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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


呪われた空の下に

「日本のみなさんとこうしてお会いできたことを、とても嬉しく思います」
 男が話す英語は、即座に通訳者が日本語に変えて、会場を埋める聴衆へと伝えられていく。
「わたしたちは、地球と言う大きな家に住むひとつの家族です。ハートをオープンにしましょう。すべてを受け入れれば、地球はあなたに応えてくれます。無限のヒーリングが、そこから得られるでしょう」
 会場は、熱心に男の言葉に聞き入っている。
 話者は浅黒い肌の、三十歳前後の男と見えた。漆黒の髪を長く伸ばし、うしろで一本の太い三つ編みにしている。その双眸には強い光が宿り、壮健な意志のちからがあふれているようだ。
 壇上の横断幕には「癒しのメッセンジャー デニス・スカイシーアー来日記念講演」とあった――。

「インタビューのアポが取れたわ。ところが残念きわまりないことに、その時間、空いているのが三下くんだけなの。助っ人を頼んでもいいからヘマしないようにね」
 麗香はそう言って取材対象者の資料を、どさりと、三下に渡した。
「知ってると思うけど、おさらいするわよ。……デニス・スカイシーアーはカナダ国籍、北米先住民オジブワ族のメディスンマン――ヒーラーの役割をもつ一種の呪術師ね――の血を引くという触れ込みの人物よ。彼は数年前、北極圏を旅したおりに遭難して、ただひとり生還し、それをきっかけに、“大いなる地球の意志”を伝えるメッセンジャーとして覚醒したのだそうよ。その後、著書の『導きの風』がヒットして日本でも有名になったけど、今回の来日の目的はナゾ。そのへんも聞き出して欲しいのよ」
「は、はい」
 三下は、重責に緊張した面持ちで頷いた。
「約束は×月×日の13時。彼が宿泊している、品川の××ホテルに行って、直接、××号室を訪ねていいそうよ」
「あ、あの……僕、英語はわかんないんですけど……」
「それは平気。付き人で秘書の男性が日本語がペラペラらしいわ。ほら、例の講演のVTRで通訳をしていた人よ」
「ああ、それなら安心ですね……」
 三下は安堵の息をついた。だが……。

 当日――
 取材の約束で、ホテルの部屋を訪れた三下を待っていたのは、惨劇以外のなにものでもなかった。
「あれ、おかしいな……」
 ノックに返事がない。
 なにか行き違いでもあったのだろうか。フロントに申し出ると、ホテルの従業員は怪訝な顔つきになった。
「おかしいですね。つい先ほど、ルームサーヴィスのお電話があったのですが……。そういえば、部屋に行ったボーイが戻っていないようです」
 ここで帰っていればいいものを、のこのこと着いて行ってしまうから、三下忠雄はいつも恐ろしい目に遭うのである。だが、この状況下で、事態を見極めないというわけにもいくまい。
 フロントの係がマスターキーでドアを開ける。
 開けた瞬間、居合わせた人々は、むせかえるような匂いに顔をしかめる。
 直感的に、それが血の匂いであることがわかった。
 誰かの悲鳴。
 三下がへたりこむ。
 ホテルの部屋には、デニスも、秘書の男もいなかった。そのかわり、ボーイとおぼしき人物が倒れ臥し、高価そうなホテルの絨毯が、ぐっしょりと濡れているのである。
「あ、あ、あ……」
 三下は見てしまった。そして意識を失う瞬間、ボーイの頭が、夏の浜辺のスイカのようにぱっくりと割られていること、そしてその頭蓋の中が、奇妙なほどぽっかりと空洞になっていることを、見て取ってしまったのである。

 ほぼ同時刻。
 すこし離れた新宿御苑においても、奇怪な事件が起きていた。
 重い、大きな音に振り返った人々は、原っぱの真ん中に、人が倒れているのを見た。一瞬、前まではそこにいなかった人物だ。
「人が落ちて来た!」
 そう主張するものがいた。
 おそるおそる近寄ったものが、男がすでに生き絶えていることを知らせると、公園は騒然となる。
 スーツ姿の、白人男性だった。
 あるいは三下がここにいたら、それが、例の、デニス・スカイシーアーの秘書であることに気づいたかもしれない。
 男の顔に血の気はなく、その表情は……形容しがたい驚愕と恐怖のまま、蝋人形のように固まっていた。
 人々は呆然と、空を見上げた。
 晴れ渡る空には、何も見えぬ。
 この死体が落ちて来たというのなら、いったいどこから落ちたというのだろう。

■脳のない死体と凍りついた死体

「ええ、そう。今、ホテルの人に警察への連絡をお願いしたところ。三下さん? ああ……そこで伸びてますけど……。とりあえず、私たちは、アトラスの臨時バイトということで受答えしておきますから……」
 携帯電話で話しているのは光月羽澄。どうやら、事情を編集部に連絡しているようだ。本来なら、そういったことをすべき正規の編集部員。三下忠雄は、羽澄が報告したように、理性的なふるまいがとれる状態にはない。
 彼の取材に同行した外部のスタッフは、偶然、女性ばかりだった。
 だが、この3人の女性はいずれも、三下よりはずっと豪胆だったというわけだ。三下が度胸がなさすぎたのかもしれないが。
「はい、わかりました。……え? 現場? それはいいですけど……警察が来るまであんまり手をくわえないほうがいいんじゃ…………。あれ」
 羽澄は電話を中断して、そばに立っているマリィ・クライスに訊ねた。
「桜子さんは?」
「え? あら。さっきまでいたのに」
「……すぐまた連絡します」
 羽澄は電話を切ると、部屋へと踏み込んだ。
 そして、死体の傍にほとんど這いつくばるようにしている京師桜子の姿をみとめるのだった。
「死体にさわらないほうがいいと思うけど」
「あっ、あの、わたし――」
 ぱっと起き上がって、桜子は、もごもごと言葉を濁した。
「こ、怖いもの見たさって、ありますよね。怖くて仕方ないときほど、それを見ずにはいられないっていうか」
「そのわりには熱心に観察してたみたいだけど。何か見つかった?」
「はい。頭蓋の内側に引っ掻いたような跡があります。爪状のもので脳を掻き出したんじゃないでしょうか。……って、桜子、怖い!」
 まるで検死官のようにいやに的確な意見を述べてから、桜子は思い出したように、羽澄に抱き着いた。
「それだけわかれば充分」
 苦笑する羽澄の後ろから、マリィが死体を覗き込んでいた。
「でも、頭の中身はどこにいったのかしら。……それとも、何に使ったのか、というべきかしらね」
「使った?」
 羽澄がマリィを振り返る。美貌の骨董店主は面白くもなさそうに頷いた。
「わけもなく人の頭なんかカチ割らないでしょ。それに、桜子ちゃんの死体所見通り、脳を取り出したのなら、この殺人の目的は脳を手に入れることよ。何か、脳が必要になることがあって……それでボーイを呼んだんだわ。やれやれ、例の呪術師にちょっと興味があったから着いて来たんだけど、こんなことになるなんて。あら……」
 マリィは、部屋の中に落ちている銀の盆を見た。そして、絨毯の上に転がっている小さな瓶。念のためハンカチをかぶせてから拾い上げる。
「これって頭痛薬だわ」
「あの……ボーイさんはルームサーヴィスで呼ばれた、って。でも食事のワゴンとかは見当たらないですから……それを持って来たんじゃないでしょうか」
 桜子が、まだ羽澄にしがみつきながら言った。
「薬を持って来てくれって? でもそれは罠だったわけよね。……客が頭が痛いといってボーイを呼んで、そのボーイの頭を割ったわけ。なんだか、ヘンな冗談みたいねェ」
「失礼。よろしいですか。……おっと、これはこれは」
 開けっ放しのドアをノックしつつ、戸口に顔を見せたのは、真っ黒なスーツに、黒いネクタイを締めた男だった。
「そこで倒れているのはアトラス編集部のミスター三下ですよね。あ、私、ジェームズ・ブラックマンといいます。ここのラウンジはなかなかいいコーヒーを出すのですが……今日は興味深い事件も提供してくれたようだ」
 ジェームズと名乗った男は、死体にも怯む様子とてなく、ずかずかと部屋に入り込んでくる。
「で。詳しい事情をお聞かせいただくのは、どちらのレディにお願いすればいいですか?」

「おい」
「……え。あ、はい?」
「こんなところで寝ていると死体と間違う」
 ケヴィン・トリックロンドが身を起こすと、彼のまわりには人だかりが出来ていた。
 そして、一人の男が、彼をのぞきこんでいたのである。
「あー、すみません、なんか、すっかり寝込んじゃって。デパ地下でお弁当買って食べにきたんですけどね〜。……でも、死体と間違うだなんて、ちょっと失礼ですヨ。まあ、それも言うなら、眠れる森の美女ならぬ、眠れる新宿御苑の美男子……って、あれ?」
 男があれを見ろ、とばかりに、顎をしゃくった。
 ケヴィンは、青い目をしばたく。
 そこには、一人の白人男性が、仰向けに倒れている……ように見えるのだが。
「念のため聞くが、知り合いではないんだな。たまたま居合わせたということでいいか」
 男が訊ねた。
 ケヴィンはとりあえず頷いた。倒れている男は知り合いではなかったからだ。だがそれは白人男性のようで、ケヴィンもまた、長い金髪をリボンでまとめた碧眼の(自分で美男子などというのはどうかと思うがたしかに整った美しいといってよい顔立ちの)白人なのである。
「あのー。あれ、亡くなっておられるんですよね」
「の、ようだな。空から降ってきたらしい」
「ファンタスティック! 降るところ、見られませんでした、残念!」
「数メートル隣で昼寝しておいて何を言う」
 男は、死体の傍に近寄っていった。ケヴィンもあとに続く。他にも野次馬がいるが、死体に寄って来る度胸のあるものはいないようだった。
 ケヴィンは死体と、男を交互に見比べた。
 男は長身の、スマートな、二十代後半と見えた。背中の中ほどまである長い髪は銀色で、不思議に白い肌に、赤い瞳は、彼が何人とも知れぬ印象を与えていた。しかも、赤い瞳の瞳孔部分だけが白いのを、ケヴィンは見てとっている。
「あの、お名前うかがっても? マイ・ネーム・イズ・ケヴィンです。ケヴィン・トリックロンド。英語のセンセイやってます」
「神島塊」
 相手は、さして興味なさそうに、短く名だけを名乗った。
「見ろ、凍りついている」
「え――」
 死体の男は、かッと目を見開いたまま絶命している。
 そして、この夏の陽射しの中でも、手を近付ければひんやりするほどに、それは冷えきっていたのである。
「空から降る、凍りついた死体、か。ここが北米なら答はすぐ出るが、はたして、真夏の日本でそんなことが起こるものか否か」
 塊という名の男は、自問するようにそんなことを呟いた。
「それってもしかして……ウェンディゴのことを言ってる?」 
 ふいにケヴィンが言った言葉に、塊の鋭い眼光が、その飄々とした態度の白人を射抜く。
 ケヴィンは、にっこり、と微笑んだ。無邪気なようでいて、どこか含みのある笑みであった。

■消えた呪術師

「そうですか。いや、実は先日、『導きの風』を読んだばかりでして。まさかミスター・スカイシーアーが来日してこのホテルに宿泊中とは知りませんでした。でも、まあ、消えてしまったんですよね?」
 ホテルのロビー。
 警察が到着して騒然となる中、とりあえず、場に留め置かれている面々だったが、ジェームズは相好を崩すことなく、その日何杯目になるのかわからないコーヒーを前にしていた。
「アポイントがあったのだから、部屋にはいたはずね」
「でもいなかった」
「秘書の方もいませんよ。通訳していただくはずだったんですもの」
 桜子が指摘する。
「殺害は、わりと直近ですよね」
「ええ、死後硬直もはじまっていないし、血の渇き具合から見ても、あれは殺害直後の死体です……やだ、怖いです、私」
 と、今度はマリィの手をぎゅっと握る。
「凶器は何を使った知りませんが、人の頭なんか割って、返り血も浴びたでしょうにね。ホテルの廊下やロビーを通って外に出たとは考えにくい。……いや、実を言うと、さっきの部屋ね。たぶんミスター・スカイシーアー本人とあと2人――秘書とボーイだと思いますが、合わせて3人ぶんの残留思念しか感じられませんでした。ま、普通に考えて、2人が犯人ということになりますか」
「秘書の人は違うかもしれないわ」
 羽澄だった。
 席を外していたのが戻って来て、椅子にかけながら、彼女は言った。
「新宿で死体で見つかったんですって」
「新宿!?」
「それも……死体が空から降ってきたらしいの」
「ははあ、品川から消えた人物が、殺されて――当然、殺されたんですよね?――新宿に出現ですか。これはどんな時刻表トリックですかね」
「それは予想外だったかも」
 マリィが、苦々しげに言った。
「事前に、デニスのこと調べておいたのよ。アメリカのほうのコネも使って。……彼、住居を転々としているのね。そして……彼のいた町では、過去に似たような殺人事件が起こっていることがわかったの。そのへん、見極めてやろうって思ってたんだけど、一足遅くて東京でも事件が起こっちゃったわ。でも秘書まで殺されたのはヘンね。私は、かれらが何らかの呪術的な目的で人間の脳を必要としているのかと思ったんだけど」
「レディ、私の考えを述べても?」
「ええ、どうぞ、ブラックマンさん」
「来客のアポイントメントをとっておきながら、その部屋で来客前に殺人など犯すでしょうか? かれらに、何か突発的な事情が起きたのです。秘書の死もそれを裏付けているのでは? かすかにですが、空間の歪みを感じたことも、死体が新宿にあらわれたことで合点がいきました。ミスター・スカイシーアーは新宿にいますよ」
「私もたぶんその可能性が高いと思う。秘書のことはもっと調べたほうがいいわね。肝心の、デニスの来日の目的もわかっていないし」
「あのぅ」
 桜子が言った。
「これ、役に立ちませんか?」
 彼女が取り出したのは、書類のようだったが。
「これは?」
「部屋のデスクにあったんです」
「! もってきちゃったの!?」
「だって、捜査の手がかりになるかも……って、私……」
 桜子の大きな黒い瞳が、潤んで、羽澄を見つめた。
「……。まあ、今さら返しにいくのもかえって何よね。……これ、なにかのリストかしら。英語だけど」
 羽澄はさっと目を通した。目につくのは「Hospital」という単語。
「病院……。都内の病院のリストだわ、これ」
 羽澄の目は、そのリストの中に、ペンで印がつけられている箇所をみとめる。緑の瞳が、思案げに細められた。

 羽音を響かせて、木陰に舞い降りてきたものは、異形であった。
 うすい昆虫の羽――それが何対も、彼の背中で震えていたが、それは見る間に、体内へと引き込まれてゆく。
 そしてすっと身をおこせば、そこに立っているのは金髪碧眼の美貌の紳士――ケヴィン・トリックロンドに他ならない。一瞬、その緑の瞳がまばたきする直前、それがあやしい複眼に変じていたように見えたのは気のせいか。
「どうだ」
 ふいに声を掛けられ、ケヴィンははじかれたように振り返る。
 木陰に、神島塊の姿があった。
「まだ、いたんですね」
「なかなか剣呑なものがうろついているようだからな。で?」
「涼しかったですよ。空の上は」
「そういうことは聞いていない」
「いえいえ、ですからぁ、……異常に空気が冷えていたんです。この季節にしてはありえないくらい」
「……」
 塊は腕組みをして、ふん、と鼻を鳴らした。
「本体なのか。アレが来ているのか」
「いずれにせよ、痕跡だけでした。死体を放り出して、またどこかへ去って行ったようですね。それと――」
「待て」
 塊が、ケヴィンを遮った。
「誰だ」
 誰何の声にこたえて……、新宿御苑のはずれ、木立がつくる陰の奥から、すうっと、まるでその影が凝固したような、黒衣が姿をあらわす。
「失礼。立ち聞きするつもりもなかったのですが。私、ジェームズ・ブラックマンと申します。さきほど、ここで発見された死体について、何かご存じとお見受けします」
「誰かは知らん」
「それはお答えできますよ。彼は、カナダの、あるシャーマンの秘書を務めていた男性です。品川のホテルにいるはずが、どういうわけか、新宿で死体になった」
「シャーマンだと」
「ネイティヴアメリカンだ。そうでしょう?」
 ケヴィンが、我が意を得たりと言ったふうに言った。
「ええ、たしか、オジブワ族といったかな」
 塊とケヴィンが顔を見合わせる。
「間違いないな。ウェンディゴの仕業とみていいだろう」

■ウェンディゴ憑き

「ふうん、要するに、北米先住民の伝説や民話に登場する精霊のことよね」
 新宿の雑踏を窓の外に眺められるカフェの席で、マリィが首を傾げた。
「そう。氷の精霊と言われていますが、妖怪か死神のようなものと思ったほうがいいかもしれないですね〜」
「冬のカナダならいざしらず……真夏の東京でねぇ。デニスはそれを召喚したのかしら」
「マリィさん。実は『導きの風』にもそれらしいことが書いてあるんです」
 桜子が言った。どうやら取材の予習ということで、件の書を読んでいたらしい。
「そうなの?」
「北極で遭難しかかったときに、風の中に超自然的なものの声を聞いた、みたいなことが書かれていて……ウェンディゴとはああいうもののことかもしれないとか……、曖昧に書かれているんですけど。でも、私、それで気になって調べてみたんですけど、『ウェンディゴ憑き』っていう病気があるんですって」
「そう! それですよ!」
 ケヴィンが叫んだ。
「ウェンディゴに憑かれたものは、自分もウェンディゴになってしまうとされてるんです」
「ええ、でもそれはそういう伝説の話で……、ウェンディゴ憑きっていうのは、ウェンディゴに憑かれたと信じ込む一種の精神病だと言われているんですけど」
「ちょっと待って。ややこしい」
 マリィが、指先に髪を巻き付けながら、眉をひそめた。
「つまりこういうことよね。……北米先住民の伝説の中にウェンディゴという存在がある。ウェンディゴに接触すると、人間もウェンディゴになってしまう。これがウェンディゴ憑き。そして、自分がウェンディゴ憑きになってしまったと思いこむ精神病がある」
「そういうことです」
 桜子がにこりと微笑んだ。
「この件がウェンディゴに関係しているという根拠は?」
「死体が凍りついていた」
 ぼそり、と低い声で塊が答える。
「人を凍りつかせ、放り出すのがウェンディゴのやり方だ。そしてオジブワ族のシャーマンと聞いて間違いないと思った」
「デニスは『ウェンディゴ憑き』だと……」
「ウェンディゴ憑きの心臓は氷になる。そうなると、もう殺すしかないんですよ」
 さらり、とケヴィンが言った。
「でも」
 桜子が口を挟む。
「病気なら、治せるかもしれません」
 あ、と、マリィはちいさく声をあげた。
「それで病院!?」
 ちょうどそこへ、ジェームズと羽澄が戻ってくる。
「すぐ調べがついたわ」
 例のリストをテーブルの上に広げる。
「このリスト、都内と近郊の、脳外科か神経内科がある病院なの。それも、その方面で有名なところばかり」
「今回の来日の企画を主催したのは『導きの風』の訳本を出版した会社ですけど、担当編集つかまえて問いただしてみました」
 とジェームズ。
「このリストの作成にも一役買ったようです。オフレコ的には……デニスは日本でなにかの治療を受けたかったらしい」
「ウェンディゴ憑きは精神病じゃなかったの?」
「ドクターに聞いてみればわかるかもしれないわ」
 羽澄が、リストの中のひとつを指した。
「この印がついている病院にはデニスの秘書がアポを入れていたの。この病院はちょうど今日。アトラスの取材の後に行くつもりだったのね。もしかしたら――」
 かれらは目を見交わした。
「デニスがあらわれるかもしれない」

  *

 ――ずきん。

 頭が痛い。
 まるで……脳の中に、異物でも埋め込まれたように、頭の中が疼く。傷むたびに、視界がぱっと赤く染まって……ひどい目眩に足元がふらつく。
 こんなことを続けていてはダメだ、とロブは言った。
 そんなことはわかっているとも。
 だが……、どうしろっていうんだ。あのときは、他に方法がなかった。
 今だって……、自分で自分を止められない。だんだんひどくなっているんだ。頭痛を抑えるために、ボーイには薬を頼んだ。それだけのつもりだった。殺すつもりなんて。でもどうしても……欲しくなってしまった。
 ロブがわたしを責める。
 そんなことは、わかっていると言ってるじゃないか。
 気がつくと、ああ、神様――、ロブまでが……、あれがこの空にもいる。
 何故、気づかなかったんだ。あれは世界中、どこの空にもいるんだ。
 北極の、オーロラ舞う空だけでなく。
 そして、わたしは、もう逃れることができない。あれが空からわたしを見ているから。いつもわたしを見下ろして、気まぐれに、何もかもを空に連れて行ってしまう。ロブが連れていかれるときの悲鳴が耳から離れない。
 頭が痛い。
 病院へ行こう。医者が……日本の医者が、きっとなんとかしてくれる。
 ああ、でも……
 頭が――

  *

 ちょうど、夕方の外来受付が終わる時間だった。
 待合室は外来患者や見舞いの足が引けて、がらんとしている。
 それだけに、フロアを横切る、背の高い姿は目立つ。黒髪に褐色の肌だが、その顔立ちを見れば日本人ではないらしいとわかる。長い黒髪は、一本の太い三つ編みにして後ろに垂らされ、それは背の中ほどまであった。
 言うまでもなく、デニス・スカイシーアーである。
 熱っぽいまなざしは、何を映しているとも知れず、どこかおぼつかない足取りで、オジブワ族のメディスンマンは、病院の廊下を歩む。
 日本語は知らないはずの、そしてここには初めて来たはずのデニスがどうやってたどりついたものか――、まるで最初からその場所がわかっていたように、階段をのぼり、廊下の角をいくつも曲がって、彼が立ち止まったのは、「神経内科」という掲示のあるドアの前だ。
 ドアノブに手をかけ、回す。
 彼は、滑り込むように部屋へと入った。
 もう日暮れというのに、部屋には電灯がついていない。
 しかし、うす暗い中に、誰かいるのは間違いなく、シルエットが浮かび上がっている。よろよろと、デニスはその人影に近付いて――
「ウェンディゴ憑きは――」
 その人影が、ふいに声を発した。
「斧で処刑するがしきたりと聞くが」
 神島塊が、冷たい眼光で、デニスを見返していた。

■禁忌

 どちらからともなく、ふたりは動いた。その瞬間、裂帛の気魄が迸る。それにともなう、獣のような咆哮は、果たしてどちらのものだったか。
 ごぼり、と、塊の二の腕のあたりが不自然にもりあがり、それががばりと、牙だらけのあぎとを開けた。があッ、と吐き出されたのは、黒光りする銃だった。
 銃声――!
 ……というよりも、ほとんど爆発音に近い。
 小さく見えるが相当な威力のある火器のようだった。
 デニスはのけぞって、野生動物のような俊敏さでそれをかわした。そのまま転がるようにドアを抜ける。
「あっ」
 廊下には、ひとりの少女が、まるで迷い込んだように立っている。
 桜子だ。
 ぎらぎらとしたデニスの眼が、桜子のきょとんとした視線とかち合う。次の瞬間、デニスは獰猛なうなり声をあげて彼女に掴み掛かっていた。普通なら悲鳴をあげるところ――、しかし桜子は、自分よりはるかに上背のある男の、衿を掴むと、あざやかな背負い投げを決める。
「桜子ちゃん!」
 マリィの声だ。残る面々が廊下の角から姿を見せる。
「独りで動いちゃいけないって――」
「あーん、怖かったですぅ」
 ひし、とマリィにしがみつく。
 一方、デニスは、四つんばいの姿勢のまま、廊下を走り出す。
 廊下の突き当たりは窓だ。
「逃げるわ!」
「待て!」
 塊が呼ばわるのも、むろん、聞き入れることなく、ガラスを突き破る。
 塊と、マリィが、そのあとに続き、窓から飛び出して行った。はたして、そこは二階だったのだが。
「人外組は元気なことだ。私たちは非常階段から行きましょう」
 ジェームズが言った。
「大丈夫なのかしら」
 羽澄の言葉は、仲間を心配しているわけではない。
「ええ……。かなり症状が進行しているようです」

「知ってましたか!」
 びゅん、と空を切ってふるわれる鞭。
 いや、鞭ではない……鞭のような形状に変化したケヴィンの腕だ。昆虫の羽で空中に位置しつつ、ふるう鞭の先には鋭い鎌の刃が光っていた。
 ずん、とその刃が、デニスをかすめて地面に突き刺さる。
「ウェンディゴ憑きは火の中に突き落とすしかない……っていわれているのを!」
 彼は英語で呼び掛けている。デニスが理解できるように。
 うしろから、塊とマリィ、そして遅れて残りの面々が駆けてくるのが見える。
「わたし……は……」
 デニスは言った。
「違う――」
「ウェンディゴ憑きじゃない、と? でも、ホテルマンはあなたが殺したんでしょ? もっと他にも、死んだ人がいるはず」
「ち、違う……違う!!」
 デニスは頭を抱えて、叫んだ。口の端から、白い泡が漏れる。そのまま、ぱっと方向を変えて、うしろから近付いてきていたマリィへ突進してゆく。
「ちょっと!」
 かるがると、彼女はデニスの突進をうけとめ、闘牛めいた体さばきでかわしたが、そのとき、つかまれた服の袖がびりりと破れてしまった。
「幾らすると思ってるのよ! ……三下に請求するしかないわね、もう!」
 デニスを、塊が地面に押さえつけた。
「氷の心臓を溶かす――、そうだな?」
 ごぼり、と肩からはえる異形の龍の頭。ごう、と炎の吐息が空気を焦がした。
「違う! やめろ! やめてくれ!」
「デニスさん」
 ケヴィンが言った。
「あなた、北極圏で遭難したんだってね」
 デニスの顔は蒼白だった。
「そのときなんでしょ。憑かれたのは。……そのとき一緒だった人はどうしたの? 生存者はあなただけ。……なぜあなただけ生き残れたのか」
「仕方――なかったんだ」
「なぜウェンディゴ憑きは処刑されないといけないのか。斧で首を切られたり、火で焼かれたりしなければいけないのか。それは、ウェンディゴ憑きが絶対に許されない禁忌の結果だから」
「わ、わたしは……」
 デニスの形のよい唇が、決定的な言葉を紡ぐのを、皆、どうしようもない虚無感にとらわれて見ていた。
 
「お友達、食べた?」

 ずきん。
「あ、ああ、あ! あ! あ!」
 デニスが猛然と暴れ始めた。
「あ、頭が! 頭が痛い!」
「食人の禁忌――」
 悶え苦しむデニスをひややかに見下ろして、マリィが言った。
「それを犯したものが、罪の意識からか、自分が人間でないものになったと思いこむのがウェンディゴ憑き。でもあなたの場合は、もうちょっと複雑だったみたいねぇ」
「頭が……頭が痛いんだ……」
「今すぐ入院すべきよ」
 羽澄の声には、憐憫と労りが混じっている。
「これ以上人の脳を食べたってもっとひどくなるだけ。だってその病気は……人を食べたことで、異常プリオンから感染したんだもの」
「つまり狂牛病と同じ原理ってことですね」
 ジェームズがつけくわえる。
「北米に伝わるウェンディゴ伝説を、すこし違う観点から見直すことができそうですね。きっとあなたの症例は貴重なデータを――」
 ジェームズが言いかけたのは、彼なりの慰めだったのだろうか。
 だがそれより先に、その風が、かれらを襲った。
 夏の宵の蒸し暑さを一瞬で吹き飛ばした、それはひどく冷たい風だった。
「ああ、き、きた……あいつ――が……!」
 デニスが絶叫する。
「空から! 空にいるんだ! あのときもいた! あ――、い……イア! イタカ! 風に乗りて歩むもの!」

 ごォう――!

 突風――、いや、暴風だった。
 羽澄の鈴の音がとっさに結界を張りめぐらせたが、そうしなければ、立っているのもままならないほどだった。
「いけない!」
 マリィが鋭く叫んだ。
「空を見ちゃだめよ!」
 言いながら、傍にいた桜子をぎゅっと抱き締めて、彼女を守った。
 そして自身は、金の瞳で空を睨み付ける。
「わあ」
 ケヴィンがどこかうれしそうな感嘆の声をあげた。

 その夜――
 東京上空に、原因不明の異常な寒波が、ほんの五分間だけ、観測された。
 高空の気温が、一瞬だけ氷点下にまで下がったのは、まさに前代未聞の出来事で、気象庁は始まって以来の騒ぎになったようだった。
 その五分間。
 東京の空に、爛々と赤く輝く星のようなものを見たという人々の声が、ネットや雑踏で囁かれている。それはまるで、なにか巨大なものが空からこの街を見下ろしている、眼のようであったとも……。

  *

「いい香り」
 桜子がカップを持ち上げると、さわやかな香りがぱっと広がった。
「素敵でしょう。このお店、ハーブティーが有名なの。ほら、オジブワ族といえば、ハーブに詳しいことでも知られているから。……茶葉も売ってるから、買っていくこともできるわよ」
 店のセレクトは羽澄によるもののようだ。
「買っていくって……まさかお見舞いに行くつもり?」
 マリィがあきれたように言った。
 デニス・スカイシーアーは、都内の某病院に入院中だ。
 表向きは脳腫瘍ということになっている。
「いいんですか、あのままで」
 ハーブティーの店に来てまでブラックを啜っているジェームズが言った。
「遭難時の最初のときは緊急時ですからまだいいとして……あとあとの事件は殺人でしょう」
「今のところ大人しくしているみたいですし、いいんじゃないですか?」
 ケヴィンがのんきな声を出す。
「それになんというか、他人とは思えないようなところも……ああ、いやいや」
 ハーブティーを啜って言葉の続きを誤魔化す。
「必要なら滅するまで」
 塊が、静かに言い捨てた。
 それは真理だ。他になしようもない。
 季節は、まだ夏。
 東京の街はうだるように暑く、生温いそよ風ひとつ、吹いてはいなかった。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1282/光月・羽澄/女性/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【2438/マリィ・クライス/女性/999歳/骨董品屋「神影」店主】
【4859/京師・桜子/女性/18歳/高校生】
【5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人 & ??】
【5462/神島・塊/男性/132歳/半妖】
【5826/ケヴィン・トリックロンド/男性/137歳/神聖都学園英語教諭・蟲使い】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。お待たせしました『呪われた空の下に』をお届けします。
なんだか久しぶりの通常調査依頼になってしまいました。
こういう、救いがあるのかないのかわからないのも、2号の初期の
調査依頼のパターンだったわけですが、今回は久々にそのノリで。

しかし、みなさん、カンのいい方ばかりで驚きですよ。
こちらの仕掛けが底が浅かったのかもしれませんが……。

>光月・羽澄さま
いつもありがとうございます。今回、どの程度まで、予想していただいていたかわかりませんが、羽澄さんはなにげにこの手の存在との遭遇率が高いですね。目をつけられちゃうと、あの人やあの人(誰!?)みたいにひどいことになるのでご注意を。

>マリィ・クライスさま
マリィさまなら大丈夫だろうということで、クライマックスでは例のものもしっかり凝視。さすがに本体と格闘するところまでいきませんでしたが(笑)、そのくらいマリィさまなら……いやいや。服代は三下くんが泣きながら弁償しました。

>京師・桜子さま
お久しぶりでございます。今回の見どころは検死官・桜子。2号はドラマとかの検死シーンがやたら好きなので、楽しく書かせていただきました。そして推理が90%正解でしたのにドッキリ。名探偵でもあらせられましたか!

>ジェームズ・ブラックマンさま
調査依頼でははじめて書かせていただくことになりますね。ホテルのラウンジに居合わせるというのが、不気味なほど自然な導入で笑えるほどでした。もうちょっと、すっとぼけたシーンも入れたかったのですが、わりとシリアストーンで進んだ本作でした。いかがでしたでしょうか。

>神島・塊さま
はじめまして。ちょっとたぶん、本来のPCさんよりクールめな描写になっているような気がしないでもないですが、こういう内容ですのでー……。PLさまのイメージとそう遠くなく、描けていればさいわいです。そしてこちらもズバリ賞でした〜。

>ケヴィン・トリックロンド
はじめまして。いやいや、設定がなかなかこう……今回のお話にあつらえたようなところもありました。こちら、3人目のズバリ賞様でした。それはそうと、デパ地下のお弁当は食べ損ねちゃったかもしれません。

このたびは、ご参加ありがとうございました。
それでは、また機会がありましたら、どこかでお会いできればと思います。