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<東京怪談・PCゲームノベル>


『深紅のジュディ』



 真っ赤な上着に、黒いシャツ、黒地のロングスカート。着慣れた風情から一瞬見ただけではおかしさには気付くまい。その青年はもとより細身で、体格も小柄。とは言え、注意深く肩幅や筋肉の付き方を見れば、滑らかなテノールを聞けば、彼が男性であることはすぐにわかる。
 足を組んでにやりと微笑む青年は、女装をしながら女性染みた言動を取るつもりは特にないらしい。青年――ジュディは倣岸な態度で仕事の内容を説明した。
「仕事ってのは心霊現象多発中のマンションさ。最近、よくあるだろ? 中でポルターガイスト現象だのラップ音だのが起こるところだ。そこの怨霊を駆除しろって話なんだよ」
 草間・武彦はうんざりした顔で呟いた。
「何で、そんな雑魚っぽいのやっつけるのに協力が必要なんだよ。お前、そういうの専門の能力者だろ」
「い、いや、俺は幽霊を相手にした経験なんかほとんどなくてね……まあ、そういうわけで、嬢ちゃん貸してくれないかい?」
「うちだってこれから調査だよ。零はそっちに必要なんでな。代わりを探すくらいはしてやるよ」
「じゃ、頼りがいがあるのを頼むよ」
「あのな…お前の仕事だろ…」



 そのマンションの前に集ったのは三人だった。いずれも、草間からの突然の連絡を受けて、仕事に乗った者たちだ。
「よう、御三方。俺はジュディ。草間の旦那から話は聞いたぜ。手伝い、ありがとうさん」
 一人遅れてやってきたのが依頼人。紅い上着を肌蹴させて、同じく紅色のジーンズに黒いシャツ、指に耳に首にシルバーアクセサリーを無数につけた派手な青年。艶やかな黒髪と鼻を挟む眼鏡がいやらしく色っぽい。
 九条・宗介(くじょう・そうすけ)は彼の視線を感じ取って、最初に手を差し出した。
「僕は九条。名前の方は宗介。宜しくお願いするよ」
 静かに言って宗介は彼と握手を交わした。小柄な青年は、にんまりと笑って不敵にそれを握り返す。ふと、宗介は彼の紅いズボンに目を留めた。
「草間さんからは特別な趣味の持ち主だと聞いていたけれど」
「ああ。俺が女装に走るのは夜寝るときと、あと三、四日にいっぺんくらいだよ。別に、男物が嫌いってわけでもないしね。それに、スカートじゃ剣を振りづらいだろ」
 といっても、宗介としては別に「その割に普通の格好をしているね」と言いたかったわけではない。彼の紅い服の詰め合わせは、どちらかというと艶があるし、女性がしていてもおかしくはない。宗介は「中間が御好みなのかな?」と聞きたかったのだが、彼の自己紹介に遮られて、言う機会を逃しただけだ。
「まあ、世の中にはサードジェンダーというものもある。既存の性を踏襲せず、第三の性として独自の生き方を探る。その生き方には敬意を表するべきかな。とは言え、大衆に迎合しないのは確か、か」
 ぶつぶつと呟いた言葉に、ジュディが振り向いた。
「何か言ったかい?」
「いや、東京特務課……噂は聞いたことがあるな、と、そう言っただけさ」
 彼は怪訝な顔をしたものの、すぐに足を翻して、他の二人に向き直った。

 ふむ……変人しかいないと聞いていたけど、なるほどね……

「えーっと……そっちのアンタが翠の姉さんだな。陰陽師とか」
 薄く微笑んだまま、彼が差し出した手を握ったのは背の高い中性的な女性。小柄で中性的な男性であるジュディとは好対照を成すとも言える。
「陸玖・翠(リク・ミドリ)と言います。こちらは式神の七夜。この子ともども、宜しく。ジュディ殿」
 年齢のほどは多く見積もっても二十代の半ば。しかしその奥に容姿とは不相応な落ち着きを感じさせる。宗介も今回初めて顔を合わせたが、話してみると井戸の底でも覗き込むかのような知恵の深みを感じさせられた。知識と経験から判断するに、普通の人間ではない気がする。
 ジュディもまた妙な感覚を覚えたのか、一瞬、硬直して握った手を見詰めた。やがて彼女が七夜と呼んだ黒猫が、その肩からするりと降りて彼の足元に顔を摺り寄せるまで、困惑した表情のままだった。
「うわ、っと……この黒猫が、七夜?」
 呪縛から解けたように、彼が手を離して足元の黒猫を見る。二又に分かれた尻尾からして、猫又の一種だろう。陰陽師が猫又の式神を使うとは面白い。
「ええ。幻惑の術と、情報収集能力に長けた子ですよ。先んじて放っておこうかと思ったのですが、あなたに化け物と間違われて斬られては困りますからね」
 ジュディは苦笑して、三人目に視線を移した。茹だるような熱波の中、木陰でぐったりしている色白の青年。炎天下の中でじっと待っていたにせよ、その青年の伸びっぷりは凄い。木陰のベンチに死体のように体を伸ばし、訪れた依頼主にも見向きもせずにぶつぶつと何か呟いている。
「……で、そこで伸びてるのがエドの兄さんだな?」
 反応が無いので、宗介が「ご名答」と言った。翠が後を続ける。
「エド殿、気持ちはわからないでもありませんが、せめて身体は起こしておかないと、熱射病になっていても見分けが付かないですよ」
 そう言われて、彼はようやく病的に白い半身を起こした。地獄から抜け出してきた悪魔……エド・−。あまりにもあっさりとそう自己紹介されたが、しかしその容姿はどちらかと言うと麻薬中毒の病人だ。ジュディもすでにこの気温にはうんざりしているのか、彼の隣にべたっと座り込むと、やる気なさげに手を差し出した。
「ジュディだよ。よろしく。悪魔さんなんだってな」
「うん……よろし……」
 「く」を言い終える前にふらついた彼の半身が、ジュディの肩に落ちた。きょとんとした瞳が、くずおれたエドを眺める。宗介は、翠と目を合わせた。
「見分けはつかなかったようだね」
「悪魔らしいですから、日光に弱いのでしょうか。自販機で何か冷たいものでも買って来ましょう」
「僕とジュディ君はぬるいだろうけど、そこの水道で水を掛けておくよ。手伝ってくれるかな」
 ジュディは苦笑しながら頷き、ぐったりした細長い青年の肩を支えた。



 自分が熱射病でぶっ倒れかかったのが一時間前。どうにか起きて、エドは濡れタオルを頭に被せたまま、ベンチに座りなおしていた。いかに病気になりにくい悪魔の体と言えど、日光には弱い。水分不足も、カフェイン不足も堪える。
「さて、エド君の容態も落ち着いたようだね。ジュディ君、メンバーはこれで全部かい?」
「いや、草間の旦那の事務所で、会った人たちがもう二人ほど。さすがに影響力が違うねェ……」
「草間さん、顔広いからね…それにしても真夏の昼から幽霊退治かぁ、雰囲気ないね」
 ジュディは自分と同じくベンチの上でぐったり伸びながら、顔を向け合った。彼もまた、日差しは苦手らしい。離れたところで涼しい顔をしている翠が、信じられなかった。
「エドの兄さん、死人は夜の方が怖いし強いだろ。連中の得意な時間に何でわざわざ襲いかからにゃならんのさ?」
 …ごもっとも。
「うん。そういう卑怯で臆病な考え方、好きだよ。性に合ってる」
「戦術と言ってくれよ」
「そういう見栄も好き」
 苦笑いを浮かべながら、何度か頷いた後、ジュディは諦めたように溜息をついた。
「まあ、俺もアンタみたいな退廃的な奴は嫌いじゃないぜ」
「ん、なに? 仕事終わったら、一緒に遊ぶ?」
「あ、いや、遠慮しとく……」
 同種の匂いを感じ取ったのか、そして自分の裏にある魂胆を垣間見たのか、ジュディは怯えたように身を引っ込めた。綺麗な顔をしている青年だから、エドとしては好むところがあるが、警戒されていては仕方ない。
「そう……それよりも、兄さんっていうのやめてくれない? そりゃ僕は悪魔だから、歳は上だけど……」
 自分の外見の年齢は十七ほどだ。ジュディの実年齢は十九歳辺りで、そういう相手に兄さんと呼ばれるのも妙な感じがする。
「仕方ないだろ、雰囲気がそういう感じなんだよ」
 先ほどジュディが口にした『退廃的』という雰囲気だろうか。それを言えば、ここに集ったものは皆、それぞれにその色を見せている面子ばかりだが。
「…九条の旦那だっけ?あんたなんかも負けじと良い色出してるね」
 同じことを考えたのか、ジュディが言う。穏やか、というよりも何かを悟り、何かを諦めたような、やる気のない優しさを湛えた顔で、宗介は振り返った。二十七歳という実年齢以上に老けて見えるのは、その表情のせいか。
「…どうも。しかし同じく褪せた色でも、皆それぞれ少しずつ色合いが違う。退廃と一言で言っても、様々だ。格好から見て、君は赤を好むらしいが、その中にも、紅色や緋色や朱色がある。似ているようでいて、それぞれ個性がある。一括りにするのは、どうかと思うね。例えば陸玖君は、同じ言葉で表される性質でも、表面に現れる色はまるで…――」
「あー…すまん、翠姉さん。九条さんってな、こういう人なのかい…?」
 するすると流れ始めた言葉の羅列を無視して、ジュディが翠に聞いた。
「そのようで」
 くすりと彼女は中性的な顔に小さな笑みを浮かべる。「退廃的と一口でくくっても、その中には様々な色合いがある」と言いたいらしい宗介の言葉どおり、翠はどこか涼しげに物事をあしらう。
「中々に愉しいですよ。彼の話す流麗な言葉の意味を追いかけるのも。憂鬱な時も、耳を傾けていれば涼しくなります」
「僕、そうは思えない……」
 追いかけきれなくなった言葉の大河を無視して、エドは苦笑した。
「ところで、翠の姉さんは陰陽師だからわかるとして、エドの兄さんと旦那はどうしてまた手伝ってくれる気になったんだ? 亡霊退治なんてするような柄じゃないだろ?」
 ふと、ジュディが尋ねる。
「取るに足らない魂でも、貰って損ってことはないじゃん。ほら、僕は悪魔だし」
「そ、そうか……ま、欲しけりゃあげるけどさ……で、そっちの小説家さんは?」
 正直な気持ちを述べただけなのに、ジュディは苦い笑いを浮かべた。それでそっちは?と、問うように、二人で視線をずらす。一瞬、どぎまぎした表情を浮かべて、宗介は少し俯いた。
「いや、実はね……生活費が苦しいんだ」
 ジュディと目を合わせて吹き出しかけたとき、凛とした声がそれを止めた。
「残りの御二人が来ましたね。これで勢ぞろいですか」
 翠の指差す先に、二人の女性の影が見えた。



 茹だるような熱が忌々しい午後三時。マンションの前に作られた公園。そこに揃った面子は特務課のメンバーを除いて五人。

 黒服を身に纏った影の使い手、黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)。
 涼しげに黒猫の式神と戯れる、凄腕の陰陽師、陸玖・翠(リク・ミドリ)。
 不安そうに白んだ面持ちはまるで正体を感じさせない、獄抜け悪魔のエド・−。

 ジュディからすれば半ば怪物のような三人。そしてそんな変り種に平然と一般人が混ざり込む。

 事務員にして草間興信所の大黒柱、シュライン・エマ。
 妙に小難しいことを喋る、しがない三文小説家、九条・宗介(くじょう・そうすけ)。

 こっちの二人も尊敬に値するよなァ。怪奇現象に携わる一般人ってのは肝が太いのが多いのか……?
 ジュディは溜息をついて、仲間から再度仕事の説明を受ける五人を見守った。
「……皆さんの扱いは特務課の臨時捜査官。立場はジュディや僕と同じです。聖水と噴霧銃を持ってきましたが、必要な方は申し出てください」
「聖水だけ貰おう」
「私も、冥月さんと同じ。聖水だけお願いね」
「僕は噴霧銃ごと、借りようか……」
 同僚――エリィ――が、名乗り出た仲間たちに道具を配る。
「調べによると、亡霊たちはこのマンションに持ち込まれた何かに引き寄せられて集まってきたようです。怨霊を引き寄せる強い思念が感知されました。その群れの主に対処して、マンション内の怨霊を掃討してください」
 ただし、持ち込まれたものが具体的に何なのかまではわからない。エリィはそう仕事内容を締めくくると、そそくさと荷物をまとめた。
「それでは、後はジュディにお任せします。僕は別の仕事がありますので」
 彼が去って、五人の視線が自分に合わさる。と言っても、自分は亡霊と戦ったことなどない。何を任せられれば良いんだ?
「え……あ、いや、えーっと……」
 口篭もっていると、助け舟を出すように宗介が前に進み出た。
「残念ながら、僕は本番で役に立てるような力を持っていないからね。こういう場面でしかお役に立てないから、いくつか提案をさせてもらうよ」
 そう言って、彼は皆に向けるように話しかける。
「二手に分かれた方がいい、と思う。黒君、陸玖君といった強力な能力者が、二人いるわけだしね」
「分散するのか? その意図は?」
 冥月が聞く。宗介は、当たり前のことを聞き返すように言った。
「ジュディ君は幽霊たちと話し合うつもりはないね?黒君とエド君も、そう見受けられるけれど、どうかな」
「そりゃまあ、俺は面倒臭いことは嫌いだけど」
「私もそんなつもりはない。手当たり次第に叩きのめせばいいだろう」
「死人に人権なんてないし……僕も、別に」
 宗介は頷くと残りの二人に向き直った。
「陸玖君と、エマ君は?」
「……手始めは、懐柔と説得からはじめてあげたいですね。交渉もせずに、いきなり攻撃するというのも、少々主義に反しますから」
「そうね。私もあまり手荒な真似はしたくないし、負の思念に引き寄せられて怨霊化してるなら、出来れば説得から始めたいわね。中にはその呪縛に苦しんでる霊もいると思うし、その群れの主の居場所や、倒した方のヒントなんかも教えてくれるかも知れないわ」
 宗介は聞き終わると、再び頷いた。
「意図はこの通り。まず、意見が二通りあるから。もう一つ、今回の仕事の目的も二つ。霊の掃討と、主の退治。怨霊たちを片付けておく班と、主の居場所を特定する班の二つに分かれたほうがいいと思う、と、いうわけさ。人数を均等にするなら、僕は陸玖君たちの方かな」
「片方が説得に回って、もう片方が襲い掛かるの? それって優柔不断すぎない? そんな二枚舌外交みたいなの聞いてもらえるかなぁ? 僕なら聞かないね」
「……いえ。悪くはないと思います。彼らは組織として団結しているわけではありませんしね」
「主に反発してる霊がいるなら、きっと建物の外側ね。離れようとすると思う。反対に、完全に怨霊化してるのはきっと内側。呪縛されてるだけの霊と怨霊が仲良く付き合ってるとも思えないもの。私たちが外側、エド君や冥月さんたちは内側に向かえば良いんじゃないかしら?」
 シュラインの言葉が終わると同時に、翠はいつの間にか足元に擦り寄ってきた黒猫をするりと抱き上げた。二又に分かれた尻尾がいとおしげに彼女の首を撫でる。あれは、猫又式神の七夜とかいったか。
「ええ……先ほど、七夜にマンションを探索してもらっていたのですが、内側は攻撃的な霊で一杯のようです。出来れば主の居場所もと思ったのですが、さすがに危険なので引き下がらせました。しかし、エマ殿の推理の裏づけにはなりましたね」
「なるほど。となれば、私たちは中に入って、奴らを片っ端からなぎ倒していればいい。いずれそっちが主とやらの情報を掴んだら、知らせてくれればいいわけだ」
「そうなるね。呪縛霊の方は主がいなくなれば勝手に消えてくれるだろうし、それで解決だよ」
 大体の作戦が決まって、皆が頷きあう。ハッと気付けばジュディはぽかんと話の流れを追っているだけで、全く関われなかった。
「な、何か、手馴れてるね、あんたら……」
 そもそも、自分は必要なのか?この連中に丸投げしておけばいいんじゃないのか。ジュディはふと、そんな根本的な疑問を感じた。



 影を物質化させる。それが自分の基本能力だが、霊体に無効だ。とは言え、工夫によっては戦える。
 影の中に構築した異空間に聖水を流し込み、物質化させた影にそれを滴らせて貫く。影そのものは無効でも、要するに破魔効果が付随されていればいい。
「邪魔だ」
 冥月はその一言と共に、ゆらりと襲い掛かってきた怨霊を叩き伏せた。白んだ姿の中年の女性がうめき声と共に霧のように散る。
「しかし、霊どもには影が無いから、探知が出来ないのが厄介だな……」
「まあ、そんなに強いわけでもないみたいだし、気をつけてれば大丈夫じゃない?」
 いいながら、エドが男性の怨霊を蹴り飛ばす。端くれとは言え悪魔ともなれば、触れることも出来るのか。普段はいつもびくびくした臆病者なのだが、死人の相手は得意らしい。地獄にいた時代に、色々と付き合いがあったというわけだ。
「面倒臭いと言ってるんだ」
 言い終わらぬうちに、エドが蹴り倒した怨霊にジュディが剣を突き立ててとどめを刺した。悲鳴と共に怨霊が霧散する。
「ああ、酷い!魂だから、捕まえておこうと思ったのに、成仏させちゃうなんて!」
「いや、そんなこと言ってもなァ……」
「羽交い絞めにでもして持って帰るつもりか?何匹いると思ってるんだ」
「う〜……」
 亡霊たちはうんざりするほど数が多い。その上、このマンションの廊下は屋外にある。無謀な怨霊どもを叩きのめしながら進むわけだが、むしろ暑さの方が厄介だ。
「な、なあ、姉御……あんたの力で、このマンションを覆い尽くして、群れの主ってのをこっちに引きずり出すってのはどうだい?」
 汗だくになりながら、ジュディが言う。
「その主とやらが何なのかわかっているならそれも出来るがな。正体不明の相手をどう引っ張り込むつもりだ」
 返答すると、うんざりした様子でジュディは肩を落とした。
「外の三人の仕事待ちか……。もう、いい加減、暑くて嫌になってきたよ。なあ、兄さん?」
「うん……日差しってきついよ。悪魔には」
「日傘持ってくりゃよかったねェ」
「日傘差しながら、剣使うの?」
「ああ、ちょっときついか……」
「ねえ、冥月さんの力で影を伸ばして日差し遮れないかな」
「おお、その手があったか! 兄さん、冴えてるね!」
「そう? 冴えてるなんて言われると嬉しいな。じゃあ、冥月さんにお願いし――」
 自分の後ろでぺらぺらと余計なお喋りに興じる二人組。カチンと来て、片手でぐいっと双方の胸倉を掴む。引き攣った表情で睨みつけると、二人は声を詰まらせたように黙り込んだ。
「いい加減、人の後ろに隠れてないで、お前らが前に出て仕事をしろ。日差しが辛いんだったら、それに耐えられるように、私がじっくりと鍛えなおしてやる」
 ぐいっと彼を引っ張り、尻を蹴り飛ばす。ついでにエドも放り出して、二人して前に出した。転びかかったジュディが何とか体勢を立て直して、尻を押さえる。
「いたたたた……姉御、暴力的すぎるよ、あんた……」
「な、なんで、僕まで……本来はジュディ君の仕事じゃないか。僕は手伝いに来てるだけなのに」
「そうか。まだ無駄にお喋りを続けるつもりなんだな?」
 腕を組んでするりと影を動かすと、慌てて二人が前へ走り出た。
 ……全く、軟弱小僧どもめ。
 彼らを後ろから威圧しながら、さくさくと進ませる。一階ずつ、非常階段を伝って上を目指し、怨霊を片っ端から倒す。エドとジュディは臆病だが、怨霊に触れられてもダメージの薄いエドと、比較的攻撃力に優れるジュディのコンビは、駆り立ててやればそれなりに仕事も出来る。
「ジュディ君、あっちにいるよ」
「はいはい。んじゃ、先手を頼むよ」
 エドが先んじて蹴り飛ばして動きを封じたところにジュディが斬りかかる。それで攻撃を受ける前に片付けることが出来る。二人は明らかに怨霊よりも、自分の制裁を怖がっているので、尻込みもしない。
 ……私は特に援護は必要ないしな。
 影の鞭がしなり、刀を振り下ろすような音を立てて、怨霊の胴体を斬り捌く。このまま上手い具合にいけば、マンション内の怨霊どもはあらかた片付けられるだろう。
 怨霊たちを蹴散らしていると、ふと、八階の廊下でエドが足を止めた。続けて、その後ろを歩いていたジュディも、ハッと気がついたかのように、ぴたりと足を止める。
「どうした? また、疲れたとか言うようなら――」
 言いかけて、冥月も言葉を切り、足を止めた。真夏の夕暮れ。背筋に走った冷たい感触。何かの領域に踏み込んだという感覚。冥月はじろりと左手にあるドアを見詰めた。表札にある番号。八○三号室。
「……つまりここというわけだな。主の住処とやらは」
「一味違う相手っぽいが、どうする? って、入るしかないんだよな……」
「当然だ。外の三人に、部屋番号を伝えろ」
 エドが適当に携帯を開いて、短くメールを打つ。送信しながら、彼が漏らした。
「えーっとさ。僕も一緒に行くんだよね?」
 そう言う彼をじろりと睨む。
「……わかってるよ。ちょっと聞いただけだよ」
 エドの声は虚ろに響いた。



 ドアを開けて、部屋に入る。当然のように、ドアがひとりでに閉じる。さも当たり前のように、開かなくなる。ジュディがガチャガチャとノブを弄ってそれを確かめると、溜息と共に肩をすくめた。
「やっつけりゃ良いんだよな。やっつけりゃ……」
「ゲームとかで良くあるよね。ボス戦の前に、逃げられなくなる奴。セーブポイントないかな」
「うるさい。黙れ」
 不安そうにお喋りに興じる二人を制して、つかつかと家の中に入る。怯えながら付いて来る二人は、勇気を振り絞るので精一杯のようだから、あまり期待は出来ない。冥月は出来る限り冷静に部屋を分析した。
 残してあった靴の量から判断するに、住人は独り暮らし。その割に、廊下には調度品の数が多い。リビングルームに入ると、食器や壷、絵画や花瓶などが机の上から小タンスの上、電話の横などに無数に飾ってあるのが目に付いた。大きなタンスもいくつかあり、中にも同じようなものがあることだろう。
 雨戸さえ閉じた薄暗い部屋の中、冥月は嫌な予感を覚えた。この妖しげな調度品。その量。気に喰わない部屋だ。不気味だからというわけではなく……
「これだけ色々なもの揃えてたら、妙なものが混じるのもわかる気がするよ……でも、怪しい物がありすぎて、どれが主なのかさっぱりわからないよね……あのさ、見極める方法ってある?」
「いや、俺には、特に……姉御は?」
「一目見ればわかると思っていたからな……偶然だろうが、敵はカムフラージュに最適な場所にいたわけだ。それから『弾丸』が豊富なところでもあるようだな。気に喰わん」
 弾丸、という比喩表現に、二人が怪訝な顔をする。そのときにはすでにカタカタと、部屋の調度品が震え始めていた。怪物の顔を模した壷、美しい絵画の描かれた皿、壁に掛けられた絵、戸棚の中のガラス瓶や食器……
「ああ……そういう意味ね」
 エドがポツリと言った刹那、部屋中のものが一気に飛び交い、三人に向けて宙を舞った。キッチンにあったナイフや包丁といった刃物は無論、ただの食器や家具でも直撃すれば致命傷だ。
 冥月は影を展開し、異空間へとそれらを吸い込んだ。
「うわっ! 本体はどこだよ、姉御!」
「さあな。まあ、それなら全部掃除してやる」
 冥月は額にしわを寄せて意識を集中させると、一気に地面から影の触手を林立させた。むしろ、目の前に飛び出してきた無数の黒い柱に驚いて、一瞬、エドたちの動きが止まる。
「掃除……って――」
 エドが息を呑む。冥月が右腕を振るった瞬間、影の一つ一つが荒れ狂う蛇のごとく、一斉に空中を飛び交う家具を食い破った。更なる駄目押しをするべく、左手を振り下ろす。天井中に黒い影が伸びて、静かに一滴の聖水がそこから滴る。
「ジュディ、その小僧を護れ!」
 叫ぶ。ハッと意図を理解したジュディが、引き攣った表情でエドに跳びかかった。ぶつかり合い、テーブルの下に転がり込む。刹那、冥月は影に取り込んだ聖水の全てを、スプリンクラーのように部屋の中に降り注がせた。



 聖水は、自分にとって濃硫酸に等しい。エドは自分を机の下に押し倒してくれたジュディの下で、悲鳴をあげた。
「う、うわっ! わ、わ、わ!」
 床に飛び散った聖水に触れないように、身を捩じらせる。ジュディはひょいと上からどくと、照れたように服をはたいた。
「ん……ちょいと、強引でごめんよ」
「い、いや、うん。ホントに助かったよ。ありがとう」
 机下の外には地獄の蛇のごとく無差別に部屋を破壊して回る影の触手。降り注ぐ聖水で鎮められ、家具がぽとぽとと落ちていく。
「冥月さん、無茶するなぁ……まあ、怪しいもの全部壊しちゃえば、どれが本体でも関係ないもんね」
 やがて部屋の中が瓦礫とガラクタのみになり、全てが静かになった。聖水の効果も騒動の中で濁り、すでにただの水になったようだ。
「片付いたぞ」
 ずぶ濡れの髪をパッと振るって、冥月が息を吐く。
「散らかしたって言うべきじゃない? 結局、どれが本体だったのかな?」
「さあな。まあ、もう関係ないだろう。ところで、これは私が器物破損をしたと見られるんじゃないだろうな?」
 豪快に部屋をたたんでおいて、今さらのように冥月が言う。ジュディが苦笑して首を振った。
「敵さんが先にやったんだし、問題ないだろ。しかしさすがだね、姉御。外の仲間の出番もなかっ――」
 瞬間、ぐにゃりと歪んだ元ヤカンが宙を舞い、肩をすくめていたジュディの首筋を打った。声の詰まるような音を発して、ジュディが倒れる。
「えっ?」
 素っ頓狂な声が自分の口から漏れる。すでに部屋を出ようとしていた冥月が足を止め、振り返った。
「何だと――」
 言い終わる前に向かってきた無数の破片。エドは思わず、尻餅をついた。
「な、なんで? 部屋の中のものは全部壊れて……」
 冥月が自分の前に走り出て、竜巻のように荒れ狂い始めた破片の群れを受け止める。細かくなった分一撃の威力は弱いが、巻き込まれれば嬲り殺しだ。
「うわわ、どれが本体なのさ? もう何にもないよ!」
「いいから、まずは小僧を部屋の端に連れて行け!」
 言われて、ジュディが自分の側にぐったり倒れ込んでいるのに気付く。意識はない。一瞬、彼らを置いて逃げるかとも迷ったが結局は冥月の言に従った。ジュディは先ほど自分を助けてくれたし……何より、逃げようとしてまだドアが開かなかったら、そこでゲームオーバーになってしまう。
 ぐったりしたジュディを引きずり始めると、今度は部屋の壁をすり抜けるように、白んだ姿の怨霊たちが何人か姿を現す。
「うわ、冥月さん! 怨霊、怨霊!」
 破片の竜巻を押し返しながらも、冥月はハッと振り返って、舌を打った。
 ふと、思い出す。冥月の能力は霊には効果がない。今までは、聖水を使っていたから対処できたが、先ほどポルターガイストを鎮めるために、豪快に使ったわけで――
「燃料切れだ。そっちはお前がどうにかしろ」
 やっぱりこうなるんだ。踏んだり蹴ったりだ。こんな仕事請けるんじゃなかった。
 めくるめく憂鬱が心を覆う。自棄っぱちになって、エドは向かってくる怨霊を突き飛ばした。続けざまに冥月の方に向かおうとした一体を背中から蹴り飛ばす。
 ……こんな形で死んで、地獄に帰るのかなぁ。
 エドの心に諦めが芽生え始めたとき、金属音を響かせて部屋のドアが開いた。



 主の居場所と正体を掴み、翠らが八○三号室に突入を掛けたとき、部屋中は破壊され尽くしていた。床にはもはや何の部品だったのかもわからなくなった破片が散らばる。それが幾度でも浮かび上がり、竜巻と化して部屋の中に荒れ狂う。さらには引き寄せられた何体もの怨霊が、壁をすり抜けて中に入り込んでいる。
 ……仲間は――
 苦戦はしているが、無事らしい。エドは壁際で必死に怨霊たちを蹴り返し、舞い飛ぶ砂利のような破片のつぶてを、冥月が影を展開させて受け止めている。部屋の隅にはぐったりとジュディがしなだれているが、生きてはいるらしい。
 三人ともがこの中で生き延びているとは、良く凌いだものだ。
「陸玖、来たか!」
 冥月が翠の姿に気付いたらしい。同時に気配を察した七夜が、壁の一点を見詰めて一声鳴く。
 ……あそこか。
 外の亡霊から聞き及んだ通りの場所。見えず、思いがけず、同時にそれがあるべきところ。
「仕上げをします。援護を……!」
 位置を理解したと同時に、翠は破片の砂嵐の中に踏み込んでいた。こちらの意図を察したのか、冥月が影を展開させて向かってくる破片を断ち割る。海を割るように出来た道の中を走り、立ちはだかるように道を塞いだ怨霊に、呪符を叩き込む。
「陸玖君! これを!」
 ドアの外から、宗介が叫ぶ。何かが投げられた音。くるりと回って受け止める。白木鞘の神刀。護身用にと、彼が持ってきていたもの。回る勢いを利用して翠はそれを抜くと、壁に向かって投げ放った。神刀が壁に突き刺さる。
 ガラスが擦れあうような甲高い悲鳴が響いた。
 耳というよりも神経を劈くような人外の断末魔の後、部屋中に舞っていた破片がざあっと地に落ちる。冥月が影を上方に展開させて、仲間にそれが降り注ぐのを防ぐと、部屋の中に一瞬の静寂が訪れた。
「――……終わったのか?」
 冥月が、ポツリと漏らす。
「そのようですね」
「ちょ、ちょっと、しんみりするより先に、僕を助けてよ!」
 振り返る。エドだけは、部屋の片隅でまだ怨霊と格闘を続けていた。悪魔は触れられても特に問題はないのか、三体の怨霊と、ほとんど揉み合い状態になっている。翠は一瞬、冥月と目を合わせ、苦笑して……次の瞬間には、呪符が三体の怨霊の首を刎ねた。



「いたたたた……」
「大丈夫? 無理はしないで、もう少し休んでから出ましょう」
 ジュディが頭を押さえて唸る。シュラインは彼の背中を撫でてやった後、雨戸を引き開けた。空は紫色に染まっている。
「す、すまないね、姉さん……ちょいと油断したよ」
 力なく眉を下げて、ジュディが言う。とは言え、少々気持ちを凹ませているだけで、特に重傷を負ったわけではないらしい。
「全くだ。お前の仕事なのに、途中で気を失うとはな」
 いつの間にか自分の影が床に広がり、すっと冥月がそこから姿を現していた。他の仲間も一緒に転送してきたのか、続けざまに影から這い出す。
「どうだった? まだ何かいたかしら?」
「霊の姿はもうどこにも見当たりませんね。根っからの怨霊の多くは、彼ら三人が倒してしまったようですし、呪縛されていた浮遊霊たちは思い思いに散ったか、成仏したのでしょう。彼が動けるようになったら、それで仕事も完了ですね」
 ジュディは苦笑して、頭の後ろを押さえた。
「でさ、そもそも、ボス格の本体って何だったの? 壁に神刀突き刺したら、止まったみたいだけど……。壁が本体ってわけじゃないんでしょ?」
 エドが尋ねる。
「わからなかったのも無理はないわよね。これよ」
 そういって、シュラインはつかつかと壁に歩み寄ると、端に小さなナイフを突き立てて壁紙を剥いだ。コンクリートの壁面が露になり、壁と壁紙の間に挟まっていた『それ』が、ずるりと床に落ちる。
 壁紙に挟み込まれる形で隠されていたのは大きな抽象画。模造紙のような大きさの紙に描かれた、真っ赤な花畑の絵。その中心に、神刀の突き刺さった傷が付いている。
「……道理で部屋中を壊しても、止まらなかったはずだ。そんな細いところに納まっていたとはな。影もくっついているから、探知も難しかったわけだ」
「何故、こんなところに隠したのかはわからないけどね」
 ふと、宗介がその絵に歩み寄り、顎を押さえて静かに眺めた。
「……わかった気がするよ」
 意外な一言に、部屋中の視線が彼に集まった。
「タッチに見覚えがある。名のあった画家の描いたものだよ。画家の死後、盗まれたと聞いた。つまりはここの住人がその犯人か、もしくは犯人から買い取ったんだろうね。ほとぼりを冷ましてから売り出すつもりだったか、単にその画家の絵に執着があったのか……ともかく盗品だから隠してあったんだろう」
「そうしたら、その作品には怨念が染み付いていた、というわけですか」
「芸術作品には念が篭る。捨てるでもなく、かといって鑑賞するでもなく、こんなところに押し込めたものだから、宿った情念が時を経て怨念と化した……というところかな」
「なんか、旬の食べ物をもったいないからってしまっておいたまま、腐らせちゃったみたいな話だなぁ。腐臭に誘われるハエみたいに、怨霊までたくさん呼び寄せて……まぁ、盗品抱えてた人なら、文句も言ってこないよね。自業自得かな」
「その腐った食べ物に殺されかかったんだから、こっちは溜まったもんじゃない……むしろそいつの魂を兄さんにくれてやりたいよ」
 ジュディの疲れ果てたセリフに、失笑が漏れた。



「まあ、改めて。今回は仕事の手伝い、ありがとうさん。兄さんも、姉御も。別行動の人たちも含めて、アンタ方がいなかったら、とてもじゃないが解決できなかったよ」
 帰り道、疲れた笑顔を浮かべたジュディが言う。エドは暗い顔で俯きながら、つぶやいた。
「結局、魂一つも手に入らなかったなぁ……」
「約束どおり金を払うってば。それで容赦しておくれよ」
「礼金は弾めよ」
 共に帰路を歩くのは、冥月とエド、そして自分だけだ。他の三人は、草間の方に報告に行った。こちらは負傷した自分を見送る役割というわけだ。
 ジュディは冥月の一言に苦笑しつつ、後頭部を撫でた。
「はいはい……」
 ジュディはまともな初仕事を終えた感慨からか、深く溜息をついた。まあ、何はともあれ上手くいってよかった。
「サービスで何か奢ろうか? アンタたちにゃ、命も助けてもらったし」
「ほう? 一杯行くか? 多少は気が利くな」
「ああ、僕もそれは嬉しいかな。カフェインとお酒と、あとおクスリと……」
「えーっと、すまないが、俺は酒飲めないし、クスリはやらないんで……」
 夜道を吹き抜ける風が少し寂しげに街路を駆け抜ける。ジュディの苦笑いもそれに溶けて、夏の夜に消えた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【5661/エド・−(エド・−)/男/41歳/ニート】
【6118/陸玖・翠(リク・ミドリ)/女/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師】
【6585/九条・宗介(くじょう・そうすけ)/男/27歳/三流作家】



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■         ライター通信          ■
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 エド様、二度目の依頼参加、まことにありがとうございました。

 初めてのゲームノベルということもあってお待たせすることになってしまい、まことに申し訳ありませんでした。

 今回、エド様は冥月様と並んで、非常に攻撃的なプレイングでしたので、冥月様、ジュディの二人とチームを組んで行動していただきました。冥月様が非常に厳しいキャラクターをされているので、半ばそれに引きずられるコンビとして、ジュディと気が合う形に描写いたしました。目に見える活躍どころは少ないですが、所々の笑いや、ジュディとの漫談で物語に彩りを添えるような形にしましたが、どうでしたでしょうか。

 気に入っていただけましたら幸いです。それでは、また別の依頼で会えますことを、心よりお待ち申し上げております。