながら、その姿を探す。
然しそれ程大きな家でもない為、
目的地はあっさりと目の前に現れた。

障子の窓に畳の部屋。
古そうな茶箪笥のすぐ隣にある柱に、
目指す時計はあった。

柱時計。
上部に丸く白い時計版があり、
下部には丸い振り子がゆっくり揺れている。
特に凝った装飾があるわけでもないが、
それがかえってこの家とこの部屋に似つかわしい。

半開きの障子から、
今ははっきりと柱時計の音がシュラインの耳に届いた。
時を刻む音が聞こえていながら、
時が止まった様な部屋。
雨の音と時の音。
静寂の波紋が幾重に広がり、
それにシュラインをも飲み込んでいく。


それを破ったのはひとつの足音。
そしてひとつの声。


「お姉さん、だあれ?」


視線を少し下げると少年がシュラインを見つめていた。
白いTシャツに黒っぽい半ズボン。
あどけない表情が誰何している。
咄嗟に自分の立場を思い出し、頬が紅潮するのを感じる。
ごめんなさい、シュラインは謝る。


「私はシュライン・エマというの。
 雨宿りでお邪魔させて貰ってしまってて……、」


驚かせてごめんなさい、
再度謝り頭を下げると少年が近づいてきた。


「濡れてない?」
「え、……ううん、大丈夫よ、ありがとう」


良かった、そう言って少年は笑った。
人を疑うという事を知る前の年頃なのか、
純粋な善意を身に受けシュラインは思わず目を細める。


「ね、お姉さんに教えてくれるかな」
「なに?」


シュラインの視線の先にあるものを、少年は目で追った。
そしてああ、と嬉しそうに笑う。


「この時計の事?」
「ええ、」
「いいでしょ、僕の宝箱なんだ」


得意そうに笑う姿にシュラインもつられて笑った。
宝物ではなくて宝箱。
でもどうやら間違いではなさそうである。
少年は小さな胸をそり返している。
余程自慢なのだろう。


「そっか、でも宝物を入れたら時計が止まってしまわないかな」
「うん、それで母さんによく叱られるんだ」


そうだ、と言って少年はシュラインを手招きする。


「いいもの見せてあげる、だからあがって」
「え、ちょっと……、」
「背が届かないから取れないんだ、
 登り台になるもの母さん片付けちゃったから」


確かに少年の身長では柱時計に手が伸ばす事は出来ない。
少年の悪戯を防ぐ対策なのだろう、
母親も大変だ、とくすりと笑った。


「わかったわ、それじゃちょっとお邪魔します」


少年の許可が得られたとはいえ、
大人の許可ではないので少々おっかな吃驚の体である。
だが、濡れ縁から踏みしめる畳の感触が心地よい。
それを猫の様にそっと歩き、
柱時計の前に立つ。
薄い硝子の扉に手をかけ、これ?と少年に聞く。
大きく頷くその表情が活き活きとしてはじけそうな程だ。

そっと開く。
硝子の振動が手に伝わる。
揺れる振り子。
そこにはビー玉や、ベー独楽、石、王冠、玩具の自動車等、
他愛もない、それでいて大切にされている宝物があった。
そしてその向こう、
機械部分に白い紙が挟まっている。


「もしかして、この紙?」
「そう、その紙」


揺れる振り子を少し指で押さえて止め、
その隙に紙を取り出し少年へ渡す。
それは子供の手によるものである為存外に小さく、
そして子供なりの丁寧さで畳まれているものだった。
宝物達を落とさぬよう、
そっと硝子の戸を閉めると再び濡れ縁へと戻る。
そして今度は濡れ縁に腰掛け、
少年へと視線を戻した。

彼もシュラインの傍にきて座り、
得意げに言う。


「これはね、もっと大切な宝の地図なんだ」


小さな手が、恭しく紙片を広げていく。
そこにあらわれたのは何かの図形のようなもの。
恐らくは地図なのだろう、
拙いながらも其れらしく書き込まれている。


「あそこにあった宝物よりも?」
「うん」


誇らしげな瞳が眩しい。
ああ、いいな、とシュラインは思った。
自分も幼い頃、こうして色んなものを大切にしていた。

(大切にしまいすぎて、その場所を忘れてしまって泣いたっけ)

思い出し、吹き出す彼女に少年は首を傾げる。
なんでもない、と頭を振って地図を見る。


「ね、ここに何が隠されているの?」


再び好奇心がシュラインの心を支配する。
少年はうーん、うーんと考えていたが顔をあげて逆に問う。


「知りたい?」
「ええ、とても」


二人とも共通の秘密を持った冒険仲間の様な風である。
秘密。
宝物。
地図。
なんと心くすぐる言葉達なのだろう。


「ここにね、大人になった僕への手紙があるんだ」
「君宛て、の?」
「うん、そう。
 おっきくなった僕に僕がお話するの。
 お元気ですか、僕は元気だよ、って。
 毎日楽しいよ、おっきい僕は楽しいですか、って」


タイムカプセル。
シュラインはそれが何を示すか知っていた。
そしてそれが大人になった少年が開けた時の事を想像し、
彼女自身が高揚感に満たされる。
それはなんて素晴らしい未来への宝物だろう。


「楽しみだね」
「うん、楽しみ」


ぼーん……


くすくす笑う二人の耳に時が鳴る。
顔に落ちかかる髪の一房を耳にかけ、
見上げる音源は勿論柱時計。
今はもうあのひっかかる音はない。


「そうか、この地図がひっかかっていたからなのね」


ひとりごちて少年を見やると、
たった今まで彼のいた場所はただの空間だけだった。

(え、)

視線を時計にやったのはほんの一瞬。
だがその一瞬で少年の姿が消えた。
更に、


、ぼーん……


「え?」


通常の音に戻った時計の音が再びひっかかる音を出している。
何もかも全てが一瞬で変化した様であった。
急激な変化に暫し思考が止まる。
だがそれもすぐに破られた。



「どなたかな」



声の方向を振り向くと、そこには老人がいた。
小さな目をしばたかせ、眼鏡を押し上げている。
濡れ縁に腰掛けているシュラインを誰何しているのだ。
咄嗟に立ち上がりごめんなさい、と深く一礼し、
雨宿りからの出来事を話した。
怒鳴られても仕方のない状況ではあったが、
老人はそうはしなかった。


「お嬢さん、濡れなかったですかな?」
「え、……はい、お陰様で大丈夫です」


それは良かった、そう言って老人は笑った。
その様子にデジャヴュを覚えながらシュラインは言う。


「あの、怒らないのですか?」
「何をですかな?」
「いえ、あの、ですから勝手に軒下にお邪魔して、お庭まで入ってしまって、」
「はて、」


老人は怪訝そうな顔をする。


「雨宿りをしてたと伺いましたが、」
「はい、」
「我が家の軒下で濡れずにすんだのでしたな、」
「はい、」
「ならばお役にたてて良かった、
 我が家の軒下も捨てたものではありませんな」


その穏やかな笑みはシュラインの恐縮を解けさせるに充分な温かみを持っていた。
この御時世になんと鷹揚なことか。
とってつけた態度ではない、恐らくそれは自然と身についたものなのだろう。
良い家庭環境なのだということが容易に想像できる。


「然し……、」
「はい?」
「少年、と仰いましたな」
「ええ、」


首を傾げ考え込むように老人が言った。
たった今までそこでシュラインと話していた少年。


「確かに私には孫がおりますが、ここには住んでおらんのですよ」
「え?……で、でも確かに今ここで……、」


ふいにシュラインはある事に気がついた。
消えた少年。
それと供に復活したひっかかる時計の音。
そして先程から老人に感じているデジャヴュ。
行く度もの経験を積んできた彼女には、
それが何を示しているのかわかるのに、
そう時間はかからなかった。

(そっか、)

すると全てが理解できた。
それならば全てが辻褄があう。

外を見ればいつのまにか雨もやみ、
空気も清浄さを取り戻していた。


「突然お邪魔してすみませんでした、
 雨もあがりましたのでこれで失礼させて頂きます」
「おお、そうですか。気をつけてお帰りください」
「本当に有難う御座いました、
 それで、あの、少年からの伝言といいますか、」
「はい、はい」


――― おっきくなった僕に僕がお話するの……


「柱時計の中に宝物があるそうです」


お辞儀をし、お邪魔しましたと言ってその場を辞する。
濡れた紫陽花の葉をさけ、
地面の水たまりをさけて運ぶ足取りが軽い。

柴垣を通り抜け、一度振り返る。
柳格子戸の軒下のあるやさしい家。

老人は見つけただろうか。



――― うん、楽しみ



シュラインの頬にあの時の少年と同じ笑みが浮かんでいた。








あまやどり。

ときにはとまってみるのも、




いいかもしれない。













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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】

【 1721 / 藤野・咲月 / 女 / 15歳 / 中学生/御巫 】
【 6235 / 法条・風槻 / 女 / 25歳 / 情報請負人 】


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■         ライター通信          ■
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お久しぶりです、そして、はじめまして。
ライターの伊織です。
この度はゲームノベル「あまやどり」にご参加頂き、有難う御座いました。

今回はあまやどりの間のほんのひとときを皆様には過ごして頂きました。
選んで頂きました鍵言葉から其々の物語が生まれ、
結果的には独立した3つの物語となっております。

この時代、雨がふっても「あまやどり」をすることは滅多になくなりました。
昔は「あまやどり」から色々な出会いや出来事があったものです。
歌にもそういうのがありましたね。
このノベルを読んでたまには良いかな、と思って頂ければ幸いです。

またお目にかかれましたら宜しくお願い申し上げます。



>シュライン・エマ様

お久しぶりです。
再び女史の名を拝見し、怪談に戻ってきた事を思うと共に、
益々のご健勝ぶりにお喜び申し上げます。

一見何でもないような些細なそれでいて必要な事をきちんと織り込んだ、
丁寧且つ的確なプレイングは相変わらずお見事です。
今回選ばれた鍵言葉は「しっとり」でした。
そして行動をおこされた事から宝物へと発展したわけですが、
束の間の冒険をお楽しみ頂けましたでしょうか。
常に活動されている方ですから、
ちょっとした一休みになれば良いのですが。

ご参加、有難う御座いました。