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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


溺れた人魚 ―新月の鎖―


◆新月の鎖

 漆黒の月が嘲笑う。
 おまえには何もできやしない、と。

 昼休みの生徒会室には、会長である繭神・陽一郎の姿しかない。会議用の長机に頬杖を付き、苛立たしげに溜息を吐き出す。重い頭痛と立ち眩み。今日の体調は芳しくない。
 何故なら、今日は。
「失礼します。――会長?」
 入ってきた少女が小首を傾げると、セミロングの黒髪がさらりと揺れる。陽一郎は顔を上げて微笑んだ。うまく笑えたかは自信がないが。
「聖。今は誰も居ないから名前でいいよ」
「あ、そうですね。……具合よろしくないんですか、陽一郎さん。お顔が白いですよ」
「今夜は新月だから」
 月の満ち欠けに左右される体調というのは不便極まりない。遺伝であるから対処のしようがないのも恨めしい。
 聖と呼ばれた少女は陽一郎に歩み寄りつつ、
「またおひとりでお仕事を片付けようとなさったんでしょう。わたしがやりますから、陽一郎さんはお休みになってください」
「君は書記としても陰陽師としても有能だけど、こればかりは君に任せるわけには――」
「陽・一・郎・さん」
 釘を刺すように名を区切って呼び、正面に立った聖はにこやかに告げた。
「そうやって何でも抱え込むのやめてくださいって言いましたよね、わたし。水嶋の名において、繭神を支えお護りするのがわたしの務めですから」
「……本当に敵わないな、聖には」
 苦笑した陽一郎は、すぐに表情を改めて聖を見据える。
「高等部校舎地下の旧プール。あそこの封印が解かれていた」
「えっ? あそこは前に陽一郎さんが厳重に封印を施したはずでは……」
「そうなんだけど、何故か扉に貼った結界符が破られていてね。学園内の誰かの仕業か、あるいは」
「封印した悪霊が暴走したか、ですね」
「私は後者だと考えている。あそこは立入禁止区域だから、生徒が出入りする可能性は低い」
「では、最近学園周辺に出没している悪霊たちも、旧プールの霊力が漏れて、その影響で実体化を?」
「おそらくね。そこで君に調査を――できれば封印も頼みたい。ひとりで難しいようなら、協力者を募っても構わないよ」
「わかりました、お任せください」
 頼もしく頷く聖に安堵し、微笑み返す陽一郎。
 本来ならば封印は自分の役目だが、この厄介な体質のせいで今回は本領発揮が望めない。
 湧き出る不吉な泡沫の消滅を、ただ心に願うばかりだった。


◆人魚の噂

 鮮やかな橙色に染まった屋上には、2人の男女が佇んでいた。
 高等部3年の陸・誠司は、向かいの女子生徒を見つめて生唾を飲み込んだ。
 柔らかな秋風に靡く黒髪をしなやかな手で押さえ、夕陽に飾られた人形めいた小顔でにこりと微笑むと、たちまち季節が春へと移り変わったかのような心地にさせられる。
 生徒会にこんなかわいい子がいたんだなぁ、と内心感嘆する。
「生徒会書記の水嶋・聖と申します。突然お呼び立てしてしまって申し訳ありません」
「いっ、いえそんなとんでもないっ!」
 しかも声まで清らかな川の水を思わせる可憐なソプラノ。動揺してあたふたと返答すると、くすりと小さく笑われた。
(うぅ、恥ずかしい……っ)
「え、えーっと、旧プールを調べるんですよね?」
「ええ。陸さんは以前会長にご助力くださったと伺いましたので、今回是非ご協力頂きたいと思いまして」
「もちろんですっ! 俺で力になれることならなんでもやりますよ」
「ありがとうございます。そう言って頂けて嬉しいです」
 では参りましょうか、と促されて出入り口へ向かう。
 立入禁止区域に指定されている地下には、校舎1階西端の階段からしか入れない。1階まではエレベーターで移動できるのでまだ楽だが。
 エレベーター内で、そういえば、と誠司は口を開く。
「繭神さんが封印した悪霊ってどんな霊なんですか?」
「陸さんはご存じありません? 旧プールで入水自殺した女子生徒の噂」
「え……」
 初耳だった。冷え切った指に背筋をなぞられたような悪寒が駆け抜ける。
「もう10年以上前のことになるそうですが――。水泳部期待のエースと呼ばれていた女子が、ある日交通事故に遭ってしまって、その年の大会すべて出場できなかったそうです」
「じゃあ、その悔しさで自殺を……?」
「かもしれません。会長も封印に一苦労されたようですし、彼女の怨恨は相当深いものになっているでしょうね……」
 つまり、旧プールに未練で縛られた地縛霊ということか。
 ポーン、とエレベーターの階数表示が1階を示す。
 下校時刻を過ぎた廊下に人はまばらだった。職員室とは反対方向なので、地下へ行くことを咎められる可能性も低い。
 陽一郎が体調不良のため聖が再封印を代行する、と聞いてはいたが、こんなか弱い女の子には危険なのでは、と誠司は不安を感じ始めていた。だからこそ自分が全力で護衛しなければ、と気を引き締める。
「最近は《ぶくぶく女》ってのも出るらしいですし、なんか危ないですよね」
「あ、それわたしです」
「――はい?」
 思わず足を止める。彼女は今何と言っただろうか。
 少し先を歩いていた聖は、立ち止まってにこやかに振り返る。
「ぶくぶく女はわたしです。『悪いことをすると泡にされて食べられる』って噂ですよね」
「そ、そうですけど――えぇっ?」
(マジですか……!?)
 ついていけない誠司を見、くすくすと笑みをこぼす聖。
「学園周辺に出没する実体化した悪霊を祓っていただけなんですよ。この子――ミズキの力で」
「えっ?」
 気付けば聖の足下に水の犬が現れていた。一見細身のシベリアンハスキーといったところか。周囲に生徒が居ないのは幸いである。見つかれば大騒ぎだ。
「わたしの使い魔です。この子に悪霊を食べてもらっていたんですけど、いつの間にかそんな噂になっていたみたいですね。多少人に目撃されましたし」
「はぁ……なるほど」
 意外な噂の正体に気が抜ける誠司。
(もしかしてこの子、結構強いんじゃあ――)
 人を外見で判断してはいけないな、と自身に言い聞かせて歩みを再開した。


◆呪詛の水

 張り巡らされた黄色いロープをくぐり抜け、地下へ続く階段に足を踏み出した瞬間、誠司の身体は硬直した。
 強大な霊力が地下から漏れ出している。多少なりとも霊感のある者ならばすぐに異常だと理解し得るほどだ。
(これじゃ悪霊が実体化して暴れてもおかしくないな……)
 同意を求めるように聖の横顔を見つめると、彼女も真剣な面持ちで頷いてきた。急ぎましょう、と促されて地下へと進行する。
 電灯さえ点らない寡黙な廊下がふたりを出迎えた。旧プールの扉は頑丈に施錠されていたが、聖がスカートのポケットから小さな鍵を取り出した。陽一郎から預かったものだという。中央に貼られた札は確かに半分に破られていた。
「あれ?」
 ふと、あることに気付いた誠司は破れた箇所に触れてみる。
「ここ、なんか黒い染みみたいになってますけど、なんでしょうね?」
「あら、本当ですね。この札は朱墨で印が描かれていますから、普通の墨汁は使われていないはずですけど」
 首を傾げつつも扉の取っ手に鍵を差し込む聖。
 あっさりと開錠して進もうとした、その時。
 突如勢い良く駆け出したミズキが、扉奥の闇へと飛びかかった。
「ミズキ!」
「うわっ!?」
 ばしゃぁっ、と水がぶつかる激しい音。扉や周囲の壁に黒い液体が飛散した。どろり、と粘着質に壁を伝い落ちていく。
 ――グルルルル……!
 地に降りたミズキは、警戒心をあらわにした唸りで闇を威嚇する。
 誠司は咄嗟に扉付近にあった電気のスイッチを切り替えて中へ突入した。聖も後に続く。
 明るみに出た旧プールは漆黒の水で満たされていた。闇よりも深く、影よりも暗い。その中央上空には、直立姿勢で浮遊しているひとりの少女の姿。短い黒髪に包まれた顔は俯いているため表情が窺えない。神聖都学園の夏服を纏った彼女は、半透明の素足のつま先が水に触れそうで触れない高度を保っている。
「水嶋さん、もしかしてあの子が――」
「ええ、会長が封印した悪霊でしょうね。ですが、何か違和感が……」
「違和感?」
 少女がゆっくりと面を上げる。その頬を濡らすのは、水と同じ漆黒の涙。
『助けて……』
「え?」
 耳を疑う。悪霊らしからぬ言葉だ。触れても掴めない霧にも似たか細い声で彼女は続ける。
『もうこんなことしたくないのに……許してくれない……』
「許してくれないって、誰が? なにを?」
 思わず誠司は問いかけていた。が、プールから飛び出した水が蛇の如く襲いかかってくる。
「このっ!」
 懐から取り出した土属性の符を、両手に装着した紅の手甲《真応旋》に付加し、その術式を保存。そして背後に聖を庇い、攻撃。
「はぁっ!」
 水に突き出した右の掌で威力を相殺させる。淡い水色のプールサイドを、黒の水滴が不快に彩った。まともに当たれば水圧で潰されかねなかった。聖に振り向いて微笑む。
「だいじょうぶでしたか、水嶋さん」
「ええ、ありがとうございます」
「なんか俺には、あの子の言ってることとやってることが矛盾してるように思えるんですけど……」
「……もしかすると」
 思案の間の後に、聖は視線を霊の少女に巡らせる。
「この攻撃は彼女の意思ではないのかもしれません」
「えっ?」
「旧プールの悪霊の正体は、実は彼女ではなくプールの水そのものであるとも考えられます」
「じゃあ、水があの子を操ってるってことですか?」
「あくまで推測です。いずれにしろ、早急に封印するほかありません」
 冷静な判断力だ、と胸中で感心する誠司。あの陽一郎の代理というのも頷ける。
 聖に呼ばれたミズキが、彼女の傍らに身を据える。
「ミズキに相手の注意を引きつけてもらって、わたしはその間プールの四隅に結界符を貼ります。陸さん、護衛をお願いできますか?」
「はいっ、わかりました」
 ゆらり、と水が動く気配が伝わってきて構え直す。
「ではわたしが合図しますから、それと同時に時計回りに走ってください。ミズキは逆方向にお願いね」
 了解と言いたげに頷く水の犬。
「いきますよ。――いち、に」
 ごぽり、と泡立つ水面。
「さんっ!」
 誠司と聖は向かって左へ、ミズキは右へと疾走する。水は双方へ容赦なく攻撃を仕掛けてきた。
「はっ!」
 聖が符を貼る間に誠司は水の攻撃を崩す。要求されるのはスピードとタイミング。符が貼られたのを確認してから次の隅へ移動する。
『憎い……健康な奴が憎い……どうして私だけが』
「え……?」
 不意に聞こえた低い声に誠司は急停止した。少女は両手で顔を覆って泣き続けている。再び襲ってきた水を拳で弾いた瞬間、
『私は泳ぎたいだけ……なのにどうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?』
『殺してやる』
『殺してやる』
『殺してやる』
(まさか、この声――!)
 少女が発しているものではない。襲い来る水、プールサイドの水滴、壁を流れ落ちる漆黒の筋。それらから聞こえてくるのだ。
 聖を振り返ると、彼女にも聞こえるのか真顔で頷かれた。
「おそらくこれは、彼女の負の感情が水に溶け込んでいるのだと思います。それが彼女自身にも制御できないのなら、放っておけば大変なことになります。扉の札もこの水が破った可能性が高いですね」
「そんな……! あの子を助けられないんですか?」
「結界を展開させれば、水の動きは押さえられます。その間にどうにかするしか――」
 言いながら2枚目の符を貼る聖。残るは反対側のふたつの角。ミズキがその身軽さと敏捷性で器用に水の猛攻撃をかわしている。ふたりも絶妙のコンビネーションで迅速にプールサイドを駆け巡り、すべての符を貼り終えた。
「よしっ、これで――」
「はい、いけます!」
 両手で印を組んだ聖が真言詠唱を開始すると、青白く輝く結界がプールをドーム状に覆い尽くした。水がそれを破ろうと猛威を振るうが、皹ひとつ入らない。
(今なら、あの子と話せる――)
 深呼吸をひとつして誠司は結界の端まで歩み寄った。
「あの、きみはこんなことしたくないんですよね? 誰かを傷つけたくないんですよね?」
 声に振り向いた少女は、悲哀に満ちた表情でこくこくと何度も頷く。誠司は安心させるように微笑みかけた。
「俺、きみの噂聞きました。交通事故に遭って、水泳の大会に出られなかったって……。俺がきみと同じ目に遭っても、やっぱり悔しいとかつらいって思いますし、そういうのは人間として当たり前のことですし。きみの場合は、それがあふれすぎてこんなことになっちゃったのかな、って思うんですよね」
 だから、と間を置いて続ける。
「だから、誰かを憎むより、まず自分を好きになってください。つらいことや苦しいことがあっても、それを乗り越えてまた頑張れるんだ、って思ってみてください。そうすれば、きっとまた気持ちよく泳げますよ」
 たぷん、と水の揺らぎが穏やかになる。誠司と目を合わせた少女は、安堵したかのように微笑んで何事か呟いた。その姿が徐々に結界の光の中に溶けていく。
 光が収まった時、彼女も水もプールには存在していなかった。大きく息をついて聖と顔を見合わせて笑い合う。
 人魚がこぼした最期の雫は、プールの底で煌いていた。


◆常闇の星

 扉に新たな封印符を貼り直し、地下から外へ戻った時には、世界は既に濃紺に包まれていた。廊下を歩きながら聖が誠司に礼を述べる。
「本当にありがとうございました。陸さんのおかげで助かりました」
「いやいやそんなっ! 俺は大したことしてませんしっ」
 あたふたと大袈裟に否定すると、彼女はくすりと笑みをこぼした。
「……実はわたし、不安だったんです。会長のようにうまく封印できるかどうか」
「水嶋さん……」
「でも陸さんのまっすぐさに救われました。霊に対してああいうことをおっしゃる方も珍しいですし、わたしも一緒に元気づけられたんですよ」
「あ、あは、あははははっ」
 面と向かって言われると照れくさいことこの上ない。後ろ頭を掻いてごまかした。
 生徒会室では陽一郎がふたりを待っていた。聖の結果報告を聞くとホッと息をついて微笑んだ。
「陸くん、今回は急に呼んでしまってすまなかったね。助かったよ、ありがとう」
「いえ、繭神さんの頼みですから!」
「これで学園周辺の悪霊も沈静化するはずだ。その件に関してはまた改めて調査しないとね」
 確かに顔色が悪いけど相変わらず美人だなぁ、と不謹慎なことを考える誠司。同じ男を美人と表現するのは適切ではないような気もするが、美しいものは美しい。聖も含めて生徒会は美形揃いか。
 陽一郎は徐に机の下から2リットルのペットボトルと紙コップを取り出し、
「頑張ってくれたふたりにご褒美だ。レモンスカッシュだけど、良かったら一緒に飲まないか?」
「えっ、繭神さんて炭酸飲むんですか?」
「おかしいかな」
「い、いえ、全然! ただちょっと意外だっただけで――ありがとうございますっ!」
 あ、と窓際の聖が声を上げる。
「会長、陸さんっ。今夜は月の代わりに星がよく見えますよ」
「え、マジですか?」
 誠司もつられて窓から空を見上げる。いつもより多く夜空を飾る星の輝きが、一日の疲れを癒してくれるようだった。


―完―



■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5096/陸・誠司/男/18歳/高校生兼道士

NPC4079/水嶋・聖/女/16歳/高校生陰陽師


■ライター通信■
初めまして、蒼樹 里緒と申します。
このたびはご参加有難うございました!
戦闘描写には未だ不慣れなため、テンポがあまり良くなかったと思います、申し訳ありません……(汗)経験を重ねて精進致します。
よろしければ、愛と思いやりのあるご感想・ご批評をお聞かせ下さいませ。