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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


渋谷奇談

「三下くん、ちょっと渋谷まで行ってくれないかしら」
 熱気に包まれた編集部に碇麗香の声が響き渡った。冷房が機能しているはずだが、まったく効いていないかのような蒸し暑さだ。梅雨が上がり、本格的な夏へ突入したせいかもしれない。
「えっと、それは取材ですか?」
「当然でしょ」
 なにを決まりきったことを聞いているのだ、とでも言わんばかりの口調で麗香が言った。その言葉に三下の表情が少し強張る。
「最近、渋谷で若い人間の行方不明が相次いでいるらしいのよ」
「行方不明、ですか? 家出とかじゃなくて?」
「まあ、自発的に家出をした可能性も考えられるけど、それにしても数が多いのよ。私が把握しているだけで、ここ1ヶ月に15人。それも男女を問わずよ」
 麗香の言葉に三下は小さくうなずいた。確かに決して少なくない人数だ。
 夏休みに入り、開放的な気分となった若者たちは、なかなか自宅へ帰りたがらない。特に夏休みを利用して地方から遊びに出てきた人間には顕著にそうした傾向が表れる。
 そして、それは同時に様々なトラブルに巻き込まれることも意味していた。
 子供を食い物にしようとする大人。犯罪。そして不可思議な現象も。
 そのいずれに巻き込まれても、ただで済むとは思えなかった。
「というわけで、ちょっと調べてきてちょうだい」
「ぼ、僕がですか?」
「他に誰がいるの?」
 その言葉に思わず三下は編集部を見回すが、誰一人として三下と目を合わそうとする人間はいなかった。編集部にいる誰もが理解しているのだ。三下と一緒に取材をするとロクなことにならないということを。
(みんなの裏切り者……)
 胸中で恨み言を吐きつつ、三下は麗香の命令に従うより仕方なかった。
「ああ、三下くんだけじゃ不安だから、誰かついていってあげて」
 編集部に麗香の声が響き渡った。

「んで、どうするよ?」
 まず口火を切ったのは弓削森羅だった。麗香の言葉に名乗りを上げた5人と三下が編集部の隣にある会議室へ集まり、どのように取材を行うかの議論を始めようとしていた。
「とりあえず、渋谷に行くしかないんじゃないの?」
 ヴィヴィアン・ヴィヴィアンが答えた。長い銀髪に赤い瞳が印象的な女性だ。夏のせいなのか、その異様に露出度が高い衣服に少年たちは目のやり場に困っているようでもある。
「そりゃそうなんだけどさ、みんなで固まってても仕方ないっしょ?」
 少し照れたようにヴィヴィアンのほうへ目を向け、天波慎霰が言った。
「まあ、固まっててもしゃあないわな。手分けしたほうが効率いいだろうし」
 森羅がうなずきながら慎霰の意見に同意した。
「じゃあ、ここで何人かに分けちゃわない?」
「そうだね。ちょうど6人だし、2人ずつ3グループがいいかな? それとも3人ずつ2グループにする?」
 ヴィヴィアンの言葉に慎霰が提案する。
「あの……」
 その時、隅のほうで声が上がった。全員が振り返ると、そこには長く艶やかな黒髪の少女が座っていた。いや、最初からいたのだが、今まで積極的に発言しなかったため、会話に入り込むことができなかったのだ。
「あの、もう1人来るので、私はその人と一緒に行動したいのですが……」
「もう1人?」
 少女――神崎美桜の言葉に、ヴィヴィアンが首をかしげた。
「はい。危険なことがあると怖いので、護衛をお願いしたんです」
「護衛? もしかして、美桜ってお嬢さま?」
「いえ、そういうわけでは……」
 若干の揶揄を含んだヴィヴィアンの言葉に、美桜は慌てたように首を振った。
 次の瞬間、会議室のドアをノックする音が室内に響いた。やがてドアが開き、黒いスーツを身に着けた1人の青年が入ってきた。
「遅くなり、申し訳ありません」
 青年――都築亮一は全員へ会釈し、美桜の隣へ座った。
「あなたが、神崎さんの護衛ですか?」
「ええ、そうです」
 三下の問いに亮一は微笑を浮かべながら答えた。
「これで役者はそろったってわけだ」
 森羅が言った。
「そうだね。じゃあ、早速グループ分け、しちゃおっか?」
 慎霰が再び提案するが、なにかが気になったのか、不意に亮一が手を上げた。
「その前に、1つ気になっているのですが、そちらの方、眠ってらっしゃいませんか?」
「えっ?」
 その言葉で、全員が驚いたように亮一が指差したほうを振り向いた。すると、確かに椅子に腰掛け、腕を組んで寝ている青年がいた。
「ん? なに……?」
 全員の視線で目が覚めたのか、清水コータがあくびを噛み殺しながら言った。
「つか、寝るなよ」
「ああ、ごめんごめん。つい寝ちゃうんだよね」
 たいして反省している様子もなくコータは笑った。
「それで、なんの話だったっけ?」
「グループ分けしようかって話だよ」
「そうだったそうだった」
「ってか、おまえ寝てただろ」
 そんな森羅、コータ、慎霰の会話に自然と他の人間から笑いが漏れた。
「グループ分けも大事ですけど、その前に現時点で把握している情報を聞かせてくれませんか?」
 亮一が三下に言った。
「そうですね。麗香さんから渡された情報によると、6月ぐらいから渋谷で行方不明になる若い人が増えてきたそうです。把握しているだけで、30人ほど。ここ1ヶ月で行方不明になった人間は15人だそうです」
「行方不明になった人間に共通することは?」
「10代の若者、という点を除けば特にはないようです」
「そうですか」
 若干の落胆を感じながら亮一が呟いた。
「目撃者とかいないの?」
「今のところは、いないようですね。これからの調査で現れるかもしれませんが」
「なんだ。どのみち、渋谷に出るしかないってことじゃん?」
 慎霰が勝ち誇ったように笑みを浮かべながら言った。

 話し合いの結果、グループは3つに分けられることとなった。
 亮一と美桜。森羅とコータ。ヴィヴィアンと三下という組み合わせになった。慎霰は単独行動を強硬に主張し、それを押し通した。

「さーて、どこから調べよっか?」
「そうですねえ……」
 渋谷駅前で他のメンバーと別れ、センター街へとやってきたヴィヴィアンと三下は、通りを歩く人間を眺めながら思案した。
 夏休みに入ったこともあってか、平日の昼間であるにもかかわらず10代の少年少女が多い。
「じゃあさ、そこらへんのコに聞いてみよっか?」
「え? いくらなんでも、それは……」
「だーいじょぶ、任せて」
 不安そうに言う三下を放って、ヴィヴィアンは通りを歩く3人組の少女へ話しかけた。
「ねえ、ちょっといいかな?」
 声をかけられて少女たちが振り返った。ヴィヴィアンに負けず露出度の高い服を着ている。その姿はまるで水着のようであった。
「どうかしたの?」
 ヴィヴィアンを同年代と思い、少女たちは一気に警戒心を解いた。
「あのさ、このところ渋谷で行方不明になるコが増えてるって話、知ってる?」
「あ、知ってるよ」
「ホント?」
「うん。お化けにさらわれるってヤツでしょ?」
「お化け?」
 少女の言葉にヴィヴィアンは首をかしげた。
「知らないの? 携帯に変なメールが入ってて、それに返信しちゃうと、ある日、お化けにさらわれちゃうんだって」
 明らかに信じていない様子で少女は言った。他の2人も笑いながら「怖い」と異口同音に言ったが、この世に怪談などないと信じている感じだった。
 その後もヴィヴィアンは何人かの少女に同様の質問をしたが、どの少女からも似たような答えが返ってきた。
 お化けにさらわれる。この話は渋谷で遊んでいる少女たちの間では、かなり有名な話であるようだった。
 携帯に発信者不明のメールが届く。無視して開封せずに廃棄すれば問題ないが、開封すると翌日、再びメールが届く。それが何度か繰り返されると、ある日、唐突に少女は行方不明となる。
 メールを開封しても返信しなければ大丈夫だとか、送られてきたメールを5人に転送すれば大丈夫だとか、いくつかのバリエーションが設けられているようだが、その内容は一種のチェーンメールを思わせた。

 森羅とコータはセンター街の一角にあるパブラウンジへ入った。渋谷でも比較的、健全な部類に入る店だ。
 昼間でも店の中は薄暗く、香水と煙草に混じって、かすかにマリファナの臭いが鼻を突いた。店内には従業員を除けば、10代の少年少女しかいなかった。
 2人は手分けをして店の客たちに話を聞くことにした。
「ちょっといい?」
 森羅はテーブルの1つを陣取っていたグループへ話しかけた。
「なんだよ?」
 グループにいた1人の少年が森羅を訝しげに見ながら、ぞんざいな口調で言った。
「邪魔して悪いね。ちょっと聞きたいんだけどさ。最近、行方不明になるヤツが増えてるらしいじゃん? そのこと、なんか知らない?」
「なに? おまえ、調べてんの?」
「ちょっと、友だちがいなくなっちゃってさ」
 相手の警戒を解くために森羅は嘘をついた。
「あー、なんか、イラン人がさらってるって話、聞いたぜ」
「イラン人?」
「そう。あちこちいるだろ? あいつら」
 渋谷に限らず、東京の繁華街に外国人の姿が目立つようになって久しい。特に渋谷では暴力団の下請けで麻薬の売買をする、下っ端の売人にイラン人が多い。
「イラン人て、人間食うのかな?」
 そう言って少年たちは笑った。
(んなわけ、ねえだろ……)
 イラン人が聞いたら激怒しそうな蔑視とも受け取れる発言を受け流し、森羅は少年たち、そして他のグループからも話を聞いた。
 いくつかの話の要点を纏めた内容は、イラン人が若い人間をさらっているという噂があること。それはイラン人から麻薬を購入した人間に限られる、実はイラン人は暴力団の命令で動いているだけなど、様々なバリエーションがあるようだった。
(イラン人ね)
 その辺りを調べる必要がありそうだと森羅は思った。
 森羅が少年グループから話を聞いていた頃、コータは店のカウンターに座り、従業員から話を聞いていた。
 こうした店の従業員は、素知らぬフリをしながらも客の話に耳を傾けていることが多い。
「ねえ、なんか知らない?」
 気軽そうな口調で語りかけ、コータは飲み物を口にした。
「イラン人がさらってるとかって話なら、みんな噂してますけど」
「ふーん。でもさ、なんでイラン人がさらってるってなったんだろね?」
「さあ、俺にはちょっと……」
 コータの言葉に従業員は苦笑いを浮かべながら首をひねった。この店を訪れる客の間では、渋谷で行方不明になっている人間はイラン人がさらっている、ということになっているようだった。
 その時、店内で話を聞いていた森羅がコータのところへやって来た。
「どう、そっちは?」
「イラン人の話しか聞いてない」
「なんだ、同じじゃん?」
 森羅はがっくりと肩を落とした。
「まあ、次はイラン人に話を聞きに行きゃいいってことだよ」
 そう言ってコータはストゥールから降りた。

 亮一と美桜は渋谷駅東口前にある渋谷警察署を訪ねた。
 アトラス編集部でさえ行方不明に関する情報を得ているのだから、当然、警察にも捜索願などが出されているだろうと考えたのだ。
 警察での応対はぞんざいなものであった。しかし、それも当然といえる。警察は民間人の介入を嫌う傾向にあるからだ。
 捜査情報を外部に漏らすわけがなく、何人かの家族から捜索願が出されているという話を聞くことができたものの、ほとんど無駄足に終わった。
「なんだか、嫌な感じでしたね」
 警察署を出たところで美桜が珍しく憤慨したように言葉を漏らした。
「仕方がありませんよ。彼らも仕事なんですから」
 そんな美桜をたしなめながらも、亮一は警察が当てにはならないことを再確認した。
 決して行方不明者を軽視しているわけではないが、警察はそこに事件性がない限り、積極的な捜査を行わない。
 警察は常に事件が起きてから動くものだ。単に行方が知れないという程度では、それがなんらかの事件に巻き込まれたのか、それとも自発的に姿を消したのかが判断できず、警察としても動きようがないと言い換えることもできる。
 日本の警察を動かすためには、事件性があるという確固たる証拠がなくてはならないのだ。
「どのみち、我々で調べるしかないということですよ」
 そう言い、亮一は宮下公園へ足を向けた。
 若者たちが集まる場所といえばセンター街であるが、その付近は他のメンバーが調べている可能性が高かった。
 行方不明者の品物でもあれば、それを手がかりにすることもできるが、現時点では品物はおろか、誰が行方不明になっているのかすら把握できていない。
 アトラス編集部で15人と言っていたのは、渋谷に出入りしている若者の間で騒がれている人数であり、詳細を掴んでいるというわけではない。
 宮下公園には外国人が多い。特にイラン人などの中東系が多く、そのせいもあってか渋谷の中でも異色な雰囲気を放っている。
 亮一が宮下公園を訪れたのには理由がある。
 渋谷にいるイラン人の多くは違法な仕事に従事していることが多い。そうした人間は一般人が決して得ることのできない情報を知っている可能性が高い。
「こんにちは。ちょっと、よろしいですか?」
 亮一は公園の入り口に程近い位置に立っていたイラン人に話しかけた。
 顔なじみというわけではない。当然ながらイラン人は二人を警戒している。
 美桜を連れた亮一は警察官には見えないが、彼らにとって日本人は友好的な関係を育める相手ではない。
「最近、渋谷で行方不明が相次いでいるという件について、なにかご存知ですか?」
 何気ない口調で言った亮一の言葉に、イラン人は大きく顔を歪めた。それが怒りによるものだと亮一が気づくのに、一瞬を要した。
「オマエも、オレたちがやってると思ってるのか?」
 微妙にアクセントのおかしい、しかし理解できないほどではない日本語でイラン人が吐き捨てた。
「なんのことでしょう?」
「オマエたちは、全部オレたちのせいにする」
 そう告げると、イラン人は怒りを含んだ視線を亮一に向け、踵を返した。公園にいた仲間たちになにかを話すと、仲間もろとも消え去った。
「なんだったのでしょう?」
「でも、怒っていましたね」
 疑問に思わず眉をひそめる亮一に、美桜が言った。
 イラン人は「オレたちがやっていると思っているのか」と言った。つまり、渋谷で起きている行方不明事件に、イラン人が関与していると考えている人間がいるということだ。
「その辺りを調べる必要がありそうですね」
 誰がイラン人を悪く言っているのか。それを調べれば調査が進展するような気がした。

 慎霰はセンター街を1人で歩いていた。いくつかのグループ、何軒かの店で話を聞いたところ、面白い噂が中高生を中心に飛び交っていることを聞かされた。
 それは今回の行方不明事件とは関係なさそうなものだったが、そうした噂話は都市伝説として語り継がれている。
 いわく、渋谷の地下に巨大な迷宮がある。とあるラブホテルに幽霊が出る。ある店の試着室に入ると、睡眠ガスで眠らされて外国に売り飛ばされる。
 どれも眉唾に等しい噂だが、こうした街では後を絶たない。
(そういや、ハンバーガーにネズミの肉が使われてるなんてのもあったよな)
 ふと慎霰はそんなことを思い出した。
 試着室に入ると睡眠ガスで眠らされるという話は、今回の行方不明事件とも関係しているかと考えたが、日本人を外国に売ることにどんな意味があるのかわからず、また問題の店とやらを誰も知らなかったため、特に気にすることもなかった。
 時折、建物の陰に入って数珠をかざしてみるが、特に変化はない。数珠の輝きで周囲に怪異的な存在を感じることができるが、今のところ反応はない。
 若干の落胆にも似た思いを感じつつ、慎霰はセンター街にあるゲームセンターの1つへと入った。店内は騒々しい音楽に包まれ、煙草の臭いで満ちていた。
「なあ、渋谷で行方不明になる人間が増えてるって話、知ってるか?」
 入り口近くのゲーム機に陣取っていたグループの1つに慎霰は話しかけた。
「なんだ、おまえ?」
 突然、声をかけてきた慎霰に少年たちは訝しげな視線を向けた。
「知ってんの? 知らねえの?」
 ぞんざいな口調で語りかける慎霰を少年たちは無視することにしたようだった。椅子から立ち上がり、小さく悪態を漏らしながらゲームセンターから出て行った。
「なんだ、あいつら?」
 そう呟き、慎霰は別のグループへ近寄った。

 ヴィヴィアンと三下はセンター街にあるファーストフード店で遅めの昼食を摂っていた。
 あの後、いくつかの店を回って聞き込みをした結果、面白いことがわかった。
 行方不明事件に関して、渋谷で遊んでいる少女たちの間では「お化けがさらう」ということになっているが、少年たちの間では「イラン人がさらう」ことになっていた。
 しかも、お化けの話は女の子にしか話してはいけない決まりになっているらしく、少年たちは誰1人として「お化け」の噂を知らなかった。
「なんなんだろね?」
 フライドポテトを口に放り込んでヴィヴィアンが言った。
 最初はありがちな怪奇現象かとも思ったが、そう単純なものでもないような気がしてきていた。
 そもそも、お化けにしろイラン人にしろ、そうした噂がどこから出てきたのかは謎のままだった。
 噂というのは奇妙なもので、1度、広まってしまうと、その発信源がどこにあるのか特定しづらいという特性を持っている。
「本当に幽霊とかが関係しているんでしょうか?」
 どこか怯えた様子で三下が言った。
 根っからの臆病者であり、麗香の命令で幾度も怪奇現象に立ち会ってきた三下は、お化けという単語へ過剰なまでに反応している。
「そうだったら、どうする?」
 悪戯めいた口調で言い、ヴィヴィアンが顔を寄せると、三下は恐怖に顔を強張らせた。
 そんな三下をおかしそうに笑いながらも、ヴィヴィアンは思案した。
 イラン人に話を聞く必要があると感じた。渋谷に出入りするイラン人の多くは麻薬売買など、違法な仕事に従事していることが多い。と同時に、日本人を相手に商売をしていながらも、心の底では日本人を忌み嫌っている。
 普通のやり方では、彼らから話を聞くことなどできない。しかし、ヴィヴィアンにはそうした不安は皆無であった。
「じゃ、行こっか」
 そう言ってヴィヴィアンは立ち上がった。戸惑いの表情を浮かべつつ三下もハンバーガーを手にしたままヴィヴィアンへ続く。
 この時間、イラン人がいるとすれば、宮下公園付近だが、そんなところへ行くつもりはヴィヴィアンにはなかった。

「イラン人なんか、いねえじゃん」
 公園に入ったところで森羅は声を上げた。
「おっかしいなあ? いつもは、この辺りにいるんだけどね」
 頭をかきながらコータが答えた。いつも昼間はイラン人がたむろしている宮下公園だが、今日に限って誰もいない。休憩中と思われる会社員の姿が見えるだけだ。
「別のとこ、行ってみようぜ」
「そうだね」
 森羅の言葉にコータはうなずいた。なにもないところへ、いつまでいても時間の無駄でしかない。2人はイラン人の姿を求めて移動を開始した。

 深夜。最終の山手線が発車した頃。編集部に帰るという三下と別れ、ヴィヴィアンは円山町を1人で歩いていた。
 辺りにはラブホテルとクラブが建ち並んでいる。通りを歩く人間は若者が多いが、中には中年の男性もいた。
 ヴィヴィアンは建物の陰に潜むようにして建つイラン人を見つけた。恐らく売人。辺りを窺って警戒している。そのイラン人に近づき、声をかけた。
「ハーイ」
 妖艶な笑み。普通の人間はそれだけで魅了され、逆らうことができなくなる。そのイラン人もヴィヴィアンの能力にやられ、親しげな様子で声を返した。
「クスリ? エスも葉っぱもあるよ」
 イラン人が言った。初対面の人間にそう話しかける売人などいない。明らかにヴィヴィアンの能力が作用していることを意味していた。
「いらないよ。それより、ちょっと話を聞きたいんだけど?」
 今にもイラン人へしなだれかかりそうなほどに近づき、ヴィヴィアンは言った。
「あのさ、渋谷で若いコが行方不明になってるじゃない? あれにイラン人が関係してるって聞いたんだけど?」
 普通であれば初対面の人間にこんなことを言われれば怒り出すか呆れるかするだろう。しかし、ヴィヴィアンの能力で魅了されているイラン人は、怒るでもなく小さく首を振った。
「違う。オレたちは、そんなことしない」
「じゃあ、誰がやってるのか、知ってる?」
「知らない」
 だが、きっと中国人だ、とイラン人は付け加えた。あいつらは手加減を知らない。ヤクザが相手でも平気でさらったり殺したりする、と。
 渋谷に中国人は少ない。中国人が根城にしているのは、新宿から池袋にかけてだ。最近は秋葉原にも増えているようだ。
 それ以上、そのイラン人から情報を得ることはできそうにもなかった。別のイラン人から話を聞くべく、ヴィヴィアンは円山町をさまようように歩いた。

 翌日、アトラス編集部の会議室に再び全員が集まり、情報の交換を行っていた。
「ってなわけで、なんだかイラン人が関わってるとかって噂があるらしいんだよね」
「あー、それ、ヴィヴィアンも聞いたよ」
 コータの言葉にヴィヴィアンが反射的に声を上げた。
「でもさ、イラン人に聞いたら、知らないって言ってたよ」
「なに? イラン人に聞いたのかよ?」
「うん」
 自分たちはイラン人に会えなかったこともあってか、若干の驚きを浮かべながら森羅がヴィヴィアンに言った。
「残念ながら警察のほうは当てにできませんね。捜索願はいくつか受理されているようですが、捜索しようという動きは見られません」
「警察なんて、そんなモンだよ」
 亮一の言葉に慎霰が吐き捨てるように応じた。
「あとは、お化けがさらうという話でしょうか?」
「なんだ、そりゃ?」
 初めて聞く話に森羅が三下のほうを向いた。そんな森羅たちへ、三下は自分とヴィヴィアンが聞いた噂を話した。
 渋谷の少女たちの間で流れている「お化けにさらわれる」という噂。携帯電話に差出人不明のメールが届き、それを受け取った人間は忽然と姿を消すというものだ。
「どこまでホントかわからないけどね。信じてるコ、結構いるみたいだよ?」
 三下の後を継いでヴィヴィアンが言った。
「気になるのは、イラン人にしろ、お化けにしろ、行方不明=さらわれるという噂が若者たちの間で蔓延していることですね」
 亮一の言葉に全員がうなずいた。
「やはり、誰かが誘拐しているということなのでしょうか?」
 不安そうな面持ちで美桜が誰ともなく訊ねた。
「ここまで噂が広まってるってことは、そうなんじゃないの?」
「問題は、誰がやってるかってことだよね?」
 森羅とコータが言った。
「今のトコ、有力なのはイラン人てコトになるのかなあ?」
「でも、イラン人はやってないって言ってたよ?」
「そんなの、そいつだけが知らないだけかもしれないじゃん?」
「うーん、そうなのかなあ……?」
 森羅の言葉にヴィヴィアンは首をひねった。
 その時、会議室のドアが開いて麗香が入ってきた。
「ご苦労さま。取材ははかどっているかしら?」
 そう声をかけた麗香であったが、その場にいる7人の表情が冴えないのを見て取り、取材が芳しくないことを悟った。
「三下くん。どこまで調べたのかしら?」
「あ、はい……」
 麗香の言葉に、三下が慌てたように今までに調べた内容を話した。
「確かに怪異的な可能性も考えられるけど、イラン人が関与しているという噂も気になるわね」
 三下の話を聞き終えた麗香が呟くように言った。
「今回の事件に宗教的な色合いはないのかしら?」
「そうか、マニ教だ」
 麗香の言葉に、ふと閃きを感じた亮一が聞き慣れぬ言葉を口にした。
「マニ教?」
 慎霰が鸚鵡返しに問いかける。
 マニ教とは3世紀にマニを開祖として誕生した宗教である。ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教、グノーシス主義などの流れを汲み、かつてはユーラシア大陸で広く信仰されていた宗教であったが、現在では消滅したと考えられている。マニ教の根幹はグノーシス主義に基づいた禁欲主義であり、肉体を悪とみなす一方で霊魂を善の住処とした。
 マニ教の神話では原初の世界では光と闇が共存していたが、闇が光を侵食したため、闇に囚われた光を回復する戦いが始まった。光の勢力によって原人が創生されたものの、原人は敗北して闇が吸収してしまった。その後、光の勢力は太陽神ミスラを派遣し、闇に奪われた光を部分的に取り戻すことに成功した。闇は手元に残された光を封じるため、アダムとエヴァを創造した。そのため、人間は闇によって汚されているものの、知恵によって内部の光を認識することができるとされている。
 人間の肉体は闇に汚されていると考えた一方で、光が地上に飛び散ったために地上の植物は光を有しているとみなされた。それゆえ、斎戒と菜食が重視された。また、婚姻は子孫を宿す行いであり、悪である肉体の創造につながるという理由から忌避された。
 マニ教は近世にいたるまで命脈を保ってきたものの、各地で既存宗教の異端として迫害されたり、逆に他の宗教に吸収されるなどしてマニ教の独自性を保持することができず、消滅してしまったと考えられる。
「それで、そのマニ教がどうかしたのですか?」
 一通りの説明を聞いた美桜が亮一に訊ねた。
「数年前から、イラン周辺でマニ教の流れを汲む新興宗教が信仰されていることが確認されたのです」
 亮一の仕事は密教系の退魔師である。密教とは大乗仏教の中に生まれた秘教のことである。特に日本では空海によって中国から持ち帰られ、真言密教として体系化ものを指し示すことが多い。マニ教は7世紀、唐代の中国へ伝来し、15世紀頃まで名を変えて信仰され、その考えは一部の仏教にも影響したと言われている。そのため、亮一の記憶にマニ教の名があったのだ。
「先ほども言いましたように、マニ教の教えには人間の肉体は悪によって汚れているという考えがあります。逆に人間の霊魂には聖なる光が宿り、これは人間は死んだときにこそ闇から解放され、光の許へ向かうことができるという考えでもあるのです」
「それで?」
 亮一の言葉を慎霰が促した。
「このマニ教の流れを汲む新興宗教は、マニ教のそうした教えを先鋭化したもので、人間の存在は悪である、だから聖なる存在である霊魂を救済するために人間の肉体を破壊しなければならない、という思想をしているというふうに聞きました」
「それって、なんだか過激じゃねえ?」
 思わず森羅の口から出た言葉に亮一はうなずいた。
「そうですね。新興宗教というよりも、カルト教といったほうが良いかもしれません。その教えを実行に移すとなれば、当然、人間の肉体を破壊……つまり、殺人を行わなくてはならないのだと思います」
「それが、今回の事件に関係してるってコトね?」
 ヴィヴィアンの言葉に亮一は再びうなずいた。
「それは、まだわかりませんが、イラン人が人をさらっているという噂には、少なくとも関係しているような気がします」
「じゃあ、イラン人の中から、そのマニ教の信者を探せばイイってことだね」
「でも、ヴィヴィアンが聞いてきたお化けってのも気になるよな」
 森羅とコータがそれぞれ口にした。
「じゃあ、今日は2手に分かれて調べようぜ」
 慎霰の言葉で方針が決まった。
 ヴィヴィアン、三下、森羅、コータはイラン人に関して調べ、亮一、美桜、慎霰はお化けの噂を調べることになった。

 ヴィヴィアンの能力もあり、イラン人たちから話を聞くことは難しくなかった。そしてカルト教を信仰するイラン人の名前などを知るのに、そう時間を必要とはしなかった。
 2日目の午後、森羅とコータはアリ・ザイイドというイラン人が住むアパートに来ていた。聞き込みによって、このアリという人物がカルト教を信仰していると判明した。
「それじゃあ、行きますか」
 そう言ってコータはいくつの工具を取り出し、それを鍵穴へ挿し込んで両手を動かした。すると、10秒と経たないうちに鍵が外れる音が響いた。
「やるじゃん」
 森羅の言葉にコータは得意げに笑って見せた。
 ドアを開けて部屋に入ると、饐えた臭いが鼻を突いた。室内は汚れ、ゴミが散乱している有様であった。
 土足のまま部屋へ上がり、森羅とコータは家捜しを始めた。すると、押し入れの襖の裏側に数枚の写真が貼り付けられているのを森羅が発見した。
「これ、もしかして被害者?」
 異様に白い肌の男女が写る写真を見て、森羅が顔をしかめた。
「死体、じゃないかな?」
 不鮮明な写真であった。暗い場所で撮影したものであるようだが、フラッシュの光量が不足していたらしく、全体的に黒みかがっている。顔は写されていないが、幾体もの体が転がっているように見える写真は、死体を連想させた。
「こいつが犯人てこと?」
「かもね」
 そう答えてコータは携帯電話を取り出した。

 ヴィヴィアンと三下はアリが立ち寄りそうな店をイラン人たちから聞き出し、そこを回っていた。その過程でイラン人から聞いた話では、アリはヤクザの下請けで覚醒剤などを渋谷の中高生たちに売っていたということだった。
 しかし、一昨年の冬に不法滞在で入国管理局に捕まってイランへ強制送還され、今年の春先に再び日本へ戻ってきた頃からアリはおかしな言動を見せるようになったらしい。
 三下が把握している行方不明事件は今年の6月頃から渋谷で噂になり始めた。その前から事件が起きていたと仮定して、アリが日本へ戻ってきた頃と時期的に合うのではないかとヴィヴィアンは考えた。
 何軒目かの店へ入ろうとした時、ヴィヴィアンの携帯電話が鳴った。
「もしもーし?」
「俺、コータだけど、犯人はアリってヤツで間違いなさそうだよ」
「ホント?」
「今、アリのアパートにいるんだけど、死体みたいなのが写った写真、見つけちゃったんだよね」
 コータは写真の内容を説明した。
「でも、これがどこで撮られたのか、わからないんだよ」
「そっかあ。こっちはアリってイラン人の足取りがわからないの」
「了解。じゃあ、俺たちもそっちに合流するよ」
「お願い」
 そこで電話は切れた。三下とヴィヴィアンはアリに関する情報を得るため、店へと入った。

 お化けがさらう。少女たちの間で流れる噂をたどるうち、慎霰は奇妙なことに気がついた。それは、その噂を知っている少女たちがいる店は、まるでなにかに沿うようにしてセンター街にあったのである。
「そういや、渋谷の地下って川が流れてるんだよな?」
「そうなのですか?」
 初めて聞くのか、美桜が驚いたように慎霰を見た。
「そういえば、ありましたね。渋谷川と宇田川が」
 思い出したように亮一がうなずいた。
 渋谷川(古川水系)は新宿御苑を水源として東京湾まで続いている。新宿御苑から渋谷駅前までは広大な暗渠となっており、渋谷駅東口の渋谷警察署付近で地上に姿を現す。渋谷川は渋谷駅北側で分岐し、東は渋谷川、西は宇田川となっている。
 渋谷川と宇田川を合わせた暗渠の総延長距離は約二十九キロ。当然、そのすべてを人間が入れるわけではなく、宇田川の上流部では幅四十センチほどまで狭まるという。人間が入れるのは暗渠の中でも下流部に限られ、その距離は三キロほどとなっている。
 特に宇田川はセンター街より1本北側の井の頭通りの地下を流れている。その宇田川の上に建てられた西武百貨店の地下には、暗渠があるためにA館とB館の連絡橋がないことも有名な話だ。
「それと関係しているのでしょうか?」
「無関係とは言えなさそうなんだよなあ」
 センター街の地図にバツ印を書き込んで慎霰が言った。そのバツ印は少女たちから「お化け」に関する噂が聞けた店がある場所だ。
 それを見ると、まるで宇田川に沿うようになっているのが一目瞭然だ。
「調べてみますか?」
「調べるったって……入れるのか?」
「確か入ることはできますよ」
 亮一の言葉に驚いたようであったが、慎霰はすぐにうなずいた。

 その日の深夜。準備を整えた一行は渋谷川の暗渠へ潜ることにした。森羅とコータが発見した写真が、暗渠内部にて撮影されたものである可能性を亮一が示唆したためである。
 7人は稲荷橋の上に立って暗い川を眺めた。
 周囲の光を水面がわずかに反射しているのが見えた。川の両側にはビルが背を向けて建ち並び、その換気ダクトから漏れる様々な臭いが辺りに立ち込めている。両岸はコンクリートで固められ、川というよりも巨大な側溝を連想させた。
 イルミネーションに包まれ、多くの人間で溢れ返る渋谷の街で、ここだけは違う場所のように感じられた。
 探索を夜にしたのは、街を歩く人間に暗渠へ入るところを見られたくないためだ。目撃した人間が警察などへ通報すれば、厄介事が増えるだけでしかない。喧騒に包まれた渋谷でも、深夜を回れば人はわずかにだが少なくなる。それに地下通路の探索に昼夜は関係ない。どのみち、暗渠には照明もないも設置されていない。
 橋の欄干から縄梯子を垂らし、まず亮一が川岸に下りた。コンクリートの狭い岸の上に下り立つと悪臭が鼻をついた。腐った水の臭い、金属臭、汚水の悪臭。様々な臭いが入り混じり、恭介は思わず顔を顰めた。目の前には暗渠の入口がポッカリと開き、その真ん中には澱んだ水がゆっくりと流れている。
 安全を確認すると他のメンバーが下りてくる。それぞれの手には懐中電灯が握られているが、最後に下りてきた三下の手にはデジタル録画のビデオカメラがあった。
「なんだか、臭いが染みついちゃいそう」
 悪臭に顔をしかめながらヴィヴィアンが思わず口にしたが、その意見には全員が賛成であった。長い時間いれば、鼻の奥に残りそうな臭いである。
「行って見ようぜ」
 慎霰の言葉に全員がうなずき、暗渠へと足を踏み入れた。
 暗渠は思いのほか広く、渋谷の地下にこうした空間が広がっていることに驚きを感じた人間は少なくないようだった。実際、渋谷の地下に川が流れていることを知っている若者は多くない。
「きゃっ!?」
 不意に悲鳴が上がった。
「どうした?」
 聞き慣れた声に先頭を歩いていた亮一が振り返った。懐中電灯の光に思わず目を細めながらも、美桜は首を振った。
「なんでもありません。今、足元をなにかが走りぬけたので、びっくりしてしまって」
 どこか気恥ずかしそうに美桜は答えた。
「多分、ネズミじゃねえの。ほら」
 そう言って森羅が懐中電灯を向けた先には、猫と見間違えるほどの大きさをしたネズミがうずくまっていた。店舗から出る残飯などで栄養が豊富な街では、ネズミも肥大化するという典型であるようだった。

 暗渠へ入って300メートルほど進むと川は二手に分かれていた。右手は渋谷川。左手は宇田川だ。一行は迷うことなく宇田川へ入った。
 宇田川の上流は玉川上水とつながっているとされているが、現時点ではどうなっているか定かではない。
 まるで出口のないダンジョンを進んでいるかのような錯覚に全員が陥っていた。
「ねえ、なんかいるよ」
 その時、ヴィヴィアンが声を上げた。
 先頭を歩いていた亮一、そしてすぐ後ろに続いていた慎霰が奥へ懐中電灯を向けると、なにか黒い影が蠢いているのが見えた。
「誰ですか?」
 亮一の誰何の声が飛んだ。しかし、黒い影は答えようとはせず、動きだけ止めた。
 亮一を押しのけるようにして前へ出た慎霰が、影との距離を詰めながら懐中電灯の光を向けた。
 次の瞬間、思わず全員が息を呑んだ。
 暗渠のさして広くない通路に並べられた死体の数々。それは近づいて確認するまでもなく死体だと誰もが理解した。
 異様に白い肌。中には腐敗が始まっているものもある。また、ネズミかなにかに食われたと思える傷も見受けられた。
 その死体の脇でうずくまっていたのは、1人のイラン人であった。それが探していたアリであると判断するのに一瞬を要した。
「てめえが、殺したのかッ!?」
 慎霰が声を上げるものの、アリは答えずに立ち上がった。その手には大振りのコンバットナイフが握られている。
「きます!」
 亮一の声とともにアリの姿が揺らめいた。
 それと同時に慎霰のカマイタチが飛び、亮一の手から独鈷杵が放たれた。カマイタチがアリの全身を切りつけ、独鈷杵が四肢を壁に縫い付けた。
 瞬時にして身動きの取れなくなったアリの口から、呪詛にも似た声が漏れる。それは言葉にならず、ただ朗々と暗渠に響いた。
 直後、アリの体から白い靄のようなものが抜け出すのを全員が見た。
「逃がすか!」
 それがなんであるかを瞬時に悟った森羅の手から数枚の呪符が舞い、アリの周囲に貼りついた。瞬時に結界が形成され、白い靄は閉じ込められた。
「なんだ、ありゃ?」
「多分、怨霊の類だと思うんだけどね」
 慎霰の言葉に森羅が答えた。
 森羅の結界に捕らえられた白い靄から底冷えのするような呪詛が漏れている。だが、三下を除く全員は特に恐怖を感じている様子もなく、少し離れた位置から眺めていた。
 コンクリートの壁へ貼りつけにされたアリは、死んだように動かなかった。何気なく近寄ったヴィヴィアンは、アリが息をしていないことに気がついた。
「ねえ、死んでるみたいだよ」
「じゃあ、操られていたということでしょうか?」
 ヴィヴィアンの言葉に美桜が疑問を口にした。
「そうかもしれませんね」
 そう答えた亮一であったが、いささか納得のいかない様子だった。
「どうする?」
 懐中電灯で照らした白い靄を眺めながらコータが誰ともなく訊ねた。
「成仏させれば、解決するんじゃないでしょうか? それに、犠牲になった方々を、このままにしておくわけにはいきません」
 美桜の言葉に亮一がうなずいた。
「じゃあ、成仏させちゃうよ?」
 森羅の言葉に反対する人間はいなかった。森羅の手から再び舞った呪符が白い靄へ貼りつくと同時に、断末魔の声のようなものを響かせて靄は霧散した。

 その後、三下の通報によって駆けつけた警察官、救急隊員によって暗渠に放置されていた遺体は運び出された。
 余計な詮索を嫌った三下を除く6名は、事後処理を任せて早々に退散した。
 以降、渋谷で行方不明の噂を聞くことはなくなった。警察は被疑者死亡のまま、事件を処理したと伝えられたが、若者たちを誘拐していたのは本当にアリであったのか、またアリは単に操られていただけなのか、あの白い靄はなんだったのかという、いくつか疑問を残したまま、すっきりとしない解決でもあった。

 事件が解決した2日後。美桜と亮一は再び編集部を訪れていた。
「お邪魔します」
 そう声をかけて編集部へ入ると、いつもの活気がそこにはあった。
 月刊アトラスは事件の全容をオカルト混じりで記事にすることを決定した。幸いにも三下が撮影した映像の中に、いくつか使える物があったため、麗香は雑誌に載せられると判断したようであった。
「あら、神崎さんに都築くん。今日はどうしたのかしら?」
 2人の姿を認めた麗香が、編集長のデスクから声をかけた。
「陣中見舞いです」
 そう答えて亮一はビニール袋を掲げた。そこには冷えたビールや日本酒が大量に入っているのが見えた。
「まだ、仕事中なんだけど」
 困ったように苦笑しながらも、麗香は嬉しそうに言った。
「さあ、差し入れがきたわよ。欲しかったら、さっさと原稿、上げなさい」
 差し入れという言葉に刺激されたのか、それとも酒に目が眩んだだけなのか、編集者たちの手を動かす速度が上がったような気がした。
「料理もありますから」
 美桜の言葉に編集部員たちから歓声が漏れた。
「これは、三下さんの分です」
 そう言い、美桜はそっと三下の机に小さな弁当箱を置いた。それを見た三下は、信じられないというように驚き、そして感激したのか目を潤ませた。

 完


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 0413/神崎美桜/女性/17歳/高校生
 0622/都築亮一/男性/24歳/退魔師
 1928/天波慎霰/男性/15歳/天狗・高校生
 4778/清水コータ/男性/20歳/便利屋
 4916/ヴィヴィアン・ヴィヴィアン/女性/123歳/サキュバス
 6608/弓削森羅/男性/16歳/高校生

 NPC/三下忠雄/男性/23歳/白王社・月刊アトラス編集部編集員

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■         ライター通信          ■
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 はじめましての皆様。九流翔と申します。ご依頼いただきありがとうございます。
 遅くなりまして申し訳ありません。長々となってしまいましたが、このような結果となりました。
 リテイクなどございましたら、遠慮なく申し付けください。
 では、またの機会によろしくお願いいたします。