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<東京怪談ノベル(シングル)>


白南風に戯れる 



 硯を前に、姿勢を正す。
 手にする筆は、しかし、未だ何ら文字を成す事もなく、ひたすらに空虚を撫ぜるばかり。

 藤宮家は永の祖父――即ち三代に渡って名を馳せる書家の筋を誇っている。
 祖父も父も書家であった為の影響か、或いは永自身の生まれ持った筋故か。兎も角も物心つく前より、硯や筆といった道具は永にとり兄弟の如くに身近な存在であった。
 故に、永もまた書の道を歩む処となったのだが、これはむしろ自然な――或いは必然的な結果であったと云えようか。

 書の歴史を紐解けば、それは遥か二千年近くまでを遡るともされている。無論それは現存してある資料に拠るものであり、実際にはさらに時を遡るのかもしれない。
 魏の華やかさを継承した西晋の書。陸機、索靖、衛。そういった多くの文豪達が史実に名を残す、旧い歴史を持つ道であると云えようか。
 そうした歴史の重みを想い、心を馳せ、聴こえぬ声に耳を寄せる。
 僅かばかりの隙間を得た障子の向こうに広がる庭を撫ぜていく風の声。夏を知らせる蝉時雨。射るように射す太陽の熱。手入れの届いた緑が唄う葉擦れの音。この全ては、数千年前の大陸にあったものと変わらずに在り続けてきたものだろう。
 心を寄せれば、永の手にある筆は思うがままに紙を撫ぜる。
 永は和装の襟元をきちりと正し、再び筆に手を伸べた。

 藤宮永。それが永の生まれ持った名前だ。名は体を現すと云われるが、永は己の名に籠められた意味を思い、思案に耽るのが好きだ。
 書を志す者であれば永という字面が持つ意味を知らぬ者はいないだろう。”永字八法”。それは楷書の成立と共に起こったとされる筆法だ。
 側、勒、努、てき、策、掠、啄、鈎。この筆法は、唐の文献玉堂禁経に記されている記述でも伝えられている。これらの八字が内包している歴史は、実に旧い。
 全ての文字はこの八法の下に形付けられる。書の基本は”永”から始まるのだと、物心がつくよりもずっと前から教えられ続けてきたのだ。

 硯から持ち上げた筆を半紙の上まで運び遣ってから、しかし、永は小さな息を腹の底で一つ吐き、手を止めた。
 蝉が忙しなく鳴いている。
 風が吹き、和装の袖を緩やかにはためかせた。
 障子を抜けて射し射る陽光が、幾分かその熱を抑え気味にしてあるように思えるのは、気のせいだろうか。
 永はふと顔を上げて夏の空へと視線を向ける。
 真白な絹糸の如き雲が数筋ばかり、蒼穹の中でのんびりと横たわっていた。

 永の名を付けたのは、藤宮家に書というものをもたらした祖父であった。
 総ての文字が永という文字より始まるのであれば、即ち、永が書き上げた文字は総じてそのまま己の名を示すのだ、と。
 未だ幼い永の頭を優しく撫でながら、穏やかな声音で祖父はそう云っていた。
 むろん、当時の永には祖父の言葉が含む意味などに気付くはずもなく。
 幼い故に、己が受けた名の深さを理解する事も出来ずにいた永は、ただただ首を傾げ、皺の寄った祖父の顔を眩しげに見上げていたものだった。
 
 名というものは、それを名付けられた者の運命を支配しうるだけの効力を持ったものであるという。それはなにも占術に依るものだけではなく。
 永は自身の運命を支配する名前について、幾度も、心の向くままに調べてみた事がある。辞書を開き、史書を紐解きもした。その度毎に、永は思いを巡らせてきたのだ。
 
 永。
 永遠。永久。永続。永劫、永沈――何れにしろ、永という字には常しえを意味する言葉が当て嵌まる。
 常しえ。
 永久に変わらないものなど、この常世に存在し得るものなのだろうか。

 半紙へと向けた視線を再び持ち上げて蒼穹へと投げる。筋雲は既に遠く彼方に流れ、今は淀み一つ無い真青な色だけがそこに湛えられていた。
 降るような蝉時雨。風の音。太陽の熱、葉擦れの音――無論、そういった事象はどれだけの時を経ても尚、変わる事のないものであるのかもしれない。
 が、人心というものはどうだろうか。
 人は強欲であると云う。故に現状では足らず、文明を極め、更なる便利を求めようと試みる。そうした心が、続いてきたものを侵していくのだという事を鑑みる事もないままに。
 永は、つと筆を持ち上げ、それを半紙の上へと滑らせた。
 ”風”と一文字そこに記す。
 墨の乾くのを待ち、永は静かに目を伏せた。――と、半紙の上に書かれた文字は生命を宿し、一陣の涼やかなる風と化して、生みの親たる永の前髪をはらりと揺らし、流れさっていった。

 永が記した文字は、生命を宿し、具象化する。風と認めれば、文字は風と成って天空へと帰してゆくのだ。
 続き、永は雲と認め、目を閉じた。次に視線を向けた時には、碧天の中に白々とした雲が浮かび、その下を涼やかなる風が吹きぬけていた。
 こうした能力は永が幼い時分から――つまりは祖父が永に名を与えた頃から備わっていたものだった。
 否。或いは、その以前より備わってあったものであるのかもしれない。永が母の母胎より産まれ出る前――或いはそれよりずっと前から。
 
 永。
 それは始まりを示す文字であって、終を知らぬ文字である。
 己が生まれ持ったその途方も無い名を思う度、永の脳裏にはいつも名付け親である祖父の顔が目に浮かぶ。
 祖父が何を思って自分にこの名を付けたのか。それは祖父にしか知り得ない事だ。
 しかし、永は祖父の心に心を寄せようと試みて、時折、その理由をふと解する事が出来るような気になるのだ。
 

 永は、半紙に向けた視線はそのままに、ふと筆を手にして心の赴くままに認め始めた。
 生み出された字面は”蝶”。狙いすまして認めた文字ではないにしろ、ともかくも創造物は主の手を離れて程なく、墨が乾く頃には生命を宿してふわりと風に乗ったのだ。
 紋白蝶のそれよりも遥かに白く、夏の陽射しの強さに融けいってしまいそうな程に仄かに。
 羽根を翻して外界へ――蒼穹の下へと飛び立って行った蝶を見つめ、永はゆったりと眼差しを緩ませた。


 永が記した文字は物質化、或いは具象化する事が出来る。永は認める事で文字に仮初の生命を与える事が出来るのだ。
 ならば永遠、永続、永劫――常しえを意味する”永”の字面は、仮初の生命を得たならば、果たしてどのように具象化するのだろうか。
 蝶は命を象徴するものだという。何がしかの魂魄が形を得たものが蝶なのであるというのだ。ならば永は徒然に記す事で魂魄をも具象化出来るという事なのだろうか。

 永は、ふと筆を置き、蝶が出て行った障子に手をかけた。
 すらりと開いた障子の向こう。美しく手入れのなされた庭の中に、先ほどの蝶が詠うような動きで舞っている。深い緑を湛えた庭木の中、それはまるで蒼穹に流れる小さな雲の如くに見える。
 永は一頻りぼうやりと庭を眺め、蝶の舞に視線を奪われていたのだが――――
「あぁーあ、しんど」
 徐にごろりと横たわり、井草の香のする畳の上へと転がった。
「やめや、やめ。考えるだけしんどいわ」
 誰に言うでもなしにそうごちて、空へと昇っていく蝶の姿に視線を寄せた。

 永は、これまでにも幾度もこうして生命を生み出し、送り出してきた。幼い時分には意味も分からず、ただひたすらに様々な字面を認めてもいた。しかし、その永も己の名前――即ち”永”の字には起こそうとした事は無かった。
 永は常しえを意味する文字なのだ。終を知らぬ、始まりを意味する字面なのだ。そして同時に、それは己をも示すものなのだ。
 
 畳の上に転がって、もう見えなくなってしまった蝶の軌跡を追いかける。抜けるように蒼い空は、降るように響く蝉時雨と共に広がっている。
 季節は、何時の間にやらすっかり夏の色で充ちている。
 永はゆるゆると笑い、小さな息を吐いて眼鏡を外し、大きな伸びなど一つしながら更にごちた。
「始めで終いがのうて、私やもんなぁ……何や怖いわ」

 呟きは蝉時雨に呑まれ、消えていく。
 目を閉じれば、永が生み出した風が舞い戻り、主の髪をひらりと梳いて流れて行った。



 ―― 了 ――




 
Thank you for an order.
Moreover, I am waiting for the day which can meet.

2006 August 3
MR