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<東京怪談ノベル(シングル)>


酒の徳孤ならず必ず隣あり

「私の屋敷に来ませんか?」
 閉店間際の蒼月亭で、陸玖 翠(りく・みどり)にそう言われたナイトホークは、シェイカーを乾いた布で拭きながら顔を上げた。まだ蒼月亭には何人か客が残っているが、翠の隣には客がいないので、おそらくそれは自分にかけられた言葉だろう。
「屋敷って、いつ?」
 翠は『インペリアルフィズ』を飲みながらふっと微笑む。
「ナイトホークが余裕のある時間でよろしいですよ。それに、この前のお礼もしたいですし」
 この前…とは、定休日前に翠達とやった酒盛りのことを言っているのだろう。別にナイトホークとしては自分も酒が飲めたので気にしてはいないのだが、何となく断れるような雰囲気でもない。ベストの胸元からシガレットケースを出し、ナイトホークは困ったように笑う。
「別に礼なんていいのに」
「…珍しいお酒もありますよ。日本酒が多いですけど」
 その言葉にナイトホークの動きが止まる。
 こんな店をやっているだけあって、ナイトホークはかなりの酒好きだ。蒼月亭はバーなので日本酒はよほどの常連でもなければ出さないが、自分の住居スペースの冷蔵庫などには何種類か入っている。
 それに、翠はかなりの長生きだ。もし昔からある日本酒が少しでも飲めるなら、それは酒飲みにとってかなりの誘いだろう。現存している最古の泡盛は百四十年と言うが、もしかしたら…それを思い浮かべると、自然と真顔になる。
「どうします?来ます?」
「…行かせていただきます」
 完敗だ。ナイトホークは煙草に火を付け溜息と共に煙を吐いた。どうも酒のことになると弱いのは、やはり好きだからなのだろう。
 それを見て翠がくすくす笑う。
「別に取って食べたりしませんよ。この前はご馳走になりましたからね」
「じゃ、何かつまみになるような物作って持ってくわ。次の定休日でいい?」
「お好きな時で構いませんよ。じゃあその時に迎えに来ますね」
 それを聞き、ナイトホークは後ろの棚から『メーカーズマーク・レッドトップ』を取り、氷の入ったグラスに注いだ。
「俺は別にいいんだけどさ、翠は抵抗ないの?」
「何がです?」
 グラスを傾けながらくすくす笑うところを見ていると、どうやら「男女二人きり」というところに翠は抵抗が全くないらしい。それどころか「抵抗ない」という言葉が何を指すかを分かっているようで、かえってナイトホークの方が困ってしまう。
「…まあ、俺も何もしませんわ。酒が飲めりゃいいし」
「それが賢明ですね」

 翠の言う『屋敷』は、かなり蒼月亭の近くにあった。周りは塀で囲ってあり、古い廃寺のようにも見える。ナイトホークもこの近くを通ったことはあるのだが、おそらく何かの術で隠されていたのだろう。さほど気にしたこともなく、通り過ぎていた。
「さて、まいりましょうか」
 翠がそう言うと見えている門が開き、寝殿造の屋敷が見えた。
「うわ、何か立派な屋敷だなぁ」
 そんな事を呟きながら、ナイトホークは翠の後を着いていった。木々は雑多だか整然としており、不思議な雰囲気を醸し出している。
「さあ、どうぞ上がってください。何もありませんが」
「ありまくりだよ…」
 座布団が敷かれた部屋に上がり込み腰を落ち着け、ナイトホークは辺りを見回した。なんと言ったらいいのだろうか…平安朝の作りというか、かなりの技術で作られた日本家屋だ。
 翠は自分と同じ『不老不死』だが、もしかしたら相当の長生きなのかも知れない。ナイトホークは自分が生きてきた時間を指折り数えようとしてそれをやめた。死ななければ何年生きていようと、その話題は不毛だ。それに女性に年を聞くのはよろしくない。
「あ、これ酒のつまみ。たことタマネギのマリネと、蒸し豚。生姜醤油も持ってきたからそれで食って」
 そんな事をごまかすように、ナイトホークが持参してきたタッパーを翠に差し出すと、翠がパチンと扇を鳴らした。それと共に翠の式達がやって来る。
「これを皿に盛ってきてください。客人からの土産です」
 楚々と音も立てずに去っていく式達を見ながら、ナイトホークは何だか間が持たずに翠の側にいる黒猫の式神の七夜を呼び寄せようとする。店にいる時は「自分の縄張り」なのでいいのだが、どうも人の家に呼ばれると落ち着かない。
「ナイトホーク、そんなに緊張しなくてもいいんですよ」
「いや、俺割と店引きこもりだから、人の家に来るのって慣れないんだよ。店とかは平気なんだけど」
 いつも店で堂々としているナイトホークが、借りてきた猫のようになっているのが翠は可笑しい。思わずクスクスと笑っていると、ナイトホークが苦笑いをしながらポケットから携帯灰皿とシガレットケースを出す。
「ここ、喫煙OK?」
「構いませんよ」
 いつものようにナイトホークが煙草に火を付けると、翠の式達が杯や酒のつまみなどを持ってやってきた。持ってきた物の他にも鮎の塩焼きなどもあり、かなり本格的だ。
「酒はナイトホークの好きそうなのをいくつか見繕いましたから、好きな物を持ち帰ってください。それとも私の酒蔵を見ますか?」
 酒の入っている酒器はかなりの種類があり、それぞれ中身が違うようだ。その中には希少で、なおかつ普通存在しない霊酒等もあったりするのだが、それを言うとナイトホークが遠慮しそうなのであえて言わないことにした。ナイトホークは膝に七夜を座らせて大人しく杯を出す。
「いや、日本酒は好きだけど、翠の酒蔵は見てたらそれだけで日が暮れそうだ。俺の好みは分かってるだろうからお任せで」
「辛口でしたよね。どうぞ」
 そう言いながら翠はナイトホークに酌をした。いつもこの屋敷にいる人間は翠だけなのだが、今日は客人が来ているので式達もどことなく嬉しいらしい。屋敷に生きた人間がやってくるのはかなり久々だ。
 杯に入れられた霊酒を飲み干し、ナイトホークが嬉しそうに笑う。
「うわ、これ旨いな。かなりスッキリして飲みやすい。好きかも」
「そうですか?他にも年代物の泡盛とかがありますけど如何です?ちゃんと仕次ぎをしてありますよ」
 泡盛は毎年継ぎ足しをしないと熟成しない。第二次大戦の前までは三百年物の泡盛もあったそうだが、今ではほとんど戦争でなくなってしまった。翠も屋敷で少しだけ泡盛を育てたりしているので、酒好きのナイトホークが聞いたら喜ぶだろうと用意しておいたのだ。
「飲みたい飲みたい。戦争前までは飲めたりしたんだけどね、今は流石に…」
 新しい杯に泡盛を入れると、いい香りが辺りに漂った。ナイトホークの膝では七夜が喉を鳴らしている。普段式が見えないナイトホークも、ここだと翠の力で見えるようになるらしい。
 二人で年代物の泡盛を飲み、思わずふうっと溜息をつく。
 そして無言で黙々とつまみを食べ始めた。ややしばらくした後に、ナイトホークが箸を置く。
「…旨い酒ってさ、無言になるよな」
「そうですね。いつもは一人で飲んでるので、美味しい物をを共有できると、味も倍増の気がしますよ」
 それを聞きナイトホークがまた酒を飲む。
「一人って、さっきたくさんいたのは?」
 どうやらナイトホークは、たくさんいた者達が式だということに気付いていなかったらしい。翠がそれを教えると、ちょっと無言になった後酌をした。
「悪い、俺普段見えないタチだから」
「いえ、気になさらずに。ナイトホークの膝に乗ってるのも式の七夜ですよ」
「え…あ、本当だ。尻尾が二股だ」
 そう言いながらもナイトホークは鮎を少しちぎって七夜に食べさせたりしている。どうやら七夜はナイトホークの膝の上が気に入ったらしい。
 翠はマリネをつまみながらふふっと笑う。
「私も覚えてない程生きてますけど、ナイトホークはいつ頃から生きているんです?」
 それは核心に迫った質問だった。お互い『不老不死』ということは分かっているのだが、一体どれぐらいの年なのかは話したことがない。翠も自分が平安時代ぐらいから生きていることをほとんど話したことがないし、ナイトホークもおそらくそうだろう。
 もしかしたら機嫌を損ねるかも知れない…そう思ったが、ナイトホークはあまり気にせず七夜をいじる事と酒に夢中になっている。
「この泡盛より若いよ、大正元年ぐらいにこの年だからまだ若造」
 トン…とナイトホークの膝から七夜が降りた。それを追いかけながらナイトホークは話し続ける。
「だからどうしても感情に左右されるし、わがままなのは直らない…っと、なで回しすぎて逃げちゃったか」
 御簾の奥に入っていった七夜を見て、翠は一瞬どきっとした。
 そこには以前行った場所から持ってきた、しまい忘れの研究所の暗号レポートが置いてあったのだ。翠はそんな事に興味はないと感じつつ「何故か」それを解読しようとしていた。それが何を表しているのかまだ分からないが、ナイトホークが気が付いていたら…。
 思わず表情が固まってると、ナイトホークが諦めて振り返った。
「どうした、翠?何かあった?」
「い、いえ…」
 何とか取り繕うとすると、ナイトホークは自分の場所に戻り手酌で酒を注ぎ、それを飲み干してふうっと息を吐いた。そして顔を上げてくすっと笑う。
「あの暗号、解読してもろくな事書いてないよ。何調べたいのか分からないけど」
 気付かれていた…。
 だが、ナイトホークはさほど気にもしていないようだった。鮎の骨抜きを器用にしながら、ちびちびと酒を飲む。
「あの暗号が読めるのですか?」
「まあね。でも、肝心なことは全く書かれてない。実験体がいつ死んだとかそんなのばっかで、肝心の資料を残しとくほど向こうも抜けてないだろうし」
 涼しげな風が家の中を通りすぎる。
 ナイトホークは普通に笑いながら、翠の杯に酌をした。
「写真見せられた時から、いつか聞かれるんじゃないかと思ってたけど。俺だって多分翠の立場なら、普通に気になる」
「すいません…」
 何故か自然に言葉が出た。
 何を言っていいのか分からない。何年生きてきても人の心だけは上手く掴めない。それなのにナイトホークは笑って煙草に火を付けるだけだ。
「何で謝るの?謝られると、俺も困る。俺がそこにいたことは事実だし、それを調べる事に俺は口出ししないよ」
「でも、嫌なことを思い出させてしまった」
 あの場所で聞いたことを翠は思い出す。おそらくナイトホークにとっては、嫌な思い出ばかりなのかも知れない。初めて写真を見せた時にさっと変わった顔色…。
 翠が注いだ酒をナイトホークがクッと飲み干す。
「まあ確かにあんまりいい思い出じゃないけど、気にしても仕方ない。それより酒がまずくなるから、この話題やめようぜ」
「そうですね…」
 ナイトホークの側にいればそのうち話してくれることがあるのだろうか。
 だが、気楽に話したように見えて、その壁はかなり高く厚いように翠は思っていた。肝心のことに触れずにさっとかわす話術…まだ完全に気を許して話してはくれないらしい。
 それでも翠は知りたかった。
 ただの好奇心ではなく、同じ時を生きる友として。
 何かを見透かしたようにナイトホークが箸を取り鮎を食べる。
「もう少しお互いが分かったら、その時は話さないでもない。ごめんね、用心深くて」
「いえ…長生きをすると自然にそうなりますよ。さて、今日は飲みましょうか。まだたくさん飲ませたい酒があるのですから」
 翠がそう言って扇をパチンと鳴らすと、やってきた式達がまたたくさんの酒器を持ってくる。それを見てナイトホークが煙草を吸いながら笑う。
「俺酔わせても何も出ないよ。でも、酒はありがたく頂く」
「何も出さなくていいんですよ。たまには私も友を招いて仲良く飲みたかっただけですし、この前のお礼ですから」
 酒の徳孤ならず必ず隣あり。
 酒好きには酒友ができる。今はそれでいいだろう。まだお互い出会ってさほど時を過ごしていないのだから…。
「そう言えば乾杯するの忘れてた。旨い酒出されてそのままするっと飲んだよ。乾杯しようぜ、乾杯」
 御簾の奥から七夜が出てきて、ナイトホークの膝にすり寄る。それを抱え上げ、ナイトホークは七夜の手を持っておどけた。
「翠、乾杯するにゃー。美味しい鮎が食べたいにゃー」
 全く、一緒にいると退屈しない。翠はそんな事を思いながらお互いの杯に酒を注ぐ。
「ナイトホーク、お前って奴は…」
 自分の指に酒を付け、七夜に舐めさせようとしているナイトホークを見て翠は笑いながら溜息をついた。

fin

◆ライター通信◆
こんにちは、水月小織です。
今回は「お屋敷にお呼ばれ&酒盛り」と言うことで、ちょっと借りてきた猫になっているナイトホークでしたが如何でしょうか?
研究所関連についてはまだガードが堅いらしく、本当に当たり障りのないことしか言ってません。なかなか尻尾を出さない模様です。あと妙に七夜をかまい倒してます。猫好き?
リテイクなどはご遠慮なくお願いします。
また機会がありましたら、交流など深めてくださいませ。