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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


選択授業



 あたしの通う学校が中高一貫校に変わることになった。戸惑うあたしをよそに、その話はクラスの大きな話題になっていき、やがて学校の授業にも変化が見られるようになった。

 六時間目の後のこと。あたしたち全校生徒は先生の指示の下、体育館に集まっていた。朝礼以外に全校生徒が集合するなんて珍しいことだ。
(中高一貫校の話かな)
 浮かない気分で想像したことが当たっていた。制度を正式に変える前に、準備期間として選択授業を設けるのだそうだ。
(選択授業……?)
 初めて聞く言葉なだけあって、校長先生から説明があった。選択授業とはその名の通り興味のある授業をあたしたち生徒自身が選べるシステム。授業によって専門学校や大学など学ぶ場所が変わる。だから早くから興味のある分野への知識を深めることが出来る。プリントを配るから、受けたいと思う授業一つに丸をつけて提出しなさい――と、そんな話だった。
「プリントは今提出してください。まず三年生から……」
 と学年主任の先生。
「………………」
 目を通してみると色々な授業があった。生活の中の科学に目を向けてみる授業とか、モデルさんを見て絵を描いたり写真を撮ったりする授業とか……それから世界の郷土料理を教えてもらう授業に、発掘作業を体験する授業まである。
(この中であたしが慣れているのってお料理くらいだけど……)
 だけどそれは家事のためのもので、専門で調理をやっていきたいかと言うと――わからない。
「一年生の人、提出してください」
 期限はもう目の前だ。早く決めなければいけない。
(ど、どうしよう)
 どの授業も面白そうだけど、この中から一つを選ぶなんてあたしには――。
 迷っていると演劇部の先輩に声をかけられた。
「まだ決めてないの?」
「はい……どれも良さそうなんですけど、選べなくて……」
「じゃあ一緒の授業にしない? 私が丸つけてあげる」
 と、先輩はあたしのプリントをサッと取り上げると早々に丸を書いて提出してしまった。
「あの……何の授業ですか?」
「そんな怯えないで。メイクよ、メ・イ・ク」
「あ、お化粧なんですね。良かったぁ」
「……まぁ、似たようなものね」
 先輩が選んだだけに変な授業を想像していたから、あたしは胸をなでおろした。冷静になって考えてみれば、お化粧と訊いて「似たようなもの」と返されたときに疑ってかかるべきだったのに。
 メイクのせいで肌が荒れたりしたら大変だから事前にパッチテストを行って、いざ当日!
 これで良かったのかと不安になりながらも、多少の興味を抱きながら先輩と一緒に電車を乗り継ぎ向かった先は――


「……ここですか?」
 見覚えのある専門学校と見覚えのある人たちを前にして。
 顔をこわばらせているあたしとは対照的に、先輩の笑顔なことと言ったら――これじゃあ「今からでも遅くありません。帰りましょう」だなんて言える雰囲気にはなりそうにない。
(とは言え、バイトのときとは違うから、危険はないかもしれないよね)
 専門学校の生徒さんたちも笑顔で迎えてくれた。ここに来て知った授業名は『特殊メイク体験』――ああやっぱり、とあたしは苦笑するのだった。
 校内に案内されるとまず今日の予定を教えてもらった。大雑把に言えば授業内容の説明や基礎知識などの講義、それから実際のメイク体験。授業を受けにきたというより、体験入学に来た感じだ。
 生徒さんの視線を肌で感じながらも、とりあえず授業開始。
 メイクに使う道具を机に並べて見せてもらう。あたしには絵の具に見えるものもあったりして、図工や美術の授業みたい。
(傷を負った人やゾンビや化け物なんかが映画には出てくるけど、ああいうのもこれで作るのかな)
 だとしたら凄いことだと思う。バイトのときにいつも思っていることだけど、刷毛一つとっても、生徒さんが使えばあたしを変身させる魔法の道具になる。道具にも色々あって便利なんだろうけど、何より腕が重要なんだろう――
(あたし、場違いなんじゃないかな……)
 不安を強めていくあたし。
 その隣では先輩が目を輝かせていた。机の上には道具以外にも、綺麗な女性のマスクやグロテスクな妖怪のマスクなども置いてあるんだけど、それを面白そうに触っている。
「演劇部に入ってから特殊メイクに興味を持つようになったの」
 ここに来る途中の電車で、先輩はそう話してくれた。身振りも加わって、その横顔はあたしの知らない先輩のものだった。
「みなもちゃんも触ってみて?」
 生徒さんに言われて、あたしも手を伸ばしてみる。思っていたよりも薄い。あたしが触ったことのあるのってお祭りのお面くらいだから、当たり前なんだけど――。
(知識もないのに来ちゃったんだ……)
 俯いていたからだと思う、先輩が声をかけてくれた。
「来たくなかった?」
「そんなことないです」
「そっか、良かった。せっかく専門学校にお邪魔しているんだから、楽しんでいこうよ」
 曖昧に微笑んで頷くあたし。
(そうだよね。知識はこれから増やせばいいんだし、楽しむことが大事だよね……)
 ――だけど、心の中に立ち込めている霧は晴れそうになかった。


 特殊メイク体験で最初にやったのはボディーペイント。自分の腕や胸に筆で幾何学模様を作る作業だ。これが思ったよりも難しい。筆が上手く動いてくれない――というか、あたしの指が震えて形がおかしくなってしまうのだ。腕に描くのすらそうなんだから、胸になると余計に難易度が増す。視界が限られているもの。
 あたしが戸惑っていると、後ろから生徒さんが手を添えてくれた。
「リラックスして。息を吸って、吐いて……」
 不思議と震えが止まる。生徒さんに手を掴まれている状態で、胸に模様を描き始めた。くすぐったいし、何だか二人羽織をしているみたいで、おかしい。笑みが零れた。
 なんだかほのぼのとした気分――になったところで。あたしの耳元に、生徒さんの声。
「意識しなくても、筆を通してみなもちゃんの胸の感触を感じちゃう……」
 柔和だった空気は一転、さっきよりも緊張に支配された雰囲気に変わるのだった。


 次に渡されたのは、肌色の粘土みたいなもの。指でこねていると柔らかくなる。
「それを手の甲につけてヘラで伸ばしてごらん」
 生徒さんに言われた通りにする。肌色の膨らみが手の甲に出来た。ここに道具を使って線を引く。再びヘラで馴染ませて――。
 傷を作っているのだ。
 先輩とあたし、二人でお互いのを確認しつつやっていく。赤色に黒を混ぜて、リアルな血の色を再現して、さっき線を引いた場所に塗っていく。細い筆を使うんだけど、また指が震えてしまう。何とか色をのせると――まだ途中だと言うのに、少し怖いものになってきた。
 血だけではなく、周辺に黒っぽい青色も置いた。殴られたような痕が出来る。そしてひたすら“リアル”に”なるように細かい作業をしていく。一目見ただけではわからないような小さなことが後でゾッとする程のリアリティーを生むのだそうだ。
(繊細な作業なんだなぁ……)
 生徒さんと先輩、それから先生を見比べる。メイクを、この緊張感を楽しんでいるかのような表情だ。
(楽しんで、って言われたけど――)
 好きじゃなきゃ出来ないことなんだろう。


 それから顔のメイク。
 あたしと先輩は猫のマスクを被って、お互いのメイクをすることになった。メイクと言っても、ただの色塗りなんだけど――。
「やり方は自由よ。私たちは口を出さないから、思うようにやってみてね」
 と生徒さん。
(それが一番不安……)
 あたしに出来るのだろうか。道具を前にして考え込んでしまう。失敗しないように、慎重に、慎重に……。ええと猫だから、ベースは何色がいいんだろう。白い猫もいるし、チャトラなんかもいるし、アメリカンショートヘア――ううん。
(やっぱり一色の方が失敗しなさそうだよね)
 でもせっかく専門学校に来ているんだから、二色に挑んでみても……。うん、アメリカンショートヘアにしよう。
 と、いきなりあたしの顔に筆が当たった。
「きゃっ」
「あ、ごめん。驚かせちゃったね」
 先輩は苦笑いしつつ、再びあたしの顔に筆を向けてきた。ザラザラした感触がマスクを通して伝わってくるような気がする。
(先輩は何の色を選んだんだろう……)
 チラリと視線を合わせると――なんと緑!
 どうして?
 戸惑うあたしにお構いなく作業を続ける先輩。いつの間にか先生があたしの隣に立っていた。
「枠に囚われないで、自分の思うように、好きにやればいいのよ」
「はい……」
 枠に囚われないで。その言葉は支えになるどころか、重く圧し掛かってきた。結局出来上がったのはありふれたアメリカンショートヘアの猫と、深緑色で金色の目を光らせている猫だった。
「森の守り神のイメージで作ったのよ」
 笑顔で話す先輩と、さっきの先生の言葉を思い出して、あたしは疎外感を感じ始めていた。
 これっていう思いつきも、情熱も抱くことが出来ないなんて。あたしには向いていないのだろうか。
(だとしたら、あたしに向いているのは何?)
 何なら出来るの。何ならたとえ才能がなくても負けない程の情熱を出すことが出来るの。
 先輩が先生にアドバイスを求めている。意識がぼんやりしてよく聞き取れないけど、何か話しているみたいだ。あたしはその中に入ってはいけない気がしていた。
「アメリカンショートヘアね。良く出来ているわ」
 ふいに、生徒さんがあたしの作品を褒めてくれた。
「でも……」
「どうしたの? 目で見たものを忠実に表そうとするのは凄く良いことよ」
「そうじゃないんです。あたし、先輩みたいに独創的なのが思いつかなかっただけなんです。失敗しないかとか、そんな心配ばかりして……」
 唇を固く結んで俯いたあたしに、生徒さんはこう言ってくれた。
「それって、つまり堅実なタイプなのよね。長所だわ」
「え……」
 長所という言葉は、あたしにとって意外なものだった。だって、技術がないからって心配ばかりして、やる前から不安がっていて、生徒さんの腕や先輩の熱意や大胆さに憧れて――この性格が長所になるだなんて思ってもみなかったのだ。
「今日はつまらなかった?」
「いえ……そんな……」
「もしつまらなかったとしても、それはたまたまみなもちゃんに合わなかっただけ。他にみなもちゃんが面白いと思えるようなものが一杯あるわよ。でも、もし今日の体験の中で少しでも面白いと思えることがあったなら……」
 そこで生徒さんは優しく笑ってくれた。
「また来てね。歓迎するから」


 帰り道の間はずっと不思議な気持ちだった。落ち込んでいたはずの心はずっと穏やかになっていて、先輩の「今日は楽しかったね?!」という問いかけにも、笑って頷くことが出来たのだから。



終。