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<東京怪談ノベル(シングル)>


Daisy

「んー、やっぱり疲れた時はトマトが美味しい〜」
 トルソーやミシン、パターンを書き起こした紙やデザイン画が書かれたスケッチブックなどがある一角から立ち上がり、神楽 琥姫(かぐら・こひめ)は少し伸びをしながら涼しげなガラスの器に盛られた真っ赤なトマトを口にした。
 つい熱中して時間を忘れてしまったが、どうやら服を作っている間に夜が明けてしまったらしい。大好きな事をしていると、寝食を思わず忘れてしまう。
「トマトトーマートー」
 部屋の中は服飾デザインや裁縫などに使う道具がたくさんあるが、カーテンは可愛らしいデザインのレースで作られていたり、大きなパンダのぬいぐるみがあったりしてかなり女の子らしく可愛い部屋になっている。琥姫がぴょんと勢いよく座ったソファーにも、ハート型のクッションが置かれていた。
 ただ他とちょっと違う所があるとしたら、ガラスの器に盛られたトマトが飾られていることだろうか。そこには普通の大きさのトマトだけではなく、プチトマトや黄色いフルーツトマトなどが盛られているが、不思議と部屋の印象を崩してはいない。それどころかかえって部屋の可愛らしさを増しているようにも見える。
「うん、完熟だと冷やしてなくても甘くて美味しい。でも、冷やしトマトもまた格別なのよね」
 一個食べ終えると、琥姫はトマトのへたをゴミ箱に放り込み今度は台所に向かう。そこにあったボウルには、氷水に浸かったトマトが五個ほどぷかぷかと浮いていた。こうやって冷やすと、トマトのおいしさが引き立つと、近所の八百屋さんから聞いたのだ。
「よいしょっと、袖を濡らさないようにしなくちゃ…」
 琥姫の今日の服装は和服をリフォームして作った上着と、白くてふわふわとしたスカートだ。ブラウス代わりの上着は和服っぽい袖や衿にフリルがついていてかなり独特なデザインになっている。だが、黄色地に赤い梅を大胆に使った着物の柄が、琥姫はとても気に入っていた。
 この着物は元々は江戸時代からのアンティークだ。体格の違いで普通に着てしまうとどうしても袖などが短くなってしまうのだが、リフォームしてフリルを付けたりしたのでそれも全然気にならない。
 大胆な色遣いが気に入って買い求めたのだが、アンティークだからと言って着ないで眺めているよりも、着られる服にしてどんどん着てあげたいと琥姫はいつも思っている。それに、リフォームするデザインを考えるのもとても楽しい。
 近くにあった布巾で自分の手とよく冷えたトマトを拭き、琥姫はそれに思い切りかじりついた。
「んー!」
 その美味しさに思わずその場で小さくジャンプしながら、琥姫は続けざまに二口目を食べた。
 琥姫はトマトが大好きで、トマトさえあれば他の食事はいらないほどだ。いつも持っているバッグにもトマトを入れていて、暇さえあれば湯水のようにトマトを食べている。湯むきしたり、ドレッシングをかけたりするのも好きなのだが、やはり基本は生に限る…と、琥姫は個人的に思っている。
 部屋に飾られているトマトも、実はインテリア雑誌で「花の代わりに果物などを飾る」というのを見て、即座に実行してみたのだ。トマトの赤や黄色は部屋の中を明るくさせ、目の保養にもなる上に食べても美味しい。
「冷やしトマト最高!」
 あっという間にまた食べ終え、琥姫は二個目の冷やしトマトを取るためにまた袖をまくり上げた。

 満足するまでトマトを食べ、ベランダーにあるプランターに水をあげながら、琥姫は朝の空気を思い切り深呼吸した。プランターに植えてあるのは、もちろんトマトの苗木だ。小さく青い実がなっているので、夏の日差しを浴びて色づいてくるだろう。
「早く大きくなぁーれ」
 東京とはいえ、朝の空気はシンと静まりかえっている。昇りかけの太陽が、そっと街を照らし出している。皆が起きだして活動を始める前の、街のドキドキ感が琥姫は好きで、よく服のデザインなどを考えていて朝になってしまった時はこの時間を楽しむことにしている。
「学校は夏休みだし、バイトもお休み…ちょっとぐらい不規則でも気にしない」
 窓を開け放ったまま、琥姫はお湯を沸かして紅茶を入れる準備をする。朝食はトマトをおなかいっぱい食べたからいいが、この時間を楽しむためのちょっとした演出だ。ミルクをたっぷり入れた紅茶を飲んで、それから街が起きだしてくる頃にベッドに入る…大学やバイトが休みの時はそれが習慣になっている。
 だが、今日はまだやりたいことがあった。
「浴衣早く仕上げたいな」
 そう言って琥姫が顔を上げ見つめた先には、和裁に使うくけ台などが置かれていて、そこには作りかけの浴衣が置いてあった。それはオーソドックスな柄を使いつつもモダンテイストな感じの男女の浴衣で一つは自分用、もう一つはプレゼント用だ。
 ミシンを使えば早く縫い上がるのだろうが、衿などをつらせ気味に縫ったり緩めたりするのなら手縫いの方がいい。それに和服は元々手縫いが基本だ。一針一針自分で心を込めて縫っていると、それだけで嬉しい気持ちになってくる。
「市松模様に桜の柄なのが、ちょっと粋でいい感じ」
 浴衣を作る反物も、自分であちこち探して見つけたものだ。日暮里には布地が安い所が集まっていて、贔屓にしている店も何軒かある。そこに何度も通い、やっとイメージしていた柄を見つけた時には、持っていたトマトを一個店の人に渡すぐらい嬉しかった。
 服飾デザインは楽しい。
 琥姫はスケッチブックにデザインをするだけではなく、自分で型紙から作成までやってしまう。平面に描いていた絵、平面の布、真っ直ぐと伸びる糸などが、パターンを起こして布を切り、しつけをしていくことでだんだん立体になっていく。そして一つの服になるのが本当に好きなのだ。
 和服を手がけたのは高校で習った家庭科の授業以来だが、直線で作られているのに着ると体にしっくりなじむ所が面白い。『洋服は曲線、和服は直線』と習ったことが、何だかとても懐かしく感じる。
 パンダのぬいぐるみを抱きしめたまま、ミルクティーを飲みながら琥姫は手紙を見た。
 手紙の主は自分が浴衣を作っている相手で、それを読み返していると早く仕上げたい気持ちがうずうずしてくる。
 浴衣を渡しに行ったら、いったいどんな顔をするだろうか…それを着た時、自分がイメージしたとおりに仕上がっているだろうか…。そんな事を考えながら、飾ってあるプチトマトをまるでスナックを食べるように口入れる。
「やっぱりあとちょっとだから、キリのいい所まで仕上げてから寝ようっと」
 ミルクティーを飲み干し、琥姫はパンダのぬいぐるみを抱き上げて、自分で動かしながら喋る。
『琥姫ちゃんがんばれー!浴衣きっと喜んでくれるよ』
「うん、頑張るね」
『浴衣が出来たら、お祝いにトマトのパスタとサラダを作ろうね』
「トマトパスタは私の得意料理だもんね。白ワインも買おうね」
 そう言うと、琥姫はパンダのぬいぐるみをソファーの上にそっと座らせて、もう一個だけプチトマトを口に入れてから服を作るスペースに向かった。
 服を作るスペースは一応生活スペースと分けている。
 それは布の切りくずや糸くずが結構散らばるからだけではなく、服を作ることに真剣な一面からそうしている。その一角の椅子に座ると自然に心がしゃきっとしてくる。
「よし、残りは衿と袖の付け縫いに振りぐけだけだから、頑張ろう!」

 和裁用の長い縫い針を使いながら、琥姫は一針ずつゆっくり丁寧に浴衣を縫っていった。
 この時だけは大好きなトマトを食べることも忘れてしまう。半返し縫い…すくい止め。袖を付けて、最後に振りぐけをしたら縫うのは終わりだ。
「やったー、後は仕上げ」
 そんな時だった。
 携帯電話のベルが鳴り、その音に顔を上げる。そこにはバイト仲間の電話番号が表示されていた。時間はいつの間にか午前十時になっている。
「はーい、もしもし」
「もしもし、おはようございます。神楽さん?」
 それを聞き、琥姫は電話の向こうの相手にちょっとふくれた。
「『神楽さん』じゃなくて『琥姫ちゃん』って呼んでくださいよー。バイト先だとちゃんと呼んでくれるのに、どうして電話だとかしこまっちゃうんですか?」
 それを聞き、電話の向こうにいた相手が笑う。
「ごめんごめん、何か電話だと顔が見えないからかしこまっちゃうんですよ。ごめんね、琥姫ちゃん」
 悪気がないのは分かっている。普通はバイト仲間であったら名字で呼び合うのが普通だろう。だが、琥姫は名字で呼ばれるのが嫌だった。どうしても『神楽』の家系を好きになれないのだ。なので、初対面の人にも名前で呼んで欲しいと言うようにしている。
「今度は気をつけてくださいね。で、どうしました?」
「琥姫ちゃん今日バイト休みだっけ?」
「お休みですー」
 そう言うと、電話の向こうでうーんとうなる声がする。バイトのシフト変更なら店の方から電話が来ると思うのだが、今日の電話は個人的なものだ。それに相手は夕方からのシフトのはずだ。琥姫はコルクボードに貼ってあるシフト票を見る。
「どうしました?」
「いや、俺の実家農家やってるんだけど、いっぱいトマト送ってきて一人で食いきれないから、今日バイトだったら渡そうと思ってたんだけど…」
 農家から直送のトマト。それを聞き、琥姫は相手に見えないのに受話器を持ちながら左手をばたばたさせた。
「それ早く言ってー、休みだけどもらいに行っちゃう。今日のシフト五時からだったよね?」
「そう、五時から。じゃあトマト持って行くよ。他に琥姫ちゃん欲しいものある?トマト以外の野菜もあるけど」
「トマトだけたくさん欲しいな」
 そう。琥姫はトマトさえあれば何もいらない。
 どんなに落ち込んでる時でも、トマトを食べれば元気が出てくる。バイト先でも弁当代わりにトマトを食べているのをよく知っているのだろう。電話の向こうから笑い声がする。
「分かった、トマトだけ持って行く。一人だと食いきれないから助かるよ…でも、自宅用のトマトだから、店で売ってるのみたいに大きさ揃ってないよ。妙にでっかいのとかあるけど、それでもいい?味は保証するけど」
「トマトだったらそれで正義!ありがとーっ、楽しみにしてるね」
「じゃあ、バイト先で…」
 電話を切った後、琥姫は自分の指を組みながら小さくぴょんぴょんと跳ねた。そろそろトマトを箱買いしようと思っていた所だったので、トマトをくれるという申し出はありがたい。
「えーと、今十時だから…ちょっと寝て、シャワーしてそれから行こうかな。帰りに小さい白ワインを買って、トマトパスタとサラダで夕ご飯に決まり!仕上げは一度寝てからのほうがいいかな…」
 しつけ糸をほどくのは大丈夫だろうが、霧吹きとアイロンを使う慎重な作業をするのなら一度寝た方がいいだろう。アイロンで布を変色させるようなことはしないだろうが、最後の仕上げは丁寧に、ゆっくり相手の顔を思い浮かべながらやりたい。
 琥姫はまた伸びをしながら立ち上がり、ソファーに座っているパンダのぬいぐるみを手に取る。
『琥姫ちゃんお疲れ様』
「ありがとう。さて、窓を閉めて着替えて寝る前に……」
 寝る前にもこれを食べなくては。
 器に残っていた最後のトマトをかじりながら、琥姫は窓から外を見た。もう車も人も動き始めて、街はすっかり目覚めている。
「おやすみなさい」
 窓とカーテンを閉め、琥姫はパンダのぬいぐるみとトマトを持ったまま、寝室に向かって歩いていった。

fin

◆ライター通信◆
初めまして、水月小織です。
日常が見えるシチュエーションと言うことで、浴衣を大事に作っている所やトマトをたくさん食べている所など、字をみっしり詰めて書いてしまいました。
人にプレゼントする物を作るのは楽しいしワクワクするので、その様子が伝わればいいなと思います。タイトルの「Daisy」はヒナギクのことですが、「すてきなもの」という意味があります。
リテイクなどはご遠慮なく言ってくださいませ。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。