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<東京怪談・PCゲームノベル>


秋ぞかはる月と空とはむかしにて 弐


「あらあら」
 さほど驚きもせずに、しかし、一応お約束めいた一声を口にしてみる。
 眼前に広がっていたのは、数ヶ月ほど前にも目にした事のある光景だった。
 舗装のなされていない大路に、車などの軌跡の残されていない路面。路の両脇には柳やら梅やらといった木立ちが点在し、また、人気の感じられない古びた家屋がそこかしこに建っている。
 皐月は、二度目の訪問となる大路の上で、ふむと小さな頷きをみせた。
 一面に広がってあるのは夜の薄闇。
 幾分か涼やかな風が髪を梳いて流れ、水の気配が鼻先をくすぐる。
 いったん止めた足を再び前へと動かし、薄闇を照らす明かりの一つもない大路の上を進む。進みながら両手を見遣り、そこに何も持っていないのを確かめて、短いため息を吐き出した。
「……お土産もなんにも持ってないのよねえ……」

 四つの大路が交じる辻を過ぎ、覚えのある大路の方へと進み入る。
 時折、静かに流れる夜風に入り混じり、さわさわと囁きあう何者かの話し声のようなものも耳を撫でた。しかし、そちらに目をやっても、あるのはやはり夜の薄闇ばかり。偶に木立ちがあるのが知れたとしても、その影に潜む何某かの気配など、およそ皐月の興味を惹くようなもの足り得ないのだった。
 大路を真っ直ぐに進むと、やがて、静かに波打つ川の水音が耳を撫でた。
 湾曲した橋が架かるその袂に、やはり、今回も、一人の少年の姿があった。
 古い時代を感じさせる学生服姿に、やはり、白百合を数本、腕の中に抱え持っているのが見える。
「萩戸君、で良かったわよね。こんばんは」
 少年を前にして足を止め、笑みを浮べた面持ちで少年――萩戸則之の顔を見つめる。
 則之は皐月の顔を上目に見遣り、ぺこりと小さな会釈をしてみせた。
「前回も唐突だったけど、やっぱり今回も唐突だったわね」
 腕組みをして微笑む皐月に、則之はしばし眉根をしかめて首を捻る。
「ここに来るのが、よ。前もって解ってたらお弁当とかなんか用意して持ってくるのになあって思って」
「……ああ、なるほど」
「私の作るお弁当、すごい美味しいわよ。萩戸君――うーん、則之君の方がいいかしら。ま、どっちでもいいわね。則之君は食べ物の好き嫌いなんかはない?」
「いえ、……とくには」
 かぶりを振る則之を確かめ、皐月は薄闇の中にあっても確かに煌めく金色の双眸をゆったりと細ませた。
「そう。それじゃあ、やっぱり、ここに来れる日を、出来れば前もって解っておきたいところよねえ。そうしたらなんか作ってくるのに。あ、そういえば則之君って食事とかは普通にするの?」
 皐月の、止む事を知らない、怒涛のような言葉が始まる。
 則之は、しかし、自分のペースを崩す事なく、時に思案顔をした後に口を開き、応えを述べたりしてみせる。
 皐月は則之の対応に満面の笑みをもって頷き、それから、ふと、則之が抱え持っている白百合の花に視線を向けた。
「そういえば、前回来た時にも持ってたわよね、白百合」
 告げると、則之の顔が幽かな翳りを帯びた。
 皐月は、則之が見せた幽かな変化を見とめ、しかし、笑みを崩す事なく静かな瞬きを一つする。
「深く訊こうっていうわけじゃないのよ。ほら、ここってなんか不思議な場所じゃない? それが例えば人の魂や記憶だったりしたら、小説なんか書けちゃいそうかなって思っただけだから」
 首を傾げ、則之を見遣る。
 少年の向こうには湾曲した橋が闇の向こうに向かって伸びている。この橋は黄泉へと通じているのだと、前回にこの場を訪れた際に教えられた。
 皐月は、ほんの刹那、橋の向こう側へと視線を向けた。
 少年の足元――川に沿って咲いている幾本かの白百合は、薄闇に隠れて窺う事の出来ない向こう岸にも同じように咲いてあるのだろうか。
「そういえばこの間会った時、私に帝都の風景を見せてくれたわよね」
 川の向こう側を見つめつつ、皐月は不意に口を開ける。
 話題が変わったのが幸いしたのか、しばし口を閉ざしてしまった則之が、再びのろのろと顔を持ち上げた。
「……はい」
「浅草十二階、だったっけ? あれって昇る事も可能? それか、電気館とかもいいかなあ……電気館って現代では映画館っていうんだけどね、電気館ではどんな映画がやってたのかしら。則之君見た事ある?」
「俺も、あまり多くを観た事はありません。……でも、爺さんや叔父からは時折聞かされていました。横山運平が幻灯機の中で動くさまは、それこそ魔法の如くであったと」
「横山運平? ……ふぅん、知らないなあ。でも俳優かなんかなのね、きっと」

 頷き、返した、その時。
 皐月の周りを囲う風景が、薄闇のそれから一変、姿を変えた。

 賑やかな通りの一画に、電気館という看板を掲げた白壁の建物。二重外套(インバネスコート)を纏った紳士や、蛮カラ姿の書生が大通りを闊歩している。
 電気館を囲むのぼりには尾上松之助という名前の他、地雷也などとも書かれてあった。
 銭を握って駆けていく学生の後を、軍人と見受けられる男が過ぎていく。皐月は彼等の後を追いかけるような形で電気館の入り口をくぐり入り、むうとした空気に眉を眇めた。
 ――視界は、皐月の意志にはあまり関与せずに流れていく。
「……ねえ、これって、則之君の記憶なの?」
 訊ねると、皐月のすぐ真上の辺りで小さな応えの声がした。
 皐月は、今、則之の記憶にある風景を辿っているらしい。
 弁士が舞台袖に座り、朗々たる口調で物語を紡ぐ。
 カタカタと音を立てながら幻灯が廻る。銀幕の中では白黒の忍者がカタカタと動き、走り回っている。
 観客達はさほど広くもない場所で息を呑み、眼前で繰り広げられている”魔法”に目を奪われていた。
 楽器隊が舞台前に並び、弁士が語る朗々たる流れと幻灯とに合わせ、曲を奏している。
 人々が詰め合わせている中での空気は、ひどく篭り、むうとしていた。
 が、気付けば、皐月もまた他の観客達と同様に、キネマの中で繰り広げられる物語に心を奪われていたのだった。

 カタカタカタと幻灯が廻る。
 と、その音が鳴り止み、途端に皐月は再び薄闇の中へと立ち戻された。
 空気は夜の気配を含み、しっとりとした湿り気を帯びている。
 水の気配を鼻先に覚え、皐月はゆっくりと瞼を持ち上げた。

「浅草は芸能の中心部でした。中でも六区は浅草オペラなども持て囃され、」
「ねえ、さっきのあの役者さんはやっぱり有名な人なの? あの三つ巴のシーンなんか良かったわねえ。蝦蟇と蛞蝓と大蛇が三つ巴になってさ」
 則之の言葉を遮るようにして訊ねる。則之はこくりと頷いて、それから再び口を開けた。
「目玉の松ちゃんと牧野省三とが作り上げた活動写真は何れも見事なばかりです。碁盤忠信も、忠臣蔵も、どれもが素晴らしいものでした」
「ふぅん」
 頷きながら則之の顔を窺う。
 則之は目をキラキラと輝かせていた。目にしてきた映画のそれを思い起こしてでもいるのだろうかと、皐月はふむと首を傾げた。
「ねえ、そういえば、則之君って、地震の時なんかは大丈夫だったの?」
 首を傾げ、ふと訊ねる。
 途端に、則之の表情が強張った。
「……地震、ですか」
「ええ、そう。確か大きな地震があったでしょ? あれって大正の……何年だったかしら」
 思案しつつ則之の顔を見遣り、そうして皐月はふと口をつぐんだ。
 則之の表情が、ひどい気鬱な色を浮かべていたのだ。   
「ま、いっか。またその内にでもまた聞かせてよ」
 肩を竦め、首を鳴らす。
「さ、それじゃ、私はもうそろそろ戻ろうかな。あー、それにしても、ホント、来るタイミングが解ってればお土産の一つも持って来れるんだけどなあ」
 大きな伸びをしながら則之を見遣る。則之は、やはりどこか気鬱気味な面持ちで、わずかに睫毛を伏せていた。
 やれやれと首を捻って、悟られない程度に息を吐く。
「じゃ、戻るわね。良かったら今度はお弁当とか作った時にでも呼んでよ。っていうか、作ったら試しに呼びかけてみるからさ」
 心の底で吐いたため息を隠すように、満面の笑みを顔に浮べた。
 則之は皐月の笑みを見上げて小さな頷きを返し、そうして、どこか遠くを見るような眼差しで、薄闇の向こうに視線を向けていた。




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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【5696 / 由良・皐月 / 女性 / 24歳 / 家事手伝】



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          ライター通信          
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二度目のご発注、まことにありがとうございました。
そして、お届けが遅くなってしまいまして、申し訳ございませんでした。
お待たせしてしまった分、少しでもお楽しみいただけていればと思います。

大正時代の浅草といえば、まさに芸能華やかなる場であったようです。
陵雲閣の周りには電気館や花屋敷、遊郭などが集中しており、おそらくはとても賑わっていたのではないかと思われます。
また、当時の映画は無声であり、弁士や音楽隊が物語の盛り上がりに花を添えてあったようです。
想像するに、とても魅力的な時代であったのではないかと思えたり。

それでは、よろしければまたのご縁をいただければと思います。