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NOT DEAD LUNA
蒼月亭は夜の営業が始まっている時間のはずだった。
だが、店の中には灯りがついているのに、看板は「Closed」のままになっている。そっとそのドアを開けると、中には何人かの客達と、困ったように目を赤くしている従業員の立花香里亜の姿が目に入った。いつもなら小さくかかっているはずのレコードの音も今日は聞こえない。
「ごめんなさい、今日は夜の営業お休みなんです…」
そう言うと香里亜はぐすっと鼻をすすった。どんなことがあっても大抵笑っている香里亜が、泣いているのは珍しい。
訳を聞くと、香里亜は困ったように電話機に目を向けた。
「ナイトホークさんが誘拐されちゃったんです。警察には連絡できないので、今連絡待ちなんですけど…」
ナイトホークとは蒼月亭のマスターの名前だ。昼も夜もこの店にいて、コーヒーを入れたりカクテルを作ったりしている。
閉店している店内に客がいたのは、どうやらこのせいらしい。入り口のドアを閉め、店内に入ると電話のベルが鳴った。それを香里亜がおずおずと取る。
「はい、お電話ありがとうございます。蒼月亭です…」
烏有 灯(うゆう・あかり)は、自分の甥である大地(だいち)と、その友人である環和 基(かんなぎ・もとい)を蒼月亭に連れてきた所でその話を聞いた。
灯の原稿料も入ったので、二人に何かご馳走しようと思いここに連れてきたのだが、マスターのナイトホークが誘拐されたという事で思わず驚く。
「ナイトホークさんが誘拐?」
店の中にはその前からいたのか、常連客が何人もカウンターに座り身を乗り出していた。香里亜が電話をしている間に、夜の従業員である統堂 元(とうどう・はじめ)が、たくさんのグラスに水を入れ、座っている皆の前に出す。だがその表情は硬く、殺気が辺りに漏れている。
「申し訳ありません、灯さん、大地さん、えーっと…」
「環和 基です、初めまして」
「俺はここの従業員の、統堂 元です。よろしかったら空いてる席に座ってください」
そうハジメに勧められ、灯達は開いているテーブル席に座った。カウンターでは、デュナス・ベルファーや紅葉屋 篤火(もみじや・あつか)が心配そうに電話をしている香里亜を見ている。
「……はい、分かりました。はい…」
香里亜が溜息をつきながら受話器を置くと、近くにいた黒 冥月(へい・みんゆぇ)が身を乗り出す。
「何だった?」
「もう一回電話するって…その時に、詳しいことを話すそうです」
そう言いすん…と鼻をすする香里亜に、菊坂 静(きっさか・しずか)は微笑みながら、そっとポケットティッシュを差し出す。
「ナイトホークさんは絶対皆さんが助けてくれます。だから香里亜さんも頑張って下さい」
「そうですね…でも、何か心配で…」
そう言っているとドアベルの音がした。入り口の方向に一斉に向けられた顔を見て、シュライン・エマと草間 武彦(くさま・たけひこ)は驚きがちに一度立ち止まった。蒼月亭に人が集っていることは珍しくないが、この緊張感はいつもと違う。それに入った時に最初に聞こえる『いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ』の文句がない。
「どうしたの、皆?」
シュラインがそう問うと、香里亜がカウンターが出て抱きつきながら泣き出した。何が何だか分からないが、とりあえず香里亜の頭を撫でながら落ち着かせる。
「香里亜ちゃん、落ち着いて。何かあったの?」
「うーっ、ナイトホークさんが誘拐されちゃったんですー」
それからややしばらくして蒼月亭にやってきた陸玖 翠(りく・みどり)は、その話を聞き適当に空いている席に座った。たまにはカクテルでも飲もうと思ってやってきたら、何だか大変なことになっているらしい。
「香里亜、大丈夫?」
黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき)は、香里亜から連絡をもらい、同じように蒼月亭にやってきていた。誘拐されたと聞いた時は耳を疑ったが、店内の様子だとどうやらそれは本当のことらしい。一体何があったのか…思わず溜息を漏らす。
カウンターの中にはハジメ以外に、何故かデュナスが入っていた。香里亜は電話対応などで大変だろうし、出来れば少しでも役に立ちたい。
「紅茶でも入れましょうか?」
「お願いします…ごめんなさい、私がやらなきゃ行けないのに」
シュラインや魅月姫、冥月達に慰められて少しは落ち着いたようだが、まだ香里亜は震える指を押さえるように組みながら電話機の前に座っている。その時だった。
「…私が最後みたいですね」
「ジェームズさん」
そう言ってドアを開けて入ってきたのは、ジェームズ・ブラックマンだった。香里亜から電話で連絡をもらっていたのだが、仕事があってどうしてもここに来るのが遅くなってしまった。カウンター奥のいつもの席に座ると、静とデュナスが皆の方を見る。
「香里亜さん、僕たちが説明していいですか?」
それを聞き冥月が目の前にあったグラスの水を飲み干した。
「そうだな、説明を頼む。私も来てからその話を聞いたし、経緯を知りたい。それにさっき入ってきた皆には何が起こったのか分からないだろう」
…それはランチタイムも過ぎた昼下がりの出来事だった。
店にはいつものようにナイトホークと香里亜がいて、コーヒーを飲みに来ていた篤火やデュナス、そして静が話をしながら午後の一時を楽しんでいた。ハジメは料理を習いがてら、自分の昼食を作っていた。そんな時だった。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
店に来たのは普通の男だった。半袖に短パン…どこもおかしい所はない。そして、カウンター内のナイトホークに向かってこう言った。
「すいません、ちょっとこの辺の地図が分からなくなったんで教えて欲しいんですけど」
「はい、地図どこですか?」
「車の方に…」
ナイトホークは吸っていた煙草を灰皿に置き、そのまま出て行った。
カラン…とドアベルが鳴り、しばらく静寂が続く。だが、しばらくすると何か争うような声が聞こえ、香里亜は思わず外に飛び出す。
香里亜が見たのはナイフを突きつけられたナイトホークが、車に押し込められようとする所だった。何か叫ぼうと思ったが、驚きと恐怖で声が出ない。ナイトホークは切り傷を作って抵抗しながらも、ポケットから何かを出して香里亜に放り投げる。
「香里亜!これ!!」
それはいつも持っているシガレットケースだった。そうしているうちに、ナイトホークが車に引きずり込まれる。
「誰か!誰か来て下さい!」
やっと我に返った香里亜が叫び、店内の皆が飛び出した時には車は猛スピードで去っていく所だった…。
「大人を誘拐って事は、営利目的の可能性は低いか…」
基はそう呟きながら、出されたコーヒーを飲んでいた。何だろう、従業員のハジメが入れたというコーヒーは妙に不味い。すると隣に座っていた大地が、持っていたノートを横から出す。
「ノートをどうしろと」
「取りあえず、今の話を聞いて見たまま描いてくれ」
「描けって、何の役に立つんだよ。つか、俺らじゃ邪魔に…」
常識的に考えれば、高校生である自分達は何の役にも立たないだろう。だが、大地の妙な迫力に負け、取りあえずその状況を見えるままに書き出していく。基は『当たり前のこと』として認識しているが、過去の状況や霊などを『視る』事が出来る。大地はそれを知っているのだ。
「マスターは、シガレットケースを渡していったのね…」
シュラインがそう聞くと、香里亜はこくんと頷いてそれをカウンターの上に置いた。いつも持っているそれは、持ち主がいないせいか銀色も少しくすんで見える。
だが、それだけ大事にしている物がここにあるのはありがたかった。これがあれば、ナイトホークの居場所を探れる者がいるだろう。
「電話では何か言ってましたか?」
ジェームズはその辺りが気になっていた。『鳥』に関係あることであれば、事態は深刻だろう。香里亜は顔を上げて困ったように考え込む。
「いえ、今のところ『警察に連絡してないか』とか『次の連絡を待て』とかそんな事ばかりで…」
その刹那、電話のベルが鳴った。それにジェームズが口の前に人差し指を当て、全員が頷いた。
「はい、お電話ありがとうございます。蒼月亭です…」
香里亜は受話器を上げると同時に、全員にその会話が聞こえるようにボタンを押した。相手の声がスピーカーを通して聞こえてくる。その声は何か通しているのか、妙に歪んで聞こえた。
「警察には連絡していないだろうな」
「はい、連絡してません。あの…目的は何なんですか?」
その会話を聞きながら翠は式神の七夜を蒼月亭内に隠し、逆探知をした。それと同じように、魅月姫もナイトホークの気を追う。
居場所さえ分かれば、このまますぐに救出することも可能だ。だが、それでは相手の目的が分からない。それをもどかしく思いながらも、とにかく居場所を探る。
『出来るだけ会話をのばしてください』
『犯人の要求を聞いてくれ』
『マスターの声を聞かせて』
デュナスと冥月とシュラインが、持っていたメモ帳にそれぞれ指示を書く。それに頷きながら香里亜は相手と話をした。
「ナイトホークさんは無事なんですか?出来たら声を聞かせてください」
「無事だが、今はちょっと話せない」
眠らされているのか、それとも何かやって黙らされているのか…ナイトホークが無事じゃない状況というのはある意味珍しいが、素直に声を聞かせてはくれないようだ。
「あの、要求は何ですか?お金ですか…?」
「そうだな、用意できるだけの金を用意しろ」
それを聞き、ジェームズが首をかしげる。
おかしい。条件が変だ。用意できるだけの金と言っても、レジにはさほど金を入れていないし、身代金目的なら銀行が開いている時間に何かを言うはずだ。
もしかしたら、何か他に目的があるのかも知れない。
『ナイトホークに親しい間柄の者が持って行くと言ってくれ』
冥月が出したメモを見て、香里亜はおろおろと慌てた。親しい間柄…と言っても、兄妹などでは怪しまれるだろうし、友人では親しいには遠いような気がする。
「えと…婚約者の人ですがいいですか?」
それを聞き、冥月を含め何人かがコーヒーや紅茶を吹きかけた。声を出さずに暴れるのを見ながら、香里亜は別の意味でおろおろする。
「誰でもいい。今夜九時に東京湾にある倉庫に来い。携帯電話はあるか?」
「あります」
「番号を教えろ。詳しい場所はそこに伝える」
それを告げると電話は一方的に切れた。と、同時に一気に咳き込む声などが辺りに響く。
「言い過ぎだ…」
冥月はそう言いながら香里亜の頭をこつんと叩いた。でも、それで店の空気は少し和んだようだ。武彦は妙に不味いコーヒーを飲みながら溜息をつく。
「そうだぞ、冥月は男…」
パン!といういい音と共に、武彦の顔面に裏拳が飛んだ。それに顔を押さえつつ、武彦は冥月にそっと囁く。
「痛…冥月、もう見つけてるな」
「まだ言うな。影に引込めば今すぐ助けられるが、犯人の全容が掴めない恐れがある。私の周りに手出した事を徹底的に後悔させてやる」
そんなやりとりを見ながらノートに絵を描いていた基は、大地や灯と一緒に香里亜の元に絵を出しに行く。
「こんな感じに見えたけど…」
そこに書かれていたのは、香里亜が見たそのままの男の顔だった。次のページには車のナンバーも書かれている。
「そうです、この人です。他の人は見えなかったんですけど…絵、上手ですね」
「基は絵が上手いんだ。これなら俺みたいに能力がない奴でも顔が分かるだろ?」
魅月姫はスッと椅子から立ち上がり、皆の方を見た。電話をしている間にナイトホークがいる場所も分かったし、後は救出に行くだけだ。話は早いほうがいい。
「さて、あまりぐずぐずしている暇はないわ。救出組と待機組に別れましょう。犯人の目的が分からないのでは、香里亜を一人にするのは心配だわ」
「そうですね。俺が救出班について行っても足手まとい間違いなし…なので店に残ります」
灯はそう言ってまた椅子に座った。自分が行って戦闘になったとしても、相手を眠らせたりすることぐらいしか出来ないだろうし、人外であった場合はどうしようもない。
翠は溜息をつきつつも、出口の方に歩いていく。
「私は救出組に回りましょう。冥月殿はこちらですね」
「ああ。婚約者でも助けに行くとしようか」
ふっと冥月と翠が笑う。そこに大地と基、そしてハジメが手を挙げた。
「俺も行きます」
「灯が役に立たないから、俺も行こう。基も一緒でいいよな」
「ああ」
その様子に灯は少し心配になるが、それを押し隠し大地の背中を蹴り飛ばす。
「若いんだからきりきり働いて来いよ。あ、基君はくれぐれも気をつけて。大地の背中に隠れていてね」
「オッサン、痛てぇよ…」
「まだ若いんだからオッサン呼ばわりはしない」
カードをめくりながら、篤火も救出組に入るべく立ち上がった。めくったタロットには『月』の正位置が出ている。あまり縁起のいいカードではないが、攫った犯人の未来なのだからこれでいい。
「夜サン助け隊の結成ですね」
救出に向かう人数が思いの外多かったので、ジェームズはここで待っていることにした。これだけの人数がいれば助けることは容易いだろう。だが、先ほどの妙な電話が気に掛かる。
「私は香里亜君と待ってますよ。他に待ってる方は?」
それにカウンターの中にいたデュナスや、静、シュライン、武彦が手を挙げる。
「皆にマスターを助けてきてもらいましょう。ハジメ君ってば上手にコーヒー入れられるのに、わざとこんな入れ方して…帰ってきたら、美味しいコーヒーを飲ませてもらいましょう」
シュラインに気付かれていたことに、ハジメは驚きながらも無言のまま頭を下げた。
その通りだ。上手くコーヒーを入れられるようになったのに、わざと不味く入れたのはナイトホークが帰ってきたら美味しいコーヒーを口直しに入れてもらうためだ。皆が望んでいるのはそれだろう。
「皆さん、無事に帰ってきてくださいね…」
「さて、何か作っておこうか。ナイトホークさんもお腹を空かせて皆の助けを待ってるんだから、帰ってきた時に美味しいものを用意しておいた方がいいと思うんだ」
静はそう言ってにっこりと微笑むと、香里亜を客側に座らせてカウンターの中に入った。キッチンではデュナスがフレンチトーストを作っていて、静と入れ替わりに店の方に出て行く。
「『ハラが減っては戦が出来ない』っていうじゃないですか。味の程は保証ナシですけど、お腹の足しにどうぞ。香里亜さん、お昼からずっと何も食べてないですし」
差し出されたフレンチトーストはちょっと不格好だったが、暖かく湯気が立ち上りバターとメープルシロップの香りがする。香里亜はそれをナイフで切り、そっと口にする。
「美味しいです…。ありがとうございます、デュナスさん」
その様子に微笑みながら、デュナスは香里亜の隣でその様子を見ていた。皆が来たことで安心したのか、涙も止まったようだ。それと同時に、赤外線を張り巡らせながら店外の様子を探る。今のところ不審な気配はないが、何が起こるとも分からないので警戒は怠らない。
「香里亜ちゃん、次に電話が来たら私が香里亜ちゃんの声を真似して電話に出るわね。だから少し休んでて。他の皆が守ってくれるから、マスターも香里亜ちゃんも大丈夫よ。さて、私も何か作るわ。静君、キッチン入るわね」
シュラインは香里亜の頭を撫でて、キッチンの方に入っていった。多分皆が帰ってきたら、ここはちょっとした宴会場になるだろう。それからナイトホークや香里亜を働かせるのは酷だし、その時のために何か作っておきたい。
「大丈夫、マスターは無事に帰って来ますよ」
灯はラベンダーの香油を使い、呪歌を含ませた言葉で香里亜を励ました。その香りなどで落ち着いたのか、香里亜も少し笑いながら灯の方を見る。
「ナイトホークさんは無事ですよね…だって、いつも何かあっても無事に帰ってきてたから…」
いつも、何かあっても、無事に。
ジェームズは香里亜が言った言葉に顔を上げた。前々から疑問に思っていたが、香里亜はナイトホークの『体質』を詳しく知っているのだろうか…初めて会った時に『お父さんから聞いてます』と言っていたが、今の言い方だと聞いていたようには思えない。今だったらそれが聞けるかも知れない。
「香里亜君は、ナイトホークの事をよく知っているんですか?」
そのジェームズの言葉に、香里亜がくすっと笑って頷く。
ジェームズが何を聞きたいのか、香里亜は分かっていた。ナイトホークは絶対『無事』に帰ってくることは知っていた。どんなことがあっても、ナイトホークが死ぬことはない。
その事を知っているのに、どうしても不安が拭えない。
「ナイトホークさんには、子供の頃助けてもらったことがあったんです。学校の帰りに地滑りがあって…」
香里亜の話はこうだった。
長雨の影響で通学路の近くにあった崖が地滑りを起こした時、たまたまその辺りに旅行に来ていたナイトホークが香里亜を突き飛ばして助けたという。だが、ナイトホークはそのまま地滑りに巻き込まれ、捜索してもその姿は見つからなかった。ただ、腕が一本見つかったきりで、身元が分かるような物も全く見つからなかったので、旅行者が亡くなったのだろうということになった
しかし、それからしばらくして、ナイトホークは普通に香里亜の前に現れた。
「その時に、『もしかしたらこの人は死なないのかも知れない』って思ったんです…お父さんもナイトホークさんは『NOT DEAD LUNA』だって。だから無事なのは分かってるんです。けど…」
香里亜は一瞬くすんと鼻をすすったが、お腹が空いていたのか目の前にあるフレンチトーストをぱくぱくと食べ始めた。そして紅茶を飲んでふうっと息をつく。
「ナイトホークさん、シガレットケース傷つけたくなかったんですね…」
カウンターの上に置いてあったシガレットケースを香里亜はパチンと開けた。そこに並べられていた煙草は何本か減っている。その隙間を見てジェームズが溜息をつく。
シガレットケースを投げたのは、それを傷つけたくなかっただけではなく、おそらく香里亜を危険に晒したくなかったからだろう。どんな目に遭ってもナイトホークは無事に帰ってこられるが、香里亜だとそうはいかない。大人しく連れ去られることで、危険を遠ざけたつもりなのだ。
その倍以上、皆に心配を掛けていると気付かずに。
「マスター煙草持って行かなかったのか。今頃ヤニ切れで暴れてそうだな」
武彦がそう言いながら自分の煙草に火を付ける。それを見て、ジェームズは香里亜が持っていたシガレットケースから一本煙草を出し、ポケットからライターを出し火を付けた。
「ジェームズさん、煙草吸うんですか?」
何度か仕事を一緒にしているが、ジェームズが煙草を吸っている所を見たことがない。デュナスはその様子を目を丸くして見ている。
「吸えるんですが、吸わないだけですよ…」
「あー、月綺麗だ」
その頃ナイトホークは、窓から見える月を見ながらそんな事を思っていた。ここに来てから相当時間が経ったらしい。窓から入る月の光が妙に眩しい。
「煙草吸いてぇなぁ…と言っても、この状態じゃ無理か」
何度も着たことがある、懐かしくて嫌な拘束衣。シガレットケースを放り投げたのは正解だった。死んでるうちに着替えされられたあげく、シガレットケースをなくすのは癪だ。なくした所で買えばいいと言われるだろうが、それで済む問題ではない。
「一体何が目的なんだ?」
ここに来てから何度か死んだ。数えるのが面倒なのでそれは数えてないが、目の端に血溜まりが見える。多分自分の物だろう。目的などを考えたりもしたのだが、そうした所で何かが分かるわけでもない。
「月が眩しいな…」
目を閉じてもその眩しさが焼き付くように残る。
何度死のうとしても殺されたとしても、自分は月のように何度でも蘇るのだろう。太陽ではない。夜を飛ぶ鳥の名を付けられた自分は、闇夜を飛ぶ存在だ。
そういえば、昔何度か死のうとした時にも、同じように月が浮かんでいた。今もそれは全く変わらない。
「『NOT DEAD LUNA』か……」
友人に言われたその言葉を思い出しながら、ナイトホークは月を眺めていた。
「不思議な言葉ですね」
灯は香里亜が言った『NOT DEAD LUNA』という言葉に、紅茶の入ったカップを持ってカウンターに移動した。死なない月…何だか言い得て妙な言葉だ。
「そうですね、月が死なないって言うのは何だか不思議です」
今のところ動きがないので、静もカウンターに出て話を聞いている。料理は少し出来るが、シュラインの方が手際がいい。それに何かあった時に、すぐ外に出て行ける方がいいだろう。
香里亜はフレンチトーストを全部食べ、カウンターで頬杖をついている。
「お父さんはそういう不思議な物言いをするんです。多分、ナイトホークさんは『月のように欠けて見えても、ちゃんと戻ってくる』って言いたかったんだと思うんですけど…」
そう言った時だった。
電話のベルが鳴り、店内に緊張感が満ちる。キッチンからシュラインが出てきてその受話器を取り、皆に聞こえるようにボタンを押した。
「はい、お電話ありがとうございます。蒼月亭です…」
シュラインが出した声は、香里亜の声そのものだった。シュラインは注意深く受話器を耳に当て、犯人側の話し方や癖等から人物像や人種などが分からないか聞き出そうとする。
「そこに立花香里亜はいるか?」
びくっ、と香里亜が反応した。やはり本来の目的は香里亜の方だったのかも知れない…静が相手に聞こえないよう、メモ帳に筆を走らせる。
『僕は香里亜さんの側にいます。一度だけ、香里亜さんの偽者を掴ませて守れますが、後はよろしくお願いします』
それを見てジェームズやデュナス、灯が頷き、シュラインは電話の相手に話しかける。
「はい、私です…ナイトホークさんは無事ですか?」
「無事だ、安心しろ。今そこまで連れてきてやったから、電話を切ってから五分後丁度に店の前に出ろ」
声は変えてあるが、どうやらそれは車の中からかけられているらしい。後ろに自動車のエンジン音が聞こえる。そしてジェームズは黙ってペンを走らせる。
『罠』
交渉に入って人払いをした上で確認してくるとは、相手もなかなか狡猾だ。灯はジェームズからメモを取り、その下に書き加える。
『戦闘ではあまりお役に立てませんので、よろしく』
自分が出来るのは足止めぐらいだ。だが、ジェームズやデュナスがいるから大丈夫だろう。それは一度一緒に仕事をした時によく知っている。武彦はそのメモを見ながら黙って煙草を吸っていた。
「分かりました。ナイトホークさんがそこにいるなら、声を聞かせてください」
「…戻してやった時に好きなだけ喋るといい」
後ろに聞こえる気配などから、大体五人ぐらいだと言うことが分かる。これぐらいなら多分ここにいる人数で何とかなるだろう。そして、ナイトホークはそこにいない。
「駄目ですか…じゃあ、五分後でいいんですね?」
「そうだ。丁度五分後だ、無事に返して欲しかったら指示に従え」
ブツッという音と共に電話が切れた。
受話器を戻し、シュラインが皆の方を見る。
「私は武彦さんと行動するわ。静君と灯さんは香里亜ちゃんを守ってて…二人はどうするの?」
デュナスは隠し持っていた特殊警棒を見せ、溜息をつく。
「シュラインさん達は裏口から先に出てください。静君が一度だけ偽者を掴ませられるそうなので、私はそれに合わせて戦闘します」
「私は単独行動で。ご心配なく、自分の身は自分で何とか出来ます」
全員が時計を見ながら頷き、行動し始めた。シュラインと武彦、そしてジェームズはキッチン奥の裏口からそっと出る。
「よろしくね。あとお鍋にミネストローネがあるから、先に食べてていいわよ」
シュラインが最後にそう言ってそっと裏口のドアを閉めた。香里亜は不安げな表情で静やデュナス、灯の顔を見る。
「私、何もしなくていいんですか?」
それを聞き、灯がポケットから香油を用意しながらふっと笑う。
「こういう時、お姫様は騎士に守られておくものです。俺は頼りないけど」
静も幻術で香里亜の姿を作りながら同じように笑う。
「香里亜さんに何かあったら、ナイトホークさんに怒られますから。大丈夫、危険な目には遭わせません」
「指一本触れさせませんよ。だから香里亜さん、これでも食べて待っててください」
デュナスがそう言って渡したのは、ポケットに入っていたミニあんパンだった。それを受け取り、香里亜がくすっと微笑む。
「帰ってくるまで取っておきます。だから、無事に帰ってきてくださいね」
時計を皆で凝視する。一分一秒がひどく長く感じる。
そっとデュナスがドアの影に移動し、指でカウントを取る。
Three…Two…one…Zero!
そっとドアを開け、静が店の前に香里亜の幻影を出すとそこに白い車がスッと止まった。そこから男が二人出てきてその腕を掴む。
「かかった…」
静が作る幻影は五感干渉タイプで、その気になれば幻痛すら与えることが出来る。だが、そのまま幻影を連れ去らせるつもりはなかった。その術を解くと、今までいたはずの香里亜の姿がかき消える。
「何…?」
それと同時にデュナスがドアから躍り出た。そして油断している男の腹に特殊警棒で突きを入れる。その後ろから灯が香油を開け、相手の動きを束縛する呪歌を歌った。
「何が目的なのか言いなさい!言わないとちょっと痛い目に遭いますよ」
車のドアが閉まり、猛スピードで走り去っていく。それに慌てながら、二人はデュナスの顔を見た。手には特殊警棒を持ち、今にもそれを振り下ろそうとしている。逃げようとしても、何かの力が働いているのか動けない。
「俺達は…ここにいる女を連れてくれば金がもらえるって…」
「要するに『遊ぶ金欲しさ』で計画に乗り、今は『反省している』と…」
二人が頷こうとした瞬間だった。二人の頭にデュナスの警棒が振り下ろされた。それと同時に眩しい光が放たれる。
「言っても痛い目に遭わせます!天誅!」
二人が倒れるのを見て、灯は店の中から新聞などを縛るのに使うロープを持ち、こう呟いた。
「それで女の子を誘拐とは、男の風上にも置けません。縛っちゃいましょう」
灯とデュナスが二人をぐるぐる巻きにしているのを、香里亜は店のドアからそっと覗いていた。本当は出て行ってぽかぽか叩いてやりたいのだが、何かが潜んでいたら怖い。静はその横で、心配そうな香里亜にこう言った。
「大丈夫ですよ。残りはシュラインさん達がきっと捕まえてくれます」
「そうですね…あ、デュナスさーん。お腹空いてませんか?」
香里亜のその言葉を聞き、デュナスは自分が空腹だったことに気付いた。今まで怒りや緊張で空腹感を感じていなかったが、言われると急にお腹が空いたような気がする。
「そういえば、お腹が空きました…灯さんはどうです?」
「俺もそう言えば何も食べてなかった…」
それを聞き、香里亜がにっこりと笑う。
「その人達ぐるぐる巻いたら、シュラインさんが作ってくれたミネストローネ食べましょう。私も何か作りますね」
車が去っていくのを見て、シュラインは声の能力で運転を惑わせた。車の中には二人ほどしか乗っているのが見えない。その音は運転席まで届き、スピードを落としながらよろよろと電柱に向かっていく。
「武彦さん、お願い!」
ゆるゆると走っていった後、ガツッという音と共に車が電柱にぶつかって止まった。そこから逃げようとする二人に向かって、武彦は銃を突きつける。
「ホールドアップ。久々にハードボイルドな仕事だな」
武彦に追いついたシュラインは、ヒールを鳴らして同じように銃を出した。
「さて、頭に風穴が開くのと大人しく捕まるのと、どっちがいいかしら?」
「まだ誰かいる…」
車に乗っていた者達は何とかしたようだが、ジェームズか不穏な気配に神経を尖らせていた。店の入り口が見える場所に誰かがいる…そこに近づくと、それはまるでジェームズが来ることを知っていたかというように、くるりと振り返った。
「やっぱり失敗しましたか」
その眼鏡にスーツの男は、くすっと笑いながらジェームズに向かって両手を上げた。どうやら自分に対して何かをしでかすという気はないらしい。
「貴方は何者ですか?」
気を押さえながらジェームズがそう聞くと、男はふっと笑いながら胸ポケットから名刺を出した。「綾嵯峨野研究所 磯崎 竜之介(いそざき・りゅうのすけ)」とそこには書かれている。そのよく知った名前にジェームズは眉をひそめた。
「しがない研究所の雇われ室長ですよ。貴方は何者です?」
そう言って目を細める磯崎は、何だか余裕があった。ジェームズもそれに習い、同じように名刺を出す。それを見て磯崎は更に目を細める。それは何だか蛇を思わせるような、じったりとした笑いだった。
「交渉人ですか…だったら貴方に堂々と頼めば良かったですかね。彼女の力を計らせてください…と」
「断る」
その瞬間、影から出た刃が磯崎の体を切り裂いた。だが、その後には紙が飛び散っただけだった。おそらく何かの術で見張っていたのだろう…ジェームズはつまらなそうに紙吹雪を見下す。
「何が目的か知りませんが、どちらにも手は出させません」
ジェームズはそう呟き名刺を胸ポケットに入れた。どういうつもりかは分からないが、少なくとも足がかりが出来た。そのうち相見えることになるのだろう…全ての真実を知るために。
青い影が地面に落ち、空を見上げると煌々とした月が空に浮かんでいるのが見えた。
「ナイトホークさん、無事だったみたいです」
救出組から電話があり、香里亜はやっといつものように笑って皆の方を見た。テーブルには香里亜が入れたアイスティーが置かれている。
「ホッとしました…他の皆も無事ですか?」
「大地君心配ですもんね」
灯の隣であんパンを食べながらデュナスがそう言い、灯はデュナスの肩をばんばん叩く。
「違います。俺は基君とか、他の皆さんが…」
それを聞き香里亜が電話で一言二言話し、灯の方を見る。
「ちょっとお疲れみたいですけど、皆さん大丈夫です。ナイトホークさん煙草切れだってうるさいですよ」
「全くナイトホークは…」
ジェームズはカウンターの上に置いてある、ナイトホークのシガレットケースを開け閉めしている。帰ってきたら少し説教してからこれを渡して、煙草に火を付けてやろう。危険を遠ざけるためとはいえ、香里亜を心配させた罰は受けてもらわなければ。
「香里亜ちゃんお疲れだったでしょう。キッチンは私やるから、ゆっくり休んでて」
キッチンの方からシュラインが顔を出し微笑んだ。武彦には大事にならないように、誘拐の話を伏せて警察に行ってもらっている。基が残したノートの絵から、ナイトホークを誘拐した者達とは全く違うことが分かっていたし、どうやらその事に関しては全く知らないらしい。
警察に連れて行く前にこってりと皆で説教をしたので、きっともう馬鹿なことはしないだろう。もう一度するのなら更に恐ろしい目に遭うのだが。
電話を切ってカウンターに入ろうとする香里亜を、静はそっと止める。
「ゆっくり座っててください。カウンターの中に初めて入らせてもらったんで、しばらく僕はここでマスター気分を味わいますから」
「そうですよ、香里亜君。今日一番大変だったのは貴女なのですから、皆の言葉に甘えてください」
ジェームズが立ち上がり、カウンターの椅子に招く。香里亜はちょっと恥ずかしそうに笑いながらぺこぺこお辞儀をして座った。
「何か、お姫様みたいで照れちゃいますね」
そこにデュナスはあんパンを差し出した。どうやらお説教の間にそっとコンビニに行っていたらしい。それを見て皆が笑う。
「お姫様でいいんですよ。あんパン食べます?」
「ありがとうございます」
あんパンの袋を開けて、香里亜はデュナスに向かってにっこりと笑った。この笑顔にデュナスはいつもやられっぱなしだ。そんな二人の様子を見ながら、灯とジェームズがぼそぼそと喋る。
「でもそうなると、ナイトホークさんが『囚われの王子様』ですか」
「それは何だか絵になりませんね…」
遠くから消防車やパトカーのサイレンの音が聞こえる。シュラインはそれに耳を傾けながら冷蔵庫から色々と材料を出す。
「さて、サンドイッチでも作ろうかしら。きっと皆お腹ペコペコだと思うわ」
それを聞き、静が皆に向かって微笑む。
「ご注文はございますか?」
「えーと、冷蔵庫に牛乳が入ってるのでそれ下さい。デュナスさんからもらったあんパン食べてたら、牛乳飲みたくなりました」
「はい、かしこまりました」
もうしばらくしたらきっと皆が帰ってきて、いつものような蒼月亭になるのだろう。
それを待ちながら、皆は窓から昇る月を見上げていた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
『救出側』
6604/環和・基/男性/17歳/高校生、時々魔法使い
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
5598/烏有・大地/男性/17歳/高校生
4682/黒榊・魅月姫/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女
6577/紅葉屋・篤火/男性/22歳/占い師
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師
6191/統堂・元/男性/17歳/逃亡者/武人
『交渉側』
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人 & ??
5597/烏有・灯/男性/28歳/童話作家
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」
◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
今回「救出側」と「交渉側」に別れたノベルになりました。
全員に見せ場を作りたくて色々と書いたのですが、やっぱり長くなってしまいました。タイトルの『NOT DEAD LUNA』ですが、ナイトホークが『死なない月』であるとか、カードの『秘密』とか、色々なものにかかったものになっています。
どちらもプレイングなどが凝っていたりして、見ていて楽しかったです。ありがとうございました。
リテイクはご遠慮なくお願いします。
また機会がありましたら、ご来店下さいませ。
交渉側の皆様へ
蒼月亭での待機と、香里亜の護衛ご参加ありがとうございました。
香里亜を落ち着けるためにカウンターに入っていただいたり、守るために色々考えてくださったりとプレイングが楽しかったです。
この話にはまだ謎がありますが、その時にもまたお付き合いいただければ幸いです。
精一杯の感謝を皆様に。
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