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<東京怪談ノベル(シングル)>


葉月花咲く天の色-coming of summer-

 陰陽堂は、その日当たりの悪さが幸いしてか、いつ訪れても涼しい。
 足を踏み入れたときに涼感を覚え、それが悪寒に変わるような過度の冷房の類ではなく、徐々に汗が引いていく穏やかな気温に、店主が振舞う冷たい飲み物が一助となる。
「懐かしいですね」
淡い緑のビードロの、厚みを持ったグラスに注がれた液体を一口含んで、烏丸織は素直な感動に目を丸くした。
「烏丸様ならばお好きかと思いましてねぇ」
その反応に満足したのか、相も変わらぬ藍染めの着流し姿の店主はいつもの笑みに茶目っ気を含ませる。
「はい。東京で口に出来るとは思いませんでした」
関西、特に京都で好まれる冷やし飴、麦芽飴の独特の甘みと生姜の香は織に郷愁を誘う。
 子供の小遣いで気軽に買えるのが、駄菓子屋の店先で湯呑みに注いで貰う、この冷やし飴なのだ。
「イマドキはネットで何でも手にはいるとはいえ……ねぇ?」
煙管を燻らせ、満足げな店主に織は肯首のみで応じる。
 わざわざ取り寄せてまで買おうとまでは思わないが、口に出来る機会を得るのはやはり嬉しい。
 唇に香る生姜の風味を舐め取り、織はふと、気付いた風で店主に目を向けた。
「ご店主は、子供の頃から関東でお過ごしですか?」
東の人間で冷やし飴が夏の飲み物と知る人間は稀で、それを供する知識に関西在住の経験を推察する。
「いえいえ。あたしはずっとこの場所、この店に」
場所、という言葉に微妙な含みを感じなくはないが、あっさりとかわされた。
「そうですか……」
 あしらわれたものを、深く立ち入って聞くのも難だと、織は素直に退いて溜息を吐き、また一口冷やし飴を口に含む。
 麦芽飴の風味を舌の上に転がし、こくりと喉の奥に滑り込ませて、織は再び顔を上げた。
「なら小学生の頃、夏休みの自由研究でどんな物を作ったか、教えてくださいませんか」
台場の縁に腰掛けていたのでなければ、膝を詰めていたろう勢いに、上体を前のめりに傾がせる。
 それにおやおや、と目を丸くした店主は手にした煙管をカツリと煙草盆の端に打ち付けて、織の気を払った。
「ま、よぉく目を懲らしてご覧なさいな。あたしが義務の課されてない課題を提出するような人種に見えますかい?」
無精髭も相変わらず、一見の客が何気に店を訪れても、度胸がなければ店主の姿に踵を返して出て行くだろう事は請け合いだ。
 更には、そんな胡乱さが万屋を呈する店の雰囲気に助長される。
 肯定すれば礼を欠き、かと言って否定するには己の心情を裏切る、と煩悶に凍り付く織が沈黙の気まずさを覚えるより先に、店主は空の煙管の先を緩く揺らした。
「さて、烏丸様がそうとあたしに問われるにはちと妙な。新しい御仕事がそんなご様子ですかね?」
夏休み、に懸かるようなと、思わぬ聡さを覗かせる店主に、織は肩を落としながら肯いた。
「私は今、教師の気分です……」
8月の中頃、小さな画廊を使って個展……というより催しを開く企画の話を承けたのは実に年始の頃である。
 都内の小学校に通っていた生徒達が、30年振りに顔を合わせた同窓会で、夏休みの想い出話に花が咲き、嘗て自由研究で作った品々を展示しようと酒の勢いで盛り上がったらしい。
 卒業生の一人が画廊のオーナーという事もあり、場所の確保に難はなかったのだが、ディスプレイとなると素人の集まり、しかもそれぞれに職や家庭を持つ身の為、そう時間を取れる筈もない。
 と、いう事で、そのオーナーと既知であった織に、そのお鉢が回ってきた次第だ。
 お題はずばり『夏休みの自由研究』。
 対象はイマドキの子供達、自分で何かを作って遊ぶという事のない年代に、物創りの楽しさを知って貰おうというのが主旨である。
 勿論、それに留まらず、大人に求められるのは郷愁、子供達には懐かしさの中にこそ生じる新しさ……クラスの担任が一人ずつの作品をポラロイドで撮り、残しておいてくれた記録を資料に、イメージを膨らませ、心弾む思いでディスプレイ案を作っていた織なのだが。
「提出率が良くなくてですね……」
よくよく考えてみれば、出品者の全員が社会人である上、立案が年末とくれば、〆切まで半年以上という猶予期間も仇になり、期日も近いというのに作品自体が揃わないという根本的な問題が生じていた。
 写真の形で作品が残っていたこそ幸いだが、実際の作品は想定より大きかったり小さかったりと、比較対象の無さにイメージと誤差が生じ、更には織が常に扱う作家作品と比べて何というか……出来がかなりチープなのだ。
 勿論、小学生の手に届く原材料が元なのだから仕方ないと言えばそれまでだが、嘗ての同級生の自由研究作品を念頭に置けばその齟齬に悩む結果となった。
 西と東、というより職人の多い京都の人間はそれなりに拘りも多く、レベル自体が高い。
 織とて、自由研究の題材として選んだのは専ら染色に関係する物ばかり、お家芸の功の上、無料で使える資材の潤沢さに助けられ、かなりの出来映えを誇ったそれ等を頭に置いては立ち行かない。
 下手を打てば主役である筈の作品が負けてしまいかねない、と大慌てで没にした案も何件かある。
 イメージとのバランスが悪さに葛藤した末、先の店主への質問に繋がったのだが。
「自由研究にも、流行り廃りってありますよね……」
冷やし飴のグラスを掌に包んで、織は遠くを見た。
「そいつはとんだご苦労を」
店主の労いの言葉に形ばかりは頷きながら、思考が仕事にシフトしたのか織は眉間に皺を寄せて考え込む。
「夏休み……宿題」
織の呟きを黙って聞いていた店主だが、不意に「よいせ」と声をかけて立ち上がると、台場から下りた。
 草履の裏をぺたぺたと、土間の床に鳴らしながら、壁の如く聳える棚の裏側へと姿を消す。
 唐突な店主を織が目で追い後ろ姿が消えた、棚と棚の間の隙間に目を懲らせば、薄暗さの中にちょいと招く動作で手が上下に揺れる。
 店内に他に人の姿はなく、当然自分に向けられたものだと認識して、織は訝しく思いながら店主の手が招く場所に移動した。
 商品が陳列されている場所も充分広く取られているが、影深く奥行きを掴ませない棚の並びが存外の多さで連なる様に、織は覚えた寒気に両腕を抱く。
「こちらでさ」
言って店主は半歩身を引き、積み上げられたそれを示して見せた。
「机……ですか?」
織の言葉の通り、それは机である……学童用の小さなそれは、天板から足から全て木製で、時の蓄積に古びたのかそれとも元々の色なのか、濃い茶色に染まっている。
 上下に天を合わせ、整然と並ぶ机の横には同じ風合いの小さな椅子も並んでいた。
「見ての通りの中古品、山間の小学校が廃校になる折に譲り受けた代物で。今のお話しならばこいつがお役に立ちゃしないかと、ね」
言われるより先、織の脳裏には既にそれ等を組み込んだ案が閃いている、が。
「……予算があまり」
逡巡を現わすその通り、個展でネックとなるのは先ずそれだ。
 幾ら中古とはいえ、人数分×机と椅子、の概算を頭の中に弾くだけで、予算外の文字が赤く染まる。
「あぁ、そいつはご懸念なく」
織の懸念に、店主は朗らかに請け負った。
「言わば出張販売みたいな形を取らせて頂く、なんてのはどうでしょうかね? お気に召したらその場でお買い上げ頂けばよし、そうでなければそのままお返し下さいましな。なぁに、ここで埃を被っていたとて買い手がつくでなし、陽の目を見れば人目につく事もございましょう」
店主はそう言うが、机には塵一つ積もっていない。織にしてみれば願ったり、な話だが、どうにも都合をつけて貰ったようで申し訳ない気持ちが強い。
「そのついでといっちゃなんですが」
即答出来ない織に、店主は笑みを崩さぬまま提案する。
 曰く、夏休みの工作の展示に自分も作ってみたいと言い出す子供を対象に、原材料も置かせて貰えれば、と。
 成る程、純然たる好意であれば甘えがたい申し出は、利害の一致ともなれば隙のない提案だ。
 元より万屋めいた陰陽堂、子供の工作の材料を揃えるなど朝飯前だろう。
「……上手いですね」
店の主の見通しに思わず唸る織に、店主は事も無げに応えた。
「あたしゃ、商売人ですからねぇ」
言われた職人は、脱帽するしかない。


 夏の盛りを少し越え、前日、一日がかりの準備を終えた織は、西に傾きかけた陽に目を細めた。
 半徹夜の身に、強い陽射しはキツいなぁ、というのが正直な感想だ。
 展示イベントは、本日夕刻より三日間開催される。
 開催場所である画廊は一見喫茶店のような外観を持ち、道路に面して円形の前庭の中心に植えられた柏の広い葉が涼やかな緑陰を落としている。
 その影の下、何故か次々と屋台が組まれていく……陰陽堂の店主の口利きで的屋が夜店を出す段取りがつき、まさしく夏を凝縮した催しと化していた。
 普段、画廊など気に留めない年代を対象とした展示だ。
 金魚すくいや輪投げの歓声、綿飴の甘い匂いに焼きそばのソースの焼ける香ばしさ、で集客し、展覧会の存在を知らしめておけば、少なくとも近所の、未だ自由研究に手をつきかけていない小学生は翌日の日中に開かれる予定の、有志による工作教室には顔を出すだろうという算段である。
 果たして、店主に話したのは正しかったか……職人気質の強い染織師は、事態の商売っ気の強さに、しかし確かに近所の興味を引いて、先程からわくわくとした小学生が偵察に来ている姿を見るに、是非の判断を下せなでいる。
 表の準備は玄人に任せ、織は店舗の中に戻った。
 画廊は展示がよく見えるよう、T字形の構成になっている。横幅のある部分は明日の教室の為にスペースを取り、長机とパイプ椅子、そして必要な道具が今は整然と並んでいた。
 明日になれば、あちらは裁縫、こちらは工作、と賑やかな騒ぎが巻き起こるだろう事は想像に難くなく、織もハンカチや布地を染める染織教室を開く予定で準備を済ませてある。
 思わぬ色に染まる布地に子供達の驚きと楽しみを思うと、自然と顔が綻ぶようで織は迎えるオーナーの姿に慌てて表情を引きしめた。
「ありがとうございます、烏丸さん」
頭の下げての礼に満足を感じ取り、織は微笑んだ。
オーナーであるが、主催者の一員でもある彼には、作業に関与して貰っていない。
 他の同級生と同じ立場で、イベントを楽しんで貰おうという織の心遣いだ。
 奥に長く、通路のように伸びた展示スペースに陰陽堂提供の机と椅子を並べて、展示台に活用する……高さが揃わずまちまちなのも味になり、手芸や工作、研究などの分野に分けてコーナーを作り込んである。
 特に、文字で説明を記さなくとも、それと察せられるよう織のタペストリーに工夫を凝らし、昆虫採集や模型のプロペラ機には森と空、川の水質を上流から下流へ調べた試験管立てには水を想起させ、空調に翻る布の動きも活用する。
 行き止まりに思える奥の更に奥、小さな暗がりを作って蚊帳を釣り、イミテーションの緑の葉陰にブラックライトと蛍石を仕込む。
 手芸の類は暖色のライトを使って一つ一つを光の輪の内に置けば、ビーズ細工が淡い影を落とし、フェルトのポシェットは中からビー玉を零れさせて、懐かしい風合いで時を止める。
 更には、さり気なく引き出しの中に標本に合わせ、写真や図版をたっぷり使った図鑑を仕込むなどして、子供心を擽ってみたりもする。
 他にも展示物毎に趣向を凝らし、過去と現在が混在する空間を意識したディスプレイは自信作だ。
 とはいえ、やはり未提出の輩が複数人おり、本日中に提出出来なければ忘れ物メダルという、嬉しくない表彰を受ける事になっている……因みに発案は学級会で、生徒達の改善案として施行されたのだという。
 一日は身に着けなければならないというルールの恥ずかしさに、当時の自由研究の提出率は100%だったという。
 オーナーは、場所の提供者として当然の権利と主張し、準備が終わったと聞くや、いの一番に展示を検分していた彼の喜色に、これならば他の主催者達にも気に入って貰えるだろうと安堵して、織はオーナーが手にした葉書に気付く。
 その視線の動きに気付いてか、オーナーはその裏面を織に掲げて見せた。
「恩師に展示会の連絡をして、お運び願えないか伺っていたのですが……」
その返事が、葉書なのだと言う。
 裏、一面に塗り潰された赤。
 時折滲む緑の他は、ただただ赤の濃淡のみを塗りたくった絵とも言えないそれに、店主は困惑の色を隠せない。
 毎年、卒業生達に手書きの暑中見舞いを欠かさないそうなのだが、未だ嘗てこんな様子の葉書は来たことがない、とぼやく店主に織は葉書を表に返した。
 絵葉書用の表は線で上下に分けられ、上部には住所氏名、そして下部には「12」という数字のみが記されている。
「私の出席番号です」
往時、既に白髪の目立っていた教師は彼等を最後に担任を受け持つ事はなく教職を退いたのだという。
「先生もお年を召されてますから」
手の自由も利かなくなっておいでなのでしょうかねぇ……と、思わぬ年月の経過にオーナーは寂しげな様子だが、織は納得が行かずにつくづくと赤を眺める。
 濃淡の具合も、配された緑も何かを彷彿とさせるのだが、確たる形を得ないその絵のように掴めない。
 悩んでいる間に、時間が近付いて、続々と主催者達が集まり出し、展示の妙を他ならぬ自分達で楽しんでは織に礼を告げ、そしてそれぞれに持参した、担任からの謎の絵葉書を手に首を傾げる。
 織は当日ギリギリまで提出出来なかった嘗ての悪ガキに甚だしく恐縮されながら、最後の飾り付けをする為に、脚立を持ち出して、天井に竹細工のトンボを糸と吊そうと高所に昇りかけて足を止めた。
 何気なく見下ろす風景は、夜店に群がる子供や展示に話し込む大人も一緒くたに楽しげな空気が立ち上って、心が満たされる。
 嘗て、子供達の中で過ごしていた担任、ただ一人の大人であった存在はこの視点で彼等を見守っていたのかと、感慨深く思い……織は唐突に脚立から飛び降りた。
「烏丸先生?!」
最終の提出者という後ろめたさから、展示を手伝おうと脚立を押さえていたエンジニアは織の行動に泡を食って呼びかける。
「すいません、絵葉書を……貸してください全員分!」
絵葉書を手に、談笑していた嘗ての女生徒から奪うように、付き合わされていた四枚を取ると、明確な要請を発した。
 それに打たれたように散り、また集まる6年2組の面々の、嘗てのフットワークを垣間見る織である……それを関心するより先に、織は葉書の表を出席番号順に並べ、時折裏に返して確認しながら、備品のガムテープで隙間なく繋いでいく。
 何事か、と見守る面々の前で、織は全員分を繋げて見事な正方形になった葉書に満足の息を吐いた。
「えーと、手伝っていただけますか。脚立をもう三つ……なければ机を積みましょう。そう、其処に。倒れないように押さえて下さいね。端をしっかり持って、天井にピンで固定しますから」
てきぱきとした織の指示に、理解しないまでも動きの早い大人達に、子供達も興味津々で集まってくる。
 織の指図でゆっくりと持ち上げられる絵葉書に、まず背丈の小さな子供から歓声が上がった。
 四隅から徐々に持ち上げられ、埋込式の蛍光灯の光を透かして浮かび上がるのは、満開の百日紅。
 至近、単独で見れば無秩序な赤の濃淡としか見えないが、焦点を離せばその朧な連なりは確かに花なのだ。
「そういえば……卒業の時に、記念植樹したのも百日紅だったよな」
感慨深く呟いて、見上げる男性に倣って、全員が天を望む。
 繋ぎ合わせた絵葉書を天井に置いたのは、それが一つの絵を為している事に気付いた瞬間、『炎天の地上花あり百日紅』という虚子の句を思い出した為だ。
 夏の青空の下の熱も、水の冷たさも、花火の炎も、家路の向こうに点る灯も。
 それぞれの胸に宿る想い出刻んだ想い出が、子供達も交えて新たな風景になる……一人、その様を眺めて織は穏やかな微笑みを浮かべた。
 恩師の茶目っ気に振り回されて、嘗ての団結を取り戻すそんな生徒達との関係が羨ましく、自分はその輪の内に居ない事が少し心寂しく。
 そして、織は何気なく外に目を向け、杖を突きつつ、それでいて足取りのしっかりした老人が、前庭を横切って店に向かってくる様子に気付いて、さり気なく戸口に移動した。
 本日、最高の主賓であり、最も優秀な作品を提供頂いた、彼等の担任を迎える為に。